会の活動紹介

【2024年巻頭言】

能登半島地震 自衛隊を「サンダーバード」に

代表世話人  井上英夫

 余寒の中、被災された皆様にお見舞い申し上げます。元旦は、北陸には珍しく快晴でした。石川啄木の「何となく 今年はよい事あるごとし 元日の朝晴れて風無し」を口ずさみながらおとそ気分でいたところに激しい揺れが襲いました。その惨状は、本紙新年号の五十嵐正博さんの迫真かつ貴重な体験記の通りです。

 金沢市田上新町の我が家の200m先でがけが崩れ、四軒の倒壊がありました。周辺32戸に避難指示が出ました。我が家も崖上ですが、一部損壊に止まり無事で避難指示対象外でした。しかし、珠洲、輪島等能登の東日本大震災に匹敵する被害状況が日を追って明らかになってきました。

 五十嵐さんは「たった二晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました」と言います。そして憲法前文の平和的生存権を踏まえ、人殺しのための軍事費の「皆が普通に生きられる社会」づくりへの転用を訴えています。まさに被災した人々はもちろん私たちの願い、希望を語り、まったくわが意を得たりです。

 私たちは、能登とくに珠洲で、「過疎化」が進み、残された高齢者・障害のある人も、医療や福祉制度等の貧困により住み続けられず出ていかざるを得ないという「もう一つの過疎化」の実態を明らかにしました。そこに地震が襲っているわけですが、国内外の災害現場に立ち「住み続ける権利」を提唱してきました。

住み続ける権利と平和的生存権

 住み続ける権利とは、すべての人が、どこに、誰と住むか、どのように住むか、その自己決定を人権として保障することです。被災者、地域住民の生まれ育った家、地域に住み続けたいという願いは強烈です。住み続ける権利とは、その願いを実現するものです。日本国憲法は、居住移転の自由(22条)、生存権・生活権・健康権・文化権・居住の権利(25条)、働く権利(27、28条)、教育を受ける権利(26条)等保障しています。それらの人権保障により実現される新しい人権です。

 人々の頑張り、助け合いは大事ですが、それを可能とするのは、人権がしっかり一人一人の生活の基盤を支えてこそです。その保障義務があるのは国や自治体です。「公助」「寄り添い」などといい、人々に自助・共助、頑張りを強要してはなりません。

 住み続けられるためには、最大の要因である恐怖(戦争やテロ)からの自由と欠乏(飢餓・貧困)からの自由を保障する平和的生存権が基底的権利となります。

 人権とは、生きる基本を保障することですが、その目的は人々の願望・希望を実現することにあります。したがって住み続ける権利の根拠は、被災者・住民の皆さんの願いや希望ということになります。

 避難所ホテルにて 一緒に暮らしたい・戻りたい

 2月10日、金沢市片町のアパホテルに避難中の輪島市門前深見地区の皆さんに話を伺いました。2007年の能登半島地震の時、船で全員脱出し、今回は、望んだわけではないが、自衛隊のヘリで避難させられた地区です。

 ホテルは、最初は食事がひどかったし、狭い個室で夫婦も別々で決して良い環境ではないが我慢している。そこも2月中に追い出され、行き場がない。仮設住宅は四月末になる等問題点が次々に話されました。その模様は3月のNHKクローズアップ現代で放映されるそうです。もっとも強調されていたのは地区の皆が一緒に暮らしたい、深見に戻りたいということでした。

 以下被災地で心を動かされた言葉をいくつか紹介しましょう。

家がかわいそう

 被災地に立つとき写真を撮るのを躊躇します。2007年の能登地震支援の時、倒壊した家の写真を撮らしてほしいとお願いしたら、「可哀そうだから撮らないで」「夫婦で苦労して建てた家だから」と言われたことを思い出したからです。

 家の保障こそ住み続ける権利の出発点です。日本では自己努力、個人の甲斐性として考えられていますから、家への愛着はことさら強いわけでしょう。その努力は貴重です。しかし、そろそろ家も公的に保障されるべきです。全壊でなくても深見地区のように避難させられれば住み続けられませんから補償は全壊並みにすべきです。

ここを愛している 何故遠くに行かないか

 中国四川地震の時を参考とし、自治体が被災地自治体と提携して支援を行うという「対口支援」も行われています。病院や施設の受け入れ準備もされています。しかし、多くの人々は遠くに行きません。能登を離れません。生まれ育った地、自分で選んだ土地を離れたくない。これも被災地の人々とりわけ過疎地の人々の願いです。東日本大震災の避難所でお会いした、女性の一言が今も耳に残っています。何故、高台へ、あるいは他の津波の来ないところに移転しないのか。この海、景色を「愛している」からだと言われたのです。愛しているから戻りたい、住み続けたい。この願いは贅沢でしょうか。わがままでしょうか。

「黙した鬼」だ

 能登の人々は、国や自治体の災害・復興対策に文句は言いません。阪神淡路大地震の時と大違いです。「能登はやさしや土までも」、と言いますね。人々もやさしく、忍耐強い。東北の被災地でも同様でした。何故怒らないのか、「黙した鬼」だからというのです。はらわたが煮えくり返るほどの怒りを抑えているということでしょう。

自分のことは自分で決める 参加して決める。

 住み続けられる地域を創る。主体は主権者たる一人一人の被災者、住民であり、つきつめれば自己決定の保障でもっとも重要なのは参加の保障です。東日本大震災から10年、国の指示する14、15メートルという高い防潮堤が三陸沿岸を覆う中、「防潮堤のないまちづくり」を進め、賑わいを取り戻した町があります。人口の1割近い827人が犠牲となった宮城県女川町です。

 町民のいのちを守る「減災」を基本として、豊かな港町女川の再生を目指し、町民が実感できない復興は、真の復興とはいえないとし、すべての町民が家族や地域とのつながりの中で、いつもの日常生活に喜びを感じる地域をつくることを基本としています。

 誰もが枕を高くして寝られるように住宅は安全な高台で再建しても、海とは切り離されないよう、すべての家から海の見える町を目指しました。漁港や商業地区では、万一津波が来たときに駆け上がって避難するためすべての道が津波避難路になっています。

何ができるか 自衛隊を「サンダーバード」に

 何かできることはないか。私のところにもお見舞いと支援の声が寄せられています。無理しないでできることをしてくださいとお願いしています。これからは是非避難所等で被災された人々の声を聴いてください。一番恐れているのは、無視され、忘れられることですから。そして自衛隊を「サンダーバード」にしましょう。北陸線の特急ではなく、国際救助隊です。イギリス製作の人形劇で、日本ではNHKで1966年から放送され、21世紀にはいっても再放送されています。

   これは秘密部隊ですが、自衛隊を国際救助隊にしましょう。人を殺す軍隊から、いのちを救う部隊へ。そのための機動力は自衛隊が十分に持っているではありませんか。

 荒唐無稽のようですが、平和的生存権を保障する日本国憲法の希求する姿であり、世界から称賛され、戦争と報復の続く世界を変え、21世紀を希望の世紀にできるでしょう。そして、誰でもできることは、選挙に行くことです。住み続ける権利そして種々の人権を保障する希望の政府をつくる。そのために選挙に行ってくださいとお願いしています。

◎写真は北陸学院大学・田中純一さんが撮影

                海底が隆起した鹿磯漁港

        大岩崩落、深見地区への道路遮断・孤立

         深見漁港は4メートル隆起

 

2024年  年頭所感 

私たちは災害列島に住んでいる 

代表世話人 五十嵐正博

   2024年1月3日、珠洲市から八時間かけて金沢に戻りました。安堵感、虚脱感、「地獄絵図」を目前にして、何も手伝うことができなかった無力感、惨状から「脱出」してきた「後ろめたさ」、それらが今も交錯しています。本稿は、本年を展望し、希望を記す「年頭所感」ではなく、大災害に遭遇した一人の記録です。

能登半島地震に遭遇する

 年末年始を珠洲市の友人の「宿」で過ごすのが、ここ数年の習わし。大晦日、皆で「餅つき」をし、その後「そば打ち」、ひと風呂浴びて夕食、ゲストハウスにある銅鑼の音を除夜の鐘代わりに聞きながら、年越しそばを食べて新年を迎えます。「今年こそ、世界中が平和になりますように」と。

 元旦、「おせち」を食べ、昼過ぎに「初詣」。三崎町寺家にある「須須神社」へ。宿に戻り、お屠蘇に使った輪島塗の猪口(ちょこ)を戸棚にしまい、厨房にいた午後4時6分。「緊急地震速報」が鳴ることなく、突然の激しい揺れ(震度5強)、ガラス瓶一つが床に落下。余震が来てもこれ以下の震度に違いない、勝手な思い込みは瞬時に大暗転。「ドカン」という音とともに家全体が崩れるかと思われる激震(震度6強)、とっさに近くにあった手すりにしがみつき、身をかがめるのが精いっぱい。目前で薪ストーブが倒れ、中から燃える薪が飛び出し、煙突がはずれて落下。とっさに「水」と叫び、そばにいた人が水をかけ、大事にならずに済みました。「早く揺れが止まってほしい」と念じつつ、ウクライナ、ガザで、ミサイルがいつ、どこから落ちてくるかもしれない恐怖を共有した瞬間があったような気がします。「死」を覚悟することはなかったでしょうが、わが人生でもっとも恐ろしい、二度と経験したくない出来事でした。

