NPTニューヨーク平和行動 平和と人権の旅(井上英夫)

 NPTニューヨーク平和行動-平和と人権の旅

代表世話人 井上  英夫

 今年、広島・長崎被爆70年を迎えます。そして、福島原発爆発から4年がたちました。

 日本も世界も大きな転換点を迎えています。とりわけ、集団的自衛権行使、そして憲法改悪により軍事国家への道を突き進む安部政権下の日本では、第二次大戦後の1950年代の朝鮮戦争・再軍備時代に匹敵するような危機的状態を迎えていると言えるでしょう。

 その意味で、今回のニュ-ヨ-ク平和行動の意味は非常におおきなものがありました。

 被爆70年の4月27日から開始された国連のNPT(核不拡散条約)再検討会議にむけた平和行動に非核の政府を求める石川の会、そして原水協石川県代表団として参加してきました。

 石川の皆さんの平和に対する熱い思いを背に、NYを中心とする、署名行動、パレ-ド、各種集会参加等活動してきました。皆さんのカンパをはじめとするご協力・ご支援に感謝いたします。

 ニュ-ヨ-ク平和行動の目的

 NPT・核不拡散条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)とは、米国、ロシア、英国、フランス、中国の5カ国だけに核兵器保有を認め、それ以外の国への核拡散を防ぐことを目指した条約です。70年に発効。約190カ国が加盟している。事実上の核保有国であるインドパキスタンイスラエルは未加盟で、北朝鮮は一方的に脱退を宣言しました。5年ごとに運用状況を確認する再検討会議があり、前回2010年は核廃絶に向けた行動計画を盛り込んだ最終文書を、全会一致で採択しました。

 2010年の行動にも参加しました。原水協等主催の国際平和会議に出席した潘基文国連事務総長が演説し、核不拡散、核兵器削減から一歩を進め、「核廃絶」を明言したこと、その演説を世界の人々と聞き、震えるほど感動したこと、さらに、被爆国日本の平和運動への各国の期待が想像以上に大きかったことに身の引き締まる思いがしたことなどを思い出しながらの13時間のフライトでした。

 今回、第9回の再検討会議の目的は、2010年の核廃絶に向けた合意の具体化と実行に踏みだすことです。したがって、NNY平和行動の目的は世界の人々と連帯し、法的拘束力を持つ核廃絶措置すなわち核兵器全面禁止・廃絶条約のための交渉を開始するよう、国連及び各国政府にプレッシャ-をかけることでした。

 

 署名行動と平和パレ-ド

 日本の代表団は、多様な活動を展開しました。石川の皆さんと一緒に行動できたのは、セントラル・パ-クでの署名行動と平和パレ-ド参加でした。

 4月26日午前中、NYは快晴でした。新緑と桜、アメリカはなみずき(何故かdog woodというそうです)、豆梨の花等咲乱れるセントラルパ-ク入り口で署名行動を展開しました。さすが、活動で鍛えられている皆さん、なかなか上手で、前回を上回る数の署名が得られました。写真1。

 NY行動 1

写真1 通り過ぎる人にも、めげずに署名を呼び掛ける

 午後から、NY国連前のハマ-ショルド広場に向けてパレ-ドです。石川の代表団も横断幕を掲げ、和服で行進しました。写真2。前回に比べ日本代表団は和服そして仮装や横断幕等楽しく工夫を凝らしているのが目立ちました。

 NY行動 2

 写真2. 和服で行進する石川県代表団

   パレ-ドには、1万人が参加したそうですが、日本代表団の活躍が目立ちました。行進は、2時間以上、集会を含めると4時間近い強行軍でしたが、乳母車から、高齢の方まで歩き通し、アメリカはもちろんフランス、韓国、中国等各国の人々と交流できました。行進は、歌を歌い、楽器もならし、シュプレヒコ-ルもあり、にぎやかなものでしたが、泣く子も黙るNY市警の「警護」(監視)のもとに整然と行われました。ここでも5年前と違うのは、銃を持ち、手錠を二つぶら下げた警察官が意外と友好的な笑顔を投げかけてくれたことでした。写真3.

 NY行動 3

写真3 折鶴を喜ぶNY市警のお巡りさん

 行進の最終地点は、国連前のハマ-ショルド広場でした。ここで、国連代表に日本からの約633万の署名を積み上げ届けました。写真4。

NY行動 4

 写真4. 国連代表に提出した633万筆のアピール署名

 日本の運動が、世界の平和運動に大きな貢献をしているという実感が持てた瞬間でした。ただ、残念なのは、年々パレ-ド参加者が減っていることです。あらためて日本からの呼びかけも強める必要があるでしょう。

 

