会の活動紹介

「そこまでやるか、ここまできたか、どこまでやるか」 

日本学術会議任命拒否に抗議する

代表世話人  五十嵐正博

 立命館大学の松宮孝明教授は、日本学術会議の任命拒否についての新聞インタビューに、「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と答えたということです(京都新聞)。この暴挙の報を聞いたとき、「そこまでやるか、ここまできたか」が最初の感想でした。そして「どこまでやるか」に思いがいたり、すぐに合点がいきました。

「目的のためには手段を選ばず」

 自民党の結党以来の一貫した「改憲」願望からして(政権により濃淡はあっても)、「そこまでやるか、ここまできたか」は当然の流れ、「歴史の反省」をせず、むしろ「復古主義」への回帰を夢想しつつ、「政財界による権力維持の執念」。日本国憲法を「改正」するために、したたたかに、粛々と「政権にとってのジャマモノ」を一つずつ、一人ずつ消す戦略。もちろん、一番のジャマモノは「日本国憲法」。当該行為が「合憲か否か」「違法か否か」などに関心はなく、「目的のためには手段を選ばず」という強権政治。

厚顔無恥こそ権力維持の秘訣

 今回の件で、岡田正則教授(その他多くの人)が指摘しているように、菅首相が「推薦段階の105人の名簿を『見ていない』」ということは、学術会議からの推薦リストに基づかずに任命したということです。これは明らかに、日本学術会議法の『推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する』という規定に反する行為」です。政府は「総合的、俯瞰的な」意味について、「丁寧な説明」など、そもそもできない相談です。「見ずに俯瞰する離れ業」(中野晃一さん)。自民党にとって「日本学術会議」は「ジャマモノ」。どこまで「用意周到」なのか、あるいは時の政権が「場当たり的に」また「思い付きで」実行するのかは、それぞれの事例について検証が必要です。しかし、今回の件については、すでに安倍政権時代から「目の敵」にされていたことが明らかになっています。まさに「虎視眈々と狙い撃ち」されたとみるべきでしょう。

 前川喜平元文科省事務次官が実際に経験されたことを語っています。「文化審議会文化功労者選考分科会」委員の選任について、杉田官房副長官から、10人の候補者のうち2名が好ましからざる人物であり任命するなと言われた、安倍政権を批判するようなことをメディアで発言したことが理由であったと。闇の中で、陰湿かつ執拗にうごめく権力行使、空恐ろしい話です。よくも「自由、民主主義、法の支配、基本的人権の尊重(市場経済が加えられることも)」という、ありもしない「共通の価値観」などといえたものです。いや、この厚顔無恥こそ権力維持の秘訣なのでしょう。

日本国憲法の壁

 思えば、80年代後半の中曽根政権による労働組合つぶし、2003年、第一次安倍政権による「教育基本法」改悪、第二次安倍内閣による特定秘密保護法(2013年)、平和安全法制(2015年)、共謀罪(2017年)へと続く「違憲」諸法の改悪・制定。自衛隊法改正は数知れず。日本国憲法は満身創痍にさらされてきました。それでも、日本国憲法の壁があるがゆえに、少なくとも、歴代政権は、当該行為に「理由にならない理由」を述べなければならず、「好き勝手放題」を許すことはありませんでした。

自民党の執念

 自民党は、この「歯止め」「壁」を取り払うことに執念を燃やしてきました。菅首相が政策の根本と考える「自助、共助、公助」、なんと正直な首相でしょうか。「丁寧な説明」がなくても即座に理解可能、安倍政治を継承して、「自民党新憲法草案(以下、新草案)」(2005年10月)、「改正草案」(2012年4月)に沿った憲法「改正」を目指す宣言そのものだからです。要は、国家による個人、家族への介入、国家支配の拡大。憲法は「権力をしばるもの」という理念とは真逆の発想であり、「憲法でない憲法」作りを推し進めること。「自助」とは、「個人」ではなく、「人」は「公益及び公の秩序」に反しない限りの「自由」を持つにすぎず、「国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」(改定草案12条)ことになります。

 「新草案」は、「前文」で「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」とし、「改正草案」では「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」となりました。「復古主義の中核」ともいうべき「国家への忠誠義務」を義務付けようとするものです。「改正草案」は「国防軍」の創設をうたい、「徴兵制」に道を開くことが危惧されます(「新草案」では「自衛軍」でした)。

 「共助」とは、「家族は互いに助け合わなければならない」こと。「共助の義務」です。「公助」について、「草案」は現行憲法二五条(生存権)に何も加えていません。最近の「黒い雨訴訟」を見るまでもなく、国は、いざとなると「公助」どころか、「知らん顔」をするか「逃げる」かして、一切責任を負おうとはしません。しかし、権力は、いつも見えない影におびえているのでしょうか。「国民に刃を向ける=強権的に弾圧する」「緊急事態条項」を憲法に盛り込もうというのです。これが菅首相が思い描く「自助・共助・公助」の意味です。

市民の声が届かない社会に未来なし

 今回の学術会議問題は、任命拒否を撤回させなければなりません。「アリの一穴 天下の破れ」ということわざがあります。政権が「総合的・俯瞰的判断」で何事をも決められるとすれば、憲法も法律も無用となってしまう、それは、立憲主義の破壊、独裁政治です。

 坂本龍一さんは、日本学術会議への人事介入に抗議して「声を上げること、上げ続けること。あきらめないで、がっかりしないで根気よく。社会を変えるには、結局それしかないのだと思います。」と発言しました。同感です。「あきらめないで、がっかりしないで根気よく」安倍・菅政治なるものを引きずり下ろすために声を上げ続けましょう。「忖度」と「萎縮」が蔓延する社会、なにより「市民の声が届かない」社会に未来はありえません。市民の手に「日本国憲法」を取り戻さなければなりません。

【追記】岡田正則さんは、かつて金沢大学での同僚であり、井上英夫さんとともに日韓の共同研究に加わりました。『日韓の相互理解と戦後補償』(日本評論社、2002年)

【参考】『菜の花の沖縄日記』出版元「ヘウレーカ」から新刊、福島祐子著『ヒロインの聖書ものがたりーキリスト教は女性をどう語ってきたか』が刊行されました。本稿を書きながら、つい「プロローグ」を読み始めた途端に、「他者を蹂躙することで己の権力を誇示したくなる」との一文に出くわしました。文脈は、本稿とは全く違いますが、「権力者は」を主語にすれば全く納得、ここに引用します。ご興味のある方はぜひお手に取ってください。お勧めです。

