2023年 1月

2023年 年頭挨拶

コロナ禍、ロシア侵略を超えて

代表世話人 井上英夫

 今年は、まさに、非核石川の会の真価が問われる年になります。皆さんご無事でご活躍いただけるようお祈りいたします。 

人類の希望

ー基本的人権・平和的生存権

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機を思わせる時を迎えています。国内では、軍事大国か真の福祉国家か、選択が厳しく問われています。あらたな「戦前」を思わせる今、第二次大戦の悲惨な結果を踏まえて、1948、国連が世界人権宣言を発し、基本的人権の保障による平和確立への道を選び、1946年、日本国憲法もまた、国民主権、平和主義、基本的人権なかでも平和的生存権を掲げて出発したことを再確認する必要があります。

 日本国憲法前文は、人類そして日本の国、国民の進むべき普遍的原理を示しています。

 日本国民は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きないよう、「諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持」すると決意を述べます。そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖(戦争やテロ、暴力❘憲法九条)と欠乏(飢餓や貧困―憲法25条)から免れ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結んでいるのです。

 私たちの「人権のためのたたかい」(憲法97条)、人権保持のための「不断の努力」(同12条)により、戦後77年、まがりなりにも平和を維持してきたわけです。国際的にも、核不拡散条約、核兵器禁止条約等、核兵器廃絶への道を進んできました。

 ともすれば、ロシアによる侵略という事態に、世界そして日本の人々の人権・平和的生存権のためのたたかいが、水泡に帰したような無力感にとらわれそうになります。しかし、人権のためのたたかいを粘り強く続けることにより、希望も見えてきます。

憲法97条は、基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggleたたかい)の成果」であり、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」として託されたものである、と明言しています。さらに、憲法12条は、国民に憲法・基本的人権を「保持」するための厳しい「不断の努力」義務を課しています。

 憲法前文、とりわけ人権のためのたたかいを呼びかけている97条は自民党・政府にとってもっとも怖い条文です。それゆえ、自民党憲法草案では、前文は全面改訂、さらに97条は全文削除です。今こそ日本国憲法の価値は高まり、私たち非核石川の平和のためのたたかいの飛躍的発展が求められていると思います(この点については、非核いしかわ2022 年6 月20日付第 287 号に「ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか」で述べましたのでご覧ください)。

 ここでは、私が参加している「人権のためのたたかい」から生まれた二つの希望を紹介しましょう。

二つの希望

ーいのちのとりで裁判勝訴判決と日本高齢者人権宣言

⑴ いのちのとりで裁判勝利判決―潮目が変わってきた

 生活保護基準をめぐっては、老齢加算廃止と生活保護基準の引下げを違憲・違法としてその取り消しを訴えてきました。2004四年から2006年にかけて行われた老齢加算廃止に対する生存権裁判では、全国8か所で約120名の原告が立ち上がりました。しかし、勝訴判決は2010年6月14日の福岡高裁判決のみでした。

 現在のいのちのとりで裁判は、2013年から3回実施された平均6.5%・最大10%という史上最大の生活保護基準引き下げに対して、全国29都道府県、1000名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に闘っているものです。

 札幌や金沢、福岡等8地裁で敗訴が続きました。しかし、写真のように大阪、熊本、東京、横浜と裁判所が人権の砦としての使命を果たし、保護基準引き下げを違法と断じる勝訴判決が続き「潮目」が変わってきました。

 敗訴判決の続く中、原告の皆さんは、悔しさを乗り越え、勝つまでたたかう、死ぬまでたたかうと弁護団、支援する人々を勇気づけてくれました。あきらめず、闘い続けたからこその勝利判決です。ここでは、勝利判決の意義だけ述べておきましょう(詳しくは、私の「司法が動いた―生活保護基準引き下げ裁判で勝訴判決続く」ゆたかなくらし、2022年11月号、12月号をご覧ください)。

 ①生活保護を憲法二五条の保障する人権であると認めさせ、②権利はたたかう者の手にある、と再確認でき、すべての人の人権意識の高揚につながる、③生活保護にとどまらず社会保障削減政策への歯止めになり、自助・共助・公助論打破につながる、④生活保護バッシング、優生思想そして劣等処遇論への歯止めになる、⑤軍事費倍増・社会保障の削減、憲法改悪・戦争への「抑止力」になる、⑥最低生活から十分な生活・独立生活の保障へ発展させる契機になる。

