活動報告

2024年度 県内自治体の「原爆写真パネル展」等の開催一覧

非核の政府を求める石川の会が実施した「2024年度平和事業に関する自治体アンケート・集計結果」から『原爆写真パネル展』『原爆と人間展』等の開催一覧を作成しました。

 今年は自治体主催で10か所、住民民団体主催で8か所で開催されました。

自治体名 展示内容 日程 会場 主催
自治体 住民団体
0 石川県 ・平和のパネル展 8月2日~16日 石川県庁 19階展望ロビー  
1 金沢市 ・原爆写真パネル展 7月25日~8月20日 金沢海みらい図書館
金沢市役所第二庁舎
 
・原爆と人間展 8月6日 近江町いちば館前  
2 七尾市 ・平和展 8月9日~15日 のと里山里海ミュージアム  
3 小松市 ・原爆と人間展 8月5日~7日 小松市役所 エントランスホール  
4 輪島市 ・清水正明・原爆絵画展  輪島市文化会館が震災のため実施不可    
5 珠洲市          
6 加賀市 ・原爆写真パネル展 8月2日~20日 加賀市市民会館 1階ロビー  
・平和のための戦争展 8月1日~15日 加賀市中央図書館1階  
7 羽咋市 ・原爆と人間展 8月3日~7日 コスモアイル羽咋  
8 かほく市 ・原爆と人間展 7月23日~8月4日 うみっこらんど七塚・海と渚の博物館  
9 白山市 ・原爆と人間展 7月26日~8月12日 白山市鶴来総合文化会館・クレイン  
・原爆と人間展 8月2日~7日 白山市市民工房・うるわし  
10 能美市 ・原爆と人間展 8月6日~18日 能美市立寺井図書館  
11 野々市市 ・原爆写真パネル展 8月13日~19日 学びの社ののいちカレード  
12 川北町 ・原爆と人間展 6月に「原爆と人間」パネルを購入、今年は未開催    
13 津幡町 ・原爆写真パネル展 8月1日~15日 津幡町役場 1階町民プラザ  
14 内灘町 ・原爆写真パネル展 8月9日~16日 内灘町役場 1階ロビー  
15 志賀町 ・原爆写真パネル展 8月6日~19日 志賀町役場 1階ロビー  
16 宝達志水町 ・原爆写真パネル展 8月2日~16日 宝達志水町役場 1階ロビー  
17 中能登町 ・原爆写真パネル展 今年は未開催 中能登町ふるさと創修館    
18 穴水町 ・原爆写真パネル展 8月14日~18日 穴水町役場1階ロビー  
19 能登町 ・原爆写真パネル展 8月6日~16日 能登町役場2階町民ギャラリー  

2024年度 平和事業に関する自治体アンケート・最終報告

2024年度平和事業に関する自治体アンケート・最終報告

   非核の政府を求める石川の会が今年5月に実施した自治体アンケートでは、「原爆写真パネル展」の開催日程が未定のところが多かったため、8月下旬から9月初旬に各自治体総務課に再度照会しました。この結果、県内では自治体主催で10か所、住民団体主催で8か所で「原爆写真パネル展」を計画していることがわかりました(金沢市と加賀市では自治体、住民団体双方が開催)。

 自治体アンケートの最終報告を掲載します。 印刷用:PDF  182KB

自治体名 (1)非核・平和事業の計画 2025年「戦後・被爆80年」の取り組み
  0 石川県 ・原爆写真パネル展の会場提供(8月2日~16日、石川県庁19階展望ロビー/住民団体主催)
・平和行進への対応/予定なし
・予定なし
  1 金沢市 ・原爆写真パネル展(7月25日~8月20日)、①金沢市役所第二庁舎1階エントランス②金沢海みらい図書館/自治体主催
・平和行進への対応/市長メッセージを送付
・2025年は、戦後・被爆80年であるとともに、本市の平和都市宣言40周年の節目の年でもあることから、どのような取り組みができるのか検討していきたい。
  2 七尾市 ・平和展(8月9日~15日、のと里山里海ミュージアム/自治体主催)
・平和行進への対応/市長メッセージ
・平和展の開催予定
・被爆体験記・朗読会の開催予定
  3 小松市 ・原爆と人間展(8月5日~7日、小松市役所エントランスホール/住民団体主催)
・平和行進への対応/市長メッセージ、協力金、ペットボトル募金、懸垂幕
・小松市戦没者慰霊式の開催(6月1日)
・原爆投下日や終戦記念日に、本市庁内放送で黙祷を呼びかける
  4 輪島市 ・例年実施している原爆絵画展は、施設の被害により実施不可
・平和行進への対応/市長、議長の平和行進ペナントを提供
・特になし
  5 珠洲市 ・「原爆写真パネル展」の開催計画なし
・平和行進への対応/なし
・なし
  6 加賀市 ・原爆写真パネル展(8月2日~20日、加賀市市民会館1階ホール/自治体主体)
・平和行進への対応/予定なし
・予定なし
  7 羽咋市 ・「原爆写真パネル展」(8月3日~7日、コスモアイル羽咋/住民団体主催)
・平和行進への対応/予定なし
・未定
  8 かほく市 ・原爆と人間展(7月23日~8月4日、市の公共施設/住民団体主催)
・平和行進への対応/特になし
・特になし
  9 白山市 ・原爆写真パネル展/7月26日~8月12日、白山市鶴来総合文化会館クレイン 8月2日~7日、白山市市民工房うるわし/市民団体主催(自治体協力)
・平和行進への対応/市長メッセージ、協力金、署名、ペットボトル募金、ペナントの提供
・戦争経験者や被爆者の高齢化が進む中、若い世代への平和維持の意識向上につながる事業ができないか検討中
  10 能美市 ・原爆写真パネル展/8月6日~18日、能美市立寺井図書館/自治体主催
・平和行進への対応/庁舎において来庁式を実施
・未定
  11 野々市市 ・原爆パネル展/8月13日~19日、学びの社ののいち カレード オープンギャラリー/自治体主催
・平和行進への対応/事前に署名及び募金を集めております。また、野々市市を通られた際には、市長及び議長が参列し平和のメッセージを読み上げ、署名及び募金をお渡ししております。
・戦争を経験した方が年々減少していることから、平和の旅及び原爆パネル展の内容を充実させ、新たな世代へ語り継げる人材の育成により一層尽力いたします。
  12 川北町 ・今年6月、パネル「原爆と人間」を購入
・原爆写真パネル展の予定はありませんが、町のイベント等で展示できないか検討します。
・平和行進への対応/町長が出発式に参列し激励メッセージ
・特にありません
  13 津幡町 ・原爆写真パネル展(8月1日~15日、津幡町役場庁舎内/自治体主催)
・平和行進への対応/津幡町役場庁舎内にて到着式を行う
 
  14 内灘町 ・原爆写真パネル展(8月9日~16日、内灘町役場1階ロビー/自治体主体) ・予定なし
  15 志賀町 ・原爆写真パネル展(8月6日~19日、志賀町文化ホール/自治体主催)
・平和行進への対応 
・特になし
  16 宝達志水町 ・原爆写真パネル展(8月2日~16日、志水町役場庁舎ロビー/自治体主催)
・平和行進への対応 特になし 
・特になし
  17 中能登町 ・原爆写真パネル展の開催計画なし
・平和行進への対応/町長メッセージ送付、町長・議長の平和行進ペナントを提供 
・特になし
  18 穴水町 ・原爆写真パネル展(8月14日~18日、穴水町役場1階ロビー/自治体主催)
・平和行進への対応/住民団体と協議のうえ対応する 
・特になし
  19 能登町 ・原爆写真パネル展(8月6日~16日、能登町役場2階町民ギャラリー/自治体主催)
・平和行進への対応 
・現在のところ、予定なし
自治体名 (2)子どもたちへの平和教育施策 (3)非核平和宣言の周知方法・掲示場所
掲示開始年
  0 石川県 ・各小中高等学校では、学習指導要領二基づき、社会科や公民科等で平和教育を実施 ・掲示していない
  1 金沢市 ・8月6日及び9日は、多くの尊い命の犠牲の上に現在の平和があることに思いを巡らせる大切な日であり、各市立学校には、校長会議や学校訪問等の場を通して、児童生徒が歴史を学び、平和の尊さについて考える機会を適切に設けてほしいとお願いしている。 ・「平和都市宣言」碑(姉妹都市公園)
1995年8月1日
  2 七尾市 ・平和展に展示する作品の作成
・被爆体験記・朗読会の開催予定
・「平和都市宣言」記念碑(市役所本庁舎正面玄関)、2007年設置
  3 小松市 ・中学校7校が5月に広島県方面に修学旅行 ・「非核・平和宣言都市・こまつ」懸垂幕 
(市庁舎前)6月13日~8月15日
  4 輪島市 ・夏休み登校日は実施予定 ・掲示していない
  5 珠洲市 ・教科等における平和に関する内容の際に学習を行う。
・夏季休業中の登校日等に際に平和に関する学習を行う。
・人権教育と関連付けながら学習を行う。
・掲示していない
  6 加賀市 ・夏休み登校日に平和集会や平和に関する教育を各校・各学級で実施 ・掲示していない
  7 羽咋市 ・夏休みの登校日に先生から平和についての講話を実施予定 ・掲示していない
  8 かほく市 ・学校支援ボランティア活動(戦争体験などの歴史の話)
・戦争平和に関する図書コーナーの設置
・掲示していない
  9 白山市 ・市内小中学校では、社会科・国語科を中心に、随時、平和に関する学習を実施
・夏休み中の全校登校日に平和集会を開催
・各市立図書館では、7月上旬から8月下旬に平和に関する図書を展示
・「平和宣言都市」宣言塔(本庁舎、宮丸交差点、JR美川駅、鶴来支所)
  10 能美市 ・例年、市内小学校で平和学習の授業を実施 ・「非核平和宣言都市 能美市」懸垂幕(市役所本庁舎)、2019年
  11 野々市市 ・平和の旅
・夏休み中の全校登校日に平和集会を開催
・各学級での平和学習
・図書委員会・掲示委員会における啓発活動
・「平和都市宣言のまち」標柱
(庁舎前駐車場)、2014年
  12 川北町 ・町内全ての学校で8月6日を全校登校日として平和について考える
・中学校の広島への修学旅行(平和記念資料館見学)
・「平和都市宣言の町」懸垂幕
(役場・文化センター前)、2022年
  13 津幡町 ・夏休み中の8月6日から9日の全校登校日、または学年登校日に集会で平和教育を実施する ・「平和都市宣言の町」標柱
(役場前)、1992年設置ー2021年改修
 14 内灘町 ・町立小中学校の全校集会において、平和教育を実施予定
・町立小中学校の学校図書館に、平和に関する図書コーナーを設置予定
・町立小中学校にて、「原爆と人間展」のパネル展示を実施予定
・「非核平和都市宣言の町」宣言塔
(役場庁舎横:2003年、保健センター前:1992年)
・平和宣言塔(泉源公園)1996年
 15 志賀町 ・夏休み期間中、登校日に教員等による講話を実施 ・「非核宣言の町」標柱
(役場敷地)、設置年月は不明
 16 宝達志水町 ・夏休み中の登校日の集会時に先生から平和についての講話を実施 ・掲示していない
 17 中能登町 ・町内小中学校において、夏休み期間中の全校登校日に合わせ、平和についての全校集会を実施する。 ・「非核・平和宣言の町」標柱
(中能登町役場総務庁舎)
・記念植樹ハナミズキ
(中能登町役場総務庁舎)
 18 穴水町 ・夏休み期間中に平和に関する教育を行う予定 ・掲示していない
 19 能登町 ・各学校において、平和に関する教育を行う予定 ・掲示していない
2024年9月5日 非核の政府を求める石川の会

