会の活動紹介

2026年7月31日

石川県内各自治体総務課 御中

(非核平和施策担当課)

非核の政府を求める石川の会

2026年度平和事業に関する自治体アンケートの集計結果    送付にあたって

   6月1日に県内各自治体に依頼した「2026年度平和事業に関する自治体アンケート」の集計結果がまとまりましたのでお送りします。アンケートにご協力いただいた担当課の皆様に感謝申し上げます。

今年の自治体アンケートは、次の4項目についてお尋ねしました。

①  非核・平和事業の計画(原爆写真パネル展の開催、平和行進への対応)

② 子どもたちへの平和教育施策

③ 非核平和宣言の周知方法(掲示場所・掲示開始年)

④ 核兵器禁止条約や非核3原則への取り組み

 

県内18自治体で「原爆写真パネル展」等を開催

「原爆写真パネル展」を自治体主催で開催しているのは、金沢市、七尾市、加賀市、野々市市、津幡町、内灘町、志賀町、宝達志水町、中能登町、穴水町、能登町の11自治体です。輪島市では2023年まで開催していた清水正明医師の「原爆被爆絵画展」は、2024年、令和6年能登半島地震により展示施設が被災したため、今年も開催が難しい状態です。この外、石川県、小松市、加賀市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市の7自治体は、住民団体主催の「原爆と人間」パネル展に公共施設を提供しています。

私たちは核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝えるため、全ての自治体において「原爆写真パネル展」等が開催されるよう要望します。

原水爆禁止国民平和大行進への対応

「富山―広島コース」の石川県では6月6日~22日、各市町庁舎前で開いた出発式や到着歓迎式には殆どの首長からメッセージが寄せられ、首長、議長、教育長が揃って激励挨拶がある自治体も増えています。この外、世界大会に届ける平和行進ペナント(折り鶴再生紙)やペットボトル募金(被爆者救援募金)にも多くの自治体から協力がありました。

平和行進団の代表挨拶では、「我が国の基本方針である非核三原則を堅持し、あらゆる国の核兵器の廃絶を訴え、基本的人権の尊重と恒久平和を求めること」(能美市・非核平和都市を宣言する決議)など、当該自治体の宣言文を読み上げて、出迎えていただいた自治体職員の皆さんと通底する思いを伝えて行進しました。

中学生の広島への修学旅行、夏休中の登校日の平和集会は

 中学校における平和教育として広島への中学生の修学旅行を実施しているのは、小松市、輪島市、川北町です。この外、かほく市では(例年ではないが)令和9年に予定校あり、の回答もありました。

野々市市では毎年8月5日~6日、「平和の旅」として中学校生徒会代表10数人を広島市の平和記念式典に派遣。その事業報告会を各中学校にて開催します。

 夏休みの全校登校日、学年登校日に平和集会、平和教育を実施しているのは、輪島市、珠洲市、加賀市、野々市市、川北町、津幡町、内灘町、宝達志水町、中能登町、能登町の10自治体です。

 平和教育の内容では、平和展に展示する作品の制作、被爆体験記・朗読会の開催、平和に関する図書読み聞かせ、読書指導・図書館活動の年間計画の中に全学年で「平和に関する本」に触れる、学校図書館に「平和に関する本」コーナーを設置、被爆者の講演会動画を教材として活用できるよう編集、小中学校にて「原爆と人間展」の学校巡回展示を実施など、様々な方法で計画されています。

非核平和宣言の周知方法

 県内では全自治体が「非核・平和都市宣言」を決議しており、また都市の連帯を通じて核兵器のない平和な世界の実現をめざす「平和首長会議」に全市町が加盟しています。私たちは、「非核・平和都市宣言」を住民に周知するため、全ての自治体に標柱や懸垂幕の設置を要望しています。しかし、今年のアンケート回答で標柱や懸垂幕を掲示しているのは、金沢市、七尾市、小松市、白山市、能美市、野々市市、川北町、津幡町、内灘町、志賀町、中能登町の11か所に留まり、新たな設置自治体はありませんでした。

〝非核・平和の自治体づくり〟の指標として、引き続き県内全ての自治体において標柱や懸垂幕が設置されるよう要望します。

核兵器禁止条約や非核3原則への取り組み

核兵器禁止条約(TPNW)が2021年1月に国際法として発効し、5年経過し、今年11月には第1回再検討会議が開催されます。この条約には国連加盟国の過半数、99ヵ国・地域が署名・加入し、74ヵ国が批准していますが、日本政府はいまだに署名・批准を拒んでいます。

核兵器のない平和で公正な社会を実現するために、日本政府が国際社会で核兵器廃絶の実現にむけた役割を果たすため、全ての自治体から政府に対して「非核3原則」を堅持し、TPNW再検討会議にオブザーバー参加するよう意見具申することを要望します。

<追記>

今回の平和事業に関する自治体アンケート集計結果及び「原爆写真パネル展」等の開催一覧を非核の政府を求める石川の会ホームページ(https://hikakuishikawa.com/)に掲載しました。ご活用いただければ幸いです。

本会では非核・平和自治体づくりのため、引き続き各自治体への取材・懇談、調査活動を継続していきますのでご協力をお願い致します。

  2026年度 平和事業に関する自治体アンケート 集計報告

     本年6月1日、県内全自治体総務課に調査依頼した「2026年度平和事業に関する自治体アンケート」集計結果を紹介します。

2026年度(令和8年度)平和事業に関する自治体アンケート・集計報告
自治体名 (1)非核・平和事業の計画 (2)子どもたちへの平和教育施策
0 石川県 ・原爆写真パネル展の会場提供(8月4日~17日、石川県庁19階展望ロビー/住民団体主催)
・平和行進への対応/予定なし
・各小中高等学校では、学習指導要領に基づき、社会科や公民科等で平和教育を実施
1 金沢市 ・原爆写真パネル展(7月30日~8月18日)、①金沢市役所第二庁舎 ②金沢市立海みらい図書館 ③金沢市文化ホール/自治体主催)
・平和行進への対応/金沢市長メッセージを送付
・8月6日及び9日は、多くの尊い命の犠牲の上に現在の平和があることに思いを巡らせる大切な日であり、各市立学校には、校長会議や学校訪問等の場を通して、児童生徒が歴史を学び、平和の尊さについて考える機会を適切に設けてほしいと依頼している。
2 七尾市 ・平和展(8月7日~13日、のと里山里海ミュージアム/自治体主催)
・平和行進への対応/ペットボトル募金の設置、日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名の協力、市長メッセージ
・平和展に展示する作品の制作
・被爆体験記・朗読会の開催
3 小松市 ・原爆写真パネル展(8月3日~6日、小松市役所エントランスホール/住民団体主催)
・平和行進への対応/協力金、ペットボトル署名、平和行進メッセージ、懸垂幕
・中学校6校が5月に広島県へ、3校が兵庫県(鶉野飛行場)への修学旅行、平和学習
4 輪島市 ・震災以前は清水正明氏の絵画展を開催していたが、展示していた施設の被災により使用不能(現在解体中)であり、他の施設においても被災やスペースの問題から展示は難しい状況である。今後、新たな施設整備等に合わせて展示を検討したい。
・平和行進への対応/市長及び議長のペナントの提供、市長メッセージの朗読
・今年度、市内中学1年生などが広島市を訪問し、平和学習と防災教育について生徒同士の交流を行う予定である。
・例年どおり夏休みの登校日に平和教育を実施する予定である。
5 珠洲市 ・原爆写真パネル展/予定なし
・平和行進への対応/予定なし
・教科等における平和に関する内容の際に学習を行う
・夏季休業中の登校日時の際に平和に関する学習を行う
・人権教育と関連付けながら学習を行う
6 加賀市 ・原爆写真パネル展(8月3日~8月20日、加賀市民会館/自治体主体)
・平和行進への対応/予定なし
・夏休み登校日に平和集会や平和に関する教育を各校・各学級で実施
7 羽咋市 ・「原爆写真パネル展」(8月6日~11日、コスモアイル羽咋 通路/住民団体主催)
・平和行進への対応/市長メッセージ、ペットボトル募金の設置、署名簿の設置
・本市では、日々の社会科や道徳の授業等を通して、戦争の悲惨さや平和の尊さ、国際理解について学習指導要領に基づき指導しています。
8 かほく市 ・原爆と人間展(7月22日~8月5日、市の公共施設/住民団体主催)
・平和行進への対応/特になし
・平和に関する図書読み聞かせ(複数校)
・上記に伴い、感想を話し合い
・読書指導・図書館活動年間計画の中に、全学年で「平和に関する本」に触れると位置づけ
・図書館に「平和に関する本」コーナー設置(学校など)
・「もし世界が100人の村だったら」の学習の中で世界の平和について学ぶ
・(例年ではないが、)修学旅行で広島を訪問し平和学習を実施(令和9年度に予定校あり)
9 白山市 ・原爆写真パネル展/7月24日~8月9日、白山市鶴来総合文化会館クレイン パネル展示・ビデオ上映会/7月31日~8月5日、白山市市民工房うるわし パネル展示など/市民団体主催(市・教育委員会後援)
・平和行進への対応/庁舎前にて出発式を実施、市長メッセージを読み上げ、署名と募金を手渡ししている。
・昨年度実施した被爆者の講演会を動画撮影したものがあるので、それを教材として活用できるよう編集を行い、貸出等を実施予定です。
10 能美市 ・原爆写真パネル展(8月6日~15日、寺井図書館/住民団体主催)
・平和行進への対応/庁舎において来庁式を実施
・例年、市内小学校で平和学習の授業を実施
11 野々市市 ・原爆写真パネル展(8月14日~20日、学びの社ののいちカレード/自治体主催)
・平和行進への対応/事前に署名及び募金を集めております。また、野々市市を通られた際には、市長および議長が参列し、平和へのメッセージを読み上げ、署名および募金をお渡ししております。
・平和の旅
・平和の旅の事業報告会を各中学校にて開催
・平和集会の開催
・各学級での平和学習
・図書委員会・掲示委員会における啓発活動
12 川北町 ・原爆写真パネル展の予定はありませんが、町のイベント等で展示できないか検討してします。
・平和行進への対応/特にありません
・町内すべての学校で8月6日を全校登校日として平和について考える
・中学校の広島への修学旅行(平和記念資料館見学)
13 津幡町 ・原爆写真パネル展(8月3日~14日、津幡町役場庁舎内/自治体主催)
・平和行進への対応/津幡町役場庁舎内にて到着式を行う
・夏休み中の8月6日から9日頃の全校登校日、または学年登校日に集会で平和教育を実施する
14 内灘町 ・原爆写真パネル展(8月7日~13日、内灘町役場1階ロビー/自治体主体)
・平和行進への対応/特になし
・町立小中学校にて「原爆と人間展」の学校巡回展示を令和8年6月8日(月)~7月16日(木)に実施
・町立小中学校の全校集会において、平和教育を実施予定
・町立小中学校の学校図書館に、平和に関する図書コーナーを設置予定
15 志賀町 ・原爆写真パネル展(8月4日~14日、志賀町役場 町民ホール/自治体主催)
・平和行進への対応/特になし
・小学校 遺族会による講和、絵本の読み聞かせ、動画視聴
・中学校 戦争や平和をテーマにした作文
16 宝達志水町 ・原爆写真パネル展(8月3日~18日、宝達志水町役場庁舎ロビー/自治体主催)
・平和行進への対応/特になし
・夏休み中の登校日の集会時に先生から平和についての講話を実施
17 中能登町 ・戦争の記憶  パネル展(8月11日~18日、ラピア鹿島 コンコース/自治体主催)
・平和行進への対応/町長メッセージ送付、町長・議長・教育長のペナントの寄贈
・夏休み期間中において全校登校日に平和集会を実施(中学校1校:約410人、小学校3校:約700人)
18 穴水町 ・原爆写真パネル展(8月3日~14日、穴水町役場1階ロビー/自治体主催)
・平和行進への対応/町内での住民団体が実施する事業や後援依頼がないため実績なし
・「道徳教育」「人権教育」を通して実施
19 能登町 ・原爆写真パネル展(8月6日~14日、能登町役場/自治体主催)
・平和行進への対応/住民団体実施は把握していません
・8月上旬の登校日に各学校において非核についての講話を予定
自治体名 (3)非核平和宣言の周知方法(掲示場所・掲示開始年) (4)核兵器禁止条約や非核3原則への取り組み
0 石川県 ・掲示していない ・予定なし
1 金沢市 ・「平和都市宣言」碑(姉妹都市公園)
1995年8月1日
・「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」ポスター展を開催(継続実施)
2 七尾市 ・「平和都市宣言」記念碑(市役所本庁舎正面玄関)、2007年設置 ・特になし
3 小松市 ・懸垂幕(市庁舎正面)2010年以降は掲示していることは確認できたが、それ以前は資料が残っていないので不明 ・唯一の戦争被爆国日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名
4 輪島市 ・掲示していない ・原水爆禁止平和大行進への協力
5 珠洲市 ・掲示していない ・予定なし
6 加賀市 ・掲示していない ・特になし
7 羽咋市 ・掲示していない ・特になし
8 かほく市 ・掲示していない ・特になし
9 白山市 ・「平和宣言都市」宣言塔(本庁舎、宮丸交差点、JR美川駅、鶴来支所) ・白山市は平和都市宣言を掲げており、市長が平和首長会議に参加しています。また、国内外すべての国に対して、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶよう求める国際署名運動である「ヒバクシャ国際署名」に賛同し、ホームページにリンクを貼っていました。(2020年署名活動終了)
・今後とも、白山市は平和都市宣言と平和首長会議への参加を通じて、核兵器廃絶に向けた取り組みを進めてまいります。
10 能美市 ・「非核平和宣言都市 能美市」懸垂幕(市役所本庁舎)、2019年 ・特になし
11 野々市市 ・「平和都市宣言のまち」標柱
(庁舎前駐車場)、2014年
 昭和59年に石川県内で最初の平和都市宣言を決議し、昭和62年に日本非核宣言自治体協議会へ加入しています。また、平和首長会議にも加盟しており、過去には市長が平和首長会議総会に出席しております。
12 川北町 ・「平和都市宣言の町」懸垂幕
(川北町文化センター前)、2022年
・特にありません
13 津幡町 ・「平和都市宣言の町」標柱
(役場前)、1992年設置ー2021年改修
・特になし
14 内灘町 ・「非核平和都市宣言の町」宣言塔
(役場庁舎横:2003年、保健センター前:1992年)
・平和宣言塔(泉源公園/歴史民俗資料館横)1996年
・上記(3)の宣言塔を1992年から掲示中。
15 志賀町 ・「非核宣言の町」宣言塔(役場駐車場・花壇)、2006年 ・特になし
16 宝達志水町 ・掲示していない ・特になし
17 中能登町 ・「非核・平和宣言の町」標柱
(中能登町役場総務庁舎)2015年
・記念植樹ハナミズキ
(中能登町役場総務庁舎)2015年
・今後も原爆パネル展や平和教育を継続する
18 穴水町 ・掲示していない ・原水爆禁止国民平和大行進の受け入れ及び募金活動
19 能登町 ・掲示していない ・特になし
2026年7月31日 非核の政府を求める石川の会

