辺野古にてー安保条約・日米同盟は誰を守っているか 井上英夫

辺野古にて―安保条約・日米同盟は誰を守っているか 

代表世話人 井上英夫

 年の改まった1月10日、辺野古を訪問しました。琉球大学法文学部での集中講義の合間でした。

 那覇を発ち、名護バスターミナルまで約1時間半、中央山間部の沖縄自動車道を走る高速バスの旅です。午前中同じ名護市の西海岸にあるハンセン病療養所愛楽園に行き、沖縄の戦争と差別のもう一つの歴史を学び、午後、タクシーで辺野古へ回りました。

写真① キャンプシュワブ第2ゲート前のテント村

 キャンプシュワブ第二ゲート前のテント村には40名ほどの人々が集まり、挨拶と沖縄民謡、三線も披露されました(写真①)。私が帰る4時前には、全国からの100名ほどの参加者に膨らんでいました。

写真② 第2ゲート前の黄色線手前をデモ行進

 その後、「米軍帰れ」」基地つくるな」のシュプレヒコールとともにゲート前歩道をデモ行進しました。これに参加したわけですが、非暴力、平和的デモであることが強調されました。同時に、写真②の黄色線を超えると、基地侵入ということで逮捕されるという、注意がありました。基地内からは、デモへの警告放送が続きます。

写真③ 米軍関係車両の基地への出入りを阻止するデモ隊

 デモ隊は、隊列を組んで基地への米軍関係の車両の出入りを阻止し、「基地反対」「アメリカに帰れ」とドライバーに呼びかけます。民間車両に対しては、妨害しません。米軍関係車両は、Yナンバーですので、すぐわかります。(写真③)

写真④ デモ隊を排除するのは日本の機動隊

 ここで、私にとって思いもかけない光景が出現したのです。デモ隊排除のために基地内から行進してきたのは、日本の機動隊でした(写真④、⑤)。米軍、MPか何かが出てくるのかと思うと日本人だったのです。沖縄県か、他の都道府県からの隊か、聞きもらしましたが、いずれにしても若い日本の人達です。デモ隊を排除して、車両が通ると、基地内に引き上げ、ストップするとまた、基地内から行進して来るのです。

写真⑤ 非暴力、平和的デモを強制的に排除する機動隊

 沖縄そして本土からの基地反対者に同じ日本人同胞が、米軍の手先とさせられ、対立させられています。

 尖閣諸島には日米安保条約5条(集団的自衛権行使の根拠とされている)が適用され、アメリカによって中国から日本の領土が守られる、と安倍政権は有頂天になっていますが、安保条約で血と汗を流すのは日本、守られるのはアメリカでしょう。アメリカ・トランプのための自衛隊、機動隊そして日本政府であるという安保条約・日米同盟の真の姿が辺野古で露呈されていました。

 今回で辺野古は4回目です。一昨年は、名護から路線バスで約30分の辺野古に行きました。辺野古にいられたのは30分程度でしたが、路線バスだからこその貴重な体験をしました。

 一つは、フランスのノルマンディーから来たというご夫婦で、沖縄ちゅら海水族館に向かうということでした。私が、基地反対で辺野古に行くというと、それは素晴らしい、良いことだ、頑張れと、賛同してくれたのです。お二人の方から寄ってこられ、話しかけられたのです。それは、フランス語ができそうだからとのことでした。ドイツでも、ノルウェーでも、現地の人々に間違えられるのは、風貌のためだと言われています。しかし、私は考え方、思想―例えば平和について―が日本人的ではなく人類にとって普遍的なものを目指しているからではないかと勝手に思っています。それは、まさに日本国憲法の姿だと思います。思わぬ、国際連帯ができたわけです。

 今年は憲法施行70周年です。1947年埼玉県秩父市に生まれた私は憲法と一緒に生きてきました。

 もう一つは、バスの三〇代の運転手さんと話ができたことです。沖縄では仕事がないのでバスの運転手ができるだけでもありがたいとのことでした。基地について辺野古について聞いてみました。特に意見はないというのです。生まれた時から基地が存在していて当たり前の光景なので、ということでした。