巻頭言 能登半島地震 自衛隊を「サンダーバード」に  井上英夫

【2024年巻頭言】

能登半島地震 自衛隊を「サンダーバード」に

代表世話人  井上英夫

 余寒の中、被災された皆様にお見舞い申し上げます。元旦は、北陸には珍しく快晴でした。石川啄木の「何となく 今年はよい事あるごとし 元日の朝晴れて風無し」を口ずさみながらおとそ気分でいたところに激しい揺れが襲いました。その惨状は、本紙新年号の五十嵐正博さんの迫真かつ貴重な体験記の通りです。

 金沢市田上新町の我が家の200m先でがけが崩れ、四軒の倒壊がありました。周辺32戸に避難指示が出ました。我が家も崖上ですが、一部損壊に止まり無事で避難指示対象外でした。しかし、珠洲、輪島等能登の東日本大震災に匹敵する被害状況が日を追って明らかになってきました。

 五十嵐さんは「たった二晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました」と言います。そして憲法前文の平和的生存権を踏まえ、人殺しのための軍事費の「皆が普通に生きられる社会」づくりへの転用を訴えています。まさに被災した人々はもちろん私たちの願い、希望を語り、まったくわが意を得たりです。

 私たちは、能登とくに珠洲で、「過疎化」が進み、残された高齢者・障害のある人も、医療や福祉制度等の貧困により住み続けられず出ていかざるを得ないという「もう一つの過疎化」の実態を明らかにしました。そこに地震が襲っているわけですが、国内外の災害現場に立ち「住み続ける権利」を提唱してきました。

住み続ける権利と平和的生存権

 住み続ける権利とは、すべての人が、どこに、誰と住むか、どのように住むか、その自己決定を人権として保障することです。被災者、地域住民の生まれ育った家、地域に住み続けたいという願いは強烈です。住み続ける権利とは、その願いを実現するものです。日本国憲法は、居住移転の自由(22条)、生存権・生活権・健康権・文化権・居住の権利(25条)、働く権利(27、28条)、教育を受ける権利(26条)等保障しています。それらの人権保障により実現される新しい人権です。

 人々の頑張り、助け合いは大事ですが、それを可能とするのは、人権がしっかり一人一人の生活の基盤を支えてこそです。その保障義務があるのは国や自治体です。「公助」「寄り添い」などといい、人々に自助・共助、頑張りを強要してはなりません。

 住み続けられるためには、最大の要因である恐怖(戦争やテロ)からの自由と欠乏(飢餓・貧困)からの自由を保障する平和的生存権が基底的権利となります。

 人権とは、生きる基本を保障することですが、その目的は人々の願望・希望を実現することにあります。したがって住み続ける権利の根拠は、被災者・住民の皆さんの願いや希望ということになります。

 避難所ホテルにて 一緒に暮らしたい・戻りたい

 2月10日、金沢市片町のアパホテルに避難中の輪島市門前深見地区の皆さんに話を伺いました。2007年の能登半島地震の時、船で全員脱出し、今回は、望んだわけではないが、自衛隊のヘリで避難させられた地区です。

 ホテルは、最初は食事がひどかったし、狭い個室で夫婦も別々で決して良い環境ではないが我慢している。そこも2月中に追い出され、行き場がない。仮設住宅は四月末になる等問題点が次々に話されました。その模様は3月のNHKクローズアップ現代で放映されるそうです。もっとも強調されていたのは地区の皆が一緒に暮らしたい、深見に戻りたいということでした。

 以下被災地で心を動かされた言葉をいくつか紹介しましょう。

家がかわいそう

 被災地に立つとき写真を撮るのを躊躇します。2007年の能登地震支援の時、倒壊した家の写真を撮らしてほしいとお願いしたら、「可哀そうだから撮らないで」「夫婦で苦労して建てた家だから」と言われたことを思い出したからです。

 家の保障こそ住み続ける権利の出発点です。日本では自己努力、個人の甲斐性として考えられていますから、家への愛着はことさら強いわけでしょう。その努力は貴重です。しかし、そろそろ家も公的に保障されるべきです。全壊でなくても深見地区のように避難させられれば住み続けられませんから補償は全壊並みにすべきです。

ここを愛している 何故遠くに行かないか

 中国四川地震の時を参考とし、自治体が被災地自治体と提携して支援を行うという「対口支援」も行われています。病院や施設の受け入れ準備もされています。しかし、多くの人々は遠くに行きません。能登を離れません。生まれ育った地、自分で選んだ土地を離れたくない。これも被災地の人々とりわけ過疎地の人々の願いです。東日本大震災の避難所でお会いした、女性の一言が今も耳に残っています。何故、高台へ、あるいは他の津波の来ないところに移転しないのか。この海、景色を「愛している」からだと言われたのです。愛しているから戻りたい、住み続けたい。この願いは贅沢でしょうか。わがままでしょうか。

「黙した鬼」だ

 能登の人々は、国や自治体の災害・復興対策に文句は言いません。阪神淡路大地震の時と大違いです。「能登はやさしや土までも」、と言いますね。人々もやさしく、忍耐強い。東北の被災地でも同様でした。何故怒らないのか、「黙した鬼」だからというのです。はらわたが煮えくり返るほどの怒りを抑えているということでしょう。

自分のことは自分で決める 参加して決める。

 住み続けられる地域を創る。主体は主権者たる一人一人の被災者、住民であり、つきつめれば自己決定の保障でもっとも重要なのは参加の保障です。東日本大震災から10年、国の指示する14、15メートルという高い防潮堤が三陸沿岸を覆う中、「防潮堤のないまちづくり」を進め、賑わいを取り戻した町があります。人口の1割近い827人が犠牲となった宮城県女川町です。

 町民のいのちを守る「減災」を基本として、豊かな港町女川の再生を目指し、町民が実感できない復興は、真の復興とはいえないとし、すべての町民が家族や地域とのつながりの中で、いつもの日常生活に喜びを感じる地域をつくることを基本としています。

 誰もが枕を高くして寝られるように住宅は安全な高台で再建しても、海とは切り離されないよう、すべての家から海の見える町を目指しました。漁港や商業地区では、万一津波が来たときに駆け上がって避難するためすべての道が津波避難路になっています。

何ができるか 自衛隊を「サンダーバード」に

 何かできることはないか。私のところにもお見舞いと支援の声が寄せられています。無理しないでできることをしてくださいとお願いしています。これからは是非避難所等で被災された人々の声を聴いてください。一番恐れているのは、無視され、忘れられることですから。そして自衛隊を「サンダーバード」にしましょう。北陸線の特急ではなく、国際救助隊です。イギリス製作の人形劇で、日本ではNHKで1966年から放送され、21世紀にはいっても再放送されています。

   これは秘密部隊ですが、自衛隊を国際救助隊にしましょう。人を殺す軍隊から、いのちを救う部隊へ。そのための機動力は自衛隊が十分に持っているではありませんか。

 荒唐無稽のようですが、平和的生存権を保障する日本国憲法の希求する姿であり、世界から称賛され、戦争と報復の続く世界を変え、21世紀を希望の世紀にできるでしょう。そして、誰でもできることは、選挙に行くことです。住み続ける権利そして種々の人権を保障する希望の政府をつくる。そのために選挙に行ってくださいとお願いしています。

◎写真は北陸学院大学・田中純一さんが撮影

                海底が隆起した鹿磯漁港

        大岩崩落、深見地区への道路遮断・孤立

         深見漁港は4メートル隆起

 

年頭所感 私たちは災害列島に住んでいる 五十嵐正博

2024年  年頭所感 

私たちは災害列島に住んでいる 

代表世話人 五十嵐正博

   2024年1月3日、珠洲市から八時間かけて金沢に戻りました。安堵感、虚脱感、「地獄絵図」を目前にして、何も手伝うことができなかった無力感、惨状から「脱出」してきた「後ろめたさ」、それらが今も交錯しています。本稿は、本年を展望し、希望を記す「年頭所感」ではなく、大災害に遭遇した一人の記録です。

能登半島地震に遭遇する

 年末年始を珠洲市の友人の「宿」で過ごすのが、ここ数年の習わし。大晦日、皆で「餅つき」をし、その後「そば打ち」、ひと風呂浴びて夕食、ゲストハウスにある銅鑼の音を除夜の鐘代わりに聞きながら、年越しそばを食べて新年を迎えます。「今年こそ、世界中が平和になりますように」と。

 元旦、「おせち」を食べ、昼過ぎに「初詣」。三崎町寺家にある「須須神社」へ。宿に戻り、お屠蘇に使った輪島塗の猪口(ちょこ)を戸棚にしまい、厨房にいた午後4時6分。「緊急地震速報」が鳴ることなく、突然の激しい揺れ(震度5強)、ガラス瓶一つが床に落下。余震が来てもこれ以下の震度に違いない、勝手な思い込みは瞬時に大暗転。「ドカン」という音とともに家全体が崩れるかと思われる激震(震度6強)、とっさに近くにあった手すりにしがみつき、身をかがめるのが精いっぱい。目前で薪ストーブが倒れ、中から燃える薪が飛び出し、煙突がはずれて落下。とっさに「水」と叫び、そばにいた人が水をかけ、大事にならずに済みました。「早く揺れが止まってほしい」と念じつつ、ウクライナ、ガザで、ミサイルがいつ、どこから落ちてくるかもしれない恐怖を共有した瞬間があったような気がします。「死」を覚悟することはなかったでしょうが、わが人生でもっとも恐ろしい、二度と経験したくない出来事でした。

避難所へ、そして金沢に帰る

 皆で庭に飛び出したものの、次の心配は「津波」、宿の横にある山に登ろうとしましたが、津波は最高で5メートル程度との情報が入り、山に登らなくても大丈夫と判断し、近くの高台にある「消防署」に避難し、車中泊。車のエンジンをかけたり止めたりして(ガス欠を防ぐため)寒さをしのぎました。翌日(2日)明け方、明かりのついた消防署の建物の片隅でしばし体を休め、携帯の充電もできました。宿の様子を見るため、宿に戻りました。建物の外観は無事、散乱した食器などの掃除をし、備えてあった食材を玄関に集めました。大きな「薪ガマ」は無事で、客の一人(イタリアンシェフ)の手になるリゾットを庭で立って食べました。

 ぼくたち夫婦と金沢から来たもう一人の3人で、避難所に指定されている近くの「上戸小学校」に行くことに。幸い、教室の片隅に一人当たり「座布団3枚と毛布1枚」を与えられ、小さなおにぎり1個、わずかの煮物が夕食。自宅の様子をも顧みないで献身的に救援にいそしむ地元の人々。水も電気もない、暖は灯油ストーブだけの一夜を過ごしました。

 30年前、原発建設に反対して闘った珠洲の友人たちの安否が心配されました。定宿の主人は、反対運動に関わった友人。被害が特に大きかった高屋、三崎地区。電力3社は、ここに原発4基の建設を強行しようとし、住民が、市役所内に泊まり込んでまで建設を阻止しようとした闘いでした。原発が建たなくて本当に良かった、決して大げさではなく、「この国を救った歴史的な闘い」として記憶されなければなりません。

