会の活動紹介

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2021年6月10日

石川県内各自治体総務課 御中

(非核平和施策担当課)

非核の政府を求める石川の会

2021年度平和事業に関する自治体アンケートの集計結果  送付にあたって

   5月10日~14日、県内各自治体に依頼した「2021年度平和事業に関する自治体アンケート」の集計結果がまとまりましたのでお送りします(別紙参照)。アンケートにご協力いただいた各自治体総務課の皆様に感謝申し上げます。

 今年の平和事業アンケートは、次の4項目についてお尋ねしました。

  • 原爆写真パネル展等の開催計画
  • 被爆者援護施策
  • 子どもたちへの平和教育施策
  • 核兵器禁止条約に関する各自治体(知事・市長・町長)の見解

アンケート集約結果と本会のコメントは、以下の通りです。

「原爆写真パネル展」を自治体主催で開催しているのは?

 「原爆写真パネル展」を自治体主催で開催しているのは、金沢市、七尾市、加賀市、野々市市、津幡町、志賀町、宝達志水町、能登町の8市町です。この外、輪島市では清水正明医師の「原爆被爆絵画展」を毎年夏に各中学校や公共施設で開催しています。石川県、小松市、かほく市、白山市では、毎年住民団体が主催する「原爆と人間」パネル展に公共施設を提供しています。

 このうち能登町では、昨年1月に移転した新庁舎の2階町民ギャラリーにて「パネル展」を初めて開催することになりました。この「パネル」は、当会も参加している平和行進実行委員会が県内の被爆者の方から託されて能登町に寄贈したものです。核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝えるため、県内全ての自治体で「原爆写真パネル展」の開催を要望してきたことが今夏、一歩前進します。

 また石川県では全ての自治体が「非核・平和都市宣言」を決議しています。平和行進実行委員会では非核平和宣言塔や懸垂幕の新設・改修を毎年、各自治体に要望してきましたが、内灘町から老朽化した非核平和宣言塔(2か所)の改修工事をおこなったとの報告がありました。

被爆者援護施策は県の施策がほとんど/石川県原爆被災者友の会が来年3月末に解散

 被爆者援護施策については県の施策が大半であり、加賀市以外では独自施策の記載はありません。県の施策にある「県内在住の被爆者で構成する団体」=石川県原爆被災者友の会のニュース(2021年4月号)によると、「石川県内の被爆者は現在64人、平均年齢は85歳。会の存続について被爆者手帳所持者全員に問合せると7割の方から返事があり、全員、閉会やむなしとの回答だった。会の存続につき、県と金沢市に報告し、今年度(2021年度)末に閉会する。」とのこと。戦後76年となり、被爆者の高齢化で運営が困難になり、石川県原爆被災者友の会が来年3月末に解散します。石川県はじめ各市町による被爆者援護施策の継続・拡充を切望します。

 広島への中学生の修学旅行、夏休み・全校登校日の平和集会はコロナ禍で大半が中止に

 七尾市、小松市、加賀市、白山市、能美市、川北町、中能登町の7市町では、毎年実施している平和学習等を目的とした広島への中学生の修学旅行、野々市市が毎年8月5日、6日、広島市平和記念式典に中学校生徒会代表10数人を派遣している「平和の旅」が新型コロナウイルス感染症拡大のため、2年連続で中止になっています。

 例年、夏休み中の全校登校日に平和集会を開催していた自治体の小中学校では、コロナ禍で夏休みが短縮され、全校登校日は設定されなかったが、各学級において平和学習が実施されています。

 平和教育は、平和展において展示する絵、作品、標語等の作成、学校支援ボランティア(戦争体験等の歴史の話)、戦争平和に関する図書コーナーの設置、全校での平和の取組(本の読み聞かせ、本の紹介、動画視聴等)を行う、国語や社会等、平和に関する学習の実施、被爆体験伝承者講和会(市内中学生が広島市から派遣される被爆体験伝承者の講話を受講)、図書委員会・掲示委員会における啓発活動など多様な方法で行われています。

 今回のアンケート調査をご活用いただき、県内全ての自治体の学校教育において平和学習が実施されることを要望します。また石川県原爆被災者友の会が制作、県内全ての小・中・高・大学・図書館に寄贈されたDVD『この空を見上げて~石川・被爆者たちの証言』の視聴も期待しています。

 核兵器禁止条約に関する各自治体(知事・市長・町長)の見解について

 核兵器禁止条約は、核兵器の生産・保有・使用・使用の威嚇など全面的に違法とする初めての国際条約です。今年1月の核兵器禁止条約の発効により、「核のない世界」の実現は想像から創造する時代へ、「核兵器による安全保障」から「核兵器なき世界による安全保障」へと大きく舵を切りました。世論調査では、国民の7割が核兵器禁止条約への日本の参加を求め、地方議会の意見書も3割を超えています。国民の意思は明確です。

 しかし、上記の設問について、「条約の署名・批准については国の専管事項であることから回答を控えさせていただく」「国の動向を注視する」が14自治体、「記載なし」が4自治体あり、「この条約の発効が、世界の恒久平和と核兵器の廃絶につながる契機となることを願っています」など条約の発効を是認する回答は2自治体だけでした。

 県内では全自治体が「非核・平和都市宣言」を決議しており、また都市の連帯を通じて核兵器のない平和な世界の実現をめざす「平和首長会議」に全市町が加盟しています。条約の発効を受けて、唯一の戦争被爆国にふさわしく日本政府に核兵器禁止条約への参加、署名、批准を求めるのは「非核・平和都市宣言」自治体として、また「平和首長会議」加盟都市としてごく自然なこと、当たり前のことではないでしょうか。

 当会では今後、全ての地方議会から政府に「核兵器禁止条約への参加を求める意見書」を提出していただくよう働きかけていく所存です。非核平和施策担当課の皆様のご高配をお願い致します。

以上 

<追記>

 今回の平和事業に関する自治体アンケート集計結果を非核の政府を求める石川の会ホームページ(http://hikakuishikawa.com/)に掲載しました。ご活用いただければ幸いです。

 当会では非核・平和行政の充実をもとめて、今後も県内各自治体担当課への取材・懇談や調査活動を継続していきますのでご協力をお願い致します。

 

 

 

< 書評 >

『記憶の灯り  希望の宙へーいしかわの戦争と平和』によせて

代表世話人  井上英夫

 

 A4判・132頁 オールカラー 定価:1300円(税込み)

 昨年8月15日、日本敗戦の日、『記憶の灯り 希望の宙へ   石川の戦争と平和』が、石川県平和委員会と戦争をさせない石川の会より発行されました。

 本書の執筆者、そして内灘闘争をはじめ石川県の平和運動のリーダーの一人莇昭三さんは、本書発行直前の7月19日に亡くなり、そのたたかいの歴史に幕を閉じられました。

 莇さんは、編集後記で、「読者や戦跡への訪問者が、『そうだったのか、やっぱり戦争に反対しなければ!』と心が駆り立てられる冊子であってほしい。その願いは、今、実現したように思える。若者たちには、75年前の戦争が遠い昔話でなく、歴史に向き合うことは、君たちの未来につながる道標となることを、強く伝えたいと思う。」と述べています。

被害と加害そしてたたかいの歴史

 内容は、大きく四つ、⑴ 天皇の軍隊 加害の歴史、⑵ 国民・兵士 被害の歴史、⑶ 混乱と復興の狭間で、⑷ 逆流に抗い平和を守る、となっています。

 被害の歴史では、兵士、銃後の人々、そして満蒙開拓団等が取り上げられています。中でも衝撃的なのは、日中戦争、アジア・太平洋戦争で軍人軍属の戦没者は約230万人、しかし、そのうち140万人は餓死者で、6割強にのぼったということです。そして莇さんの綿密な調査で石川の兵士の戦死は26,615人、どこで、どれだけ「戦死」したのか明らかにされています。

 本書の最大の特色と意義は、加害の歴史を取り上げていることだと思います。1898年には第九師団司令部がおかれ、軍都金沢の象徴となり、南京攻略戦(大虐殺)の主力としても投入されるわけです。七三一部隊についても石井四郎隊長は四高出身で、敗戦後逃げ帰った上陸地は金沢でしたし、金沢医科大、後の金沢大学医学部には部隊関係の医師が入り、学長にさえなっています。

