2017年 1月

 非核の政府を求める石川の会は、会報「非核・いしかわ」第222号(2017年1月20日付)を発行しました。サイドメニューの会報「非核・いしかわ」、「絵手紙」も最新情報を追加しました。

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年頭のご挨拶 

We  shall  overcome われらは打ち勝つ  

非核の政府を求める石川の会

代表世話人  五十嵐正博

 

 皆様お元気で新年をお迎えのことと思います。連日の奮闘に敬意を表します。

沖縄と「蛍の光」

 私が本欄を担当するのは今回で3度目、なんといずれも安倍政権下の新年です。安倍政権にとって、憲法などどこ吹く風。この間に、「戦争をする国づくり」が強権的に、「なし崩し・やりたい放題」に進められてきました。世界を見渡しても、右傾化、排外主義、格差・貧困の広がり、トランプ「凶暴」政権の誕生など、懸念材料に満ちあふれています。

 私たちを取り巻く状況は何も変わっていませんが、深刻さはより増しています。

 大晦日、NHK紅白歌合戦のフィナーレを見ました。「蛍の光」が歌われるのを確かめるために。われながら無知を恥じることがあったからです。

 高江での連日の大弾圧、機動隊員による「土人」発言など怒り心頭でした。私が落ち込んだのは、『沖縄タイムス』「論壇」への投稿の一文でした。「明治時代の文部省唱歌『蛍の光』の四節に、沖縄は『皇土』ではないという認識が歌詞に表れているのを知っての上か、年末の紅白歌合戦では今でも幕閉めで大合唱される。私は、明治の国定教科書に、沖縄の『土人』という記事があることを確認した記憶もある。」と。私は「蛍の光四番」を知らなかったのです。「蛍の光」成立の経緯など考えたこともありませんでした。

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 『琉球新報』のコラム「金口木舌」に「歌われない『蛍の光』四番」(2014年12月26日)をみつけました。「大みそかの風物詩、NHK紅白歌合戦は『蛍の光』の合唱で幕を下ろす。その歌詞に沖縄が登場する。・・・〈千島の奥も沖縄も 八洲(やしま)のうちの守りなり 至らんくにに いさおしく つとめよわがせ つつがなく〉。『八洲』は日本の古称。沖縄を国防の要衝と位置付ける国家の意思が垣間見える。男はお国に尽くせと鼓舞する歌だ。小学校唱歌として詞ができたのは1881(明治14)年。2年前に琉球併合があり、6年前には千島列島が日本領土になった。植民地化した帝国日本の版図を示す意図があったと、『蛍の光』研究者の中西光雄さんは著書で指摘する。・・・」

「日米同盟のさらなる強化・深化」「共通の価値観」

 いつのころからか、「同盟の強化・深化」といった決まり文句が、首相談話や会見などで定着した感があります。「同盟」は当然に「軍事同盟」のこと。日米安保体制を初めて「同盟」と規定したのは、1981年5月の日米共同声明(鈴木・レーガン)においてでした。「日米両国間の同盟関係は、民主主義及び自由という両国が共有する価値の上に築かれていることを認め、・・・」とあります。「共有する価値」にも言及されています。この「同盟」に軍事的意味合いがあるのか否かについて、鈴木善幸首相と園田直外相の意見が分かれ、やがて軍事的意味があると主張した外相が辞任するまでになりました。当時の世論はまだ憲法九条違反の「同盟」に敏感であり、政府も慎重にならざるを得なかったのでした。現在、そうしたタガは完全に外れてしまったようです。

 2015年4月に合意された日米新ガイドラインについて、防衛省は「この新『指針』下で、日米両国は同盟の抑止力・対処力を一層強化していきます。」とし、なんと、「同盟」の文言が20回以上出てきます。新ガイドラインが扱うのは「自衛隊と米軍との協力強化」が中心ですが、安倍首相が思い描く「同盟の強化・深化」はそれにとどまらないでしょう。

 米側が、日本に高い兵器を押し付け、「思いやり予算」の増額、新基地の早期建設、はては「もっと血を流せ」と迫るのに対して(トランプ政権のやりそうなこと)、日本が「御意、仰せのままに」ということなのです。交渉の中身は一切「秘密」。こうして「従属の果てしない深化」が進行します。にもかかわらず、マスコミは「大本営発表」を垂れ流すだけ。昨年末、安倍首相は真珠湾で日米は「明日を拓く希望の同盟」といいました。

 「希望」と「(軍事)同盟」がどう結び付くのか。希望は「平和な世界をつくる」ことではなく、軍事同盟の強化・深化だといいたいのでしょう。ここでも「戦争」を「平和」といいくるめる言葉のごまかしがあります。

 安倍首相が「民主主義、人権の尊重、法の支配、という共通の価値観」というとき、「恥を知れ」といってやりたくなりますが、本人は恥ずかしくないのでしょう。菅官房長官が、「この国は法治国家です」と冷ややかにいうときも。沖縄県民の民意を無視し、切り捨て、弾圧するのが「民主主義、人権の尊重、法の支配」。「差別発言」「非暴力の人々を暴力的に排除・拘束する」のも「人権の尊重」。アメリカの恫喝・傲慢・尊大・不遜・横暴・高慢・居直り。「トモダチ作戦」というごまかし。日米政府は確かに「共通の価値観」をもっているようです。

「アベ政治を許さない」から「われらは打ち勝つ」へ

 「沖縄はいまだに植民地か」、とウチナーンチュの怒りは収まりません。ヤマトはいつまでウチナーンチュに「不屈」を強いるのか。「諦めない」「負けない」といわせ続けるのか。四番を隠したままで「蛍の光」を歌い続けるのか。福島の人々に「花は咲く」を聞かせ続けるのか。

 辺野古・高江ではWe shall overcomeが歌われます。「わたしたちはこの理不尽・不条理に打ち勝つのだ」と。

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 昨年末、日本政府は、国連総会において、核兵器の廃絶を願う被爆者、多くの市民の期待を足蹴にするかのように、「核兵器禁止条約交渉開始決議」に反対票を投じました。菅官房長官は、反対の理由を「核兵器国と非核兵器国の亀裂を深め、核兵器のない世界の実現が遠のく」と、まるで「核兵器廃絶」推進国が悪いような言いぶりで国際社会の顰蹙(ひんしゅく)をかいました。

 その四日後の真珠湾、安倍首相は「核兵器」について一言も発せず、オバマ大統領は、日米の「核兵器拡散の減速」の連携に言及しました。「非核兵器国」の手に核兵器を持たせないことが主眼、核兵器の削減・廃絶とは無縁の声明でした。これがオバマの本心です。

 私たち市民が主体的に、この国の暴虐・狂気を打ち破り、非立憲・非民主・反自由の政治を終わらせて、私たちの手に「個人の尊厳と自由」が擁護される日本国憲法を取り戻しましょう。戦争法制を廃止させましょう。

 「アベ政治を許さない」から「われらは打ち勝つ」へと舵を切りましょう。

 私たちは、やっとSEALDsや多くの市民団体の働きかけで、野党共闘を実現させるところまでこぎつけました。選挙がすべてではなく、なにより日常的なつながり、信頼関係の構築があって、初めて「われらは打ち勝つ」ことができるでしょう。「オールジャパン」で立憲主義の回復、憲法を私たちの手に!

◎編集部注…古事記における『八洲』とは本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡のことで沖縄は含まれない。沖縄が〝八洲の守り〟のための要衝ならば、『皇土』扱いされていないことになる。