会の活動紹介

年頭所感

「自衛権」という口実、 そして安倍政権にさよならを

                                    代表世話人  五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
  拙稿が皆さんのお目にとまるとき、私はちょうど71歳。1795年、カント先生が『永遠平和のために』を出版されたのが71歳でした。繰り返されるアメリカによる暴挙、年初のイラン要人の暗殺。このような事態が起こるたびに、カント先生の国際法学者を揶揄する声が歴史のかなたから聞こえてきます。国際法学者の名前は、戦争を正当化するときに決まってでてくるが、彼らの言葉のもとに戦争を中止することはなかったね、と。まさに、その通りです。
 昨年11月、憲法研究者126名は、「ホルムズ海峡周辺への自衛隊を派遣」に反対声明をだしました。憲法研究者は、憲法が危機にあると思われる事態に直面するたびに声明をだしています。国際法研究者はどうでしょうか。私の知る限り、たったの一度。『しんぶん赤旗』(2003年3月19日)は次のように伝えました。

 「国際法に照らしてイラク武力行使は許容されない」。
 日本の国際法学者23人が18日、米国の対イラク攻撃に反対する声明を発表し、外務省の林景一条約局長を通じ、川口順子外相に申し入れました。松井芳郎(名古屋大)、最上敏樹(国際基督教大)、五十嵐正博(金沢大)、古川照美(法政大)各教授が申し入れました。」この声明をだす事務方が私でした。事態は今も(そして、いつも)同じですから、その声明の一部を紹介しましょう。
 「声明」は、国連憲章が武力行使と武力による威嚇を禁じ、その例外として認めているのは、
(1)武力攻撃が発生した場合の自衛権行使、
(2)平和の脅威に対する集団的措置として国連安保理が決定した行動、
の二つだけであるが、現在、武力攻撃は発生していない。
将来発生するかもしれない武力攻撃に備えるという「先制的自衛」論を認める法原則は存在しないのであり、「先制的自衛を肯定するような先例を今ここで作ってしまえば、例外としての自衛権行使を抑制する規則は際限なく歯止めを失う」との懸念の表明でした。
 今回も、アメリカが暗殺を正当化する理由も「自衛権」でした。未だ、歯止めがかかっていないのです。

                                                          戦争は人間がおこすもの
 私は国際法の研究・教育を生業にしてきました。毎年の講義では、国際法の歴史の中で「戦争」についての考え方の変遷を話します。長い間、「戦争」は人類発生時からあったと思い込んでいました。あるとき、考古学者である佐原真氏(元「国立歴史民俗博物館」館長)の本に衝撃を受け、己の無知を恥じたのでした。「450万年の経過のなかで8000年という戦いの歴史。それは、翻訳すると4.5メートルのなかの8ミリである。」(『戦争の考古学』(岩波書店、2005年)。そして、佐原氏は、「戦争は、・・・人間がおこすもの・・・人間が創ったものであるからには、私たちは、戦争を捨て去ることを目標としなければならない。」と述べています。

                                                     権力側と憲法擁護側の「非対称性」
 さて、憲法を蹂躙する権力側と、憲法を守り活かそうとする側には、「非対称性」があります。権力にしがみつ
く者の執念たるや、恐るべし。
 権力側は、身銭を切ることなく、むしろ企業などから献金を集め、搾り取った税金を権力維持のために、政府組織の総力をあげることができる。他方、憲法擁護側は、身銭を切り、一人ひとりの心のこもったカンパを募り、個人のつながりしかない。なんという、許しがたい「非対称性」でしょうか。
 権力への執着心は、「国民を生かさず殺さずの限界」、「国民の怒りが沸騰する限界」を見極める調査作業を怠りません。
 どこまで増税し、防衛費を増大させ、アメリカから兵器を爆買いしても、どこまで社会保障費・教育費を削減しても、どこまでマスコミを懐柔し、官僚に忖度させようが、国民多数の怒りを呼ばずにすむかを見定める作業。疑惑が表面化するたびに、「丁寧に説明する」といいながらだんまりを決め込み、「隠蔽、改ざん、廃棄、記憶にない」を繰り返して、野党と国民の批判・怒りが通り過ぎるのを待つ。
 「沖縄、被災地に寄り添い」と言いながら「民意」を一顧だにしない。実は、休日にはお友達や取り巻きとゴルフを楽しみ、毎晩のように、寿司・ステーキを食べながらも、この「限界」を注視しているに違いありません。
 もっとも、安倍一強長期政権のおごりとゆるみは、しばしば見せる尊大で横柄な態度に見て取れます。野党、国民をなめ切っているのではないか。この国の民主主義は、すでに破局を迎えているのではないか。

                                                              市民と野党の共闘を辛抱強く
 樋口陽一先生は「戦後デモクラシーの破局をどう乗り切るか」について、こう結ばれています。「自分たちそれぞれの主張の中身を国政の場で受け止めようとする政治家をーーいまの与野党の仕切りを超えて一人でも多くーー有権者の手で育ててゆくという正道を辛抱強く切り開き続けること。」一九五〇年代に経験したことはひとつの示唆となるはずだと。(『リベラル・デモクラシーの現在』(岩波新書、2019年)。
 市民と野党の共闘を辛抱強く切り開き続ける「不断の努力」によって「非対称性」を打ち破り、安倍政権を倒して、日本国憲法を活かす政府をつくらなければなりません。

【年頭所感】 

トランプ・ならず者国家、安倍「忖度」政権に鉄槌を!
                                     代表世話人 井上英夫

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と、ご挨拶するつもりでしたが、全く「めでたくない」年明けとなりました。
 ご存知のように、1月3日、トランプ大統領の命令により米軍がイラン革命防衛隊の司令官をイラクのバグダッドでのドローン攻撃により殺害しました。イランの報復そしてアメリカの再報復が叫ばれ、第三次世界大戦勃発さえ懸念されています。

