2022年 1月

 非核の政府を求める石川の会は、会報「非核・いしかわ」第282号(2022年1月20日付)を発行しました。サイドメニューの会報「非核・いしかわ」、「絵手紙」も最新情報を追加しました。
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<年頭所感>

池明観(T・K生)さんを偲んで

加害者責任と東アジア共同体構想

代表世話人 井上英夫

 

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 コロナ禍を奇貨として、貧困・不平等の拡大、社会保障削減そして軍事費増大と改憲の加速化が図られ平和的生存権が脅かされています。危機、緊急事態においてこそその国、社会、私たちの生き方が問われます。

 「禍を転じて福となす」。今年は、日本の核兵器禁止条約参加、批准をはじめ非核自治体・政府づくりへ大きく一歩を進めましょう。

 元日に韓国の宗教哲学者池明観(チ・ミョングァン)さんが亡くなられました。97歳でしたが、日本、アジアそして世界の未来を考えるときまこと に惜しい人を無くしました。金沢にも縁の深い人でしたが、非核石川の会の皆さんにとっては、「T・K生」のほうがなじみが深いかもしれません。

 

「韓国からの通信」ー「T・K生」として

 池さんは、1973~88年、T・K生として雑誌『世界』に「韓国からの通信」を連載し、朴正煕、全斗煥の両軍事政権による反体制派への拷問や労働者への人権侵害等民主化運動弾圧の実態を告発しました。自身が「T・K生」であったことを明らかにしたのは、2003年になってからでした。

 ちなみに、T・K生そして韓国民主化運動を支援したのは『世界』の編集長でのち社長になる安江良介氏ですが、金沢大学法文学部出身です。

 池さんは、1993年韓国に帰国、98年からの金大中(キムデジュン)政権で、日本の大衆文化に対する警戒感が根強かった中、早期開放を主張し、韓国で日本の歌謡やドラマ、アニメなどが広く親しまれるようになっています。

韓国では2004年まで翰林大学校教授も務めた他、KBSテレビ理事長や日韓共同歴史研究の韓国側代表などを歴任しました。

 池さんは、韓国の民主化に力を注ぎ、日韓の関係改善に力を尽くしたわけですが、金沢大学法学部そして私自身大変多くのことを教えていただきました。

 「韓国からの通信」に衝撃を受けたのは、早稲田大学大学院院生の時でした。1973年8月8日、金大中が韓国中央情報部 (KCIA) により東京都千代田区のホテルから拉致され、船で連れ去られ、海に投げ込まれ殺されそうになりながら、5日後にソウル市内の自宅前で発見されたのです。金大中は暗殺を恐れ、都内を転々としていたそうです。その一つのアパートは、高田馬場駅近く、早稲田大学に至る早稲田通りにありましたから、私はその前を何も知らず通っていたわけです。

 

日本の加害者責任・戦後補償と日韓の相互理解

 金沢大学法学部としては、日本軍慰安婦等に関する戦後補償すなわち日本の加害者責任に取り組んだ日韓共同研究があります。その成果は、『日韓の相互理解と戦後補償』として2002年に日本評論社から出版されています。池さんは、当時韓国の翰林大学校日本学研究所所長でしたが、金沢大学法学部の五十嵐正博本会代表、名古道功さん、学術会議問題で任命拒否された岡田正則さんと並んで編者になっていただきました。

 私は、五十嵐さんと日本軍慰安婦問題を担当し、1997年から99年、ソウルのナヌムの家、山の中の論山、そして釜山等、慰安婦とされたオモニと行政担当者から話を伺い、その結果をまとめました(第2章 戦争被害の実相と日本の戦争責任、「Ⅰ. 戦争責任の構造と『従軍慰安婦』問題」および「Ⅲ. 『従軍慰安婦』と戦後半世紀―聞き取り調査等から」)。

 池さんは、総論において「本研究の意義」を執筆していますが、世界史的観点から、21世紀の日韓関係についての展望を示しています。

日本軍慰安婦、徴用工問題をはじめ現在最悪と言われる日韓関係についてのみならず、世界の、そして何より日本の私たちの非核の政府・核廃絶運動についても示唆に富むものです。