⑵ 国連高齢者人権条約と日本高齢者人権宣言

 もう一点は、高齢者の人権保障の発展です。コロナ禍でも戦争でも、高齢者、子どもは最大の被害者です。国連では、「弱者」ではなく人権が最も侵害・剥奪されやすい(vulnerable)人々と呼び、コロナパンデミック、戦争に対する最も重要で有効な手段は人権保障システムの確立であるとしています。

(一)日本高齢者人権宣言

 昨年11月、京都での日本高齢者大会で「日本高齢者人権宣言」が宣言されました。高齢者の人権保障はもちろん、子どもから高齢者まですべての年齢の人々の人権保障を確立するたたかいが始まりました。

 日本高齢者人権宣言は、前文からはじまり、基本原理と年齢による差別の禁止、いのちと尊厳、身体の自由と安全、暴力23の人権を掲げています。さらに、国・自治体・企業の責任も明確にし、私たちの「不断の努力」義務を肝に銘じ、「さまざまな年齢の人々と連帯して、すべての年齢の人々の人権が保障される平和で豊かな長寿社会づくりに努力します」と人権のためのたたかいへの決意を述べています。

 日本の高齢者人権宣言の運動は、国連の高齢者人権条約作りと連動し、国連、各国NGOと連帯して進められています。

 (内容については、「日本高齢者人権宣言」でネット検索してください。昨年11月、日本高齢者大会で「第3次草案」が取れて確定しました)

 (二)国連高齢者権利条約と核兵器禁止条約 

 国連では、毎年作業部会が開催され高齢者人権条約制定作業が進められています。また、2015年には、北中南米35か国が加盟する米州機構が世界で最初に高齢者人権条約を採択し、国連全体の条約作りも加速化しています。 

 2017年7月、国連本部において第8回作業部会が開催され、その最終日7日には、核兵器禁止条約が採択されました。高齢者人権条約の会議は1階でしたが、2階の会議場でした。高齢者の人権条約制定運動は、まさに平和を求めるものですし、平和でなければ高齢者の人権と尊厳は保障されない。日本でいえば平和的生存権の確立であり、憲法9条と25条は一体である。この思いを強くした一日でした。

 高齢者の人権保障も平和的生存権が前提です。単に戦争がないと言うだけではなく(消極的平和)、人権がすべての人に保障されてこそ真の平和であり(積極的平和)、すべての年齢の人々とともに、高齢者の権利条約を創り人権を確立していく運動こそが平和を実現していくということが、実感できたわけです。

人権と平和的生存権の闘いの課題

 今後の課題についていくつか上げておきます。

 ①人権とは何か、確認する。②各分野の運動と連携・連帯を強める。とくに平和的生存権確立のための九条と二五条の運動の連帯が重要です。③地域、地方から国を変え、世界を変える。④国際連帯を強め国連を強化する。

突き詰めれば、平常時の分厚い人権保障こそ災害、コロナ禍等緊急事態においても大きな力を発揮すること。とりわけ、戦争の脅しに屈せず、軍事大国、戦争できる国ではなく、平和的生存権確立・人権保障大国こそ日本の歩む道ではないでしょうか。

 非核石川の存在意義はますます高まっていると思います。

 

 

 

2023年 年頭所感

「平和国家」はどこへいくのか

代表世話人    五十嵐正博

戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

 『世界』(2023年2月号)は、阪田雅裕元内閣法制局長官による「憲法九条の死」と題する論考を掲載しました。「憲法9条が掲げた『平和主義』は2015年に成立したいわゆる安全保障法制により危篤状態に陥っていたが、今般の国家安全保障戦略の改定によっていよいよ最期を迎えるに至った」と。

 本稿で、「日米関係」「日中関係」の近現代史を語る余裕はありませんが、そこに人類史上最悪の犠牲をもたらした加害と被害のおびただしい「事実」があったことを決して忘れてはなりません。これらの「事実」が「なかった」と主張した安倍政権は、2015年「集団的自衛権行使」を容認する「平和安全法制」を制定し「戦争ができる国」にしました。昨年12月16日、岸田政権は「防衛力の強化・防衛費の増額」を謳い、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」をも認める「安保関連3文書」を閣議決定し、「安保の大転換」にとどまらない「戦争をする国」へと突き進むことになります。今後5年で「軍事費GDP2%」にし、「世界第3位の軍事大国」にしようというのです。「軍事費の増大」自体は既定のものとされ、「財源」が焦点にされています。そうではない、「人の命」こそが問われなければなりません。「(3文書)策定の趣旨」は、次のように述べます。