 米国の攻撃は、明確に国際法違反であり、米国は、テロ国家=ならず者国家に他ならないことを露呈しました。さらに情けないのは、安倍政権ですね。批判も非難もせず、自衛隊派遣で追随しています。得意の日本民族・国の誇りはどこに行ったのでしょうか。トランプの犬――犬に失礼ですが――として、これも得意の「忖度」でだんまりを決め込んでいます。
 しかし、こうした安倍政権の存在を許しているのはわれわれでもあります。怒りをもって日本政府にアメリカの暴挙を止めさせましょう。そのため、憲法97条も認めている平和、人権・権利のためのたたかい、革命レボリューションを起こしましょう。
 私も呼びかけ人の一人で軍事費増加に反対する「社会権の会」(https://twitter.com/hashtag)は1月5日、急遽下記のような声明を発しました。広く拡散し、平和のための行動に活用いただくようお願いして、新年のご挨拶とさせていただきます。

米国によるイラン革命防衛隊司令官殺害に関する社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会 https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/)の声明

                   ◇はじめに◇
 アメリカのトランプ大統領は2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊の司令官ソレイマニ氏をイラクのバグダッドで殺害したと発表した。トランプ大統領は同日の記者会見で、ソレイマニ司令官は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と批判し、「我々の行動は戦争を止めるためのものだった」として殺害を正当化している。イランが「イランに対する開戦に等しい」「国連憲章を含む国際法の基本原則を完全に侵害する国家テロだ」として反発し報復を宣言する(ラバンチ国連大使)一方、米国防総省は米軍部隊3500人を中東地域に増派する方針を明らかにし、米イラン関係、米イラク関係を含め中東地域は緊迫した情勢となっている。
                  ◇意見の理由◇
 ソレイマニ氏はイラン革命防衛隊コッズ
部隊の司令官として、各国でイスラム教シーア派民兵組織(イスラム国[IS]に対抗してイラクの宗教指導者シスタニ師が呼びかけて結成された人民動員部隊[PMU]など)を支援してきた革命防衛隊最高幹部であり、敵対するアメリカに対しては、過去に、中東に展開する米軍をいつでも攻撃できるという趣旨の発言もしていた。しかし、いかに政治的・軍事的に目障りな存在であるとしても、超法的に人を殺害することが許されるはずはない。大統領という国家機関によって指示されたこの殺害行為は、明白な脱法行為であり、アメリカによる国際法違反行為(超法的処刑extra-judicial execution)である。
 国連憲章51条は「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛権の行使を認めており、先制的・予防的な自衛権の行使は認められていない。在外自国民の保護など、国の領土保全に対する武力攻撃に至らない程度の侵害行為に対しても、自衛権を援用することは許されない。攻撃が急迫していると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には先制攻撃も許されるという学説もあるが、差し迫ったものかどうかの判定は先制攻撃を行う国が行うこととなり、濫用されやすい考え方である。
 先制的自衛論を含め、そもそも自衛権の行使が濫用されやすいものであることは、歴史が示している。アメリカの軍艦が攻撃を受けたとして、アメリカがベトナム戦争に本格的に参戦するきっかけとなった「トンキン湾事件」は、後に、アメリカが秘密工作によって自ら仕掛けた「やらせ」であったことがジャーナリストによって暴かれた(ペンタゴン・ペーパーズ)。また、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っている「恐れ」を理由とし、ブッシュ大統領の先制攻撃論(ブッシュ・ドクトリン)によってアメリカとイギリスが一方的にイラクを攻撃したものだったが、大量破壊兵器は発見されなかった。にもかかわらず、軍事行動は「フセイン大統領の排除」、「イラクの民主化」と目的を変遷させて続けられた。
 こじつけの理由であれ、いったん始まった軍事行動はエスカレートするのが常であり、その結果は悲劇的である。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人が犠牲になり、米軍の撒いた枯葉剤による障害や健康被害に苦しむ人が今もいる。イラク戦争は推定で数十万人ものイラクの民間人死者を出し、米軍の使った劣化ウラン弾などによる奇形児の誕生など被害は続いている。さらに、イラク戦争とそれに続くアメリカ・イギリス軍の駐留、その後発足したイラク新政権、これらにより激化した社会の混乱とイスラム教の宗派対立は、「イラクのアルカイダ」を源流とするISを生む結果になったと今では広く認識されている。
 イラク戦争時、日本の小泉政権はアメリカに追随してイラク戦争を手放しで支持したが、イラク戦争を遂行した国や支持した国(オランダ、デンマークなど)と異なり、日本政府は今なお、イラク戦争を支持した政治判断の検証をしていない。それどころか政府は、憲法の専守防衛の原則に明らかに反する2015年の安保法制によって、地球上どこでもアメリカと共に集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が軍事活動を行うことを可能にする法整備を行った。
 今回の事件を受け、中東に駐留する米軍がイランから攻撃を受ける可能性がある。その場合日本は、集団的自衛権の行使として米軍と共に反撃することが求められる事態になりうる。折しも日本政府は先月末の閣議決定で、1月中に中東地域に海上自衛隊を派遣する決定を行っている。これは、「日本関係船舶の安全確保に向けた情報収集を強化」するという名目で、防衛省設置法上の「調査・研究」を根拠として行われるものだが、自国船舶の防護を求めるトランプ政権の意向を受けた派遣であり、これによって得られた情報はアメリカと共有されることが当然考えられる。自衛隊が駐留することになった結果、場合によっては、アメリカの同盟国として自衛隊が攻撃を受けることがありうる。きわめて憂慮すべき事態である。
 トランプ大統領は、環境保護や紛争の平和的解決のための国際協定から次々とアメリカを離脱させる一方、日本には高額の米国製兵器を売りつけ、日本や韓国、ドイツなど同盟国に駐留米軍経費負担の大幅増を求めるなど、国際社会の公益には関心がなくもっぱら米国の経済的利益のための「ディール」を推進する人物である。そして、日本政府はそのような指導者をもつアメリカと距離をおくどころか、その要求を唯々諾々と受入れ、米国製兵器のローン購入を含め、防衛費をかつてない規模に増加させ続けている。急速に少子高齢化が進む中、年金の引下げと生活不安(「老後2,000万円」問題)、保育所を設置し待機児童をなくす、若い人の人生の足かせになっている「奨学金」ローンの問題といった少子化対策、教育を受ける権利を実現するための学費値下げなどが本来、日本の抱える最重要課題であるにもかかわらずである。
    今回の殺害は、次期大統領選挙も見据え「強いアメリカ」を演出する意図もあったとみられるが、アメリカも、そして日本も、イラク戦争がISを生み今に至っていることへの反省もなく、さらに中東地域を武力衝突の悪循環に陥れることは断じて許されない。
                   ◇意見の趣旨◇
 我々は日本政府に対し、第一に、ソレイマニ司令官殺害が戦争を止めるための正当な行為だったとするアメリカの説明を支持せず、超法的殺害として毅然と非難する態度を取るよう求める。第二に、自衛隊の中東派遣は直ちに中止すべきである。第三に、アメリカがさらなる軍隊派遣と攻撃によって武力衝突の危険を高めていることに日本として懸念を示し、問題の平和的な解決を促すことを強く要求するものである。
    2020年1月5日