 

 

 

非核の政府を求める石川の会が6月1日に実施した「2026年度 平和事業に関する自治体アンケート」には7月28日までに全自治体から回答が寄せられました。

このうち2026年度 県内自治体における「原爆写真パネル展」等の開催計画を本会HPに掲載します。

 

2026年度 県内自治体における「原爆写真パネル展」等の開催一覧
自治体名 展示内容 日程 会場 主催
自治体 住民団体
0 石川県 ・平和のパネル展 8月4日~17日 石川県庁 19階展望ロビー
1 金沢市 ・原爆写真パネル展 7月30日~8月18日 金沢市立海みらい図書館  金沢市役所第二庁舎
金沢市文化ホール
・原爆と人間展 8月9日 近江町いちば館前
2 七尾市 ・平和展 8月7日~13日 のと里山里海ミュージアム
3 小松市 ・原爆と人間展 8月3日~6日 小松市役所 エントランスホール
4 輪島市 ・清水正明・原爆絵画展 震災以前は清水正明氏の絵画展を開催していたが、展示していた施設の被災により使用不能(現在解体中)であり、他の施設においても被災やスペースの問題から展示は難しい状況である。今後、新たな施設整備等に合わせて展示を検討したい。
5 珠洲市
6 加賀市 ・原爆写真パネル展 8月3日~20日 加賀市市民会館 1階ロビー
・平和のための戦争展 8月1日~15日 加賀市立中央図書館1階
7 羽咋市 ・原爆と人間展 8月6日~11日 コスモアイル羽咋・通路
8 かほく市 ・原爆と人間展 7月22日~8月5日 うみっこらんど七塚・海と渚の博物館
9 白山市 ・原爆と人間展 7月24日~8月9日 白山市鶴来総合文化会館・クレイン
・原爆と人間展 7月31日~8月5日 白山市市民工房・うるわし
10 能美市 ・原爆と人間展 8月6日~15日 能美市立寺井図書館
11 野々市市 ・原爆写真パネル展 8月13日~19日 学びの社ののいちカレード
12 川北町 ・原爆と人間展
13 津幡町 ・原爆写真パネル展 8月3日~14日 津幡町役場 1階町民プラザ
14 内灘町 ・原爆写真パネル展 8月7日~13日 内灘町役場 1階ロビー
15 志賀町 ・原爆写真パネル展 8月4日~14日 志賀町役場 1階ロビー
16 宝達志水町 ・原爆写真パネル展 8月3日~18日 宝達志水町役場 1階ロビー
17 中能登町 ・戦争の記憶   パネル展 8月11日~18日 ラピア鹿島コンコース
18 穴水町 ・原爆写真パネル展 8月3日~14日 穴水町役場1階ロビー
19 能登町 ・原爆写真パネル展 8月6日~14日 能登町役場2階町民ギャラリー
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         2026年7月28日 非核の政府を求める石川の会・作成

【年頭所感】

新憲法公布80周年、前文を読みましょう

代表世話人 井上英夫

 あけましておめでとうございます。今年こそ、よい年になりますように、と願っているのですが、年明けから、国内外ともに不穏な状況ですね。

7日から8日と門前、穴水の被災地に行きました。能登半島地震から2年、復旧・復興は遅々として進んでいません。能登の人たちは必死に頑張っています。しかし、もっとも頑張るべき国、県の姿はほとんど見えず、人々の将来への不安は増大しているように感じました。

 住み続ける権利の保障による人間の復興とはほど遠く、国・県は人権の保障ではなく、公助すなわち援助・応援という寄り添い政策に終始し、被災者、能登の人々に自助・頑張り共助・助けあいを強いています。過疎化、高齢化、少子化を一層進め、集約化、集中化により能登を住み続けられなくする。地域崩壊・棄民政策というべきです。他方で、大軍拡をすすめ平和主義・非核三原則、基本的人権の保障、国民主権・民主主義という憲法の3本柱をも放棄しようとしています。内外の危機的状況下、能登そして日本、世界にとって、憲法とりわけ平和的生存権を基礎とした住み続ける権利の確立こそ喫緊の課題です。私達、非核の政府を求める会の存在意義・活動の必要性はますます高まっています。

年頭にあたり、憲法前文をじっくり読んでみましょう。わずか690語です。新憲法は、第二次大戦敗戦直後の1946年11月3日に公布され80年になります。日本、世界の人々の戦争への反省と平和への希求を反映し、世界最先端の憲法でした。古くなるどころか、今、私たちがなすべきこと、日本と世界の進むべき方向とくに平和的生存権の保障、を示しています。

 

日本国憲法 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

  そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、 普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

 第一段落では、①国民主権議会制民主主義体制、②今に生きる私たちだけでなく子孫のために、③諸国民との協和による成果と、自由のもたらす恵沢すなわち平和と基本的人権の保障、④政府の行為によって再び戦争が起らないよう、にすることへの決意を述べます。戦争は、決して国民の望むものでなく政府の行為によって起こるという認識が大事ですね。

第二段落は、人類普遍の原理として国の政治体制の基本を示しています。立憲主義の表明といってよいでしょう。

①国政は、主権者国民によって信託された代表者によって行われる。

②国政の権利(権限)行使も国民の主権を代行するものです。国会議員や行政官僚、裁判官が、国民に優位するという考えは全く間違っています。国政の「権利」は、主権者国民の権利と違い制限付きの「権限」にとどまります。むしろ国政の横暴、すなわち主権者たる国民の人権侵害・剥奪に歯止めをかけるもので、立憲体制の意味はこの点にあります。

③したがって、この人類普遍の原理に反する、憲法、法令、詔勅等は排除され無効となります。基本的人権を侵害し、剥奪するような「憲法改悪」は許されません。

第三段落は、平和的生存権の保障です。

第一に、日本国民に、恒久平和と人間相互の関係を支配する崇高な理想を自覚することを求めています。

第二に、私達の安全と生存を保持する大前提は、平和を愛する諸国民の公正と信義に依頼することである、ということです。第一段落でも、諸国民との協和が述べられています。

 第三に、平和的生存権です。全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を保障しています。

ここで、恐怖fearとは戦争やテロ、暴力で、欠乏wantとは飢餓や貧困です。平和的生存権は、単なる宣言ではなく、戦争と軍備を放棄した憲法9条に、そして欠乏からの自由は、主として健康で文化的な権利を保障した憲法25条に結実しているわけです。その意味で憲法9条と25条は一体であり、さらに平和的生存権は、現在では、裁判所によってすべての人権の基底的権利であり国民の具体的権利とされています。

第四段落は、一国平和主義でなく全世界の人々を視野に入れています

第一に、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない

第二に、前文に述べられている政治道徳の法則は、普遍的であり、この法則に従うことこそ、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である、と宣言しています。

現状をみるとあまりに、崇高かつ理想主義的といえるかもしれません。しかし、この方向を貫くことこそ、日本が、国際社会において名誉ある地位を占めることになるのではないでしょうか。トランプ、プーチン、習近平そしてネタニヤフ等現在の独裁者に、鉄槌を下せと言っているわけです。