 夜中(2時半ころ)震度5弱の地震。夜が明け、避難所で隣になった家族が、「金沢まで行けるらしい」と準備を始めました。もともと地元の方らしく、土地勘もありそうなので、付いていくことに。7時半出発。道は、陥没、地割れ、隆起、土砂崩れ、倒木がいたるところに。そして渋滞。対向車線は、緊急援助に向かう他府県からの、それぞれ数10台の車列が続いていました。

「普通に生きられること」の大切さー平和に生きる権利

 私たちは「災害列島」に暮らしています。「災害は忘れたころにやってくる」どころか、次々に襲う台風、水害、地震。人間が自ら作り出す「地球環境破壊」。戦争は「悠久の歴史の中で、人間がごく『最近』創り出したもの」であるから、人間が戦争を止めさせることができます(佐原真『戦争の考古学』)。しかし人知で地震を防ぐことはできないとすれば、事前事後の体制が問われます。地震予知研究の進展、発生後の救援体制の整備。フクシマなどの教訓が活かされたのか否か、たった2晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました。

 一言でいえば、「普通に生きられることの大切さ、ありがたさ」です。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障される毎日です。「自己責任」を優先し、「合理化・効率化」の名のもとに「格差社会の拡大」を推し進める「新自由主義」が生み出してきたのが「普通に生きられない社会」ではなかったか。

 「経済成長」を求めることをやめなければなりません。「身を切る改革」でなく、「無駄を大切にし、何事にも余裕をもたせる」、「無駄と思われる多様な選択肢を用意しておく」。「無駄」という言葉に否定的なニュアンスがあるとすれば、「今、必要ないこと」と置き換えてもいいでしょう。度重なる災害の教訓、「今は必要ないライフライン」の整備がいかに大事か分かっていたはずです。

 軍事同盟を解消し、あくまで「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する平和外交を展開、追及することが「日本国憲法」の要請です。軍拡でなく、軍備の削減、廃棄を追及し、莫大な「(人殺しのための)軍事費」を、「皆が普通に生きられる社会」造りに転用しなければなりません。被災者の方々に心を痛めるしかできない今、自己嫌悪するばかりです。

 75歳を明日にして。

(会報「非核・いしかわ」2024年1月20日号)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年 年頭挨拶 コロナ禍、ロシア侵略を超えて/井上英夫

2023年 年頭挨拶

コロナ禍、ロシア侵略を超えて

代表世話人 井上英夫

 今年は、まさに、非核石川の会の真価が問われる年になります。皆さんご無事でご活躍いただけるようお祈りいたします。 

人類の希望

ー基本的人権・平和的生存権

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機を思わせる時を迎えています。国内では、軍事大国か真の福祉国家か、選択が厳しく問われています。あらたな「戦前」を思わせる今、第二次大戦の悲惨な結果を踏まえて、1948、国連が世界人権宣言を発し、基本的人権の保障による平和確立への道を選び、1946年、日本国憲法もまた、国民主権、平和主義、基本的人権なかでも平和的生存権を掲げて出発したことを再確認する必要があります。

 日本国憲法前文は、人類そして日本の国、国民の進むべき普遍的原理を示しています。

 日本国民は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きないよう、「諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持」すると決意を述べます。そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖(戦争やテロ、暴力❘憲法九条)と欠乏(飢餓や貧困―憲法25条)から免れ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結んでいるのです。

 私たちの「人権のためのたたかい」(憲法97条)、人権保持のための「不断の努力」(同12条)により、戦後77年、まがりなりにも平和を維持してきたわけです。国際的にも、核不拡散条約、核兵器禁止条約等、核兵器廃絶への道を進んできました。

 ともすれば、ロシアによる侵略という事態に、世界そして日本の人々の人権・平和的生存権のためのたたかいが、水泡に帰したような無力感にとらわれそうになります。しかし、人権のためのたたかいを粘り強く続けることにより、希望も見えてきます。

憲法97条は、基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggleたたかい)の成果」であり、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」として託されたものである、と明言しています。さらに、憲法12条は、国民に憲法・基本的人権を「保持」するための厳しい「不断の努力」義務を課しています。

 憲法前文、とりわけ人権のためのたたかいを呼びかけている97条は自民党・政府にとってもっとも怖い条文です。それゆえ、自民党憲法草案では、前文は全面改訂、さらに97条は全文削除です。今こそ日本国憲法の価値は高まり、私たち非核石川の平和のためのたたかいの飛躍的発展が求められていると思います(この点については、非核いしかわ2022 年6 月20日付第 287 号に「ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか」で述べましたのでご覧ください)。

 ここでは、私が参加している「人権のためのたたかい」から生まれた二つの希望を紹介しましょう。

二つの希望

ーいのちのとりで裁判勝訴判決と日本高齢者人権宣言

⑴ いのちのとりで裁判勝利判決―潮目が変わってきた

 生活保護基準をめぐっては、老齢加算廃止と生活保護基準の引下げを違憲・違法としてその取り消しを訴えてきました。2004四年から2006年にかけて行われた老齢加算廃止に対する生存権裁判では、全国8か所で約120名の原告が立ち上がりました。しかし、勝訴判決は2010年6月14日の福岡高裁判決のみでした。

 現在のいのちのとりで裁判は、2013年から3回実施された平均6.5%・最大10%という史上最大の生活保護基準引き下げに対して、全国29都道府県、1000名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に闘っているものです。

 札幌や金沢、福岡等8地裁で敗訴が続きました。しかし、写真のように大阪、熊本、東京、横浜と裁判所が人権の砦としての使命を果たし、保護基準引き下げを違法と断じる勝訴判決が続き「潮目」が変わってきました。

 敗訴判決の続く中、原告の皆さんは、悔しさを乗り越え、勝つまでたたかう、死ぬまでたたかうと弁護団、支援する人々を勇気づけてくれました。あきらめず、闘い続けたからこその勝利判決です。ここでは、勝利判決の意義だけ述べておきましょう(詳しくは、私の「司法が動いた―生活保護基準引き下げ裁判で勝訴判決続く」ゆたかなくらし、2022年11月号、12月号をご覧ください)。

 ①生活保護を憲法二五条の保障する人権であると認めさせ、②権利はたたかう者の手にある、と再確認でき、すべての人の人権意識の高揚につながる、③生活保護にとどまらず社会保障削減政策への歯止めになり、自助・共助・公助論打破につながる、④生活保護バッシング、優生思想そして劣等処遇論への歯止めになる、⑤軍事費倍増・社会保障の削減、憲法改悪・戦争への「抑止力」になる、⑥最低生活から十分な生活・独立生活の保障へ発展させる契機になる。

⑵ 国連高齢者人権条約と日本高齢者人権宣言

 もう一点は、高齢者の人権保障の発展です。コロナ禍でも戦争でも、高齢者、子どもは最大の被害者です。国連では、「弱者」ではなく人権が最も侵害・剥奪されやすい(vulnerable)人々と呼び、コロナパンデミック、戦争に対する最も重要で有効な手段は人権保障システムの確立であるとしています。

(一)日本高齢者人権宣言

 昨年11月、京都での日本高齢者大会で「日本高齢者人権宣言」が宣言されました。高齢者の人権保障はもちろん、子どもから高齢者まですべての年齢の人々の人権保障を確立するたたかいが始まりました。

 日本高齢者人権宣言は、前文からはじまり、基本原理と年齢による差別の禁止、いのちと尊厳、身体の自由と安全、暴力23の人権を掲げています。さらに、国・自治体・企業の責任も明確にし、私たちの「不断の努力」義務を肝に銘じ、「さまざまな年齢の人々と連帯して、すべての年齢の人々の人権が保障される平和で豊かな長寿社会づくりに努力します」と人権のためのたたかいへの決意を述べています。

 日本の高齢者人権宣言の運動は、国連の高齢者人権条約作りと連動し、国連、各国NGOと連帯して進められています。

 (内容については、「日本高齢者人権宣言」でネット検索してください。昨年11月、日本高齢者大会で「第3次草案」が取れて確定しました)

 (二)国連高齢者権利条約と核兵器禁止条約 

 国連では、毎年作業部会が開催され高齢者人権条約制定作業が進められています。また、2015年には、北中南米35か国が加盟する米州機構が世界で最初に高齢者人権条約を採択し、国連全体の条約作りも加速化しています。 

 2017年7月、国連本部において第8回作業部会が開催され、その最終日7日には、核兵器禁止条約が採択されました。高齢者人権条約の会議は1階でしたが、2階の会議場でした。高齢者の人権条約制定運動は、まさに平和を求めるものですし、平和でなければ高齢者の人権と尊厳は保障されない。日本でいえば平和的生存権の確立であり、憲法9条と25条は一体である。この思いを強くした一日でした。

 高齢者の人権保障も平和的生存権が前提です。単に戦争がないと言うだけではなく(消極的平和)、人権がすべての人に保障されてこそ真の平和であり(積極的平和)、すべての年齢の人々とともに、高齢者の権利条約を創り人権を確立していく運動こそが平和を実現していくということが、実感できたわけです。

人権と平和的生存権の闘いの課題

 今後の課題についていくつか上げておきます。

 ①人権とは何か、確認する。②各分野の運動と連携・連帯を強める。とくに平和的生存権確立のための九条と二五条の運動の連帯が重要です。③地域、地方から国を変え、世界を変える。④国際連帯を強め国連を強化する。

突き詰めれば、平常時の分厚い人権保障こそ災害、コロナ禍等緊急事態においても大きな力を発揮すること。とりわけ、戦争の脅しに屈せず、軍事大国、戦争できる国ではなく、平和的生存権確立・人権保障大国こそ日本の歩む道ではないでしょうか。

 非核石川の存在意義はますます高まっていると思います。

 

 

 

2023年 年頭所感 「平和国家」はどこへいくのか/五十嵐正博

2023年 年頭所感

「平和国家」はどこへいくのか

代表世話人    五十嵐正博

戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

 『世界』(2023年2月号)は、阪田雅裕元内閣法制局長官による「憲法九条の死」と題する論考を掲載しました。「憲法9条が掲げた『平和主義』は2015年に成立したいわゆる安全保障法制により危篤状態に陥っていたが、今般の国家安全保障戦略の改定によっていよいよ最期を迎えるに至った」と。

 本稿で、「日米関係」「日中関係」の近現代史を語る余裕はありませんが、そこに人類史上最悪の犠牲をもたらした加害と被害のおびただしい「事実」があったことを決して忘れてはなりません。これらの「事実」が「なかった」と主張した安倍政権は、2015年「集団的自衛権行使」を容認する「平和安全法制」を制定し「戦争ができる国」にしました。昨年12月16日、岸田政権は「防衛力の強化・防衛費の増額」を謳い、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」をも認める「安保関連3文書」を閣議決定し、「安保の大転換」にとどまらない「戦争をする国」へと突き進むことになります。今後5年で「軍事費GDP2%」にし、「世界第3位の軍事大国」にしようというのです。「軍事費の増大」自体は既定のものとされ、「財源」が焦点にされています。そうではない、「人の命」こそが問われなければなりません。「(3文書)策定の趣旨」は、次のように述べます。

 「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。・・・国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」「国防は、国民自らの責任」だと。「自らは安全な場所」にいながら、なんの心の痛みもなく、むしろ自らに酔いしれて、「国、国民を守るため」とうそぶく指導者。それをなんの批判もなく垂れ流すマスコミ。「軍隊は国民(住民)を守らない」、権力者は、国民を「捨て石」としか見ていない。人の世の不条理極まれり。「辛い」時代が続きます。

