2014年 4月
三月二七日、非核の政府を求める会常任世話人会が開催され藤田俊彦常任世話人から海外情勢の報告が次のようにありました。
ウクライナ問題と核兵器について
ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス紙に掲載されたジュレミー・バーンスタインの「ウクライナと核兵器」という論文が紹介された。
「ウクライナはソ連が崩壊した一九九一年にアメリカ、ロシアに次いで世界三位の大量の核兵器を保有していた国であった。
チェルノブイリ原発の大惨事の国でもあり、現在でも一五基の発電用原発を稼働させている。国の電力の半分を核エネルギーに依存しており、核燃料の大半をロシアが提供している。
冷戦の終了時、ウクライナは一九〇〇発の戦略核弾頭を保有していた。クリミア半島のクラスノカメンカには、ソ連の最も重要な核兵器施設があり、核弾頭の組み立てや貯蔵が行われていた。
一九九〇年ウクライナ議会は、核兵器を自国から排除する非核政策を採択した。しかし、一九九二年にクチマ大統領は、核ミサイルの一部を貯蔵し続けるべきであると提案したが、一九九四年ウクライナ議会は、再度ウクライナを核のない国にすることを決議した。そして同時に、ウクライナは『ブダペスト・メモランダム』(ブダペスト合意)に調印した。
このブダペスト合意は、ロシア、ウクライナ、アメリカおよびイギリスによって調印されたもので、『核兵器を放棄する代わりに、ウクライナの主権と国境を尊重する、軍事的な挑発を行わない、経済的な制裁を行わない』とするものである。ただ、これは『assurances(約束)』と表現されており、「guarantees(保証)」ではなかった。もし、『保証』であったなら、国連は行動を起こすことを余儀なくされ、ロシアを厳しい立場に追いやっただろう。
もし、クチマが望んだように、ウクライナが核兵器を保有し続けたとしたら、今回の事態はどうなっていたのか興味がある所である。」と述べている。
米国の対ロ制裁措置の効果
アメリカのジェームズ・リンゼイ外交問題評議会上席副会長がインターネット上で発表した「米国の対ロ制裁措置の効果の行方」という論文が紹介された。
「ロシアによるクリミアの敵対的奪取を処罰する処置として、アメリカは制裁措置を課した。しかし、その対象者であるロシアの要人の一人であるロゴジン副首相は、『オバマ大統領がいたずら者に制裁措置を作らせたに違いない』と嘲笑した。
このアメリカによる制裁措置は、オバマ大統領が四つの決定的な重要課題をマスターするかどうかにかかっている。
・『欧州全体を参画させる』かどうかである。フランスはロシアに武器輸出を行っており、イギリスは、ロシアの新興財閥にサービスの提供を行っている。また、新興国である中国、ブラジル、インドは、国境尊重論の熱烈な擁護者であったにもかかわらず、クリミア紛争ではだんまりを決め込んでいる。
・『対抗圧力を屈折させる』かどうかである。制裁措置は標的国が反撃できない時にもっとも効果をあげるが、ロシアはイランの核計画を阻止する活動を邪魔することができるし、アフガニスタンやパキスタンを支援することができる。
・『紛争エスカレートの引き金を引かない』ことである。アメリカは、ロシア企業もしくは個人と米国あるいは他の国の金融ルートを閉ざすという選択もとり得る。しかし、そうなった場合、米国と最も親密な同盟国(ドイツなど)すらも疎遠にしてしまうだろう。もし、そういうことになれば、ロシアはウクライナ東部におけるロシアの行動を活発化させるかもしれない。
・『制裁実施に時間をかける』ことである。ロシアのように、一定の財政的余裕のある国は、しばらくの間、経済的強要を凌ぐことができる。ロシアが痛みを感じるのは、数年とは言わないまでも数ヶ月を要するであろう。
オバマ大統領は、この四つの課題をマスターすることは難しいが、制裁措置はロシアに対して、相当な成果をあげることになるであろう。制裁措置は、欧州諸国にロシアへの依存度を減らし、他の地域への投資を増やすことになるであろう。どちらにしても、ロシアにとって良いニュースではない。時がたつにつれて、ロゴジンおよび彼のボス、プーチンは『いたずら者』の本物の痛みを感じさせることができることに気づくかもしれない。」