避難所へ、そして金沢に帰る

 皆で庭に飛び出したものの、次の心配は「津波」、宿の横にある山に登ろうとしましたが、津波は最高で5メートル程度との情報が入り、山に登らなくても大丈夫と判断し、近くの高台にある「消防署」に避難し、車中泊。車のエンジンをかけたり止めたりして(ガス欠を防ぐため)寒さをしのぎました。翌日(2日)明け方、明かりのついた消防署の建物の片隅でしばし体を休め、携帯の充電もできました。宿の様子を見るため、宿に戻りました。建物の外観は無事、散乱した食器などの掃除をし、備えてあった食材を玄関に集めました。大きな「薪ガマ」は無事で、客の一人(イタリアンシェフ)の手になるリゾットを庭で立って食べました。

 ぼくたち夫婦と金沢から来たもう一人の3人で、避難所に指定されている近くの「上戸小学校」に行くことに。幸い、教室の片隅に一人当たり「座布団3枚と毛布1枚」を与えられ、小さなおにぎり1個、わずかの煮物が夕食。自宅の様子をも顧みないで献身的に救援にいそしむ地元の人々。水も電気もない、暖は灯油ストーブだけの一夜を過ごしました。

 30年前、原発建設に反対して闘った珠洲の友人たちの安否が心配されました。定宿の主人は、反対運動に関わった友人。被害が特に大きかった高屋、三崎地区。電力3社は、ここに原発4基の建設を強行しようとし、住民が、市役所内に泊まり込んでまで建設を阻止しようとした闘いでした。原発が建たなくて本当に良かった、決して大げさではなく、「この国を救った歴史的な闘い」として記憶されなければなりません。

 夜中(2時半ころ)震度5弱の地震。夜が明け、避難所で隣になった家族が、「金沢まで行けるらしい」と準備を始めました。もともと地元の方らしく、土地勘もありそうなので、付いていくことに。7時半出発。道は、陥没、地割れ、隆起、土砂崩れ、倒木がいたるところに。そして渋滞。対向車線は、緊急援助に向かう他府県からの、それぞれ数10台の車列が続いていました。

「普通に生きられること」の大切さー平和に生きる権利

 私たちは「災害列島」に暮らしています。「災害は忘れたころにやってくる」どころか、次々に襲う台風、水害、地震。人間が自ら作り出す「地球環境破壊」。戦争は「悠久の歴史の中で、人間がごく『最近』創り出したもの」であるから、人間が戦争を止めさせることができます(佐原真『戦争の考古学』)。しかし人知で地震を防ぐことはできないとすれば、事前事後の体制が問われます。地震予知研究の進展、発生後の救援体制の整備。フクシマなどの教訓が活かされたのか否か、たった2晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました。

 一言でいえば、「普通に生きられることの大切さ、ありがたさ」です。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障される毎日です。「自己責任」を優先し、「合理化・効率化」の名のもとに「格差社会の拡大」を推し進める「新自由主義」が生み出してきたのが「普通に生きられない社会」ではなかったか。

 「経済成長」を求めることをやめなければなりません。「身を切る改革」でなく、「無駄を大切にし、何事にも余裕をもたせる」、「無駄と思われる多様な選択肢を用意しておく」。「無駄」という言葉に否定的なニュアンスがあるとすれば、「今、必要ないこと」と置き換えてもいいでしょう。度重なる災害の教訓、「今は必要ないライフライン」の整備がいかに大事か分かっていたはずです。

 軍事同盟を解消し、あくまで「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する平和外交を展開、追及することが「日本国憲法」の要請です。軍拡でなく、軍備の削減、廃棄を追及し、莫大な「(人殺しのための)軍事費」を、「皆が普通に生きられる社会」造りに転用しなければなりません。被災者の方々に心を痛めるしかできない今、自己嫌悪するばかりです。

 75歳を明日にして。

(会報「非核・いしかわ」2024年1月20日号)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 非核の政府を求める石川の会が実施した「2023年度平和事業に関する自治体アンケート・集計結果」から『原爆写真パネル展』『原爆と人間展』等の開催計画を作成しました。

 今年は自治体主催で11か所、市民団体主催で8か所で計画されています。

2023年度 県内自治体における「原爆写真パネル展」等の開催計画
自治体名 展示内容 日程 会場 主催
自治体 市民団体
 0 石川県 ・平和のパネル展 8月2日~16日 石川県庁 19階展望ロビー    〇
 1 金沢市 ・原爆写真パネル展 7月26日~8月14日 泉野図書館  2階アートロビー  〇  
・原爆と人間展 8月6日 近江町いちば館前    〇
 2 七尾市 ・平和展 8月10日~18日 パトリア4階フォーラム七尾 多目的ホール  〇  
 3 小松市 ・原爆と人間展 8月7日~9日 小松市役所 エントランスホール    〇
 4 輪島市 ・清水正明・原爆絵画展 8月5日~16日 輪島市文化会館  〇  
 5 珠洲市          
 6 加賀市 ・原爆写真パネル展 8月3日~21日 加賀市市民会館 1階ロビー  〇  
・平和のための戦争展 8月1日~13日 加賀市中央図書館1階    〇
 7 羽咋市 ・原爆と人間展 8月5日~10日 コスモアイル羽咋    〇
 8 かほく市 ・原爆と人間展 7月25日~8月10日 うみっこらんど七塚・海と渚の博物館    〇
 9 白山市 ・原爆と人間展 7月28日~8月13日 白山市鶴来総合文化会館・クレイン    〇
・原爆と人間展 8月5日~9日 白山市市民工房・うるわし  
 10 能美市 ・原爆と人間展 8月9日~15日 能美市立寺井図書館ロビー    〇
 11 野々市市 ・原爆写真パネル展 8月11日~17日 学びの社ののいちカレード  〇  
 12 川北町          
 13 津幡町 ・原爆写真パネル展 8月1日~15日 津幡町役場 1階町民プラザ  〇  
 14 内灘町 ・原爆写真パネル展 8月10日~17日 内灘町文化会館エントランスホール  〇  
 15 志賀町 ・原爆写真パネル展 8月4日~18日 志賀町役場 1階ロビー  〇  
 16 宝達志水町 ・原爆写真パネル展 8月2日~18日 宝達志水町役場 1階ロビー  〇  
 17 中能登町          
 18 穴水町 ・原爆写真パネル展 8月14日~18日 穴水町役場1階ロビー  〇  
 19 能登町 ・原爆写真パネル展 8月7日~16日 能登町役場2階ギャラリー  〇  
           11  8

 

2023年度平和事業に関する自治体アンケート・集計結果

   非核の政府を求める石川の会が今年5月に実施した自治体アンケートでは、「原爆写真パネル展」の開催日程が未定のところが多かったため、7月半ばに各自治体総務課に再度照会しました。この結果、県内では自治体主催で12か所、市民団体主催で7か所、計17自治体で「原爆写真パネル展」を計画していることがわかりました(金沢市と加賀市では自治体、市民団体双方が開催)。未開催は珠洲市、川北町、中能登町の3自治体です。

 今年の質問項目は① 平和事業計画、②子どもたちへの平和教育施策、③非核平和宣言の周知方法・掲示場所・掲示開始年、④日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める自治体意見書です。

 自治体アンケートの集計結果を報告します。  印刷用PDF:49KB

 特別ゲストの中村涼香さんが月刊誌『いつでも元気』2023年2月号(全日本民医連編集)に寄稿した<巻頭エッセー>を紹介します。

2023年 年頭挨拶

コロナ禍、ロシア侵略を超えて

代表世話人 井上英夫

 今年は、まさに、非核石川の会の真価が問われる年になります。皆さんご無事でご活躍いただけるようお祈りいたします。 

人類の希望

ー基本的人権・平和的生存権

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機を思わせる時を迎えています。国内では、軍事大国か真の福祉国家か、選択が厳しく問われています。あらたな「戦前」を思わせる今、第二次大戦の悲惨な結果を踏まえて、1948、国連が世界人権宣言を発し、基本的人権の保障による平和確立への道を選び、1946年、日本国憲法もまた、国民主権、平和主義、基本的人権なかでも平和的生存権を掲げて出発したことを再確認する必要があります。

 日本国憲法前文は、人類そして日本の国、国民の進むべき普遍的原理を示しています。

 日本国民は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きないよう、「諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持」すると決意を述べます。そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖(戦争やテロ、暴力❘憲法九条)と欠乏(飢餓や貧困―憲法25条)から免れ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結んでいるのです。

 私たちの「人権のためのたたかい」(憲法97条)、人権保持のための「不断の努力」(同12条)により、戦後77年、まがりなりにも平和を維持してきたわけです。国際的にも、核不拡散条約、核兵器禁止条約等、核兵器廃絶への道を進んできました。

 ともすれば、ロシアによる侵略という事態に、世界そして日本の人々の人権・平和的生存権のためのたたかいが、水泡に帰したような無力感にとらわれそうになります。しかし、人権のためのたたかいを粘り強く続けることにより、希望も見えてきます。

憲法97条は、基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggleたたかい)の成果」であり、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」として託されたものである、と明言しています。さらに、憲法12条は、国民に憲法・基本的人権を「保持」するための厳しい「不断の努力」義務を課しています。

 憲法前文、とりわけ人権のためのたたかいを呼びかけている97条は自民党・政府にとってもっとも怖い条文です。それゆえ、自民党憲法草案では、前文は全面改訂、さらに97条は全文削除です。今こそ日本国憲法の価値は高まり、私たち非核石川の平和のためのたたかいの飛躍的発展が求められていると思います(この点については、非核いしかわ2022 年6 月20日付第 287 号に「ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか」で述べましたのでご覧ください)。

 ここでは、私が参加している「人権のためのたたかい」から生まれた二つの希望を紹介しましょう。

二つの希望

ーいのちのとりで裁判勝訴判決と日本高齢者人権宣言

⑴ いのちのとりで裁判勝利判決―潮目が変わってきた

 生活保護基準をめぐっては、老齢加算廃止と生活保護基準の引下げを違憲・違法としてその取り消しを訴えてきました。2004四年から2006年にかけて行われた老齢加算廃止に対する生存権裁判では、全国8か所で約120名の原告が立ち上がりました。しかし、勝訴判決は2010年6月14日の福岡高裁判決のみでした。