安倍「公安」内閣は、「特定秘密保護法」を成立させました。政権の「猜疑心」はとどまるところを知りません。岸田政権は、たとえば、陸上自衛隊の宮古・与那国への配備に伴い、住民監視のため「情報保全隊」をも配備する「周到さ」であり(また「土地利用規制法」により、個人情報が公安調査庁などに管理される)、はては、防衛省は「世論工作研究」に着手したと言われています。これが、わたしたちが住む国の暗闇です。沖縄戦犠牲者の遺骨の混じった土砂の採掘反対を訴えるガマフヤー、具志堅隆松さんは言います、「不条理のそばを黙って通り過ぎるわけにはいかない」、と。

 「異次元の少子化対策」は「徴兵制」の布石

 岸田首相は、本年正月、唐突に「異次元の少子化対策」を言い出しました。これも「財源」話で済むことではなく、「徴兵制」の前触れではないかと疑います。自衛隊は、少子化で採用難、充足率は約90%で推移し、2018年から「募集対象年齢の上限」を26歳から32歳に引き上げました。「産めよ殖やせよ、国のため」、戦争遂行標語の復活か?この標語は1939年、新設された厚生省が「結婚十訓」の一つとして発表したのが語源です。太平洋戦争に至り、たとえば、「軍部は、徴兵事務の面から体力向上と人口増強を要望し」、1941年1月、「人口政策決定」が閣議決定されました。(赤川学「新聞に現れた『産めよ殖やせよ』)同日発せられた厚生大臣談話は次のように述べます。「皇国の大使命たる東亜共栄圏を確立し・・・その中心であり指導者である所の我が国が、質において優秀、量において多数の人口を有せねばならぬ。このことは今次の欧州動乱の主流をなすところの各国の情勢に鑑みても痛感せられるのである。」

 「防衛計画の大綱」は、1957年の「防衛力整備計画」に始まり(当時国論が分裂しており、「大綱」策定に至らなかった)1976年、「昭和五二年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定されました。直近は、2018年に策定された「平成31年度大綱」(その前は「平成26年度大綱」)です。当初から国会の審議を経ることも、国民の信を問うこともありませんでした。「国民の命は政府が握っている」との認識は一貫しています。

 「31年大綱」は、「防衛力の中心的な構成要素の強化における優先事項」の最初に「人的基盤の強化」をあげ、「防衛力の中核は自衛隊員であり、自衛隊員の人材確保と能力・士気の向上は防衛力の強化に不可欠である。これらは人口減少と少子高齢化の急速な進展によって喫緊の課題となっており、防衛力の持続性・ 強靭性の観点からも、自衛隊員を支える人的基盤の強化をこれまで以上に推進していく必要があり、・・・このため、地方公共団体等との連携を含む募集施策の推進」(傍点は五十嵐)などの提言をしています

合従連衡が繰り返され、「帝国」はみな崩壊した

 この国の歴代政権、そして「本土」は、沖縄を犠牲にすることに何の痛みも感じることなく、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「大国づら」していた時代も終わっているかもしれません。世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、その通りです。しかし、「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、たとえ時間がかかっても、すべての「軍事同盟」、各国の「軍隊」を解体することです。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、ウクライナなどで戦火が交えられている現在、憲法9条の「最期」を見届けるのではなく、改めて憲法9条こそ世界に向けて広めなければならないと強く思います。

 

ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか(井上英夫)

ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか 

               代表世話人  井上英夫

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機の中で、一人の人間として何をすべきか、何ができるか、悶々とする日々を送っています。コロナ禍、県外には一歩も出ず、草むしりに励みながら、世界と日本の行く末・将来を考えています。とりわけウクライナ侵略に対しては、非核・平和運動による平和的生存権の確立、9条と25条を守り発展させるという人権保障運動を続けてきた私達の努力、人生が全否定されたような無力感にも襲われています。

一 草むしり、で考える

 日々、「雑草」を引き抜き、取り除くべき生命ときれいだからと残すべき花と選別しているのです。ギシギシは薬用や食用になる限りで珍重されますが、他の花々を駆逐するとして排除され、最近は外来種が目の敵にされ、在来種の保護が強調されています。わが家でも地中海原産のレースフラワーなどは花がきれいだとせっせと増やし、セイタカアワダチソウ、ヨーロッパ原産のヒメリュウキンカなどの根絶を図っています。

 植物の世界とは言え、優生思想とゲルマン民族の優位性を唱え、ユダヤ民族そして障害のある人の抹殺・絶滅を図った、ナチスドイツのホロコーストと同じことではないか。プーチン・ロシアはヒットラーのナチスドイツに重なるのですが、戦前「自衛」の名のもとに朝鮮・中国等を侵略し、多くの国の人々の生命、財産、土地を奪い、毒ガス・細菌兵器すら使った日本軍・大日本帝国と瓜二つではないか。そして、雑草を引き抜く己の姿が、ヒトラー、プーチンに重なるのです。

 戦争の惨禍は、日本国憲法前文が言うように「政府の行為によって」もたらされるのですが、その政府をつくるのは国民であり私たち一人一人です。憲法は、「戦争の惨禍」を再び起こさせないという日本国民、私たちの決意から出発しています。私たちの決意が問われています。

 日本政府・岸田内閣は、ロシア侵略を好機に北朝鮮、中国の脅威をあおり、軍事費倍増、憲法改悪に突っ走ろうとしています。いまこそ、私たちの内なる優生思想を打破し、憲法改悪を阻止し人権とりわけ平和的生存権の真価を発揮し、ロシア侵略をやめさせ国際平和を確立すべき時だと思います。

中央社会保障推進協議会の機関誌『社会保障』は、私も参加して初夏号で「平和的生存権をまもれ9条・25条を一体で考える」という憲法特集を組んでいます。是非ご覧ください。

二 自民党改憲のねらいと憲法の意義

 自民党の2012年「日本国憲法改正草案」で、全文修正あるいは削除されているのは、前文と97条だけなのです。余り指摘されていませんが、この2点が憲法改悪論の最大の問題点だと思います。新憲法は、1946年憲法制定前後から数々の記念行事が行われ、花電車、紙芝居も登場し、大多数の日本国民の熱狂的支持を受けました。戦争の恐怖からまぬかれ、平和のうちに人間らしい暮らしがしたい―平和的生存権-というのは日本の人々はもちろん世界の人々の強い願望だったのです。この歴史の再確認こそ重要だと思います。

⑴ 憲法前文削除-平和的生存権の否定

 日本国憲法前文は、国民主権、平和主義、基本的人権の保障等、決して変えてはならない普遍的原理を掲げています。①日本国民は、恒久の平和を念願し、②人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、③平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、④われらの安全と生存を保持しようとした決意で始まり、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、平和的生存権をはっきりうたっています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国の進むべき普遍的な政治道徳を示しています。

 戦争やテロの「恐怖」から免れるために憲法9条で戦争、軍備を放棄し、「欠乏」すなわち飢餓や貧困から免れるために人権保障を掲げ、とくに25条で生存権、生活権、健康権、文化権の保障とその具体化として、国に社会保障、社会福祉、公衆衛生制度の向上・増進義務を課しているのです。

 人類は戦争やテロ、暴力により欠乏、すなわち飢餓や貧困を生みだし、他方、飢餓・貧困こそ戦争の原因となるという歴史をたどってきました。平和的生存権は、こうした歴史に終止符を打とうという人類初の挑戦であり、憲法はまさに世界の先頭を走っています。その意味で、前文、9条と25条、さらに人権の理念としての人間の尊厳を保障する13条は一体なのです。そして、平和とは単に戦争、暴力がない(消極的平和)というだけではなくて、人権が十分に保障された状態というべきです(積極的平和)。

 平和的生存権を謳う憲法の価値は、核兵器使用さえ公言するロシアのウクライナ侵略という第三次世界大戦の脅威を感じる今こそ高まっているというべきでしょう。

⑵ 憲法九七条削除-人権のためのたたかいの否定

 憲法97条は、憲法が日本国民に保障する人権は、①人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、②過去幾多の試錬に堪へ、③現在及び将来の国民に対し、④侵すことのできない永久の権利として託されたものである、と規定しています。

 ここで「努力」は英文憲法ではStruggleで、闘争・たたかいです。フランス革命、アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本でも自由民権の闘い等がありました。それらの闘いの最も大きな成果が人権の保障として日本国憲法に盛り込まれたのです。 

 憲法97条の国際的、人類的視点、たたかいによってこそ人権・権利は勝ちとれるという闘争史観、さらには不可侵の権利として次代の人々に託されるという未来志向を学ぶべきでしょう。自民党改憲草案が、人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、97条を全文削除しているのは、支配者や政府にとって一番「怖く」、敵視しているのが、この闘争史観だからだと思います。

 さらに、憲法12条は、「不断の努力」により、憲法9条、25条を守り、人権を豊かに発展させるという厳しい「保持」義務を国民に課しているのです。

⑶ 人間の尊厳の理念と自己決定・選択の自由及び平等の原理

 現代の人権保障の理念は、世界人権宣言前文、日本国憲法13条、24条にも示されているように、人間の尊厳(human dignity)です。この理念は、第二次大戦の残虐かつ悲惨な経験への反省から生まれ、優生思想・ホロコーストを全面的に否定するものです。

 人間の尊厳の理念は、すべての人が、唯一無二の存在であり、とって代われず、価値において平等であり、さらに具体化した自己決定・選択の自由さらには平等を原理としています。自己決定とは、自分の生き方、生活の質を自分で決めるということです。しかし、そのためには、いろいろな選択肢が用意されていなければならない。選択の自由が大前提となります。

 平等の原理とは、すべての人に等しく人権が保障されるということで、憲法14条は、法の下の平等を定め、不合理な「差別」を禁止しています。平等の中身も形式的な機会の平等から、実質的あるいは結果の平等が求められています。

三 憲法改悪阻止のために-平和と人権のためのたたかい

 現在、憲法の明文改悪は防いでいます。それは、日本そして世界の人々の「平和と人権のためのたたかい」(97条)と憲法を守り、発展させる「不断の努力」(12条)によるものに他なりません。

 反核・非核の平和運動は核不拡散条約・核兵器禁止条約を生み出していますが、国連の平和維持機能を充実・強化することが喫緊の課題です。被爆国であり平和憲法をもつ日本こそリーダーシップを発揮し、前文が示す国際的な「名誉ある地位」を占めるべきでしょう。

 憲法改悪の動きは加速化しています。平和憲法も良いが、理想的すぎる、現実はもっと厳しい、侵略されるから軍隊をもち、戦争し、敵国を攻撃しなければ、核も持たなければ、緊急事態に備えなければ、そのための憲法「改正」は必要だ、という声も強まっています。

 しかし、理想-憲法は、人類普遍の原理と言ってますが-を掲げ、現実を変えるため「たたかって」きたからこそ、紆余曲折はあっても危機を乗り越え、日本そして人類はここまで進歩してきたと思います。ロシア侵略に対しては、外交努力そして経済等の制裁、非暴力、人道的支援が「抑止力」になっています。さらには、世界の軍事同盟解消こそ、平和への現実的かつ近道なのではないでしょうか。

 人々の平和的生存権を求める国際世論とたたかいこそ、ベトナム戦争・冷戦構造を終わらせ、南アフリカの人種差別体制・アパルトヘイトを廃止させ、報復なしの虹の国建設の力となったことが、人類の進歩を示す歴史の教訓だと思います。                      (金沢大学名誉教授)

ロシアのウクライナ侵略、日本国憲法と「敵基地攻撃能力」「核共有論」(五十嵐正博)

総会記念講演(要旨)

