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【年頭所感】

戦後・被爆80年にあたって

日本国憲法にノーベル平和賞を

代表世話人  井上英夫 

 

     ノーベル平和賞受賞後、被団協代表団らが記念撮影(12月10日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けましておめでとうございます。 元旦、晴れましたね。今年こそ皆様にとって良い年になりますようにお祈りします。

 昨年は、多難な年でした。元旦の能登半島地震そして9月21日、豪雨、洪水が襲いました。国際的にもロシア侵略、イスラエルのガザ侵略そしてジェノサイドは続いています。ヨーロッパでの極右勢力の進出、アメリカではトランプ再登場です

 しかし、暮れには明るいニュースがありました。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞です。田中熙巳代表委員の受賞講演はじめ被爆された皆さんの訴えは、授賞式会場・ノルウェーのみならず世界を揺るがせました。石川からも本会会員で四歳の時広島で被爆された西本多美子さん、保険医協会の大田健志さんが若者代表で参加されました。

被団協―人権のためのたたかい

 田中さんは受賞講演において、被団協は、二つの基本要求を掲げて運動してきたと言います。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張に抗い、「原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならない」、という要求です。もう一つは、「核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない」ということです。そして、田中さんは最後に、「人類が核兵器で自滅することのないように。 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」と訴えました。

 日本被団協の運動、そして私達非核の政府を求める会等の核廃絶・平和運動は、憲法九七条の認める「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggle)」、すなわち、人権のためのたたかいに他なりません。そして、たたかいの成果が、未だ不十分ですが、国内的には被爆者援護法、そして国際的には、核のタブー、核不拡散条約、核兵器禁止条約に結実し、平和賞受賞となったのです。

 何より、憲法前文が人権の基底的権利として保障している平和的生存権確立のためのたたかいです。

平和的生存権―日本国憲法に平和賞を

 憲法前文は、日本、世界が進むべき道を人類の普遍的原理として示しています。全文を掲げますので、とくに太字部分に注目しお読みください。

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日本国憲法・前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ

(昭和21年11月3日公布、昭和22年5月3日施行)

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 原爆はじめ被害者そして加害者として残虐な結果を招いた第二次大戦への反省を踏まえ、国民主権、基本的人権の保障、平和主義を3本柱とすること、、とりわけ「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」、すなわち平和的生存権を有することを確認しています。恐怖(戦争やテロ・暴力)からの自由を求め、軍備と戦争を否定した憲法9条と、欠乏(飢餓や貧困)からの自由すなわち「健康で文化的な生活」の保障を定めた25条は、その具体化で両者一体なのです。

 日本被団協へのノーベル平和賞授賞理由は、「ヒバクシャ」として知られる広島と長崎の原子力爆弾の生存者たちによる草の根運動が、「核兵器のない世界の実現に尽力し、核兵器が二度と使われてはならないことを証言を通じて示してきたこと」です。そして、ノーベル賞委員会は、「一つの心強い事実を確認したい」と続けます。それは、「80年近くの間、戦争で核兵器は使用されてこなかった」、「日本被団協やその他の被爆者の代表者らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献した」ということです。だとすれば、平和的生存権を掲げる日本国憲法そして被団協をはじめとする日本の平和運動もまた、ノーベル平和賞に値すると思います。

 ノーベルは、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すると遺言しました。

 この点からすると、日本国憲法への授与は難しいかも知れませんが、平和、核兵器・戦争の抑止力としてその価値は十分にあると思います。

核抑止論と非暴力主義

 現在、世界には直ちに発射できる核弾頭が4000発以上あります。核兵器削減、廃絶は困難な道です。この現実の根底にあるのが「軍備・核抑止論」です。そして「目には目を」の報復です。核抑止論そして軍備抑止論は手ごわい存在です。日本も軍事大国への道を進み、軍事費2倍化でアメリカ、中国に続く世界第3位になろうとしています。

 突き詰めると、核抑止論に対抗するには、一人一人の「非暴力主義」しかないと思います。南アフリカで最初の黒人大統領となったネルソン・マンデラは、非暴力運動(貫徹はできませんでしたが)によりアパルトヘイトを廃止し、白人への報復を否定し、「虹の国」づくりを呼びかけました。非暴力そして報復の否定こそ、核抑止論の克服・核廃絶への近道だと思います。

国家の役割

 世界の人々の日本の平和運動への期待は大きなものがあります。私達の平和的生存権確立のためのたたかいはこれに応えられているでしょうか。アメリカの核の傘に入り、核兵器禁止条約の批准はおろか参加すらできない、日本国の情けなさです。あらためて国とは何かが問われています。

 憲法前文は、国民が「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」したと述べています。戦争は、国によって引き起こされること、そして、それを阻止するのは、私たち国民であること、を厳しく問うています。

 最後に、災害は恐怖であり欠乏です。能登の人々は、地震そして豪雨に襲われ、「神も仏もないものか」、もう住み続けられないのでは、と絶望の淵に立たされています。戦前、江戸時代ならともかく、現代・新憲法下では、神や仏に代わって、人々・国民の生活、安心を守る、すなわち人権として「住み続ける権利」を保障するのは国の義務であり責任に他ならない。そのために国をつくり、憲法を制定したのではないでしょうか。

 国外の脅威に国民の目を向けさせ、軍備増強、憲法九条改悪をはかるのではなく、国内の災害・脅威にこそ財政を総動員する。それこそが、国の役割であり、存在意義だと思います。

(会報「非核・いしかわ」2025年1月20日号)

【年頭所感】

岩佐幹三さんと田中熙巳さんのこと

代表世話人 五十嵐正博

 2024年10月11日午後6時、「ノーべル委員会」は「日本被団協」をノーベル平和賞に選出したと発表、広島市役所で待機していた箕牧智之代表委員が歓喜に震えながら頬をつねるシーンがすべてを語っていました。そのシーンに喜びを共有しつつ、岩佐幹三さんがご存命であれば、と岩佐さんに思いを寄せた方も大勢いらしたことでしょう。本会にとっても待ちに待った吉報でした。

 

2016年2月北陸原水協学校in金沢で講演する田中熙巳さん

 12月10日、ノーベル賞授賞式での田中煕巳さんの演説、「人類が核で自滅することがないように」、と静かに訴えかけるスピーチは、聞くものの心を揺さぶり、全国に田中さんの名を知らしめました。岩佐さんと田中さんには長く深い絆があったことも記憶に留めておかなければなりません。

岩佐幹三さんと非核の政府を求める石川の会

 私が金沢大学法学部に職をえたのは1984年4月35歳、岩佐さんはちょうど20歳上の55歳、40年前のこと、岩佐さんが定年退官される1994年3月まで10年余を同僚として過ごしました。皆でよく議論し、酒を酌み交わし、勢いで岩佐家になだれ込んだことも。そんな親しい間柄でありながら、岩佐さんが「被爆者」であることは存知あげていても、「被爆体験」をじっくり伺った記憶はありません。岩佐さんは、1960年「石川県原爆被災者友の会」を立ち上げ、初代会長を務め、1994年に金沢を去るまで続けられていたにもかかわらずです。

 1986年5月、全国組織「非核の政府を求める会」が発足、「石川の会」は88年8月に発足しました。岩佐さんは、「結成よびかけ人」のお一人であり、「会」の世話人に名を連ねました。私は、本会の創設からかかわってきましたが、本会発足直後の88年12月、岩佐さんが金沢市立十一屋小学校の金森学級で被爆体験を語り、児童が紙芝居にしたことなどの貴重な記録を長い間、埋もれさせてしまいました。(本誌266号、2020年9月20日参照)

