非核の政府を求める石川の会は、会報「非核・いしかわ」第270号(2021年1月20日付)を発行しました。サイドメニューの会報「非核・いしかわ」、「絵手紙」も最新情報を追加しました。
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2021年 1月
< 書評 >
『記憶の灯り 希望の宙へーいしかわの戦争と平和』によせて
代表世話人 井上英夫
昨年8月15日、日本敗戦の日、『記憶の灯り 希望の宙へ 石川の戦争と平和』が、石川県平和委員会と戦争をさせない石川の会より発行されました。
本書の執筆者、そして内灘闘争をはじめ石川県の平和運動のリーダーの一人莇昭三さんは、本書発行直前の7月19日に亡くなり、そのたたかいの歴史に幕を閉じられました。
莇さんは、編集後記で、「読者や戦跡への訪問者が、『そうだったのか、やっぱり戦争に反対しなければ!』と心が駆り立てられる冊子であってほしい。その願いは、今、実現したように思える。若者たちには、75年前の戦争が遠い昔話でなく、歴史に向き合うことは、君たちの未来につながる道標となることを、強く伝えたいと思う。」と述べています。
被害と加害そしてたたかいの歴史
内容は、大きく四つ、⑴ 天皇の軍隊 加害の歴史、⑵ 国民・兵士 被害の歴史、⑶ 混乱と復興の狭間で、⑷ 逆流に抗い平和を守る、となっています。
被害の歴史では、兵士、銃後の人々、そして満蒙開拓団等が取り上げられています。中でも衝撃的なのは、日中戦争、アジア・太平洋戦争で軍人軍属の戦没者は約230万人、しかし、そのうち140万人は餓死者で、6割強にのぼったということです。そして莇さんの綿密な調査で石川の兵士の戦死は26,615人、どこで、どれだけ「戦死」したのか明らかにされています。
本書の最大の特色と意義は、加害の歴史を取り上げていることだと思います。1898年には第九師団司令部がおかれ、軍都金沢の象徴となり、南京攻略戦(大虐殺)の主力としても投入されるわけです。七三一部隊についても石井四郎隊長は四高出身で、敗戦後逃げ帰った上陸地は金沢でしたし、金沢医科大、後の金沢大学医学部には部隊関係の医師が入り、学長にさえなっています。
私は、大学で戦争と平和、人権について講義し、日本軍慰安婦、植民地におけるハンセン病政策も加え、とくに加害の歴史を語ってきましたが、歴史の歩みを眼前に見ることができる例として、野田山墓地へ足を運ぶように勧めてきました。
野田山墓地には、戦争捕虜と日本軍兵士の墓があります。大きくて将校の墓は立派ですが、一般兵士の墓は小さい。さらに1940年からの日露戦争のロシア兵捕虜の墓もありますが立派なものです。まだ、軍、国、日本社会に、捕虜に対し人道的扱いをする「武士道精神」も残っていたのでしょうか。しかし、朝鮮の植民地化、アジア・太平洋戦争へと突き進む中、「堕落」は進んでいきます。
行きつくところ、人々の踏みつける道路の下への尹奉吉(ユン・ボンギル)の遺体の暗葬です。尹奉吉は、日本の侵略と植民地支配に抵抗し1932年に上海で爆弾を投げ軍人たちを殺傷し、金沢で銃殺されたのでした。1946年ようやく発掘され、1992年暗葬の地に碑が立ち、近くに「殉国記念碑」も建立されています。私は、ソウルの梅軒尹奉吉記念館そして上海魯迅公園内につくられた梅亭も訪問しています。
日本にとっては、テロリスト尹奉吉も、植民地にされた朝鮮、そして侵略された中国の人々にとってはまさに「義士」であり英雄です。加害の歴史には目をふさぎたい、避けて通りたい、無かったことにしたい。これが、多くの日本の人々とくに若い人達の偽らざる気持ちではないでしょうか。「踏んだ側は忘れても、踏まれた側は痛みを忘れない」といわれますが、加害の歴史に正面から向き合うことの覚悟と勇気こそ今求められているのではないでしょうか。今とくに問題となっている日本軍慰安婦、徴用工問題もこの姿勢を示せば道は開けると思います。
現地・現場主義と想像力
本書は、「戦争の痕跡をたどり、悲惨な記憶を学び、未来へ手渡す」ことを目的としているわけですが、現地に足を運び、現場を見ることの大事さを痛感しています。私は、社会保障裁判やハンセン病問題、そして人権・平和問題にかかわってきましたが、現地・現場主義を法学研究の基本に据えてきました。
2016年4月、最高裁判所は、裁判所外の「特別法廷」で開かれたハンセン病患者に対する裁判を裁判所法違反、さらには不合理な差別であったとして実質的には憲法14条違反の差別と認め、謝罪しました。私は、この件で設けられた有識者委員会の座長を務めました。調査委員会を構成する裁判官そして有識者委員にハンセン病患者の「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」による差別・人権剥奪の実態、その空気を知ってもらうことが何より大事だと考え、群馬の栗生楽泉園、熊本の菊池恵楓園を訪問しました。