 NPT再検討会議と日本政府

 もう一つ残念なのは、日本政府の態度です。4月28日には、岸田外務大臣が国連本部で会議に出席し演説し、平和首長会議主催のヒロシマ・ナガサキアピール集会にも出席ました。被爆地広島出身の外務大臣として,被爆地の思いを胸に「核兵器のない世界」に向けた取組を前進させる決意を述べたそうです。しかし、その提案は、 「核戦力の透明性の確保」というような抽象的なもので、何より、核兵器全面禁止条約を含む法的枠組みの必要性については言及すらしていません。

 4月29日には、安倍首相は、日本の首相として初めてアメリカ合衆国連邦議会の上下両院合同会議で演説を行っっています。国連よりも、「同盟国」アメリカに頭を下げ、こびへつらいに行ったということでしょう。

  情けない、ほこりも何もない。内では、侵略につながる集団的自衛権行使、憲法改悪をねらい、外では「平和」、第二次大戦に対する「痛切な反省」と言葉を使い分ける「二枚舌」内閣であることがますます明白になりました。

 安倍首相の外向けの演説の内容は、憲法前文の趣旨に外れるものではありません。だとするなら、なぜ改憲しなければならないのか。全く解せません。しかし、安倍内閣の「うち向け」が本質であることは、NYで外から見てはっきりわかりました。

 平和の運動を一層強めてこの安倍内閣を打破しましょう。

 憲法97条と人権

 平和行動で考え続けたのは、平和と人権のことでした。平和でなければ人権が保障されない。すべての人にあまねく人権が保障されてこそ真の平和である。これこそ積極的平和のほんとうの意味なのです。

 人権保障の運動は、まさに、平和運動です。私達は、国連NGO日本高齢期運動サポ-トセンタ-として国連に高齢者人権条約制定の要請にも行きました。また、アメリカ独立宣言の起草されたフィラデルフィアの独立記念館そして南北戦争の最激戦地ゲティスバ-グで、奴隷解放をしたリンカ-ン大統領の有名な「人民の、人民による、人民のための政府」演説の場所にも立ちました。そして、9.11メモリアルパ-クにも。

 痛感したのは、戦争そして核兵器廃絶の途も個人から国家までの「非暴力」の徹底しかないということでした。そして、憲法の保障する人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggle-闘い)の成果」であるとする、憲法97条の歴史観のすごさと大切さでした。

 自民党憲法草案では、全文削除となっていることを改めて想起せざるにはいられません。

NY平和行動を契機に「平和と人権のための闘い」を一層強力に続けましょう。

 

   被害者と加害者

 日本に帰って、5月14日、再検討会議の最終文書案から、日本の提案を反映し世界の指導者、軍縮専門家、若者に広島・長崎訪問、被爆者の証言を聞くように呼びかけた提案が、中国等の反対により削除されたというニュ-スが流れました。

 中国の傅聡軍縮大使は、記者団に対し「日本政府が、日本を第2次世界大戦の加害者でなく、被害者として描こうとしていることに私たちは同意できない」と述べたということです。

 日中関係がどうあれ、核廃絶という人類的課題にとって被爆地訪問は当然のことであり、中国の態度は間違っていると思います。したがって当然提案は復活されるべきでしょう。

 他方、中国の主張、日本が加害者であり、中国・朝鮮等アジアの国々を侵略したという歴史的事実にも目を向けるべきでしょう。南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)、ハルピンの日本軍731部隊博物館(侵華日軍731部隊罪証陳列館)を訪問し、そして日本軍慰安婦とされたオモニへの聞き取りをしてきた私にとって、日本軍の侵略と残虐行為すなわち日本が加害者であったことは紛れもない事実と言わざるを得ないのです。

 さらに、この問題を考える場合、国と国民の関係もしっかり考えなければなりません。加害者というとき最大の加害責任は政府・国が負うべきです。憲法の前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と言っているように、戦争は政府の行為によって引き起こされるのですから。そして被害者はいつでも国民であり庶民なのですから。

 この意味でも各国指導者とくに中国の指導者に被爆地訪問を求めると同時に日本政府・安倍首相は日本の侵略・残虐行為への加害者責任を明確に認め、必要な謝罪・賠償等の措置をとるべきです。

 今こそ、日本政府・安倍首相の態度が問われています。軍事や暴力でなく領土問題はじめ、国際問題を解決するその外交力が問われています。

 これもまた、憲法前文のいうように、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」するために努力してこそ、「国際社会において、名誉ある地位を占め」ることができるでしょう。

 NY平和行動に先立つ、今年2月には長崎平和公園、そして3月初めにはハワイでパ-ルハ-バ-・アリゾナ記念館に行きました。戦争・平和そして人権とりわけ平和的生存権について考えたのですが、残念ながら日本人の姿は少なかったのです。ワイキキビ-チは、日本人で埋め尽くされていたのですが。それにくらべ、中国の人々の姿が目立ちました。長崎では団体客が沢山見られました。

 国と国の間の外交力が大事なのはもちろんですが、国民レベルでの相互交流、親睦による信頼関係の構築こそ核廃絶、平和社会実現への途だと思います。

 

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