今「必要緊急」なこと  日本国憲法を活かす政府をつくろう

代表世話人 五十嵐正博

 私たちは、今、新型コロナ・パンデミックの渦中にいます。パン(すべての)デミア(人々)、まさに地球上のすべての人を襲う感染症。人間は、地球上に存在する何百万、いや何千万とも知れぬ種の一つにすぎません。すべての種が、地球誕生以来、種の生存・共存のためのメカニズムを営々と作り上げてきたのでしょう。しかし、人間だけが、森羅万象を支配できると思い込む「おごり・思い上がり」を持っているのではないか。現下の事態は、「経済成長」を金科玉条とし、人間一人ひとりの尊厳をないがしろにしてきたことに対する「戒め」「警鐘」とも思います。
 人間は、何を、どこまで反省し、その反省を将来に生かすことができる歴史を、私たちは見て見ぬふりをしてきたのではないかとさえ思いたくなります。今回のコロナ禍との直接の関連はさておき、気候変動がもたらす様々のリスクが語られてきました。1988年設立の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、「世界平均気温の上昇による主な影響」として「感染症による社会的負荷の増加」「医療サービスへの重大な負荷」を指摘し(2007年報告書)、さらに「21世紀半ばまでに予想される気候変動は、主に既存の健康上の問題を悪化させることで、人間の健康に影響を与える」「確信度が非常に高い」としました(2014年報告書)。温暖化対策は一向に進んでいません。
 IPCCの警告は無視され続けただけでなく、むしろ、この国で進められてきた無残な福祉・医療の切り捨てが現在の混乱、悲惨な事態を招いています。予想された事態なのです。井上英夫さんが、国立病院の再編・統合に反対する運動をしていた姿を思い出します。
 今、目の前のコロナ禍の収束を図らなければなりません。国民には「不要不急の外出自粛」「三密回避」を要請しつつ、右往左往する安倍政権。今日を生き抜くことに汲々としている多くの人に救済の手が届かない。この国の歴代政権は、日本国憲法を活かす努力を怠ってきたからです。
 安倍政権の立ち位置は、「個人よりもお国(そしてお友だち)のために」。コロナ対策に当たって「必要緊急」なことは、日本国憲法を活かす政策です。軍事費の支出を止めて、一人ひとりの尊厳を守る政策の即時の実施です。
 
 私の父親は、敗戦後、一時公職追放になりましたが、1950年、全国各地に家畜保健衛生所が設置され、群馬県太田市の初代所長になりました。父28歳。私が生まれた翌年でした。父が「抗原抗体反応」と話していた記憶がよみがえりました。半世紀以上前、すでに行われていた「抗体検査」、その実施が未だに滞っていることに驚くばかりです。
 「あれよあれよ」という間の(政策決定過程が不透明な)「上意下達」の乱発、それらを垂れ流しするマスコミ、そしてそれに唯々諾々と従う(従わされる)市民。ファシズム体制との類似を指摘する見解も見られます。そうさせないためには、憲法を活かす「信頼できる政府」を私たち市民がつくること、それしかありません。
(神戸大学名誉教授、金沢大学名誉教授)

コロナ問題を人権の視点で

代表世話人  井上英夫

コロナ禍の中で
 コロナ禍、皆さんご無事でお過ごしでしょうか。
 一週間前ようやく届いた「アベノマスク」を前に悩んでいます。安倍に突っ返そうか。こどもたちに使ってもらおうかと。近所の養護施設の施設長さんに相談したら、こどもでも役に立たないし、もう余っているからいらない、と言われました。世紀の愚策ですね。愚策は、ほかにも一杯ありますけど。
 私も、時間ができたので。庭仕事に励み、花や樹木、鳥のさえずりに囲まれて暮らしています。自然の偉大さと有難さを痛感しています。金沢は、今春、花々が一斉に咲き誇り、桜も長く楽しませてくれました。
 この間、日本高齢者人権宣言草案づくりに取り組みました。WEB会議とメールで意見を交わし、高齢期運動連絡会に提案しました。今後、議論を重ね、高齢期運動の要求と目標の指針とするものですが、何より日本政府に高齢者の人権保障への責任を果たさせ、国連高齢者人権条約策定へのリーダーシップを取るように迫るものです。
 コロナ禍は、とくに高齢者を襲い、石川県かほく市の二ツ屋病院が典型ですが、人権の砦たるべき病院や特別養護老人ホームでの感染、死亡も目立ちます。そんな中で、働くことのできない、価値のない人間は死んでも良いというような優生的、劣等処遇的考え方も広まり、「姥捨て山」を作れという主張さえあらわれています。
 この国の未来がかかっている
 コロナ禍や地震、津波、原発事故等の災害、緊急時こそ、国や社会の諸問題が集中的に表れます。コロナ禍で医療や介護崩壊がいわれ、教育そして雇用等の危機が叫ばれていますが、問われているのは国の政策です。平常時の豊かで、分厚い人権保障こそ、緊急時、非常時にも力を発揮し、人々の営業、労働、生命、生存、生活、健康、文化、教育等の諸権利を守ることができるわけです。
コロナ問題にはこの国の未来がかかっています。まさに人権保障そして国民主権・民主主義、平和主義を掲げる憲法を守り、より発展させるのか、緊急事態を口実に、改憲・「独裁」への道を開くのか。とくにコロナ問題を人権の視点でとらえる必要があると思います。ところが、「生活の在り方」を考えようなどという国民への責任転嫁が目立ちます。変わらなければならないのは、何より安倍政権です。
 言葉に注意
 コロナ禍のなかで、カタカナ用語はじめ気になる言葉が乱用されています。そのいくつかを。
 「自粛」と「支援」
 国民への「自粛」とは、「禁止」ではなく国民の自主性を尊重しているようですが、実は、社会保障の自立・自助、共助、公助論と根っこは同じ、国は結果には責任は持ちませんよ、ということですね。営業等財産権の制限に対する「正当な補償」は国の義務ですが、一貫して拒否し、「支援」を連発しています。マスコミも人々も「支援」にならされていますが、補償そして社会保障も「公助・支援」ではなく人権として「保障」されています。「補償」そして「保障」とは、主権者国民の権利であり、国に義務と責任があるということを意味しています。
 「不要不急」
 外出自粛の「基準」とされているのが、「不要不急」ですね。原発、リニアモーターカー、カジノそして軍事費こそ不要不急な最大のものでしょう。
7 私たち社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会)の四月一五日の声明をご覧ください。

(https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/e/6865991853d5854037dd0ea221a9e918)

 ミサイル・戦闘機よりバターを、軍事費より人権保障に。非核の政府を求める会として、この訴えを広めましょう。
 「アラート」「ステイホーム」
 アメリカかぶれ?の小池都知事がカタカナ英語を頻発していますが、アラートは「警報」でよいでしょう。また、ステイホームと耳障りは良いのですが、命令形ですね。家にいろと自粛を「強制」されている感じがします。
ハンセン病政策を教訓に日本は、感染症に対して、ハンセン病「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」という負の歴史をもっています。ハンセン病は薬で完治し、死に至る病ではありませんが、どんなに強力かつ危険な病気であっても人権保障が貫かれなければならないということが、大事な点です。この教訓が生かされなければならないと思います。この点、私の「新型コロナウイルス感染症と高齢者の人権」(『ゆたかなくらし』2020年6月、7月号)をご覧ください。(日本高齢期運動サポートセンター理事長)