ロシアのウクライナ侵略、日本国憲法と「敵基地攻撃能力」「核共有論」

 代表世話人 五十嵐正博

【お断り】事前に公表した「レジュメ」では、標記のタイトルで話す予定でした。しかしそれらについてはすでに多くの論考があるため、講演では、マスコミでほとんど論じられていない「国連憲章においてなぜ集団的自衛権が認められることになったのか」、「否定されたはずの軍事同盟がなぜ存続し、拡大し続けるのか」、「軍縮ではなくなぜ軍拡の方向に向かうのか(SDGsのまやかし)」等について話しました。それらが現在のウクライナ問題の根本にあると考えるためです。

歴史から学ぶ

 2月24日以後、朝から晩まで、ウクライナの惨状がテレビ画面上に流れる。他方で、「大河ドラマ」のいくさ場面(殺し合い)を「娯楽」としてみている。このギャップは何なのか。

「我々が歴史から学ぶのは、誰も歴史から学ばないということである」、ビスマルクが言ったとされる言葉が妙に説得的に思える。私たちは「戦争の歴史」を何も学んでこなかったのではないか、第二次大戦後も世界のあちこちで戦火が絶えない。しかし、「人類の出現から450万年、戦いの歴史は8000年。4.5mの中の8㎜。戦争は人間がおこすものであるから、人間が捨て去ることができる」(佐原 真)。人類は、「歴史を学び」ながら、20世紀になって初めて戦争の違法化にたどりついたはずだ。

ヤルタ会談、サンフランシスコ会議と「拒否権」「集団的自衛権」

 人類が「戦争の違法化」を初めて宣言したのは、第一次大戦後、国際連盟が、締約国に「戦争に訴えない義務」を課したときであった。第一次大戦前、平和維持の一つの方法として、「勢力均衡方式」がとられたが、それは、軍拡競争により対立関係をいっそう激化させ、いったん戦争がはじまると二国間の戦争を同盟網を通じて世界戦争に拡大させてしまうことになった。それが第一次大戦であり、ここから「歴史を学ぶ」はずであった。

 第二次大戦が終わりに近づいた1945年2月、連合国3首脳(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)はクリミア半島の保養地ヤルタに会し、大戦後の処理(ドイツ分割統治など)を決め、新たに創設する国際機構(国連)の安保理における五大国の「拒否権」を認めることにした。

米州諸国は、第二次大戦終了後、侵略行為に対して共同で対処することを約束する地域的条約の締結を予定していた。国連憲章の原案では、こうした地域的条約に基づいて強制措置をとる場合に、安保理の「許可」が必要となる。ところがヤルタ会談で、安保理の表決手続きに拒否権制度が導入されたため、常任理事国の一国でも反対すれば許可は与えらないことになり、共同対処の約束は空文化する恐れがでてきた。

 そこで、安保理の許可を必要としない共同対処の方策として、武力攻撃を受けた国と連帯関係にある国にも反撃に立ち上がる権利「集団的自衛権」を認めることになった(第51条)。しかし、各国家、とりわけ常任理事国たる大国は、自ら武力攻撃を受けていない場合にも、自衛の名のもとに、安保理の統制を受けることなく武力を行使できることになり、このような権利を認めることは、実は、個別国家による武力行使をできるだけ制限しようとしてきた国際連盟以来の努力に逆行する道を開くことになった。

 1949年にはNATOが、1955年にはワルシャワ条約機構が設立されるなどの「軍事同盟」がつくられた。これらの軍事同盟は、いずれも「国連憲章51条によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して」といった規定がおかれている。1960年の「日米安保条約」では第5条(共同防衛)に「武力攻撃・・・その結果としてとったすべての措置は、国連憲章第51条の規定に従って・・・」とある。

国際社会の構造変化と「軍縮」の後退

 国連は51の加盟国で出発した。社会主義国(当初7カ国)は「人民の自決権」を強く主張し、植民地人民の独立を促し、やがて発展途上国の経済的自立に向けての「新国際経済秩序の樹立」に邁進する。その頂点の一つが1986年に採択された国連総会決議「発展の権利宣言」であった。「全面完全軍縮の達成」によって解放される資源が途上国の発展のために用いられるよう宣言したのである。

 SDGsに先立つMDGs(ミレニアム開発目標2000~2015)は、「過去10年間に500万人以上の命を奪った、国内或いは国家間の戦禍から人々を解放するため」、「大量破壊兵器(核兵兵器廃絶にも言及)がもたらす危険を根絶することを追求する」としたのであった。ところが、MDGs で「達成できなかったものを全うすることを目指す」べきSDGs は、「貧困撲滅」を最大の課題と位置付けながら、「2030年までに、違法な武器取引を大幅に減少させる」というのみで、「核兵器の廃絶」も「軍縮」も目標から消されてしまったのである。

ロシアによるウクライナ侵略

 ロシアによるウクライナ侵略は、明確に、武力行使禁止原則、紛争の平和的解決義務、不干渉原則、国際人道法に違反し、国際犯罪となるものであり、「国際法違反の見本市」の感を呈する(松井芳郎)。だが、ウクライナばかりに目を向けるわけにはいかない。「非欧米諸国は、大国による軍事行動の気まぐれな正当化によって、簡単に敵にされたり味方されたりするのだ。」(酒井啓子) アフガニスタン、イエメン、リビア、イラク、その他、世界から「忘れられた」国々。

日本国憲法と「敵基地攻撃能力(反撃能力)」「核共有(保有)論」

 この国は(も)、「歴史を学ばない」、「歴史を教えない」、それどころか、意図的に「歴史を否定し、改ざんし」、「誰も責任を負わないどころか被害者に責任を押し付ける」。唯一の戦争被爆国でありながら、米国の顔色をうかがって、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加もしり込みする。政府は、「国民の生命・安全を守る」といえば、そして対立と脅威をあおれば、憲法を無視してでもすべてが自在だと思っているようだ。改憲推進勢力は、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として、ここぞとばかりに世論を改憲の方向に誘導している。

 「国(軍隊)は国民の命を守らない」、「戦争の歴史から学ぶ」最大の教訓だ。9条改憲の先には「戦争ができる国」から「戦争をする国」そして「徴兵制」が待っている。決してそうさせてはならない。

◎5月21日、金沢市内で開いた非核の政府を求める石川の会第33回総会の記念講演(要旨)です。講師の神戸大学名誉教授・金沢大学名誉教授の五十嵐正博氏にまとめて頂きました。

 

 

2022年原水爆禁止国民平和大行進・写真特集(6月11日~17日)

2022年原水爆禁止国民平和大行進 県内行進がスタート

  6月11日富山県から引継ぎ、24日に福井県に引継ぐまで県内全自治体を歩く平和行進が始まりました。今年は「ロシア軍は今すぐ撤退を!」「国連憲章を守れ!」「核兵器は廃絶を!」と訴えて行進しています。

 今年は、北陸3県の通し行進者・泉行眞さん(日本山妙法寺金沢道場住職・金沢仏舎利塔)が、各市町で開く出発式or到着式で「ノーモア ヒロシマ ナガサキ ノーモア ヒバクシャ」「全ての国が核兵器禁止条約の批准を」と熱く語って行進しています。

 県内行進の前半(6月11日~17日)の写真特集をホームページにアップします。

 

【抗議声明】ロシアによるウクライナ侵略に厳重抗議

【抗議声明】

ロシア連邦大統領

ウラジミール・プーチン 殿

ロシアによるウクライナ侵略に厳重抗議し、

軍事行動の中止とロシア軍の撤退を求める 

 2022年2月28日

非核の政府を求める石川の会

 ロシアのプーチン政権が2月24日、ウクライナへの侵略を開始したことに厳重抗議し、軍事行動の中止とロシア軍の撤退を強く求める。

 今回の軍事行動は、主権国家に対する一方的な軍事攻撃であり、武力行使を禁止した国連憲章、国際法を踏みにじる行為であり、断じて容認できない。

 プーチン大統領は、ウクライナへの軍事侵攻の前、2月19日核弾頭も搭載可能な大陸間弾道ミサイルの発射訓練をおこない、さらに24日には「現代のロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」「我が国を攻撃すれば、壊滅し、悲惨な結果になることは疑いない」と発言し、核兵器の先制使用も辞さない構えを見せている。

 これは昨年1月に発効した核兵器禁止条約が禁止している「核兵器の使用」及び「核兵器による威嚇」を示唆するもので明白な国際法違反である。

 また本年1月3日、核保有5大国(米ロ英仏中)がNPT再検討会議の延期にあたり発表した「核戦争阻止と核軍拡競争回避に関する共同声明」において、「我々は、核戦争は勝利はありえず、けっして戦ってはならないものであることを確認する」と謳っていることにも反する重大行為である。

 私たちは、核戦争の防止、核兵器の廃絶を願うすべての人々と連帯し、プーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻の即時中止とロシア軍の撤退を強く求めるものである。

 

◎非核の政府を求める石川の会は、2月28日在日ロシア連邦大使館宛に標記の抗議声明を送りました。

 

 

池明観(T・K生)さんを偲んで  加害者責任と東アジア共同体構想 /井上英夫

<年頭所感>

池明観(T・K生)さんを偲んで

加害者責任と東アジア共同体構想

代表世話人 井上英夫

 

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 コロナ禍を奇貨として、貧困・不平等の拡大、社会保障削減そして軍事費増大と改憲の加速化が図られ平和的生存権が脅かされています。危機、緊急事態においてこそその国、社会、私たちの生き方が問われます。

 「禍を転じて福となす」。今年は、日本の核兵器禁止条約参加、批准をはじめ非核自治体・政府づくりへ大きく一歩を進めましょう。

 元日に韓国の宗教哲学者池明観(チ・ミョングァン)さんが亡くなられました。97歳でしたが、日本、アジアそして世界の未来を考えるときまこと に惜しい人を無くしました。金沢にも縁の深い人でしたが、非核石川の会の皆さんにとっては、「T・K生」のほうがなじみが深いかもしれません。

 

「韓国からの通信」ー「T・K生」として

 池さんは、1973~88年、T・K生として雑誌『世界』に「韓国からの通信」を連載し、朴正煕、全斗煥の両軍事政権による反体制派への拷問や労働者への人権侵害等民主化運動弾圧の実態を告発しました。自身が「T・K生」であったことを明らかにしたのは、2003年になってからでした。

 ちなみに、T・K生そして韓国民主化運動を支援したのは『世界』の編集長でのち社長になる安江良介氏ですが、金沢大学法文学部出身です。

 池さんは、1993年韓国に帰国、98年からの金大中(キムデジュン)政権で、日本の大衆文化に対する警戒感が根強かった中、早期開放を主張し、韓国で日本の歌謡やドラマ、アニメなどが広く親しまれるようになっています。

韓国では2004年まで翰林大学校教授も務めた他、KBSテレビ理事長や日韓共同歴史研究の韓国側代表などを歴任しました。

 池さんは、韓国の民主化に力を注ぎ、日韓の関係改善に力を尽くしたわけですが、金沢大学法学部そして私自身大変多くのことを教えていただきました。

 「韓国からの通信」に衝撃を受けたのは、早稲田大学大学院院生の時でした。1973年8月8日、金大中が韓国中央情報部 (KCIA) により東京都千代田区のホテルから拉致され、船で連れ去られ、海に投げ込まれ殺されそうになりながら、5日後にソウル市内の自宅前で発見されたのです。金大中は暗殺を恐れ、都内を転々としていたそうです。その一つのアパートは、高田馬場駅近く、早稲田大学に至る早稲田通りにありましたから、私はその前を何も知らず通っていたわけです。