 最後に、私たち国民の、国家の名誉にかけ、全力をあげて崇高な理想と目的を達成するという誓い、を掲げています。

人権のためのたたかいへ

 憲法97条は、憲法の保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であると明言し、さらに憲法12条は、憲法・人権の保持のための不断の努力を国民に求めています。

前文は2012年の自民党憲法改正草案では全面書き換えで平和的生存権削除です。また、憲法97条は全面削除です。為政者・権力者にとって人々の人権のためのたたかいがもっとも怖いわけでしょう。

80年後の今こそ、憲法前文の掲げた誓いを果たすため、平和憲法を守り発展させる人権・非核のためのたたかいに立ち上がるべき時だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【年頭所感】

奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし

代表世話人 五十嵐正博

日に日に世界が悪くなる

NHKの「朝ドラ」主題歌に耳を傾けたことがかつてあったでしょうか。「毎日難儀なことばかり」、はたまた「日に日に世界が悪くなる」、「そうだよな!」とうなずく毎朝です。国際法などどこ吹く風、「威嚇」をちらつかせ、「武力行使」をものともせず、「皆殺し」(ジェノサイド)を「したり顔」(あの「作り笑い」もその同類異種か)で吹聴する指導者たち、「傍若無人」「やりたい放題」、「狂気」が世界に渦巻いています。

この「狂気」は、「奢れるもの」(「悪魔」「独裁者」といってもいい)の断末魔、「帝国」が崩れ落ちる叫びのように聞こえます。「奢れるもの」には、「いのち」の尊重をものともしないという共通点があります。米国は、反米と見なす指導者の殺害、拉致、あるいは失脚させる多数の「政権交代作戦」を実行してきました。ベネズエラを「武力攻撃」し、大統領を「拉致」するという「狂気」は、今に始まったことではありません。

米国は、「ドンロー主義」にやがて「東半球」まで射程に入れ、日本で米軍基地の撤退を迫る指導者が現れたら「拉致」し、米国で裁判にかけるのでしょうか。反米政策をとる各国の指導者は「眠れぬ夜」を過ごしているでしょう。

生物は「大量絶滅と大繁栄」を繰り返しながら「進化」を遂げてきたといわれます。折しも、国立科学博物館では「それでも進化は続く」との楽観論を述べつつ、「生命が誕生してから40億年」「様々な角度から5回の大量絶滅の謎」に迫る「大絶滅展」が開催されています。今や、第六次大絶滅期に入ったという説もあるそうです。従来の大量絶滅が、大規模な火山の噴火や隕石の衝突といった環境の激変によるものだったのに対し、現在起こりつつある第六次大量絶滅は、人類の存在に起因するものだとの説に納得します。田中熙巳さんは、ノーベル平和賞受賞演説で「人類が核兵器で自滅することのないように」と訴えました。核兵器、原発の存在、地球環境危機がもたらしうる「大絶滅」は、まさに「ヒト」の存在に起因します。

「平和四原則」:全面講和・中立・軍事基地反対・再軍備反対

さて、古い話で恐縮ですが、いまから76年前に発表された「講和問題についての平和問題談話会声明」を紹介しましょう。「声明」は「日本が平和国家としてのあるべき姿」を描いており、今に通ずる提言です。

1945年8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受諾、同宣言12項は、日本国国民が自由に表明する意思に従って平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立されれば、「連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収される」と規定していました。しかし、「占領軍」は直ちに撤退するどころか、1951年、講和条約と同時に署名された「(旧)日米安保条約」により「米国軍隊」に置き換えられました。1946年11月3日、「日本国憲法」が公布、1949年10月1日には、中華人民共和国建国宣言がなされ、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発、1951年9月18日、「日本との平和条約」が連合国諸国と日本との間で署名、という道筋をたどります。

講和条約締結に当たっては、国内で「全面講和か単独講和」かの活発な議論が行われていました。「講和問題についての平和問題談話会声明」が発表されたのは1950年1月15日(『世界』1950年3月号)、朝鮮戦争勃発前です。「談話会」は、『世界』初代編集長、吉野源三郎氏が、ユネスコから出された声明に示唆をえて、東京、関西在住の学者を中心に組織した会でした。私が幸運にも謦咳(けいがい)に接することのできた田畑茂二郎先生もそのメンバーでした。

「声明」は、講和問題の処理は、「日本の運命を最後的に決定するであろう」との痛切な思いを述べます。「懇話会」は討論の前提として、「第一は、われわれの憲法に示されている平和的精神に則って世界平和に寄与するという神聖なる義務」を、「第二は、日本が一刻も早く経済的自立を達成して、徒らに外国の負担たる地位を脱せんとする願望」を指摘し、具体的に以下の四点に言及します。

第一に、「経済的自立」は「全面講和の確立を通じてのみ充たされる」のであり、単独講和は、日本と中国その他の諸国との関係を切断する結果となり、自ら日本の経済を特定国家への依存及び隷属の地位に立たせることになる。

第二に、日本国憲法の平和的精神を忠実に守る限り、「二つの世界の調和を図るという積極的態度」で講和の問題に当たることが要求され、「単独講和はわれわれを相対する二つ陣営の一方に投じ、それとの結合を強める反面、他方との間に、単に依然たる戦争状態を残すにとどまらず、さらにこれらとの間に不幸なる敵対関係を生み出し、総じて世界的対立を激化」させる。

第三に、「講和後の保障」については、あくまで「中立不可侵を希い、併せて国際連合への加入」を望む。「単独講和または事実上の単独講和状態に付随して生ずべき特定国家との軍事協定、特定国家のための軍事基地の提供の如きは、その名目が何であるにせよ、わが憲法の前文及び第九条に反し、日本及び世界の破滅に力を藉(か)すものであって、われわれは到底これを承諾することはできない。日本の運命は、日本が平和の精神に徴しつつ、而も毅然として自主独立の道を進む時のみ開かれる。」(ゴチック対は筆者)

第四に、「理由の如何によらず、如何なる国に対しても軍事基地を与えることには、絶対に反対する。」

「奢れる人は久しからず」

日本の歴代政権は、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「わが物顔」していた時代も終わっているかもしれません。

世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、すべての「軍事同盟」を、なによりも各国の「軍隊」を解体しなければなりません。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、世界各地で「公然と」国際法無視の武力行使が行われている現在、「日本国憲法前文及び第九条」を世界に向けて広めなければならないと強く思います。「講和問題についての平和問題談話会声明」で述べられた諸提言は今もわたしたちが追及すべき「道しるべ」です。

 

 

 

 

【年頭所感】

戦後・被爆80年にあたって

日本国憲法にノーベル平和賞を

代表世話人  井上英夫 

 

     ノーベル平和賞受賞後、被団協代表団らが記念撮影(12月10日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けましておめでとうございます。 元旦、晴れましたね。今年こそ皆様にとって良い年になりますようにお祈りします。

 昨年は、多難な年でした。元旦の能登半島地震そして9月21日、豪雨、洪水が襲いました。国際的にもロシア侵略、イスラエルのガザ侵略そしてジェノサイドは続いています。ヨーロッパでの極右勢力の進出、アメリカではトランプ再登場です

 しかし、暮れには明るいニュースがありました。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞です。田中熙巳代表委員の受賞講演はじめ被爆された皆さんの訴えは、授賞式会場・ノルウェーのみならず世界を揺るがせました。石川からも本会会員で四歳の時広島で被爆された西本多美子さん、保険医協会の大田健志さんが若者代表で参加されました。

被団協―人権のためのたたかい

 田中さんは受賞講演において、被団協は、二つの基本要求を掲げて運動してきたと言います。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張に抗い、「原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならない」、という要求です。もう一つは、「核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない」ということです。そして、田中さんは最後に、「人類が核兵器で自滅することのないように。 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」と訴えました。

 日本被団協の運動、そして私達非核の政府を求める会等の核廃絶・平和運動は、憲法九七条の認める「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggle)」、すなわち、人権のためのたたかいに他なりません。そして、たたかいの成果が、未だ不十分ですが、国内的には被爆者援護法、そして国際的には、核のタブー、核不拡散条約、核兵器禁止条約に結実し、平和賞受賞となったのです。

 何より、憲法前文が人権の基底的権利として保障している平和的生存権確立のためのたたかいです。

平和的生存権―日本国憲法に平和賞を

 憲法前文は、日本、世界が進むべき道を人類の普遍的原理として示しています。全文を掲げますので、とくに太字部分に注目しお読みください。

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日本国憲法・前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ

(昭和21年11月3日公布、昭和22年5月3日施行)

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 原爆はじめ被害者そして加害者として残虐な結果を招いた第二次大戦への反省を踏まえ、国民主権、基本的人権の保障、平和主義を3本柱とすること、、とりわけ「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」、すなわち平和的生存権を有することを確認しています。恐怖(戦争やテロ・暴力)からの自由を求め、軍備と戦争を否定した憲法9条と、欠乏(飢餓や貧困)からの自由すなわち「健康で文化的な生活」の保障を定めた25条は、その具体化で両者一体なのです。

 日本被団協へのノーベル平和賞授賞理由は、「ヒバクシャ」として知られる広島と長崎の原子力爆弾の生存者たちによる草の根運動が、「核兵器のない世界の実現に尽力し、核兵器が二度と使われてはならないことを証言を通じて示してきたこと」です。そして、ノーベル賞委員会は、「一つの心強い事実を確認したい」と続けます。それは、「80年近くの間、戦争で核兵器は使用されてこなかった」、「日本被団協やその他の被爆者の代表者らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献した」ということです。だとすれば、平和的生存権を掲げる日本国憲法そして被団協をはじめとする日本の平和運動もまた、ノーベル平和賞に値すると思います。

 ノーベルは、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すると遺言しました。

 この点からすると、日本国憲法への授与は難しいかも知れませんが、平和、核兵器・戦争の抑止力としてその価値は十分にあると思います。

核抑止論と非暴力主義

 現在、世界には直ちに発射できる核弾頭が4000発以上あります。核兵器削減、廃絶は困難な道です。この現実の根底にあるのが「軍備・核抑止論」です。そして「目には目を」の報復です。核抑止論そして軍備抑止論は手ごわい存在です。日本も軍事大国への道を進み、軍事費2倍化でアメリカ、中国に続く世界第3位になろうとしています。

 突き詰めると、核抑止論に対抗するには、一人一人の「非暴力主義」しかないと思います。南アフリカで最初の黒人大統領となったネルソン・マンデラは、非暴力運動(貫徹はできませんでしたが)によりアパルトヘイトを廃止し、白人への報復を否定し、「虹の国」づくりを呼びかけました。非暴力そして報復の否定こそ、核抑止論の克服・核廃絶への近道だと思います。

国家の役割

 世界の人々の日本の平和運動への期待は大きなものがあります。私達の平和的生存権確立のためのたたかいはこれに応えられているでしょうか。アメリカの核の傘に入り、核兵器禁止条約の批准はおろか参加すらできない、日本国の情けなさです。あらためて国とは何かが問われています。

 憲法前文は、国民が「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」したと述べています。戦争は、国によって引き起こされること、そして、それを阻止するのは、私たち国民であること、を厳しく問うています。

