年頭所感 一人ひとりの尊厳を尊重する社会を/五十嵐正博

◆ 年頭所感 ◆ 

一人ひとりの尊厳を尊重する社会を

代表世話人 五十嵐正博

 コロナ禍での新年、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。皆さんが本「会報」を手にされるころ、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効します。核兵器の廃絶を願って長年奮闘されてきた皆さんに心より敬意を表します。これからは、「核なき世界」を「実現」するためにどうしたらよいかが問われることになります。

コロナ後の世界を示唆する

 さて、このコロナ禍からなにがみえてきたでしょうか。感染症への警鐘が以前からなされてきたにもかかわらず、ほとんどの国で、感染症に対する対策・準備の軽視あるいは不存在、安倍・菅政権は、「自助・後手後手・場当たり的・コロナよりも経済を」の対応に終 始し、「命を軽んずる」政権であることを改めて明らかにしました。 「安心して暮らせる日常」こそがなにより大事だと実感する日々です。安倍政権は最悪だと思ったら(一難去って)、より悪い菅政権が生まれてしまいました(また一難)。なんと表現しましょうか、「最悪+A」とでも。

 「軍事優先」「新自由主義」政策の下で繰り広げられる「格差社会」の拡大は、弱者により大きな犠牲(まさに生きるか死ぬか)を強いることになっています。自公政権は、「安全保障環境の一層の厳しさ」、「国民の生命・財産を守る」ためという常套句を弄しながら、医療・福祉・教育分野を軽視しつつ、軍事費の拡大だけは続けています。新型コロナウィルスは軍隊で防ぐことはできない、軍隊はむしろ有害無益だということも改めて明らかになりました。「軍事費をコロナ対策に回せ」との声が高まるのは当然です。

 コロナのことを考えながら、ふと思い立ち、書棚の片隅にあった、高校時代の教科書『詳説世界史』(1965年、山川出版社)を取り出しました。赤線だらけ、ほとんど覚えてない。私の記憶力の弱さはさておいて、半世紀以上前の受験勉強はなんだったのか。いや、歴史を学ぶことはとても大切です。受験と結びついたことが問題なのだ、ということにしておきましょう。

 それはさておき、昔の『世界史』の教科書を引っ張り出したのは、「感染症」「ペスト(黒死病)」についての記述があったかを確かめようと思ったからです。唯一、「たまたま1348年黒死病(ペスト)が西ヨーロッパを襲い、農村人口は激減し」、荘園制・封建制の崩壊にともない、「15世紀ごろには各地に中央集権の近代国家が成立してゆく」との記述がありました。「スペイン風邪」は見当たりません。高校生用の「世界史」の教科書は、感染症の蔓延(パンデミック)が国家のあり方を、さらに国際社会のあり方を根本から変える契機の一つになりうると教えていたのです。執筆者にそんな意図があったかどうか、私自身は、当時、そのような意味をくみ取ることはありえませんでしたが。地方政治の実権を握っていた諸侯、騎士が没落し、成長した市民階級は国王と相提携し、中央集権化が図られていったのでした。こうして近代国家が成立していきます。

 そこで、次の問いは、現下のコロナ禍でなにが「没落」し、なにが新たに生まれるのか、いかなる社会の変革がもたらされるのかです。たとえ遅々たるとはいえ、歴史上、人類がたどってきた「進歩」から「変革の道筋」を導きだすことができるのではないか。「進歩」の定義は種々ありえますが、私が思う「進歩」とは、人類は、「一人ひとりの尊厳が尊重される」社会を目指してきたことです。それは、支配と従属、偏見と差別のない社会を目指す「不断の努力」であり、今後も続けられなければなりません。

「植民地の解放」を目指して

 道半ば、あるいは人類史においては始まったばかりかもしれません。私は、「植民地の解放」を研究課題としてきました。国際社会は、国家間の、また国家とその植民地の「支配・従属」関係をいかに断ち切ろうとしてきたか。1960年、国連総会は、植民国家などの反対を押しきって「植民地独立付与宣言」という画期的な決議を採択しました。「すべての植民地人民は独立する権利がある」、この宣言に勇気づけられ、その後100以上の植民地が政治的独立を達成してきました(国連加盟国は51から193へ)。しかし、途上国の経済的「独立」は今も困難を極めています。本稿で詳述することはできませんが、途上国は、先進諸国からの経済的独立を求めて、「多国籍企業の行動を規制する権利」を求めてきました。私は、1996年に「近年の国連における多国籍企業の活動の積極的評価と『民営化』促進の動きは、まさに全世界を『先進国』(の企業)のために再西欧化する試みであり、このままでは途上国を益々従属的な地位に追いやることになろう」と指摘したことがあります。この状況は改善されるどころか、悪化しているのではないか。近年話題の「SDGs=持続可能な開発目標」に、多国籍企業、民営活動はむしろ肯定的に言及されています。実は、途上国の声は先進国の抵抗によりかき消されてきたのです。

「人権の普遍化」を目指して

 1948年12月10日、国連総会が採択した「世界人権宣言」は、もう一つの人類が到達した「進歩」でした。世界人権宣言は、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等で奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものである」と宣言します。以後、国際人権規約をはじめ、種々の人権関係条約が結ばれ、人権を実現するための各種「委員会」が設けられるなどの「進歩」を遂げてきました。第二次大戦後、人権尊重は、すべての国家が従うべき普遍的な理念になってきたのです。

 非植民地化(最近、沖縄では「脱植民地化」といわれます)を推し進めたのが「自決権」という画期的な考えでした。「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」(国際人権規約共通1条)。自決権は、すべての人権享有の大前提であり、植民地支配は自決権の否定そのもの、植民地の人々の人権抑圧体制そのものなのです。「香港」に対する中国の弾圧政策を決して認めることはできませんが、未だに植民地を手放そうとしない植民国家の「政府」(米・英・仏など)が中国を批判する資格はありえないことも指摘しておきます。

日本社会の変革を目指して

 先の教科書の事例にならえば、日本社会の変革のためには、自公政権を「没落」させ、「市民と野党が相提携」し、日本国憲法を活かす政権への交代がなければなりません。その政府は、「一人ひとりの尊厳を尊重する」政府であり、必ずや核兵器禁止条約を批准し、核兵器が「壊滅的な人道上の帰結」、すなわち「人類の生存」に関わるのだと世界に向けて強く訴え、「核兵器のない世界」の実現を目指すはずです。

 なお、沖縄が強いられ続けている諸問題、「日本学術会議任命拒否」、「自衛隊の敵基地攻撃能力」など、それこそ「菅政権はどこまでやるか」と頭の中が沸騰しそうです。それらは別の機会にお話しする機会があるかも知れません。いずれにしろ、政治を私たち市民の手に!

 本年もよろしくお願いします。

 

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