 「なぜ戦後半世紀を超えた今日において日韓のあいだにおいてなお戦後補償が問題になるというのだろうか」

と問いかけます。

 その原因として、①半世紀のあいだにそれこそ真摯にとりあげられたことがなかったこと、②かつてとは違って、いまは日韓両国民が成熟した市民社会に向けて確かな歴史認識を持つようになってきたこと、③21世紀が20世紀の過ちを否定して和解と協力を求めねばならない時代であると日韓両国の市民が自覚していること、をあげています。

さらに、戦後補償は、「単なる金銭的補償を意味するのではなく、21世紀を創造的に生きようとする決意を示すことであり、それでこそ国民的相互理解が成立する」というのです。

 したがって、戦後補償問題は、1965年日韓条約やその後の「補償」により解決済みとする日本政府や一部識者、反韓国勢力の主張に対し、「いま戦後補償の問題は日韓条約におけるのとは違った次元において問われ」、かつては「政治・経済の問題であり、政府間の問題」であったが、いまは「国民的和解と交流と協力のための問題」であり、「日韓両国民が手を携えて東アジアの協力と繁栄を追及するための問題」である、と喝破しています。

 「過去の間違った時代の重荷を肩からおろし、その傷を癒そうとすることは成熟した国家の行為であり、品位ある国民の行動であるといえるのではなかろうか」と。

 

日本国憲法と平和的生存権

 こうした、歴史観、世界的観点は、まさに、日本国憲法に通じるものです。憲法前文は、「われらは政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」することから出発し、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しているのですから。

 さらに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・・・この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」と言っています。

 

 未来への歴史と東アジア共同体構想

2001年、私は金沢大学の院生とともに韓国ソウルでKBS(韓国放送公社)理事長であった池さんの講義を受けました。

 院生だった現愛媛大学の鈴木靜さんは、「歴史とは将来の平和の視点から考えるべきで、おおよそのことは些末なことに過ぎない。しかし、些末なことを手のひらから振り落としても残る事柄がある。この残る事柄こそ、真剣に考えることです」という言葉が、ナヌムの家訪問の後でもあり、深く印象に残っているそうです。

 私が感銘を受けたのは、「東アジア共同体構想」です。現在、イギリスの脱退問題等EUが揺らぎ、そして中国の海洋進出、一帯一路構想等不安が増大していますが、アジアの進むべき道は、少なくとも日本、韓国、中国が仲良くし、共同体を形成する以外にないというものです。過去の歴史を踏まえ、現在を考え、そして未来へとつなぐ、未来志向の姿勢を学びました。

 あらためて池さんは、本当に偉い人だったと思います。偉ぶらず、謙虚で、いつも笑顔を絶やさない。学生たちにも優しく接してくれました。

 韓国に行くと、私たちは留学生、韓国の人々と一緒にカラオケで「演歌」をうたいます。日本文化開放という池さんの偉大な業績の一つを大いに謳歌させてもらっているわけです。

 改めてご冥福をお祈りします。

<年頭所感>

「理解不能なことばかり」

代表世話人 五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。

 コロナ禍の下、沈鬱な空気が世界を覆っているようです。コロナ禍は、私たちに「人知の及ばぬ世界」があることを改めて気付かせました。人間の「おごり」を戒めるかのようです。世界の各地で深刻な人権侵害が、そして植民地支配も続いています。核兵器が瞬時にして人類を絶滅させ、温暖化が、地球環境、生態系をじわじわと蝕んでいく、「わかっちゃいるけど止められない」サガを人間は捨て去ることができないままです。そうした事態を止めようと、世界中で、日々抗議し、抵抗する多くの人々の姿もあります。核兵器の廃絶を願い、あるいは、地球危機を防ごうという若者たちの「抵抗の輪」が希望の光です。

 今年は、「沖縄返還」、「日中国交正常化」から50周年、政府は、沖縄の民意を一顧だにせず、日中関係は融和と緊張を繰り返しています。「画期」にどれだけの意味があるか、少なくとも来し方を振り返り、未来への展望を考える契機にしなければなりません。

 私の日常も様変わりし、一昨年1月から昨年11月までただの一度も県外にでたことはありません。その間にも、格差社会は急速に進み、意図的に「脅威・対立」をあおりつつ、改憲の策動が加速されつつあります。「もりかけさくら」など「臭いものにはフタ」をされたまま。

 本稿では私がずっと、あるいは最近、不思議に思っていること、しかし、なぜか世の中の関心を呼ばないいくつかを「新年雑感」として記すことにします。

 