 最後に、災害は恐怖であり欠乏です。能登の人々は、地震そして豪雨に襲われ、「神も仏もないものか」、もう住み続けられないのでは、と絶望の淵に立たされています。戦前、江戸時代ならともかく、現代・新憲法下では、神や仏に代わって、人々・国民の生活、安心を守る、すなわち人権として「住み続ける権利」を保障するのは国の義務であり責任に他ならない。そのために国をつくり、憲法を制定したのではないでしょうか。

 国外の脅威に国民の目を向けさせ、軍備増強、憲法九条改悪をはかるのではなく、国内の災害・脅威にこそ財政を総動員する。それこそが、国の役割であり、存在意義だと思います。

(会報「非核・いしかわ」2025年1月20日号)

【年頭所感】

岩佐幹三さんと田中熙巳さんのこと

代表世話人 五十嵐正博

 2024年10月11日午後6時、「ノーべル委員会」は「日本被団協」をノーベル平和賞に選出したと発表、広島市役所で待機していた箕牧智之代表委員が歓喜に震えながら頬をつねるシーンがすべてを語っていました。そのシーンに喜びを共有しつつ、岩佐幹三さんがご存命であれば、と岩佐さんに思いを寄せた方も大勢いらしたことでしょう。本会にとっても待ちに待った吉報でした。

 

2016年2月北陸原水協学校in金沢で講演する田中熙巳さん

 12月10日、ノーベル賞授賞式での田中煕巳さんの演説、「人類が核で自滅することがないように」、と静かに訴えかけるスピーチは、聞くものの心を揺さぶり、全国に田中さんの名を知らしめました。岩佐さんと田中さんには長く深い絆があったことも記憶に留めておかなければなりません。

岩佐幹三さんと非核の政府を求める石川の会

 私が金沢大学法学部に職をえたのは1984年4月35歳、岩佐さんはちょうど20歳上の55歳、40年前のこと、岩佐さんが定年退官される1994年3月まで10年余を同僚として過ごしました。皆でよく議論し、酒を酌み交わし、勢いで岩佐家になだれ込んだことも。そんな親しい間柄でありながら、岩佐さんが「被爆者」であることは存知あげていても、「被爆体験」をじっくり伺った記憶はありません。岩佐さんは、1960年「石川県原爆被災者友の会」を立ち上げ、初代会長を務め、1994年に金沢を去るまで続けられていたにもかかわらずです。

 1986年5月、全国組織「非核の政府を求める会」が発足、「石川の会」は88年8月に発足しました。岩佐さんは、「結成よびかけ人」のお一人であり、「会」の世話人に名を連ねました。私は、本会の創設からかかわってきましたが、本会発足直後の88年12月、岩佐さんが金沢市立十一屋小学校の金森学級で被爆体験を語り、児童が紙芝居にしたことなどの貴重な記録を長い間、埋もれさせてしまいました。(本誌266号、2020年9月20日参照)

 岩佐さんは、2008年、NHK広島が募集した「ヒバクシャからの手紙」に応募しました。『母と妹(好子)へ送るコトバ』、壮絶な被爆体験が語られ、「でも僕たちが体験したことよりも、原爆はもっともっとひどくつらい体験を被爆者に与え続けているんだ。そのような被害を、僕たちの子孫、そして日本国民、さらに人類の上に、再び繰り返させたくない。だから『ふたたび被爆者をつくるな』と核兵器に廃絶を訴え、国が、その『証』として戦争被害、原爆被害に対して将来にわたって補償することを求めて頑張っているんだよ。」岩佐さんの後世への「遺言」です。女優の斉藤とも子さんに、朗読をお願いしたそうです。

 

2011年6月核戦争を防止する石川医師の会総会で記念講演する岩佐幹三さん

 岩佐さんは、1994年千葉県船橋市に移られ、埼玉県新座市にある十文字学園で、「十文字学園女子大学」開学に向けた作業に携わり、開学後は「社会情報学部」で「政治学」「平和学」などを担当されました。2000年「被団協」事務局次長に、2011年代表委員に、2017年代表委員を退任(顧問になる)、田中さんが後任となったのでした。3人からなる代表委員は被団協のトップで、広島、長崎の両被爆地と関東エリアから選出されます。

岩佐幹三さんと田中煕巳さん

 田中さんは、「十文字学園」教授だった経歴をお持ちです(「コンピュータ概説」「情報処理」などの科目を担当)。岩佐さんと田中さんとの深い絆がここに。私は1997・98年、岩佐さんの依頼で十文字学園社会情報学部で「国際協力論」の集中講義をしたことがありました。私の実家が群馬県太田市にあり、帰省のついでにというお心遣いでした。もっとも、キャンパス内で田中さんに出会うことはありませんでした。

 田中さんによれば「初めての出会いは、1974年頃。日本被団協の中央行動に岩佐さんが金沢から私は仙台から参加していた」ときでした。「岩佐さんは金沢大学で定年をむかえたあと首都圏の私大(注:十文字学園)で新たな大学設置の仕事に就き、私にも首都圏に来ることを盛んに勧めた。同じ学園に私を誘ってくださり、1996年から同じ学園でお世話になった。これがきっかけで私は2000年から日本被団協の事務局長を務めることになり3年間の大学との掛け持ちも含め17年間の長きにわたった。」「岩佐さんが一番輝いていたのは1985年、日本被団協の独自調査の調査委員長の時でしたね」(田中煕巳「岩佐幹三さんの思い出」、岩佐幹三さん追悼する会編『岩佐幹三さん追悼集』(2021年9月)。岩佐さんが一番輝いていた1985五年、私は岩佐さんの身近にいたにもかかわらず、気が付きませんでした。「五十嵐君、相変わらず鈍感だな!」天国から岩佐さんの叱責が聞こえてきます。

 1月8日、被団協代表委員3名など8名は首相官邸で石破総理と面会しました。核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加を求める被団協の求めに、石破総理は不誠実な対応に終始しました。「非核の政府」を作らなければならないのです。

※本稿執筆にあたり、十文字学園大学事務局に岩佐さんと田中さんの担当科目を問い合わせたところ、丁寧なお返事をいただいたことを記しておきます。

(会報「非核・いしかわ」2025年1月20日号)

【2024年巻頭言】

能登半島地震 自衛隊を「サンダーバード」に

代表世話人  井上英夫

 余寒の中、被災された皆様にお見舞い申し上げます。元旦は、北陸には珍しく快晴でした。石川啄木の「何となく 今年はよい事あるごとし 元日の朝晴れて風無し」を口ずさみながらおとそ気分でいたところに激しい揺れが襲いました。その惨状は、本紙新年号の五十嵐正博さんの迫真かつ貴重な体験記の通りです。

 金沢市田上新町の我が家の200m先でがけが崩れ、四軒の倒壊がありました。周辺32戸に避難指示が出ました。我が家も崖上ですが、一部損壊に止まり無事で避難指示対象外でした。しかし、珠洲、輪島等能登の東日本大震災に匹敵する被害状況が日を追って明らかになってきました。

 五十嵐さんは「たった二晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました」と言います。そして憲法前文の平和的生存権を踏まえ、人殺しのための軍事費の「皆が普通に生きられる社会」づくりへの転用を訴えています。まさに被災した人々はもちろん私たちの願い、希望を語り、まったくわが意を得たりです。

 私たちは、能登とくに珠洲で、「過疎化」が進み、残された高齢者・障害のある人も、医療や福祉制度等の貧困により住み続けられず出ていかざるを得ないという「もう一つの過疎化」の実態を明らかにしました。そこに地震が襲っているわけですが、国内外の災害現場に立ち「住み続ける権利」を提唱してきました。

住み続ける権利と平和的生存権

 住み続ける権利とは、すべての人が、どこに、誰と住むか、どのように住むか、その自己決定を人権として保障することです。被災者、地域住民の生まれ育った家、地域に住み続けたいという願いは強烈です。住み続ける権利とは、その願いを実現するものです。日本国憲法は、居住移転の自由(22条)、生存権・生活権・健康権・文化権・居住の権利(25条)、働く権利(27、28条)、教育を受ける権利(26条)等保障しています。それらの人権保障により実現される新しい人権です。

 人々の頑張り、助け合いは大事ですが、それを可能とするのは、人権がしっかり一人一人の生活の基盤を支えてこそです。その保障義務があるのは国や自治体です。「公助」「寄り添い」などといい、人々に自助・共助、頑張りを強要してはなりません。

 住み続けられるためには、最大の要因である恐怖(戦争やテロ)からの自由と欠乏(飢餓・貧困)からの自由を保障する平和的生存権が基底的権利となります。

 人権とは、生きる基本を保障することですが、その目的は人々の願望・希望を実現することにあります。したがって住み続ける権利の根拠は、被災者・住民の皆さんの願いや希望ということになります。

 避難所ホテルにて 一緒に暮らしたい・戻りたい

 2月10日、金沢市片町のアパホテルに避難中の輪島市門前深見地区の皆さんに話を伺いました。2007年の能登半島地震の時、船で全員脱出し、今回は、望んだわけではないが、自衛隊のヘリで避難させられた地区です。

 ホテルは、最初は食事がひどかったし、狭い個室で夫婦も別々で決して良い環境ではないが我慢している。そこも2月中に追い出され、行き場がない。仮設住宅は四月末になる等問題点が次々に話されました。その模様は3月のNHKクローズアップ現代で放映されるそうです。もっとも強調されていたのは地区の皆が一緒に暮らしたい、深見に戻りたいということでした。

 以下被災地で心を動かされた言葉をいくつか紹介しましょう。

家がかわいそう

 被災地に立つとき写真を撮るのを躊躇します。2007年の能登地震支援の時、倒壊した家の写真を撮らしてほしいとお願いしたら、「可哀そうだから撮らないで」「夫婦で苦労して建てた家だから」と言われたことを思い出したからです。

 家の保障こそ住み続ける権利の出発点です。日本では自己努力、個人の甲斐性として考えられていますから、家への愛着はことさら強いわけでしょう。その努力は貴重です。しかし、そろそろ家も公的に保障されるべきです。全壊でなくても深見地区のように避難させられれば住み続けられませんから補償は全壊並みにすべきです。

ここを愛している 何故遠くに行かないか

 中国四川地震の時を参考とし、自治体が被災地自治体と提携して支援を行うという「対口支援」も行われています。病院や施設の受け入れ準備もされています。しかし、多くの人々は遠くに行きません。能登を離れません。生まれ育った地、自分で選んだ土地を離れたくない。これも被災地の人々とりわけ過疎地の人々の願いです。東日本大震災の避難所でお会いした、女性の一言が今も耳に残っています。何故、高台へ、あるいは他の津波の来ないところに移転しないのか。この海、景色を「愛している」からだと言われたのです。愛しているから戻りたい、住み続けたい。この願いは贅沢でしょうか。わがままでしょうか。

「黙した鬼」だ

 能登の人々は、国や自治体の災害・復興対策に文句は言いません。阪神淡路大地震の時と大違いです。「能登はやさしや土までも」、と言いますね。人々もやさしく、忍耐強い。東北の被災地でも同様でした。何故怒らないのか、「黙した鬼」だからというのです。はらわたが煮えくり返るほどの怒りを抑えているということでしょう。