 岩佐さんは、2008年、NHK広島が募集した「ヒバクシャからの手紙」に応募しました。『母と妹(好子)へ送るコトバ』、壮絶な被爆体験が語られ、「でも僕たちが体験したことよりも、原爆はもっともっとひどくつらい体験を被爆者に与え続けているんだ。そのような被害を、僕たちの子孫、そして日本国民、さらに人類の上に、再び繰り返させたくない。だから『ふたたび被爆者をつくるな』と核兵器に廃絶を訴え、国が、その『証』として戦争被害、原爆被害に対して将来にわたって補償することを求めて頑張っているんだよ。」岩佐さんの後世への「遺言」です。女優の斉藤とも子さんに、朗読をお願いしたそうです。

 

2011年6月核戦争を防止する石川医師の会総会で記念講演する岩佐幹三さん

 岩佐さんは、1994年千葉県船橋市に移られ、埼玉県新座市にある十文字学園で、「十文字学園女子大学」開学に向けた作業に携わり、開学後は「社会情報学部」で「政治学」「平和学」などを担当されました。2000年「被団協」事務局次長に、2011年代表委員に、2017年代表委員を退任(顧問になる)、田中さんが後任となったのでした。3人からなる代表委員は被団協のトップで、広島、長崎の両被爆地と関東エリアから選出されます。

岩佐幹三さんと田中煕巳さん

 田中さんは、「十文字学園」教授だった経歴をお持ちです(「コンピュータ概説」「情報処理」などの科目を担当)。岩佐さんと田中さんとの深い絆がここに。私は1997・98年、岩佐さんの依頼で十文字学園社会情報学部で「国際協力論」の集中講義をしたことがありました。私の実家が群馬県太田市にあり、帰省のついでにというお心遣いでした。もっとも、キャンパス内で田中さんに出会うことはありませんでした。

 田中さんによれば「初めての出会いは、1974年頃。日本被団協の中央行動に岩佐さんが金沢から私は仙台から参加していた」ときでした。「岩佐さんは金沢大学で定年をむかえたあと首都圏の私大(注:十文字学園)で新たな大学設置の仕事に就き、私にも首都圏に来ることを盛んに勧めた。同じ学園に私を誘ってくださり、1996年から同じ学園でお世話になった。これがきっかけで私は2000年から日本被団協の事務局長を務めることになり3年間の大学との掛け持ちも含め17年間の長きにわたった。」「岩佐さんが一番輝いていたのは1985年、日本被団協の独自調査の調査委員長の時でしたね」(田中煕巳「岩佐幹三さんの思い出」、岩佐幹三さん追悼する会編『岩佐幹三さん追悼集』(2021年9月)。岩佐さんが一番輝いていた1985五年、私は岩佐さんの身近にいたにもかかわらず、気が付きませんでした。「五十嵐君、相変わらず鈍感だな!」天国から岩佐さんの叱責が聞こえてきます。

 1月8日、被団協代表委員3名など8名は首相官邸で石破総理と面会しました。核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加を求める被団協の求めに、石破総理は不誠実な対応に終始しました。「非核の政府」を作らなければならないのです。

※本稿執筆にあたり、十文字学園大学事務局に岩佐さんと田中さんの担当科目を問い合わせたところ、丁寧なお返事をいただいたことを記しておきます。

(会報「非核・いしかわ」2025年1月20日号)

2023年 年頭挨拶

コロナ禍、ロシア侵略を超えて

代表世話人 井上英夫

 今年は、まさに、非核石川の会の真価が問われる年になります。皆さんご無事でご活躍いただけるようお祈りいたします。 

人類の希望

ー基本的人権・平和的生存権

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機を思わせる時を迎えています。国内では、軍事大国か真の福祉国家か、選択が厳しく問われています。あらたな「戦前」を思わせる今、第二次大戦の悲惨な結果を踏まえて、1948、国連が世界人権宣言を発し、基本的人権の保障による平和確立への道を選び、1946年、日本国憲法もまた、国民主権、平和主義、基本的人権なかでも平和的生存権を掲げて出発したことを再確認する必要があります。

 日本国憲法前文は、人類そして日本の国、国民の進むべき普遍的原理を示しています。

 日本国民は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きないよう、「諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持」すると決意を述べます。そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖(戦争やテロ、暴力❘憲法九条)と欠乏(飢餓や貧困―憲法25条)から免れ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結んでいるのです。

 私たちの「人権のためのたたかい」(憲法97条)、人権保持のための「不断の努力」(同12条)により、戦後77年、まがりなりにも平和を維持してきたわけです。国際的にも、核不拡散条約、核兵器禁止条約等、核兵器廃絶への道を進んできました。

 ともすれば、ロシアによる侵略という事態に、世界そして日本の人々の人権・平和的生存権のためのたたかいが、水泡に帰したような無力感にとらわれそうになります。しかし、人権のためのたたかいを粘り強く続けることにより、希望も見えてきます。

憲法97条は、基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggleたたかい)の成果」であり、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」として託されたものである、と明言しています。さらに、憲法12条は、国民に憲法・基本的人権を「保持」するための厳しい「不断の努力」義務を課しています。

 憲法前文、とりわけ人権のためのたたかいを呼びかけている97条は自民党・政府にとってもっとも怖い条文です。それゆえ、自民党憲法草案では、前文は全面改訂、さらに97条は全文削除です。今こそ日本国憲法の価値は高まり、私たち非核石川の平和のためのたたかいの飛躍的発展が求められていると思います(この点については、非核いしかわ2022 年6 月20日付第 287 号に「ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか」で述べましたのでご覧ください)。

 ここでは、私が参加している「人権のためのたたかい」から生まれた二つの希望を紹介しましょう。

二つの希望

ーいのちのとりで裁判勝訴判決と日本高齢者人権宣言

⑴ いのちのとりで裁判勝利判決―潮目が変わってきた

 生活保護基準をめぐっては、老齢加算廃止と生活保護基準の引下げを違憲・違法としてその取り消しを訴えてきました。2004四年から2006年にかけて行われた老齢加算廃止に対する生存権裁判では、全国8か所で約120名の原告が立ち上がりました。しかし、勝訴判決は2010年6月14日の福岡高裁判決のみでした。

 現在のいのちのとりで裁判は、2013年から3回実施された平均6.5%・最大10%という史上最大の生活保護基準引き下げに対して、全国29都道府県、1000名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に闘っているものです。

 札幌や金沢、福岡等8地裁で敗訴が続きました。しかし、写真のように大阪、熊本、東京、横浜と裁判所が人権の砦としての使命を果たし、保護基準引き下げを違法と断じる勝訴判決が続き「潮目」が変わってきました。

 敗訴判決の続く中、原告の皆さんは、悔しさを乗り越え、勝つまでたたかう、死ぬまでたたかうと弁護団、支援する人々を勇気づけてくれました。あきらめず、闘い続けたからこその勝利判決です。ここでは、勝利判決の意義だけ述べておきましょう(詳しくは、私の「司法が動いた―生活保護基準引き下げ裁判で勝訴判決続く」ゆたかなくらし、2022年11月号、12月号をご覧ください)。

 ①生活保護を憲法二五条の保障する人権であると認めさせ、②権利はたたかう者の手にある、と再確認でき、すべての人の人権意識の高揚につながる、③生活保護にとどまらず社会保障削減政策への歯止めになり、自助・共助・公助論打破につながる、④生活保護バッシング、優生思想そして劣等処遇論への歯止めになる、⑤軍事費倍増・社会保障の削減、憲法改悪・戦争への「抑止力」になる、⑥最低生活から十分な生活・独立生活の保障へ発展させる契機になる。

⑵ 国連高齢者人権条約と日本高齢者人権宣言

 もう一点は、高齢者の人権保障の発展です。コロナ禍でも戦争でも、高齢者、子どもは最大の被害者です。国連では、「弱者」ではなく人権が最も侵害・剥奪されやすい(vulnerable)人々と呼び、コロナパンデミック、戦争に対する最も重要で有効な手段は人権保障システムの確立であるとしています。

(一)日本高齢者人権宣言

 昨年11月、京都での日本高齢者大会で「日本高齢者人権宣言」が宣言されました。高齢者の人権保障はもちろん、子どもから高齢者まですべての年齢の人々の人権保障を確立するたたかいが始まりました。

