メッセージ

 2018年  年頭所感

「君たちはどう生きるか」

代表世話人 五十嵐正博

 あけましておめでとうございます。

 今年、私たちは「アベ改憲」を阻止できるかどうかの分水嶺に立たされています。憲法違反の横暴の限りをつくす首相は、年頭会見で、「今こそ新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を示す」と表明しました。厚顔無恥とはこのことです。

 吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』が、異例のブームになっているそうです。それは1935年のことでした。「1931年のいわゆる満州事変で日本の軍部がいよいよアジア大陸に侵攻を開始してから4年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期」です。山本有三は考えました。せめて少年少女だけは「時勢の悪い影響から守りたい、・・・この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化があることをなんとしてもつたえ・・、

 人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかなければならない」(『岩波文庫版』)。山本有三は、このように考えて『日本少国民文庫』を計画しました。吉野は、その文庫の編集に携わっただけでなく、その最後の一冊として執筆したのが『君たちはどう生きるか』でした(盧溝橋事件の一カ月前に発行)。

 ノーベル平和賞授賞式で

 昨年、国連総会において核兵器禁止条約が採択され、ICANがノーベル平和賞を受賞しました。被爆者の方々の長年のご苦労が報われた瞬間でした。

 唯一の戦争被爆国は条約案に反対票を投じ、平和賞の受賞に冷淡でした。授賞式で、サーロー節子さんは、被爆者の皆さんの声を代弁して、「核兵器と人類は共存できない」こと、「核兵器は絶対悪」であり、核兵器国だけでなく、「核の傘」の下にある共犯者に、「私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムの不可欠の一部分なのです」と語り掛けました。

 今年の世界終末時計は?

 世界終末時計(原子力科学者会報)は、昨年1月17日、トランプの核兵器や気候変動に関する発言から、前年より30秒進め、残り2分30秒としました。今年、終末時計がさらに進められないことを祈ります。

 若いころ、金沢に住んだこともある日本近代史・日米関係史の権威、ジョン・ダワーが、昨年、『アメリカ 暴力の世紀』(岩波書店)を出版しました。彼は「日本語版への序文」において、「日本の保守主義者や新愛国主義者たちが熱望しているように、日本がもっと『普通の』軍事化を促進するために憲法を変更するようなことがあれば、戦後日本国家の性格を変えることは間違いない」と述べ、「トランプらが着手すると思われる新しい軍事戦略に、『積極的に』貢献するようにとの圧力をますます強くうけるようになる」と憂慮しています。

 権力の暴走を阻止する憲法

 安倍首相は、憲法が、権力の暴走を抑止するためにあるのだという立憲主義を全く理解しないどころか、「軍隊を自由に海外に展開し、権力が国民を縛りつける」「古い時代への絶望を生み出す」憲法づくりを周到に進めてきました(特定秘密保護法、共謀罪、戦争法など)。彼の関心は、トランプの顔色、株価の動向や有効求人倍率といった「数字」であり、沖縄の米軍基地、震災、原発事故の被災者、貧困にあえぐ人々、老齢者、待機児童などには目もくれません。

 今後、ナチスの「手口」そのままに、マスメディア、広告会社、神社本庁、日本会議、はたまた芸能人、スポーツ選手などを総動員し、「国民の安全・生命を守るために」との詭弁をろうし、はては「最大の国難」を叫んで危機をあおり、情緒に訴えかける宣伝を日本列島に洪水のごとく流すでしょう。「国威発揚」と称してオリンピックを政治利用するでしょう。「憲法のあるべき姿」は、無能、有害な為政者の存在を認めてはならないのです。

 一人ひとりが社会を変える時代

 今年は「明治150年」でなく、市民運動の原点ともいうべき「米騒動100周年」、世界人権宣言採択70周年、「非核の政府を求める石川の会」30周年になります。吉野源三郎は、主人公の少年に「僕は、すべての人がおたがいに良い友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います」と語らせ、最後に読者に問いかけます、「君たちはどう生きるか」と。

 吉野は、山本の考えに共鳴して、「偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化があること」をつたえ、いつか少年少女一人ひとりが社会を変えてくれる時代が来るとの祈りを本書に込めたのでした。

 侵略戦争の渦中で非業の死をとげた国内外のおびただしい数の人々、戦争に反対し、自由を求めたがゆえに、過酷な拷問を受けた人々、暗黒の日常の中でひっそりと平和を希求した人々、日本国憲法には、そうした人々の「平和と自由」への強い願いが込められています。「君たち」一人ひとりは、日本国憲法を生かすための「主権者」、主人公なのです。