自分のことは自分で決める 参加して決める。

 住み続けられる地域を創る。主体は主権者たる一人一人の被災者、住民であり、つきつめれば自己決定の保障でもっとも重要なのは参加の保障です。東日本大震災から10年、国の指示する14、15メートルという高い防潮堤が三陸沿岸を覆う中、「防潮堤のないまちづくり」を進め、賑わいを取り戻した町があります。人口の1割近い827人が犠牲となった宮城県女川町です。

 町民のいのちを守る「減災」を基本として、豊かな港町女川の再生を目指し、町民が実感できない復興は、真の復興とはいえないとし、すべての町民が家族や地域とのつながりの中で、いつもの日常生活に喜びを感じる地域をつくることを基本としています。

 誰もが枕を高くして寝られるように住宅は安全な高台で再建しても、海とは切り離されないよう、すべての家から海の見える町を目指しました。漁港や商業地区では、万一津波が来たときに駆け上がって避難するためすべての道が津波避難路になっています。

何ができるか 自衛隊を「サンダーバード」に

 何かできることはないか。私のところにもお見舞いと支援の声が寄せられています。無理しないでできることをしてくださいとお願いしています。これからは是非避難所等で被災された人々の声を聴いてください。一番恐れているのは、無視され、忘れられることですから。そして自衛隊を「サンダーバード」にしましょう。北陸線の特急ではなく、国際救助隊です。イギリス製作の人形劇で、日本ではNHKで1966年から放送され、21世紀にはいっても再放送されています。

   これは秘密部隊ですが、自衛隊を国際救助隊にしましょう。人を殺す軍隊から、いのちを救う部隊へ。そのための機動力は自衛隊が十分に持っているではありませんか。

 荒唐無稽のようですが、平和的生存権を保障する日本国憲法の希求する姿であり、世界から称賛され、戦争と報復の続く世界を変え、21世紀を希望の世紀にできるでしょう。そして、誰でもできることは、選挙に行くことです。住み続ける権利そして種々の人権を保障する希望の政府をつくる。そのために選挙に行ってくださいとお願いしています。

◎写真は北陸学院大学・田中純一さんが撮影

                海底が隆起した鹿磯漁港

        大岩崩落、深見地区への道路遮断・孤立

         深見漁港は4メートル隆起

 

2024年  年頭所感 

私たちは災害列島に住んでいる 

代表世話人 五十嵐正博

   2024年1月3日、珠洲市から八時間かけて金沢に戻りました。安堵感、虚脱感、「地獄絵図」を目前にして、何も手伝うことができなかった無力感、惨状から「脱出」してきた「後ろめたさ」、それらが今も交錯しています。本稿は、本年を展望し、希望を記す「年頭所感」ではなく、大災害に遭遇した一人の記録です。

能登半島地震に遭遇する

 年末年始を珠洲市の友人の「宿」で過ごすのが、ここ数年の習わし。大晦日、皆で「餅つき」をし、その後「そば打ち」、ひと風呂浴びて夕食、ゲストハウスにある銅鑼の音を除夜の鐘代わりに聞きながら、年越しそばを食べて新年を迎えます。「今年こそ、世界中が平和になりますように」と。

 元旦、「おせち」を食べ、昼過ぎに「初詣」。三崎町寺家にある「須須神社」へ。宿に戻り、お屠蘇に使った輪島塗の猪口(ちょこ)を戸棚にしまい、厨房にいた午後4時6分。「緊急地震速報」が鳴ることなく、突然の激しい揺れ(震度5強)、ガラス瓶一つが床に落下。余震が来てもこれ以下の震度に違いない、勝手な思い込みは瞬時に大暗転。「ドカン」という音とともに家全体が崩れるかと思われる激震(震度6強)、とっさに近くにあった手すりにしがみつき、身をかがめるのが精いっぱい。目前で薪ストーブが倒れ、中から燃える薪が飛び出し、煙突がはずれて落下。とっさに「水」と叫び、そばにいた人が水をかけ、大事にならずに済みました。「早く揺れが止まってほしい」と念じつつ、ウクライナ、ガザで、ミサイルがいつ、どこから落ちてくるかもしれない恐怖を共有した瞬間があったような気がします。「死」を覚悟することはなかったでしょうが、わが人生でもっとも恐ろしい、二度と経験したくない出来事でした。

避難所へ、そして金沢に帰る

 皆で庭に飛び出したものの、次の心配は「津波」、宿の横にある山に登ろうとしましたが、津波は最高で5メートル程度との情報が入り、山に登らなくても大丈夫と判断し、近くの高台にある「消防署」に避難し、車中泊。車のエンジンをかけたり止めたりして(ガス欠を防ぐため)寒さをしのぎました。翌日(2日)明け方、明かりのついた消防署の建物の片隅でしばし体を休め、携帯の充電もできました。宿の様子を見るため、宿に戻りました。建物の外観は無事、散乱した食器などの掃除をし、備えてあった食材を玄関に集めました。大きな「薪ガマ」は無事で、客の一人(イタリアンシェフ)の手になるリゾットを庭で立って食べました。

 ぼくたち夫婦と金沢から来たもう一人の3人で、避難所に指定されている近くの「上戸小学校」に行くことに。幸い、教室の片隅に一人当たり「座布団3枚と毛布1枚」を与えられ、小さなおにぎり1個、わずかの煮物が夕食。自宅の様子をも顧みないで献身的に救援にいそしむ地元の人々。水も電気もない、暖は灯油ストーブだけの一夜を過ごしました。

 30年前、原発建設に反対して闘った珠洲の友人たちの安否が心配されました。定宿の主人は、反対運動に関わった友人。被害が特に大きかった高屋、三崎地区。電力3社は、ここに原発4基の建設を強行しようとし、住民が、市役所内に泊まり込んでまで建設を阻止しようとした闘いでした。原発が建たなくて本当に良かった、決して大げさではなく、「この国を救った歴史的な闘い」として記憶されなければなりません。

 夜中(2時半ころ)震度5弱の地震。夜が明け、避難所で隣になった家族が、「金沢まで行けるらしい」と準備を始めました。もともと地元の方らしく、土地勘もありそうなので、付いていくことに。7時半出発。道は、陥没、地割れ、隆起、土砂崩れ、倒木がいたるところに。そして渋滞。対向車線は、緊急援助に向かう他府県からの、それぞれ数10台の車列が続いていました。

「普通に生きられること」の大切さー平和に生きる権利

 私たちは「災害列島」に暮らしています。「災害は忘れたころにやってくる」どころか、次々に襲う台風、水害、地震。人間が自ら作り出す「地球環境破壊」。戦争は「悠久の歴史の中で、人間がごく『最近』創り出したもの」であるから、人間が戦争を止めさせることができます(佐原真『戦争の考古学』)。しかし人知で地震を防ぐことはできないとすれば、事前事後の体制が問われます。地震予知研究の進展、発生後の救援体制の整備。フクシマなどの教訓が活かされたのか否か、たった2晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました。

 一言でいえば、「普通に生きられることの大切さ、ありがたさ」です。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障される毎日です。「自己責任」を優先し、「合理化・効率化」の名のもとに「格差社会の拡大」を推し進める「新自由主義」が生み出してきたのが「普通に生きられない社会」ではなかったか。

 「経済成長」を求めることをやめなければなりません。「身を切る改革」でなく、「無駄を大切にし、何事にも余裕をもたせる」、「無駄と思われる多様な選択肢を用意しておく」。「無駄」という言葉に否定的なニュアンスがあるとすれば、「今、必要ないこと」と置き換えてもいいでしょう。度重なる災害の教訓、「今は必要ないライフライン」の整備がいかに大事か分かっていたはずです。

 軍事同盟を解消し、あくまで「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する平和外交を展開、追及することが「日本国憲法」の要請です。軍拡でなく、軍備の削減、廃棄を追及し、莫大な「(人殺しのための)軍事費」を、「皆が普通に生きられる社会」造りに転用しなければなりません。被災者の方々に心を痛めるしかできない今、自己嫌悪するばかりです。

 75歳を明日にして。

(会報「非核・いしかわ」2024年1月20日号)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年 年頭挨拶

コロナ禍、ロシア侵略を超えて

代表世話人 井上英夫

 今年は、まさに、非核石川の会の真価が問われる年になります。皆さんご無事でご活躍いただけるようお祈りいたします。 

人類の希望

ー基本的人権・平和的生存権

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機を思わせる時を迎えています。国内では、軍事大国か真の福祉国家か、選択が厳しく問われています。あらたな「戦前」を思わせる今、第二次大戦の悲惨な結果を踏まえて、1948、国連が世界人権宣言を発し、基本的人権の保障による平和確立への道を選び、1946年、日本国憲法もまた、国民主権、平和主義、基本的人権なかでも平和的生存権を掲げて出発したことを再確認する必要があります。

 日本国憲法前文は、人類そして日本の国、国民の進むべき普遍的原理を示しています。

 日本国民は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きないよう、「諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持」すると決意を述べます。そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖(戦争やテロ、暴力❘憲法九条)と欠乏(飢餓や貧困―憲法25条)から免れ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結んでいるのです。

 私たちの「人権のためのたたかい」(憲法97条)、人権保持のための「不断の努力」(同12条)により、戦後77年、まがりなりにも平和を維持してきたわけです。国際的にも、核不拡散条約、核兵器禁止条約等、核兵器廃絶への道を進んできました。

 ともすれば、ロシアによる侵略という事態に、世界そして日本の人々の人権・平和的生存権のためのたたかいが、水泡に帰したような無力感にとらわれそうになります。しかし、人権のためのたたかいを粘り強く続けることにより、希望も見えてきます。

憲法97条は、基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggleたたかい)の成果」であり、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」として託されたものである、と明言しています。さらに、憲法12条は、国民に憲法・基本的人権を「保持」するための厳しい「不断の努力」義務を課しています。

 憲法前文、とりわけ人権のためのたたかいを呼びかけている97条は自民党・政府にとってもっとも怖い条文です。それゆえ、自民党憲法草案では、前文は全面改訂、さらに97条は全文削除です。今こそ日本国憲法の価値は高まり、私たち非核石川の平和のためのたたかいの飛躍的発展が求められていると思います(この点については、非核いしかわ2022 年6 月20日付第 287 号に「ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか」で述べましたのでご覧ください)。

 ここでは、私が参加している「人権のためのたたかい」から生まれた二つの希望を紹介しましょう。

二つの希望

ーいのちのとりで裁判勝訴判決と日本高齢者人権宣言

⑴ いのちのとりで裁判勝利判決―潮目が変わってきた

 生活保護基準をめぐっては、老齢加算廃止と生活保護基準の引下げを違憲・違法としてその取り消しを訴えてきました。2004四年から2006年にかけて行われた老齢加算廃止に対する生存権裁判では、全国8か所で約120名の原告が立ち上がりました。しかし、勝訴判決は2010年6月14日の福岡高裁判決のみでした。