 日本高齢者人権宣言は、前文からはじまり、基本原理と年齢による差別の禁止、いのちと尊厳、身体の自由と安全、暴力23の人権を掲げています。さらに、国・自治体・企業の責任も明確にし、私たちの「不断の努力」義務を肝に銘じ、「さまざまな年齢の人々と連帯して、すべての年齢の人々の人権が保障される平和で豊かな長寿社会づくりに努力します」と人権のためのたたかいへの決意を述べています。

 日本の高齢者人権宣言の運動は、国連の高齢者人権条約作りと連動し、国連、各国NGOと連帯して進められています。

 (内容については、「日本高齢者人権宣言」でネット検索してください。昨年11月、日本高齢者大会で「第3次草案」が取れて確定しました)

 (二)国連高齢者権利条約と核兵器禁止条約 

 国連では、毎年作業部会が開催され高齢者人権条約制定作業が進められています。また、2015年には、北中南米35か国が加盟する米州機構が世界で最初に高齢者人権条約を採択し、国連全体の条約作りも加速化しています。 

 2017年7月、国連本部において第8回作業部会が開催され、その最終日7日には、核兵器禁止条約が採択されました。高齢者人権条約の会議は1階でしたが、2階の会議場でした。高齢者の人権条約制定運動は、まさに平和を求めるものですし、平和でなければ高齢者の人権と尊厳は保障されない。日本でいえば平和的生存権の確立であり、憲法9条と25条は一体である。この思いを強くした一日でした。

 高齢者の人権保障も平和的生存権が前提です。単に戦争がないと言うだけではなく(消極的平和)、人権がすべての人に保障されてこそ真の平和であり(積極的平和)、すべての年齢の人々とともに、高齢者の権利条約を創り人権を確立していく運動こそが平和を実現していくということが、実感できたわけです。

人権と平和的生存権の闘いの課題

 今後の課題についていくつか上げておきます。

 ①人権とは何か、確認する。②各分野の運動と連携・連帯を強める。とくに平和的生存権確立のための九条と二五条の運動の連帯が重要です。③地域、地方から国を変え、世界を変える。④国際連帯を強め国連を強化する。

突き詰めれば、平常時の分厚い人権保障こそ災害、コロナ禍等緊急事態においても大きな力を発揮すること。とりわけ、戦争の脅しに屈せず、軍事大国、戦争できる国ではなく、平和的生存権確立・人権保障大国こそ日本の歩む道ではないでしょうか。

 非核石川の存在意義はますます高まっていると思います。

 

 

 

2023年 年頭所感

「平和国家」はどこへいくのか

代表世話人    五十嵐正博

戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

 『世界』(2023年2月号)は、阪田雅裕元内閣法制局長官による「憲法九条の死」と題する論考を掲載しました。「憲法9条が掲げた『平和主義』は2015年に成立したいわゆる安全保障法制により危篤状態に陥っていたが、今般の国家安全保障戦略の改定によっていよいよ最期を迎えるに至った」と。

 本稿で、「日米関係」「日中関係」の近現代史を語る余裕はありませんが、そこに人類史上最悪の犠牲をもたらした加害と被害のおびただしい「事実」があったことを決して忘れてはなりません。これらの「事実」が「なかった」と主張した安倍政権は、2015年「集団的自衛権行使」を容認する「平和安全法制」を制定し「戦争ができる国」にしました。昨年12月16日、岸田政権は「防衛力の強化・防衛費の増額」を謳い、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」をも認める「安保関連3文書」を閣議決定し、「安保の大転換」にとどまらない「戦争をする国」へと突き進むことになります。今後5年で「軍事費GDP2%」にし、「世界第3位の軍事大国」にしようというのです。「軍事費の増大」自体は既定のものとされ、「財源」が焦点にされています。そうではない、「人の命」こそが問われなければなりません。「(3文書)策定の趣旨」は、次のように述べます。

 「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。・・・国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」「国防は、国民自らの責任」だと。「自らは安全な場所」にいながら、なんの心の痛みもなく、むしろ自らに酔いしれて、「国、国民を守るため」とうそぶく指導者。それをなんの批判もなく垂れ流すマスコミ。「軍隊は国民(住民)を守らない」、権力者は、国民を「捨て石」としか見ていない。人の世の不条理極まれり。「辛い」時代が続きます。

安倍「公安」内閣は、「特定秘密保護法」を成立させました。政権の「猜疑心」はとどまるところを知りません。岸田政権は、たとえば、陸上自衛隊の宮古・与那国への配備に伴い、住民監視のため「情報保全隊」をも配備する「周到さ」であり(また「土地利用規制法」により、個人情報が公安調査庁などに管理される)、はては、防衛省は「世論工作研究」に着手したと言われています。これが、わたしたちが住む国の暗闇です。沖縄戦犠牲者の遺骨の混じった土砂の採掘反対を訴えるガマフヤー、具志堅隆松さんは言います、「不条理のそばを黙って通り過ぎるわけにはいかない」、と。

 「異次元の少子化対策」は「徴兵制」の布石

 岸田首相は、本年正月、唐突に「異次元の少子化対策」を言い出しました。これも「財源」話で済むことではなく、「徴兵制」の前触れではないかと疑います。自衛隊は、少子化で採用難、充足率は約90%で推移し、2018年から「募集対象年齢の上限」を26歳から32歳に引き上げました。「産めよ殖やせよ、国のため」、戦争遂行標語の復活か?この標語は1939年、新設された厚生省が「結婚十訓」の一つとして発表したのが語源です。太平洋戦争に至り、たとえば、「軍部は、徴兵事務の面から体力向上と人口増強を要望し」、1941年1月、「人口政策決定」が閣議決定されました。(赤川学「新聞に現れた『産めよ殖やせよ』)同日発せられた厚生大臣談話は次のように述べます。「皇国の大使命たる東亜共栄圏を確立し・・・その中心であり指導者である所の我が国が、質において優秀、量において多数の人口を有せねばならぬ。このことは今次の欧州動乱の主流をなすところの各国の情勢に鑑みても痛感せられるのである。」

 「防衛計画の大綱」は、1957年の「防衛力整備計画」に始まり(当時国論が分裂しており、「大綱」策定に至らなかった)1976年、「昭和五二年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定されました。直近は、2018年に策定された「平成31年度大綱」(その前は「平成26年度大綱」)です。当初から国会の審議を経ることも、国民の信を問うこともありませんでした。「国民の命は政府が握っている」との認識は一貫しています。

 「31年大綱」は、「防衛力の中心的な構成要素の強化における優先事項」の最初に「人的基盤の強化」をあげ、「防衛力の中核は自衛隊員であり、自衛隊員の人材確保と能力・士気の向上は防衛力の強化に不可欠である。これらは人口減少と少子高齢化の急速な進展によって喫緊の課題となっており、防衛力の持続性・ 強靭性の観点からも、自衛隊員を支える人的基盤の強化をこれまで以上に推進していく必要があり、・・・このため、地方公共団体等との連携を含む募集施策の推進」(傍点は五十嵐)などの提言をしています

合従連衡が繰り返され、「帝国」はみな崩壊した

 この国の歴代政権、そして「本土」は、沖縄を犠牲にすることに何の痛みも感じることなく、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「大国づら」していた時代も終わっているかもしれません。世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、その通りです。しかし、「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、たとえ時間がかかっても、すべての「軍事同盟」、各国の「軍隊」を解体することです。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、ウクライナなどで戦火が交えられている現在、憲法9条の「最期」を見届けるのではなく、改めて憲法9条こそ世界に向けて広めなければならないと強く思います。

 

ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか 

               代表世話人  井上英夫

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機の中で、一人の人間として何をすべきか、何ができるか、悶々とする日々を送っています。コロナ禍、県外には一歩も出ず、草むしりに励みながら、世界と日本の行く末・将来を考えています。とりわけウクライナ侵略に対しては、非核・平和運動による平和的生存権の確立、9条と25条を守り発展させるという人権保障運動を続けてきた私達の努力、人生が全否定されたような無力感にも襲われています。