 

日本の加害者責任・戦後補償と日韓の相互理解

 金沢大学法学部としては、日本軍慰安婦等に関する戦後補償すなわち日本の加害者責任に取り組んだ日韓共同研究があります。その成果は、『日韓の相互理解と戦後補償』として2002年に日本評論社から出版されています。池さんは、当時韓国の翰林大学校日本学研究所所長でしたが、金沢大学法学部の五十嵐正博本会代表、名古道功さん、学術会議問題で任命拒否された岡田正則さんと並んで編者になっていただきました。

 私は、五十嵐さんと日本軍慰安婦問題を担当し、1997年から99年、ソウルのナヌムの家、山の中の論山、そして釜山等、慰安婦とされたオモニと行政担当者から話を伺い、その結果をまとめました(第2章 戦争被害の実相と日本の戦争責任、「Ⅰ. 戦争責任の構造と『従軍慰安婦』問題」および「Ⅲ. 『従軍慰安婦』と戦後半世紀―聞き取り調査等から」)。

 池さんは、総論において「本研究の意義」を執筆していますが、世界史的観点から、21世紀の日韓関係についての展望を示しています。

日本軍慰安婦、徴用工問題をはじめ現在最悪と言われる日韓関係についてのみならず、世界の、そして何より日本の私たちの非核の政府・核廃絶運動についても示唆に富むものです。

 「なぜ戦後半世紀を超えた今日において日韓のあいだにおいてなお戦後補償が問題になるというのだろうか」

と問いかけます。

 その原因として、①半世紀のあいだにそれこそ真摯にとりあげられたことがなかったこと、②かつてとは違って、いまは日韓両国民が成熟した市民社会に向けて確かな歴史認識を持つようになってきたこと、③21世紀が20世紀の過ちを否定して和解と協力を求めねばならない時代であると日韓両国の市民が自覚していること、をあげています。

さらに、戦後補償は、「単なる金銭的補償を意味するのではなく、21世紀を創造的に生きようとする決意を示すことであり、それでこそ国民的相互理解が成立する」というのです。

 したがって、戦後補償問題は、1965年日韓条約やその後の「補償」により解決済みとする日本政府や一部識者、反韓国勢力の主張に対し、「いま戦後補償の問題は日韓条約におけるのとは違った次元において問われ」、かつては「政治・経済の問題であり、政府間の問題」であったが、いまは「国民的和解と交流と協力のための問題」であり、「日韓両国民が手を携えて東アジアの協力と繁栄を追及するための問題」である、と喝破しています。

 「過去の間違った時代の重荷を肩からおろし、その傷を癒そうとすることは成熟した国家の行為であり、品位ある国民の行動であるといえるのではなかろうか」と。

 

日本国憲法と平和的生存権

 こうした、歴史観、世界的観点は、まさに、日本国憲法に通じるものです。憲法前文は、「われらは政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」することから出発し、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しているのですから。

 さらに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・・・この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」と言っています。

 

 未来への歴史と東アジア共同体構想

2001年、私は金沢大学の院生とともに韓国ソウルでKBS(韓国放送公社)理事長であった池さんの講義を受けました。

 院生だった現愛媛大学の鈴木靜さんは、「歴史とは将来の平和の視点から考えるべきで、おおよそのことは些末なことに過ぎない。しかし、些末なことを手のひらから振り落としても残る事柄がある。この残る事柄こそ、真剣に考えることです」という言葉が、ナヌムの家訪問の後でもあり、深く印象に残っているそうです。

 私が感銘を受けたのは、「東アジア共同体構想」です。現在、イギリスの脱退問題等EUが揺らぎ、そして中国の海洋進出、一帯一路構想等不安が増大していますが、アジアの進むべき道は、少なくとも日本、韓国、中国が仲良くし、共同体を形成する以外にないというものです。過去の歴史を踏まえ、現在を考え、そして未来へとつなぐ、未来志向の姿勢を学びました。

 あらためて池さんは、本当に偉い人だったと思います。偉ぶらず、謙虚で、いつも笑顔を絶やさない。学生たちにも優しく接してくれました。

 韓国に行くと、私たちは留学生、韓国の人々と一緒にカラオケで「演歌」をうたいます。日本文化開放という池さんの偉大な業績の一つを大いに謳歌させてもらっているわけです。

 改めてご冥福をお祈りします。

「理解不能なことばかり」  五十嵐正博

<年頭所感>

「理解不能なことばかり」

代表世話人 五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。

 コロナ禍の下、沈鬱な空気が世界を覆っているようです。コロナ禍は、私たちに「人知の及ばぬ世界」があることを改めて気付かせました。人間の「おごり」を戒めるかのようです。世界の各地で深刻な人権侵害が、そして植民地支配も続いています。核兵器が瞬時にして人類を絶滅させ、温暖化が、地球環境、生態系をじわじわと蝕んでいく、「わかっちゃいるけど止められない」サガを人間は捨て去ることができないままです。そうした事態を止めようと、世界中で、日々抗議し、抵抗する多くの人々の姿もあります。核兵器の廃絶を願い、あるいは、地球危機を防ごうという若者たちの「抵抗の輪」が希望の光です。

 今年は、「沖縄返還」、「日中国交正常化」から50周年、政府は、沖縄の民意を一顧だにせず、日中関係は融和と緊張を繰り返しています。「画期」にどれだけの意味があるか、少なくとも来し方を振り返り、未来への展望を考える契機にしなければなりません。

 私の日常も様変わりし、一昨年1月から昨年11月までただの一度も県外にでたことはありません。その間にも、格差社会は急速に進み、意図的に「脅威・対立」をあおりつつ、改憲の策動が加速されつつあります。「もりかけさくら」など「臭いものにはフタ」をされたまま。

 本稿では私がずっと、あるいは最近、不思議に思っていること、しかし、なぜか世の中の関心を呼ばないいくつかを「新年雑感」として記すことにします。

 

池明観さん・戦後補償・拉致問題

 池さんについては、井上さんが「所感」で述べられていますので、私が付け加えることはありません。池さんは、20年前、戦後補償問題が顕在化した理由を、日韓における「成熟した市民社会」「確かな歴史認識」の出現にあると指摘されました。

 それらは、今、どこにいってしまったのでしょうか。とりわけ、安倍政権以降、加害者(日本)が被害者(韓国)に高圧的な態度をとり続ける傲慢さ・理不尽さは、池さんの期待を砕くものです。また、歴代内閣が、「北朝鮮を激しくののしってきた」少なくとも5名(特に第2次安倍内閣の2名)の日本会議国会議員懇談会所属の重鎮を、拉致問題担当相に任命してきたことは、到底理解に苦しみます。北朝鮮に「もっと圧力を」と主張する安倍さんたちは、北朝鮮に「ケンカを売る」ことが拉致問題の解決になると思っているのでしょうか。

 

日米同盟・コロナ禍・米軍「即応態勢」

 日米間で「同盟」の用語が最初に現れたのは、1981年、レーガン・鈴木「日米共同声明」でした。それまで「同盟」は「軍事同盟」を意味し、憲法9条に反するがゆえに、自民党でさえその使用を避けてきたのです。以来40年、今では、見るだけ、聞くだけで身震いする「軍事造語」(「敵基地攻撃能力」「遠征前方基地作戦」「水陸機動団」など)が飛び交っています。

 日米首脳会談が行われるたびに同盟が「強化」「深化」され、「思いやり予算」は「同盟強靭化予算」と名を変え、対米従属が「強化・深化」されます。毎日のように聞かされる「自由で開かれたインド太平洋」という常套句は、「アメリカがインド太平洋の覇権を維持し続けたい」という意味です。もっとも、中国にも「尊敬される国」になってほしいと願います(もちろん日本もアメリカもすべての国が)。

 さて、「米軍由来のコロナ蔓延」、当該自治体もマスコミもそう言います。日米地位協定の改定が必要、日本はアメリカの属国かといった議論がなされています。米軍のいい加減なコロナ対策は、実は、米軍は「台湾のため、尖閣のために中国と一戦を交えるつもりはない」ことの証です。軍隊に求められるのは「即応態勢」、「求めがあれば今夜にも戦える」態勢。そのためには「隊員の健康状態が良好に保たれている必要がある」(米軍関係者の言葉)。

 コロナ禍で明らかになったのは、米軍は「即応態勢」をとっていない、とるつもりもないことでした。「だから、地位協定を改定し、米軍にコロナ対策をしっかりさせよう」ではなく、「そもそも軍事基地はあってはならない、むしろ有害そのもの」なのです。

 

MDGs・SDGsと軍縮・核兵器廃絶

 SDGsをめぐる話題で持ち切りです。しかし、SDGsの前身MDGs(ミレニアム開発目標)の話はほとんど聞いたことがありません。これも不思議なことです。2000年9月、国連総会が「新たな千年期(ミレニアム)の黎明に際して」採択したのがMDGs。最初に掲げられた目標は「平和・安全・軍縮」であり、その中で、「大量破壊兵器とりわけ核兵器の廃絶に向けて努力」することも決意しました。

 ところがどうでしょう。SDGsは、「貧困の撲滅が地球の最大規模の課題」と位置付けます。そして、「MDGsで残された課題への対応」をうたい、「平和なくしては持続可能な開発はあり得ず、持続可能な開発なくして平和もあり得ない」としながら、核兵器、軍縮の用語を消し去ってしまいました。重大な後退と言わなければなりません。

 国連がSDGsを採択したのは2015年9月、核兵器禁止条約が採択される約2年前でした。核兵器を保有する5つの安保理常任理事国は、核禁条約の批准を頑なに拒み続けています。本年1月3日、それら5カ国は、突如、「核戦争に勝者なし」声明を発しました。国連事務総長が述べたように、「核リスクを排除する唯一の方法は、すべての核兵器を廃絶すること」です。

 最後に、「武力による威嚇、武力の行使は禁止される」、これが国際法の大原則であることを決して忘れてはいけません。改憲を阻止し、核兵器の廃絶を目指して、みなさんと共に微力を尽くしたいと思います。

 今年もよろしくお願いします。

書評『記憶の灯り 希望の宙へ』によせて/井上英夫

< 書評 >

『記憶の灯り  希望の宙へーいしかわの戦争と平和』によせて

代表世話人  井上英夫

 

 A4判・132頁 オールカラー 定価:1300円(税込み)

 昨年8月15日、日本敗戦の日、『記憶の灯り 希望の宙へ   石川の戦争と平和』が、石川県平和委員会と戦争をさせない石川の会より発行されました。

 本書の執筆者、そして内灘闘争をはじめ石川県の平和運動のリーダーの一人莇昭三さんは、本書発行直前の7月19日に亡くなり、そのたたかいの歴史に幕を閉じられました。

 莇さんは、編集後記で、「読者や戦跡への訪問者が、『そうだったのか、やっぱり戦争に反対しなければ!』と心が駆り立てられる冊子であってほしい。その願いは、今、実現したように思える。若者たちには、75年前の戦争が遠い昔話でなく、歴史に向き合うことは、君たちの未来につながる道標となることを、強く伝えたいと思う。」と述べています。

被害と加害そしてたたかいの歴史

 内容は、大きく四つ、⑴ 天皇の軍隊 加害の歴史、⑵ 国民・兵士 被害の歴史、⑶ 混乱と復興の狭間で、⑷ 逆流に抗い平和を守る、となっています。

 被害の歴史では、兵士、銃後の人々、そして満蒙開拓団等が取り上げられています。中でも衝撃的なのは、日中戦争、アジア・太平洋戦争で軍人軍属の戦没者は約230万人、しかし、そのうち140万人は餓死者で、6割強にのぼったということです。そして莇さんの綿密な調査で石川の兵士の戦死は26,615人、どこで、どれだけ「戦死」したのか明らかにされています。

