憲法97条を死守しましょう/井上英夫

リンカーンとともに

4月NY平和行動の折、「人民の、人民による、人民のための政府」の演説のあったピッツバーグでリンカーンと連帯してきました

 

   憲法97条を死守しましょう

  代表世話人 井上英夫

 皆さんは、憲法97条をご存知でしょうか。平和的生存権が危機に瀕し、戦争前夜を思わせる今こそ97条が大事だと思います。

 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの 権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 人権保障は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると明言しています。

 ここでの「努力」は英文憲法ではStruggleで、闘争です。フランス革命、アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本でも第2次大戦前、人権保障の欠落していた明治、大正、昭和の時代にも人権のための闘いがありました。

 自由民権運動はその一つですが、1884四年(明治17年)には、私の故郷秩父で明治政府の正規軍との最大の闘いがありました。秩父事件です。こうした過去幾多の闘いのなかで、最も大きな成果として結実したのが、第2次大戦への深い反省を踏まえての世界人権宣言日本国憲法です。

 憲法は、アメリカ占領軍、マッカーサーにより与えられたなどという卑屈な俗論を憲法自ら否定しているのです。憲法の人類的視点、闘いによってこそ人権・権利は勝ちとれるという闘争史観こそ学ぶべきだと思います。

 ところが、自民党憲法改正草案では、この人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、97条は全文削除です。支配者や政府にとって一番「怖く」、敵視しているのが、この闘争史観だからと思います。

 そして、平和的生存権とは、「恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生きる権利」(憲法前文)です。恐怖とは戦争やテロ・暴力であり、欠乏とは飢餓や貧困です。つまり、憲法前文・9条と25条の生存権は一体となって平和的生存権を保障しているのですが一緒に葬り去られようとしているわけです。

 「戦争に生活保護費を使わないでください。」

 これは、生活保護の老齢加算復活を求める熊本生存権裁判の原告、88歳の西村カシさんが、2015年5月18日の福岡高裁の不当判決に対して上告し、闘う決意を示され時の訴えです。

 何としても、憲法97条を死守しましょう。そして、憲法12条が国民に求めている「不断の努力」により、憲法9条、25条すなわち平和的生存権を保持し、発展させましょう。

◎本稿は会報「非核・いしかわ」第207号(2015年10月20日発行)のトップ記事です。一足早くホームページに紹介します。

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