 現在のいのちのとりで裁判は、2013年から3回実施された平均6.5%・最大10%という史上最大の生活保護基準引き下げに対して、全国29都道府県、1000名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に闘っているものです。

 札幌や金沢、福岡等8地裁で敗訴が続きました。しかし、写真のように大阪、熊本、東京、横浜と裁判所が人権の砦としての使命を果たし、保護基準引き下げを違法と断じる勝訴判決が続き「潮目」が変わってきました。

 敗訴判決の続く中、原告の皆さんは、悔しさを乗り越え、勝つまでたたかう、死ぬまでたたかうと弁護団、支援する人々を勇気づけてくれました。あきらめず、闘い続けたからこその勝利判決です。ここでは、勝利判決の意義だけ述べておきましょう(詳しくは、私の「司法が動いた―生活保護基準引き下げ裁判で勝訴判決続く」ゆたかなくらし、2022年11月号、12月号をご覧ください)。

 ①生活保護を憲法二五条の保障する人権であると認めさせ、②権利はたたかう者の手にある、と再確認でき、すべての人の人権意識の高揚につながる、③生活保護にとどまらず社会保障削減政策への歯止めになり、自助・共助・公助論打破につながる、④生活保護バッシング、優生思想そして劣等処遇論への歯止めになる、⑤軍事費倍増・社会保障の削減、憲法改悪・戦争への「抑止力」になる、⑥最低生活から十分な生活・独立生活の保障へ発展させる契機になる。

⑵ 国連高齢者人権条約と日本高齢者人権宣言

 もう一点は、高齢者の人権保障の発展です。コロナ禍でも戦争でも、高齢者、子どもは最大の被害者です。国連では、「弱者」ではなく人権が最も侵害・剥奪されやすい(vulnerable)人々と呼び、コロナパンデミック、戦争に対する最も重要で有効な手段は人権保障システムの確立であるとしています。

(一)日本高齢者人権宣言

 昨年11月、京都での日本高齢者大会で「日本高齢者人権宣言」が宣言されました。高齢者の人権保障はもちろん、子どもから高齢者まですべての年齢の人々の人権保障を確立するたたかいが始まりました。

 日本高齢者人権宣言は、前文からはじまり、基本原理と年齢による差別の禁止、いのちと尊厳、身体の自由と安全、暴力23の人権を掲げています。さらに、国・自治体・企業の責任も明確にし、私たちの「不断の努力」義務を肝に銘じ、「さまざまな年齢の人々と連帯して、すべての年齢の人々の人権が保障される平和で豊かな長寿社会づくりに努力します」と人権のためのたたかいへの決意を述べています。

 日本の高齢者人権宣言の運動は、国連の高齢者人権条約作りと連動し、国連、各国NGOと連帯して進められています。

 (内容については、「日本高齢者人権宣言」でネット検索してください。昨年11月、日本高齢者大会で「第3次草案」が取れて確定しました)

 (二)国連高齢者権利条約と核兵器禁止条約 

 国連では、毎年作業部会が開催され高齢者人権条約制定作業が進められています。また、2015年には、北中南米35か国が加盟する米州機構が世界で最初に高齢者人権条約を採択し、国連全体の条約作りも加速化しています。 

 2017年7月、国連本部において第8回作業部会が開催され、その最終日7日には、核兵器禁止条約が採択されました。高齢者人権条約の会議は1階でしたが、2階の会議場でした。高齢者の人権条約制定運動は、まさに平和を求めるものですし、平和でなければ高齢者の人権と尊厳は保障されない。日本でいえば平和的生存権の確立であり、憲法9条と25条は一体である。この思いを強くした一日でした。

 高齢者の人権保障も平和的生存権が前提です。単に戦争がないと言うだけではなく(消極的平和)、人権がすべての人に保障されてこそ真の平和であり(積極的平和)、すべての年齢の人々とともに、高齢者の権利条約を創り人権を確立していく運動こそが平和を実現していくということが、実感できたわけです。

人権と平和的生存権の闘いの課題

 今後の課題についていくつか上げておきます。

 ①人権とは何か、確認する。②各分野の運動と連携・連帯を強める。とくに平和的生存権確立のための九条と二五条の運動の連帯が重要です。③地域、地方から国を変え、世界を変える。④国際連帯を強め国連を強化する。

突き詰めれば、平常時の分厚い人権保障こそ災害、コロナ禍等緊急事態においても大きな力を発揮すること。とりわけ、戦争の脅しに屈せず、軍事大国、戦争できる国ではなく、平和的生存権確立・人権保障大国こそ日本の歩む道ではないでしょうか。

 非核石川の存在意義はますます高まっていると思います。

 

 

 

2023年 年頭所感

「平和国家」はどこへいくのか

代表世話人    五十嵐正博

戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

 『世界』(2023年2月号)は、阪田雅裕元内閣法制局長官による「憲法九条の死」と題する論考を掲載しました。「憲法9条が掲げた『平和主義』は2015年に成立したいわゆる安全保障法制により危篤状態に陥っていたが、今般の国家安全保障戦略の改定によっていよいよ最期を迎えるに至った」と。

 本稿で、「日米関係」「日中関係」の近現代史を語る余裕はありませんが、そこに人類史上最悪の犠牲をもたらした加害と被害のおびただしい「事実」があったことを決して忘れてはなりません。これらの「事実」が「なかった」と主張した安倍政権は、2015年「集団的自衛権行使」を容認する「平和安全法制」を制定し「戦争ができる国」にしました。昨年12月16日、岸田政権は「防衛力の強化・防衛費の増額」を謳い、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」をも認める「安保関連3文書」を閣議決定し、「安保の大転換」にとどまらない「戦争をする国」へと突き進むことになります。今後5年で「軍事費GDP2%」にし、「世界第3位の軍事大国」にしようというのです。「軍事費の増大」自体は既定のものとされ、「財源」が焦点にされています。そうではない、「人の命」こそが問われなければなりません。「(3文書)策定の趣旨」は、次のように述べます。

 「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。・・・国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」「国防は、国民自らの責任」だと。「自らは安全な場所」にいながら、なんの心の痛みもなく、むしろ自らに酔いしれて、「国、国民を守るため」とうそぶく指導者。それをなんの批判もなく垂れ流すマスコミ。「軍隊は国民(住民)を守らない」、権力者は、国民を「捨て石」としか見ていない。人の世の不条理極まれり。「辛い」時代が続きます。

安倍「公安」内閣は、「特定秘密保護法」を成立させました。政権の「猜疑心」はとどまるところを知りません。岸田政権は、たとえば、陸上自衛隊の宮古・与那国への配備に伴い、住民監視のため「情報保全隊」をも配備する「周到さ」であり(また「土地利用規制法」により、個人情報が公安調査庁などに管理される)、はては、防衛省は「世論工作研究」に着手したと言われています。これが、わたしたちが住む国の暗闇です。沖縄戦犠牲者の遺骨の混じった土砂の採掘反対を訴えるガマフヤー、具志堅隆松さんは言います、「不条理のそばを黙って通り過ぎるわけにはいかない」、と。

 「異次元の少子化対策」は「徴兵制」の布石

 岸田首相は、本年正月、唐突に「異次元の少子化対策」を言い出しました。これも「財源」話で済むことではなく、「徴兵制」の前触れではないかと疑います。自衛隊は、少子化で採用難、充足率は約90%で推移し、2018年から「募集対象年齢の上限」を26歳から32歳に引き上げました。「産めよ殖やせよ、国のため」、戦争遂行標語の復活か?この標語は1939年、新設された厚生省が「結婚十訓」の一つとして発表したのが語源です。太平洋戦争に至り、たとえば、「軍部は、徴兵事務の面から体力向上と人口増強を要望し」、1941年1月、「人口政策決定」が閣議決定されました。(赤川学「新聞に現れた『産めよ殖やせよ』)同日発せられた厚生大臣談話は次のように述べます。「皇国の大使命たる東亜共栄圏を確立し・・・その中心であり指導者である所の我が国が、質において優秀、量において多数の人口を有せねばならぬ。このことは今次の欧州動乱の主流をなすところの各国の情勢に鑑みても痛感せられるのである。」

 「防衛計画の大綱」は、1957年の「防衛力整備計画」に始まり(当時国論が分裂しており、「大綱」策定に至らなかった)1976年、「昭和五二年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定されました。直近は、2018年に策定された「平成31年度大綱」(その前は「平成26年度大綱」)です。当初から国会の審議を経ることも、国民の信を問うこともありませんでした。「国民の命は政府が握っている」との認識は一貫しています。

 「31年大綱」は、「防衛力の中心的な構成要素の強化における優先事項」の最初に「人的基盤の強化」をあげ、「防衛力の中核は自衛隊員であり、自衛隊員の人材確保と能力・士気の向上は防衛力の強化に不可欠である。これらは人口減少と少子高齢化の急速な進展によって喫緊の課題となっており、防衛力の持続性・ 強靭性の観点からも、自衛隊員を支える人的基盤の強化をこれまで以上に推進していく必要があり、・・・このため、地方公共団体等との連携を含む募集施策の推進」(傍点は五十嵐)などの提言をしています

合従連衡が繰り返され、「帝国」はみな崩壊した

 この国の歴代政権、そして「本土」は、沖縄を犠牲にすることに何の痛みも感じることなく、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「大国づら」していた時代も終わっているかもしれません。世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、その通りです。しかし、「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、たとえ時間がかかっても、すべての「軍事同盟」、各国の「軍隊」を解体することです。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、ウクライナなどで戦火が交えられている現在、憲法9条の「最期」を見届けるのではなく、改めて憲法9条こそ世界に向けて広めなければならないと強く思います。

 

 

 

 

ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか 

               代表世話人  井上英夫

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機の中で、一人の人間として何をすべきか、何ができるか、悶々とする日々を送っています。コロナ禍、県外には一歩も出ず、草むしりに励みながら、世界と日本の行く末・将来を考えています。とりわけウクライナ侵略に対しては、非核・平和運動による平和的生存権の確立、9条と25条を守り発展させるという人権保障運動を続けてきた私達の努力、人生が全否定されたような無力感にも襲われています。

一 草むしり、で考える

 日々、「雑草」を引き抜き、取り除くべき生命ときれいだからと残すべき花と選別しているのです。ギシギシは薬用や食用になる限りで珍重されますが、他の花々を駆逐するとして排除され、最近は外来種が目の敵にされ、在来種の保護が強調されています。わが家でも地中海原産のレースフラワーなどは花がきれいだとせっせと増やし、セイタカアワダチソウ、ヨーロッパ原産のヒメリュウキンカなどの根絶を図っています。

 植物の世界とは言え、優生思想とゲルマン民族の優位性を唱え、ユダヤ民族そして障害のある人の抹殺・絶滅を図った、ナチスドイツのホロコーストと同じことではないか。プーチン・ロシアはヒットラーのナチスドイツに重なるのですが、戦前「自衛」の名のもとに朝鮮・中国等を侵略し、多くの国の人々の生命、財産、土地を奪い、毒ガス・細菌兵器すら使った日本軍・大日本帝国と瓜二つではないか。そして、雑草を引き抜く己の姿が、ヒトラー、プーチンに重なるのです。