一 草むしり、で考える

 日々、「雑草」を引き抜き、取り除くべき生命ときれいだからと残すべき花と選別しているのです。ギシギシは薬用や食用になる限りで珍重されますが、他の花々を駆逐するとして排除され、最近は外来種が目の敵にされ、在来種の保護が強調されています。わが家でも地中海原産のレースフラワーなどは花がきれいだとせっせと増やし、セイタカアワダチソウ、ヨーロッパ原産のヒメリュウキンカなどの根絶を図っています。

 植物の世界とは言え、優生思想とゲルマン民族の優位性を唱え、ユダヤ民族そして障害のある人の抹殺・絶滅を図った、ナチスドイツのホロコーストと同じことではないか。プーチン・ロシアはヒットラーのナチスドイツに重なるのですが、戦前「自衛」の名のもとに朝鮮・中国等を侵略し、多くの国の人々の生命、財産、土地を奪い、毒ガス・細菌兵器すら使った日本軍・大日本帝国と瓜二つではないか。そして、雑草を引き抜く己の姿が、ヒトラー、プーチンに重なるのです。

 戦争の惨禍は、日本国憲法前文が言うように「政府の行為によって」もたらされるのですが、その政府をつくるのは国民であり私たち一人一人です。憲法は、「戦争の惨禍」を再び起こさせないという日本国民、私たちの決意から出発しています。私たちの決意が問われています。

 日本政府・岸田内閣は、ロシア侵略を好機に北朝鮮、中国の脅威をあおり、軍事費倍増、憲法改悪に突っ走ろうとしています。いまこそ、私たちの内なる優生思想を打破し、憲法改悪を阻止し人権とりわけ平和的生存権の真価を発揮し、ロシア侵略をやめさせ国際平和を確立すべき時だと思います。

中央社会保障推進協議会の機関誌『社会保障』は、私も参加して初夏号で「平和的生存権をまもれ9条・25条を一体で考える」という憲法特集を組んでいます。是非ご覧ください。

二 自民党改憲のねらいと憲法の意義

 自民党の2012年「日本国憲法改正草案」で、全文修正あるいは削除されているのは、前文と97条だけなのです。余り指摘されていませんが、この2点が憲法改悪論の最大の問題点だと思います。新憲法は、1946年憲法制定前後から数々の記念行事が行われ、花電車、紙芝居も登場し、大多数の日本国民の熱狂的支持を受けました。戦争の恐怖からまぬかれ、平和のうちに人間らしい暮らしがしたい―平和的生存権-というのは日本の人々はもちろん世界の人々の強い願望だったのです。この歴史の再確認こそ重要だと思います。

⑴ 憲法前文削除-平和的生存権の否定

 日本国憲法前文は、国民主権、平和主義、基本的人権の保障等、決して変えてはならない普遍的原理を掲げています。①日本国民は、恒久の平和を念願し、②人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、③平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、④われらの安全と生存を保持しようとした決意で始まり、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、平和的生存権をはっきりうたっています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国の進むべき普遍的な政治道徳を示しています。

 戦争やテロの「恐怖」から免れるために憲法9条で戦争、軍備を放棄し、「欠乏」すなわち飢餓や貧困から免れるために人権保障を掲げ、とくに25条で生存権、生活権、健康権、文化権の保障とその具体化として、国に社会保障、社会福祉、公衆衛生制度の向上・増進義務を課しているのです。

 人類は戦争やテロ、暴力により欠乏、すなわち飢餓や貧困を生みだし、他方、飢餓・貧困こそ戦争の原因となるという歴史をたどってきました。平和的生存権は、こうした歴史に終止符を打とうという人類初の挑戦であり、憲法はまさに世界の先頭を走っています。その意味で、前文、9条と25条、さらに人権の理念としての人間の尊厳を保障する13条は一体なのです。そして、平和とは単に戦争、暴力がない(消極的平和)というだけではなくて、人権が十分に保障された状態というべきです(積極的平和)。

 平和的生存権を謳う憲法の価値は、核兵器使用さえ公言するロシアのウクライナ侵略という第三次世界大戦の脅威を感じる今こそ高まっているというべきでしょう。

⑵ 憲法九七条削除-人権のためのたたかいの否定

 憲法97条は、憲法が日本国民に保障する人権は、①人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、②過去幾多の試錬に堪へ、③現在及び将来の国民に対し、④侵すことのできない永久の権利として託されたものである、と規定しています。

 ここで「努力」は英文憲法ではStruggleで、闘争・たたかいです。フランス革命、アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本でも自由民権の闘い等がありました。それらの闘いの最も大きな成果が人権の保障として日本国憲法に盛り込まれたのです。 

 憲法97条の国際的、人類的視点、たたかいによってこそ人権・権利は勝ちとれるという闘争史観、さらには不可侵の権利として次代の人々に託されるという未来志向を学ぶべきでしょう。自民党改憲草案が、人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、97条を全文削除しているのは、支配者や政府にとって一番「怖く」、敵視しているのが、この闘争史観だからだと思います。

 さらに、憲法12条は、「不断の努力」により、憲法9条、25条を守り、人権を豊かに発展させるという厳しい「保持」義務を国民に課しているのです。

⑶ 人間の尊厳の理念と自己決定・選択の自由及び平等の原理

 現代の人権保障の理念は、世界人権宣言前文、日本国憲法13条、24条にも示されているように、人間の尊厳(human dignity)です。この理念は、第二次大戦の残虐かつ悲惨な経験への反省から生まれ、優生思想・ホロコーストを全面的に否定するものです。

 人間の尊厳の理念は、すべての人が、唯一無二の存在であり、とって代われず、価値において平等であり、さらに具体化した自己決定・選択の自由さらには平等を原理としています。自己決定とは、自分の生き方、生活の質を自分で決めるということです。しかし、そのためには、いろいろな選択肢が用意されていなければならない。選択の自由が大前提となります。

 平等の原理とは、すべての人に等しく人権が保障されるということで、憲法14条は、法の下の平等を定め、不合理な「差別」を禁止しています。平等の中身も形式的な機会の平等から、実質的あるいは結果の平等が求められています。

三 憲法改悪阻止のために-平和と人権のためのたたかい

 現在、憲法の明文改悪は防いでいます。それは、日本そして世界の人々の「平和と人権のためのたたかい」(97条)と憲法を守り、発展させる「不断の努力」(12条)によるものに他なりません。

 反核・非核の平和運動は核不拡散条約・核兵器禁止条約を生み出していますが、国連の平和維持機能を充実・強化することが喫緊の課題です。被爆国であり平和憲法をもつ日本こそリーダーシップを発揮し、前文が示す国際的な「名誉ある地位」を占めるべきでしょう。

 憲法改悪の動きは加速化しています。平和憲法も良いが、理想的すぎる、現実はもっと厳しい、侵略されるから軍隊をもち、戦争し、敵国を攻撃しなければ、核も持たなければ、緊急事態に備えなければ、そのための憲法「改正」は必要だ、という声も強まっています。

 しかし、理想-憲法は、人類普遍の原理と言ってますが-を掲げ、現実を変えるため「たたかって」きたからこそ、紆余曲折はあっても危機を乗り越え、日本そして人類はここまで進歩してきたと思います。ロシア侵略に対しては、外交努力そして経済等の制裁、非暴力、人道的支援が「抑止力」になっています。さらには、世界の軍事同盟解消こそ、平和への現実的かつ近道なのではないでしょうか。

 人々の平和的生存権を求める国際世論とたたかいこそ、ベトナム戦争・冷戦構造を終わらせ、南アフリカの人種差別体制・アパルトヘイトを廃止させ、報復なしの虹の国建設の力となったことが、人類の進歩を示す歴史の教訓だと思います。                      (金沢大学名誉教授)

総会記念講演(要旨)