 現在のいのちのとりで裁判は、2013年から3回実施された平均6.5%・最大10%という史上最大の生活保護基準引き下げに対して、全国29都道府県、1000名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に闘っているものです。

 札幌や金沢、福岡等8地裁で敗訴が続きました。しかし、写真のように大阪、熊本、東京、横浜と裁判所が人権の砦としての使命を果たし、保護基準引き下げを違法と断じる勝訴判決が続き「潮目」が変わってきました。

 敗訴判決の続く中、原告の皆さんは、悔しさを乗り越え、勝つまでたたかう、死ぬまでたたかうと弁護団、支援する人々を勇気づけてくれました。あきらめず、闘い続けたからこその勝利判決です。ここでは、勝利判決の意義だけ述べておきましょう(詳しくは、私の「司法が動いた―生活保護基準引き下げ裁判で勝訴判決続く」ゆたかなくらし、2022年11月号、12月号をご覧ください)。

 ①生活保護を憲法二五条の保障する人権であると認めさせ、②権利はたたかう者の手にある、と再確認でき、すべての人の人権意識の高揚につながる、③生活保護にとどまらず社会保障削減政策への歯止めになり、自助・共助・公助論打破につながる、④生活保護バッシング、優生思想そして劣等処遇論への歯止めになる、⑤軍事費倍増・社会保障の削減、憲法改悪・戦争への「抑止力」になる、⑥最低生活から十分な生活・独立生活の保障へ発展させる契機になる。

⑵ 国連高齢者人権条約と日本高齢者人権宣言

 もう一点は、高齢者の人権保障の発展です。コロナ禍でも戦争でも、高齢者、子どもは最大の被害者です。国連では、「弱者」ではなく人権が最も侵害・剥奪されやすい(vulnerable)人々と呼び、コロナパンデミック、戦争に対する最も重要で有効な手段は人権保障システムの確立であるとしています。

(一)日本高齢者人権宣言

 昨年11月、京都での日本高齢者大会で「日本高齢者人権宣言」が宣言されました。高齢者の人権保障はもちろん、子どもから高齢者まですべての年齢の人々の人権保障を確立するたたかいが始まりました。

 日本高齢者人権宣言は、前文からはじまり、基本原理と年齢による差別の禁止、いのちと尊厳、身体の自由と安全、暴力23の人権を掲げています。さらに、国・自治体・企業の責任も明確にし、私たちの「不断の努力」義務を肝に銘じ、「さまざまな年齢の人々と連帯して、すべての年齢の人々の人権が保障される平和で豊かな長寿社会づくりに努力します」と人権のためのたたかいへの決意を述べています。

 日本の高齢者人権宣言の運動は、国連の高齢者人権条約作りと連動し、国連、各国NGOと連帯して進められています。

 (内容については、「日本高齢者人権宣言」でネット検索してください。昨年11月、日本高齢者大会で「第3次草案」が取れて確定しました)

 (二)国連高齢者権利条約と核兵器禁止条約 

 国連では、毎年作業部会が開催され高齢者人権条約制定作業が進められています。また、2015年には、北中南米35か国が加盟する米州機構が世界で最初に高齢者人権条約を採択し、国連全体の条約作りも加速化しています。 

 2017年7月、国連本部において第8回作業部会が開催され、その最終日7日には、核兵器禁止条約が採択されました。高齢者人権条約の会議は1階でしたが、2階の会議場でした。高齢者の人権条約制定運動は、まさに平和を求めるものですし、平和でなければ高齢者の人権と尊厳は保障されない。日本でいえば平和的生存権の確立であり、憲法9条と25条は一体である。この思いを強くした一日でした。

 高齢者の人権保障も平和的生存権が前提です。単に戦争がないと言うだけではなく(消極的平和)、人権がすべての人に保障されてこそ真の平和であり(積極的平和)、すべての年齢の人々とともに、高齢者の権利条約を創り人権を確立していく運動こそが平和を実現していくということが、実感できたわけです。

人権と平和的生存権の闘いの課題

 今後の課題についていくつか上げておきます。

 ①人権とは何か、確認する。②各分野の運動と連携・連帯を強める。とくに平和的生存権確立のための九条と二五条の運動の連帯が重要です。③地域、地方から国を変え、世界を変える。④国際連帯を強め国連を強化する。

突き詰めれば、平常時の分厚い人権保障こそ災害、コロナ禍等緊急事態においても大きな力を発揮すること。とりわけ、戦争の脅しに屈せず、軍事大国、戦争できる国ではなく、平和的生存権確立・人権保障大国こそ日本の歩む道ではないでしょうか。

 非核石川の存在意義はますます高まっていると思います。

 

 

 

2023年 年頭所感

「平和国家」はどこへいくのか

代表世話人    五十嵐正博

戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

 『世界』(2023年2月号)は、阪田雅裕元内閣法制局長官による「憲法九条の死」と題する論考を掲載しました。「憲法9条が掲げた『平和主義』は2015年に成立したいわゆる安全保障法制により危篤状態に陥っていたが、今般の国家安全保障戦略の改定によっていよいよ最期を迎えるに至った」と。

 本稿で、「日米関係」「日中関係」の近現代史を語る余裕はありませんが、そこに人類史上最悪の犠牲をもたらした加害と被害のおびただしい「事実」があったことを決して忘れてはなりません。これらの「事実」が「なかった」と主張した安倍政権は、2015年「集団的自衛権行使」を容認する「平和安全法制」を制定し「戦争ができる国」にしました。昨年12月16日、岸田政権は「防衛力の強化・防衛費の増額」を謳い、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」をも認める「安保関連3文書」を閣議決定し、「安保の大転換」にとどまらない「戦争をする国」へと突き進むことになります。今後5年で「軍事費GDP2%」にし、「世界第3位の軍事大国」にしようというのです。「軍事費の増大」自体は既定のものとされ、「財源」が焦点にされています。そうではない、「人の命」こそが問われなければなりません。「(3文書)策定の趣旨」は、次のように述べます。

 「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。・・・国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」「国防は、国民自らの責任」だと。「自らは安全な場所」にいながら、なんの心の痛みもなく、むしろ自らに酔いしれて、「国、国民を守るため」とうそぶく指導者。それをなんの批判もなく垂れ流すマスコミ。「軍隊は国民(住民)を守らない」、権力者は、国民を「捨て石」としか見ていない。人の世の不条理極まれり。「辛い」時代が続きます。

安倍「公安」内閣は、「特定秘密保護法」を成立させました。政権の「猜疑心」はとどまるところを知りません。岸田政権は、たとえば、陸上自衛隊の宮古・与那国への配備に伴い、住民監視のため「情報保全隊」をも配備する「周到さ」であり(また「土地利用規制法」により、個人情報が公安調査庁などに管理される)、はては、防衛省は「世論工作研究」に着手したと言われています。これが、わたしたちが住む国の暗闇です。沖縄戦犠牲者の遺骨の混じった土砂の採掘反対を訴えるガマフヤー、具志堅隆松さんは言います、「不条理のそばを黙って通り過ぎるわけにはいかない」、と。

 「異次元の少子化対策」は「徴兵制」の布石

 岸田首相は、本年正月、唐突に「異次元の少子化対策」を言い出しました。これも「財源」話で済むことではなく、「徴兵制」の前触れではないかと疑います。自衛隊は、少子化で採用難、充足率は約90%で推移し、2018年から「募集対象年齢の上限」を26歳から32歳に引き上げました。「産めよ殖やせよ、国のため」、戦争遂行標語の復活か?この標語は1939年、新設された厚生省が「結婚十訓」の一つとして発表したのが語源です。太平洋戦争に至り、たとえば、「軍部は、徴兵事務の面から体力向上と人口増強を要望し」、1941年1月、「人口政策決定」が閣議決定されました。(赤川学「新聞に現れた『産めよ殖やせよ』)同日発せられた厚生大臣談話は次のように述べます。「皇国の大使命たる東亜共栄圏を確立し・・・その中心であり指導者である所の我が国が、質において優秀、量において多数の人口を有せねばならぬ。このことは今次の欧州動乱の主流をなすところの各国の情勢に鑑みても痛感せられるのである。」

 「防衛計画の大綱」は、1957年の「防衛力整備計画」に始まり(当時国論が分裂しており、「大綱」策定に至らなかった)1976年、「昭和五二年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定されました。直近は、2018年に策定された「平成31年度大綱」(その前は「平成26年度大綱」)です。当初から国会の審議を経ることも、国民の信を問うこともありませんでした。「国民の命は政府が握っている」との認識は一貫しています。

 「31年大綱」は、「防衛力の中心的な構成要素の強化における優先事項」の最初に「人的基盤の強化」をあげ、「防衛力の中核は自衛隊員であり、自衛隊員の人材確保と能力・士気の向上は防衛力の強化に不可欠である。これらは人口減少と少子高齢化の急速な進展によって喫緊の課題となっており、防衛力の持続性・ 強靭性の観点からも、自衛隊員を支える人的基盤の強化をこれまで以上に推進していく必要があり、・・・このため、地方公共団体等との連携を含む募集施策の推進」(傍点は五十嵐)などの提言をしています

合従連衡が繰り返され、「帝国」はみな崩壊した

 この国の歴代政権、そして「本土」は、沖縄を犠牲にすることに何の痛みも感じることなく、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「大国づら」していた時代も終わっているかもしれません。世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、その通りです。しかし、「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、たとえ時間がかかっても、すべての「軍事同盟」、各国の「軍隊」を解体することです。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、ウクライナなどで戦火が交えられている現在、憲法9条の「最期」を見届けるのではなく、改めて憲法9条こそ世界に向けて広めなければならないと強く思います。