池明観さん・戦後補償・拉致問題

 池さんについては、井上さんが「所感」で述べられていますので、私が付け加えることはありません。池さんは、20年前、戦後補償問題が顕在化した理由を、日韓における「成熟した市民社会」「確かな歴史認識」の出現にあると指摘されました。

 それらは、今、どこにいってしまったのでしょうか。とりわけ、安倍政権以降、加害者(日本)が被害者(韓国)に高圧的な態度をとり続ける傲慢さ・理不尽さは、池さんの期待を砕くものです。また、歴代内閣が、「北朝鮮を激しくののしってきた」少なくとも5名(特に第2次安倍内閣の2名)の日本会議国会議員懇談会所属の重鎮を、拉致問題担当相に任命してきたことは、到底理解に苦しみます。北朝鮮に「もっと圧力を」と主張する安倍さんたちは、北朝鮮に「ケンカを売る」ことが拉致問題の解決になると思っているのでしょうか。

 

日米同盟・コロナ禍・米軍「即応態勢」

 日米間で「同盟」の用語が最初に現れたのは、1981年、レーガン・鈴木「日米共同声明」でした。それまで「同盟」は「軍事同盟」を意味し、憲法9条に反するがゆえに、自民党でさえその使用を避けてきたのです。以来40年、今では、見るだけ、聞くだけで身震いする「軍事造語」(「敵基地攻撃能力」「遠征前方基地作戦」「水陸機動団」など)が飛び交っています。

 日米首脳会談が行われるたびに同盟が「強化」「深化」され、「思いやり予算」は「同盟強靭化予算」と名を変え、対米従属が「強化・深化」されます。毎日のように聞かされる「自由で開かれたインド太平洋」という常套句は、「アメリカがインド太平洋の覇権を維持し続けたい」という意味です。もっとも、中国にも「尊敬される国」になってほしいと願います(もちろん日本もアメリカもすべての国が)。

 さて、「米軍由来のコロナ蔓延」、当該自治体もマスコミもそう言います。日米地位協定の改定が必要、日本はアメリカの属国かといった議論がなされています。米軍のいい加減なコロナ対策は、実は、米軍は「台湾のため、尖閣のために中国と一戦を交えるつもりはない」ことの証です。軍隊に求められるのは「即応態勢」、「求めがあれば今夜にも戦える」態勢。そのためには「隊員の健康状態が良好に保たれている必要がある」(米軍関係者の言葉)。

 コロナ禍で明らかになったのは、米軍は「即応態勢」をとっていない、とるつもりもないことでした。「だから、地位協定を改定し、米軍にコロナ対策をしっかりさせよう」ではなく、「そもそも軍事基地はあってはならない、むしろ有害そのもの」なのです。

 

MDGs・SDGsと軍縮・核兵器廃絶

 SDGsをめぐる話題で持ち切りです。しかし、SDGsの前身MDGs(ミレニアム開発目標)の話はほとんど聞いたことがありません。これも不思議なことです。2000年9月、国連総会が「新たな千年期(ミレニアム)の黎明に際して」採択したのがMDGs。最初に掲げられた目標は「平和・安全・軍縮」であり、その中で、「大量破壊兵器とりわけ核兵器の廃絶に向けて努力」することも決意しました。

 ところがどうでしょう。SDGsは、「貧困の撲滅が地球の最大規模の課題」と位置付けます。そして、「MDGsで残された課題への対応」をうたい、「平和なくしては持続可能な開発はあり得ず、持続可能な開発なくして平和もあり得ない」としながら、核兵器、軍縮の用語を消し去ってしまいました。重大な後退と言わなければなりません。

 国連がSDGsを採択したのは2015年9月、核兵器禁止条約が採択される約2年前でした。核兵器を保有する5つの安保理常任理事国は、核禁条約の批准を頑なに拒み続けています。本年1月3日、それら5カ国は、突如、「核戦争に勝者なし」声明を発しました。国連事務総長が述べたように、「核リスクを排除する唯一の方法は、すべての核兵器を廃絶すること」です。

 最後に、「武力による威嚇、武力の行使は禁止される」、これが国際法の大原則であることを決して忘れてはいけません。改憲を阻止し、核兵器の廃絶を目指して、みなさんと共に微力を尽くしたいと思います。

 今年もよろしくお願いします。

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