【年頭所感】
岩佐幹三さんと田中熙巳さんのこと
代表世話人 五十嵐正博
2024年10月11日午後6時、「ノーべル委員会」は「日本被団協」をノーベル平和賞に選出したと発表、広島市役所で待機していた箕牧智之代表委員が歓喜に震えながら頬をつねるシーンがすべてを語っていました。そのシーンに喜びを共有しつつ、岩佐幹三さんがご存命であれば、と岩佐さんに思いを寄せた方も大勢いらしたことでしょう。本会にとっても待ちに待った吉報でした。
12月10日、ノーベル賞授賞式での田中煕巳さんの演説、「人類が核で自滅することがないように」、と静かに訴えかけるスピーチは、聞くものの心を揺さぶり、全国に田中さんの名を知らしめました。岩佐さんと田中さんには長く深い絆があったことも記憶に留めておかなければなりません。
岩佐幹三さんと非核の政府を求める石川の会
私が金沢大学法学部に職をえたのは1984年4月35歳、岩佐さんはちょうど20歳上の55歳、40年前のこと、岩佐さんが定年退官される1994年3月まで10年余を同僚として過ごしました。皆でよく議論し、酒を酌み交わし、勢いで岩佐家になだれ込んだことも。そんな親しい間柄でありながら、岩佐さんが「被爆者」であることは存知あげていても、「被爆体験」をじっくり伺った記憶はありません。岩佐さんは、1960年「石川県原爆被災者友の会」を立ち上げ、初代会長を務め、1994年に金沢を去るまで続けられていたにもかかわらずです。
1986年5月、全国組織「非核の政府を求める会」が発足、「石川の会」は88年8月に発足しました。岩佐さんは、「結成よびかけ人」のお一人であり、「会」の世話人に名を連ねました。私は、本会の創設からかかわってきましたが、本会発足直後の88年12月、岩佐さんが金沢市立十一屋小学校の金森学級で被爆体験を語り、児童が紙芝居にしたことなどの貴重な記録を長い間、埋もれさせてしまいました。(本誌266号、2020年9月20日参照)
岩佐さんは、2008年、NHK広島が募集した「ヒバクシャからの手紙」に応募しました。『母と妹(好子)へ送るコトバ』、壮絶な被爆体験が語られ、「でも僕たちが体験したことよりも、原爆はもっともっとひどくつらい体験を被爆者に与え続けているんだ。そのような被害を、僕たちの子孫、そして日本国民、さらに人類の上に、再び繰り返させたくない。だから『ふたたび被爆者をつくるな』と核兵器に廃絶を訴え、国が、その『証』として戦争被害、原爆被害に対して将来にわたって補償することを求めて頑張っているんだよ。」岩佐さんの後世への「遺言」です。女優の斉藤とも子さんに、朗読をお願いしたそうです。
岩佐さんは、1994年千葉県船橋市に移られ、埼玉県新座市にある十文字学園で、「十文字学園女子大学」開学に向けた作業に携わり、開学後は「社会情報学部」で「政治学」「平和学」などを担当されました。2000年「被団協」事務局次長に、2011年代表委員に、2017年代表委員を退任(顧問になる)、田中さんが後任となったのでした。3人からなる代表委員は被団協のトップで、広島、長崎の両被爆地と関東エリアから選出されます。
岩佐幹三さんと田中煕巳さん
田中さんは、「十文字学園」教授だった経歴をお持ちです(「コンピュータ概説」「情報処理」などの科目を担当)。岩佐さんと田中さんとの深い絆がここに。私は1997・98年、岩佐さんの依頼で十文字学園社会情報学部で「国際協力論」の集中講義をしたことがありました。私の実家が群馬県太田市にあり、帰省のついでにというお心遣いでした。もっとも、キャンパス内で田中さんに出会うことはありませんでした。
田中さんによれば「初めての出会いは、1974年頃。日本被団協の中央行動に岩佐さんが金沢から私は仙台から参加していた」ときでした。「岩佐さんは金沢大学で定年をむかえたあと首都圏の私大(注:十文字学園)で新たな大学設置の仕事に就き、私にも首都圏に来ることを盛んに勧めた。同じ学園に私を誘ってくださり、1996年から同じ学園でお世話になった。これがきっかけで私は2000年から日本被団協の事務局長を務めることになり3年間の大学との掛け持ちも含め17年間の長きにわたった。」「岩佐さんが一番輝いていたのは1985年、日本被団協の独自調査の調査委員長の時でしたね」(田中煕巳「岩佐幹三さんの思い出」、岩佐幹三さん追悼する会編『岩佐幹三さん追悼集』(2021年9月)。岩佐さんが一番輝いていた1985五年、私は岩佐さんの身近にいたにもかかわらず、気が付きませんでした。「五十嵐君、相変わらず鈍感だな!」天国から岩佐さんの叱責が聞こえてきます。
1月8日、被団協代表委員3名など8名は首相官邸で石破総理と面会しました。核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加を求める被団協の求めに、石破総理は不誠実な対応に終始しました。「非核の政府」を作らなければならないのです。
※本稿執筆にあたり、十文字学園大学事務局に岩佐さんと田中さんの担当科目を問い合わせたところ、丁寧なお返事をいただいたことを記しておきます。
(会報「非核・いしかわ」2025年1月20日号)