 

 

 

 

ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか 

               代表世話人  井上英夫

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機の中で、一人の人間として何をすべきか、何ができるか、悶々とする日々を送っています。コロナ禍、県外には一歩も出ず、草むしりに励みながら、世界と日本の行く末・将来を考えています。とりわけウクライナ侵略に対しては、非核・平和運動による平和的生存権の確立、9条と25条を守り発展させるという人権保障運動を続けてきた私達の努力、人生が全否定されたような無力感にも襲われています。

一 草むしり、で考える

 日々、「雑草」を引き抜き、取り除くべき生命ときれいだからと残すべき花と選別しているのです。ギシギシは薬用や食用になる限りで珍重されますが、他の花々を駆逐するとして排除され、最近は外来種が目の敵にされ、在来種の保護が強調されています。わが家でも地中海原産のレースフラワーなどは花がきれいだとせっせと増やし、セイタカアワダチソウ、ヨーロッパ原産のヒメリュウキンカなどの根絶を図っています。

 植物の世界とは言え、優生思想とゲルマン民族の優位性を唱え、ユダヤ民族そして障害のある人の抹殺・絶滅を図った、ナチスドイツのホロコーストと同じことではないか。プーチン・ロシアはヒットラーのナチスドイツに重なるのですが、戦前「自衛」の名のもとに朝鮮・中国等を侵略し、多くの国の人々の生命、財産、土地を奪い、毒ガス・細菌兵器すら使った日本軍・大日本帝国と瓜二つではないか。そして、雑草を引き抜く己の姿が、ヒトラー、プーチンに重なるのです。

 戦争の惨禍は、日本国憲法前文が言うように「政府の行為によって」もたらされるのですが、その政府をつくるのは国民であり私たち一人一人です。憲法は、「戦争の惨禍」を再び起こさせないという日本国民、私たちの決意から出発しています。私たちの決意が問われています。

 日本政府・岸田内閣は、ロシア侵略を好機に北朝鮮、中国の脅威をあおり、軍事費倍増、憲法改悪に突っ走ろうとしています。いまこそ、私たちの内なる優生思想を打破し、憲法改悪を阻止し人権とりわけ平和的生存権の真価を発揮し、ロシア侵略をやめさせ国際平和を確立すべき時だと思います。

中央社会保障推進協議会の機関誌『社会保障』は、私も参加して初夏号で「平和的生存権をまもれ9条・25条を一体で考える」という憲法特集を組んでいます。是非ご覧ください。

二 自民党改憲のねらいと憲法の意義

 自民党の2012年「日本国憲法改正草案」で、全文修正あるいは削除されているのは、前文と97条だけなのです。余り指摘されていませんが、この2点が憲法改悪論の最大の問題点だと思います。新憲法は、1946年憲法制定前後から数々の記念行事が行われ、花電車、紙芝居も登場し、大多数の日本国民の熱狂的支持を受けました。戦争の恐怖からまぬかれ、平和のうちに人間らしい暮らしがしたい―平和的生存権-というのは日本の人々はもちろん世界の人々の強い願望だったのです。この歴史の再確認こそ重要だと思います。

⑴ 憲法前文削除-平和的生存権の否定

 日本国憲法前文は、国民主権、平和主義、基本的人権の保障等、決して変えてはならない普遍的原理を掲げています。①日本国民は、恒久の平和を念願し、②人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、③平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、④われらの安全と生存を保持しようとした決意で始まり、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、平和的生存権をはっきりうたっています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国の進むべき普遍的な政治道徳を示しています。

 戦争やテロの「恐怖」から免れるために憲法9条で戦争、軍備を放棄し、「欠乏」すなわち飢餓や貧困から免れるために人権保障を掲げ、とくに25条で生存権、生活権、健康権、文化権の保障とその具体化として、国に社会保障、社会福祉、公衆衛生制度の向上・増進義務を課しているのです。

 人類は戦争やテロ、暴力により欠乏、すなわち飢餓や貧困を生みだし、他方、飢餓・貧困こそ戦争の原因となるという歴史をたどってきました。平和的生存権は、こうした歴史に終止符を打とうという人類初の挑戦であり、憲法はまさに世界の先頭を走っています。その意味で、前文、9条と25条、さらに人権の理念としての人間の尊厳を保障する13条は一体なのです。そして、平和とは単に戦争、暴力がない(消極的平和)というだけではなくて、人権が十分に保障された状態というべきです(積極的平和)。

 平和的生存権を謳う憲法の価値は、核兵器使用さえ公言するロシアのウクライナ侵略という第三次世界大戦の脅威を感じる今こそ高まっているというべきでしょう。

⑵ 憲法九七条削除-人権のためのたたかいの否定

 憲法97条は、憲法が日本国民に保障する人権は、①人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、②過去幾多の試錬に堪へ、③現在及び将来の国民に対し、④侵すことのできない永久の権利として託されたものである、と規定しています。

 ここで「努力」は英文憲法ではStruggleで、闘争・たたかいです。フランス革命、アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本でも自由民権の闘い等がありました。それらの闘いの最も大きな成果が人権の保障として日本国憲法に盛り込まれたのです。 

 憲法97条の国際的、人類的視点、たたかいによってこそ人権・権利は勝ちとれるという闘争史観、さらには不可侵の権利として次代の人々に託されるという未来志向を学ぶべきでしょう。自民党改憲草案が、人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、97条を全文削除しているのは、支配者や政府にとって一番「怖く」、敵視しているのが、この闘争史観だからだと思います。

 さらに、憲法12条は、「不断の努力」により、憲法9条、25条を守り、人権を豊かに発展させるという厳しい「保持」義務を国民に課しているのです。

⑶ 人間の尊厳の理念と自己決定・選択の自由及び平等の原理

 現代の人権保障の理念は、世界人権宣言前文、日本国憲法13条、24条にも示されているように、人間の尊厳(human dignity)です。この理念は、第二次大戦の残虐かつ悲惨な経験への反省から生まれ、優生思想・ホロコーストを全面的に否定するものです。

 人間の尊厳の理念は、すべての人が、唯一無二の存在であり、とって代われず、価値において平等であり、さらに具体化した自己決定・選択の自由さらには平等を原理としています。自己決定とは、自分の生き方、生活の質を自分で決めるということです。しかし、そのためには、いろいろな選択肢が用意されていなければならない。選択の自由が大前提となります。

 平等の原理とは、すべての人に等しく人権が保障されるということで、憲法14条は、法の下の平等を定め、不合理な「差別」を禁止しています。平等の中身も形式的な機会の平等から、実質的あるいは結果の平等が求められています。

三 憲法改悪阻止のために-平和と人権のためのたたかい

 現在、憲法の明文改悪は防いでいます。それは、日本そして世界の人々の「平和と人権のためのたたかい」(97条)と憲法を守り、発展させる「不断の努力」(12条)によるものに他なりません。

 反核・非核の平和運動は核不拡散条約・核兵器禁止条約を生み出していますが、国連の平和維持機能を充実・強化することが喫緊の課題です。被爆国であり平和憲法をもつ日本こそリーダーシップを発揮し、前文が示す国際的な「名誉ある地位」を占めるべきでしょう。

 憲法改悪の動きは加速化しています。平和憲法も良いが、理想的すぎる、現実はもっと厳しい、侵略されるから軍隊をもち、戦争し、敵国を攻撃しなければ、核も持たなければ、緊急事態に備えなければ、そのための憲法「改正」は必要だ、という声も強まっています。

 しかし、理想-憲法は、人類普遍の原理と言ってますが-を掲げ、現実を変えるため「たたかって」きたからこそ、紆余曲折はあっても危機を乗り越え、日本そして人類はここまで進歩してきたと思います。ロシア侵略に対しては、外交努力そして経済等の制裁、非暴力、人道的支援が「抑止力」になっています。さらには、世界の軍事同盟解消こそ、平和への現実的かつ近道なのではないでしょうか。

 人々の平和的生存権を求める国際世論とたたかいこそ、ベトナム戦争・冷戦構造を終わらせ、南アフリカの人種差別体制・アパルトヘイトを廃止させ、報復なしの虹の国建設の力となったことが、人類の進歩を示す歴史の教訓だと思います。                      (金沢大学名誉教授)

総会記念講演(要旨)

ロシアのウクライナ侵略、日本国憲法と「敵基地攻撃能力」「核共有論」

 代表世話人 五十嵐正博

【お断り】事前に公表した「レジュメ」では、標記のタイトルで話す予定でした。しかしそれらについてはすでに多くの論考があるため、講演では、マスコミでほとんど論じられていない「国連憲章においてなぜ集団的自衛権が認められることになったのか」、「否定されたはずの軍事同盟がなぜ存続し、拡大し続けるのか」、「軍縮ではなくなぜ軍拡の方向に向かうのか(SDGsのまやかし)」等について話しました。それらが現在のウクライナ問題の根本にあると考えるためです。

歴史から学ぶ

 2月24日以後、朝から晩まで、ウクライナの惨状がテレビ画面上に流れる。他方で、「大河ドラマ」のいくさ場面(殺し合い)を「娯楽」としてみている。このギャップは何なのか。

「我々が歴史から学ぶのは、誰も歴史から学ばないということである」、ビスマルクが言ったとされる言葉が妙に説得的に思える。私たちは「戦争の歴史」を何も学んでこなかったのではないか、第二次大戦後も世界のあちこちで戦火が絶えない。しかし、「人類の出現から450万年、戦いの歴史は8000年。4.5mの中の8㎜。戦争は人間がおこすものであるから、人間が捨て去ることができる」(佐原 真)。人類は、「歴史を学び」ながら、20世紀になって初めて戦争の違法化にたどりついたはずだ。