ロシアのウクライナ侵略、日本国憲法と「敵基地攻撃能力」「核共有論」

 代表世話人 五十嵐正博

【お断り】事前に公表した「レジュメ」では、標記のタイトルで話す予定でした。しかしそれらについてはすでに多くの論考があるため、講演では、マスコミでほとんど論じられていない「国連憲章においてなぜ集団的自衛権が認められることになったのか」、「否定されたはずの軍事同盟がなぜ存続し、拡大し続けるのか」、「軍縮ではなくなぜ軍拡の方向に向かうのか(SDGsのまやかし)」等について話しました。それらが現在のウクライナ問題の根本にあると考えるためです。

歴史から学ぶ

 2月24日以後、朝から晩まで、ウクライナの惨状がテレビ画面上に流れる。他方で、「大河ドラマ」のいくさ場面(殺し合い)を「娯楽」としてみている。このギャップは何なのか。

「我々が歴史から学ぶのは、誰も歴史から学ばないということである」、ビスマルクが言ったとされる言葉が妙に説得的に思える。私たちは「戦争の歴史」を何も学んでこなかったのではないか、第二次大戦後も世界のあちこちで戦火が絶えない。しかし、「人類の出現から450万年、戦いの歴史は8000年。4.5mの中の8㎜。戦争は人間がおこすものであるから、人間が捨て去ることができる」(佐原 真)。人類は、「歴史を学び」ながら、20世紀になって初めて戦争の違法化にたどりついたはずだ。

ヤルタ会談、サンフランシスコ会議と「拒否権」「集団的自衛権」

 人類が「戦争の違法化」を初めて宣言したのは、第一次大戦後、国際連盟が、締約国に「戦争に訴えない義務」を課したときであった。第一次大戦前、平和維持の一つの方法として、「勢力均衡方式」がとられたが、それは、軍拡競争により対立関係をいっそう激化させ、いったん戦争がはじまると二国間の戦争を同盟網を通じて世界戦争に拡大させてしまうことになった。それが第一次大戦であり、ここから「歴史を学ぶ」はずであった。

 第二次大戦が終わりに近づいた1945年2月、連合国3首脳(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)はクリミア半島の保養地ヤルタに会し、大戦後の処理(ドイツ分割統治など)を決め、新たに創設する国際機構(国連)の安保理における五大国の「拒否権」を認めることにした。

米州諸国は、第二次大戦終了後、侵略行為に対して共同で対処することを約束する地域的条約の締結を予定していた。国連憲章の原案では、こうした地域的条約に基づいて強制措置をとる場合に、安保理の「許可」が必要となる。ところがヤルタ会談で、安保理の表決手続きに拒否権制度が導入されたため、常任理事国の一国でも反対すれば許可は与えらないことになり、共同対処の約束は空文化する恐れがでてきた。

 そこで、安保理の許可を必要としない共同対処の方策として、武力攻撃を受けた国と連帯関係にある国にも反撃に立ち上がる権利「集団的自衛権」を認めることになった(第51条)。しかし、各国家、とりわけ常任理事国たる大国は、自ら武力攻撃を受けていない場合にも、自衛の名のもとに、安保理の統制を受けることなく武力を行使できることになり、このような権利を認めることは、実は、個別国家による武力行使をできるだけ制限しようとしてきた国際連盟以来の努力に逆行する道を開くことになった。

 1949年にはNATOが、1955年にはワルシャワ条約機構が設立されるなどの「軍事同盟」がつくられた。これらの軍事同盟は、いずれも「国連憲章51条によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して」といった規定がおかれている。1960年の「日米安保条約」では第5条(共同防衛)に「武力攻撃・・・その結果としてとったすべての措置は、国連憲章第51条の規定に従って・・・」とある。

国際社会の構造変化と「軍縮」の後退

 国連は51の加盟国で出発した。社会主義国(当初7カ国)は「人民の自決権」を強く主張し、植民地人民の独立を促し、やがて発展途上国の経済的自立に向けての「新国際経済秩序の樹立」に邁進する。その頂点の一つが1986年に採択された国連総会決議「発展の権利宣言」であった。「全面完全軍縮の達成」によって解放される資源が途上国の発展のために用いられるよう宣言したのである。

 SDGsに先立つMDGs(ミレニアム開発目標2000~2015)は、「過去10年間に500万人以上の命を奪った、国内或いは国家間の戦禍から人々を解放するため」、「大量破壊兵器(核兵兵器廃絶にも言及)がもたらす危険を根絶することを追求する」としたのであった。ところが、MDGs で「達成できなかったものを全うすることを目指す」べきSDGs は、「貧困撲滅」を最大の課題と位置付けながら、「2030年までに、違法な武器取引を大幅に減少させる」というのみで、「核兵器の廃絶」も「軍縮」も目標から消されてしまったのである。

ロシアによるウクライナ侵略

 ロシアによるウクライナ侵略は、明確に、武力行使禁止原則、紛争の平和的解決義務、不干渉原則、国際人道法に違反し、国際犯罪となるものであり、「国際法違反の見本市」の感を呈する(松井芳郎)。だが、ウクライナばかりに目を向けるわけにはいかない。「非欧米諸国は、大国による軍事行動の気まぐれな正当化によって、簡単に敵にされたり味方されたりするのだ。」(酒井啓子) アフガニスタン、イエメン、リビア、イラク、その他、世界から「忘れられた」国々。

日本国憲法と「敵基地攻撃能力(反撃能力)」「核共有(保有)論」

 この国は(も)、「歴史を学ばない」、「歴史を教えない」、それどころか、意図的に「歴史を否定し、改ざんし」、「誰も責任を負わないどころか被害者に責任を押し付ける」。唯一の戦争被爆国でありながら、米国の顔色をうかがって、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加もしり込みする。政府は、「国民の生命・安全を守る」といえば、そして対立と脅威をあおれば、憲法を無視してでもすべてが自在だと思っているようだ。改憲推進勢力は、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として、ここぞとばかりに世論を改憲の方向に誘導している。

 「国(軍隊)は国民の命を守らない」、「戦争の歴史から学ぶ」最大の教訓だ。9条改憲の先には「戦争ができる国」から「戦争をする国」そして「徴兵制」が待っている。決してそうさせてはならない。

◎5月21日、金沢市内で開いた非核の政府を求める石川の会第33回総会の記念講演(要旨)です。講師の神戸大学名誉教授・金沢大学名誉教授の五十嵐正博氏にまとめて頂きました。

 

 

2022年原水爆禁止国民平和大行進 県内行進がスタート

  6月11日富山県から引継ぎ、24日に福井県に引継ぐまで県内全自治体を歩く平和行進が始まりました。今年は「ロシア軍は今すぐ撤退を!」「国連憲章を守れ!」「核兵器は廃絶を!」と訴えて行進しています。

 今年は、北陸3県の通し行進者・泉行眞さん(日本山妙法寺金沢道場住職・金沢仏舎利塔)が、各市町で開く出発式or到着式で「ノーモア ヒロシマ ナガサキ ノーモア ヒバクシャ」「全ての国が核兵器禁止条約の批准を」と熱く語って行進しています。

 県内行進の前半(6月11日~17日)の写真特集をホームページにアップします。

 

<年頭所感>

池明観(T・K生)さんを偲んで

加害者責任と東アジア共同体構想

代表世話人 井上英夫

 

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 コロナ禍を奇貨として、貧困・不平等の拡大、社会保障削減そして軍事費増大と改憲の加速化が図られ平和的生存権が脅かされています。危機、緊急事態においてこそその国、社会、私たちの生き方が問われます。

 「禍を転じて福となす」。今年は、日本の核兵器禁止条約参加、批准をはじめ非核自治体・政府づくりへ大きく一歩を進めましょう。

 元日に韓国の宗教哲学者池明観(チ・ミョングァン)さんが亡くなられました。97歳でしたが、日本、アジアそして世界の未来を考えるときまこと に惜しい人を無くしました。金沢にも縁の深い人でしたが、非核石川の会の皆さんにとっては、「T・K生」のほうがなじみが深いかもしれません。