年頭所感

「自衛権」という口実、 そして安倍政権にさよならを

                                    代表世話人  五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
  拙稿が皆さんのお目にとまるとき、私はちょうど71歳。1795年、カント先生が『永遠平和のために』を出版されたのが71歳でした。繰り返されるアメリカによる暴挙、年初のイラン要人の暗殺。このような事態が起こるたびに、カント先生の国際法学者を揶揄する声が歴史のかなたから聞こえてきます。国際法学者の名前は、戦争を正当化するときに決まってでてくるが、彼らの言葉のもとに戦争を中止することはなかったね、と。まさに、その通りです。
 昨年11月、憲法研究者126名は、「ホルムズ海峡周辺への自衛隊を派遣」に反対声明をだしました。憲法研究者は、憲法が危機にあると思われる事態に直面するたびに声明をだしています。国際法研究者はどうでしょうか。私の知る限り、たったの一度。『しんぶん赤旗』(2003年3月19日)は次のように伝えました。

 「国際法に照らしてイラク武力行使は許容されない」。
 日本の国際法学者23人が18日、米国の対イラク攻撃に反対する声明を発表し、外務省の林景一条約局長を通じ、川口順子外相に申し入れました。松井芳郎(名古屋大)、最上敏樹(国際基督教大)、五十嵐正博(金沢大)、古川照美(法政大)各教授が申し入れました。」この声明をだす事務方が私でした。事態は今も(そして、いつも)同じですから、その声明の一部を紹介しましょう。
 「声明」は、国連憲章が武力行使と武力による威嚇を禁じ、その例外として認めているのは、
(1)武力攻撃が発生した場合の自衛権行使、
(2)平和の脅威に対する集団的措置として国連安保理が決定した行動、
の二つだけであるが、現在、武力攻撃は発生していない。
将来発生するかもしれない武力攻撃に備えるという「先制的自衛」論を認める法原則は存在しないのであり、「先制的自衛を肯定するような先例を今ここで作ってしまえば、例外としての自衛権行使を抑制する規則は際限なく歯止めを失う」との懸念の表明でした。
 今回も、アメリカが暗殺を正当化する理由も「自衛権」でした。未だ、歯止めがかかっていないのです。

                                                          戦争は人間がおこすもの
 私は国際法の研究・教育を生業にしてきました。毎年の講義では、国際法の歴史の中で「戦争」についての考え方の変遷を話します。長い間、「戦争」は人類発生時からあったと思い込んでいました。あるとき、考古学者である佐原真氏(元「国立歴史民俗博物館」館長)の本に衝撃を受け、己の無知を恥じたのでした。「450万年の経過のなかで8000年という戦いの歴史。それは、翻訳すると4.5メートルのなかの8ミリである。」(『戦争の考古学』(岩波書店、2005年)。そして、佐原氏は、「戦争は、・・・人間がおこすもの・・・人間が創ったものであるからには、私たちは、戦争を捨て去ることを目標としなければならない。」と述べています。

                                                     権力側と憲法擁護側の「非対称性」
 さて、憲法を蹂躙する権力側と、憲法を守り活かそうとする側には、「非対称性」があります。権力にしがみつ
く者の執念たるや、恐るべし。
 権力側は、身銭を切ることなく、むしろ企業などから献金を集め、搾り取った税金を権力維持のために、政府組織の総力をあげることができる。他方、憲法擁護側は、身銭を切り、一人ひとりの心のこもったカンパを募り、個人のつながりしかない。なんという、許しがたい「非対称性」でしょうか。
 権力への執着心は、「国民を生かさず殺さずの限界」、「国民の怒りが沸騰する限界」を見極める調査作業を怠りません。
 どこまで増税し、防衛費を増大させ、アメリカから兵器を爆買いしても、どこまで社会保障費・教育費を削減しても、どこまでマスコミを懐柔し、官僚に忖度させようが、国民多数の怒りを呼ばずにすむかを見定める作業。疑惑が表面化するたびに、「丁寧に説明する」といいながらだんまりを決め込み、「隠蔽、改ざん、廃棄、記憶にない」を繰り返して、野党と国民の批判・怒りが通り過ぎるのを待つ。
 「沖縄、被災地に寄り添い」と言いながら「民意」を一顧だにしない。実は、休日にはお友達や取り巻きとゴルフを楽しみ、毎晩のように、寿司・ステーキを食べながらも、この「限界」を注視しているに違いありません。
 もっとも、安倍一強長期政権のおごりとゆるみは、しばしば見せる尊大で横柄な態度に見て取れます。野党、国民をなめ切っているのではないか。この国の民主主義は、すでに破局を迎えているのではないか。

                                                              市民と野党の共闘を辛抱強く
 樋口陽一先生は「戦後デモクラシーの破局をどう乗り切るか」について、こう結ばれています。「自分たちそれぞれの主張の中身を国政の場で受け止めようとする政治家をーーいまの与野党の仕切りを超えて一人でも多くーー有権者の手で育ててゆくという正道を辛抱強く切り開き続けること。」一九五〇年代に経験したことはひとつの示唆となるはずだと。(『リベラル・デモクラシーの現在』(岩波新書、2019年)。
 市民と野党の共闘を辛抱強く切り開き続ける「不断の努力」によって「非対称性」を打ち破り、安倍政権を倒して、日本国憲法を活かす政府をつくらなければなりません。

【年頭所感】 

トランプ・ならず者国家、安倍「忖度」政権に鉄槌を!
                                     代表世話人 井上英夫

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と、ご挨拶するつもりでしたが、全く「めでたくない」年明けとなりました。
 ご存知のように、1月3日、トランプ大統領の命令により米軍がイラン革命防衛隊の司令官をイラクのバグダッドでのドローン攻撃により殺害しました。イランの報復そしてアメリカの再報復が叫ばれ、第三次世界大戦勃発さえ懸念されています。

 米国の攻撃は、明確に国際法違反であり、米国は、テロ国家=ならず者国家に他ならないことを露呈しました。さらに情けないのは、安倍政権ですね。批判も非難もせず、自衛隊派遣で追随しています。得意の日本民族・国の誇りはどこに行ったのでしょうか。トランプの犬――犬に失礼ですが――として、これも得意の「忖度」でだんまりを決め込んでいます。
 しかし、こうした安倍政権の存在を許しているのはわれわれでもあります。怒りをもって日本政府にアメリカの暴挙を止めさせましょう。そのため、憲法97条も認めている平和、人権・権利のためのたたかい、革命レボリューションを起こしましょう。
 私も呼びかけ人の一人で軍事費増加に反対する「社会権の会」(https://twitter.com/hashtag)は1月5日、急遽下記のような声明を発しました。広く拡散し、平和のための行動に活用いただくようお願いして、新年のご挨拶とさせていただきます。

