2024年 2月

【2024年巻頭言】

能登半島地震 自衛隊を「サンダーバード」に

代表世話人  井上英夫

 余寒の中、被災された皆様にお見舞い申し上げます。元旦は、北陸には珍しく快晴でした。石川啄木の「何となく 今年はよい事あるごとし 元日の朝晴れて風無し」を口ずさみながらおとそ気分でいたところに激しい揺れが襲いました。その惨状は、本紙新年号の五十嵐正博さんの迫真かつ貴重な体験記の通りです。

 金沢市田上新町の我が家の200m先でがけが崩れ、四軒の倒壊がありました。周辺32戸に避難指示が出ました。我が家も崖上ですが、一部損壊に止まり無事で避難指示対象外でした。しかし、珠洲、輪島等能登の東日本大震災に匹敵する被害状況が日を追って明らかになってきました。

 五十嵐さんは「たった二晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました」と言います。そして憲法前文の平和的生存権を踏まえ、人殺しのための軍事費の「皆が普通に生きられる社会」づくりへの転用を訴えています。まさに被災した人々はもちろん私たちの願い、希望を語り、まったくわが意を得たりです。

 私たちは、能登とくに珠洲で、「過疎化」が進み、残された高齢者・障害のある人も、医療や福祉制度等の貧困により住み続けられず出ていかざるを得ないという「もう一つの過疎化」の実態を明らかにしました。そこに地震が襲っているわけですが、国内外の災害現場に立ち「住み続ける権利」を提唱してきました。

住み続ける権利と平和的生存権

 住み続ける権利とは、すべての人が、どこに、誰と住むか、どのように住むか、その自己決定を人権として保障することです。被災者、地域住民の生まれ育った家、地域に住み続けたいという願いは強烈です。住み続ける権利とは、その願いを実現するものです。日本国憲法は、居住移転の自由(22条)、生存権・生活権・健康権・文化権・居住の権利(25条)、働く権利(27、28条)、教育を受ける権利(26条)等保障しています。それらの人権保障により実現される新しい人権です。

 人々の頑張り、助け合いは大事ですが、それを可能とするのは、人権がしっかり一人一人の生活の基盤を支えてこそです。その保障義務があるのは国や自治体です。「公助」「寄り添い」などといい、人々に自助・共助、頑張りを強要してはなりません。

 住み続けられるためには、最大の要因である恐怖(戦争やテロ)からの自由と欠乏(飢餓・貧困)からの自由を保障する平和的生存権が基底的権利となります。

 人権とは、生きる基本を保障することですが、その目的は人々の願望・希望を実現することにあります。したがって住み続ける権利の根拠は、被災者・住民の皆さんの願いや希望ということになります。

 避難所ホテルにて 一緒に暮らしたい・戻りたい

 2月10日、金沢市片町のアパホテルに避難中の輪島市門前深見地区の皆さんに話を伺いました。2007年の能登半島地震の時、船で全員脱出し、今回は、望んだわけではないが、自衛隊のヘリで避難させられた地区です。

 ホテルは、最初は食事がひどかったし、狭い個室で夫婦も別々で決して良い環境ではないが我慢している。そこも2月中に追い出され、行き場がない。仮設住宅は四月末になる等問題点が次々に話されました。その模様は3月のNHKクローズアップ現代で放映されるそうです。もっとも強調されていたのは地区の皆が一緒に暮らしたい、深見に戻りたいということでした。

 以下被災地で心を動かされた言葉をいくつか紹介しましょう。

家がかわいそう

 被災地に立つとき写真を撮るのを躊躇します。2007年の能登地震支援の時、倒壊した家の写真を撮らしてほしいとお願いしたら、「可哀そうだから撮らないで」「夫婦で苦労して建てた家だから」と言われたことを思い出したからです。

 家の保障こそ住み続ける権利の出発点です。日本では自己努力、個人の甲斐性として考えられていますから、家への愛着はことさら強いわけでしょう。その努力は貴重です。しかし、そろそろ家も公的に保障されるべきです。全壊でなくても深見地区のように避難させられれば住み続けられませんから補償は全壊並みにすべきです。

ここを愛している 何故遠くに行かないか

 中国四川地震の時を参考とし、自治体が被災地自治体と提携して支援を行うという「対口支援」も行われています。病院や施設の受け入れ準備もされています。しかし、多くの人々は遠くに行きません。能登を離れません。生まれ育った地、自分で選んだ土地を離れたくない。これも被災地の人々とりわけ過疎地の人々の願いです。東日本大震災の避難所でお会いした、女性の一言が今も耳に残っています。何故、高台へ、あるいは他の津波の来ないところに移転しないのか。この海、景色を「愛している」からだと言われたのです。愛しているから戻りたい、住み続けたい。この願いは贅沢でしょうか。わがままでしょうか。

「黙した鬼」だ

 能登の人々は、国や自治体の災害・復興対策に文句は言いません。阪神淡路大地震の時と大違いです。「能登はやさしや土までも」、と言いますね。人々もやさしく、忍耐強い。東北の被災地でも同様でした。何故怒らないのか、「黙した鬼」だからというのです。はらわたが煮えくり返るほどの怒りを抑えているということでしょう。

自分のことは自分で決める 参加して決める。

 住み続けられる地域を創る。主体は主権者たる一人一人の被災者、住民であり、つきつめれば自己決定の保障でもっとも重要なのは参加の保障です。東日本大震災から10年、国の指示する14、15メートルという高い防潮堤が三陸沿岸を覆う中、「防潮堤のないまちづくり」を進め、賑わいを取り戻した町があります。人口の1割近い827人が犠牲となった宮城県女川町です。

 町民のいのちを守る「減災」を基本として、豊かな港町女川の再生を目指し、町民が実感できない復興は、真の復興とはいえないとし、すべての町民が家族や地域とのつながりの中で、いつもの日常生活に喜びを感じる地域をつくることを基本としています。

 誰もが枕を高くして寝られるように住宅は安全な高台で再建しても、海とは切り離されないよう、すべての家から海の見える町を目指しました。漁港や商業地区では、万一津波が来たときに駆け上がって避難するためすべての道が津波避難路になっています。

何ができるか 自衛隊を「サンダーバード」に

 何かできることはないか。私のところにもお見舞いと支援の声が寄せられています。無理しないでできることをしてくださいとお願いしています。これからは是非避難所等で被災された人々の声を聴いてください。一番恐れているのは、無視され、忘れられることですから。そして自衛隊を「サンダーバード」にしましょう。北陸線の特急ではなく、国際救助隊です。イギリス製作の人形劇で、日本ではNHKで1966年から放送され、21世紀にはいっても再放送されています。

   これは秘密部隊ですが、自衛隊を国際救助隊にしましょう。人を殺す軍隊から、いのちを救う部隊へ。そのための機動力は自衛隊が十分に持っているではありませんか。

 荒唐無稽のようですが、平和的生存権を保障する日本国憲法の希求する姿であり、世界から称賛され、戦争と報復の続く世界を変え、21世紀を希望の世紀にできるでしょう。そして、誰でもできることは、選挙に行くことです。住み続ける権利そして種々の人権を保障する希望の政府をつくる。そのために選挙に行ってくださいとお願いしています。

◎写真は北陸学院大学・田中純一さんが撮影

                海底が隆起した鹿磯漁港

        大岩崩落、深見地区への道路遮断・孤立

         深見漁港は4メートル隆起

 

非核の政府を求める石川の会は、会報「非核・いしかわ」第307号(2024年2月20日付)を発行しました。サイドメニューの会報「非核・いしかわ」、「絵手紙」も最新情報を追加しました。
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