 戦争の惨禍は、日本国憲法前文が言うように「政府の行為によって」もたらされるのですが、その政府をつくるのは国民であり私たち一人一人です。憲法は、「戦争の惨禍」を再び起こさせないという日本国民、私たちの決意から出発しています。私たちの決意が問われています。

 日本政府・岸田内閣は、ロシア侵略を好機に北朝鮮、中国の脅威をあおり、軍事費倍増、憲法改悪に突っ走ろうとしています。いまこそ、私たちの内なる優生思想を打破し、憲法改悪を阻止し人権とりわけ平和的生存権の真価を発揮し、ロシア侵略をやめさせ国際平和を確立すべき時だと思います。

中央社会保障推進協議会の機関誌『社会保障』は、私も参加して初夏号で「平和的生存権をまもれ9条・25条を一体で考える」という憲法特集を組んでいます。是非ご覧ください。

二 自民党改憲のねらいと憲法の意義

 自民党の2012年「日本国憲法改正草案」で、全文修正あるいは削除されているのは、前文と97条だけなのです。余り指摘されていませんが、この2点が憲法改悪論の最大の問題点だと思います。新憲法は、1946年憲法制定前後から数々の記念行事が行われ、花電車、紙芝居も登場し、大多数の日本国民の熱狂的支持を受けました。戦争の恐怖からまぬかれ、平和のうちに人間らしい暮らしがしたい―平和的生存権-というのは日本の人々はもちろん世界の人々の強い願望だったのです。この歴史の再確認こそ重要だと思います。

⑴ 憲法前文削除-平和的生存権の否定

 日本国憲法前文は、国民主権、平和主義、基本的人権の保障等、決して変えてはならない普遍的原理を掲げています。①日本国民は、恒久の平和を念願し、②人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、③平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、④われらの安全と生存を保持しようとした決意で始まり、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、平和的生存権をはっきりうたっています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国の進むべき普遍的な政治道徳を示しています。

 戦争やテロの「恐怖」から免れるために憲法9条で戦争、軍備を放棄し、「欠乏」すなわち飢餓や貧困から免れるために人権保障を掲げ、とくに25条で生存権、生活権、健康権、文化権の保障とその具体化として、国に社会保障、社会福祉、公衆衛生制度の向上・増進義務を課しているのです。

 人類は戦争やテロ、暴力により欠乏、すなわち飢餓や貧困を生みだし、他方、飢餓・貧困こそ戦争の原因となるという歴史をたどってきました。平和的生存権は、こうした歴史に終止符を打とうという人類初の挑戦であり、憲法はまさに世界の先頭を走っています。その意味で、前文、9条と25条、さらに人権の理念としての人間の尊厳を保障する13条は一体なのです。そして、平和とは単に戦争、暴力がない(消極的平和)というだけではなくて、人権が十分に保障された状態というべきです(積極的平和)。

 平和的生存権を謳う憲法の価値は、核兵器使用さえ公言するロシアのウクライナ侵略という第三次世界大戦の脅威を感じる今こそ高まっているというべきでしょう。

⑵ 憲法九七条削除-人権のためのたたかいの否定

 憲法97条は、憲法が日本国民に保障する人権は、①人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、②過去幾多の試錬に堪へ、③現在及び将来の国民に対し、④侵すことのできない永久の権利として託されたものである、と規定しています。

 ここで「努力」は英文憲法ではStruggleで、闘争・たたかいです。フランス革命、アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本でも自由民権の闘い等がありました。それらの闘いの最も大きな成果が人権の保障として日本国憲法に盛り込まれたのです。 

 憲法97条の国際的、人類的視点、たたかいによってこそ人権・権利は勝ちとれるという闘争史観、さらには不可侵の権利として次代の人々に託されるという未来志向を学ぶべきでしょう。自民党改憲草案が、人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、97条を全文削除しているのは、支配者や政府にとって一番「怖く」、敵視しているのが、この闘争史観だからだと思います。

 さらに、憲法12条は、「不断の努力」により、憲法9条、25条を守り、人権を豊かに発展させるという厳しい「保持」義務を国民に課しているのです。

⑶ 人間の尊厳の理念と自己決定・選択の自由及び平等の原理

 現代の人権保障の理念は、世界人権宣言前文、日本国憲法13条、24条にも示されているように、人間の尊厳(human dignity)です。この理念は、第二次大戦の残虐かつ悲惨な経験への反省から生まれ、優生思想・ホロコーストを全面的に否定するものです。

 人間の尊厳の理念は、すべての人が、唯一無二の存在であり、とって代われず、価値において平等であり、さらに具体化した自己決定・選択の自由さらには平等を原理としています。自己決定とは、自分の生き方、生活の質を自分で決めるということです。しかし、そのためには、いろいろな選択肢が用意されていなければならない。選択の自由が大前提となります。

 平等の原理とは、すべての人に等しく人権が保障されるということで、憲法14条は、法の下の平等を定め、不合理な「差別」を禁止しています。平等の中身も形式的な機会の平等から、実質的あるいは結果の平等が求められています。

三 憲法改悪阻止のために-平和と人権のためのたたかい

 現在、憲法の明文改悪は防いでいます。それは、日本そして世界の人々の「平和と人権のためのたたかい」(97条)と憲法を守り、発展させる「不断の努力」(12条)によるものに他なりません。

 反核・非核の平和運動は核不拡散条約・核兵器禁止条約を生み出していますが、国連の平和維持機能を充実・強化することが喫緊の課題です。被爆国であり平和憲法をもつ日本こそリーダーシップを発揮し、前文が示す国際的な「名誉ある地位」を占めるべきでしょう。

 憲法改悪の動きは加速化しています。平和憲法も良いが、理想的すぎる、現実はもっと厳しい、侵略されるから軍隊をもち、戦争し、敵国を攻撃しなければ、核も持たなければ、緊急事態に備えなければ、そのための憲法「改正」は必要だ、という声も強まっています。

 しかし、理想-憲法は、人類普遍の原理と言ってますが-を掲げ、現実を変えるため「たたかって」きたからこそ、紆余曲折はあっても危機を乗り越え、日本そして人類はここまで進歩してきたと思います。ロシア侵略に対しては、外交努力そして経済等の制裁、非暴力、人道的支援が「抑止力」になっています。さらには、世界の軍事同盟解消こそ、平和への現実的かつ近道なのではないでしょうか。

 人々の平和的生存権を求める国際世論とたたかいこそ、ベトナム戦争・冷戦構造を終わらせ、南アフリカの人種差別体制・アパルトヘイトを廃止させ、報復なしの虹の国建設の力となったことが、人類の進歩を示す歴史の教訓だと思います。                      (金沢大学名誉教授)

総会記念講演(要旨)

ロシアのウクライナ侵略、日本国憲法と「敵基地攻撃能力」「核共有論」

 代表世話人 五十嵐正博

【お断り】事前に公表した「レジュメ」では、標記のタイトルで話す予定でした。しかしそれらについてはすでに多くの論考があるため、講演では、マスコミでほとんど論じられていない「国連憲章においてなぜ集団的自衛権が認められることになったのか」、「否定されたはずの軍事同盟がなぜ存続し、拡大し続けるのか」、「軍縮ではなくなぜ軍拡の方向に向かうのか(SDGsのまやかし)」等について話しました。それらが現在のウクライナ問題の根本にあると考えるためです。

歴史から学ぶ

 2月24日以後、朝から晩まで、ウクライナの惨状がテレビ画面上に流れる。他方で、「大河ドラマ」のいくさ場面(殺し合い)を「娯楽」としてみている。このギャップは何なのか。

「我々が歴史から学ぶのは、誰も歴史から学ばないということである」、ビスマルクが言ったとされる言葉が妙に説得的に思える。私たちは「戦争の歴史」を何も学んでこなかったのではないか、第二次大戦後も世界のあちこちで戦火が絶えない。しかし、「人類の出現から450万年、戦いの歴史は8000年。4.5mの中の8㎜。戦争は人間がおこすものであるから、人間が捨て去ることができる」(佐原 真)。人類は、「歴史を学び」ながら、20世紀になって初めて戦争の違法化にたどりついたはずだ。

ヤルタ会談、サンフランシスコ会議と「拒否権」「集団的自衛権」

 人類が「戦争の違法化」を初めて宣言したのは、第一次大戦後、国際連盟が、締約国に「戦争に訴えない義務」を課したときであった。第一次大戦前、平和維持の一つの方法として、「勢力均衡方式」がとられたが、それは、軍拡競争により対立関係をいっそう激化させ、いったん戦争がはじまると二国間の戦争を同盟網を通じて世界戦争に拡大させてしまうことになった。それが第一次大戦であり、ここから「歴史を学ぶ」はずであった。

 第二次大戦が終わりに近づいた1945年2月、連合国3首脳(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)はクリミア半島の保養地ヤルタに会し、大戦後の処理(ドイツ分割統治など)を決め、新たに創設する国際機構(国連)の安保理における五大国の「拒否権」を認めることにした。

米州諸国は、第二次大戦終了後、侵略行為に対して共同で対処することを約束する地域的条約の締結を予定していた。国連憲章の原案では、こうした地域的条約に基づいて強制措置をとる場合に、安保理の「許可」が必要となる。ところがヤルタ会談で、安保理の表決手続きに拒否権制度が導入されたため、常任理事国の一国でも反対すれば許可は与えらないことになり、共同対処の約束は空文化する恐れがでてきた。

 そこで、安保理の許可を必要としない共同対処の方策として、武力攻撃を受けた国と連帯関係にある国にも反撃に立ち上がる権利「集団的自衛権」を認めることになった(第51条)。しかし、各国家、とりわけ常任理事国たる大国は、自ら武力攻撃を受けていない場合にも、自衛の名のもとに、安保理の統制を受けることなく武力を行使できることになり、このような権利を認めることは、実は、個別国家による武力行使をできるだけ制限しようとしてきた国際連盟以来の努力に逆行する道を開くことになった。

 1949年にはNATOが、1955年にはワルシャワ条約機構が設立されるなどの「軍事同盟」がつくられた。これらの軍事同盟は、いずれも「国連憲章51条によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して」といった規定がおかれている。1960年の「日米安保条約」では第5条(共同防衛)に「武力攻撃・・・その結果としてとったすべての措置は、国連憲章第51条の規定に従って・・・」とある。

国際社会の構造変化と「軍縮」の後退

 国連は51の加盟国で出発した。社会主義国(当初7カ国)は「人民の自決権」を強く主張し、植民地人民の独立を促し、やがて発展途上国の経済的自立に向けての「新国際経済秩序の樹立」に邁進する。その頂点の一つが1986年に採択された国連総会決議「発展の権利宣言」であった。「全面完全軍縮の達成」によって解放される資源が途上国の発展のために用いられるよう宣言したのである。

 SDGsに先立つMDGs(ミレニアム開発目標2000~2015)は、「過去10年間に500万人以上の命を奪った、国内或いは国家間の戦禍から人々を解放するため」、「大量破壊兵器(核兵兵器廃絶にも言及)がもたらす危険を根絶することを追求する」としたのであった。ところが、MDGs で「達成できなかったものを全うすることを目指す」べきSDGs は、「貧困撲滅」を最大の課題と位置付けながら、「2030年までに、違法な武器取引を大幅に減少させる」というのみで、「核兵器の廃絶」も「軍縮」も目標から消されてしまったのである。