 

「韓国からの通信」ー「T・K生」として

 池さんは、1973~88年、T・K生として雑誌『世界』に「韓国からの通信」を連載し、朴正煕、全斗煥の両軍事政権による反体制派への拷問や労働者への人権侵害等民主化運動弾圧の実態を告発しました。自身が「T・K生」であったことを明らかにしたのは、2003年になってからでした。

 ちなみに、T・K生そして韓国民主化運動を支援したのは『世界』の編集長でのち社長になる安江良介氏ですが、金沢大学法文学部出身です。

 池さんは、1993年韓国に帰国、98年からの金大中(キムデジュン)政権で、日本の大衆文化に対する警戒感が根強かった中、早期開放を主張し、韓国で日本の歌謡やドラマ、アニメなどが広く親しまれるようになっています。

韓国では2004年まで翰林大学校教授も務めた他、KBSテレビ理事長や日韓共同歴史研究の韓国側代表などを歴任しました。

 池さんは、韓国の民主化に力を注ぎ、日韓の関係改善に力を尽くしたわけですが、金沢大学法学部そして私自身大変多くのことを教えていただきました。

 「韓国からの通信」に衝撃を受けたのは、早稲田大学大学院院生の時でした。1973年8月8日、金大中が韓国中央情報部 (KCIA) により東京都千代田区のホテルから拉致され、船で連れ去られ、海に投げ込まれ殺されそうになりながら、5日後にソウル市内の自宅前で発見されたのです。金大中は暗殺を恐れ、都内を転々としていたそうです。その一つのアパートは、高田馬場駅近く、早稲田大学に至る早稲田通りにありましたから、私はその前を何も知らず通っていたわけです。

 

日本の加害者責任・戦後補償と日韓の相互理解

 金沢大学法学部としては、日本軍慰安婦等に関する戦後補償すなわち日本の加害者責任に取り組んだ日韓共同研究があります。その成果は、『日韓の相互理解と戦後補償』として2002年に日本評論社から出版されています。池さんは、当時韓国の翰林大学校日本学研究所所長でしたが、金沢大学法学部の五十嵐正博本会代表、名古道功さん、学術会議問題で任命拒否された岡田正則さんと並んで編者になっていただきました。

 私は、五十嵐さんと日本軍慰安婦問題を担当し、1997年から99年、ソウルのナヌムの家、山の中の論山、そして釜山等、慰安婦とされたオモニと行政担当者から話を伺い、その結果をまとめました(第2章 戦争被害の実相と日本の戦争責任、「Ⅰ. 戦争責任の構造と『従軍慰安婦』問題」および「Ⅲ. 『従軍慰安婦』と戦後半世紀―聞き取り調査等から」)。

 池さんは、総論において「本研究の意義」を執筆していますが、世界史的観点から、21世紀の日韓関係についての展望を示しています。

日本軍慰安婦、徴用工問題をはじめ現在最悪と言われる日韓関係についてのみならず、世界の、そして何より日本の私たちの非核の政府・核廃絶運動についても示唆に富むものです。

 「なぜ戦後半世紀を超えた今日において日韓のあいだにおいてなお戦後補償が問題になるというのだろうか」

と問いかけます。

 その原因として、①半世紀のあいだにそれこそ真摯にとりあげられたことがなかったこと、②かつてとは違って、いまは日韓両国民が成熟した市民社会に向けて確かな歴史認識を持つようになってきたこと、③21世紀が20世紀の過ちを否定して和解と協力を求めねばならない時代であると日韓両国の市民が自覚していること、をあげています。

さらに、戦後補償は、「単なる金銭的補償を意味するのではなく、21世紀を創造的に生きようとする決意を示すことであり、それでこそ国民的相互理解が成立する」というのです。

 したがって、戦後補償問題は、1965年日韓条約やその後の「補償」により解決済みとする日本政府や一部識者、反韓国勢力の主張に対し、「いま戦後補償の問題は日韓条約におけるのとは違った次元において問われ」、かつては「政治・経済の問題であり、政府間の問題」であったが、いまは「国民的和解と交流と協力のための問題」であり、「日韓両国民が手を携えて東アジアの協力と繁栄を追及するための問題」である、と喝破しています。

 「過去の間違った時代の重荷を肩からおろし、その傷を癒そうとすることは成熟した国家の行為であり、品位ある国民の行動であるといえるのではなかろうか」と。

 

日本国憲法と平和的生存権

 こうした、歴史観、世界的観点は、まさに、日本国憲法に通じるものです。憲法前文は、「われらは政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」することから出発し、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しているのですから。

 さらに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・・・この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」と言っています。

 

 未来への歴史と東アジア共同体構想

2001年、私は金沢大学の院生とともに韓国ソウルでKBS(韓国放送公社)理事長であった池さんの講義を受けました。

 院生だった現愛媛大学の鈴木靜さんは、「歴史とは将来の平和の視点から考えるべきで、おおよそのことは些末なことに過ぎない。しかし、些末なことを手のひらから振り落としても残る事柄がある。この残る事柄こそ、真剣に考えることです」という言葉が、ナヌムの家訪問の後でもあり、深く印象に残っているそうです。

 私が感銘を受けたのは、「東アジア共同体構想」です。現在、イギリスの脱退問題等EUが揺らぎ、そして中国の海洋進出、一帯一路構想等不安が増大していますが、アジアの進むべき道は、少なくとも日本、韓国、中国が仲良くし、共同体を形成する以外にないというものです。過去の歴史を踏まえ、現在を考え、そして未来へとつなぐ、未来志向の姿勢を学びました。

 あらためて池さんは、本当に偉い人だったと思います。偉ぶらず、謙虚で、いつも笑顔を絶やさない。学生たちにも優しく接してくれました。

 韓国に行くと、私たちは留学生、韓国の人々と一緒にカラオケで「演歌」をうたいます。日本文化開放という池さんの偉大な業績の一つを大いに謳歌させてもらっているわけです。

 改めてご冥福をお祈りします。

<年頭所感>

「理解不能なことばかり」

代表世話人 五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。

 コロナ禍の下、沈鬱な空気が世界を覆っているようです。コロナ禍は、私たちに「人知の及ばぬ世界」があることを改めて気付かせました。人間の「おごり」を戒めるかのようです。世界の各地で深刻な人権侵害が、そして植民地支配も続いています。核兵器が瞬時にして人類を絶滅させ、温暖化が、地球環境、生態系をじわじわと蝕んでいく、「わかっちゃいるけど止められない」サガを人間は捨て去ることができないままです。そうした事態を止めようと、世界中で、日々抗議し、抵抗する多くの人々の姿もあります。核兵器の廃絶を願い、あるいは、地球危機を防ごうという若者たちの「抵抗の輪」が希望の光です。

 今年は、「沖縄返還」、「日中国交正常化」から50周年、政府は、沖縄の民意を一顧だにせず、日中関係は融和と緊張を繰り返しています。「画期」にどれだけの意味があるか、少なくとも来し方を振り返り、未来への展望を考える契機にしなければなりません。

 私の日常も様変わりし、一昨年1月から昨年11月までただの一度も県外にでたことはありません。その間にも、格差社会は急速に進み、意図的に「脅威・対立」をあおりつつ、改憲の策動が加速されつつあります。「もりかけさくら」など「臭いものにはフタ」をされたまま。

 本稿では私がずっと、あるいは最近、不思議に思っていること、しかし、なぜか世の中の関心を呼ばないいくつかを「新年雑感」として記すことにします。

 

池明観さん・戦後補償・拉致問題

 池さんについては、井上さんが「所感」で述べられていますので、私が付け加えることはありません。池さんは、20年前、戦後補償問題が顕在化した理由を、日韓における「成熟した市民社会」「確かな歴史認識」の出現にあると指摘されました。