ヤルタ会談、サンフランシスコ会議と「拒否権」「集団的自衛権」

 人類が「戦争の違法化」を初めて宣言したのは、第一次大戦後、国際連盟が、締約国に「戦争に訴えない義務」を課したときであった。第一次大戦前、平和維持の一つの方法として、「勢力均衡方式」がとられたが、それは、軍拡競争により対立関係をいっそう激化させ、いったん戦争がはじまると二国間の戦争を同盟網を通じて世界戦争に拡大させてしまうことになった。それが第一次大戦であり、ここから「歴史を学ぶ」はずであった。

 第二次大戦が終わりに近づいた1945年2月、連合国3首脳(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)はクリミア半島の保養地ヤルタに会し、大戦後の処理(ドイツ分割統治など)を決め、新たに創設する国際機構(国連)の安保理における五大国の「拒否権」を認めることにした。

米州諸国は、第二次大戦終了後、侵略行為に対して共同で対処することを約束する地域的条約の締結を予定していた。国連憲章の原案では、こうした地域的条約に基づいて強制措置をとる場合に、安保理の「許可」が必要となる。ところがヤルタ会談で、安保理の表決手続きに拒否権制度が導入されたため、常任理事国の一国でも反対すれば許可は与えらないことになり、共同対処の約束は空文化する恐れがでてきた。

 そこで、安保理の許可を必要としない共同対処の方策として、武力攻撃を受けた国と連帯関係にある国にも反撃に立ち上がる権利「集団的自衛権」を認めることになった(第51条)。しかし、各国家、とりわけ常任理事国たる大国は、自ら武力攻撃を受けていない場合にも、自衛の名のもとに、安保理の統制を受けることなく武力を行使できることになり、このような権利を認めることは、実は、個別国家による武力行使をできるだけ制限しようとしてきた国際連盟以来の努力に逆行する道を開くことになった。

 1949年にはNATOが、1955年にはワルシャワ条約機構が設立されるなどの「軍事同盟」がつくられた。これらの軍事同盟は、いずれも「国連憲章51条によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して」といった規定がおかれている。1960年の「日米安保条約」では第5条(共同防衛)に「武力攻撃・・・その結果としてとったすべての措置は、国連憲章第51条の規定に従って・・・」とある。

国際社会の構造変化と「軍縮」の後退

 国連は51の加盟国で出発した。社会主義国(当初7カ国)は「人民の自決権」を強く主張し、植民地人民の独立を促し、やがて発展途上国の経済的自立に向けての「新国際経済秩序の樹立」に邁進する。その頂点の一つが1986年に採択された国連総会決議「発展の権利宣言」であった。「全面完全軍縮の達成」によって解放される資源が途上国の発展のために用いられるよう宣言したのである。

 SDGsに先立つMDGs(ミレニアム開発目標2000~2015)は、「過去10年間に500万人以上の命を奪った、国内或いは国家間の戦禍から人々を解放するため」、「大量破壊兵器(核兵兵器廃絶にも言及)がもたらす危険を根絶することを追求する」としたのであった。ところが、MDGs で「達成できなかったものを全うすることを目指す」べきSDGs は、「貧困撲滅」を最大の課題と位置付けながら、「2030年までに、違法な武器取引を大幅に減少させる」というのみで、「核兵器の廃絶」も「軍縮」も目標から消されてしまったのである。

ロシアによるウクライナ侵略

 ロシアによるウクライナ侵略は、明確に、武力行使禁止原則、紛争の平和的解決義務、不干渉原則、国際人道法に違反し、国際犯罪となるものであり、「国際法違反の見本市」の感を呈する(松井芳郎)。だが、ウクライナばかりに目を向けるわけにはいかない。「非欧米諸国は、大国による軍事行動の気まぐれな正当化によって、簡単に敵にされたり味方されたりするのだ。」(酒井啓子) アフガニスタン、イエメン、リビア、イラク、その他、世界から「忘れられた」国々。

日本国憲法と「敵基地攻撃能力(反撃能力)」「核共有(保有)論」

 この国は(も)、「歴史を学ばない」、「歴史を教えない」、それどころか、意図的に「歴史を否定し、改ざんし」、「誰も責任を負わないどころか被害者に責任を押し付ける」。唯一の戦争被爆国でありながら、米国の顔色をうかがって、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加もしり込みする。政府は、「国民の生命・安全を守る」といえば、そして対立と脅威をあおれば、憲法を無視してでもすべてが自在だと思っているようだ。改憲推進勢力は、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として、ここぞとばかりに世論を改憲の方向に誘導している。

 「国(軍隊)は国民の命を守らない」、「戦争の歴史から学ぶ」最大の教訓だ。9条改憲の先には「戦争ができる国」から「戦争をする国」そして「徴兵制」が待っている。決してそうさせてはならない。

◎5月21日、金沢市内で開いた非核の政府を求める石川の会第33回総会の記念講演(要旨)です。講師の神戸大学名誉教授・金沢大学名誉教授の五十嵐正博氏にまとめて頂きました。

 

 

2022年原水爆禁止国民平和大行進 県内行進がスタート

  6月11日富山県から引継ぎ、24日に福井県に引継ぐまで県内全自治体を歩く平和行進が始まりました。今年は「ロシア軍は今すぐ撤退を!」「国連憲章を守れ!」「核兵器は廃絶を!」と訴えて行進しています。

 今年は、北陸3県の通し行進者・泉行眞さん(日本山妙法寺金沢道場住職・金沢仏舎利塔)が、各市町で開く出発式or到着式で「ノーモア ヒロシマ ナガサキ ノーモア ヒバクシャ」「全ての国が核兵器禁止条約の批准を」と熱く語って行進しています。

 県内行進の前半(6月11日~17日)の写真特集をホームページにアップします。

 

 

2022年5月20日

石川県内各自治体総務課 御中

(非核平和施策担当課)

非核の政府を求める石川の会

2022年度平和事業に関する自治体アンケートの集計結果 送付にあたって

 4月20日~21日、県内各自治体に依頼した「2022年度平和事業に関する自治体アンケート」の集計結果をお送りします(別紙参照)。アンケートにご協力いただいた各自治体総務課の皆様に感謝申し上げます。

今年の平和事業アンケートは、次の5項目についてお尋ねしました。

  • 平和事業計画
  • 小中学校の平和教育施策
  • 非核平和宣言の周知方法・掲示場所
  • ロシアのウクライナ侵略への抗議決議
  • 日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める意見書

アンケート集約結果と本会のコメントは、以下の通りです。

自治体主催で「原爆写真パネル展」を開催しているのは

「原爆写真パネル展」を自治体主催で開催しているのは、金沢市、七尾市、加賀市、野々市市、津幡町、内灘町、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町の10自治体です。輪島市では清水正明医師の「原爆被爆絵画展」を開催しています。石川県、小松市、かほく市、白山市、能美市の5自治体は、市民団体主催の「原爆と人間」パネル展に公共施設を提供しています。核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝えるため、県内全ての自治体で「原爆写真パネル展」等が開催されるよう願っています。

 中学生の広島への修学旅行、夏休み中の登校日の平和集会は

 例年、七尾市、小松市、加賀市、白山市、能美市、川北町、中能登町の7市町では、平和学習等を目的とした中学生の広島への修学旅行、野々市市は「平和の旅」(毎年8月5日、6日、広島市平和記念式典に中学校生徒会代表10数人の派遣事業)を実施していましたが、コロナ禍でこの2年間は中止になっています。今年は、小松市と川北町が中学生の広島への修学旅行と野々市市の「平和の旅」が計画されています。コロナの収束により、他市町でも復活できることを願っています。

 夏休み中の登校日に平和集会や平和に関する教育を各校・各学級で創意工夫して実施しています。平和教育は、平和展において展示する絵、作品、標語等の作成、学校支援ボランティア(戦争体験等の歴史の話)、戦争平和に関する図書コーナーの設置、全校での平和の取組(本の読み聞かせ、本の紹介、動画視聴等)、教科(国語や社会等)での平和に関する学習の実施、被爆体験伝承者講和会(市内中学生が広島市から派遣される被爆体験伝承者の講話を受講)、図書委員会・掲示委員会における啓発活動など多様な方法でおこなわれています。

 今回のアンケート調査をご活用いただき、県内全ての学校教育において平和学習が実施されることを要望します。また会員の高齢化により今年3月末に解散した石川県原爆被災者友の会が2018年に制作、県内全ての小・中・高・大学・図書館に寄贈したDVD『この空を見上げて~石川・被爆者たちの証言』の活用も期待しています。

 非核平和宣言の周知方法

 非核平和宣言を標柱や懸垂幕等で掲示しているのは金沢市、七尾市、小松市、白山市、能美市、野々市市、川北町、津幡町、内灘町、志賀町、中能登町の11自治体です。今年新たに川北町が「平和都市宣言の町・懸垂幕」を作成しました。この懸垂幕は6月以降に川北町役場・文化センター前に掲示され、6月20日役場前で開く平和行進・出発式を歓迎してくれることになりました。また津幡町では昨年9月に庁舎を改修したときに「平和都市宣言の町・標柱」を新たに設置しています。本会も参加している平和行進石川県実行委員会が毎年要望してきた事項に応えていただいたものです。