 「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。・・・国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」「国防は、国民自らの責任」だと。「自らは安全な場所」にいながら、なんの心の痛みもなく、むしろ自らに酔いしれて、「国、国民を守るため」とうそぶく指導者。それをなんの批判もなく垂れ流すマスコミ。「軍隊は国民(住民)を守らない」、権力者は、国民を「捨て石」としか見ていない。人の世の不条理極まれり。「辛い」時代が続きます。

安倍「公安」内閣は、「特定秘密保護法」を成立させました。政権の「猜疑心」はとどまるところを知りません。岸田政権は、たとえば、陸上自衛隊の宮古・与那国への配備に伴い、住民監視のため「情報保全隊」をも配備する「周到さ」であり(また「土地利用規制法」により、個人情報が公安調査庁などに管理される)、はては、防衛省は「世論工作研究」に着手したと言われています。これが、わたしたちが住む国の暗闇です。沖縄戦犠牲者の遺骨の混じった土砂の採掘反対を訴えるガマフヤー、具志堅隆松さんは言います、「不条理のそばを黙って通り過ぎるわけにはいかない」、と。

 「異次元の少子化対策」は「徴兵制」の布石

 岸田首相は、本年正月、唐突に「異次元の少子化対策」を言い出しました。これも「財源」話で済むことではなく、「徴兵制」の前触れではないかと疑います。自衛隊は、少子化で採用難、充足率は約90%で推移し、2018年から「募集対象年齢の上限」を26歳から32歳に引き上げました。「産めよ殖やせよ、国のため」、戦争遂行標語の復活か?この標語は1939年、新設された厚生省が「結婚十訓」の一つとして発表したのが語源です。太平洋戦争に至り、たとえば、「軍部は、徴兵事務の面から体力向上と人口増強を要望し」、1941年1月、「人口政策決定」が閣議決定されました。(赤川学「新聞に現れた『産めよ殖やせよ』)同日発せられた厚生大臣談話は次のように述べます。「皇国の大使命たる東亜共栄圏を確立し・・・その中心であり指導者である所の我が国が、質において優秀、量において多数の人口を有せねばならぬ。このことは今次の欧州動乱の主流をなすところの各国の情勢に鑑みても痛感せられるのである。」

 「防衛計画の大綱」は、1957年の「防衛力整備計画」に始まり(当時国論が分裂しており、「大綱」策定に至らなかった)1976年、「昭和五二年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定されました。直近は、2018年に策定された「平成31年度大綱」(その前は「平成26年度大綱」)です。当初から国会の審議を経ることも、国民の信を問うこともありませんでした。「国民の命は政府が握っている」との認識は一貫しています。

 「31年大綱」は、「防衛力の中心的な構成要素の強化における優先事項」の最初に「人的基盤の強化」をあげ、「防衛力の中核は自衛隊員であり、自衛隊員の人材確保と能力・士気の向上は防衛力の強化に不可欠である。これらは人口減少と少子高齢化の急速な進展によって喫緊の課題となっており、防衛力の持続性・ 強靭性の観点からも、自衛隊員を支える人的基盤の強化をこれまで以上に推進していく必要があり、・・・このため、地方公共団体等との連携を含む募集施策の推進」(傍点は五十嵐)などの提言をしています

合従連衡が繰り返され、「帝国」はみな崩壊した

 この国の歴代政権、そして「本土」は、沖縄を犠牲にすることに何の痛みも感じることなく、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「大国づら」していた時代も終わっているかもしれません。世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、その通りです。しかし、「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、たとえ時間がかかっても、すべての「軍事同盟」、各国の「軍隊」を解体することです。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、ウクライナなどで戦火が交えられている現在、憲法9条の「最期」を見届けるのではなく、改めて憲法9条こそ世界に向けて広めなければならないと強く思います。

 

非核の政府を求める石川の会は、会報「非核・いしかわ」第294号(2023年1月20日付)を発行しました。サイドメニューの会報「非核・いしかわ」、「絵手紙」も最新情報を追加しました。
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