   非核の政府を求める石川の会も参加している平和行進石川県実行委員会が5月中旬に県内全自治体を事前訪問した折、白山市から「平和宣言都市」標柱を2本改修したこと、能美市から「非核平和宣言都市」懸垂幕を新たに作成するとの報告がありました。

 白山市が改修した2か所の標柱と能美市の懸垂幕を紹介します。

 

 

『会員エッセー&コラム・第2集』発行に寄せて  

会報「非核・いしかわ」編集長  中村昭一

 

 このたび、会報「非核・いしかわ」第250号を記念して、『会員エッセー&コラム・第2集』が発刊されることになりました。2015年4月(第201号)から2019年5月(第250号)までの会報に掲載された〝会員リレーエッセー〟計83編、〝コラム『花鳥風月』〟計50編が収録されています。さらに今回は、極めて重要と思われる当会の井上英夫・五十嵐正博両代表世話人の論稿を4編加えて発行することとしました。執筆を担当してきた一人として、とても嬉しく思います。

 言うまでもなくエッセーは、お一人おひとりの多様な経験や知恵や思いのたけの語りをとおして、より心かよう交流の場となり、またコラムは、執筆者の考えを強く反映させることができる特長から、率直な提起や感想を述べることができ、両者とも会報の軸としてその役割を果たしてきたのではないか、と思っています。

 一通り読み返してみますと、会員一人ひとりの人となり(人格)が感じられます。言うまでもなく重要なことは、その中身です。〝人格〟とは「道徳的行為の主体としての個人」「自律的意志を有し、自己決定的であるところの個人」です。即ち、様々な課題に対して自らの判断を他者に譲り渡している者は、人格形成という意味では未成熟になります。判断回避ばかりでは、主体的個人となることができません。

 本会に参加する者にとって、このような意味を持つ人格、年齢を問わず、より完成させるための継続的努力の一つになっているのが、会員エッセーやコラムの執筆のように思います。非核石川の会でのご縁に感謝の念を抱かずにはいられません。

 引き続き新たなる取り組みがありますが、会員の皆様には会員拡大と原稿提出、ならびに〝非核をめざすたたかい〟を引き続きどうか共にしていただきますようお願いして、発行に寄せての言葉とさせていただきます。

 

 核兵器禁止条約と南アフリカ 

非暴力・非戦の現状と課題

代表世話人 井上英夫

 国連ビルにあるネルソン・マンデラ氏の立像

 本紙1月号に、非暴力の観点から「人類の希望 マンデラと南アフリカ」という訪問記を掲載しました。今回は、NY国連ビルから非暴力・非戦とりわけ核廃絶について最近の動きをお知らせしましょう。

南アフリカが条約批准

 2月25日、南アフリカ共和国が核兵器禁止条約を批准しました。一時は独自の核兵器開発を推し進め、その後核兵器反対に転じた唯一の国が、核のない世界に向けた重要な一歩を踏み出したのです。

 条約は50か国が批准すれば発効します。そして4月11日、新たにパナマが批准し、23か国となりました。

 

 条約は2017年七月七日、123か国によって採択されました。しかし、全核保有国とアメリカの核の傘の下にあるカナダドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア韓国などが「不参加」でした。反対票はオランダ、棄権国はシンガポールだけでした。日本等が、反対ではなく会議に参加しないという姑息な手段をとったのは、全世界の核兵器禁止・廃絶の声に圧迫されてのことでしょう。

 ちょうどこの日、私たち日本高齢期運動サポートセンターNGO代表団は一階下の会議場で高齢者人権条約制定会議に参加していました。人権保障と平和・核廃絶問題が表裏一体であることを実感でき、感動的な一日でした。そして、今日4月17日も国連ビルでネルソン・マンデラさんの歓迎を受けながら、条約制定運動に取り組んでいます。なお、条約の推進には核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の貢献が大きく、2017年10月にノーベル平和賞を受賞しました。

 核兵器の廃絶

 南アフリカ共和国からの教訓

 前文では被爆者(核兵器使用と核実験)の容認しがたい苦難と損害に留意しています。その目的は、「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶」であり、まさに全面的な核兵器禁止・廃絶となっています。原発は除外されていますが、別の機会に議論しましょう。