 本書の最大の特色と意義は、加害の歴史を取り上げていることだと思います。1898年には第九師団司令部がおかれ、軍都金沢の象徴となり、南京攻略戦(大虐殺)の主力としても投入されるわけです。七三一部隊についても石井四郎隊長は四高出身で、敗戦後逃げ帰った上陸地は金沢でしたし、金沢医科大、後の金沢大学医学部には部隊関係の医師が入り、学長にさえなっています。

 私は、大学で戦争と平和、人権について講義し、日本軍慰安婦、植民地におけるハンセン病政策も加え、とくに加害の歴史を語ってきましたが、歴史の歩みを眼前に見ることができる例として、野田山墓地へ足を運ぶように勧めてきました。

 野田山墓地には、戦争捕虜と日本軍兵士の墓があります。大きくて将校の墓は立派ですが、一般兵士の墓は小さい。さらに1940年からの日露戦争のロシア兵捕虜の墓もありますが立派なものです。まだ、軍、国、日本社会に、捕虜に対し人道的扱いをする「武士道精神」も残っていたのでしょうか。しかし、朝鮮の植民地化、アジア・太平洋戦争へと突き進む中、「堕落」は進んでいきます。

   行きつくところ、人々の踏みつける道路の下への尹奉吉(ユン・ボンギル)の遺体の暗葬です。尹奉吉は、日本の侵略と植民地支配に抵抗し1932年に上海で爆弾を投げ軍人たちを殺傷し、金沢で銃殺されたのでした。1946年ようやく発掘され、1992年暗葬の地に碑が立ち、近くに「殉国記念碑」も建立されています。私は、ソウルの梅軒尹奉吉記念館そして上海魯迅公園内につくられた梅亭も訪問しています。

 日本にとっては、テロリスト尹奉吉も、植民地にされた朝鮮、そして侵略された中国の人々にとってはまさに「義士」であり英雄です。加害の歴史には目をふさぎたい、避けて通りたい、無かったことにしたい。これが、多くの日本の人々とくに若い人達の偽らざる気持ちではないでしょうか。「踏んだ側は忘れても、踏まれた側は痛みを忘れない」といわれますが、加害の歴史に正面から向き合うことの覚悟と勇気こそ今求められているのではないでしょうか。今とくに問題となっている日本軍慰安婦、徴用工問題もこの姿勢を示せば道は開けると思います。

現地・現場主義と想像力

 本書は、「戦争の痕跡をたどり、悲惨な記憶を学び、未来へ手渡す」ことを目的としているわけですが、現地に足を運び、現場を見ることの大事さを痛感しています。私は、社会保障裁判やハンセン病問題、そして人権・平和問題にかかわってきましたが、現地・現場主義を法学研究の基本に据えてきました。

 2016年4月、最高裁判所は、裁判所外の「特別法廷」で開かれたハンセン病患者に対する裁判を裁判所法違反、さらには不合理な差別であったとして実質的には憲法14条違反の差別と認め、謝罪しました。私は、この件で設けられた有識者委員会の座長を務めました。調査委員会を構成する裁判官そして有識者委員にハンセン病患者の「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」による差別・人権剥奪の実態、その空気を知ってもらうことが何より大事だと考え、群馬の栗生楽泉園、熊本の菊池恵楓園を訪問しました。

 委員の皆さんが、とくに「ショックを受けた」のが栗生楽泉園に復元された重監房でした。もちろん、復元されたもので、マイナス20度にもなる極寒、餓死するような食事、悪臭も、ノミや南京虫もありません。しかし、アウシュビッツに匹敵するような残虐な実態にふれ受けた影響は計り知れないほど大きかった。

 同時に、現地・現場主義といっても限界はあります。すべての戦跡や生命権はじめ人権剥奪の現場に立てるわけではありません。血の匂いを嗅げるわけではありません。それを補うのが想像する力だと思います。本書は、まさにその想像力を掻き立てる力があると思います。

平和的生存権と人権のためのたたかい

 改めて憲法の輝き、力、そして人々の人権のためのたたかいの正当性に確信が持てました。憲法は、周知のように国民主権、平和主義、基本的人権を3本柱にしています。県内には憲法記念碑、憲法九条の碑そして非核・平和の標柱等が沢山あります。

 憲法前文は、平和的生存権をかかげています。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、と。

 ここにある「恐怖」とは戦争やテロ、「欠乏」とは飢餓や貧困です。したがって前者については、憲法9条で、後者については憲法25条を基底とする26条の教育権、27、28条の労働権、労働基本権等の人権いわゆる社会権を保障しているわけです。

 この意味で、憲法9条と25条は一体である、戦争・平和と生命・生存・健康で文化的な生活を保障する人権保障は一体であることを再確認した次第です。さらには、日本国民だけでなく、「全世界の諸国民の公正と信義に信頼し、私たちの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で述べていることも強調しておきたいと思います。

 そして、本書がたどっている内灘闘争をはじめとする平和的生存権のためのたたかい、とくに非核・平和の自治体づくりは2006年、県内全自治体の「非核・平和自治体宣言」決議を生み出していることも紹介されています。

 日本国憲法97条は、憲法の保障する人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(たたかい)の成果」であると明言して、私たちの平和と人権のためのたたかいの正当性にお墨付きを与えています。

 そして、本書発行はまさにこのたたかいの一環であり、この成果を生かすことこそ、憲法12条が定める、憲法、人権を保持するために私たちに課せられた「不断の努力」義務をはたすものに他ならない、と思います。

 現在のみならず未来を見据えるとき、日本の歴史とくに近・現代史を学ぶことが必要だと思います。本書を教材とした平和、人権教育を学校教育、社会教育の場で保障する、そのためのたたかいを提言します。

年頭所感 一人ひとりの尊厳を尊重する社会を/五十嵐正博

◆ 年頭所感 ◆ 

一人ひとりの尊厳を尊重する社会を

代表世話人 五十嵐正博

 コロナ禍での新年、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。皆さんが本「会報」を手にされるころ、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効します。核兵器の廃絶を願って長年奮闘されてきた皆さんに心より敬意を表します。これからは、「核なき世界」を「実現」するためにどうしたらよいかが問われることになります。

コロナ後の世界を示唆する

 さて、このコロナ禍からなにがみえてきたでしょうか。感染症への警鐘が以前からなされてきたにもかかわらず、ほとんどの国で、感染症に対する対策・準備の軽視あるいは不存在、安倍・菅政権は、「自助・後手後手・場当たり的・コロナよりも経済を」の対応に終 始し、「命を軽んずる」政権であることを改めて明らかにしました。 「安心して暮らせる日常」こそがなにより大事だと実感する日々です。安倍政権は最悪だと思ったら(一難去って)、より悪い菅政権が生まれてしまいました(また一難)。なんと表現しましょうか、「最悪+A」とでも。

 「軍事優先」「新自由主義」政策の下で繰り広げられる「格差社会」の拡大は、弱者により大きな犠牲(まさに生きるか死ぬか)を強いることになっています。自公政権は、「安全保障環境の一層の厳しさ」、「国民の生命・財産を守る」ためという常套句を弄しながら、医療・福祉・教育分野を軽視しつつ、軍事費の拡大だけは続けています。新型コロナウィルスは軍隊で防ぐことはできない、軍隊はむしろ有害無益だということも改めて明らかになりました。「軍事費をコロナ対策に回せ」との声が高まるのは当然です。

 コロナのことを考えながら、ふと思い立ち、書棚の片隅にあった、高校時代の教科書『詳説世界史』(1965年、山川出版社)を取り出しました。赤線だらけ、ほとんど覚えてない。私の記憶力の弱さはさておいて、半世紀以上前の受験勉強はなんだったのか。いや、歴史を学ぶことはとても大切です。受験と結びついたことが問題なのだ、ということにしておきましょう。

 それはさておき、昔の『世界史』の教科書を引っ張り出したのは、「感染症」「ペスト(黒死病)」についての記述があったかを確かめようと思ったからです。唯一、「たまたま1348年黒死病(ペスト)が西ヨーロッパを襲い、農村人口は激減し」、荘園制・封建制の崩壊にともない、「15世紀ごろには各地に中央集権の近代国家が成立してゆく」との記述がありました。「スペイン風邪」は見当たりません。高校生用の「世界史」の教科書は、感染症の蔓延(パンデミック)が国家のあり方を、さらに国際社会のあり方を根本から変える契機の一つになりうると教えていたのです。執筆者にそんな意図があったかどうか、私自身は、当時、そのような意味をくみ取ることはありえませんでしたが。地方政治の実権を握っていた諸侯、騎士が没落し、成長した市民階級は国王と相提携し、中央集権化が図られていったのでした。こうして近代国家が成立していきます。

 そこで、次の問いは、現下のコロナ禍でなにが「没落」し、なにが新たに生まれるのか、いかなる社会の変革がもたらされるのかです。たとえ遅々たるとはいえ、歴史上、人類がたどってきた「進歩」から「変革の道筋」を導きだすことができるのではないか。「進歩」の定義は種々ありえますが、私が思う「進歩」とは、人類は、「一人ひとりの尊厳が尊重される」社会を目指してきたことです。それは、支配と従属、偏見と差別のない社会を目指す「不断の努力」であり、今後も続けられなければなりません。

「植民地の解放」を目指して

 道半ば、あるいは人類史においては始まったばかりかもしれません。私は、「植民地の解放」を研究課題としてきました。国際社会は、国家間の、また国家とその植民地の「支配・従属」関係をいかに断ち切ろうとしてきたか。1960年、国連総会は、植民国家などの反対を押しきって「植民地独立付与宣言」という画期的な決議を採択しました。「すべての植民地人民は独立する権利がある」、この宣言に勇気づけられ、その後100以上の植民地が政治的独立を達成してきました(国連加盟国は51から193へ)。しかし、途上国の経済的「独立」は今も困難を極めています。本稿で詳述することはできませんが、途上国は、先進諸国からの経済的独立を求めて、「多国籍企業の行動を規制する権利」を求めてきました。私は、1996年に「近年の国連における多国籍企業の活動の積極的評価と『民営化』促進の動きは、まさに全世界を『先進国』(の企業)のために再西欧化する試みであり、このままでは途上国を益々従属的な地位に追いやることになろう」と指摘したことがあります。この状況は改善されるどころか、悪化しているのではないか。近年話題の「SDGs=持続可能な開発目標」に、多国籍企業、民営活動はむしろ肯定的に言及されています。実は、途上国の声は先進国の抵抗によりかき消されてきたのです。

「人権の普遍化」を目指して

 1948年12月10日、国連総会が採択した「世界人権宣言」は、もう一つの人類が到達した「進歩」でした。世界人権宣言は、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等で奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものである」と宣言します。以後、国際人権規約をはじめ、種々の人権関係条約が結ばれ、人権を実現するための各種「委員会」が設けられるなどの「進歩」を遂げてきました。第二次大戦後、人権尊重は、すべての国家が従うべき普遍的な理念になってきたのです。

 非植民地化(最近、沖縄では「脱植民地化」といわれます)を推し進めたのが「自決権」という画期的な考えでした。「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」(国際人権規約共通1条)。自決権は、すべての人権享有の大前提であり、植民地支配は自決権の否定そのもの、植民地の人々の人権抑圧体制そのものなのです。「香港」に対する中国の弾圧政策を決して認めることはできませんが、未だに植民地を手放そうとしない植民国家の「政府」(米・英・仏など)が中国を批判する資格はありえないことも指摘しておきます。

日本社会の変革を目指して

 先の教科書の事例にならえば、日本社会の変革のためには、自公政権を「没落」させ、「市民と野党が相提携」し、日本国憲法を活かす政権への交代がなければなりません。その政府は、「一人ひとりの尊厳を尊重する」政府であり、必ずや核兵器禁止条約を批准し、核兵器が「壊滅的な人道上の帰結」、すなわち「人類の生存」に関わるのだと世界に向けて強く訴え、「核兵器のない世界」の実現を目指すはずです。

 なお、沖縄が強いられ続けている諸問題、「日本学術会議任命拒否」、「自衛隊の敵基地攻撃能力」など、それこそ「菅政権はどこまでやるか」と頭の中が沸騰しそうです。それらは別の機会にお話しする機会があるかも知れません。いずれにしろ、政治を私たち市民の手に!