 私は、大学で戦争と平和、人権について講義し、日本軍慰安婦、植民地におけるハンセン病政策も加え、とくに加害の歴史を語ってきましたが、歴史の歩みを眼前に見ることができる例として、野田山墓地へ足を運ぶように勧めてきました。

 野田山墓地には、戦争捕虜と日本軍兵士の墓があります。大きくて将校の墓は立派ですが、一般兵士の墓は小さい。さらに1940年からの日露戦争のロシア兵捕虜の墓もありますが立派なものです。まだ、軍、国、日本社会に、捕虜に対し人道的扱いをする「武士道精神」も残っていたのでしょうか。しかし、朝鮮の植民地化、アジア・太平洋戦争へと突き進む中、「堕落」は進んでいきます。

   行きつくところ、人々の踏みつける道路の下への尹奉吉(ユン・ボンギル)の遺体の暗葬です。尹奉吉は、日本の侵略と植民地支配に抵抗し1932年に上海で爆弾を投げ軍人たちを殺傷し、金沢で銃殺されたのでした。1946年ようやく発掘され、1992年暗葬の地に碑が立ち、近くに「殉国記念碑」も建立されています。私は、ソウルの梅軒尹奉吉記念館そして上海魯迅公園内につくられた梅亭も訪問しています。

 日本にとっては、テロリスト尹奉吉も、植民地にされた朝鮮、そして侵略された中国の人々にとってはまさに「義士」であり英雄です。加害の歴史には目をふさぎたい、避けて通りたい、無かったことにしたい。これが、多くの日本の人々とくに若い人達の偽らざる気持ちではないでしょうか。「踏んだ側は忘れても、踏まれた側は痛みを忘れない」といわれますが、加害の歴史に正面から向き合うことの覚悟と勇気こそ今求められているのではないでしょうか。今とくに問題となっている日本軍慰安婦、徴用工問題もこの姿勢を示せば道は開けると思います。

現地・現場主義と想像力

 本書は、「戦争の痕跡をたどり、悲惨な記憶を学び、未来へ手渡す」ことを目的としているわけですが、現地に足を運び、現場を見ることの大事さを痛感しています。私は、社会保障裁判やハンセン病問題、そして人権・平和問題にかかわってきましたが、現地・現場主義を法学研究の基本に据えてきました。

 2016年4月、最高裁判所は、裁判所外の「特別法廷」で開かれたハンセン病患者に対する裁判を裁判所法違反、さらには不合理な差別であったとして実質的には憲法14条違反の差別と認め、謝罪しました。私は、この件で設けられた有識者委員会の座長を務めました。調査委員会を構成する裁判官そして有識者委員にハンセン病患者の「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」による差別・人権剥奪の実態、その空気を知ってもらうことが何より大事だと考え、群馬の栗生楽泉園、熊本の菊池恵楓園を訪問しました。

 委員の皆さんが、とくに「ショックを受けた」のが栗生楽泉園に復元された重監房でした。もちろん、復元されたもので、マイナス20度にもなる極寒、餓死するような食事、悪臭も、ノミや南京虫もありません。しかし、アウシュビッツに匹敵するような残虐な実態にふれ受けた影響は計り知れないほど大きかった。

 同時に、現地・現場主義といっても限界はあります。すべての戦跡や生命権はじめ人権剥奪の現場に立てるわけではありません。血の匂いを嗅げるわけではありません。それを補うのが想像する力だと思います。本書は、まさにその想像力を掻き立てる力があると思います。

平和的生存権と人権のためのたたかい

 改めて憲法の輝き、力、そして人々の人権のためのたたかいの正当性に確信が持てました。憲法は、周知のように国民主権、平和主義、基本的人権を3本柱にしています。県内には憲法記念碑、憲法九条の碑そして非核・平和の標柱等が沢山あります。

 憲法前文は、平和的生存権をかかげています。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、と。

 ここにある「恐怖」とは戦争やテロ、「欠乏」とは飢餓や貧困です。したがって前者については、憲法9条で、後者については憲法25条を基底とする26条の教育権、27、28条の労働権、労働基本権等の人権いわゆる社会権を保障しているわけです。

 この意味で、憲法9条と25条は一体である、戦争・平和と生命・生存・健康で文化的な生活を保障する人権保障は一体であることを再確認した次第です。さらには、日本国民だけでなく、「全世界の諸国民の公正と信義に信頼し、私たちの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で述べていることも強調しておきたいと思います。

 そして、本書がたどっている内灘闘争をはじめとする平和的生存権のためのたたかい、とくに非核・平和の自治体づくりは2006年、県内全自治体の「非核・平和自治体宣言」決議を生み出していることも紹介されています。

 日本国憲法97条は、憲法の保障する人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(たたかい)の成果」であると明言して、私たちの平和と人権のためのたたかいの正当性にお墨付きを与えています。

 そして、本書発行はまさにこのたたかいの一環であり、この成果を生かすことこそ、憲法12条が定める、憲法、人権を保持するために私たちに課せられた「不断の努力」義務をはたすものに他ならない、と思います。

 現在のみならず未来を見据えるとき、日本の歴史とくに近・現代史を学ぶことが必要だと思います。本書を教材とした平和、人権教育を学校教育、社会教育の場で保障する、そのためのたたかいを提言します。

◆ 年頭所感 ◆ 

一人ひとりの尊厳を尊重する社会を

代表世話人 五十嵐正博

 コロナ禍での新年、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。皆さんが本「会報」を手にされるころ、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効します。核兵器の廃絶を願って長年奮闘されてきた皆さんに心より敬意を表します。これからは、「核なき世界」を「実現」するためにどうしたらよいかが問われることになります。

コロナ後の世界を示唆する

 さて、このコロナ禍からなにがみえてきたでしょうか。感染症への警鐘が以前からなされてきたにもかかわらず、ほとんどの国で、感染症に対する対策・準備の軽視あるいは不存在、安倍・菅政権は、「自助・後手後手・場当たり的・コロナよりも経済を」の対応に終 始し、「命を軽んずる」政権であることを改めて明らかにしました。 「安心して暮らせる日常」こそがなにより大事だと実感する日々です。安倍政権は最悪だと思ったら(一難去って)、より悪い菅政権が生まれてしまいました(また一難)。なんと表現しましょうか、「最悪+A」とでも。

 「軍事優先」「新自由主義」政策の下で繰り広げられる「格差社会」の拡大は、弱者により大きな犠牲(まさに生きるか死ぬか)を強いることになっています。自公政権は、「安全保障環境の一層の厳しさ」、「国民の生命・財産を守る」ためという常套句を弄しながら、医療・福祉・教育分野を軽視しつつ、軍事費の拡大だけは続けています。新型コロナウィルスは軍隊で防ぐことはできない、軍隊はむしろ有害無益だということも改めて明らかになりました。「軍事費をコロナ対策に回せ」との声が高まるのは当然です。

 コロナのことを考えながら、ふと思い立ち、書棚の片隅にあった、高校時代の教科書『詳説世界史』(1965年、山川出版社)を取り出しました。赤線だらけ、ほとんど覚えてない。私の記憶力の弱さはさておいて、半世紀以上前の受験勉強はなんだったのか。いや、歴史を学ぶことはとても大切です。受験と結びついたことが問題なのだ、ということにしておきましょう。

 それはさておき、昔の『世界史』の教科書を引っ張り出したのは、「感染症」「ペスト(黒死病)」についての記述があったかを確かめようと思ったからです。唯一、「たまたま1348年黒死病(ペスト)が西ヨーロッパを襲い、農村人口は激減し」、荘園制・封建制の崩壊にともない、「15世紀ごろには各地に中央集権の近代国家が成立してゆく」との記述がありました。「スペイン風邪」は見当たりません。高校生用の「世界史」の教科書は、感染症の蔓延(パンデミック)が国家のあり方を、さらに国際社会のあり方を根本から変える契機の一つになりうると教えていたのです。執筆者にそんな意図があったかどうか、私自身は、当時、そのような意味をくみ取ることはありえませんでしたが。地方政治の実権を握っていた諸侯、騎士が没落し、成長した市民階級は国王と相提携し、中央集権化が図られていったのでした。こうして近代国家が成立していきます。