 

 ズマ前南アフリカ大統領は、2017年9月の核兵器禁止条約署名式において、大量破壊兵器に安全な使用法などないという確信に基づいて、核兵器を世界、そして人類からなくすため、すべての加盟国に対して、条約批准を声高に訴えました。こうした発言を大統領ができるのも、アパルトヘイト廃止とともに、核兵器の廃棄を自主的に成し遂げた初めての国だからです。

  南アフリカは、1973年に正式に核兵器計画を始め、1982年頃、最初の核爆発装置を製造します。1989年、この時点で55kgの高濃縮ウランを含む核爆弾6発を所持していましたが、1990年2月、最後の白人大統領デクラークが、核兵器放棄の決定をしました。それは、マンデラが刑務所から釈放され、アフリカ国民会議(ANC)等が合法化された直後のことでした。そして、翌年1991年、核不拡散条約(NPT)に加盟しました。その後、核廃絶への道を歩み、核武装国の核抑止論に立ち向かってきたのです。1998年の国連総会でマンデラ元大統領は次のような演説をしています。

「我々は問わなければなりません。非道で恐ろしい大量破壊兵器を拒むことなく、その正当性を主張し続ける人々には無知に聞こえるのかもしれませんが、『なぜそんなものが必要なのか』と。実際のところ、冷戦時代の惰性と自国の優位性を固持するためだけの核兵器への執着が結果的に何をもたらすのか、満足のいく形で合理的に説明することなど誰にもできないのです」。

 こうして南アフリカは、2012年以降、核兵器廃絶への人道的イニシアチブをとる中核的存在となりました。それが核兵器を禁止する国連条約を求める運動へと発展し、2017年の核兵器禁止条約採択に繋がりました。

 ICANも指摘するように、南アフリカは、核放棄によって核不拡散問題に関する世界的な発言力を確保したわけですが、核兵器禁止条約批准にはさらに大きな意味があり、「各国が安心して武装解除し、それを継続できるような適切な環境を作り上げることの重要性」を示しています。(https://twitter.com/nuclearban_jp 2019年2月25日)

          国連・非暴力の象徴

 この点は、国連の場においても確認されています。

 2018年9月24日、 ニューヨークの国連本部におけるマンデラ生誕100周年を記念した「ネルソン・マンデラ平和サミット」における政治宣言は、次のように国家、政府の長、代表の決意を語っています。

(1)ネルソン・マンデラ氏の謙遜・寛容・慈悲の資質、彼の価値観及び慈悲の献身に敬意を表す。(2) 公正、平和、豊かで、包摂的かつ公平な世界を構築するための努力を倍増すること及び相互尊重、寛容、理解及び和解を示すことにコミットする。(3) 紛争は予防外交よりもあらゆる面において損失が大きいという議論の余地のない事実を認識する。(4) 紛争予防、根本原因への対処、法の支配の強化を通じて、「平和の持続」への包括的アプローチの重要性を強調する。(5) 核兵器計画を一方的に廃棄した南アフリカが示した例を歓迎し、核兵器廃絶を支持したネルソン・マンデラ氏の確固たる願いを想起する。

 マンデラとオバマ 

 二人の黒人大統領

 オバマとマンデラ、2人とも自国で史上初の黒人大統領に就任しています。バラク・オバマ前米大統領は2018年7月17日、南アフリカ・ヨハネスブルクでの生誕100年記念講演で世界の人々とりわけ若者に呼びかけました。

 希望を失わないこと、信じ続けること、前進し続けること、築き続けること、声を上げ続けること。世代は皆それぞれ世界を刷新する機会が与えられている、と。

「マンデラ氏は、若者たちが目覚めれば、圧制の塔を打ち倒し自由の旗を掲げる力があると言った」とオバマは指摘し、「今こそ目覚めるときだ」と講演を聞いている若者たちに「情熱を燃やす」よう呼びかけたのです。

 最後に、マンデラの言葉をもう一つ紹介しておきましょう。

「もし、あなたが敵と平和を築きたいのであれば、あなたはその敵と一緒に話し合わなければいけません。それから、敵はあなたのパートナーとなることでしょう。」

 日本国憲法の前文も、日本国民が、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること」と「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと」決意したこと、そして「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。日本国憲法と南アフリカ、そして「非核の政府を求める会」は、非暴力と国家による暴力の否定=非戦、人間観を共有しているのです。

 今こそ、南アフリカの経験を活かし、日本国憲法を世界に広め、核兵器禁止条約を批准し、核廃絶へリーダーシップを発揮するよう安倍政権に迫る、「非核の政府を求める会」の役割はますます大きいと思います。

 

沖縄・辺野古基地 2・24県民投票を終えて

「本土」への大いなる異議申し立て

                代表世話人 五十嵐正博

 

奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる

 直木賞受賞作、真藤順丈『宝島』は、1952年、サンフランシスコ条約が発効し、“アメリカ世(ゆ)”になった沖縄のキャンプ・カデナでの出来事から物語が始まります。当時、「晴れて占領下を外れた日本(ヤマトゥ)では主権回復を祝っていたけど、わざわざ条文の但し書きつきでのけものにされたこの島では、アメリカがずっと使えるように、“基地の島”の工事に明け暮れていた」のでした。その後、1970年の「コザ暴動」などを経て、1972年の「本土返還」に至るまで、「奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる」物語です(同書、帯)。