 県内全ての自治体議会が「ロシアのウクライナ侵略への抗議決議」

 2月24日に始まったロシアのウクライナ侵略は、明らかに国連憲章と国際人道法に違反する行為であり、県内全自治体が3月議会にて、政府に対して国際社会と連帯し、あらゆる外交努力により、ロシアの軍事攻撃の即時停止、ウクライナからの即時無条件撤退を要望する意見書や決議を可決しています。さらに、プーチン大統領の核兵器使用を示唆する発言は、「唯一の戦争被爆国として、断じて容認できません。議会では1992年に『平和都市宣言』を決議し、加えて昨年、政府に対し、核兵器禁止条約への参加を求めたところであります(内灘町)」、「核を持つことで他国を侵略する際に有効に働く、また核兵器を持つことで侵略時にその他の国の軍事介入を抑圧できるという誤った認識が世界に広がることは決して認められるものではなく、プーチン大統領の考えは否定する必要があります(中能登町)」など核保有国の「核抑止」論を明解に否定する意見書もありました。

 日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める意見書

 プーチン大統領が核兵器による威嚇をおこない、核兵器使用が現実味を帯びている重大な局面で、6月に核兵器禁止条約第1回締約国会議が開催されます。日本世論調査会の世論調査では、日本の「核兵器禁止条約への参加」に71%、「締約国会議への参加」に85%の支持があります。日本政府がこれまで掲げてきた核保有国と非核保有国との「橋渡し」を行うためには、(少なくても)締約国会議にオブザーバー参加する必要があります。

「日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める意見書」提出は現在、632自治体(35.3%)に広がっています。しかし県内では白山市、内灘町の2自治体に留まっています。

 今年3月議会で県内全ての自治体が「ロシアのウクライナ侵略への抗議決議」を可決したように、当会では引き続き、全ての自治体から政府に「核兵器禁止条約への参加を求める意見書」を提出していただくよう働きかけていく所存です。非核平和施策担当課の皆様のご高配をお願い致します。

以上

 

【抗議声明】

ロシア連邦大統領

ウラジミール・プーチン 殿

ロシアによるウクライナ侵略に厳重抗議し、

軍事行動の中止とロシア軍の撤退を求める 

 2022年2月28日

非核の政府を求める石川の会

 ロシアのプーチン政権が2月24日、ウクライナへの侵略を開始したことに厳重抗議し、軍事行動の中止とロシア軍の撤退を強く求める。

 今回の軍事行動は、主権国家に対する一方的な軍事攻撃であり、武力行使を禁止した国連憲章、国際法を踏みにじる行為であり、断じて容認できない。

 プーチン大統領は、ウクライナへの軍事侵攻の前、2月19日核弾頭も搭載可能な大陸間弾道ミサイルの発射訓練をおこない、さらに24日には「現代のロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」「我が国を攻撃すれば、壊滅し、悲惨な結果になることは疑いない」と発言し、核兵器の先制使用も辞さない構えを見せている。

 これは昨年1月に発効した核兵器禁止条約が禁止している「核兵器の使用」及び「核兵器による威嚇」を示唆するもので明白な国際法違反である。

 また本年1月3日、核保有5大国(米ロ英仏中)がNPT再検討会議の延期にあたり発表した「核戦争阻止と核軍拡競争回避に関する共同声明」において、「我々は、核戦争は勝利はありえず、けっして戦ってはならないものであることを確認する」と謳っていることにも反する重大行為である。

 私たちは、核戦争の防止、核兵器の廃絶を願うすべての人々と連帯し、プーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻の即時中止とロシア軍の撤退を強く求めるものである。

 

◎非核の政府を求める石川の会は、2月28日在日ロシア連邦大使館宛に標記の抗議声明を送りました。

 

 

<年頭所感>

池明観(T・K生)さんを偲んで

加害者責任と東アジア共同体構想

代表世話人 井上英夫

 

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 コロナ禍を奇貨として、貧困・不平等の拡大、社会保障削減そして軍事費増大と改憲の加速化が図られ平和的生存権が脅かされています。危機、緊急事態においてこそその国、社会、私たちの生き方が問われます。

 「禍を転じて福となす」。今年は、日本の核兵器禁止条約参加、批准をはじめ非核自治体・政府づくりへ大きく一歩を進めましょう。

 元日に韓国の宗教哲学者池明観(チ・ミョングァン)さんが亡くなられました。97歳でしたが、日本、アジアそして世界の未来を考えるときまこと に惜しい人を無くしました。金沢にも縁の深い人でしたが、非核石川の会の皆さんにとっては、「T・K生」のほうがなじみが深いかもしれません。

 

「韓国からの通信」ー「T・K生」として

 池さんは、1973~88年、T・K生として雑誌『世界』に「韓国からの通信」を連載し、朴正煕、全斗煥の両軍事政権による反体制派への拷問や労働者への人権侵害等民主化運動弾圧の実態を告発しました。自身が「T・K生」であったことを明らかにしたのは、2003年になってからでした。

 ちなみに、T・K生そして韓国民主化運動を支援したのは『世界』の編集長でのち社長になる安江良介氏ですが、金沢大学法文学部出身です。

 池さんは、1993年韓国に帰国、98年からの金大中(キムデジュン)政権で、日本の大衆文化に対する警戒感が根強かった中、早期開放を主張し、韓国で日本の歌謡やドラマ、アニメなどが広く親しまれるようになっています。

韓国では2004年まで翰林大学校教授も務めた他、KBSテレビ理事長や日韓共同歴史研究の韓国側代表などを歴任しました。

 池さんは、韓国の民主化に力を注ぎ、日韓の関係改善に力を尽くしたわけですが、金沢大学法学部そして私自身大変多くのことを教えていただきました。

 「韓国からの通信」に衝撃を受けたのは、早稲田大学大学院院生の時でした。1973年8月8日、金大中が韓国中央情報部 (KCIA) により東京都千代田区のホテルから拉致され、船で連れ去られ、海に投げ込まれ殺されそうになりながら、5日後にソウル市内の自宅前で発見されたのです。金大中は暗殺を恐れ、都内を転々としていたそうです。その一つのアパートは、高田馬場駅近く、早稲田大学に至る早稲田通りにありましたから、私はその前を何も知らず通っていたわけです。

 

日本の加害者責任・戦後補償と日韓の相互理解

 金沢大学法学部としては、日本軍慰安婦等に関する戦後補償すなわち日本の加害者責任に取り組んだ日韓共同研究があります。その成果は、『日韓の相互理解と戦後補償』として2002年に日本評論社から出版されています。池さんは、当時韓国の翰林大学校日本学研究所所長でしたが、金沢大学法学部の五十嵐正博本会代表、名古道功さん、学術会議問題で任命拒否された岡田正則さんと並んで編者になっていただきました。

 私は、五十嵐さんと日本軍慰安婦問題を担当し、1997年から99年、ソウルのナヌムの家、山の中の論山、そして釜山等、慰安婦とされたオモニと行政担当者から話を伺い、その結果をまとめました(第2章 戦争被害の実相と日本の戦争責任、「Ⅰ. 戦争責任の構造と『従軍慰安婦』問題」および「Ⅲ. 『従軍慰安婦』と戦後半世紀―聞き取り調査等から」)。

 池さんは、総論において「本研究の意義」を執筆していますが、世界史的観点から、21世紀の日韓関係についての展望を示しています。

日本軍慰安婦、徴用工問題をはじめ現在最悪と言われる日韓関係についてのみならず、世界の、そして何より日本の私たちの非核の政府・核廃絶運動についても示唆に富むものです。

 「なぜ戦後半世紀を超えた今日において日韓のあいだにおいてなお戦後補償が問題になるというのだろうか」

と問いかけます。

 その原因として、①半世紀のあいだにそれこそ真摯にとりあげられたことがなかったこと、②かつてとは違って、いまは日韓両国民が成熟した市民社会に向けて確かな歴史認識を持つようになってきたこと、③21世紀が20世紀の過ちを否定して和解と協力を求めねばならない時代であると日韓両国の市民が自覚していること、をあげています。

さらに、戦後補償は、「単なる金銭的補償を意味するのではなく、21世紀を創造的に生きようとする決意を示すことであり、それでこそ国民的相互理解が成立する」というのです。

 したがって、戦後補償問題は、1965年日韓条約やその後の「補償」により解決済みとする日本政府や一部識者、反韓国勢力の主張に対し、「いま戦後補償の問題は日韓条約におけるのとは違った次元において問われ」、かつては「政治・経済の問題であり、政府間の問題」であったが、いまは「国民的和解と交流と協力のための問題」であり、「日韓両国民が手を携えて東アジアの協力と繁栄を追及するための問題」である、と喝破しています。

 「過去の間違った時代の重荷を肩からおろし、その傷を癒そうとすることは成熟した国家の行為であり、品位ある国民の行動であるといえるのではなかろうか」と。

 

日本国憲法と平和的生存権

 こうした、歴史観、世界的観点は、まさに、日本国憲法に通じるものです。憲法前文は、「われらは政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」することから出発し、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しているのですから。

 さらに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・・・この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」と言っています。

 

 未来への歴史と東アジア共同体構想

2001年、私は金沢大学の院生とともに韓国ソウルでKBS(韓国放送公社)理事長であった池さんの講義を受けました。

 院生だった現愛媛大学の鈴木靜さんは、「歴史とは将来の平和の視点から考えるべきで、おおよそのことは些末なことに過ぎない。しかし、些末なことを手のひらから振り落としても残る事柄がある。この残る事柄こそ、真剣に考えることです」という言葉が、ナヌムの家訪問の後でもあり、深く印象に残っているそうです。

 私が感銘を受けたのは、「東アジア共同体構想」です。現在、イギリスの脱退問題等EUが揺らぎ、そして中国の海洋進出、一帯一路構想等不安が増大していますが、アジアの進むべき道は、少なくとも日本、韓国、中国が仲良くし、共同体を形成する以外にないというものです。過去の歴史を踏まえ、現在を考え、そして未来へとつなぐ、未来志向の姿勢を学びました。