 2018年  年頭所感

「若者に問いかけよう-硬軟自在に」

代表世話人 井上英夫

 明けましておめでとうございます。

 安倍政権が、憲法改悪に大きく踏み出した今年は日本の歴史にとって分岐点となるでしょう。五十嵐正博さんも言うように「若者よ、君たちはどうする」、今こそ真剣に問いかけなければならないと思います。何より、戦場に駆り出され、殺し、殺される可能性が高いのは今の若者なのですから。

 ところが、大学生にそうした戦争・徴兵制すら迫っているという危機感、切迫感はほとんど感じられません。それどころか、昨年ショックを受けることが起きました。

 時代遅れじゃありませんか

 1年生を対象に人権・ジェンダー論を講義し、第二次大戦の悲惨な結果への反省に始まる現代の平和と人権の歴史を話しています。ナチスのホロコースト、日本については、原爆等被害者の側面だけでなく731部隊、慰安婦問題など加害者責任についても話し、それらが今につながっていることを強調しています。

 感想のなかに、先生の話は「時代遅れだ」というものがありました。大学で、40年以上若者と接してきたわけですが、初めての反応でショックを受けました。

 このような、学生たちに何を、どう伝えたらよいか。今は、多様な媒体、表現により「硬軟」両面から若者に語りかけるしかないと思っています。

 

 硬派で迫る「革命」路線

 まず、硬派からですが、昨年『社会保障レボリューション―いのちの砦・社会保障裁判』(高菅出版)を出版しました。

 表題を勇ましく、レボリューション=革命としたのは、憲法上許されない不平等・差別の拡大、生命権すら奪われている事態に対して、今こそ、人権としての社会保障の旗を掲げ、憲法97条が認める「革命」・レボリューションを起こすしか道はない、と思ったからです。 

 

 

 

 

 ソフトに「ゆるきゃら」路線で

 そして、ソフト=ゆるきゃら?路線としては、『ペリリュー-楽園のゲルニカ』(白泉社)です。1944年、日米両軍約13,000の若者が無残な死を遂げたペリリュー島の戦闘を描いた漫画です。

 作者の武田一義さんは、「漫画である以上読みやすく面白く」と言うのですが、第46回日本漫画家協会賞優秀賞を受けています。ちばてつやさん直筆の表彰状には、「可愛らしい温もりのある筆致ながら『戦争』という底知れぬ恐ろしさと哀しさを深く表現して見事です」とあります。

 『はだしのゲン』、水木しげる、とも違うこんな「路線」もあるのだなー、と「痛快」な気持ちになりました。今、2月末に出されるという第四巻を心待ちにしています。

 以上、是非ご一読ください。

 

◇講演要旨◇

ヒバクシャ国際署名キャンペーンイベントin金沢

核なき未来はぼくらがつくる!

ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダー         

林田  光弘

 

 10月15日(日)、金沢市松ヶ枝福祉館で「ヒバクシャ国際署名キャンペーンイベントin金沢」が開催されました。最初に今年六月に完成したDVD「この空を見上げて~石川・被爆者たちの証言」の第1部(38分)を上映した後に、長崎出身の被爆三世で国際署名キャンペーンリーダーである林田光弘さんの講演がありました。

   主催は反核・平和おりづる市民のつどい実行委員会。以下は林田さんのお話しの要旨です。

 

           

 二つの画期的な出来事

 この間に二つの画期的な出来事がありました。一つは7月7日に国連で「核兵器禁止条約」が採択されたこと。もう一つはICANがノーベル平和賞を受賞したことです。ICANとは、核兵器禁止条約をつくるために結ばれた世界中の500余の団体のネットワークのことです。ノーベル平和賞というのは政治的な賞で、かつてオバマ大統領が受賞したのも核兵器廃絶に向けての期待を込めてのものでした。この二つの出来事に共通しているのは被爆者の体験がエネルギーになって実現したということです。私は、これらのことを通じてキャンペーンメンバーに対して、次は被爆者に核廃絶を届けるのだという宿題をもらったと受け止めました。

 事態を正確に捉えるために詳しく見ていきます。

 被爆者の四つの概念

 被爆者というのは法的な概念です。特定地域の四つの分類(直爆、入市被爆、介護被爆、胎内被爆)の条件を満たす者となっています。被爆者の数は2017年3月現在で164,621人となっています。1980年がピークで372,264人でした。被爆者であるということで差別されることを恐れて名乗りをしていない人や被爆者手帳をとっていない人がかなりの数います。