 この点は、琉球大学の学生の感想文にもありました。基地の存在が当たり前だし、困っている人もいるけど、利益を得ている人もいるのだからいいじゃないかというのです。

 基地の存在、日米同盟の適否、戦争、平和問題の根底を問うのではなく、すでにあるものは仕方がない、それを前提に考えるしかない。「現実」を見れば基地反対、基地をなくすなど無理で、仕方がない、しょうがない、それが現実主義だということでしょうか。

 既成の体制、枠組み、きまりの中で、必死に努力する、偏差値に縛られ疑問は感じないというより感じてはならない、と教え込まれている。自分の生き方を追求し、必要なら枠組み偏差値体制をぶち壊し、別の世界を作る。そうは考えない、考えられなくさせられている。

 そのことに危機感を抱いています。

 辺野古から帰って、午後六時半から、おきなわ住民自治研究所設立準備会主催の第1回「おきなわ平和・環境・人権と自治の教室」で記念講演をしました。沖縄の貧困が主テーマですがもちろん平和、基地問題が根底です。

 私は、沖縄独立論についても話しましたが、お二人から反応がありました。40代の女性からは、賛成だ、他方、70代の方からは、独立論なんてけしからん、とおしかりを受けました。

 沖縄が本土復帰したのは1972年のことでした。「島ぐるみ闘争」はじめ、激しく、必死の運動を支えてきた人々にとっては悲願の達成でしたから、独立論は、自らの運動、存在を否定されることになるのでしょうか。

 お気持ちは、よくわかりますが、平和主義、国民主権、基本的人権の保障を三本柱にした平和憲法のもとに復帰するはずではなかったのか。しかし、憲法改悪が日程に上っている今の日本にとどまっている必要があるのでしょうか。世界中で、民族とは、国とは何かが問われています。相変わらず、安保、基地負担を沖縄の人々に強い続ける、沖縄知事選等何度も示されている沖縄の多くの人々の願いを、自治を否定し、拒絶し、アメリカに追随している、そんな日本国にとどまる必要があるのでしょうか。

 確かに、憲法改悪を阻止し、まともな福祉国家建設の道をこの国に歩ませるのも一つの道ですが、沖縄の進むべき一つの選択肢として「こんな日本」と袂を分かつ、我が道を行くことを日本政府に突き付けるのも一考ではないでしょうか。困難と解決すべき課題は多いのですが、今こそ、冷静にかつ客観的に議論することが必要だと思います。

写真⑥ 元コザ市長・大山朝常さんの著書「沖縄独立宣言」

 元コザ市長であった、大山朝常さんは、1994年に起きた沖縄と日本を揺るがせた少女暴行事件の後、『沖縄独立宣言』(写真⑥ 現代書林1996年)を、沖縄(ウチナーンチュ)そして本土(ヤマトンチュ)の、とりわけ若い世代の人々への「遺書」として発表しました。

 96歳の大山さんは、沖縄の歴史の荒波の中で、「こんなヤマトは、私達沖縄人の祖国ではない」という痛切な思いを胸の奥深く沈静させてきたのですが、「未来につながるもの―それはウチナーンチュが本来のウチナーンチュらしく生きていける沖縄、『ウチナー世』を取り戻すことです。それは、まぎれもなく独立国家・沖縄の再現です。」と訴えたのです。

 琉球王国・沖縄の歴史と現実態を学び、憲法の歴史観、国際的、人類的視点を貫き、恐怖と欠乏(すなわち戦争・テロと飢餓・貧困)から免れ自由に生きる権利、すなわち平和的生存権を構築していくことが大事だと痛感した旅でした。琉球王国に学ぶべきは、軍事力ではなく、政治力・外交力こそが未来を拓くということでしょう。