米国によるイラン革命防衛隊司令官殺害に関する社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会 https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/)の声明

                   ◇はじめに◇
 アメリカのトランプ大統領は2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊の司令官ソレイマニ氏をイラクのバグダッドで殺害したと発表した。トランプ大統領は同日の記者会見で、ソレイマニ司令官は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と批判し、「我々の行動は戦争を止めるためのものだった」として殺害を正当化している。イランが「イランに対する開戦に等しい」「国連憲章を含む国際法の基本原則を完全に侵害する国家テロだ」として反発し報復を宣言する(ラバンチ国連大使)一方、米国防総省は米軍部隊3500人を中東地域に増派する方針を明らかにし、米イラン関係、米イラク関係を含め中東地域は緊迫した情勢となっている。
                  ◇意見の理由◇
 ソレイマニ氏はイラン革命防衛隊コッズ
部隊の司令官として、各国でイスラム教シーア派民兵組織(イスラム国[IS]に対抗してイラクの宗教指導者シスタニ師が呼びかけて結成された人民動員部隊[PMU]など)を支援してきた革命防衛隊最高幹部であり、敵対するアメリカに対しては、過去に、中東に展開する米軍をいつでも攻撃できるという趣旨の発言もしていた。しかし、いかに政治的・軍事的に目障りな存在であるとしても、超法的に人を殺害することが許されるはずはない。大統領という国家機関によって指示されたこの殺害行為は、明白な脱法行為であり、アメリカによる国際法違反行為(超法的処刑extra-judicial execution)である。
 国連憲章51条は「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛権の行使を認めており、先制的・予防的な自衛権の行使は認められていない。在外自国民の保護など、国の領土保全に対する武力攻撃に至らない程度の侵害行為に対しても、自衛権を援用することは許されない。攻撃が急迫していると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には先制攻撃も許されるという学説もあるが、差し迫ったものかどうかの判定は先制攻撃を行う国が行うこととなり、濫用されやすい考え方である。
 先制的自衛論を含め、そもそも自衛権の行使が濫用されやすいものであることは、歴史が示している。アメリカの軍艦が攻撃を受けたとして、アメリカがベトナム戦争に本格的に参戦するきっかけとなった「トンキン湾事件」は、後に、アメリカが秘密工作によって自ら仕掛けた「やらせ」であったことがジャーナリストによって暴かれた(ペンタゴン・ペーパーズ)。また、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っている「恐れ」を理由とし、ブッシュ大統領の先制攻撃論(ブッシュ・ドクトリン)によってアメリカとイギリスが一方的にイラクを攻撃したものだったが、大量破壊兵器は発見されなかった。にもかかわらず、軍事行動は「フセイン大統領の排除」、「イラクの民主化」と目的を変遷させて続けられた。
 こじつけの理由であれ、いったん始まった軍事行動はエスカレートするのが常であり、その結果は悲劇的である。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人が犠牲になり、米軍の撒いた枯葉剤による障害や健康被害に苦しむ人が今もいる。イラク戦争は推定で数十万人ものイラクの民間人死者を出し、米軍の使った劣化ウラン弾などによる奇形児の誕生など被害は続いている。さらに、イラク戦争とそれに続くアメリカ・イギリス軍の駐留、その後発足したイラク新政権、これらにより激化した社会の混乱とイスラム教の宗派対立は、「イラクのアルカイダ」を源流とするISを生む結果になったと今では広く認識されている。
 イラク戦争時、日本の小泉政権はアメリカに追随してイラク戦争を手放しで支持したが、イラク戦争を遂行した国や支持した国(オランダ、デンマークなど)と異なり、日本政府は今なお、イラク戦争を支持した政治判断の検証をしていない。それどころか政府は、憲法の専守防衛の原則に明らかに反する2015年の安保法制によって、地球上どこでもアメリカと共に集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が軍事活動を行うことを可能にする法整備を行った。
 今回の事件を受け、中東に駐留する米軍がイランから攻撃を受ける可能性がある。その場合日本は、集団的自衛権の行使として米軍と共に反撃することが求められる事態になりうる。折しも日本政府は先月末の閣議決定で、1月中に中東地域に海上自衛隊を派遣する決定を行っている。これは、「日本関係船舶の安全確保に向けた情報収集を強化」するという名目で、防衛省設置法上の「調査・研究」を根拠として行われるものだが、自国船舶の防護を求めるトランプ政権の意向を受けた派遣であり、これによって得られた情報はアメリカと共有されることが当然考えられる。自衛隊が駐留することになった結果、場合によっては、アメリカの同盟国として自衛隊が攻撃を受けることがありうる。きわめて憂慮すべき事態である。
 トランプ大統領は、環境保護や紛争の平和的解決のための国際協定から次々とアメリカを離脱させる一方、日本には高額の米国製兵器を売りつけ、日本や韓国、ドイツなど同盟国に駐留米軍経費負担の大幅増を求めるなど、国際社会の公益には関心がなくもっぱら米国の経済的利益のための「ディール」を推進する人物である。そして、日本政府はそのような指導者をもつアメリカと距離をおくどころか、その要求を唯々諾々と受入れ、米国製兵器のローン購入を含め、防衛費をかつてない規模に増加させ続けている。急速に少子高齢化が進む中、年金の引下げと生活不安(「老後2,000万円」問題)、保育所を設置し待機児童をなくす、若い人の人生の足かせになっている「奨学金」ローンの問題といった少子化対策、教育を受ける権利を実現するための学費値下げなどが本来、日本の抱える最重要課題であるにもかかわらずである。
    今回の殺害は、次期大統領選挙も見据え「強いアメリカ」を演出する意図もあったとみられるが、アメリカも、そして日本も、イラク戦争がISを生み今に至っていることへの反省もなく、さらに中東地域を武力衝突の悪循環に陥れることは断じて許されない。
                   ◇意見の趣旨◇
 我々は日本政府に対し、第一に、ソレイマニ司令官殺害が戦争を止めるための正当な行為だったとするアメリカの説明を支持せず、超法的殺害として毅然と非難する態度を取るよう求める。第二に、自衛隊の中東派遣は直ちに中止すべきである。第三に、アメリカがさらなる軍隊派遣と攻撃によって武力衝突の危険を高めていることに日本として懸念を示し、問題の平和的な解決を促すことを強く要求するものである。
    2020年1月5日

   非核の政府を求める石川の会も参加している平和行進石川県実行委員会が5月中旬に県内全自治体を事前訪問した折、白山市から「平和宣言都市」標柱を2本改修したこと、能美市から「非核平和宣言都市」懸垂幕を新たに作成するとの報告がありました。