 今日までが被爆体験

 被爆体験と言いますが、被爆者にとっては1945年8月6日と9日から今日までが被爆体験であるということです。健康上、精神上、社会的にも大変な体験が今も続いているということです。

 また健康手当など被爆者援護の施策は色々ありますが障害者などと同じ社会福祉の制度です。国家が行った戦争によって被害を被ったことへの「国家補償」ではないということです。それから在外被爆者、台湾や朝鮮半島(特に帰国運動当時はより豊かであった北朝鮮の地域に帰った人の方が多かった)など戦前は日本の植民地であった地域に住んでいるひとが除外されていた事実もあります。更にABCC(放射線影響研究所)の問題があります。被爆者はここに連れていかれてデータだけ取られました。治療をすればデータがとれないから肝心の治療はしてもらえなかったわけです。これらが被爆者体験という事実です。

 核兵器は大量破壊兵器

 核兵器について述べます。効果が一定の対象に限定できないという意味で大量破壊兵器とされています。大量破壊兵器で最大、最悪のものが核兵器ですが、現在の核兵器は広島・長崎で使用されたものの3,300倍の破壊力を持ち、9か国で14,900発保有しています。1970年に発効したNPT体制とは、当時の既保有国5か国を除いて他国の保有を許さないというものでした。5年ごとに再検討会議を開いて効果を検証して来ましたが、その後4か国が条約から離脱し、拡大されてしまいました。そこで2010年に赤十字国際委員会は核兵器の非人道性に着目して総裁声明を出しました。さっきの被爆者の四つの類型のうち「介護被爆者」の存在は、医療者にとっては被爆者の救護に当たって敵であるか味方であるか、勝者か敗者かは関係ありません。この核兵器の非人道性の考え方に基づいて再検討会議の間に国際会議が開かれ核兵器禁止条約に繋がりました。

 何をなすべきか?

 では、何をなすべきかです。日本政府は条約交渉会議に参加しませんでした。採択後も署名しないと表明しました。日本政府は国連総会に毎年「核全廃宣言」を出して多数の賛同を得てきましたが、核兵器禁止条約が採択された今年は世界から相手にされていません。私たちは「核の傘」に向き合うべきです。核保有国とその同盟国の中で、唯一の戦争被爆国である日本政府の動向は重要です。日本政府が橋渡しの役割を本当に果たせば、大きく変わる可能性があります。例えばオバマがやろうとした「核の先制使用はしないという宣言をする」こと、「全ての核実験を禁止すること」など現実的対応を引き出すことも可能です。ヒバクシャ国際署名を推進しましょう。

 署名は対話のためのツールです。日本の署名の到達は5,154,866筆まで来ました。ヒバクシャ国際署名に賛同して署名をした自治体の首長は867あります。全国の自治体数の過半数です。核保有国と我が国を含めた多くの同盟国の参加を求め、核抑止力による安全保障政策を変えさせる運動を一層強めなければなりません。核廃絶を「夢」にしないために。

◎講演会終了後、近江町市場前でヒバクシャ国際署名を呼びかける宣伝行動を20名の参加で行いました。短時間でしたが40筆を超える署名が集まりました。

核兵器廃絶に向けて 核兵器禁止条約を国連で採択!

代表世話人 五十嵐正博

核兵器禁止条約の採択と道のり

 2017年7月7日、ニューヨークの国連本部において核兵器禁止条約が採択された。国連の現加盟国数は193、会議には124が参加し、賛成122、反対1、棄権1であった。広島・長崎への原爆投下から72年、被爆者の、そして核兵器廃絶を訴えてきた人々の願いがかなえられた瞬間であった。同日、ハンブルクに集った核兵器国とその核の傘に従属するG20首脳の多くは、ニューヨークでの成り行きを無視した。

 それにしても長い道のりであった。国連憲章が採択されたのが1945年6月26日、アメリカによる最初の核実験が行われる20日前のことであった。国連憲章は、核兵器という人類の滅亡につながる大量破壊兵器の存在を知らなかった。しかし、憲章採択後に広島・長崎に原爆が投下され、原爆の脅威が広く認識されるようになったため、国連総会は、最初の決議で原子力委員会を設置し、「すべての核兵器および大量破壊兵器の廃絶」を目標として掲げることを決定した。