 そこで、次の問いは、現下のコロナ禍でなにが「没落」し、なにが新たに生まれるのか、いかなる社会の変革がもたらされるのかです。たとえ遅々たるとはいえ、歴史上、人類がたどってきた「進歩」から「変革の道筋」を導きだすことができるのではないか。「進歩」の定義は種々ありえますが、私が思う「進歩」とは、人類は、「一人ひとりの尊厳が尊重される」社会を目指してきたことです。それは、支配と従属、偏見と差別のない社会を目指す「不断の努力」であり、今後も続けられなければなりません。

「植民地の解放」を目指して

 道半ば、あるいは人類史においては始まったばかりかもしれません。私は、「植民地の解放」を研究課題としてきました。国際社会は、国家間の、また国家とその植民地の「支配・従属」関係をいかに断ち切ろうとしてきたか。1960年、国連総会は、植民国家などの反対を押しきって「植民地独立付与宣言」という画期的な決議を採択しました。「すべての植民地人民は独立する権利がある」、この宣言に勇気づけられ、その後100以上の植民地が政治的独立を達成してきました(国連加盟国は51から193へ)。しかし、途上国の経済的「独立」は今も困難を極めています。本稿で詳述することはできませんが、途上国は、先進諸国からの経済的独立を求めて、「多国籍企業の行動を規制する権利」を求めてきました。私は、1996年に「近年の国連における多国籍企業の活動の積極的評価と『民営化』促進の動きは、まさに全世界を『先進国』(の企業)のために再西欧化する試みであり、このままでは途上国を益々従属的な地位に追いやることになろう」と指摘したことがあります。この状況は改善されるどころか、悪化しているのではないか。近年話題の「SDGs=持続可能な開発目標」に、多国籍企業、民営活動はむしろ肯定的に言及されています。実は、途上国の声は先進国の抵抗によりかき消されてきたのです。

「人権の普遍化」を目指して

 1948年12月10日、国連総会が採択した「世界人権宣言」は、もう一つの人類が到達した「進歩」でした。世界人権宣言は、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等で奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものである」と宣言します。以後、国際人権規約をはじめ、種々の人権関係条約が結ばれ、人権を実現するための各種「委員会」が設けられるなどの「進歩」を遂げてきました。第二次大戦後、人権尊重は、すべての国家が従うべき普遍的な理念になってきたのです。

 非植民地化(最近、沖縄では「脱植民地化」といわれます)を推し進めたのが「自決権」という画期的な考えでした。「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」(国際人権規約共通1条)。自決権は、すべての人権享有の大前提であり、植民地支配は自決権の否定そのもの、植民地の人々の人権抑圧体制そのものなのです。「香港」に対する中国の弾圧政策を決して認めることはできませんが、未だに植民地を手放そうとしない植民国家の「政府」(米・英・仏など)が中国を批判する資格はありえないことも指摘しておきます。

日本社会の変革を目指して

 先の教科書の事例にならえば、日本社会の変革のためには、自公政権を「没落」させ、「市民と野党が相提携」し、日本国憲法を活かす政権への交代がなければなりません。その政府は、「一人ひとりの尊厳を尊重する」政府であり、必ずや核兵器禁止条約を批准し、核兵器が「壊滅的な人道上の帰結」、すなわち「人類の生存」に関わるのだと世界に向けて強く訴え、「核兵器のない世界」の実現を目指すはずです。

 なお、沖縄が強いられ続けている諸問題、「日本学術会議任命拒否」、「自衛隊の敵基地攻撃能力」など、それこそ「菅政権はどこまでやるか」と頭の中が沸騰しそうです。それらは別の機会にお話しする機会があるかも知れません。いずれにしろ、政治を私たち市民の手に!

 本年もよろしくお願いします。

 

「そこまでやるか、ここまできたか、どこまでやるか」 

日本学術会議任命拒否に抗議する

代表世話人  五十嵐正博

 立命館大学の松宮孝明教授は、日本学術会議の任命拒否についての新聞インタビューに、「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と答えたということです(京都新聞)。この暴挙の報を聞いたとき、「そこまでやるか、ここまできたか」が最初の感想でした。そして「どこまでやるか」に思いがいたり、すぐに合点がいきました。

「目的のためには手段を選ばず」

 自民党の結党以来の一貫した「改憲」願望からして(政権により濃淡はあっても)、「そこまでやるか、ここまできたか」は当然の流れ、「歴史の反省」をせず、むしろ「復古主義」への回帰を夢想しつつ、「政財界による権力維持の執念」。日本国憲法を「改正」するために、したたたかに、粛々と「政権にとってのジャマモノ」を一つずつ、一人ずつ消す戦略。もちろん、一番のジャマモノは「日本国憲法」。当該行為が「合憲か否か」「違法か否か」などに関心はなく、「目的のためには手段を選ばず」という強権政治。

厚顔無恥こそ権力維持の秘訣

 今回の件で、岡田正則教授(その他多くの人)が指摘しているように、菅首相が「推薦段階の105人の名簿を『見ていない』」ということは、学術会議からの推薦リストに基づかずに任命したということです。これは明らかに、日本学術会議法の『推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する』という規定に反する行為」です。政府は「総合的、俯瞰的な」意味について、「丁寧な説明」など、そもそもできない相談です。「見ずに俯瞰する離れ業」(中野晃一さん)。自民党にとって「日本学術会議」は「ジャマモノ」。どこまで「用意周到」なのか、あるいは時の政権が「場当たり的に」また「思い付きで」実行するのかは、それぞれの事例について検証が必要です。しかし、今回の件については、すでに安倍政権時代から「目の敵」にされていたことが明らかになっています。まさに「虎視眈々と狙い撃ち」されたとみるべきでしょう。

 前川喜平元文科省事務次官が実際に経験されたことを語っています。「文化審議会文化功労者選考分科会」委員の選任について、杉田官房副長官から、10人の候補者のうち2名が好ましからざる人物であり任命するなと言われた、安倍政権を批判するようなことをメディアで発言したことが理由であったと。闇の中で、陰湿かつ執拗にうごめく権力行使、空恐ろしい話です。よくも「自由、民主主義、法の支配、基本的人権の尊重(市場経済が加えられることも)」という、ありもしない「共通の価値観」などといえたものです。いや、この厚顔無恥こそ権力維持の秘訣なのでしょう。

日本国憲法の壁

 思えば、80年代後半の中曽根政権による労働組合つぶし、2003年、第一次安倍政権による「教育基本法」改悪、第二次安倍内閣による特定秘密保護法(2013年)、平和安全法制(2015年)、共謀罪(2017年)へと続く「違憲」諸法の改悪・制定。自衛隊法改正は数知れず。日本国憲法は満身創痍にさらされてきました。それでも、日本国憲法の壁があるがゆえに、少なくとも、歴代政権は、当該行為に「理由にならない理由」を述べなければならず、「好き勝手放題」を許すことはありませんでした。

自民党の執念

 自民党は、この「歯止め」「壁」を取り払うことに執念を燃やしてきました。菅首相が政策の根本と考える「自助、共助、公助」、なんと正直な首相でしょうか。「丁寧な説明」がなくても即座に理解可能、安倍政治を継承して、「自民党新憲法草案(以下、新草案)」(2005年10月)、「改正草案」(2012年4月)に沿った憲法「改正」を目指す宣言そのものだからです。要は、国家による個人、家族への介入、国家支配の拡大。憲法は「権力をしばるもの」という理念とは真逆の発想であり、「憲法でない憲法」作りを推し進めること。「自助」とは、「個人」ではなく、「人」は「公益及び公の秩序」に反しない限りの「自由」を持つにすぎず、「国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」(改定草案12条)ことになります。

 「新草案」は、「前文」で「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」とし、「改正草案」では「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」となりました。「復古主義の中核」ともいうべき「国家への忠誠義務」を義務付けようとするものです。「改正草案」は「国防軍」の創設をうたい、「徴兵制」に道を開くことが危惧されます(「新草案」では「自衛軍」でした)。