 「沖縄を返せ」が初めて歌われたのは1956年、この年、瀬長亀次郎さんは出獄し、やがて沖縄市長に当選します。『宝島』には沖縄の節目節目に亀さんが登場します。

「辺野古」県民投票の会の若者たち

 『宝島』で少年少女が勇ましく立ち上がる姿は、「沖縄を取り戻すため」に、元山仁士郎さんの呼びかけで「『辺野古』県民投票の会」に集った若者たち、島のいたるところでプラカードを掲げ、署名活動をした若者たち、18歳以下の意見も聞こうと「シール投票」を行った若者たちなどの姿と重なります。

 インターネットで、ホワイトハウスに辺野古新基地建設中止を求める活動を始めた、ハワイ在住の「県民四世」ロブ・カジワラさんも。ロブさんの発案は、沖縄の基地問題を世界に知らしめたという意味でも画期的でした。そういえば、1969年、沖縄のある高校では、「生徒150人が佐藤訪米阻止、学園民主化を叫んで校庭にすわりこみ、ハンストにはいった」歴史があります(中野好夫・新崎盛暉『沖縄・70年前後』岩波新書)。

 「琉球処分」から140年、翁長雄志さんが語っていました。「私たちは確かに厳しい時代を生きているけれど、それでもなぜこれほど強い県民になったかというと、長い歴史の中で虐げられて、木の葉のように風に舞いながらも、自分のアイデンティティーを確かめながら生きてきたからだと思います。」(『戦う民意』) 

沖縄の人たちは「なぜ明るいのか」

 沖縄の人たちの「明るさ」にひかれ、那覇のフリースクールで3年間の高校生活を送った珠洲市出身の少女は、県民大会に参加し、オスプレイ墜落地の住民の話を聞き、高江、辺野古を訪ねたりもしました。そして、沖縄に対する本土の無関心と潜在的差別意識を身に染みて実感することになります。「『なぜ明るいか』、それは明るくないとやっていけないくらい暗いものを知っているから」と思い至るのです。彼女の豊かで、しなやかで、しかも鋭い感性が導き出した言葉でした(「菜の花の沖縄日記」は2015年~2018年『北陸中日新聞』に連載)。

 彼女が通ったフリースクール「珊瑚舎スコーレ」の1年後輩の少女、彼女が先の「シール投票」の発案者ですが、そのきっかけを次のように語っています。県民投票を2か月後にひかえたある日のこと、友人のお母さんに呼び止められました。県民投票に5つの市の人は参加できない、アメリカの先住民は、何か大切なものを決めるとき、子や孫のことのことでなく、7代先のことまで考えて物事を決める、そういう考えが不参加を決めた人たちにあるのか、と。彼女はこの言葉がずっと胸から離れず、投票当日まであと1ヶ月と迫ったときに、「シール投票」を立ち上げます。

かつての少年少女の闘う姿を追った『宝島』

 1967年の「教公二法案阻止闘争」、69年の「毒ガス漏れ事件」、70年末の「コザ暴動」、そして「本土復帰運動」などの中で、30代後半になったかつての少年少女。『宝島』は、彼ら、彼女らがそこでもがき、闘う姿を追います。その一人は、こう言い放ちます。「条件は二つある その1、コザか那覇に日本(ヤマトゥ)の首都を還すこと、その2、瀬長亀次郎や屋良主席あたりの島の政治家を、佐藤栄作を更迭したあとの内閣総理大臣に任命すること、このふたつが通らなかったら返還は白紙よ。」当時は、「沖縄の闘いは、『県民の総意』を日本政府に突きつけ、対米交渉によって『復帰』を実現するという形の復帰運動から、日本政府への一切の期待と幻想を断ち切った自立的闘争へと転化しつつあった」時代でした。(前掲岩波新書)

県民投票条例の署名運動が翁長さんを後押し

 2018年7月27日、翁長雄志前知事は辺野古新基地建設の承認撤回を表明しました。承認撤回を必ず行うと明言してから1年4か月、亡くなる2週間前のことでした。その間、承認に踏み切らない知事に対する不満、批判が「オール沖縄」を分裂に導きかねないとの懸念が示されたりもしました。

 翁長さんは、記者会見の冒頭、辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票条例の署名活動が7月23日に終了したことに言及し、「署名活動に取り組まれた皆様のご努力に心から敬意を表するとともに、政府におきましてもこれほど多く県民が署名を行った重みについてしっかりと向き合ってもらいたいと思います。」と述べました。「県民投票条例の署名活動」が翁長さんの決断を後押ししたことを認め、新基地問題は沖縄だけの問題でなく、日本全体の問題であると訴えたのです。

 沖縄県民は、直近の2度の知事選、今回の「県民投票」で、圧倒的な「辺野古新基地NO!」の民意を示しました。安倍首相は、県民投票前から、基地建設の継続強行を決めていました。確実にいえることがあります。安倍独裁政権にもやがて終わりがある、辺野古新基地建設は完成しない、しかし、安倍政権が続く限り、この国の憲法が蹂躙され、民主主義が破壊され、対米従属は「深化」し続ける、そして、埋め立てられた大浦湾は元に戻せない。いつもそうです、「そして誰も責任を負わない」。

問われているのは「本土の本気度」

 私は、今回の県民投票を、本土の沖縄に対する無関心と潜在的差別意識への「大いなる異議申し立て」だったと理解します。ある記者が、元山さんに「次は何をしますか?」と問いました。その問いは、元山さんに対してではなく、質問した記者自身に、そして本土の私たちに向けられるべきものでした。問われるべきは「本土の本気度」であり、「奪われた沖縄を取り戻すために、本土が何をするかです。」私たちがなすべきことは、一日も早く安倍政権を退陣させて、この国に憲法と民主主義を取り戻すことです。沖縄を沖縄の人たちに返すためにも。

(会報「非核・いしかわ」第248号/2019年3月20日付に掲載)

すべての自治体で「原爆ポスター展」を 

今年度は19自治体で開催

 

