< 2016.12.3 非核の政府を求める会結成30周年記念シンポジウム >
非核自治体運動の多彩な活動と前進の展望
非核の政府を求める石川の会事務局長
神田 順一
ことし7月に県内全市町が平和首長会議に加盟しました。2008〜11年は5自治体だけでした。その後、毎年着実に増えた、この5年間の取り組みについて報告します。
2012年4月、私たちは「平和事業に関する自治体アンケート」に踏み切りました。その自治体アンケートの集約結果と共に、会報を全自治体に送りました。会報は5年近く毎月送っています。同年7月から非核平和行政を取材し、これまでに9自治体と接点ができました。これを会報に載せ、ホームページで公開してアピールしました。そういう取り組みと、平和首長会議事務局の働きかけが相まって、全市町100%加盟が実現できました。
(平和行政を担う自治体職員との接点を広げる視点)
平和行政を担う自治体、とくに幹部職員と接点を広げる視点を大事にしました。きっかけは、非核埼玉の会の自治体アンケートで「今年度の平和事業計画」がびっしり書かれていました。石川の会でも実施したいと、埼玉の会から自治体アンケートのデータを送ってもらい、2012年から始めました。
会報「非核・いしかわ」は5人の編集体制です。評論で結実したのがコラム集『花鳥風月集』で、読者参加の『会員エッセー集』は会員88人の投稿をまとめました。ことし4月には『非核・平和の自治体づくり』も作成。手づくりで300〜500部作って会員や自治体に配布しています。
(アンケート項目を工夫して調査依頼)
どういうアンケートをとったのか。1年目は、基本情報を入手し、平和首長会議や非核宣言自治体協議会の加盟の有無なども整理しています。3年目は、総務課のEメールアドレスを聞ける間柄になりました。4年目は、平和事業を教育委員会が行っている情報を入手しました。
2011年に平和首長会議に加盟した七尾市は、加盟したからには何か事業をやれないかという市長の発案で、総務課として「平和写真パネル展」を具体化し毎年パネル展を続けています。白山市は被爆70年を記念して平和首長会議に加盟し、長崎市から被爆資料を借りて「長崎 戦争・原爆被災展」を開催しました。輪島市では、被爆医師・清水正明先生が描き、市に寄贈された被爆絵画を市教育委員会が引き継ぎ、毎年8月に被爆絵画展を開催しています。野々市市の「原爆と人間展」には平和都市宣言の決議、中学生の「平和の旅」の実施内容などが掲示されています。「平和の旅」の参加報告は「原爆と人間」展と同じ市役所のフロアに掲示しています。金沢市は図書館が3館あり「原爆と人間」展を毎年巡回して展示しています。
(国民平和大行進石川県実行委員会との連携)
私は2013年3月末に定年退職し、6月に国民平和大行進の県内「通し行進者」にチャレンジしました。よかったのは、事前に5月に全自治体を訪問し、総務課長クラスに平和行政の推進などを丁寧に要請できたことです。以来私は、県内通し行進・自治体訪問を4年続けています。そのとき自治体アンケートを総務課長に直接手渡すので、必ず回答をもらえます。
志賀町は2015年6月、非核平和の宣言・標柱を、私たちが志賀町役場に向けて平和行進する前の週に改修して迎えてくれました。中能登町も「非核・平和宣言の町」という標柱をつくりました。そのときハナミズキの記念植樹があり、その鍬入れ式を町長、議長と行進団団長の3人で行うという好待遇でした。こういう先進的な自治体も生まれてきました。
(平和首長会議事務局と連携した取り組み〉
私は、これまでに3度、平和首長会議事務局を訪問しました。初めて訪問したとき、非核石川の会が自治体に平和首長会議への加盟を呼びかけていることを伝えたら、担当課から感謝されました。2回目は、担当課長から、その年の1月に国際平和推進部長と主事が加賀、小松、能美の各市を訪問し、平和首長会議に加盟する確約を得たと聞き、びっくりさせられました。
(今後の課題と展望)
平和首長会議100% 加盟は目標ではなく新たなスタート地点です。原爆パネル展も100% 実現をめざしたい。平和首長会議の県内の加盟自治体会議を、平和首長会議事務局の協力も得て実現したいと考えています。それから、「ヒバクシャ国際署名」を自治体の中でどう位置づけるのか、いろんな取り組みを通じて粘り強くやっていきたいと思います。
◎本稿は「非核の政府を求める会ニュース」2017年2月15日号に掲載された非核石川の会の活動報告(要旨)です。近日刊行の「非核自治体運動シンポジウム記録集」にはパネリストを務めた神田順一事務局長の発言全文が収録されています。記録集を購入希望の方はHPのお問い合わせメールフォームにてご連絡ください。