 白山市が改修した2か所の標柱と能美市の懸垂幕を紹介します。

 

 

『会員エッセー&コラム・第2集』発行に寄せて  

会報「非核・いしかわ」編集長  中村昭一

 

 このたび、会報「非核・いしかわ」第250号を記念して、『会員エッセー&コラム・第2集』が発刊されることになりました。2015年4月(第201号)から2019年5月(第250号)までの会報に掲載された〝会員リレーエッセー〟計83編、〝コラム『花鳥風月』〟計50編が収録されています。さらに今回は、極めて重要と思われる当会の井上英夫・五十嵐正博両代表世話人の論稿を4編加えて発行することとしました。執筆を担当してきた一人として、とても嬉しく思います。

 言うまでもなくエッセーは、お一人おひとりの多様な経験や知恵や思いのたけの語りをとおして、より心かよう交流の場となり、またコラムは、執筆者の考えを強く反映させることができる特長から、率直な提起や感想を述べることができ、両者とも会報の軸としてその役割を果たしてきたのではないか、と思っています。

 一通り読み返してみますと、会員一人ひとりの人となり(人格)が感じられます。言うまでもなく重要なことは、その中身です。〝人格〟とは「道徳的行為の主体としての個人」「自律的意志を有し、自己決定的であるところの個人」です。即ち、様々な課題に対して自らの判断を他者に譲り渡している者は、人格形成という意味では未成熟になります。判断回避ばかりでは、主体的個人となることができません。

 本会に参加する者にとって、このような意味を持つ人格、年齢を問わず、より完成させるための継続的努力の一つになっているのが、会員エッセーやコラムの執筆のように思います。非核石川の会でのご縁に感謝の念を抱かずにはいられません。

 引き続き新たなる取り組みがありますが、会員の皆様には会員拡大と原稿提出、ならびに〝非核をめざすたたかい〟を引き続きどうか共にしていただきますようお願いして、発行に寄せての言葉とさせていただきます。

 

 核兵器禁止条約と南アフリカ 

非暴力・非戦の現状と課題

代表世話人 井上英夫

 国連ビルにあるネルソン・マンデラ氏の立像

 本紙1月号に、非暴力の観点から「人類の希望 マンデラと南アフリカ」という訪問記を掲載しました。今回は、NY国連ビルから非暴力・非戦とりわけ核廃絶について最近の動きをお知らせしましょう。

南アフリカが条約批准

 2月25日、南アフリカ共和国が核兵器禁止条約を批准しました。一時は独自の核兵器開発を推し進め、その後核兵器反対に転じた唯一の国が、核のない世界に向けた重要な一歩を踏み出したのです。

 条約は50か国が批准すれば発効します。そして4月11日、新たにパナマが批准し、23か国となりました。

 

 条約は2017年七月七日、123か国によって採択されました。しかし、全核保有国とアメリカの核の傘の下にあるカナダドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア韓国などが「不参加」でした。反対票はオランダ、棄権国はシンガポールだけでした。日本等が、反対ではなく会議に参加しないという姑息な手段をとったのは、全世界の核兵器禁止・廃絶の声に圧迫されてのことでしょう。

 ちょうどこの日、私たち日本高齢期運動サポートセンターNGO代表団は一階下の会議場で高齢者人権条約制定会議に参加していました。人権保障と平和・核廃絶問題が表裏一体であることを実感でき、感動的な一日でした。そして、今日4月17日も国連ビルでネルソン・マンデラさんの歓迎を受けながら、条約制定運動に取り組んでいます。なお、条約の推進には核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の貢献が大きく、2017年10月にノーベル平和賞を受賞しました。

 核兵器の廃絶

 南アフリカ共和国からの教訓

 前文では被爆者(核兵器使用と核実験)の容認しがたい苦難と損害に留意しています。その目的は、「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶」であり、まさに全面的な核兵器禁止・廃絶となっています。原発は除外されていますが、別の機会に議論しましょう。

 

 ズマ前南アフリカ大統領は、2017年9月の核兵器禁止条約署名式において、大量破壊兵器に安全な使用法などないという確信に基づいて、核兵器を世界、そして人類からなくすため、すべての加盟国に対して、条約批准を声高に訴えました。こうした発言を大統領ができるのも、アパルトヘイト廃止とともに、核兵器の廃棄を自主的に成し遂げた初めての国だからです。

  南アフリカは、1973年に正式に核兵器計画を始め、1982年頃、最初の核爆発装置を製造します。1989年、この時点で55kgの高濃縮ウランを含む核爆弾6発を所持していましたが、1990年2月、最後の白人大統領デクラークが、核兵器放棄の決定をしました。それは、マンデラが刑務所から釈放され、アフリカ国民会議(ANC)等が合法化された直後のことでした。そして、翌年1991年、核不拡散条約(NPT)に加盟しました。その後、核廃絶への道を歩み、核武装国の核抑止論に立ち向かってきたのです。1998年の国連総会でマンデラ元大統領は次のような演説をしています。

「我々は問わなければなりません。非道で恐ろしい大量破壊兵器を拒むことなく、その正当性を主張し続ける人々には無知に聞こえるのかもしれませんが、『なぜそんなものが必要なのか』と。実際のところ、冷戦時代の惰性と自国の優位性を固持するためだけの核兵器への執着が結果的に何をもたらすのか、満足のいく形で合理的に説明することなど誰にもできないのです」。

 こうして南アフリカは、2012年以降、核兵器廃絶への人道的イニシアチブをとる中核的存在となりました。それが核兵器を禁止する国連条約を求める運動へと発展し、2017年の核兵器禁止条約採択に繋がりました。

 ICANも指摘するように、南アフリカは、核放棄によって核不拡散問題に関する世界的な発言力を確保したわけですが、核兵器禁止条約批准にはさらに大きな意味があり、「各国が安心して武装解除し、それを継続できるような適切な環境を作り上げることの重要性」を示しています。(https://twitter.com/nuclearban_jp 2019年2月25日)

          国連・非暴力の象徴

 この点は、国連の場においても確認されています。

 2018年9月24日、 ニューヨークの国連本部におけるマンデラ生誕100周年を記念した「ネルソン・マンデラ平和サミット」における政治宣言は、次のように国家、政府の長、代表の決意を語っています。

(1)ネルソン・マンデラ氏の謙遜・寛容・慈悲の資質、彼の価値観及び慈悲の献身に敬意を表す。(2) 公正、平和、豊かで、包摂的かつ公平な世界を構築するための努力を倍増すること及び相互尊重、寛容、理解及び和解を示すことにコミットする。(3) 紛争は予防外交よりもあらゆる面において損失が大きいという議論の余地のない事実を認識する。(4) 紛争予防、根本原因への対処、法の支配の強化を通じて、「平和の持続」への包括的アプローチの重要性を強調する。(5) 核兵器計画を一方的に廃棄した南アフリカが示した例を歓迎し、核兵器廃絶を支持したネルソン・マンデラ氏の確固たる願いを想起する。