 平和首長会議は、2017年~2020年行動計画にて「各加盟都市において、一人でも多くの市民に被爆の実相について理解を深めてもらい、核兵器廃絶への思いを強くしてもらうようにするため、原爆ポスターや被爆にまつわる資料等を展示する原爆ポスター展を開催する」ことを提唱しています。

 この呼びかけに呼応して非核の政府を求める石川の会では、核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝えるため、県内すべての自治体で「原爆ポスター展」が開催されるよう働きかけています。

 本会が実施した「2018年度平和事業に関する自治体アンケート」によると自治体主催で「原爆ポスター展」を開催したのは、昨年より3自治体増えて13市町になりました。新たに3自治体(川北町、穴水町、能登町)増えたのは、本会も参加している平和行進石川県実行委員会が5月中旬にすべての全自治体を訪問し、日本被団協制作「原爆と人間」パネルの貸し出しも含めて提案し、了解いただいたものです。

 川北町では5月に訪問した時、ポスター展の開催を見送られたが、その後「自治体アンケート」集約結果にもとづき本会から川北町長に直接働きかけて、開催が実現できました。

 この外、石川県、小松市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市の6自治体では、毎年住民団体主催の「原爆と人間」パネル展に公共施設を提供しています。この結果、今年度の「原爆ポスター展」は珠洲市以外の19自治体で開催することになりました。

 本会では、引き続き県内すべての自治体での「原爆ポスター展」開催をめざして働きかけていきます。 

 

 6月10日~24日、原水爆禁止国民平和大行進に参加して県内全市町を訪問し、各自治体における「原爆と人間展」の開催計画と「ヒバクシャ国際署名」の取り組みにつき、改めて集計しました。

 その後、「ヒバクシャ国際署名」に賛同いただいた首長・議長に追加訂正がありましたので再度掲載します。

 

    印刷用(PDF:128KB)

 2017年原水爆禁止国民平和大行進が「能登コース」(6月11日~16日)、「富山-広島コース」(6月17日~24日)と県内全ての市町を訪問し、庁舎前での出発式または到着歓迎式にて各自治体首長の激励挨拶やメッセージが披露されました。杉本栄蔵・中能登町長、寶達典久・宝達志水町長、粟貴章・野々市市長は直接、行進団に激励挨拶をいただきました。また平和行進と並行して行われている「反核・平和マラソン」に寄せられた平和首長会議会長(広島市長)及び日本非核宣言自治体協議会会長(長崎市長)のメッセージも6月17日、富山県からの引き継ぎ式のときに披露されました。

 今年の国民平和大行進に寄せられた県内各市長・町長からのメッセージを紹介します。

     2017年平和行進・県内各首長からのメッセージ(PDF:812KB)

 

   6月11日~24日、原水爆禁止国民平和大行進に本会事務局長が参加して県内すべての市町を訪問し、各市町における「原爆と人間展」の開催計画と「ヒバクシャ国際署名」への取り組みにつき改めて集計しました。

◎被爆の実相を伝える「原爆と人間展」を全自治体で開催することをめざしており、今年は自治体主催で10ヵ所、住民団体が主催するとき公共施設を提供する自治体が5ヵ所ありました。全自治体の開催まで残り5ヵ所になりました。

◎全世界に核兵器禁止・廃絶をよびかける「ヒバクシャ国際署名」は、県内の10人の首長、12人の議長から賛同署名をいただき、自治体職員による署名は2,323筆寄せられました。平和首長会議も賛同・協力する「ヒバクシャ国際署名」に県内すべての首長・議長に賛同いただき、自治体と共に核兵器禁止・廃絶を求める運動を推進していきたいと願っています。

2017年度平和事業アンケート集計結果(HP用)

 

   6月24日、平和行進・富山ー広島コース8日目の加賀市役所での出発式には土曜閉庁にも係らず、総務課長はじめ5人の市職員の参加がありました。総務課長から宮元陸市長のメッセージ披露、平和行進ペナント、被爆者救援・連帯募金、「ヒバクシャ国際署名」を225筆いただきました。県内行進の最終日は、福井県行進団への引継ぎがあるため、毎年必ず参加する方もあります。24人の行進参加者が加賀市役所を出発し、福井県吉崎まで歩きました。

 加賀市では8月上旬に加賀市民会館1階ロビーにて市所有のパネルによる「原爆と人間展」を開催します。

加賀市役所の出発式では市職員5人も参加して記念撮影

加賀市大聖寺関町から福井県あわら市へ

歴代の全国通し行進者のサイン入りのTシャツを着た参加者

山口逸郎さんにもサインしてもらいました

休憩時の差し入れはよく冷えたスイカ、水羊羹など

 

「ようこそ福井県へ」「吉崎御坊跡」まで300mの標識を見ると達成感!

石川県の平和行進を終えて

初日から感動の連続でした

全国通し行進者 山口逸郎

 私は原水爆禁止国民平和大行進の全国通し行進者として、5年前80歳で東京~広島コースを歩いたのが1回目でした。その後、北海道~東京コース、沖縄~広島コースを歩き、太平洋側を日本縦断することができました。今年5回目で富山~広島コース・日本海側を歩くことになりました。

 6月8日富山県朝日町を出発して、富山県内を10日間歩き、6月17日石川県に引き継がれ、石川県内8日間を県内通し行進者の岡野ひでみさんと共に歩きました。

 石川県内を歩いて初日から感動の連続でした。私からみれば91歳のお姉さんが富山県境から津幡町役場まで半日も歩いていただいたこと、小学6年の3人が「一歩でも二歩でも歩きませんか」に応えて一緒に横断幕を持って歩いてくれたこと、自動車を運転されている方々が私たちの「今日は平和行進で~す!」に手を振ったりして応えてくれる多さに驚かされ通しでした。津幡町役場ではペットボトルに入った被爆者援護募金が10本も手渡されるなど感動の行進でした。