 「共助」とは、「家族は互いに助け合わなければならない」こと。「共助の義務」です。「公助」について、「草案」は現行憲法二五条(生存権)に何も加えていません。最近の「黒い雨訴訟」を見るまでもなく、国は、いざとなると「公助」どころか、「知らん顔」をするか「逃げる」かして、一切責任を負おうとはしません。しかし、権力は、いつも見えない影におびえているのでしょうか。「国民に刃を向ける=強権的に弾圧する」「緊急事態条項」を憲法に盛り込もうというのです。これが菅首相が思い描く「自助・共助・公助」の意味です。

市民の声が届かない社会に未来なし

 今回の学術会議問題は、任命拒否を撤回させなければなりません。「アリの一穴 天下の破れ」ということわざがあります。政権が「総合的・俯瞰的判断」で何事をも決められるとすれば、憲法も法律も無用となってしまう、それは、立憲主義の破壊、独裁政治です。

 坂本龍一さんは、日本学術会議への人事介入に抗議して「声を上げること、上げ続けること。あきらめないで、がっかりしないで根気よく。社会を変えるには、結局それしかないのだと思います。」と発言しました。同感です。「あきらめないで、がっかりしないで根気よく」安倍・菅政治なるものを引きずり下ろすために声を上げ続けましょう。「忖度」と「萎縮」が蔓延する社会、なにより「市民の声が届かない」社会に未来はありえません。市民の手に「日本国憲法」を取り戻さなければなりません。

【追記】岡田正則さんは、かつて金沢大学での同僚であり、井上英夫さんとともに日韓の共同研究に加わりました。『日韓の相互理解と戦後補償』(日本評論社、2002年)

【参考】『菜の花の沖縄日記』出版元「ヘウレーカ」から新刊、福島祐子著『ヒロインの聖書ものがたりーキリスト教は女性をどう語ってきたか』が刊行されました。本稿を書きながら、つい「プロローグ」を読み始めた途端に、「他者を蹂躙することで己の権力を誇示したくなる」との一文に出くわしました。文脈は、本稿とは全く違いますが、「権力者は」を主語にすれば全く納得、ここに引用します。ご興味のある方はぜひお手に取ってください。お勧めです。

今「必要緊急」なこと  日本国憲法を活かす政府をつくろう

代表世話人 五十嵐正博

 私たちは、今、新型コロナ・パンデミックの渦中にいます。パン(すべての)デミア(人々)、まさに地球上のすべての人を襲う感染症。人間は、地球上に存在する何百万、いや何千万とも知れぬ種の一つにすぎません。すべての種が、地球誕生以来、種の生存・共存のためのメカニズムを営々と作り上げてきたのでしょう。しかし、人間だけが、森羅万象を支配できると思い込む「おごり・思い上がり」を持っているのではないか。現下の事態は、「経済成長」を金科玉条とし、人間一人ひとりの尊厳をないがしろにしてきたことに対する「戒め」「警鐘」とも思います。
 人間は、何を、どこまで反省し、その反省を将来に生かすことができる歴史を、私たちは見て見ぬふりをしてきたのではないかとさえ思いたくなります。今回のコロナ禍との直接の関連はさておき、気候変動がもたらす様々のリスクが語られてきました。1988年設立の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、「世界平均気温の上昇による主な影響」として「感染症による社会的負荷の増加」「医療サービスへの重大な負荷」を指摘し(2007年報告書)、さらに「21世紀半ばまでに予想される気候変動は、主に既存の健康上の問題を悪化させることで、人間の健康に影響を与える」「確信度が非常に高い」としました(2014年報告書)。温暖化対策は一向に進んでいません。
 IPCCの警告は無視され続けただけでなく、むしろ、この国で進められてきた無残な福祉・医療の切り捨てが現在の混乱、悲惨な事態を招いています。予想された事態なのです。井上英夫さんが、国立病院の再編・統合に反対する運動をしていた姿を思い出します。
 今、目の前のコロナ禍の収束を図らなければなりません。国民には「不要不急の外出自粛」「三密回避」を要請しつつ、右往左往する安倍政権。今日を生き抜くことに汲々としている多くの人に救済の手が届かない。この国の歴代政権は、日本国憲法を活かす努力を怠ってきたからです。
 安倍政権の立ち位置は、「個人よりもお国(そしてお友だち)のために」。コロナ対策に当たって「必要緊急」なことは、日本国憲法を活かす政策です。軍事費の支出を止めて、一人ひとりの尊厳を守る政策の即時の実施です。
 
 私の父親は、敗戦後、一時公職追放になりましたが、1950年、全国各地に家畜保健衛生所が設置され、群馬県太田市の初代所長になりました。父28歳。私が生まれた翌年でした。父が「抗原抗体反応」と話していた記憶がよみがえりました。半世紀以上前、すでに行われていた「抗体検査」、その実施が未だに滞っていることに驚くばかりです。
 「あれよあれよ」という間の(政策決定過程が不透明な)「上意下達」の乱発、それらを垂れ流しするマスコミ、そしてそれに唯々諾々と従う(従わされる)市民。ファシズム体制との類似を指摘する見解も見られます。そうさせないためには、憲法を活かす「信頼できる政府」を私たち市民がつくること、それしかありません。
(神戸大学名誉教授、金沢大学名誉教授)

コロナ問題を人権の視点で

代表世話人  井上英夫

コロナ禍の中で
 コロナ禍、皆さんご無事でお過ごしでしょうか。
 一週間前ようやく届いた「アベノマスク」を前に悩んでいます。安倍に突っ返そうか。こどもたちに使ってもらおうかと。近所の養護施設の施設長さんに相談したら、こどもでも役に立たないし、もう余っているからいらない、と言われました。世紀の愚策ですね。愚策は、ほかにも一杯ありますけど。
 私も、時間ができたので。庭仕事に励み、花や樹木、鳥のさえずりに囲まれて暮らしています。自然の偉大さと有難さを痛感しています。金沢は、今春、花々が一斉に咲き誇り、桜も長く楽しませてくれました。
 この間、日本高齢者人権宣言草案づくりに取り組みました。WEB会議とメールで意見を交わし、高齢期運動連絡会に提案しました。今後、議論を重ね、高齢期運動の要求と目標の指針とするものですが、何より日本政府に高齢者の人権保障への責任を果たさせ、国連高齢者人権条約策定へのリーダーシップを取るように迫るものです。
 コロナ禍は、とくに高齢者を襲い、石川県かほく市の二ツ屋病院が典型ですが、人権の砦たるべき病院や特別養護老人ホームでの感染、死亡も目立ちます。そんな中で、働くことのできない、価値のない人間は死んでも良いというような優生的、劣等処遇的考え方も広まり、「姥捨て山」を作れという主張さえあらわれています。
 この国の未来がかかっている
 コロナ禍や地震、津波、原発事故等の災害、緊急時こそ、国や社会の諸問題が集中的に表れます。コロナ禍で医療や介護崩壊がいわれ、教育そして雇用等の危機が叫ばれていますが、問われているのは国の政策です。平常時の豊かで、分厚い人権保障こそ、緊急時、非常時にも力を発揮し、人々の営業、労働、生命、生存、生活、健康、文化、教育等の諸権利を守ることができるわけです。
コロナ問題にはこの国の未来がかかっています。まさに人権保障そして国民主権・民主主義、平和主義を掲げる憲法を守り、より発展させるのか、緊急事態を口実に、改憲・「独裁」への道を開くのか。とくにコロナ問題を人権の視点でとらえる必要があると思います。ところが、「生活の在り方」を考えようなどという国民への責任転嫁が目立ちます。変わらなければならないのは、何より安倍政権です。
 言葉に注意
 コロナ禍のなかで、カタカナ用語はじめ気になる言葉が乱用されています。そのいくつかを。
 「自粛」と「支援」
 国民への「自粛」とは、「禁止」ではなく国民の自主性を尊重しているようですが、実は、社会保障の自立・自助、共助、公助論と根っこは同じ、国は結果には責任は持ちませんよ、ということですね。営業等財産権の制限に対する「正当な補償」は国の義務ですが、一貫して拒否し、「支援」を連発しています。マスコミも人々も「支援」にならされていますが、補償そして社会保障も「公助・支援」ではなく人権として「保障」されています。「補償」そして「保障」とは、主権者国民の権利であり、国に義務と責任があるということを意味しています。
 「不要不急」
 外出自粛の「基準」とされているのが、「不要不急」ですね。原発、リニアモーターカー、カジノそして軍事費こそ不要不急な最大のものでしょう。
7 私たち社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会)の四月一五日の声明をご覧ください。

