30年史発刊にあたって 「40周年に向けての提言」 井上英夫

30年史発刊にあたって 

40周年に向けての提言

代表世話人 井上英夫

 非核の政府を求める石川の会は1988年結成以来30周年を迎えました。この間、会員の皆様そして平和を望むすべての人々とともに多様な活動を展開してきました。2006年には、平成大合併後の自治体も含めて県内全自治体の「非核・平和自治体宣言」採択を実現しました。その後も平和教育等宣言の実質化のための取り組みを続けています。

 私たちの活動は、NPT核不拡散条約さらには核兵器禁止条約等、世界の人々の平和を求める声に連帯するものでした。また、最近の南北朝鮮の和平への大きな動きとも連なるものでしょう。もちろん、ここで、気を許すわけにはいきません。トランプ、金正恩という二人の「独裁者」の核抑止力論を背景とした、力の「和平」ですから。

 しかも、眼を日本に転ずれば、安倍政権は、原発に固執し、核兵器保有すら狙っているといわざるを得ません。そのため、国民の人権であり、国の義務である社会保障の「公助」への変質、予算削減・後退、さらには憲法改悪を急いでいます。日本は、第二次大戦後の1950年代、朝鮮戦争・再軍備そして社会保障予算大削減のとき以来の危機的状況にあるといえるでしょう。

 このような時、非核石川の会は、これまでの30年の財産を活かし、より強力な活動を展開しなければなりません。30年にわたる皆様の運動に敬意を表し、感謝申し上げるとともに、40周年にむけて次の三点を提言したいと思います。

1. 平和的生存権の再確認-憲法9条と25条は一体である

 日本国憲法前文は、「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と、平和的生存権をはっきりうたっています。戦争やテロの「恐怖」から免れるために、憲法9条は戦争、軍備を放棄し、「欠乏」すなわち飢餓や貧困から免れるために、25条で生存権、生活権、健康権、文化権の保障とその具体化としての社会保障、社会福祉、公衆衛生の向上・増進を謳っています。人権保障は平和でなければなりたたない。しかし、真の平和とは人権がすべての人に保障された状態である。社会保障をはじめとする人権を確立する運動はそれ自体が平和運動に他ならない。すなわち、9条と25条は一体なのです。

 私は、非核石川の代表として、2010年、2015年のNPT核不拡散条約再検討会議に参加しました。そして、昨年7月7日、私が理事長をつとめる日本高齢期運動サポートセンターの代表団は、ニューヨーク国連ビル一階の会議場にいました。国連NGOとして、高齢者人権条約制定のための第8回作業部会に参加していたのです。当日は、二階の会議場で核兵器禁止条約が採択されるという歴史的な日となりました。平和と人権はまさに表裏一体であると実感でき、胸が震えました。

2. 権利は闘うものの手にある-闘争史観と人類的視点

 憲法97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と規定しています。

 ここに言う「努力」とは、英文憲法ではStruggleであり闘争です。日本の人々にとどまらず人類全体の革命をはじめとする「権利のための闘争」によってこそ人権・権利は勝ちとられてきたという闘争史観・人類的視点、さらには未来志向を学ぶべきでしょう。そして、憲法第12条は、人権保持、発展のため、厳しい「不断の努力」義務を国民に課しています。

 ところが、自民党憲法改正草案では、人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、この97条は全文削除です。支配者や政府にとって一番怖いのが、この闘争史観だということでしょう。私達の「不断の努力」を強め、憲法97条を死守し、憲法9条、25条を保持し、発展させましょう。

3. 非核の意味を問う-原発廃止に向けて

 最後に、原発廃止についてです。イラン、北朝鮮の例を見るまでもなく、原子力発電所の存在は核燃料、核兵器製造の大前提です。福島原発の爆発・被爆を経験しながら、何故、安倍政権は原発に固執するのか。強欲な資本家のための輸出政策の一方、本音は核保有にあるとしか思われません。こうした状況に鑑みれば、私たちの掲げる非核とは核兵器はもちろん原発を含み、非核の運動は、原発廃止運動へと発展、連帯するものとならざるをえないのではないでしょうか。 

(金沢大学名誉教授・佛教大学客員教授)

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