 本年もよろしくお願いします。

 

日本学術会議任命拒否に抗議する(五十嵐正博)

「そこまでやるか、ここまできたか、どこまでやるか」 

日本学術会議任命拒否に抗議する

代表世話人  五十嵐正博

 立命館大学の松宮孝明教授は、日本学術会議の任命拒否についての新聞インタビューに、「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と答えたということです(京都新聞)。この暴挙の報を聞いたとき、「そこまでやるか、ここまできたか」が最初の感想でした。そして「どこまでやるか」に思いがいたり、すぐに合点がいきました。

「目的のためには手段を選ばず」

 自民党の結党以来の一貫した「改憲」願望からして(政権により濃淡はあっても)、「そこまでやるか、ここまできたか」は当然の流れ、「歴史の反省」をせず、むしろ「復古主義」への回帰を夢想しつつ、「政財界による権力維持の執念」。日本国憲法を「改正」するために、したたたかに、粛々と「政権にとってのジャマモノ」を一つずつ、一人ずつ消す戦略。もちろん、一番のジャマモノは「日本国憲法」。当該行為が「合憲か否か」「違法か否か」などに関心はなく、「目的のためには手段を選ばず」という強権政治。

厚顔無恥こそ権力維持の秘訣

 今回の件で、岡田正則教授(その他多くの人)が指摘しているように、菅首相が「推薦段階の105人の名簿を『見ていない』」ということは、学術会議からの推薦リストに基づかずに任命したということです。これは明らかに、日本学術会議法の『推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する』という規定に反する行為」です。政府は「総合的、俯瞰的な」意味について、「丁寧な説明」など、そもそもできない相談です。「見ずに俯瞰する離れ業」(中野晃一さん)。自民党にとって「日本学術会議」は「ジャマモノ」。どこまで「用意周到」なのか、あるいは時の政権が「場当たり的に」また「思い付きで」実行するのかは、それぞれの事例について検証が必要です。しかし、今回の件については、すでに安倍政権時代から「目の敵」にされていたことが明らかになっています。まさに「虎視眈々と狙い撃ち」されたとみるべきでしょう。

 前川喜平元文科省事務次官が実際に経験されたことを語っています。「文化審議会文化功労者選考分科会」委員の選任について、杉田官房副長官から、10人の候補者のうち2名が好ましからざる人物であり任命するなと言われた、安倍政権を批判するようなことをメディアで発言したことが理由であったと。闇の中で、陰湿かつ執拗にうごめく権力行使、空恐ろしい話です。よくも「自由、民主主義、法の支配、基本的人権の尊重(市場経済が加えられることも)」という、ありもしない「共通の価値観」などといえたものです。いや、この厚顔無恥こそ権力維持の秘訣なのでしょう。

日本国憲法の壁

 思えば、80年代後半の中曽根政権による労働組合つぶし、2003年、第一次安倍政権による「教育基本法」改悪、第二次安倍内閣による特定秘密保護法(2013年)、平和安全法制(2015年)、共謀罪(2017年)へと続く「違憲」諸法の改悪・制定。自衛隊法改正は数知れず。日本国憲法は満身創痍にさらされてきました。それでも、日本国憲法の壁があるがゆえに、少なくとも、歴代政権は、当該行為に「理由にならない理由」を述べなければならず、「好き勝手放題」を許すことはありませんでした。

自民党の執念

 自民党は、この「歯止め」「壁」を取り払うことに執念を燃やしてきました。菅首相が政策の根本と考える「自助、共助、公助」、なんと正直な首相でしょうか。「丁寧な説明」がなくても即座に理解可能、安倍政治を継承して、「自民党新憲法草案(以下、新草案)」(2005年10月)、「改正草案」(2012年4月)に沿った憲法「改正」を目指す宣言そのものだからです。要は、国家による個人、家族への介入、国家支配の拡大。憲法は「権力をしばるもの」という理念とは真逆の発想であり、「憲法でない憲法」作りを推し進めること。「自助」とは、「個人」ではなく、「人」は「公益及び公の秩序」に反しない限りの「自由」を持つにすぎず、「国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」(改定草案12条)ことになります。

 「新草案」は、「前文」で「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」とし、「改正草案」では「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」となりました。「復古主義の中核」ともいうべき「国家への忠誠義務」を義務付けようとするものです。「改正草案」は「国防軍」の創設をうたい、「徴兵制」に道を開くことが危惧されます(「新草案」では「自衛軍」でした)。

 「共助」とは、「家族は互いに助け合わなければならない」こと。「共助の義務」です。「公助」について、「草案」は現行憲法二五条(生存権)に何も加えていません。最近の「黒い雨訴訟」を見るまでもなく、国は、いざとなると「公助」どころか、「知らん顔」をするか「逃げる」かして、一切責任を負おうとはしません。しかし、権力は、いつも見えない影におびえているのでしょうか。「国民に刃を向ける=強権的に弾圧する」「緊急事態条項」を憲法に盛り込もうというのです。これが菅首相が思い描く「自助・共助・公助」の意味です。

市民の声が届かない社会に未来なし

 今回の学術会議問題は、任命拒否を撤回させなければなりません。「アリの一穴 天下の破れ」ということわざがあります。政権が「総合的・俯瞰的判断」で何事をも決められるとすれば、憲法も法律も無用となってしまう、それは、立憲主義の破壊、独裁政治です。

 坂本龍一さんは、日本学術会議への人事介入に抗議して「声を上げること、上げ続けること。あきらめないで、がっかりしないで根気よく。社会を変えるには、結局それしかないのだと思います。」と発言しました。同感です。「あきらめないで、がっかりしないで根気よく」安倍・菅政治なるものを引きずり下ろすために声を上げ続けましょう。「忖度」と「萎縮」が蔓延する社会、なにより「市民の声が届かない」社会に未来はありえません。市民の手に「日本国憲法」を取り戻さなければなりません。

【追記】岡田正則さんは、かつて金沢大学での同僚であり、井上英夫さんとともに日韓の共同研究に加わりました。『日韓の相互理解と戦後補償』(日本評論社、2002年)

【参考】『菜の花の沖縄日記』出版元「ヘウレーカ」から新刊、福島祐子著『ヒロインの聖書ものがたりーキリスト教は女性をどう語ってきたか』が刊行されました。本稿を書きながら、つい「プロローグ」を読み始めた途端に、「他者を蹂躙することで己の権力を誇示したくなる」との一文に出くわしました。文脈は、本稿とは全く違いますが、「権力者は」を主語にすれば全く納得、ここに引用します。ご興味のある方はぜひお手に取ってください。お勧めです。

今「必要緊急」なこと  日本国憲法を活かす政府をつくろう(五十嵐正博)

今「必要緊急」なこと  日本国憲法を活かす政府をつくろう

代表世話人 五十嵐正博

 私たちは、今、新型コロナ・パンデミックの渦中にいます。パン(すべての)デミア(人々)、まさに地球上のすべての人を襲う感染症。人間は、地球上に存在する何百万、いや何千万とも知れぬ種の一つにすぎません。すべての種が、地球誕生以来、種の生存・共存のためのメカニズムを営々と作り上げてきたのでしょう。しかし、人間だけが、森羅万象を支配できると思い込む「おごり・思い上がり」を持っているのではないか。現下の事態は、「経済成長」を金科玉条とし、人間一人ひとりの尊厳をないがしろにしてきたことに対する「戒め」「警鐘」とも思います。
 人間は、何を、どこまで反省し、その反省を将来に生かすことができる歴史を、私たちは見て見ぬふりをしてきたのではないかとさえ思いたくなります。今回のコロナ禍との直接の関連はさておき、気候変動がもたらす様々のリスクが語られてきました。1988年設立の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、「世界平均気温の上昇による主な影響」として「感染症による社会的負荷の増加」「医療サービスへの重大な負荷」を指摘し(2007年報告書)、さらに「21世紀半ばまでに予想される気候変動は、主に既存の健康上の問題を悪化させることで、人間の健康に影響を与える」「確信度が非常に高い」としました(2014年報告書)。温暖化対策は一向に進んでいません。
 IPCCの警告は無視され続けただけでなく、むしろ、この国で進められてきた無残な福祉・医療の切り捨てが現在の混乱、悲惨な事態を招いています。予想された事態なのです。井上英夫さんが、国立病院の再編・統合に反対する運動をしていた姿を思い出します。
 今、目の前のコロナ禍の収束を図らなければなりません。国民には「不要不急の外出自粛」「三密回避」を要請しつつ、右往左往する安倍政権。今日を生き抜くことに汲々としている多くの人に救済の手が届かない。この国の歴代政権は、日本国憲法を活かす努力を怠ってきたからです。
 安倍政権の立ち位置は、「個人よりもお国(そしてお友だち)のために」。コロナ対策に当たって「必要緊急」なことは、日本国憲法を活かす政策です。軍事費の支出を止めて、一人ひとりの尊厳を守る政策の即時の実施です。
 
 私の父親は、敗戦後、一時公職追放になりましたが、1950年、全国各地に家畜保健衛生所が設置され、群馬県太田市の初代所長になりました。父28歳。私が生まれた翌年でした。父が「抗原抗体反応」と話していた記憶がよみがえりました。半世紀以上前、すでに行われていた「抗体検査」、その実施が未だに滞っていることに驚くばかりです。
 「あれよあれよ」という間の(政策決定過程が不透明な)「上意下達」の乱発、それらを垂れ流しするマスコミ、そしてそれに唯々諾々と従う(従わされる)市民。ファシズム体制との類似を指摘する見解も見られます。そうさせないためには、憲法を活かす「信頼できる政府」を私たち市民がつくること、それしかありません。
(神戸大学名誉教授、金沢大学名誉教授)

原爆被爆体験画

私たち被爆者は東海・北陸の7県で共に活動をしていますが、今から37年位前(1977年・昭和52年ごろ)被爆体験画を描く運動を行いました。各県の被爆者が描いた絵は、各県持ち回りで、それぞれの県内何カ所かで「被爆者が描いた体験画展」として開催しました。当時、石川県内では金沢・松任・七尾などで開催しました。ここで紹介するのは、県内で実施した機会に集まった数十枚の絵をカラースライドに撮影したものです。
絵の現物は各地を巡回展示を行いましたが、不運にも、近畿地区で火災にあって焼失してしまいました。したがって、パソコンの画像ファイルとしてこの中の絵の大部分は現物はすでに無く、以前カメラで撮影・記録していてよかったと思っています。

1977年7月7日、石川県原爆被災者友の会 中田喜重撮影

【PDF:3.21MB】

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