非核の政府を求める石川の会は、会報「非核・いしかわ」第330号(2026年1月20日付)を発行しました。サイドメニューの会報「非核・いしかわ」、「絵手紙」も最新情報を追加しました。
●サイドメニューの「非核・いしかわ」紹介をクリックすると、A4判にリニューアルした第150号(2011年1月20日付)以降のバックナンバーをすべて閲覧できます。
●サイドメニューの「絵手紙」をクリックすると、第159号(2011年10月20日付)から掲載している金沢医療生活協同組合・絵手紙班の作品をすべて閲覧できます。
2026年 1月
【年頭所感】
新憲法公布80周年、前文を読みましょう
代表世話人 井上英夫
あけましておめでとうございます。今年こそ、よい年になりますように、と願っているのですが、年明けから、国内外ともに不穏な状況ですね。
7日から8日と門前、穴水の被災地に行きました。能登半島地震から2年、復旧・復興は遅々として進んでいません。能登の人たちは必死に頑張っています。しかし、もっとも頑張るべき国、県の姿はほとんど見えず、人々の将来への不安は増大しているように感じました。
住み続ける権利の保障による人間の復興とはほど遠く、国・県は人権の保障ではなく、公助すなわち援助・応援という寄り添い政策に終始し、被災者、能登の人々に自助・頑張りと共助・助けあいを強いています。過疎化、高齢化、少子化を一層進め、集約化、集中化により能登を住み続けられなくする。地域崩壊・棄民政策というべきです。他方で、大軍拡をすすめ平和主義・非核三原則、基本的人権の保障、国民主権・民主主義という憲法の3本柱をも放棄しようとしています。内外の危機的状況下、能登そして日本、世界にとって、憲法とりわけ平和的生存権を基礎とした住み続ける権利の確立こそ喫緊の課題です。私達、非核の政府を求める会の存在意義・活動の必要性はますます高まっています。
年頭にあたり、憲法前文をじっくり読んでみましょう。わずか690語です。新憲法は、第二次大戦敗戦直後の1946年11月3日に公布され80年になります。日本、世界の人々の戦争への反省と平和への希求を反映し、世界最先端の憲法でした。古くなるどころか、今、私たちがなすべきこと、日本と世界の進むべき方向とくに平和的生存権の保障、を示しています。
日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、 普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第一段落では、①国民主権と議会制民主主義体制、②今に生きる私たちだけでなく子孫のために、③諸国民との協和による成果と、自由のもたらす恵沢すなわち平和と基本的人権の保障、④政府の行為によって再び戦争が起らないよう、にすることへの決意を述べます。戦争は、決して国民の望むものでなく政府の行為によって起こるという認識が大事ですね。
第二段落は、人類普遍の原理として国の政治体制の基本を示しています。立憲主義の表明といってよいでしょう。
①国政は、主権者国民によって信託された代表者によって行われる。
②国政の権利(権限)行使も国民の主権を代行するものです。国会議員や行政官僚、裁判官が、国民に優位するという考えは全く間違っています。国政の「権利」は、主権者国民の権利と違い制限付きの「権限」にとどまります。むしろ国政の横暴、すなわち主権者たる国民の人権侵害・剥奪に歯止めをかけるもので、立憲体制の意味はこの点にあります。
③したがって、この人類普遍の原理に反する、憲法、法令、詔勅等は排除され無効となります。基本的人権を侵害し、剥奪するような「憲法改悪」は許されません。
第三段落は、平和的生存権の保障です。
第一に、日本国民に、恒久平和と人間相互の関係を支配する崇高な理想を自覚することを求めています。
第二に、私達の安全と生存を保持する大前提は、平和を愛する諸国民の公正と信義に依頼することである、ということです。第一段落でも、諸国民との協和が述べられています。
第三に、平和的生存権です。全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を保障しています。
ここで、恐怖fearとは戦争やテロ、暴力で、欠乏wantとは飢餓や貧困です。平和的生存権は、単なる宣言ではなく、戦争と軍備を放棄した憲法9条に、そして欠乏からの自由は、主として健康で文化的な権利を保障した憲法25条に結実しているわけです。その意味で憲法9条と25条は一体であり、さらに平和的生存権は、現在では、裁判所によってすべての人権の基底的権利であり国民の具体的権利とされています。
第四段落は、一国平和主義でなく全世界の人々を視野に入れています。
第一に、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない。
第二に、前文に述べられている政治道徳の法則は、普遍的であり、この法則に従うことこそ、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である、と宣言しています。
現状をみるとあまりに、崇高かつ理想主義的といえるかもしれません。しかし、この方向を貫くことこそ、日本が、国際社会において名誉ある地位を占めることになるのではないでしょうか。トランプ、プーチン、習近平そしてネタニヤフ等現在の独裁者に、鉄槌を下せと言っているわけです。
最後に、私たち国民の、国家の名誉にかけ、全力をあげて崇高な理想と目的を達成するという誓い、を掲げています。
人権のためのたたかいへ
憲法97条は、憲法の保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であると明言し、さらに憲法12条は、憲法・人権の保持のための不断の努力を国民に求めています。
前文は2012年の自民党憲法改正草案では全面書き換えで平和的生存権削除です。また、憲法97条は全面削除です。為政者・権力者にとって人々の人権のためのたたかいがもっとも怖いわけでしょう。
80年後の今こそ、憲法前文の掲げた誓いを果たすため、平和憲法を守り発展させる人権・非核のためのたたかいに立ち上がるべき時だと思います。
【年頭所感】
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
代表世話人 五十嵐正博
日に日に世界が悪くなる