 それらは、今、どこにいってしまったのでしょうか。とりわけ、安倍政権以降、加害者(日本)が被害者(韓国)に高圧的な態度をとり続ける傲慢さ・理不尽さは、池さんの期待を砕くものです。また、歴代内閣が、「北朝鮮を激しくののしってきた」少なくとも5名(特に第2次安倍内閣の2名)の日本会議国会議員懇談会所属の重鎮を、拉致問題担当相に任命してきたことは、到底理解に苦しみます。北朝鮮に「もっと圧力を」と主張する安倍さんたちは、北朝鮮に「ケンカを売る」ことが拉致問題の解決になると思っているのでしょうか。

 

日米同盟・コロナ禍・米軍「即応態勢」

 日米間で「同盟」の用語が最初に現れたのは、1981年、レーガン・鈴木「日米共同声明」でした。それまで「同盟」は「軍事同盟」を意味し、憲法9条に反するがゆえに、自民党でさえその使用を避けてきたのです。以来40年、今では、見るだけ、聞くだけで身震いする「軍事造語」(「敵基地攻撃能力」「遠征前方基地作戦」「水陸機動団」など)が飛び交っています。

 日米首脳会談が行われるたびに同盟が「強化」「深化」され、「思いやり予算」は「同盟強靭化予算」と名を変え、対米従属が「強化・深化」されます。毎日のように聞かされる「自由で開かれたインド太平洋」という常套句は、「アメリカがインド太平洋の覇権を維持し続けたい」という意味です。もっとも、中国にも「尊敬される国」になってほしいと願います(もちろん日本もアメリカもすべての国が)。

 さて、「米軍由来のコロナ蔓延」、当該自治体もマスコミもそう言います。日米地位協定の改定が必要、日本はアメリカの属国かといった議論がなされています。米軍のいい加減なコロナ対策は、実は、米軍は「台湾のため、尖閣のために中国と一戦を交えるつもりはない」ことの証です。軍隊に求められるのは「即応態勢」、「求めがあれば今夜にも戦える」態勢。そのためには「隊員の健康状態が良好に保たれている必要がある」(米軍関係者の言葉)。

 コロナ禍で明らかになったのは、米軍は「即応態勢」をとっていない、とるつもりもないことでした。「だから、地位協定を改定し、米軍にコロナ対策をしっかりさせよう」ではなく、「そもそも軍事基地はあってはならない、むしろ有害そのもの」なのです。

 

MDGs・SDGsと軍縮・核兵器廃絶

 SDGsをめぐる話題で持ち切りです。しかし、SDGsの前身MDGs(ミレニアム開発目標)の話はほとんど聞いたことがありません。これも不思議なことです。2000年9月、国連総会が「新たな千年期(ミレニアム)の黎明に際して」採択したのがMDGs。最初に掲げられた目標は「平和・安全・軍縮」であり、その中で、「大量破壊兵器とりわけ核兵器の廃絶に向けて努力」することも決意しました。

 ところがどうでしょう。SDGsは、「貧困の撲滅が地球の最大規模の課題」と位置付けます。そして、「MDGsで残された課題への対応」をうたい、「平和なくしては持続可能な開発はあり得ず、持続可能な開発なくして平和もあり得ない」としながら、核兵器、軍縮の用語を消し去ってしまいました。重大な後退と言わなければなりません。

 国連がSDGsを採択したのは2015年9月、核兵器禁止条約が採択される約2年前でした。核兵器を保有する5つの安保理常任理事国は、核禁条約の批准を頑なに拒み続けています。本年1月3日、それら5カ国は、突如、「核戦争に勝者なし」声明を発しました。国連事務総長が述べたように、「核リスクを排除する唯一の方法は、すべての核兵器を廃絶すること」です。

 最後に、「武力による威嚇、武力の行使は禁止される」、これが国際法の大原則であることを決して忘れてはいけません。改憲を阻止し、核兵器の廃絶を目指して、みなさんと共に微力を尽くしたいと思います。

 今年もよろしくお願いします。

「そこまでやるか、ここまできたか、どこまでやるか」 

日本学術会議任命拒否に抗議する

代表世話人  五十嵐正博

 立命館大学の松宮孝明教授は、日本学術会議の任命拒否についての新聞インタビューに、「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と答えたということです(京都新聞)。この暴挙の報を聞いたとき、「そこまでやるか、ここまできたか」が最初の感想でした。そして「どこまでやるか」に思いがいたり、すぐに合点がいきました。

「目的のためには手段を選ばず」

 自民党の結党以来の一貫した「改憲」願望からして(政権により濃淡はあっても)、「そこまでやるか、ここまできたか」は当然の流れ、「歴史の反省」をせず、むしろ「復古主義」への回帰を夢想しつつ、「政財界による権力維持の執念」。日本国憲法を「改正」するために、したたたかに、粛々と「政権にとってのジャマモノ」を一つずつ、一人ずつ消す戦略。もちろん、一番のジャマモノは「日本国憲法」。当該行為が「合憲か否か」「違法か否か」などに関心はなく、「目的のためには手段を選ばず」という強権政治。

厚顔無恥こそ権力維持の秘訣

 今回の件で、岡田正則教授(その他多くの人)が指摘しているように、菅首相が「推薦段階の105人の名簿を『見ていない』」ということは、学術会議からの推薦リストに基づかずに任命したということです。これは明らかに、日本学術会議法の『推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する』という規定に反する行為」です。政府は「総合的、俯瞰的な」意味について、「丁寧な説明」など、そもそもできない相談です。「見ずに俯瞰する離れ業」(中野晃一さん)。自民党にとって「日本学術会議」は「ジャマモノ」。どこまで「用意周到」なのか、あるいは時の政権が「場当たり的に」また「思い付きで」実行するのかは、それぞれの事例について検証が必要です。しかし、今回の件については、すでに安倍政権時代から「目の敵」にされていたことが明らかになっています。まさに「虎視眈々と狙い撃ち」されたとみるべきでしょう。

 前川喜平元文科省事務次官が実際に経験されたことを語っています。「文化審議会文化功労者選考分科会」委員の選任について、杉田官房副長官から、10人の候補者のうち2名が好ましからざる人物であり任命するなと言われた、安倍政権を批判するようなことをメディアで発言したことが理由であったと。闇の中で、陰湿かつ執拗にうごめく権力行使、空恐ろしい話です。よくも「自由、民主主義、法の支配、基本的人権の尊重(市場経済が加えられることも)」という、ありもしない「共通の価値観」などといえたものです。いや、この厚顔無恥こそ権力維持の秘訣なのでしょう。

日本国憲法の壁

 思えば、80年代後半の中曽根政権による労働組合つぶし、2003年、第一次安倍政権による「教育基本法」改悪、第二次安倍内閣による特定秘密保護法(2013年)、平和安全法制(2015年)、共謀罪(2017年)へと続く「違憲」諸法の改悪・制定。自衛隊法改正は数知れず。日本国憲法は満身創痍にさらされてきました。それでも、日本国憲法の壁があるがゆえに、少なくとも、歴代政権は、当該行為に「理由にならない理由」を述べなければならず、「好き勝手放題」を許すことはありませんでした。

自民党の執念

 自民党は、この「歯止め」「壁」を取り払うことに執念を燃やしてきました。菅首相が政策の根本と考える「自助、共助、公助」、なんと正直な首相でしょうか。「丁寧な説明」がなくても即座に理解可能、安倍政治を継承して、「自民党新憲法草案(以下、新草案)」(2005年10月)、「改正草案」(2012年4月)に沿った憲法「改正」を目指す宣言そのものだからです。要は、国家による個人、家族への介入、国家支配の拡大。憲法は「権力をしばるもの」という理念とは真逆の発想であり、「憲法でない憲法」作りを推し進めること。「自助」とは、「個人」ではなく、「人」は「公益及び公の秩序」に反しない限りの「自由」を持つにすぎず、「国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」(改定草案12条)ことになります。