 マンデラとオバマ 

 二人の黒人大統領

 オバマとマンデラ、2人とも自国で史上初の黒人大統領に就任しています。バラク・オバマ前米大統領は2018年7月17日、南アフリカ・ヨハネスブルクでの生誕100年記念講演で世界の人々とりわけ若者に呼びかけました。

 希望を失わないこと、信じ続けること、前進し続けること、築き続けること、声を上げ続けること。世代は皆それぞれ世界を刷新する機会が与えられている、と。

「マンデラ氏は、若者たちが目覚めれば、圧制の塔を打ち倒し自由の旗を掲げる力があると言った」とオバマは指摘し、「今こそ目覚めるときだ」と講演を聞いている若者たちに「情熱を燃やす」よう呼びかけたのです。

 最後に、マンデラの言葉をもう一つ紹介しておきましょう。

「もし、あなたが敵と平和を築きたいのであれば、あなたはその敵と一緒に話し合わなければいけません。それから、敵はあなたのパートナーとなることでしょう。」

 日本国憲法の前文も、日本国民が、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること」と「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと」決意したこと、そして「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。日本国憲法と南アフリカ、そして「非核の政府を求める会」は、非暴力と国家による暴力の否定=非戦、人間観を共有しているのです。

 今こそ、南アフリカの経験を活かし、日本国憲法を世界に広め、核兵器禁止条約を批准し、核廃絶へリーダーシップを発揮するよう安倍政権に迫る、「非核の政府を求める会」の役割はますます大きいと思います。

 

沖縄・辺野古基地 2・24県民投票を終えて

「本土」への大いなる異議申し立て

                代表世話人 五十嵐正博

 

奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる

 直木賞受賞作、真藤順丈『宝島』は、1952年、サンフランシスコ条約が発効し、“アメリカ世(ゆ)”になった沖縄のキャンプ・カデナでの出来事から物語が始まります。当時、「晴れて占領下を外れた日本(ヤマトゥ)では主権回復を祝っていたけど、わざわざ条文の但し書きつきでのけものにされたこの島では、アメリカがずっと使えるように、“基地の島”の工事に明け暮れていた」のでした。その後、1970年の「コザ暴動」などを経て、1972年の「本土返還」に至るまで、「奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる」物語です(同書、帯)。

 「沖縄を返せ」が初めて歌われたのは1956年、この年、瀬長亀次郎さんは出獄し、やがて沖縄市長に当選します。『宝島』には沖縄の節目節目に亀さんが登場します。

「辺野古」県民投票の会の若者たち

 『宝島』で少年少女が勇ましく立ち上がる姿は、「沖縄を取り戻すため」に、元山仁士郎さんの呼びかけで「『辺野古』県民投票の会」に集った若者たち、島のいたるところでプラカードを掲げ、署名活動をした若者たち、18歳以下の意見も聞こうと「シール投票」を行った若者たちなどの姿と重なります。

 インターネットで、ホワイトハウスに辺野古新基地建設中止を求める活動を始めた、ハワイ在住の「県民四世」ロブ・カジワラさんも。ロブさんの発案は、沖縄の基地問題を世界に知らしめたという意味でも画期的でした。そういえば、1969年、沖縄のある高校では、「生徒150人が佐藤訪米阻止、学園民主化を叫んで校庭にすわりこみ、ハンストにはいった」歴史があります(中野好夫・新崎盛暉『沖縄・70年前後』岩波新書)。

 「琉球処分」から140年、翁長雄志さんが語っていました。「私たちは確かに厳しい時代を生きているけれど、それでもなぜこれほど強い県民になったかというと、長い歴史の中で虐げられて、木の葉のように風に舞いながらも、自分のアイデンティティーを確かめながら生きてきたからだと思います。」(『戦う民意』) 

沖縄の人たちは「なぜ明るいのか」

 沖縄の人たちの「明るさ」にひかれ、那覇のフリースクールで3年間の高校生活を送った珠洲市出身の少女は、県民大会に参加し、オスプレイ墜落地の住民の話を聞き、高江、辺野古を訪ねたりもしました。そして、沖縄に対する本土の無関心と潜在的差別意識を身に染みて実感することになります。「『なぜ明るいか』、それは明るくないとやっていけないくらい暗いものを知っているから」と思い至るのです。彼女の豊かで、しなやかで、しかも鋭い感性が導き出した言葉でした(「菜の花の沖縄日記」は2015年~2018年『北陸中日新聞』に連載)。

 彼女が通ったフリースクール「珊瑚舎スコーレ」の1年後輩の少女、彼女が先の「シール投票」の発案者ですが、そのきっかけを次のように語っています。県民投票を2か月後にひかえたある日のこと、友人のお母さんに呼び止められました。県民投票に5つの市の人は参加できない、アメリカの先住民は、何か大切なものを決めるとき、子や孫のことのことでなく、7代先のことまで考えて物事を決める、そういう考えが不参加を決めた人たちにあるのか、と。彼女はこの言葉がずっと胸から離れず、投票当日まであと1ヶ月と迫ったときに、「シール投票」を立ち上げます。

かつての少年少女の闘う姿を追った『宝島』

 1967年の「教公二法案阻止闘争」、69年の「毒ガス漏れ事件」、70年末の「コザ暴動」、そして「本土復帰運動」などの中で、30代後半になったかつての少年少女。『宝島』は、彼ら、彼女らがそこでもがき、闘う姿を追います。その一人は、こう言い放ちます。「条件は二つある その1、コザか那覇に日本(ヤマトゥ)の首都を還すこと、その2、瀬長亀次郎や屋良主席あたりの島の政治家を、佐藤栄作を更迭したあとの内閣総理大臣に任命すること、このふたつが通らなかったら返還は白紙よ。」当時は、「沖縄の闘いは、『県民の総意』を日本政府に突きつけ、対米交渉によって『復帰』を実現するという形の復帰運動から、日本政府への一切の期待と幻想を断ち切った自立的闘争へと転化しつつあった」時代でした。(前掲岩波新書)

県民投票条例の署名運動が翁長さんを後押し

 2018年7月27日、翁長雄志前知事は辺野古新基地建設の承認撤回を表明しました。承認撤回を必ず行うと明言してから1年4か月、亡くなる2週間前のことでした。その間、承認に踏み切らない知事に対する不満、批判が「オール沖縄」を分裂に導きかねないとの懸念が示されたりもしました。