(原和人非核の政府を求める会常任世話人の報告から 文責・編集部)
■2013年度平和事業に関する自治体アンケートの集約結果(第2回)
2013年7月に実施した平和事業アンケートの集約結果がまとまりました。
今回のアンケートは、次の4項目について具体的にお尋ねしました。
①2013年度原水爆禁止平和行進・世界大会への対応
②被爆の実相を伝える「原爆写真パネル展」の開催
③自治体広報や公立図書館の平和事業
④平和市長会議「2020ビジョン」の取り組み
・2013年度平和事業に関する自治体アンケート集約結果(PDF:181KB)
アンケート集約結果によると、① 平和行進には殆どの首長がメッセージを寄せられ、世界大会に届けるペナントを購入されています。各庁舎前での平和行進の出発集会や歓迎集会に首長や議長が出席され、激励挨拶される自治体もありました。
②「原爆写真パネル展」の開催は自治体主催が7か所、住民団体主催が6か所ありました。核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝える「原爆写真パネル展」が、自治体と住民団体が連携して県内全ての市町で開催されることを期待します。
③自治体広報による平和特集や公立図書館による平和企画は意外と少なく残念です。県内では100%の「非核平和宣言都市」に相応しく関係者の格別のご尽力を要望します。
④2013年8月1日現在、国内では全市区町の78.1%にあたる1,360都市が平和市長会議に加盟しています。同年8月3日~6日、広島で開かれた第8回平和市長会議総会では、名称を「平和首長会議」と変更し、より多くの自治体の加盟を呼びかけています。
県内ではこの1年間で平和市長会議への加盟自治体が4か所増え、9か所になりましたが、まだ加入率は45%です。またアンケート集約結果では、2020年までの核兵器廃絶をめざす「2020年ビジョン」の取り組みも十分とはいえません。
参考資料として、非核石川の会が平和事業アンケートを実施する契機となった非核埼玉の会の「非核平和行政県内自治体アンケート 第20回集約結果一覧」(2013年7月1日現在)を同封します。埼玉県では82.8%の都市が平和市長会議に加盟しており、各自治体での平和事業もイメージ豊かに多種多様な方法で取り組まれています。今回送付しました石川、埼玉両県の自治体アンケートを参照いただき、全ての自治体が平和市長(首長)会議に加盟されるとともに、非核平和施策の前進のため「一歩踏み出す」事業展開を期待します。
■県内全ての自治体に非核・平和施策に関するアンケートを実施(第1回)
非核・石川の会では2012年4月からこの「非核平和施策に関する県内自治体アンケート」に取り組んでいる。石川県を含む県内20自治体に届けたアンケート調査は次の6項目である。
(非核平和施策に関する調査項目)
(1)貴自治体は非核平和宣言を採択していますか
(2)採択している場合、宣言の名称、年月日、その形式は
(3)非核平和宣言にもとづく自治体の行政施策の年間予算額(平成23年度及び24年度)
(4)平成24年度の平和事業計画
(5)平和市長会議及び日本非核宣言自治体協議会の加盟の有無と加盟年月
(6)担当部署名とメールアドレス
・2012年度非核・平和施策に関する県内自治体アンケート集約結果(PDF:116KB)
石川県で実施する際の留意点として、県内自治体の平和都市会議、日本非核宣言自治体協議会の加盟一覧表も同封し、加盟自治体を増やす試みとしても位置づけている。
非核・石川の会では、4月初めに石川県総務部人権推進課と金沢市総務課を訪問し、埼玉の会が作成した「非核平和行政・埼玉県内自治体アンケート第18回集約結果一覧」を紹介し、今年初めて実施する自治体アンケートへの協力を要請した。他の18市町総務担当課(非核平和施策担当)にはアンケート資料一式を郵送した。アンケート集計結果は6月9日の総会で報告します
