コロナ問題を人権の視点で ( 井上英夫) 

コロナ問題を人権の視点で

代表世話人  井上英夫

コロナ禍の中で
 コロナ禍、皆さんご無事でお過ごしでしょうか。
 一週間前ようやく届いた「アベノマスク」を前に悩んでいます。安倍に突っ返そうか。こどもたちに使ってもらおうかと。近所の養護施設の施設長さんに相談したら、こどもでも役に立たないし、もう余っているからいらない、と言われました。世紀の愚策ですね。愚策は、ほかにも一杯ありますけど。
 私も、時間ができたので。庭仕事に励み、花や樹木、鳥のさえずりに囲まれて暮らしています。自然の偉大さと有難さを痛感しています。金沢は、今春、花々が一斉に咲き誇り、桜も長く楽しませてくれました。
 この間、日本高齢者人権宣言草案づくりに取り組みました。WEB会議とメールで意見を交わし、高齢期運動連絡会に提案しました。今後、議論を重ね、高齢期運動の要求と目標の指針とするものですが、何より日本政府に高齢者の人権保障への責任を果たさせ、国連高齢者人権条約策定へのリーダーシップを取るように迫るものです。
 コロナ禍は、とくに高齢者を襲い、石川県かほく市の二ツ屋病院が典型ですが、人権の砦たるべき病院や特別養護老人ホームでの感染、死亡も目立ちます。そんな中で、働くことのできない、価値のない人間は死んでも良いというような優生的、劣等処遇的考え方も広まり、「姥捨て山」を作れという主張さえあらわれています。
 この国の未来がかかっている
 コロナ禍や地震、津波、原発事故等の災害、緊急時こそ、国や社会の諸問題が集中的に表れます。コロナ禍で医療や介護崩壊がいわれ、教育そして雇用等の危機が叫ばれていますが、問われているのは国の政策です。平常時の豊かで、分厚い人権保障こそ、緊急時、非常時にも力を発揮し、人々の営業、労働、生命、生存、生活、健康、文化、教育等の諸権利を守ることができるわけです。
コロナ問題にはこの国の未来がかかっています。まさに人権保障そして国民主権・民主主義、平和主義を掲げる憲法を守り、より発展させるのか、緊急事態を口実に、改憲・「独裁」への道を開くのか。とくにコロナ問題を人権の視点でとらえる必要があると思います。ところが、「生活の在り方」を考えようなどという国民への責任転嫁が目立ちます。変わらなければならないのは、何より安倍政権です。
 言葉に注意
 コロナ禍のなかで、カタカナ用語はじめ気になる言葉が乱用されています。そのいくつかを。
 「自粛」と「支援」
 国民への「自粛」とは、「禁止」ではなく国民の自主性を尊重しているようですが、実は、社会保障の自立・自助、共助、公助論と根っこは同じ、国は結果には責任は持ちませんよ、ということですね。営業等財産権の制限に対する「正当な補償」は国の義務ですが、一貫して拒否し、「支援」を連発しています。マスコミも人々も「支援」にならされていますが、補償そして社会保障も「公助・支援」ではなく人権として「保障」されています。「補償」そして「保障」とは、主権者国民の権利であり、国に義務と責任があるということを意味しています。
 「不要不急」
 外出自粛の「基準」とされているのが、「不要不急」ですね。原発、リニアモーターカー、カジノそして軍事費こそ不要不急な最大のものでしょう。
7 私たち社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会)の四月一五日の声明をご覧ください。

(https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/e/6865991853d5854037dd0ea221a9e918)

 ミサイル・戦闘機よりバターを、軍事費より人権保障に。非核の政府を求める会として、この訴えを広めましょう。
 「アラート」「ステイホーム」
 アメリカかぶれ?の小池都知事がカタカナ英語を頻発していますが、アラートは「警報」でよいでしょう。また、ステイホームと耳障りは良いのですが、命令形ですね。家にいろと自粛を「強制」されている感じがします。
ハンセン病政策を教訓に日本は、感染症に対して、ハンセン病「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」という負の歴史をもっています。ハンセン病は薬で完治し、死に至る病ではありませんが、どんなに強力かつ危険な病気であっても人権保障が貫かれなければならないということが、大事な点です。この教訓が生かされなければならないと思います。この点、私の「新型コロナウイルス感染症と高齢者の人権」(『ゆたかなくらし』2020年6月、7月号)をご覧ください。(日本高齢期運動サポートセンター理事長)

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