 その後、このペットボトル募金は各自治体より連日手渡され、石川県の伝統の活動に対し、私は敬意を表すると共に全国にひろめることができないかと思いました。

 そして、以前に県内通し行進者を務めた神田順一さんと末友雅子さんの活躍ぶりは、行進参加者を励ましてくれました。神田さんは毎日平和行進の一日、一日を非核の政府を求める石川の会ホームページに掲載してくれました。末友さんは毎日、休憩時に種々の差し入れを用意してくださり、行進参加者の疲れがフットビ、大きな励みになり、感謝、感激です。また行進のパートナーの県内通し行進の岡野さんのピースコールの連続呼びかけに私は大変助けられたことも忘れられません。

 このように石川県の皆さんの力強い励ましにより、85歳の私も58歳の気持ちで歩くことができました。6月24日福井県に引き継がれた後、私は『平和』(2年目の平和行進のときに滋賀県の視覚障害のある女性が小さな折り鶴103羽で作られた)の文字を胸に抱きながら、8月4日広島平和公園に向けて歩きます。皆さん有難うございました。

 原水爆禁止世界大会・広島大会、長崎大会でお逢いしましょう。

 

<県内通し行進を終えて>

歩いていこう 前を向いて 一歩づつ

岡野ひでみ

 「え、私が県内通し行進者?」今年の平和行進日程表をみてビックリ!! 平和行進に参加してもいいといったが、8日間通し、そんなの無理!! でも名前が先行、後戻りできない。「もう、やるっきゃない!!」倶利伽羅で紹介され、横断幕を持ち、いよいよスタート。

 なにがなんだかわからず、心臓はパクパク、足はマメと膝痛。弱音をはきかけるも隣でしっかり大きな呼び声で歩いている山口逸郎さん(85歳)に刺激され、私も通行者に呼びかけ、行進を続けていると、カーテン越しや車窓から手を振る人の声援がうれしくなってきた。

 振り返ると全国通し行進者の山口さんが、片時も離さず、大事に横断幕を持っている姿と、わずかな時間でも出会う人に声かけ、握手する様子。そして、差し入れ。休憩時の疲れている身体にスーッと入ってくる果物や甘菓子。今、言えること、感謝!一人ではできない、みんながいるから。歩いていこう、前を向いて、一歩づつ・・・。

福井県行進団に引き継がれた横断幕と元気いっぱいの山口逸郎さん(前列右から2人目)

◎本日、加賀市内の硲伊之助美術館で「私の生きてきた道」と題して講演される作家・澤地久枝さんから石川県行進団に寄せられたメッセージを福井県との引継ぎ集会で披露しました。

 『澤地久枝です。今日のデモがんばってください。私たちは今、絶対に一歩も引けないところにいます。私もできることをやって、がんばっています。皆さんと一緒に歩いている気持です。よろしくお願いします。』

 

 

 

 

被爆二世・あわら市議会議員の笹原幸信氏

   福井県行進団との引継ぎ式には反核・平和マラソンの参加者も含めて石川県から約40人、福井県から約60人の参加があり、横断幕はじめ団体旗、国際青年リレーたすき等を手渡し、エール交換しました。

 毎年の引継ぎ式に参加されている被爆二世の笹原幸信あわら市議会議員の挨拶を紹介します。

『私の父は広島の爆心地から2㎞で被爆しました。父は身体が弱くて甲状腺癌、その他の癌も患いました。このため父は40年間薬づけの生活で骨がもろくなり、大腿骨骨折で寝たきりから認知症になり、大変つらい思いをしてきました。私には兄弟が4人いますが、妹が乳癌になりました。私たち兄弟の癌への恐怖は皆さんの想像以上であり、いつも爆弾を抱えたような生活をしています。核兵器は絶対になくさなければならない。なんで人が人を殺す残虐兵器をつくるのか、怒りを覚えます。どうか、皆さん、国民平和大行進が成功することを祈っています。』

 6月23日、平和行進・富山ー広島コース7日目は小松市役所前で出発式を開き、市内中心街を迂回して小松駅前までの行程です。行進参加者は35人。出発式では和田慎司小松市長のメッセージ披露と平和行進ペナント、被爆者連帯・救援募金(ペットボトル募金)、「ヒバクシャ国際署名」を33筆いただきました。今年の出発式で特筆できるのは、二人の市会議員から連帯挨拶があったことです。

<浅村起嘉さん:社民党市議>橋本議員から声をかけていただき、参加しました。私たちは日頃から安保関連法や共謀罪などに対し、戦争をしない国づくりのための共に声をあげています。子どもたちのために核も戦争もない世界をつくることは我々おとなの責任です。我々のグループも来週水曜日、28日夕方かた原水禁集会を開催します。この輪を広げていけるよう共に頑張っていきたいと思います。

<橋本米子さん:共産党市議>今日の平和行進・出発式に浅村さんに挨拶していただき、大変よろこんでいます。小松市長のメッセージと平和行進ペナント、被爆者連帯・救援募金、「ヒバクシャ国際署名」を預かっていますのでお渡しします。今年の平和行進は核兵器禁止条約のための国連会議の開催期間中におこなわれます。小松では毎週火曜日に浅村さんと一緒に粟津駅前で街頭宣伝を続けています。平和運動も一緒にやれればよいし、市民運動も皆さんと一緒に盛り上げていきたいと思います。

   小松市では、8月4日~10日、市役所エントランスホールを利用して住民団体が「原爆と人間展」を開催します。

平和行進・出発式で連帯の挨拶をする浅村起嘉市会議員(社民党)

平和行進・出発式で連帯の挨拶をする橋本米子市会議員(共産党)