(https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/e/6865991853d5854037dd0ea221a9e918)

 ミサイル・戦闘機よりバターを、軍事費より人権保障に。非核の政府を求める会として、この訴えを広めましょう。
 「アラート」「ステイホーム」
 アメリカかぶれ?の小池都知事がカタカナ英語を頻発していますが、アラートは「警報」でよいでしょう。また、ステイホームと耳障りは良いのですが、命令形ですね。家にいろと自粛を「強制」されている感じがします。
ハンセン病政策を教訓に日本は、感染症に対して、ハンセン病「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」という負の歴史をもっています。ハンセン病は薬で完治し、死に至る病ではありませんが、どんなに強力かつ危険な病気であっても人権保障が貫かれなければならないということが、大事な点です。この教訓が生かされなければならないと思います。この点、私の「新型コロナウイルス感染症と高齢者の人権」(『ゆたかなくらし』2020年6月、7月号)をご覧ください。(日本高齢期運動サポートセンター理事長)

年頭所感

「自衛権」という口実、 そして安倍政権にさよならを

                                    代表世話人  五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
  拙稿が皆さんのお目にとまるとき、私はちょうど71歳。1795年、カント先生が『永遠平和のために』を出版されたのが71歳でした。繰り返されるアメリカによる暴挙、年初のイラン要人の暗殺。このような事態が起こるたびに、カント先生の国際法学者を揶揄する声が歴史のかなたから聞こえてきます。国際法学者の名前は、戦争を正当化するときに決まってでてくるが、彼らの言葉のもとに戦争を中止することはなかったね、と。まさに、その通りです。
 昨年11月、憲法研究者126名は、「ホルムズ海峡周辺への自衛隊を派遣」に反対声明をだしました。憲法研究者は、憲法が危機にあると思われる事態に直面するたびに声明をだしています。国際法研究者はどうでしょうか。私の知る限り、たったの一度。『しんぶん赤旗』(2003年3月19日)は次のように伝えました。

 「国際法に照らしてイラク武力行使は許容されない」。
 日本の国際法学者23人が18日、米国の対イラク攻撃に反対する声明を発表し、外務省の林景一条約局長を通じ、川口順子外相に申し入れました。松井芳郎(名古屋大)、最上敏樹(国際基督教大)、五十嵐正博(金沢大)、古川照美(法政大)各教授が申し入れました。」この声明をだす事務方が私でした。事態は今も(そして、いつも)同じですから、その声明の一部を紹介しましょう。
 「声明」は、国連憲章が武力行使と武力による威嚇を禁じ、その例外として認めているのは、
(1)武力攻撃が発生した場合の自衛権行使、
(2)平和の脅威に対する集団的措置として国連安保理が決定した行動、
の二つだけであるが、現在、武力攻撃は発生していない。
将来発生するかもしれない武力攻撃に備えるという「先制的自衛」論を認める法原則は存在しないのであり、「先制的自衛を肯定するような先例を今ここで作ってしまえば、例外としての自衛権行使を抑制する規則は際限なく歯止めを失う」との懸念の表明でした。
 今回も、アメリカが暗殺を正当化する理由も「自衛権」でした。未だ、歯止めがかかっていないのです。

                                                          戦争は人間がおこすもの
 私は国際法の研究・教育を生業にしてきました。毎年の講義では、国際法の歴史の中で「戦争」についての考え方の変遷を話します。長い間、「戦争」は人類発生時からあったと思い込んでいました。あるとき、考古学者である佐原真氏(元「国立歴史民俗博物館」館長)の本に衝撃を受け、己の無知を恥じたのでした。「450万年の経過のなかで8000年という戦いの歴史。それは、翻訳すると4.5メートルのなかの8ミリである。」(『戦争の考古学』(岩波書店、2005年)。そして、佐原氏は、「戦争は、・・・人間がおこすもの・・・人間が創ったものであるからには、私たちは、戦争を捨て去ることを目標としなければならない。」と述べています。

                                                     権力側と憲法擁護側の「非対称性」
 さて、憲法を蹂躙する権力側と、憲法を守り活かそうとする側には、「非対称性」があります。権力にしがみつ
く者の執念たるや、恐るべし。
 権力側は、身銭を切ることなく、むしろ企業などから献金を集め、搾り取った税金を権力維持のために、政府組織の総力をあげることができる。他方、憲法擁護側は、身銭を切り、一人ひとりの心のこもったカンパを募り、個人のつながりしかない。なんという、許しがたい「非対称性」でしょうか。
 権力への執着心は、「国民を生かさず殺さずの限界」、「国民の怒りが沸騰する限界」を見極める調査作業を怠りません。
 どこまで増税し、防衛費を増大させ、アメリカから兵器を爆買いしても、どこまで社会保障費・教育費を削減しても、どこまでマスコミを懐柔し、官僚に忖度させようが、国民多数の怒りを呼ばずにすむかを見定める作業。疑惑が表面化するたびに、「丁寧に説明する」といいながらだんまりを決め込み、「隠蔽、改ざん、廃棄、記憶にない」を繰り返して、野党と国民の批判・怒りが通り過ぎるのを待つ。
 「沖縄、被災地に寄り添い」と言いながら「民意」を一顧だにしない。実は、休日にはお友達や取り巻きとゴルフを楽しみ、毎晩のように、寿司・ステーキを食べながらも、この「限界」を注視しているに違いありません。
 もっとも、安倍一強長期政権のおごりとゆるみは、しばしば見せる尊大で横柄な態度に見て取れます。野党、国民をなめ切っているのではないか。この国の民主主義は、すでに破局を迎えているのではないか。

                                                              市民と野党の共闘を辛抱強く
 樋口陽一先生は「戦後デモクラシーの破局をどう乗り切るか」について、こう結ばれています。「自分たちそれぞれの主張の中身を国政の場で受け止めようとする政治家をーーいまの与野党の仕切りを超えて一人でも多くーー有権者の手で育ててゆくという正道を辛抱強く切り開き続けること。」一九五〇年代に経験したことはひとつの示唆となるはずだと。(『リベラル・デモクラシーの現在』(岩波新書、2019年)。
 市民と野党の共闘を辛抱強く切り開き続ける「不断の努力」によって「非対称性」を打ち破り、安倍政権を倒して、日本国憲法を活かす政府をつくらなければなりません。

【年頭所感】 

トランプ・ならず者国家、安倍「忖度」政権に鉄槌を!
                                     代表世話人 井上英夫

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と、ご挨拶するつもりでしたが、全く「めでたくない」年明けとなりました。
 ご存知のように、1月3日、トランプ大統領の命令により米軍がイラン革命防衛隊の司令官をイラクのバグダッドでのドローン攻撃により殺害しました。イランの報復そしてアメリカの再報復が叫ばれ、第三次世界大戦勃発さえ懸念されています。

 米国の攻撃は、明確に国際法違反であり、米国は、テロ国家=ならず者国家に他ならないことを露呈しました。さらに情けないのは、安倍政権ですね。批判も非難もせず、自衛隊派遣で追随しています。得意の日本民族・国の誇りはどこに行ったのでしょうか。トランプの犬――犬に失礼ですが――として、これも得意の「忖度」でだんまりを決め込んでいます。
 しかし、こうした安倍政権の存在を許しているのはわれわれでもあります。怒りをもって日本政府にアメリカの暴挙を止めさせましょう。そのため、憲法97条も認めている平和、人権・権利のためのたたかい、革命レボリューションを起こしましょう。
 私も呼びかけ人の一人で軍事費増加に反対する「社会権の会」(https://twitter.com/hashtag)は1月5日、急遽下記のような声明を発しました。広く拡散し、平和のための行動に活用いただくようお願いして、新年のご挨拶とさせていただきます。