 あらためて池さんは、本当に偉い人だったと思います。偉ぶらず、謙虚で、いつも笑顔を絶やさない。学生たちにも優しく接してくれました。

 韓国に行くと、私たちは留学生、韓国の人々と一緒にカラオケで「演歌」をうたいます。日本文化開放という池さんの偉大な業績の一つを大いに謳歌させてもらっているわけです。

 改めてご冥福をお祈りします。

<年頭所感>

「理解不能なことばかり」

代表世話人 五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。

 コロナ禍の下、沈鬱な空気が世界を覆っているようです。コロナ禍は、私たちに「人知の及ばぬ世界」があることを改めて気付かせました。人間の「おごり」を戒めるかのようです。世界の各地で深刻な人権侵害が、そして植民地支配も続いています。核兵器が瞬時にして人類を絶滅させ、温暖化が、地球環境、生態系をじわじわと蝕んでいく、「わかっちゃいるけど止められない」サガを人間は捨て去ることができないままです。そうした事態を止めようと、世界中で、日々抗議し、抵抗する多くの人々の姿もあります。核兵器の廃絶を願い、あるいは、地球危機を防ごうという若者たちの「抵抗の輪」が希望の光です。

 今年は、「沖縄返還」、「日中国交正常化」から50周年、政府は、沖縄の民意を一顧だにせず、日中関係は融和と緊張を繰り返しています。「画期」にどれだけの意味があるか、少なくとも来し方を振り返り、未来への展望を考える契機にしなければなりません。

 私の日常も様変わりし、一昨年1月から昨年11月までただの一度も県外にでたことはありません。その間にも、格差社会は急速に進み、意図的に「脅威・対立」をあおりつつ、改憲の策動が加速されつつあります。「もりかけさくら」など「臭いものにはフタ」をされたまま。

 本稿では私がずっと、あるいは最近、不思議に思っていること、しかし、なぜか世の中の関心を呼ばないいくつかを「新年雑感」として記すことにします。

 

池明観さん・戦後補償・拉致問題

 池さんについては、井上さんが「所感」で述べられていますので、私が付け加えることはありません。池さんは、20年前、戦後補償問題が顕在化した理由を、日韓における「成熟した市民社会」「確かな歴史認識」の出現にあると指摘されました。

 それらは、今、どこにいってしまったのでしょうか。とりわけ、安倍政権以降、加害者(日本)が被害者(韓国)に高圧的な態度をとり続ける傲慢さ・理不尽さは、池さんの期待を砕くものです。また、歴代内閣が、「北朝鮮を激しくののしってきた」少なくとも5名(特に第2次安倍内閣の2名)の日本会議国会議員懇談会所属の重鎮を、拉致問題担当相に任命してきたことは、到底理解に苦しみます。北朝鮮に「もっと圧力を」と主張する安倍さんたちは、北朝鮮に「ケンカを売る」ことが拉致問題の解決になると思っているのでしょうか。

 

日米同盟・コロナ禍・米軍「即応態勢」

 日米間で「同盟」の用語が最初に現れたのは、1981年、レーガン・鈴木「日米共同声明」でした。それまで「同盟」は「軍事同盟」を意味し、憲法9条に反するがゆえに、自民党でさえその使用を避けてきたのです。以来40年、今では、見るだけ、聞くだけで身震いする「軍事造語」(「敵基地攻撃能力」「遠征前方基地作戦」「水陸機動団」など)が飛び交っています。

 日米首脳会談が行われるたびに同盟が「強化」「深化」され、「思いやり予算」は「同盟強靭化予算」と名を変え、対米従属が「強化・深化」されます。毎日のように聞かされる「自由で開かれたインド太平洋」という常套句は、「アメリカがインド太平洋の覇権を維持し続けたい」という意味です。もっとも、中国にも「尊敬される国」になってほしいと願います(もちろん日本もアメリカもすべての国が)。

 さて、「米軍由来のコロナ蔓延」、当該自治体もマスコミもそう言います。日米地位協定の改定が必要、日本はアメリカの属国かといった議論がなされています。米軍のいい加減なコロナ対策は、実は、米軍は「台湾のため、尖閣のために中国と一戦を交えるつもりはない」ことの証です。軍隊に求められるのは「即応態勢」、「求めがあれば今夜にも戦える」態勢。そのためには「隊員の健康状態が良好に保たれている必要がある」(米軍関係者の言葉)。

 コロナ禍で明らかになったのは、米軍は「即応態勢」をとっていない、とるつもりもないことでした。「だから、地位協定を改定し、米軍にコロナ対策をしっかりさせよう」ではなく、「そもそも軍事基地はあってはならない、むしろ有害そのもの」なのです。

 

MDGs・SDGsと軍縮・核兵器廃絶

 SDGsをめぐる話題で持ち切りです。しかし、SDGsの前身MDGs(ミレニアム開発目標)の話はほとんど聞いたことがありません。これも不思議なことです。2000年9月、国連総会が「新たな千年期(ミレニアム)の黎明に際して」採択したのがMDGs。最初に掲げられた目標は「平和・安全・軍縮」であり、その中で、「大量破壊兵器とりわけ核兵器の廃絶に向けて努力」することも決意しました。

 ところがどうでしょう。SDGsは、「貧困の撲滅が地球の最大規模の課題」と位置付けます。そして、「MDGsで残された課題への対応」をうたい、「平和なくしては持続可能な開発はあり得ず、持続可能な開発なくして平和もあり得ない」としながら、核兵器、軍縮の用語を消し去ってしまいました。重大な後退と言わなければなりません。

 国連がSDGsを採択したのは2015年9月、核兵器禁止条約が採択される約2年前でした。核兵器を保有する5つの安保理常任理事国は、核禁条約の批准を頑なに拒み続けています。本年1月3日、それら5カ国は、突如、「核戦争に勝者なし」声明を発しました。国連事務総長が述べたように、「核リスクを排除する唯一の方法は、すべての核兵器を廃絶すること」です。

 最後に、「武力による威嚇、武力の行使は禁止される」、これが国際法の大原則であることを決して忘れてはいけません。改憲を阻止し、核兵器の廃絶を目指して、みなさんと共に微力を尽くしたいと思います。

 今年もよろしくお願いします。

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2021年6月10日

石川県内各自治体総務課 御中

(非核平和施策担当課)

非核の政府を求める石川の会

2021年度平和事業に関する自治体アンケートの集計結果  送付にあたって

   5月10日~14日、県内各自治体に依頼した「2021年度平和事業に関する自治体アンケート」の集計結果がまとまりましたのでお送りします(別紙参照)。アンケートにご協力いただいた各自治体総務課の皆様に感謝申し上げます。

 今年の平和事業アンケートは、次の4項目についてお尋ねしました。

  • 原爆写真パネル展等の開催計画
  • 被爆者援護施策
  • 子どもたちへの平和教育施策
  • 核兵器禁止条約に関する各自治体(知事・市長・町長)の見解

アンケート集約結果と本会のコメントは、以下の通りです。

「原爆写真パネル展」を自治体主催で開催しているのは?

 「原爆写真パネル展」を自治体主催で開催しているのは、金沢市、七尾市、加賀市、野々市市、津幡町、志賀町、宝達志水町、能登町の8市町です。この外、輪島市では清水正明医師の「原爆被爆絵画展」を毎年夏に各中学校や公共施設で開催しています。石川県、小松市、かほく市、白山市では、毎年住民団体が主催する「原爆と人間」パネル展に公共施設を提供しています。

 このうち能登町では、昨年1月に移転した新庁舎の2階町民ギャラリーにて「パネル展」を初めて開催することになりました。この「パネル」は、当会も参加している平和行進実行委員会が県内の被爆者の方から託されて能登町に寄贈したものです。核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝えるため、県内全ての自治体で「原爆写真パネル展」の開催を要望してきたことが今夏、一歩前進します。

 また石川県では全ての自治体が「非核・平和都市宣言」を決議しています。平和行進実行委員会では非核平和宣言塔や懸垂幕の新設・改修を毎年、各自治体に要望してきましたが、内灘町から老朽化した非核平和宣言塔(2か所)の改修工事をおこなったとの報告がありました。

被爆者援護施策は県の施策がほとんど/石川県原爆被災者友の会が来年3月末に解散

 被爆者援護施策については県の施策が大半であり、加賀市以外では独自施策の記載はありません。県の施策にある「県内在住の被爆者で構成する団体」=石川県原爆被災者友の会のニュース(2021年4月号)によると、「石川県内の被爆者は現在64人、平均年齢は85歳。会の存続について被爆者手帳所持者全員に問合せると7割の方から返事があり、全員、閉会やむなしとの回答だった。会の存続につき、県と金沢市に報告し、今年度(2021年度)末に閉会する。」とのこと。戦後76年となり、被爆者の高齢化で運営が困難になり、石川県原爆被災者友の会が来年3月末に解散します。石川県はじめ各市町による被爆者援護施策の継続・拡充を切望します。

 広島への中学生の修学旅行、夏休み・全校登校日の平和集会はコロナ禍で大半が中止に

 七尾市、小松市、加賀市、白山市、能美市、川北町、中能登町の7市町では、毎年実施している平和学習等を目的とした広島への中学生の修学旅行、野々市市が毎年8月5日、6日、広島市平和記念式典に中学校生徒会代表10数人を派遣している「平和の旅」が新型コロナウイルス感染症拡大のため、2年連続で中止になっています。

 例年、夏休み中の全校登校日に平和集会を開催していた自治体の小中学校では、コロナ禍で夏休みが短縮され、全校登校日は設定されなかったが、各学級において平和学習が実施されています。

 平和教育は、平和展において展示する絵、作品、標語等の作成、学校支援ボランティア(戦争体験等の歴史の話)、戦争平和に関する図書コーナーの設置、全校での平和の取組(本の読み聞かせ、本の紹介、動画視聴等)を行う、国語や社会等、平和に関する学習の実施、被爆体験伝承者講和会(市内中学生が広島市から派遣される被爆体験伝承者の講話を受講)、図書委員会・掲示委員会における啓発活動など多様な方法で行われています。