今後の計画は次の通りである。
自治体からの回答期限は4月25日であり、今回の調査結果(概要)については本紙次号(第166号)に掲載し、アンケートの集計結果は、6月9日に開催する非核・石川の会第24回総会で報告することにしている。アンケートの集計結果を県内自治体に返送することにより、各自治体の非核平和施策に役立てていただくことを期待したい。
代表世話人 井上英夫
今年も宜しくお願いいたします。
平和のための皆さんのご奮闘に敬意を表します。
しかし、今年こそ、日本の平和憲法にとって正念場となるでしょう。
社会保障制度改革推進法による憲法25条改悪、社会保障削減、その一方での消費税増税、さらには生活保護法改悪、原発再稼働、特定秘密保護法、沖縄米軍基地の辺野古移転、靖国神社参拝と安倍内閣の暴走ここに極まれりという状況です。しかし、単なる暴走ではなく、周到な戦略に基づき、中国、北朝鮮の「脅威」を利用しながら、着々と戦争のできる国を作るため準備を進めていると、冷静にその狙いを見抜く必要があると思います。
真の積極的平和主義を掲げよう
その戦術の一つに「積極的平和主義」があります。安倍首相のいう「積極的平和」とは、米軍に従属して「積極的」に集団的自衛権を行使する。すなわち、他国への出兵、侵略ができる国にしようというわけです。湾岸戦争やイラク戦争等を口実に、物、金だけでは駄目だ、人を出せ、すなわち、より「積極的」に命をかけ、血であがなってこそ国際貢献の価値がある、ということで、自衛隊が外国へ出ていったことは記憶に新しいところです。
安倍首相の「積極的平和主義」は、これをさらに押し進めようというもくろみでしょう。
私も、積極的平和論を掲げてきました。もちろん安倍「積極論」とは正反対の、憲法に忠実な平和論で日本国憲法の三原則とりわけ平和主義と人権保障との関係に重点を置くものです。
憲法前文は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、と平和的生存権を保障しています。戦争やテロ、さらには独裁・権力の恐怖からの自由だけではなく、貧困を原因とした欠乏から免れ豊かに暮らせてこそ平和といえる。すなわち、戦争がないという状態(消極的平和―これはこれで、何より重要ですが)に止まらず、人権があまねくすべての人々―日本の国民だけでなく全世界の国民を視野に入れている憲法の国際的、地球的視点も注目されますーに保障された状態こそ真の平和(絶対的平和)である、ということだと思います。
そもそも第二次大戦後の世界は、1947年の世界人権宣言に明らかなように、人間の尊厳を理念とする人権保障を戦後世界構築の最大の目標として掲げました。自由を奪い、生命権・生存権・生活権・健康権・労働権、教育権等すべての人権を侵害し、剥奪する最たるものが戦争ですから、戦争をなくすことは人権保障の大前提です。
しかし、逆に、人権保障を徹底することこそ戦争をなくし、平和につながるわけでしょう。こうしてみると、真の積極的平和主義には二つの意味があります。
第一に、戦争がないという消極的平和にとどまらず、人権保障の実現された社会(絶対的平和ないし積極的平和)を目指すということです。
第二に、そのためには、9条を守る、核兵器廃絶等の平和運動がもちろん大事ですが、さらに積極的に人権保障のための運動を展開するということです。憲法25条を根拠とする社会保障等の運動も絶対的平和の実現に連なる平和運動そのものであるということです。
この意味での積極的平和主義こそ、憲法自身が認め、求めているところだと思います。とりわけ憲法97条です。すなわち、憲法の保障する人権保障は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると明言しているわけです。ここでいう努力は、struggle なので闘争です。すなわちフランス革命やアメリカ独立戦争、秩父事件等、武力革命であり、戦争であったわけです。しかし、現代では、戦争、暴力とも許されない。武力でなく、戦争でもなく、議会制民主主義という平和的手段により、人権の保障された平和な社会を作らなければならない。武力・軍事力と戦争を放棄した日本国憲法は、まさにこの立場にたっているといえるでしょう。こうして、現代では積極的平和主義は、個人から国家までの暴力を否定するものへと発展してきていると思います。