 翁長さんは、記者会見の冒頭、辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票条例の署名活動が7月23日に終了したことに言及し、「署名活動に取り組まれた皆様のご努力に心から敬意を表するとともに、政府におきましてもこれほど多く県民が署名を行った重みについてしっかりと向き合ってもらいたいと思います。」と述べました。「県民投票条例の署名活動」が翁長さんの決断を後押ししたことを認め、新基地問題は沖縄だけの問題でなく、日本全体の問題であると訴えたのです。

 沖縄県民は、直近の2度の知事選、今回の「県民投票」で、圧倒的な「辺野古新基地NO!」の民意を示しました。安倍首相は、県民投票前から、基地建設の継続強行を決めていました。確実にいえることがあります。安倍独裁政権にもやがて終わりがある、辺野古新基地建設は完成しない、しかし、安倍政権が続く限り、この国の憲法が蹂躙され、民主主義が破壊され、対米従属は「深化」し続ける、そして、埋め立てられた大浦湾は元に戻せない。いつもそうです、「そして誰も責任を負わない」。

問われているのは「本土の本気度」

 私は、今回の県民投票を、本土の沖縄に対する無関心と潜在的差別意識への「大いなる異議申し立て」だったと理解します。ある記者が、元山さんに「次は何をしますか?」と問いました。その問いは、元山さんに対してではなく、質問した記者自身に、そして本土の私たちに向けられるべきものでした。問われるべきは「本土の本気度」であり、「奪われた沖縄を取り戻すために、本土が何をするかです。」私たちがなすべきことは、一日も早く安倍政権を退陣させて、この国に憲法と民主主義を取り戻すことです。沖縄を沖縄の人たちに返すためにも。

(会報「非核・いしかわ」第248号/2019年3月20日付に掲載)

すべての自治体で「原爆ポスター展」を 

今年度は19自治体で開催

 

 平和首長会議は、2017年~2020年行動計画にて「各加盟都市において、一人でも多くの市民に被爆の実相について理解を深めてもらい、核兵器廃絶への思いを強くしてもらうようにするため、原爆ポスターや被爆にまつわる資料等を展示する原爆ポスター展を開催する」ことを提唱しています。

 この呼びかけに呼応して非核の政府を求める石川の会では、核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝えるため、県内すべての自治体で「原爆ポスター展」が開催されるよう働きかけています。

 本会が実施した「2018年度平和事業に関する自治体アンケート」によると自治体主催で「原爆ポスター展」を開催したのは、昨年より3自治体増えて13市町になりました。新たに3自治体(川北町、穴水町、能登町)増えたのは、本会も参加している平和行進石川県実行委員会が5月中旬にすべての全自治体を訪問し、日本被団協制作「原爆と人間」パネルの貸し出しも含めて提案し、了解いただいたものです。

 川北町では5月に訪問した時、ポスター展の開催を見送られたが、その後「自治体アンケート」集約結果にもとづき本会から川北町長に直接働きかけて、開催が実現できました。

 この外、石川県、小松市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市の6自治体では、毎年住民団体主催の「原爆と人間」パネル展に公共施設を提供しています。この結果、今年度の「原爆ポスター展」は珠洲市以外の19自治体で開催することになりました。

 本会では、引き続き県内すべての自治体での「原爆ポスター展」開催をめざして働きかけていきます。 

 

 6月10日~24日、原水爆禁止国民平和大行進に参加して県内全市町を訪問し、各自治体における「原爆と人間展」の開催計画と「ヒバクシャ国際署名」の取り組みにつき、改めて集計しました。

 その後、「ヒバクシャ国際署名」に賛同いただいた首長・議長に追加訂正がありましたので再度掲載します。

 

    印刷用(PDF:128KB)

 2017年原水爆禁止国民平和大行進が「能登コース」(6月11日~16日)、「富山-広島コース」(6月17日~24日)と県内全ての市町を訪問し、庁舎前での出発式または到着歓迎式にて各自治体首長の激励挨拶やメッセージが披露されました。杉本栄蔵・中能登町長、寶達典久・宝達志水町長、粟貴章・野々市市長は直接、行進団に激励挨拶をいただきました。また平和行進と並行して行われている「反核・平和マラソン」に寄せられた平和首長会議会長(広島市長)及び日本非核宣言自治体協議会会長(長崎市長)のメッセージも6月17日、富山県からの引き継ぎ式のときに披露されました。

 今年の国民平和大行進に寄せられた県内各市長・町長からのメッセージを紹介します。

     2017年平和行進・県内各首長からのメッセージ(PDF:812KB)

 

   6月11日~24日、原水爆禁止国民平和大行進に本会事務局長が参加して県内すべての市町を訪問し、各市町における「原爆と人間展」の開催計画と「ヒバクシャ国際署名」への取り組みにつき改めて集計しました。

◎被爆の実相を伝える「原爆と人間展」を全自治体で開催することをめざしており、今年は自治体主催で10ヵ所、住民団体が主催するとき公共施設を提供する自治体が5ヵ所ありました。全自治体の開催まで残り5ヵ所になりました。

◎全世界に核兵器禁止・廃絶をよびかける「ヒバクシャ国際署名」は、県内の10人の首長、12人の議長から賛同署名をいただき、自治体職員による署名は2,323筆寄せられました。平和首長会議も賛同・協力する「ヒバクシャ国際署名」に県内すべての首長・議長に賛同いただき、自治体と共に核兵器禁止・廃絶を求める運動を推進していきたいと願っています。

2017年度平和事業アンケート集計結果(HP用)

 

   6月24日、平和行進・富山ー広島コース8日目の加賀市役所での出発式には土曜閉庁にも係らず、総務課長はじめ5人の市職員の参加がありました。総務課長から宮元陸市長のメッセージ披露、平和行進ペナント、被爆者救援・連帯募金、「ヒバクシャ国際署名」を225筆いただきました。県内行進の最終日は、福井県行進団への引継ぎがあるため、毎年必ず参加する方もあります。24人の行進参加者が加賀市役所を出発し、福井県吉崎まで歩きました。

 加賀市では8月上旬に加賀市民会館1階ロビーにて市所有のパネルによる「原爆と人間展」を開催します。

加賀市役所の出発式では市職員5人も参加して記念撮影

加賀市大聖寺関町から福井県あわら市へ

歴代の全国通し行進者のサイン入りのTシャツを着た参加者

山口逸郎さんにもサインしてもらいました

休憩時の差し入れはよく冷えたスイカ、水羊羹など

 

「ようこそ福井県へ」「吉崎御坊跡」まで300mの標識を見ると達成感!