行進参加者全員にプレゼントされた折り鶴の飾りもの

「非核平和宣言都市・こまつ」の大きな懸垂幕前で記念撮影してから行進を開始しました

6月23日、沖縄「慰霊の日」の差し入れは沖縄産のパッションフルーツ、サータアンダギーや水羊羹、フルーツゼリーなど盛りだくさんでした

  6月22日、石川県能美市にある戦前の著名なプロレタリア作家・谷口善太郎の生家跡にある文学碑と、能美古墳群として国の史跡に指定されている秋常山古墳群を見学してきました。全国通し行進する山口逸郎さんは平和行進の横断幕をひと時も手放さず持ち歩き、見学先でも掲げられていました。

 

 

  6月22日、平和行進・富山ー広島コース6日目は午前9時、能美市役所からスタートしました。能美市の出発式には毎年、たくさんの職員が参加されており、今年も「本日午前9時から原水爆禁止国民平和大行進の出発式がありますので、職員の方は玄関にお集まりください」とのアナウンスがあり、市職員30人余の参加がありました。出発式では総務部長から井出雅朗市長のメッセ―ジ披露と「ヒバクシャ国際署名」は井出市長を含めて256筆、市長と議長の平和行進ペナント、被爆者救援・連帯募金をいただきました。これで県内自治体首長の「ヒバクシャ国際署名」賛同者は12人になりました。

 行進参加者は出発式には25人でしたが、実際に行進したのは13人です。行進の途中、久常コミュニティセンター周辺で2人一組になって戸別訪問し、「ヒバクシャ国際署名」が19筆集まりました。留守宅が多かったですが、直接お会いした方はほとんど署名していただきました。能美市長が賛同署名されたことも大きな力になりました。

   能美市では、毎年8月に市の公共施設を利用して住民団体が教育委員会の後援を得て「原爆と人間展」を開催しています。

出発式を終えて、総務部長(前列左から3人目)を囲んで記念撮影

休憩時の差し入れはよく冷えたサクランボと杏仁フルーツ

休憩後は「ヒバクシャ国際署名」を携えて戸別訪問しました

山口さんは園児たちにも優しく声掛けしていました

 

寺井病院の歓迎集会で挨拶する島隆雄院長

 午後1時半から寺井病院玄関前で歓迎集会があり、島隆雄院長から激励の挨拶がありました。

「毎年、平和行進の中継点として寺井病院では昼休み集会を開いています。今年の平和行進は特別に大切です。安倍政権がこれまで特定秘密保護法、戦争法、共謀罪など国民多数の声を無視して強行可決しました。日本が大変な監視社会になっていく危険性があります。健全な社会づくりのためには平和行進のように「一歩一歩」民主主義を築いていきましょう。現在、核兵器を禁止し、法的拘束力を持つ条約を締結するための国連交渉会議が開かれています。ところが日本政府はアメリカに追随して国連会議をボイコットしています。ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名はこれまで300万筆が国連に提出されています。被爆国である日本政府は国連会議に参加し、核兵器禁止条約締結のために力を尽くすことこそ、平和のための国際貢献ではないでしょうか。このような動きを後押しするために平和行進は大切です。」

 通し行進者の山口逸郎さんの挨拶と石川県行進団責任者の内藤晴一郎さんが活動報告し、参加者全員で「青い空は」を合唱して小松市役所に向けて16人が行進しました。

寺井病院での出発式でデイサービス利用者とエール交換する山口さん

今日の到着点は「非核平和宣言都市・こまつ」の大きな懸垂幕がある小松市役所。明日はここからスタートします

 

     

   全国通し行進の山口逸郎さんが企画・製作したDVD「2015年国民平和大行進 一歩でも二歩でも」

 「こんにちは 平和行進でーす!」「核兵器の禁止・廃絶のため、広島に向けて60日間歩いています!」「一歩でも二歩でもごいっしょに歩きましょう!」と山口逸郎さんは連日、元気いっぱい、大きな声で呼びかけて平和行進をリードされています。DVD「2015年国民平和大行進 一歩でも二歩でも」は、山口逸郎さんが自ら東京ー広島コースの通し行進者となり、東京から広島までの91日間、1000キロの全行程を歩き、カメラマンが随行して撮った2015年平和行進のドキュメンタリー映画です。山口さんはこのDVDを普及しながら今年は富山ー広島コース(2府7県)を60日間、通し行進します。

 「雨の日も風の日も平和行進は歩き続けます!」・・・ 梅雨入り宣言があった6月21日、平和行進・富山ー広島コース5日目は初めて雨に打たれた行進になりました。午前9時、白山市役所駐車場に集合したのは15人、それぞれ雨合羽を用意して、出発しました。午前の行程は、白山市役所から県道174号線を歩き、手取川・辰口橋を渡り、深草甚四郎の慰霊碑前で休憩し、川北町役場に到着したのは11時10分でした。

 

休憩時の末友さんの差し入れは「よもぎ入り白玉金時」、大好評でした

二人の通し行進者も大満足でした!

 午後1時から川北町の応接室での出発式は、副町長さんから激励の挨拶があり、行進団との懇談の機会を設けていただきました。川北町での「ヒバクシャ国際署名」は49筆いただきました。午後の行進参加者は13人、川北町役場から能美市役所までの約1時間の行程でした。県内コースの折り返し点にあたり、夕刻から金沢駅近くの居酒屋で山口逸郎さんを励ます会を開きましたが、逆に石川県の私たちの方が激励されました。

川北町では毎年、副町長(右側)と行進参加者との懇談があります

県内最長の手取川・辰口橋を渡る行進参加者、手取川を歩いて渡る醍醐味は平和行進ならこそ

今日の平和行進の終着点、能美市役所まで残りわずか

 

通し行進者の山口逸郎さん(左から3人目)を励ます会にて

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