ロシアによるウクライナ侵略

 ロシアによるウクライナ侵略は、明確に、武力行使禁止原則、紛争の平和的解決義務、不干渉原則、国際人道法に違反し、国際犯罪となるものであり、「国際法違反の見本市」の感を呈する(松井芳郎)。だが、ウクライナばかりに目を向けるわけにはいかない。「非欧米諸国は、大国による軍事行動の気まぐれな正当化によって、簡単に敵にされたり味方されたりするのだ。」(酒井啓子) アフガニスタン、イエメン、リビア、イラク、その他、世界から「忘れられた」国々。

日本国憲法と「敵基地攻撃能力(反撃能力)」「核共有(保有)論」

 この国は(も)、「歴史を学ばない」、「歴史を教えない」、それどころか、意図的に「歴史を否定し、改ざんし」、「誰も責任を負わないどころか被害者に責任を押し付ける」。唯一の戦争被爆国でありながら、米国の顔色をうかがって、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加もしり込みする。政府は、「国民の生命・安全を守る」といえば、そして対立と脅威をあおれば、憲法を無視してでもすべてが自在だと思っているようだ。改憲推進勢力は、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として、ここぞとばかりに世論を改憲の方向に誘導している。

 「国(軍隊)は国民の命を守らない」、「戦争の歴史から学ぶ」最大の教訓だ。9条改憲の先には「戦争ができる国」から「戦争をする国」そして「徴兵制」が待っている。決してそうさせてはならない。

◎5月21日、金沢市内で開いた非核の政府を求める石川の会第33回総会の記念講演(要旨)です。講師の神戸大学名誉教授・金沢大学名誉教授の五十嵐正博氏にまとめて頂きました。

 

 

2022年原水爆禁止国民平和大行進 県内行進がスタート

  6月11日富山県から引継ぎ、24日に福井県に引継ぐまで県内全自治体を歩く平和行進が始まりました。今年は「ロシア軍は今すぐ撤退を!」「国連憲章を守れ!」「核兵器は廃絶を!」と訴えて行進しています。

 今年は、北陸3県の通し行進者・泉行眞さん(日本山妙法寺金沢道場住職・金沢仏舎利塔)が、各市町で開く出発式or到着式で「ノーモア ヒロシマ ナガサキ ノーモア ヒバクシャ」「全ての国が核兵器禁止条約の批准を」と熱く語って行進しています。

 県内行進の前半(6月11日~17日)の写真特集をホームページにアップします。

 

【抗議声明】

ロシア連邦大統領

ウラジミール・プーチン 殿

ロシアによるウクライナ侵略に厳重抗議し、

軍事行動の中止とロシア軍の撤退を求める 

 2022年2月28日

非核の政府を求める石川の会

 ロシアのプーチン政権が2月24日、ウクライナへの侵略を開始したことに厳重抗議し、軍事行動の中止とロシア軍の撤退を強く求める。

 今回の軍事行動は、主権国家に対する一方的な軍事攻撃であり、武力行使を禁止した国連憲章、国際法を踏みにじる行為であり、断じて容認できない。

 プーチン大統領は、ウクライナへの軍事侵攻の前、2月19日核弾頭も搭載可能な大陸間弾道ミサイルの発射訓練をおこない、さらに24日には「現代のロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」「我が国を攻撃すれば、壊滅し、悲惨な結果になることは疑いない」と発言し、核兵器の先制使用も辞さない構えを見せている。

 これは昨年1月に発効した核兵器禁止条約が禁止している「核兵器の使用」及び「核兵器による威嚇」を示唆するもので明白な国際法違反である。

 また本年1月3日、核保有5大国(米ロ英仏中)がNPT再検討会議の延期にあたり発表した「核戦争阻止と核軍拡競争回避に関する共同声明」において、「我々は、核戦争は勝利はありえず、けっして戦ってはならないものであることを確認する」と謳っていることにも反する重大行為である。

 私たちは、核戦争の防止、核兵器の廃絶を願うすべての人々と連帯し、プーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻の即時中止とロシア軍の撤退を強く求めるものである。

 

◎非核の政府を求める石川の会は、2月28日在日ロシア連邦大使館宛に標記の抗議声明を送りました。

 

 

<年頭所感>

池明観(T・K生)さんを偲んで

加害者責任と東アジア共同体構想

代表世話人 井上英夫

 

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 コロナ禍を奇貨として、貧困・不平等の拡大、社会保障削減そして軍事費増大と改憲の加速化が図られ平和的生存権が脅かされています。危機、緊急事態においてこそその国、社会、私たちの生き方が問われます。

 「禍を転じて福となす」。今年は、日本の核兵器禁止条約参加、批准をはじめ非核自治体・政府づくりへ大きく一歩を進めましょう。

 元日に韓国の宗教哲学者池明観(チ・ミョングァン)さんが亡くなられました。97歳でしたが、日本、アジアそして世界の未来を考えるときまこと に惜しい人を無くしました。金沢にも縁の深い人でしたが、非核石川の会の皆さんにとっては、「T・K生」のほうがなじみが深いかもしれません。

 

「韓国からの通信」ー「T・K生」として

 池さんは、1973~88年、T・K生として雑誌『世界』に「韓国からの通信」を連載し、朴正煕、全斗煥の両軍事政権による反体制派への拷問や労働者への人権侵害等民主化運動弾圧の実態を告発しました。自身が「T・K生」であったことを明らかにしたのは、2003年になってからでした。

 ちなみに、T・K生そして韓国民主化運動を支援したのは『世界』の編集長でのち社長になる安江良介氏ですが、金沢大学法文学部出身です。

 池さんは、1993年韓国に帰国、98年からの金大中(キムデジュン)政権で、日本の大衆文化に対する警戒感が根強かった中、早期開放を主張し、韓国で日本の歌謡やドラマ、アニメなどが広く親しまれるようになっています。

韓国では2004年まで翰林大学校教授も務めた他、KBSテレビ理事長や日韓共同歴史研究の韓国側代表などを歴任しました。

 池さんは、韓国の民主化に力を注ぎ、日韓の関係改善に力を尽くしたわけですが、金沢大学法学部そして私自身大変多くのことを教えていただきました。

 「韓国からの通信」に衝撃を受けたのは、早稲田大学大学院院生の時でした。1973年8月8日、金大中が韓国中央情報部 (KCIA) により東京都千代田区のホテルから拉致され、船で連れ去られ、海に投げ込まれ殺されそうになりながら、5日後にソウル市内の自宅前で発見されたのです。金大中は暗殺を恐れ、都内を転々としていたそうです。その一つのアパートは、高田馬場駅近く、早稲田大学に至る早稲田通りにありましたから、私はその前を何も知らず通っていたわけです。

 

日本の加害者責任・戦後補償と日韓の相互理解

 金沢大学法学部としては、日本軍慰安婦等に関する戦後補償すなわち日本の加害者責任に取り組んだ日韓共同研究があります。その成果は、『日韓の相互理解と戦後補償』として2002年に日本評論社から出版されています。池さんは、当時韓国の翰林大学校日本学研究所所長でしたが、金沢大学法学部の五十嵐正博本会代表、名古道功さん、学術会議問題で任命拒否された岡田正則さんと並んで編者になっていただきました。

 私は、五十嵐さんと日本軍慰安婦問題を担当し、1997年から99年、ソウルのナヌムの家、山の中の論山、そして釜山等、慰安婦とされたオモニと行政担当者から話を伺い、その結果をまとめました(第2章 戦争被害の実相と日本の戦争責任、「Ⅰ. 戦争責任の構造と『従軍慰安婦』問題」および「Ⅲ. 『従軍慰安婦』と戦後半世紀―聞き取り調査等から」)。

 池さんは、総論において「本研究の意義」を執筆していますが、世界史的観点から、21世紀の日韓関係についての展望を示しています。

日本軍慰安婦、徴用工問題をはじめ現在最悪と言われる日韓関係についてのみならず、世界の、そして何より日本の私たちの非核の政府・核廃絶運動についても示唆に富むものです。

 「なぜ戦後半世紀を超えた今日において日韓のあいだにおいてなお戦後補償が問題になるというのだろうか」

と問いかけます。

 その原因として、①半世紀のあいだにそれこそ真摯にとりあげられたことがなかったこと、②かつてとは違って、いまは日韓両国民が成熟した市民社会に向けて確かな歴史認識を持つようになってきたこと、③21世紀が20世紀の過ちを否定して和解と協力を求めねばならない時代であると日韓両国の市民が自覚していること、をあげています。

さらに、戦後補償は、「単なる金銭的補償を意味するのではなく、21世紀を創造的に生きようとする決意を示すことであり、それでこそ国民的相互理解が成立する」というのです。

 したがって、戦後補償問題は、1965年日韓条約やその後の「補償」により解決済みとする日本政府や一部識者、反韓国勢力の主張に対し、「いま戦後補償の問題は日韓条約におけるのとは違った次元において問われ」、かつては「政治・経済の問題であり、政府間の問題」であったが、いまは「国民的和解と交流と協力のための問題」であり、「日韓両国民が手を携えて東アジアの協力と繁栄を追及するための問題」である、と喝破しています。

 「過去の間違った時代の重荷を肩からおろし、その傷を癒そうとすることは成熟した国家の行為であり、品位ある国民の行動であるといえるのではなかろうか」と。

 

日本国憲法と平和的生存権

 こうした、歴史観、世界的観点は、まさに、日本国憲法に通じるものです。憲法前文は、「われらは政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」することから出発し、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しているのですから。

 さらに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・・・この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」と言っています。

 

 未来への歴史と東アジア共同体構想

2001年、私は金沢大学の院生とともに韓国ソウルでKBS(韓国放送公社)理事長であった池さんの講義を受けました。

 院生だった現愛媛大学の鈴木靜さんは、「歴史とは将来の平和の視点から考えるべきで、おおよそのことは些末なことに過ぎない。しかし、些末なことを手のひらから振り落としても残る事柄がある。この残る事柄こそ、真剣に考えることです」という言葉が、ナヌムの家訪問の後でもあり、深く印象に残っているそうです。

 私が感銘を受けたのは、「東アジア共同体構想」です。現在、イギリスの脱退問題等EUが揺らぎ、そして中国の海洋進出、一帯一路構想等不安が増大していますが、アジアの進むべき道は、少なくとも日本、韓国、中国が仲良くし、共同体を形成する以外にないというものです。過去の歴史を踏まえ、現在を考え、そして未来へとつなぐ、未来志向の姿勢を学びました。

 あらためて池さんは、本当に偉い人だったと思います。偉ぶらず、謙虚で、いつも笑顔を絶やさない。学生たちにも優しく接してくれました。

 韓国に行くと、私たちは留学生、韓国の人々と一緒にカラオケで「演歌」をうたいます。日本文化開放という池さんの偉大な業績の一つを大いに謳歌させてもらっているわけです。

 改めてご冥福をお祈りします。

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