米国によるイラン革命防衛隊司令官殺害に関する社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会 https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/)の声明

                   ◇はじめに◇
 アメリカのトランプ大統領は2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊の司令官ソレイマニ氏をイラクのバグダッドで殺害したと発表した。トランプ大統領は同日の記者会見で、ソレイマニ司令官は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と批判し、「我々の行動は戦争を止めるためのものだった」として殺害を正当化している。イランが「イランに対する開戦に等しい」「国連憲章を含む国際法の基本原則を完全に侵害する国家テロだ」として反発し報復を宣言する(ラバンチ国連大使)一方、米国防総省は米軍部隊3500人を中東地域に増派する方針を明らかにし、米イラン関係、米イラク関係を含め中東地域は緊迫した情勢となっている。
                  ◇意見の理由◇
 ソレイマニ氏はイラン革命防衛隊コッズ
部隊の司令官として、各国でイスラム教シーア派民兵組織(イスラム国[IS]に対抗してイラクの宗教指導者シスタニ師が呼びかけて結成された人民動員部隊[PMU]など)を支援してきた革命防衛隊最高幹部であり、敵対するアメリカに対しては、過去に、中東に展開する米軍をいつでも攻撃できるという趣旨の発言もしていた。しかし、いかに政治的・軍事的に目障りな存在であるとしても、超法的に人を殺害することが許されるはずはない。大統領という国家機関によって指示されたこの殺害行為は、明白な脱法行為であり、アメリカによる国際法違反行為(超法的処刑extra-judicial execution)である。
 国連憲章51条は「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛権の行使を認めており、先制的・予防的な自衛権の行使は認められていない。在外自国民の保護など、国の領土保全に対する武力攻撃に至らない程度の侵害行為に対しても、自衛権を援用することは許されない。攻撃が急迫していると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には先制攻撃も許されるという学説もあるが、差し迫ったものかどうかの判定は先制攻撃を行う国が行うこととなり、濫用されやすい考え方である。
 先制的自衛論を含め、そもそも自衛権の行使が濫用されやすいものであることは、歴史が示している。アメリカの軍艦が攻撃を受けたとして、アメリカがベトナム戦争に本格的に参戦するきっかけとなった「トンキン湾事件」は、後に、アメリカが秘密工作によって自ら仕掛けた「やらせ」であったことがジャーナリストによって暴かれた(ペンタゴン・ペーパーズ)。また、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っている「恐れ」を理由とし、ブッシュ大統領の先制攻撃論(ブッシュ・ドクトリン)によってアメリカとイギリスが一方的にイラクを攻撃したものだったが、大量破壊兵器は発見されなかった。にもかかわらず、軍事行動は「フセイン大統領の排除」、「イラクの民主化」と目的を変遷させて続けられた。
 こじつけの理由であれ、いったん始まった軍事行動はエスカレートするのが常であり、その結果は悲劇的である。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人が犠牲になり、米軍の撒いた枯葉剤による障害や健康被害に苦しむ人が今もいる。イラク戦争は推定で数十万人ものイラクの民間人死者を出し、米軍の使った劣化ウラン弾などによる奇形児の誕生など被害は続いている。さらに、イラク戦争とそれに続くアメリカ・イギリス軍の駐留、その後発足したイラク新政権、これらにより激化した社会の混乱とイスラム教の宗派対立は、「イラクのアルカイダ」を源流とするISを生む結果になったと今では広く認識されている。
 イラク戦争時、日本の小泉政権はアメリカに追随してイラク戦争を手放しで支持したが、イラク戦争を遂行した国や支持した国(オランダ、デンマークなど)と異なり、日本政府は今なお、イラク戦争を支持した政治判断の検証をしていない。それどころか政府は、憲法の専守防衛の原則に明らかに反する2015年の安保法制によって、地球上どこでもアメリカと共に集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が軍事活動を行うことを可能にする法整備を行った。
 今回の事件を受け、中東に駐留する米軍がイランから攻撃を受ける可能性がある。その場合日本は、集団的自衛権の行使として米軍と共に反撃することが求められる事態になりうる。折しも日本政府は先月末の閣議決定で、1月中に中東地域に海上自衛隊を派遣する決定を行っている。これは、「日本関係船舶の安全確保に向けた情報収集を強化」するという名目で、防衛省設置法上の「調査・研究」を根拠として行われるものだが、自国船舶の防護を求めるトランプ政権の意向を受けた派遣であり、これによって得られた情報はアメリカと共有されることが当然考えられる。自衛隊が駐留することになった結果、場合によっては、アメリカの同盟国として自衛隊が攻撃を受けることがありうる。きわめて憂慮すべき事態である。
 トランプ大統領は、環境保護や紛争の平和的解決のための国際協定から次々とアメリカを離脱させる一方、日本には高額の米国製兵器を売りつけ、日本や韓国、ドイツなど同盟国に駐留米軍経費負担の大幅増を求めるなど、国際社会の公益には関心がなくもっぱら米国の経済的利益のための「ディール」を推進する人物である。そして、日本政府はそのような指導者をもつアメリカと距離をおくどころか、その要求を唯々諾々と受入れ、米国製兵器のローン購入を含め、防衛費をかつてない規模に増加させ続けている。急速に少子高齢化が進む中、年金の引下げと生活不安(「老後2,000万円」問題)、保育所を設置し待機児童をなくす、若い人の人生の足かせになっている「奨学金」ローンの問題といった少子化対策、教育を受ける権利を実現するための学費値下げなどが本来、日本の抱える最重要課題であるにもかかわらずである。
    今回の殺害は、次期大統領選挙も見据え「強いアメリカ」を演出する意図もあったとみられるが、アメリカも、そして日本も、イラク戦争がISを生み今に至っていることへの反省もなく、さらに中東地域を武力衝突の悪循環に陥れることは断じて許されない。
                   ◇意見の趣旨◇
 我々は日本政府に対し、第一に、ソレイマニ司令官殺害が戦争を止めるための正当な行為だったとするアメリカの説明を支持せず、超法的殺害として毅然と非難する態度を取るよう求める。第二に、自衛隊の中東派遣は直ちに中止すべきである。第三に、アメリカがさらなる軍隊派遣と攻撃によって武力衝突の危険を高めていることに日本として懸念を示し、問題の平和的な解決を促すことを強く要求するものである。
    2020年1月5日

   非核の政府を求める石川の会も参加している平和行進石川県実行委員会が5月中旬に県内全自治体を事前訪問した折、白山市から「平和宣言都市」標柱を2本改修したこと、能美市から「非核平和宣言都市」懸垂幕を新たに作成するとの報告がありました。

 白山市が改修した2か所の標柱と能美市の懸垂幕を紹介します。

 

 

『会員エッセー&コラム・第2集』発行に寄せて  

会報「非核・いしかわ」編集長  中村昭一

 

 このたび、会報「非核・いしかわ」第250号を記念して、『会員エッセー&コラム・第2集』が発刊されることになりました。2015年4月(第201号)から2019年5月(第250号)までの会報に掲載された〝会員リレーエッセー〟計83編、〝コラム『花鳥風月』〟計50編が収録されています。さらに今回は、極めて重要と思われる当会の井上英夫・五十嵐正博両代表世話人の論稿を4編加えて発行することとしました。執筆を担当してきた一人として、とても嬉しく思います。

 言うまでもなくエッセーは、お一人おひとりの多様な経験や知恵や思いのたけの語りをとおして、より心かよう交流の場となり、またコラムは、執筆者の考えを強く反映させることができる特長から、率直な提起や感想を述べることができ、両者とも会報の軸としてその役割を果たしてきたのではないか、と思っています。

 一通り読み返してみますと、会員一人ひとりの人となり(人格)が感じられます。言うまでもなく重要なことは、その中身です。〝人格〟とは「道徳的行為の主体としての個人」「自律的意志を有し、自己決定的であるところの個人」です。即ち、様々な課題に対して自らの判断を他者に譲り渡している者は、人格形成という意味では未成熟になります。判断回避ばかりでは、主体的個人となることができません。