 その後、第五福竜丸事件は「死の灰」の恐怖を認識させ、核実験停止を求める運動は、やがて部分的核実験禁止条約(1963年)、包括的核実験禁止条約(1996年、未発効)に結びつく。他方、核兵器国の数が増加し、核戦争の可能性が増大するとの懸念が生まれ、核不拡散条約(1968年)が採択された。核不拡散条約6条は、締約国に核軍縮のための誠実な交渉義務を課すが、一向に核軍縮が進まない(進めようともしない)ことに、非核兵器国の多く、またNGOなどの不満が増大した。「核兵器使用の合法性」について、国際司法裁判所の意見を求める運動を担ったのはNGOであり、そうした運動が核不拡散条約の再検討会議において核兵器廃絶を求める声の高まりを生み、核兵器禁止条約の採択につながったのである。

核兵器禁止条約の特徴

非人道性とヒバクシャの視点

 条約の特徴は、核兵器の非人道性を強調するとともに、核兵器は人類に被害をもたらす〝絶対悪〟だというヒバクシャの視点を取り入れたことである。

 条約は前文と20か条からなる。前文において、この条約の締約国は、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の帰結を深く憂慮し、核兵器を完全に廃絶する必然的な必要、それは核兵器がいかなる状況においても決して再び使用されないことを保証する唯一の方法であり続けることを認識」し、「核兵器の壊滅的な帰結」は、人類の生存、環境、食料の安全および現在と将来の世代の健康に重大な影響を与え、放射線の女性・少女の健康に悪影響を与えることを認識する。「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の帰結」の文言は、2010年の核不拡散条約再検討会議以来しばしば確認されてきた。

 この条約の締約国は、「核兵器の使用の被害者(ヒバクシャ)および核兵器の実験により影響を受けた者にもたらされる容認しがたい苦痛と被害に留意し」、人道の諸原則の推進における公共の良心の役割のために国連やヒバクシャによりなされた努力を認識する。前者は、「被爆者が歩んだ苦難の歴史から核兵器の非人道性を際立たせるため」と評価されている。

 核兵器あるいはその他の核爆発装置の開発、実験、製造、生産、獲得、保有、貯蔵、移譲、受領などを包括的に禁止する(1条)。「核兵器の威嚇の禁止」は、核抑止力を否定するものとして、7月3日の「議長最終案」で初めて提示された画期的な規定である。

 核兵器の使用または実験により影響を受けた被害者に対する医療やリハビリなどの支援、汚染された地域の環境回復義務も規定された(6条)。

日本政府の態度

 唯一の被爆国日本は、3月の交渉会議初日に不参加を宣言、岸田外相は「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう深めるという意味で逆効果にもなりかねない」とし、あたかも非核兵器国が核兵器廃絶を妨げているような暴言を吐いた。高見沢軍縮大使は、核保有国の参加が見込めないことから「実際に核保有国の核兵器が一つも減らなくては意味がない」などと述べて、会議の席を立った。高見沢氏は、安保法制懇において、事務方の一翼を担い、「集団的自衛権の行使は地球の裏側まで及ぶ」と述べた人物である。

 こうして、日本は核兵器国と非核兵器国の「橋渡し」になるどころか、非核兵器国、核廃絶を願う人たちの信頼を完全に失い、アメリカの属国であることを国連の場で宣言したのであった。

 岸田外相の発言は、1996年国際司法裁判所の「核兵器使用の合法性」に関する勧告的意見に逆らうものである。裁判所は、長期的には、核兵器などの破壊的な兵器の法的地位に関して意見の対立が続けば、国際法、それが律するべき国際秩序の安定性が、悪影響を被ることになるのは必至であるとし、完全な軍縮の早期達成こそが必要であると呼び掛けたのであった。

核兵器廃絶を目指して

「非核の政府を求める会」の重要な役割

 国際社会は大きく変化してきた。それは、国際社会の民主化の進展であり、大国の横暴に異議を唱える国、市民の声の高まりが導いたものである。そうした進展が、核兵器を「核抑止力」を含めて全面的に違法化し、核保有国とその同盟国を追い詰めてきたのだ。核兵器の全面的な廃絶を達成するために、国内外における世論の圧力をより強めていかなければならない。「非核の政府を求める会」の役割はますます重要である。

 非核の政府を求める石川の会は5月13日、野々市市情報交流館カメリアで開いた第29回総会にて「共謀罪」法案の強行可決の動きに断固抗議することが確認され、本日、安倍晋三首相と金田勝年法相に抗議文を送付しました。抗議文を紹介します。

 

内閣総理大臣 安倍晋三 様

法務大臣   金田勝年 様

「共謀罪」成立を画策する与党とその追随勢力の

あまりにも酷い暴走に断固抗議します!

