30年史発刊にあたって 「今こそ核兵器の廃絶を」 五十嵐正博

30年史発刊にあたって

今こそ核兵器の廃絶を

代表世話人 五十嵐正博

 今年6月23日、沖縄「慰霊の日」、沖縄戦終焉の地、糸満市摩文仁の丘を望む平和祈念公園の演壇の前に、凛として立った一人の少女は、風に揺れる髪に手をやると、正面をしっかり見据え、「私は生きている」と語り始めました(後掲)。少女は、沖縄戦で失われた犠牲者すべての無念の叫びを全身で受け止め、「戦争は絶対に許さない」、「命よ響け。生きてゆく未来に」との固い決意を沖縄の空に響かせました。その場にいた、ときに「国難」を叫び、「国家のために人がいる」という倒錯した信念を持ち、「米国の核の傘」の下で「日米は100%共にある」とのたまう人物は、真顔を装いつつ「沖縄の基地負担の軽減に全力を尽くす」と、いつもの「嘘八百」を並べたてました。少女の声などどこ吹く風、「原爆の日」に核兵器禁止条約に一切言及せず、被爆者の方から「あなたはどこの国の総理ですか」と詰問されても平然としていた人物です。彼は摩文仁の丘にいてはいけなかった。私たち自身、このような人物を首相に持つことを恥じなければなりません。

 二十世紀は「戦争の世紀」「大量殺りくの世紀」でした。第二次大戦末期、悪魔の兵器「原爆」が作られ、広島・長崎に投下されて以降、「核兵器廃に固絶」のためのさまざまな試みが行われてきました。核実験の禁止・運搬手段の制限・非核兵器地帯の設置などです。1988年、本会が設立され、以来、石川県内を中心に多くの方に支えられて、さまざまの活動を地道に行ってきました。本誌所収の年表をご覧いただければ、その一端をご理解いただけるでしょう。たとえば、2012年からは「平和事業に関する自治体アンケート」を毎年実施してきましたが、そこに至るまでの地ならしがあったのです。また、この10年間で特筆すべきは、会報「非核・いしかわ」の編集委員会の集団体制を確立したことです。本会の「会報」は、独創性豊かで、かつ献身的な編集委員の皆さんの努力の賜物であり、「非核の政府を求める会」(全国組織)でも高い評価をえています。「会報」は会員だけでなく、県内の各自治体などにも配布されています。

 昨年、「核兵器禁止条約」が採択され、ICANがノーベル平和賞を受賞しました。被爆者の人たちをはじめとする多くの人たちの長年にわたる粘り強い努力の成果です。日本は、核兵器国と非核兵器国との橋渡しの役割を果たすべきとの意見があります。しかし、核兵器国と非核兵器国の立場の隔たりを深めてきたのは唯一の戦争被爆国日本政府です。非核兵器国に核兵器国とどんな妥協をせよというのでしょうか。核兵器廃絶をしなければならないのは核兵器国であり、「核の傘」の下にある国は、その傘を脱して敢然と核兵器廃絶の立場に立たなければなりません。

 核兵器禁止条約の発効、さらに、すべての核兵器国が核兵器を廃絶するまで私たちの運動は続くことになります。核兵器廃絶のために、「非核の政府」を作りましょう。それは、「平和憲法を活かす政府」を作ることに外なりません。

(金沢大学・神戸大学名誉教授)

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