NHKの「朝ドラ」主題歌に耳を傾けたことがかつてあったでしょうか。「毎日難儀なことばかり」、はたまた「日に日に世界が悪くなる」、「そうだよな!」とうなずく毎朝です。国際法などどこ吹く風、「威嚇」をちらつかせ、「武力行使」をものともせず、「皆殺し」(ジェノサイド)を「したり顔」(あの「作り笑い」もその同類異種か)で吹聴する指導者たち、「傍若無人」「やりたい放題」、「狂気」が世界に渦巻いています。
この「狂気」は、「奢れるもの」(「悪魔」「独裁者」といってもいい)の断末魔、「帝国」が崩れ落ちる叫びのように聞こえます。「奢れるもの」には、「いのち」の尊重をものともしないという共通点があります。米国は、反米と見なす指導者の殺害、拉致、あるいは失脚させる多数の「政権交代作戦」を実行してきました。ベネズエラを「武力攻撃」し、大統領を「拉致」するという「狂気」は、今に始まったことではありません。
米国は、「ドンロー主義」にやがて「東半球」まで射程に入れ、日本で米軍基地の撤退を迫る指導者が現れたら「拉致」し、米国で裁判にかけるのでしょうか。反米政策をとる各国の指導者は「眠れぬ夜」を過ごしているでしょう。
生物は「大量絶滅と大繁栄」を繰り返しながら「進化」を遂げてきたといわれます。折しも、国立科学博物館では「それでも進化は続く」との楽観論を述べつつ、「生命が誕生してから40億年」「様々な角度から5回の大量絶滅の謎」に迫る「大絶滅展」が開催されています。今や、第六次大絶滅期に入ったという説もあるそうです。従来の大量絶滅が、大規模な火山の噴火や隕石の衝突といった環境の激変によるものだったのに対し、現在起こりつつある第六次大量絶滅は、人類の存在に起因するものだとの説に納得します。田中熙巳さんは、ノーベル平和賞受賞演説で「人類が核兵器で自滅することのないように」と訴えました。核兵器、原発の存在、地球環境危機がもたらしうる「大絶滅」は、まさに「ヒト」の存在に起因します。
「平和四原則」:全面講和・中立・軍事基地反対・再軍備反対
さて、古い話で恐縮ですが、いまから76年前に発表された「講和問題についての平和問題談話会声明」を紹介しましょう。「声明」は「日本が平和国家としてのあるべき姿」を描いており、今に通ずる提言です。
1945年8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受諾、同宣言12項は、日本国国民が自由に表明する意思に従って平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立されれば、「連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収される」と規定していました。しかし、「占領軍」は直ちに撤退するどころか、1951年、講和条約と同時に署名された「(旧)日米安保条約」により「米国軍隊」に置き換えられました。1946年11月3日、「日本国憲法」が公布、1949年10月1日には、中華人民共和国建国宣言がなされ、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発、1951年9月18日、「日本との平和条約」が連合国諸国と日本との間で署名、という道筋をたどります。
講和条約締結に当たっては、国内で「全面講和か単独講和」かの活発な議論が行われていました。「講和問題についての平和問題談話会声明」が発表されたのは1950年1月15日(『世界』1950年3月号)、朝鮮戦争勃発前です。「談話会」は、『世界』初代編集長、吉野源三郎氏が、ユネスコから出された声明に示唆をえて、東京、関西在住の学者を中心に組織した会でした。私が幸運にも謦咳(けいがい)に接することのできた田畑茂二郎先生もそのメンバーでした。
「声明」は、講和問題の処理は、「日本の運命を最後的に決定するであろう」との痛切な思いを述べます。「懇話会」は討論の前提として、「第一は、われわれの憲法に示されている平和的精神に則って世界平和に寄与するという神聖なる義務」を、「第二は、日本が一刻も早く経済的自立を達成して、徒らに外国の負担たる地位を脱せんとする願望」を指摘し、具体的に以下の四点に言及します。
第一に、「経済的自立」は「全面講和の確立を通じてのみ充たされる」のであり、単独講和は、日本と中国その他の諸国との関係を切断する結果となり、自ら日本の経済を特定国家への依存及び隷属の地位に立たせることになる。
第二に、日本国憲法の平和的精神を忠実に守る限り、「二つの世界の調和を図るという積極的態度」で講和の問題に当たることが要求され、「単独講和はわれわれを相対する二つ陣営の一方に投じ、それとの結合を強める反面、他方との間に、単に依然たる戦争状態を残すにとどまらず、さらにこれらとの間に不幸なる敵対関係を生み出し、総じて世界的対立を激化」させる。
第三に、「講和後の保障」については、あくまで「中立不可侵を希い、併せて国際連合への加入」を望む。「単独講和または事実上の単独講和状態に付随して生ずべき特定国家との軍事協定、特定国家のための軍事基地の提供の如きは、その名目が何であるにせよ、わが憲法の前文及び第九条に反し、日本及び世界の破滅に力を藉(か)すものであって、われわれは到底これを承諾することはできない。日本の運命は、日本が平和の精神に徴しつつ、而も毅然として自主独立の道を進む時のみ開かれる。」(ゴチック対は筆者)
第四に、「理由の如何によらず、如何なる国に対しても軍事基地を与えることには、絶対に反対する。」
「奢れる人は久しからず」
日本の歴代政権は、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「わが物顔」していた時代も終わっているかもしれません。
世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、すべての「軍事同盟」を、なによりも各国の「軍隊」を解体しなければなりません。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、世界各地で「公然と」国際法無視の武力行使が行われている現在、「日本国憲法前文及び第九条」を世界に向けて広めなければならないと強く思います。「講和問題についての平和問題談話会声明」で述べられた諸提言は今もわたしたちが追及すべき「道しるべ」です。