 本会に参加する者にとって、このような意味を持つ人格、年齢を問わず、より完成させるための継続的努力の一つになっているのが、会員エッセーやコラムの執筆のように思います。非核石川の会でのご縁に感謝の念を抱かずにはいられません。

 引き続き新たなる取り組みがありますが、会員の皆様には会員拡大と原稿提出、ならびに〝非核をめざすたたかい〟を引き続きどうか共にしていただきますようお願いして、発行に寄せての言葉とさせていただきます。

 

 核兵器禁止条約と南アフリカ 

非暴力・非戦の現状と課題

代表世話人 井上英夫

 国連ビルにあるネルソン・マンデラ氏の立像

 本紙1月号に、非暴力の観点から「人類の希望 マンデラと南アフリカ」という訪問記を掲載しました。今回は、NY国連ビルから非暴力・非戦とりわけ核廃絶について最近の動きをお知らせしましょう。

南アフリカが条約批准

 2月25日、南アフリカ共和国が核兵器禁止条約を批准しました。一時は独自の核兵器開発を推し進め、その後核兵器反対に転じた唯一の国が、核のない世界に向けた重要な一歩を踏み出したのです。

 条約は50か国が批准すれば発効します。そして4月11日、新たにパナマが批准し、23か国となりました。

 

 条約は2017年七月七日、123か国によって採択されました。しかし、全核保有国とアメリカの核の傘の下にあるカナダドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア韓国などが「不参加」でした。反対票はオランダ、棄権国はシンガポールだけでした。日本等が、反対ではなく会議に参加しないという姑息な手段をとったのは、全世界の核兵器禁止・廃絶の声に圧迫されてのことでしょう。

 ちょうどこの日、私たち日本高齢期運動サポートセンターNGO代表団は一階下の会議場で高齢者人権条約制定会議に参加していました。人権保障と平和・核廃絶問題が表裏一体であることを実感でき、感動的な一日でした。そして、今日4月17日も国連ビルでネルソン・マンデラさんの歓迎を受けながら、条約制定運動に取り組んでいます。なお、条約の推進には核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の貢献が大きく、2017年10月にノーベル平和賞を受賞しました。

 核兵器の廃絶

 南アフリカ共和国からの教訓

 前文では被爆者(核兵器使用と核実験)の容認しがたい苦難と損害に留意しています。その目的は、「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶」であり、まさに全面的な核兵器禁止・廃絶となっています。原発は除外されていますが、別の機会に議論しましょう。

 

 ズマ前南アフリカ大統領は、2017年9月の核兵器禁止条約署名式において、大量破壊兵器に安全な使用法などないという確信に基づいて、核兵器を世界、そして人類からなくすため、すべての加盟国に対して、条約批准を声高に訴えました。こうした発言を大統領ができるのも、アパルトヘイト廃止とともに、核兵器の廃棄を自主的に成し遂げた初めての国だからです。

  南アフリカは、1973年に正式に核兵器計画を始め、1982年頃、最初の核爆発装置を製造します。1989年、この時点で55kgの高濃縮ウランを含む核爆弾6発を所持していましたが、1990年2月、最後の白人大統領デクラークが、核兵器放棄の決定をしました。それは、マンデラが刑務所から釈放され、アフリカ国民会議(ANC)等が合法化された直後のことでした。そして、翌年1991年、核不拡散条約(NPT)に加盟しました。その後、核廃絶への道を歩み、核武装国の核抑止論に立ち向かってきたのです。1998年の国連総会でマンデラ元大統領は次のような演説をしています。

「我々は問わなければなりません。非道で恐ろしい大量破壊兵器を拒むことなく、その正当性を主張し続ける人々には無知に聞こえるのかもしれませんが、『なぜそんなものが必要なのか』と。実際のところ、冷戦時代の惰性と自国の優位性を固持するためだけの核兵器への執着が結果的に何をもたらすのか、満足のいく形で合理的に説明することなど誰にもできないのです」。

 こうして南アフリカは、2012年以降、核兵器廃絶への人道的イニシアチブをとる中核的存在となりました。それが核兵器を禁止する国連条約を求める運動へと発展し、2017年の核兵器禁止条約採択に繋がりました。

 ICANも指摘するように、南アフリカは、核放棄によって核不拡散問題に関する世界的な発言力を確保したわけですが、核兵器禁止条約批准にはさらに大きな意味があり、「各国が安心して武装解除し、それを継続できるような適切な環境を作り上げることの重要性」を示しています。(https://twitter.com/nuclearban_jp 2019年2月25日)

          国連・非暴力の象徴

 この点は、国連の場においても確認されています。

 2018年9月24日、 ニューヨークの国連本部におけるマンデラ生誕100周年を記念した「ネルソン・マンデラ平和サミット」における政治宣言は、次のように国家、政府の長、代表の決意を語っています。

(1)ネルソン・マンデラ氏の謙遜・寛容・慈悲の資質、彼の価値観及び慈悲の献身に敬意を表す。(2) 公正、平和、豊かで、包摂的かつ公平な世界を構築するための努力を倍増すること及び相互尊重、寛容、理解及び和解を示すことにコミットする。(3) 紛争は予防外交よりもあらゆる面において損失が大きいという議論の余地のない事実を認識する。(4) 紛争予防、根本原因への対処、法の支配の強化を通じて、「平和の持続」への包括的アプローチの重要性を強調する。(5) 核兵器計画を一方的に廃棄した南アフリカが示した例を歓迎し、核兵器廃絶を支持したネルソン・マンデラ氏の確固たる願いを想起する。

 マンデラとオバマ 

 二人の黒人大統領

 オバマとマンデラ、2人とも自国で史上初の黒人大統領に就任しています。バラク・オバマ前米大統領は2018年7月17日、南アフリカ・ヨハネスブルクでの生誕100年記念講演で世界の人々とりわけ若者に呼びかけました。

 希望を失わないこと、信じ続けること、前進し続けること、築き続けること、声を上げ続けること。世代は皆それぞれ世界を刷新する機会が与えられている、と。

「マンデラ氏は、若者たちが目覚めれば、圧制の塔を打ち倒し自由の旗を掲げる力があると言った」とオバマは指摘し、「今こそ目覚めるときだ」と講演を聞いている若者たちに「情熱を燃やす」よう呼びかけたのです。

 最後に、マンデラの言葉をもう一つ紹介しておきましょう。

「もし、あなたが敵と平和を築きたいのであれば、あなたはその敵と一緒に話し合わなければいけません。それから、敵はあなたのパートナーとなることでしょう。」

 日本国憲法の前文も、日本国民が、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること」と「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと」決意したこと、そして「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。日本国憲法と南アフリカ、そして「非核の政府を求める会」は、非暴力と国家による暴力の否定=非戦、人間観を共有しているのです。

 今こそ、南アフリカの経験を活かし、日本国憲法を世界に広め、核兵器禁止条約を批准し、核廃絶へリーダーシップを発揮するよう安倍政権に迫る、「非核の政府を求める会」の役割はますます大きいと思います。

 

沖縄・辺野古基地 2・24県民投票を終えて

「本土」への大いなる異議申し立て

                代表世話人 五十嵐正博

 

奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる

 直木賞受賞作、真藤順丈『宝島』は、1952年、サンフランシスコ条約が発効し、“アメリカ世(ゆ)”になった沖縄のキャンプ・カデナでの出来事から物語が始まります。当時、「晴れて占領下を外れた日本(ヤマトゥ)では主権回復を祝っていたけど、わざわざ条文の但し書きつきでのけものにされたこの島では、アメリカがずっと使えるように、“基地の島”の工事に明け暮れていた」のでした。その後、1970年の「コザ暴動」などを経て、1972年の「本土返還」に至るまで、「奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる」物語です(同書、帯)。

 「沖縄を返せ」が初めて歌われたのは1956年、この年、瀬長亀次郎さんは出獄し、やがて沖縄市長に当選します。『宝島』には沖縄の節目節目に亀さんが登場します。

「辺野古」県民投票の会の若者たち

 『宝島』で少年少女が勇ましく立ち上がる姿は、「沖縄を取り戻すため」に、元山仁士郎さんの呼びかけで「『辺野古』県民投票の会」に集った若者たち、島のいたるところでプラカードを掲げ、署名活動をした若者たち、18歳以下の意見も聞こうと「シール投票」を行った若者たちなどの姿と重なります。

