非核の政府を求める石川の会・団体旗は会員の画家、相沢まりこさんが作成された。この団体旗を掲げて、事務局次長の川本浩平さんは県内の平和行進の初日(富山県からの引継ぎ)と最終日(福井県への引継ぎ)には毎年欠かさず参加している。今年は手作りの小旗「沖縄に新基地はいらない」を付けて行進に参加した。
6月24日(水)午前9時、加賀市役所に集合した行進参加者は24人、総務課長はじめ市職員は6人が参加。集会前に非核石川の会が作成した「2015年度平和事業に関する自治体アンケート集約結果」を総務課職員に手渡す。これで県内すべての自治体にアンケート結果を届けることができた。各自治体での有効活用を期待したい。
出発歓迎集会では宮元陸加賀市長のメッセージ(総務課長が代読)、行進ペナント、アピール署名簿、被爆者救援・連帯募金(ペットボトル9本)を受け取り、通し行進の西田重好さんが県内では最後の挨拶と「平和の暦」を歌った。石川県内では「平和の暦」を18回歌ったそうで行進参加者は手拍子をとり、一緒に歌った。
県内コースの後半に大活躍したのは寺井病院・加賀健康友の会の送迎車である。平和行進の一日の流れは、スタート地点に車を置いて40分程歩き、途中休憩、さらにゴール地点まで30分程歩くコースである。ゴール地点からスタート地点に戻る手段がない場合、宣伝カーで2往復することも何回かあった。今回のように送迎車(8人乗り)が伴走すれば安心して行進に参加することができる。平和行進の常連メンバーからも同様な要望が出されている。来年度以降も全日程で送迎車の伴走が組めるよう実行委員会で検討していただきたい。
最終日は長距離のため、休憩を2回とった。最初の休憩時に「後方支援者」末友雅子さんがふるまったのは水羊羹であり、2回目の休憩時には内藤晴一郎団長から「サクランボ」の差し入れがあった。連日、多彩な差し入れを用意していただいたおかげで、行進参加が一層楽しくなった。
午前11時半、福井県境の吉崎御坊に石川県行進団と反核・平和マラソンのメンバーが到着し、引き継ぎ式が行われた。石川県参加者は約30人、福井県からの参加者は約60人である。
引き継ぎ式での笹原幸信あわら市議会議長の激励挨拶を紹介する。
「私の父は広島での原爆被災者で昨年5月に亡くなりました。被爆者手帳には爆心地より1・7キロで被爆と書かれていました。被災現場では身体は焼けただれ、人の影が石に写っていたなどあまりに悲惨な光景だったのでしょう。父は多くは語りませんでした。この平和行進は8月4日に広島に到着すると聞いていますが、私も福井県代表として8月6日、広島での平和祈念式典に参加します。いま世界中で戦争状態がたくさん起きていますが、人が人を殺すようなことは絶対にしてはいけない。平和な世界が一番よいのです。皆さん手をつないで戦争のない世界、戦争のない国をつくりあげていきましょう」
<通し行進者 西田重好さんのメッセージ>
平和の暦 金沢から日本各地へ
私は毎朝、シティホテル金沢の朝食を食べながら、高校生が自転車でやってきて学校に向かって消え去る姿を見送っていた。
さて、12日間の石川県とのお別れの日がいよいよ明日やってくる。
一番印象に残っているのは、金沢市卯辰山の「平和の子ら像」の前で、“憲法と共に生まれ、憲法と育った人”、68歳の泉さんが「この憲法を守りぬく」とおっしゃった。私は思わずこの笠木透さんの「平和の暦」はあなたのうたです。一緒にこのうたをうたって憲法九条を守り、このうたが日本中でうたわれたら「戦争法案はほろびると思っています」と言った。
♪♪ 九条に生きた68年 これからもまた68年 ♪♪
♪♪ 私たちの平和の暦 何がなくてもこれさえあれば ♪♪
そして、15日中央公園で、出前うたごえサークル指導のもと初めて200人の人々と「平和の暦」のうたごえが響いた。
亡き笠木さんがもっと日本中でうたえうたえと言っているだろう。中央公園でうたわれた「平和の暦」が日本中をかけめぐる時、きっと戦争法案は葬り去られるだろう。幸せな平和公園の夜だった。