 今回のアンケート調査をご活用いただき、県内全ての自治体の学校教育において平和学習が実施されることを要望します。また石川県原爆被災者友の会が制作、県内全ての小・中・高・大学・図書館に寄贈されたDVD『この空を見上げて~石川・被爆者たちの証言』の視聴も期待しています。

 核兵器禁止条約に関する各自治体(知事・市長・町長)の見解について

 核兵器禁止条約は、核兵器の生産・保有・使用・使用の威嚇など全面的に違法とする初めての国際条約です。今年1月の核兵器禁止条約の発効により、「核のない世界」の実現は想像から創造する時代へ、「核兵器による安全保障」から「核兵器なき世界による安全保障」へと大きく舵を切りました。世論調査では、国民の7割が核兵器禁止条約への日本の参加を求め、地方議会の意見書も3割を超えています。国民の意思は明確です。

 しかし、上記の設問について、「条約の署名・批准については国の専管事項であることから回答を控えさせていただく」「国の動向を注視する」が14自治体、「記載なし」が4自治体あり、「この条約の発効が、世界の恒久平和と核兵器の廃絶につながる契機となることを願っています」など条約の発効を是認する回答は2自治体だけでした。

 県内では全自治体が「非核・平和都市宣言」を決議しており、また都市の連帯を通じて核兵器のない平和な世界の実現をめざす「平和首長会議」に全市町が加盟しています。条約の発効を受けて、唯一の戦争被爆国にふさわしく日本政府に核兵器禁止条約への参加、署名、批准を求めるのは「非核・平和都市宣言」自治体として、また「平和首長会議」加盟都市としてごく自然なこと、当たり前のことではないでしょうか。

 当会では今後、全ての地方議会から政府に「核兵器禁止条約への参加を求める意見書」を提出していただくよう働きかけていく所存です。非核平和施策担当課の皆様のご高配をお願い致します。

以上 

<追記>

 今回の平和事業に関する自治体アンケート集計結果を非核の政府を求める石川の会ホームページ(http://hikakuishikawa.com/)に掲載しました。ご活用いただければ幸いです。

 当会では非核・平和行政の充実をもとめて、今後も県内各自治体担当課への取材・懇談や調査活動を継続していきますのでご協力をお願い致します。

 

 

 

< 書評 >

『記憶の灯り  希望の宙へーいしかわの戦争と平和』によせて

代表世話人  井上英夫

 

 A4判・132頁 オールカラー 定価:1300円(税込み)

 昨年8月15日、日本敗戦の日、『記憶の灯り 希望の宙へ   石川の戦争と平和』が、石川県平和委員会と戦争をさせない石川の会より発行されました。

 本書の執筆者、そして内灘闘争をはじめ石川県の平和運動のリーダーの一人莇昭三さんは、本書発行直前の7月19日に亡くなり、そのたたかいの歴史に幕を閉じられました。

 莇さんは、編集後記で、「読者や戦跡への訪問者が、『そうだったのか、やっぱり戦争に反対しなければ!』と心が駆り立てられる冊子であってほしい。その願いは、今、実現したように思える。若者たちには、75年前の戦争が遠い昔話でなく、歴史に向き合うことは、君たちの未来につながる道標となることを、強く伝えたいと思う。」と述べています。

被害と加害そしてたたかいの歴史

 内容は、大きく四つ、⑴ 天皇の軍隊 加害の歴史、⑵ 国民・兵士 被害の歴史、⑶ 混乱と復興の狭間で、⑷ 逆流に抗い平和を守る、となっています。

 被害の歴史では、兵士、銃後の人々、そして満蒙開拓団等が取り上げられています。中でも衝撃的なのは、日中戦争、アジア・太平洋戦争で軍人軍属の戦没者は約230万人、しかし、そのうち140万人は餓死者で、6割強にのぼったということです。そして莇さんの綿密な調査で石川の兵士の戦死は26,615人、どこで、どれだけ「戦死」したのか明らかにされています。

 本書の最大の特色と意義は、加害の歴史を取り上げていることだと思います。1898年には第九師団司令部がおかれ、軍都金沢の象徴となり、南京攻略戦(大虐殺)の主力としても投入されるわけです。七三一部隊についても石井四郎隊長は四高出身で、敗戦後逃げ帰った上陸地は金沢でしたし、金沢医科大、後の金沢大学医学部には部隊関係の医師が入り、学長にさえなっています。

 私は、大学で戦争と平和、人権について講義し、日本軍慰安婦、植民地におけるハンセン病政策も加え、とくに加害の歴史を語ってきましたが、歴史の歩みを眼前に見ることができる例として、野田山墓地へ足を運ぶように勧めてきました。

 野田山墓地には、戦争捕虜と日本軍兵士の墓があります。大きくて将校の墓は立派ですが、一般兵士の墓は小さい。さらに1940年からの日露戦争のロシア兵捕虜の墓もありますが立派なものです。まだ、軍、国、日本社会に、捕虜に対し人道的扱いをする「武士道精神」も残っていたのでしょうか。しかし、朝鮮の植民地化、アジア・太平洋戦争へと突き進む中、「堕落」は進んでいきます。

   行きつくところ、人々の踏みつける道路の下への尹奉吉(ユン・ボンギル)の遺体の暗葬です。尹奉吉は、日本の侵略と植民地支配に抵抗し1932年に上海で爆弾を投げ軍人たちを殺傷し、金沢で銃殺されたのでした。1946年ようやく発掘され、1992年暗葬の地に碑が立ち、近くに「殉国記念碑」も建立されています。私は、ソウルの梅軒尹奉吉記念館そして上海魯迅公園内につくられた梅亭も訪問しています。

 日本にとっては、テロリスト尹奉吉も、植民地にされた朝鮮、そして侵略された中国の人々にとってはまさに「義士」であり英雄です。加害の歴史には目をふさぎたい、避けて通りたい、無かったことにしたい。これが、多くの日本の人々とくに若い人達の偽らざる気持ちではないでしょうか。「踏んだ側は忘れても、踏まれた側は痛みを忘れない」といわれますが、加害の歴史に正面から向き合うことの覚悟と勇気こそ今求められているのではないでしょうか。今とくに問題となっている日本軍慰安婦、徴用工問題もこの姿勢を示せば道は開けると思います。

現地・現場主義と想像力

 本書は、「戦争の痕跡をたどり、悲惨な記憶を学び、未来へ手渡す」ことを目的としているわけですが、現地に足を運び、現場を見ることの大事さを痛感しています。私は、社会保障裁判やハンセン病問題、そして人権・平和問題にかかわってきましたが、現地・現場主義を法学研究の基本に据えてきました。

 2016年4月、最高裁判所は、裁判所外の「特別法廷」で開かれたハンセン病患者に対する裁判を裁判所法違反、さらには不合理な差別であったとして実質的には憲法14条違反の差別と認め、謝罪しました。私は、この件で設けられた有識者委員会の座長を務めました。調査委員会を構成する裁判官そして有識者委員にハンセン病患者の「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」による差別・人権剥奪の実態、その空気を知ってもらうことが何より大事だと考え、群馬の栗生楽泉園、熊本の菊池恵楓園を訪問しました。

 委員の皆さんが、とくに「ショックを受けた」のが栗生楽泉園に復元された重監房でした。もちろん、復元されたもので、マイナス20度にもなる極寒、餓死するような食事、悪臭も、ノミや南京虫もありません。しかし、アウシュビッツに匹敵するような残虐な実態にふれ受けた影響は計り知れないほど大きかった。

 同時に、現地・現場主義といっても限界はあります。すべての戦跡や生命権はじめ人権剥奪の現場に立てるわけではありません。血の匂いを嗅げるわけではありません。それを補うのが想像する力だと思います。本書は、まさにその想像力を掻き立てる力があると思います。

平和的生存権と人権のためのたたかい

 改めて憲法の輝き、力、そして人々の人権のためのたたかいの正当性に確信が持てました。憲法は、周知のように国民主権、平和主義、基本的人権を3本柱にしています。県内には憲法記念碑、憲法九条の碑そして非核・平和の標柱等が沢山あります。

 憲法前文は、平和的生存権をかかげています。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、と。

 ここにある「恐怖」とは戦争やテロ、「欠乏」とは飢餓や貧困です。したがって前者については、憲法9条で、後者については憲法25条を基底とする26条の教育権、27、28条の労働権、労働基本権等の人権いわゆる社会権を保障しているわけです。

 この意味で、憲法9条と25条は一体である、戦争・平和と生命・生存・健康で文化的な生活を保障する人権保障は一体であることを再確認した次第です。さらには、日本国民だけでなく、「全世界の諸国民の公正と信義に信頼し、私たちの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で述べていることも強調しておきたいと思います。

 そして、本書がたどっている内灘闘争をはじめとする平和的生存権のためのたたかい、とくに非核・平和の自治体づくりは2006年、県内全自治体の「非核・平和自治体宣言」決議を生み出していることも紹介されています。

 日本国憲法97条は、憲法の保障する人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(たたかい)の成果」であると明言して、私たちの平和と人権のためのたたかいの正当性にお墨付きを与えています。

 そして、本書発行はまさにこのたたかいの一環であり、この成果を生かすことこそ、憲法12条が定める、憲法、人権を保持するために私たちに課せられた「不断の努力」義務をはたすものに他ならない、と思います。

 現在のみならず未来を見据えるとき、日本の歴史とくに近・現代史を学ぶことが必要だと思います。本書を教材とした平和、人権教育を学校教育、社会教育の場で保障する、そのためのたたかいを提言します。

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