 インターネットで、ホワイトハウスに辺野古新基地建設中止を求める活動を始めた、ハワイ在住の「県民四世」ロブ・カジワラさんも。ロブさんの発案は、沖縄の基地問題を世界に知らしめたという意味でも画期的でした。そういえば、1969年、沖縄のある高校では、「生徒150人が佐藤訪米阻止、学園民主化を叫んで校庭にすわりこみ、ハンストにはいった」歴史があります(中野好夫・新崎盛暉『沖縄・70年前後』岩波新書)。

 「琉球処分」から140年、翁長雄志さんが語っていました。「私たちは確かに厳しい時代を生きているけれど、それでもなぜこれほど強い県民になったかというと、長い歴史の中で虐げられて、木の葉のように風に舞いながらも、自分のアイデンティティーを確かめながら生きてきたからだと思います。」(『戦う民意』) 

沖縄の人たちは「なぜ明るいのか」

 沖縄の人たちの「明るさ」にひかれ、那覇のフリースクールで3年間の高校生活を送った珠洲市出身の少女は、県民大会に参加し、オスプレイ墜落地の住民の話を聞き、高江、辺野古を訪ねたりもしました。そして、沖縄に対する本土の無関心と潜在的差別意識を身に染みて実感することになります。「『なぜ明るいか』、それは明るくないとやっていけないくらい暗いものを知っているから」と思い至るのです。彼女の豊かで、しなやかで、しかも鋭い感性が導き出した言葉でした(「菜の花の沖縄日記」は2015年~2018年『北陸中日新聞』に連載)。

 彼女が通ったフリースクール「珊瑚舎スコーレ」の1年後輩の少女、彼女が先の「シール投票」の発案者ですが、そのきっかけを次のように語っています。県民投票を2か月後にひかえたある日のこと、友人のお母さんに呼び止められました。県民投票に5つの市の人は参加できない、アメリカの先住民は、何か大切なものを決めるとき、子や孫のことのことでなく、7代先のことまで考えて物事を決める、そういう考えが不参加を決めた人たちにあるのか、と。彼女はこの言葉がずっと胸から離れず、投票当日まであと1ヶ月と迫ったときに、「シール投票」を立ち上げます。

かつての少年少女の闘う姿を追った『宝島』

 1967年の「教公二法案阻止闘争」、69年の「毒ガス漏れ事件」、70年末の「コザ暴動」、そして「本土復帰運動」などの中で、30代後半になったかつての少年少女。『宝島』は、彼ら、彼女らがそこでもがき、闘う姿を追います。その一人は、こう言い放ちます。「条件は二つある その1、コザか那覇に日本(ヤマトゥ)の首都を還すこと、その2、瀬長亀次郎や屋良主席あたりの島の政治家を、佐藤栄作を更迭したあとの内閣総理大臣に任命すること、このふたつが通らなかったら返還は白紙よ。」当時は、「沖縄の闘いは、『県民の総意』を日本政府に突きつけ、対米交渉によって『復帰』を実現するという形の復帰運動から、日本政府への一切の期待と幻想を断ち切った自立的闘争へと転化しつつあった」時代でした。(前掲岩波新書)

県民投票条例の署名運動が翁長さんを後押し

 2018年7月27日、翁長雄志前知事は辺野古新基地建設の承認撤回を表明しました。承認撤回を必ず行うと明言してから1年4か月、亡くなる2週間前のことでした。その間、承認に踏み切らない知事に対する不満、批判が「オール沖縄」を分裂に導きかねないとの懸念が示されたりもしました。

 翁長さんは、記者会見の冒頭、辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票条例の署名活動が7月23日に終了したことに言及し、「署名活動に取り組まれた皆様のご努力に心から敬意を表するとともに、政府におきましてもこれほど多く県民が署名を行った重みについてしっかりと向き合ってもらいたいと思います。」と述べました。「県民投票条例の署名活動」が翁長さんの決断を後押ししたことを認め、新基地問題は沖縄だけの問題でなく、日本全体の問題であると訴えたのです。

 沖縄県民は、直近の2度の知事選、今回の「県民投票」で、圧倒的な「辺野古新基地NO!」の民意を示しました。安倍首相は、県民投票前から、基地建設の継続強行を決めていました。確実にいえることがあります。安倍独裁政権にもやがて終わりがある、辺野古新基地建設は完成しない、しかし、安倍政権が続く限り、この国の憲法が蹂躙され、民主主義が破壊され、対米従属は「深化」し続ける、そして、埋め立てられた大浦湾は元に戻せない。いつもそうです、「そして誰も責任を負わない」。

問われているのは「本土の本気度」

 私は、今回の県民投票を、本土の沖縄に対する無関心と潜在的差別意識への「大いなる異議申し立て」だったと理解します。ある記者が、元山さんに「次は何をしますか?」と問いました。その問いは、元山さんに対してではなく、質問した記者自身に、そして本土の私たちに向けられるべきものでした。問われるべきは「本土の本気度」であり、「奪われた沖縄を取り戻すために、本土が何をするかです。」私たちがなすべきことは、一日も早く安倍政権を退陣させて、この国に憲法と民主主義を取り戻すことです。沖縄を沖縄の人たちに返すためにも。

(会報「非核・いしかわ」第248号/2019年3月20日付に掲載)

すべての自治体で「原爆ポスター展」を 

今年度は19自治体で開催

 

 平和首長会議は、2017年~2020年行動計画にて「各加盟都市において、一人でも多くの市民に被爆の実相について理解を深めてもらい、核兵器廃絶への思いを強くしてもらうようにするため、原爆ポスターや被爆にまつわる資料等を展示する原爆ポスター展を開催する」ことを提唱しています。

 この呼びかけに呼応して非核の政府を求める石川の会では、核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝えるため、県内すべての自治体で「原爆ポスター展」が開催されるよう働きかけています。

 本会が実施した「2018年度平和事業に関する自治体アンケート」によると自治体主催で「原爆ポスター展」を開催したのは、昨年より3自治体増えて13市町になりました。新たに3自治体(川北町、穴水町、能登町)増えたのは、本会も参加している平和行進石川県実行委員会が5月中旬にすべての全自治体を訪問し、日本被団協制作「原爆と人間」パネルの貸し出しも含めて提案し、了解いただいたものです。

 川北町では5月に訪問した時、ポスター展の開催を見送られたが、その後「自治体アンケート」集約結果にもとづき本会から川北町長に直接働きかけて、開催が実現できました。

 この外、石川県、小松市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市の6自治体では、毎年住民団体主催の「原爆と人間」パネル展に公共施設を提供しています。この結果、今年度の「原爆ポスター展」は珠洲市以外の19自治体で開催することになりました。

 本会では、引き続き県内すべての自治体での「原爆ポスター展」開催をめざして働きかけていきます。 

 

 6月10日~24日、原水爆禁止国民平和大行進に参加して県内全市町を訪問し、各自治体における「原爆と人間展」の開催計画と「ヒバクシャ国際署名」の取り組みにつき、改めて集計しました。

 その後、「ヒバクシャ国際署名」に賛同いただいた首長・議長に追加訂正がありましたので再度掲載します。

 

    印刷用(PDF:128KB)

 2017年原水爆禁止国民平和大行進が「能登コース」(6月11日~16日)、「富山-広島コース」(6月17日~24日)と県内全ての市町を訪問し、庁舎前での出発式または到着歓迎式にて各自治体首長の激励挨拶やメッセージが披露されました。杉本栄蔵・中能登町長、寶達典久・宝達志水町長、粟貴章・野々市市長は直接、行進団に激励挨拶をいただきました。また平和行進と並行して行われている「反核・平和マラソン」に寄せられた平和首長会議会長(広島市長)及び日本非核宣言自治体協議会会長(長崎市長)のメッセージも6月17日、富山県からの引き継ぎ式のときに披露されました。

 今年の国民平和大行進に寄せられた県内各市長・町長からのメッセージを紹介します。

     2017年平和行進・県内各首長からのメッセージ(PDF:812KB)

 

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