石川県の平和行進を終えて

初日から感動の連続でした

全国通し行進者 山口逸郎

 私は原水爆禁止国民平和大行進の全国通し行進者として、5年前80歳で東京~広島コースを歩いたのが1回目でした。その後、北海道~東京コース、沖縄~広島コースを歩き、太平洋側を日本縦断することができました。今年5回目で富山~広島コース・日本海側を歩くことになりました。

 6月8日富山県朝日町を出発して、富山県内を10日間歩き、6月17日石川県に引き継がれ、石川県内8日間を県内通し行進者の岡野ひでみさんと共に歩きました。

 石川県内を歩いて初日から感動の連続でした。私からみれば91歳のお姉さんが富山県境から津幡町役場まで半日も歩いていただいたこと、小学6年の3人が「一歩でも二歩でも歩きませんか」に応えて一緒に横断幕を持って歩いてくれたこと、自動車を運転されている方々が私たちの「今日は平和行進で~す!」に手を振ったりして応えてくれる多さに驚かされ通しでした。津幡町役場ではペットボトルに入った被爆者援護募金が10本も手渡されるなど感動の行進でした。

 その後、このペットボトル募金は各自治体より連日手渡され、石川県の伝統の活動に対し、私は敬意を表すると共に全国にひろめることができないかと思いました。

 そして、以前に県内通し行進者を務めた神田順一さんと末友雅子さんの活躍ぶりは、行進参加者を励ましてくれました。神田さんは毎日平和行進の一日、一日を非核の政府を求める石川の会ホームページに掲載してくれました。末友さんは毎日、休憩時に種々の差し入れを用意してくださり、行進参加者の疲れがフットビ、大きな励みになり、感謝、感激です。また行進のパートナーの県内通し行進の岡野さんのピースコールの連続呼びかけに私は大変助けられたことも忘れられません。

 このように石川県の皆さんの力強い励ましにより、85歳の私も58歳の気持ちで歩くことができました。6月24日福井県に引き継がれた後、私は『平和』(2年目の平和行進のときに滋賀県の視覚障害のある女性が小さな折り鶴103羽で作られた)の文字を胸に抱きながら、8月4日広島平和公園に向けて歩きます。皆さん有難うございました。

 原水爆禁止世界大会・広島大会、長崎大会でお逢いしましょう。

 

<県内通し行進を終えて>

歩いていこう 前を向いて 一歩づつ

岡野ひでみ

 「え、私が県内通し行進者?」今年の平和行進日程表をみてビックリ!! 平和行進に参加してもいいといったが、8日間通し、そんなの無理!! でも名前が先行、後戻りできない。「もう、やるっきゃない!!」倶利伽羅で紹介され、横断幕を持ち、いよいよスタート。

 なにがなんだかわからず、心臓はパクパク、足はマメと膝痛。弱音をはきかけるも隣でしっかり大きな呼び声で歩いている山口逸郎さん(85歳)に刺激され、私も通行者に呼びかけ、行進を続けていると、カーテン越しや車窓から手を振る人の声援がうれしくなってきた。

 振り返ると全国通し行進者の山口さんが、片時も離さず、大事に横断幕を持っている姿と、わずかな時間でも出会う人に声かけ、握手する様子。そして、差し入れ。休憩時の疲れている身体にスーッと入ってくる果物や甘菓子。今、言えること、感謝!一人ではできない、みんながいるから。歩いていこう、前を向いて、一歩づつ・・・。

福井県行進団に引き継がれた横断幕と元気いっぱいの山口逸郎さん(前列右から2人目)

◎本日、加賀市内の硲伊之助美術館で「私の生きてきた道」と題して講演される作家・澤地久枝さんから石川県行進団に寄せられたメッセージを福井県との引継ぎ集会で披露しました。

 『澤地久枝です。今日のデモがんばってください。私たちは今、絶対に一歩も引けないところにいます。私もできることをやって、がんばっています。皆さんと一緒に歩いている気持です。よろしくお願いします。』

 

 

 

 

被爆二世・あわら市議会議員の笹原幸信氏

   福井県行進団との引継ぎ式には反核・平和マラソンの参加者も含めて石川県から約40人、福井県から約60人の参加があり、横断幕はじめ団体旗、国際青年リレーたすき等を手渡し、エール交換しました。

 毎年の引継ぎ式に参加されている被爆二世の笹原幸信あわら市議会議員の挨拶を紹介します。

『私の父は広島の爆心地から2㎞で被爆しました。父は身体が弱くて甲状腺癌、その他の癌も患いました。このため父は40年間薬づけの生活で骨がもろくなり、大腿骨骨折で寝たきりから認知症になり、大変つらい思いをしてきました。私には兄弟が4人いますが、妹が乳癌になりました。私たち兄弟の癌への恐怖は皆さんの想像以上であり、いつも爆弾を抱えたような生活をしています。核兵器は絶対になくさなければならない。なんで人が人を殺す残虐兵器をつくるのか、怒りを覚えます。どうか、皆さん、国民平和大行進が成功することを祈っています。』

 6月23日、平和行進・富山ー広島コース7日目は小松市役所前で出発式を開き、市内中心街を迂回して小松駅前までの行程です。行進参加者は35人。出発式では和田慎司小松市長のメッセージ披露と平和行進ペナント、被爆者連帯・救援募金(ペットボトル募金)、「ヒバクシャ国際署名」を33筆いただきました。今年の出発式で特筆できるのは、二人の市会議員から連帯挨拶があったことです。

<浅村起嘉さん:社民党市議>橋本議員から声をかけていただき、参加しました。私たちは日頃から安保関連法や共謀罪などに対し、戦争をしない国づくりのための共に声をあげています。子どもたちのために核も戦争もない世界をつくることは我々おとなの責任です。我々のグループも来週水曜日、28日夕方かた原水禁集会を開催します。この輪を広げていけるよう共に頑張っていきたいと思います。

<橋本米子さん:共産党市議>今日の平和行進・出発式に浅村さんに挨拶していただき、大変よろこんでいます。小松市長のメッセージと平和行進ペナント、被爆者連帯・救援募金、「ヒバクシャ国際署名」を預かっていますのでお渡しします。今年の平和行進は核兵器禁止条約のための国連会議の開催期間中におこなわれます。小松では毎週火曜日に浅村さんと一緒に粟津駅前で街頭宣伝を続けています。平和運動も一緒にやれればよいし、市民運動も皆さんと一緒に盛り上げていきたいと思います。

   小松市では、8月4日~10日、市役所エントランスホールを利用して住民団体が「原爆と人間展」を開催します。

平和行進・出発式で連帯の挨拶をする浅村起嘉市会議員(社民党)

平和行進・出発式で連帯の挨拶をする橋本米子市会議員(共産党)

行進参加者全員にプレゼントされた折り鶴の飾りもの

「非核平和宣言都市・こまつ」の大きな懸垂幕前で記念撮影してから行進を開始しました

6月23日、沖縄「慰霊の日」の差し入れは沖縄産のパッションフルーツ、サータアンダギーや水羊羹、フルーツゼリーなど盛りだくさんでした

会報 非核・いしかわ

絵手紙コーナー

広島被爆絵画

石川の会・沿革