委員の皆さんが、とくに「ショックを受けた」のが栗生楽泉園に復元された重監房でした。もちろん、復元されたもので、マイナス20度にもなる極寒、餓死するような食事、悪臭も、ノミや南京虫もありません。しかし、アウシュビッツに匹敵するような残虐な実態にふれ受けた影響は計り知れないほど大きかった。
同時に、現地・現場主義といっても限界はあります。すべての戦跡や生命権はじめ人権剥奪の現場に立てるわけではありません。血の匂いを嗅げるわけではありません。それを補うのが想像する力だと思います。本書は、まさにその想像力を掻き立てる力があると思います。
平和的生存権と人権のためのたたかい
改めて憲法の輝き、力、そして人々の人権のためのたたかいの正当性に確信が持てました。憲法は、周知のように国民主権、平和主義、基本的人権を3本柱にしています。県内には憲法記念碑、憲法九条の碑そして非核・平和の標柱等が沢山あります。
憲法前文は、平和的生存権をかかげています。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、と。
ここにある「恐怖」とは戦争やテロ、「欠乏」とは飢餓や貧困です。したがって前者については、憲法9条で、後者については憲法25条を基底とする26条の教育権、27、28条の労働権、労働基本権等の人権いわゆる社会権を保障しているわけです。
この意味で、憲法9条と25条は一体である、戦争・平和と生命・生存・健康で文化的な生活を保障する人権保障は一体であることを再確認した次第です。さらには、日本国民だけでなく、「全世界の諸国民の公正と信義に信頼し、私たちの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で述べていることも強調しておきたいと思います。
そして、本書がたどっている内灘闘争をはじめとする平和的生存権のためのたたかい、とくに非核・平和の自治体づくりは2006年、県内全自治体の「非核・平和自治体宣言」決議を生み出していることも紹介されています。
日本国憲法97条は、憲法の保障する人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(たたかい)の成果」であると明言して、私たちの平和と人権のためのたたかいの正当性にお墨付きを与えています。
そして、本書発行はまさにこのたたかいの一環であり、この成果を生かすことこそ、憲法12条が定める、憲法、人権を保持するために私たちに課せられた「不断の努力」義務をはたすものに他ならない、と思います。
現在のみならず未来を見据えるとき、日本の歴史とくに近・現代史を学ぶことが必要だと思います。本書を教材とした平和、人権教育を学校教育、社会教育の場で保障する、そのためのたたかいを提言します。
◆ 年頭所感 ◆
一人ひとりの尊厳を尊重する社会を
代表世話人 五十嵐正博
コロナ禍での新年、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。皆さんが本「会報」を手にされるころ、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効します。核兵器の廃絶を願って長年奮闘されてきた皆さんに心より敬意を表します。これからは、「核なき世界」を「実現」するためにどうしたらよいかが問われることになります。
コロナ後の世界を示唆する
さて、このコロナ禍からなにがみえてきたでしょうか。感染症への警鐘が以前からなされてきたにもかかわらず、ほとんどの国で、感染症に対する対策・準備の軽視あるいは不存在、安倍・菅政権は、「自助・後手後手・場当たり的・コロナよりも経済を」の対応に終 始し、「命を軽んずる」政権であることを改めて明らかにしました。 「安心して暮らせる日常」こそがなにより大事だと実感する日々です。安倍政権は最悪だと思ったら(一難去って)、より悪い菅政権が生まれてしまいました(また一難)。なんと表現しましょうか、「最悪+A」とでも。
「軍事優先」「新自由主義」政策の下で繰り広げられる「格差社会」の拡大は、弱者により大きな犠牲(まさに生きるか死ぬか)を強いることになっています。自公政権は、「安全保障環境の一層の厳しさ」、「国民の生命・財産を守る」ためという常套句を弄しながら、医療・福祉・教育分野を軽視しつつ、軍事費の拡大だけは続けています。新型コロナウィルスは軍隊で防ぐことはできない、軍隊はむしろ有害無益だということも改めて明らかになりました。「軍事費をコロナ対策に回せ」との声が高まるのは当然です。
コロナのことを考えながら、ふと思い立ち、書棚の片隅にあった、高校時代の教科書『詳説世界史』(1965年、山川出版社)を取り出しました。赤線だらけ、ほとんど覚えてない。私の記憶力の弱さはさておいて、半世紀以上前の受験勉強はなんだったのか。いや、歴史を学ぶことはとても大切です。受験と結びついたことが問題なのだ、ということにしておきましょう。