 「新草案」は、「前文」で「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」とし、「改正草案」では「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」となりました。「復古主義の中核」ともいうべき「国家への忠誠義務」を義務付けようとするものです。「改正草案」は「国防軍」の創設をうたい、「徴兵制」に道を開くことが危惧されます(「新草案」では「自衛軍」でした)。

 「共助」とは、「家族は互いに助け合わなければならない」こと。「共助の義務」です。「公助」について、「草案」は現行憲法二五条(生存権)に何も加えていません。最近の「黒い雨訴訟」を見るまでもなく、国は、いざとなると「公助」どころか、「知らん顔」をするか「逃げる」かして、一切責任を負おうとはしません。しかし、権力は、いつも見えない影におびえているのでしょうか。「国民に刃を向ける=強権的に弾圧する」「緊急事態条項」を憲法に盛り込もうというのです。これが菅首相が思い描く「自助・共助・公助」の意味です。

市民の声が届かない社会に未来なし

 今回の学術会議問題は、任命拒否を撤回させなければなりません。「アリの一穴 天下の破れ」ということわざがあります。政権が「総合的・俯瞰的判断」で何事をも決められるとすれば、憲法も法律も無用となってしまう、それは、立憲主義の破壊、独裁政治です。

 坂本龍一さんは、日本学術会議への人事介入に抗議して「声を上げること、上げ続けること。あきらめないで、がっかりしないで根気よく。社会を変えるには、結局それしかないのだと思います。」と発言しました。同感です。「あきらめないで、がっかりしないで根気よく」安倍・菅政治なるものを引きずり下ろすために声を上げ続けましょう。「忖度」と「萎縮」が蔓延する社会、なにより「市民の声が届かない」社会に未来はありえません。市民の手に「日本国憲法」を取り戻さなければなりません。

【追記】岡田正則さんは、かつて金沢大学での同僚であり、井上英夫さんとともに日韓の共同研究に加わりました。『日韓の相互理解と戦後補償』(日本評論社、2002年)

【参考】『菜の花の沖縄日記』出版元「ヘウレーカ」から新刊、福島祐子著『ヒロインの聖書ものがたりーキリスト教は女性をどう語ってきたか』が刊行されました。本稿を書きながら、つい「プロローグ」を読み始めた途端に、「他者を蹂躙することで己の権力を誇示したくなる」との一文に出くわしました。文脈は、本稿とは全く違いますが、「権力者は」を主語にすれば全く納得、ここに引用します。ご興味のある方はぜひお手に取ってください。お勧めです。

 小松市が平和首長会議に加盟しました

 平和首長会議ホームページの5月1日付新着情報に石川県小松市(和田慎司市長)など「新たに14自治体が平和首長会議のメンバーに加わりました。これにより、加盟都市数は世界161か国・地域7,042となりました」と掲載されました。

 非核の政府を求める石川の会が発行した『非核・平和の自治体づくり 2016年4月版』に詳しく掲載したように県内自治体の平和首長会議加盟は2008年の野々市町から始まり、毎年増加し、5月1日現在で17か所(加入率89.5%)となり、未加盟は加賀市、能美市の2市になりました。【別表参照】

石川県各自治体の平和首長会議加盟の推移
(2016年5月1日現在)
加盟年 自治体名 加盟累計
2008年  野々市市(注) 1
2009年  内灘町、金沢市 3
2010年  珠洲市 4
2011年  七尾市 5
2012年  かほく市 6
2013年  川北町、志賀町、中能登町 9
2014年  津幡町 10
2015年  白山市、羽咋市、宝達志水町、能登町、輪島市 15
2016年  穴水町、小松市 17
(注)野々市町は2011年11月に野々市市に移行した
<未加盟自治体>加賀市、能美市

 

 県内自治体の100%加盟が目前になりました。本会では今年も5月に「2016年度平和事業に関する自治体アンケート」を行い、全自治体の平和首長会議加盟とともに各自治体における非核・平和行政の拡充を要請していきます。

 

 

 

  穴水町が平和首長会議に加盟し、県内自治体の100%加盟が目前に!

 平和首長会議ホームページの4月1日付新着情報に石川県穴水町(石川宣雄町長)など「新たに32自治体が平和首長会議のメンバーに加わりました。これにより、加盟都市数は世界161か国・地域7,028都市となりました」と掲載されました。

 平和首長会議への県内加盟自治体は2008年の野々市町から始まり、毎年増加して4月1日現在で16か所(加入率84.2%)となり、未加盟は加賀市、小松市、能美市の三市になりました。【別表参照】

石川県各自治体の平和首長会議加盟の推移
(2016年4月1日現在)
加盟年 自治体名 累計
2008年 野々市市(注) 1
2009年 内灘町、金沢市 3
2010年 珠洲市 4
2011年 七尾市 5
2012年 かほく市 6
2013年 川北町、志賀町、中能登町 9
2014年 津幡町 10
2015年 白山市、羽咋市、宝達志水町、能登町、輪島市 15
2016年 穴水町 16
(注)野々市町は2011年11月に野々市市に移行した
<未加盟自治体>小松市、加賀市、能美市

 

    平和首長会議への国内自治体の加入率は93%です。平和首長会議では、より多くの自治体が加盟することにより、平和を願い、核兵器廃絶を求める機運を高めることができると全国自治体の100%加盟をめざしています。このため未加盟自治体には繰り返し加盟のお願い文を郵送し、重点自治体には直接訪問しています。

 非核石川の会から2月19日、広島平和文化センター(平和首長会議事務局)を訪問した際、応対いただいた担当課長から「1月28日、29日に国際推進部部長が加賀市、小松市、能美市を訪問し、各総務部長と懇談して、三市揃って来年度加盟の意向を確認できた」との報告がありました。

 県内自治体の100%加盟が目前になりました。非核石川の会では本年も5月に「平和事業に関する自治体アンケート」を実施し、県内自治体の平和施策の拡充と平和首長会議への加盟を働きかけていきます。

 

 輪島市が平和首長会議に加盟しました

  平和首長会議ホームページの10月1日付新着情報に石川県輪島市(梶文秋市長)など「新たに37自治体が平和首長会議のメンバーに加わりました。これにより、加盟都市数は世界161か国・地域6,857都市となりました」と掲載されました。

 平和首長会議への国内自治体加盟状況(2015年10月1日現在)は別表のように91.4%に達しています。         

平和首長会議への国内自治体加盟状況 (2015年10月1日現在)
【国内自治体の加盟状況】  
区分 総数 加盟数 加入率
 790  760 96.2%
東京23区   23    21 91.3%
 745  652 87.5%
 183  159 86.9%
1741 1592 91.4%

 

    輪島市の平和首長会議加盟により、県内自治体の加盟は15か所となり、加入率は78.9%になりましたが、北信越各県と比べても石川県の加入率の低さが際立っています。

北信越各県別平和首長会議加盟状況 (2015年10月1日現在)
県名
総数 加盟 加入率 総数 加盟 加入率 総数 加盟 加入率 総数 加盟 加入率
新潟県 20 20 100.0% 6 6 100.0% 4 4 100.0% 30 30 100.0%
富山県 10 10 100.0% 4 3 75.0% 1 0.0% 15 13 86.7%
石川県 11 8 72.7% 8 7 87.5% 19 15 78.9%
福井県 9 9 100.0% 8 7 87.5% 17 16 94.1%
長野県 19 19 100.0% 23 23 100.0% 35 35 100.0% 77 77 100.0%
69 66 95.7% 49 46 93.9% 40 39 97.5% 158 151 95.6%
                         
            国内自治体加盟状況 総数 加盟 加入率
                    1741 1592 91.4%

  

 引き続き、未加盟自治体における動向を注視していきましょう。

  • 加盟自治体=金沢市、七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市、白山市、かほく市、野々市市、内灘町、川北町、津幡町、志賀町、宝達志水町、中能登町、能登町
  • 未加盟自治体=小松市、加賀市、能美市、穴水町

 

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