また、日本国憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」、と規定しています。憲法は、私たちに、憲法を守り、人権保障を一層発展させるための厳しい義務を課していると言えるでしょう。
安倍内閣の「似非積極的平和主義」すなわち戦争政策に対して、真の積極的平和主義を対置し絶対的平和を実現することこそ、私たちの課題であり義務であると思います。
マンデラさんと非暴力・平和主義
皮肉にも、人々の自由と人権を奪う恐れの濃厚な、そして軍事国家への敷石となる特定秘密保護法成立の昨年一二月六日、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の死去が報じられました。九五年の生涯のうち植民地時代から50年近く戦い、27年もの獄中生活にも屈せず、ついに1991年、地球上最後で最悪の人種差別制度アパルトヘイトを廃止させた人です。
多くの名言を残していますが、私が一番感動したのは、黒人初の大統領として臨んだ就任演説で、「We are free, today. Black and White is Together! 我々は自由になった。これからは黒人も白人も一緒に暮らす虹の国をつくろう」、と宣言したことでした。
植民地で奴隷にされ、長年、生命そして国土を奪われ、独立後も激しい差別を受けてきた南アフリカの黒人たち、今までの人類の歴史であれば、勝者として支配者・差別者白人への報復、大虐殺をしても不思議ではありませんでした。しかし、彼の演説は、許しと融和政策を呼びかけるもので、南アフリカの人々は、報復の連鎖を断ち切ったのです。人類は、進歩しているし、より高い高みに到達できる。こう確信し、人類の未来に希望の持てる演説でした。
しかし、あらたな国づくりは、膨大な貧困の存在で困難を極めています。さらに、次のような言葉も残しています。
「奴隷やアパルトヘイトと同じく、貧困は自然現象ではない。貧困を作りだすのは人間で、貧困に耐え、貧困に打ち克つのも人間だ」と。
マンデラさんの訃報を聞いて集い、口ぐちに、「悲しみよりも、感謝を、」とはじけるような笑顔で応える南アフリカの人々の姿が笑顔のマンデラさんに重なります。
日本には憲法97条がある
マンデラさんの闘いは、日本の私たちには無縁の、別世界の出来事なのでしょうか。
繰り返しますが、憲法97条は、人権を、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法英文ではfruits of the age-old struggle of man to be free)であると謳っています。人権は、人々の闘争でかちとられてきたというこの歴史観と一国にとどまらない人類的・地球的視点は、マンデラさんの闘いが、憲法を守り発展させ人権と平和を確立するという、私たち「非核の政府を求める会」の運動に連なっていることを確信させてくれます。
ところが、自民党憲法改正草案は、この貴重な九七条を完全に削除しています。自民党政府が最も恐れているのは、人権・平和のための闘争なのだと思います。
先ほど、現代の闘いは、平和的手段によらなければならない、個人から国まで、暴力は絶対に否定されなければならない、と言いました。しかし、これは難しいことです。マンデラさんも、26歳の時非暴力路線をとるアフリカ民族会議(ANC)に加入、反アパルトヘイト運動に身を投じますが、1960年の非合法化を契機に武力闘争に転じます。
それでも、私には、マンデラさんが暴力肯定論者になったとは思えないのです。何故なら、先のように暴力による報復の連鎖を断ち切ったのですから。
2014年を、人権・平和のための闘いにより、希望の年にしましょう。