それはさておき、昔の『世界史』の教科書を引っ張り出したのは、「感染症」「ペスト(黒死病)」についての記述があったかを確かめようと思ったからです。唯一、「たまたま1348年黒死病(ペスト)が西ヨーロッパを襲い、農村人口は激減し」、荘園制・封建制の崩壊にともない、「15世紀ごろには各地に中央集権の近代国家が成立してゆく」との記述がありました。「スペイン風邪」は見当たりません。高校生用の「世界史」の教科書は、感染症の蔓延(パンデミック)が国家のあり方を、さらに国際社会のあり方を根本から変える契機の一つになりうると教えていたのです。執筆者にそんな意図があったかどうか、私自身は、当時、そのような意味をくみ取ることはありえませんでしたが。地方政治の実権を握っていた諸侯、騎士が没落し、成長した市民階級は国王と相提携し、中央集権化が図られていったのでした。こうして近代国家が成立していきます。
そこで、次の問いは、現下のコロナ禍でなにが「没落」し、なにが新たに生まれるのか、いかなる社会の変革がもたらされるのかです。たとえ遅々たるとはいえ、歴史上、人類がたどってきた「進歩」から「変革の道筋」を導きだすことができるのではないか。「進歩」の定義は種々ありえますが、私が思う「進歩」とは、人類は、「一人ひとりの尊厳が尊重される」社会を目指してきたことです。それは、支配と従属、偏見と差別のない社会を目指す「不断の努力」であり、今後も続けられなければなりません。
「植民地の解放」を目指して
道半ば、あるいは人類史においては始まったばかりかもしれません。私は、「植民地の解放」を研究課題としてきました。国際社会は、国家間の、また国家とその植民地の「支配・従属」関係をいかに断ち切ろうとしてきたか。1960年、国連総会は、植民国家などの反対を押しきって「植民地独立付与宣言」という画期的な決議を採択しました。「すべての植民地人民は独立する権利がある」、この宣言に勇気づけられ、その後100以上の植民地が政治的独立を達成してきました(国連加盟国は51から193へ)。しかし、途上国の経済的「独立」は今も困難を極めています。本稿で詳述することはできませんが、途上国は、先進諸国からの経済的独立を求めて、「多国籍企業の行動を規制する権利」を求めてきました。私は、1996年に「近年の国連における多国籍企業の活動の積極的評価と『民営化』促進の動きは、まさに全世界を『先進国』(の企業)のために再西欧化する試みであり、このままでは途上国を益々従属的な地位に追いやることになろう」と指摘したことがあります。この状況は改善されるどころか、悪化しているのではないか。近年話題の「SDGs=持続可能な開発目標」に、多国籍企業、民営活動はむしろ肯定的に言及されています。実は、途上国の声は先進国の抵抗によりかき消されてきたのです。
「人権の普遍化」を目指して
1948年12月10日、国連総会が採択した「世界人権宣言」は、もう一つの人類が到達した「進歩」でした。世界人権宣言は、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等で奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものである」と宣言します。以後、国際人権規約をはじめ、種々の人権関係条約が結ばれ、人権を実現するための各種「委員会」が設けられるなどの「進歩」を遂げてきました。第二次大戦後、人権尊重は、すべての国家が従うべき普遍的な理念になってきたのです。
非植民地化(最近、沖縄では「脱植民地化」といわれます)を推し進めたのが「自決権」という画期的な考えでした。「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」(国際人権規約共通1条)。自決権は、すべての人権享有の大前提であり、植民地支配は自決権の否定そのもの、植民地の人々の人権抑圧体制そのものなのです。「香港」に対する中国の弾圧政策を決して認めることはできませんが、未だに植民地を手放そうとしない植民国家の「政府」(米・英・仏など)が中国を批判する資格はありえないことも指摘しておきます。
日本社会の変革を目指して
先の教科書の事例にならえば、日本社会の変革のためには、自公政権を「没落」させ、「市民と野党が相提携」し、日本国憲法を活かす政権への交代がなければなりません。その政府は、「一人ひとりの尊厳を尊重する」政府であり、必ずや核兵器禁止条約を批准し、核兵器が「壊滅的な人道上の帰結」、すなわち「人類の生存」に関わるのだと世界に向けて強く訴え、「核兵器のない世界」の実現を目指すはずです。
なお、沖縄が強いられ続けている諸問題、「日本学術会議任命拒否」、「自衛隊の敵基地攻撃能力」など、それこそ「菅政権はどこまでやるか」と頭の中が沸騰しそうです。それらは別の機会にお話しする機会があるかも知れません。いずれにしろ、政治を私たち市民の手に!
本年もよろしくお願いします。