 5月12日現在、衆院法務委員会で審議されている「共謀罪」法案は、「戦争をする国」づくりのために憲法九条の空文化を進めている安倍内閣が、憲法の人権条項を蹂躙して、国民への監視と干渉と弾圧の体制を築こうとするものであり、「モノ言えぬ監視社会」をつくるものに他なりません。

 法案の「合意・共謀罪」が治安維持法の「協議罪」、法案の「罪となる行為の目的を遂行するための準備行為罪」が治安維持法の「結社の目的遂行のためにする行為」と行為類型が同じです。しかも治安維持法と同じく自首による刑の減免規定を設けています。

 さらに法案は、国際組織犯罪防止条約(TOC条約)の国内法整備を理由としながら、同条約の対象外の「テロ対策」を正面に掲げて、東京五輪をその口実にしています。しかしわが国は、既に「テロ対策」といわれる13の条約を批准し、その国内法も整備されており、立法事実は存在しません。

 さらに審議のなかで、「花見と犯行の下見はどう区別するのか」と問われても、「ビールと弁当を持っているのが花見で、地図と双眼鏡を持っているのが下見だ」(金田法相の答弁)という荒唐無稽ぶりで、内心の自由を侵す違憲立法となる実態をさらけ出しています。

 この悪法を許すならば、公安検察、警備公安警察、公安調査庁、内閣調査室、自衛隊情報保全隊などの市民に対する密行捜査とスパイ活動が大手を振ってまかり通り、監視と密告の社会になる重大な危険があります。これこそ治安維持法時代の再現です。

 非核の政府を求める石川の会は、「共謀罪」法案がかつての治安維持法と酷似していることを法文上と弾圧の歴史的事実から指摘するとともに、この稀代の悪法をごり押しする安倍内閣の暴走政治に強く抗議するものです。

 私たちは治安維持法犠牲者らが果たした抵抗の正当性と、その歴史的成果を現代史に即して共有し、核廃絶と戦争反対のたたかいと結び、武力を行使する道を止めさせ、明文・解釈にわたるあらゆる改憲策動と「共謀罪」法案を許さず、日本国憲法を社会と政治に生かすために、たたかうことを表明するものです。

2017年5月15日

非核の政府を求める石川の会

辺野古にて―安保条約・日米同盟は誰を守っているか 

代表世話人 井上英夫

 年の改まった1月10日、辺野古を訪問しました。琉球大学法文学部での集中講義の合間でした。

 那覇を発ち、名護バスターミナルまで約1時間半、中央山間部の沖縄自動車道を走る高速バスの旅です。午前中同じ名護市の西海岸にあるハンセン病療養所愛楽園に行き、沖縄の戦争と差別のもう一つの歴史を学び、午後、タクシーで辺野古へ回りました。

写真① キャンプシュワブ第2ゲート前のテント村

 キャンプシュワブ第二ゲート前のテント村には40名ほどの人々が集まり、挨拶と沖縄民謡、三線も披露されました(写真①)。私が帰る4時前には、全国からの100名ほどの参加者に膨らんでいました。

写真② 第2ゲート前の黄色線手前をデモ行進

 その後、「米軍帰れ」」基地つくるな」のシュプレヒコールとともにゲート前歩道をデモ行進しました。これに参加したわけですが、非暴力、平和的デモであることが強調されました。同時に、写真②の黄色線を超えると、基地侵入ということで逮捕されるという、注意がありました。基地内からは、デモへの警告放送が続きます。

写真③ 米軍関係車両の基地への出入りを阻止するデモ隊

 デモ隊は、隊列を組んで基地への米軍関係の車両の出入りを阻止し、「基地反対」「アメリカに帰れ」とドライバーに呼びかけます。民間車両に対しては、妨害しません。米軍関係車両は、Yナンバーですので、すぐわかります。(写真③)

写真④ デモ隊を排除するのは日本の機動隊

 ここで、私にとって思いもかけない光景が出現したのです。デモ隊排除のために基地内から行進してきたのは、日本の機動隊でした(写真④、⑤)。米軍、MPか何かが出てくるのかと思うと日本人だったのです。沖縄県か、他の都道府県からの隊か、聞きもらしましたが、いずれにしても若い日本の人達です。デモ隊を排除して、車両が通ると、基地内に引き上げ、ストップするとまた、基地内から行進して来るのです。

写真⑤ 非暴力、平和的デモを強制的に排除する機動隊

 沖縄そして本土からの基地反対者に同じ日本人同胞が、米軍の手先とさせられ、対立させられています。

 尖閣諸島には日米安保条約5条(集団的自衛権行使の根拠とされている)が適用され、アメリカによって中国から日本の領土が守られる、と安倍政権は有頂天になっていますが、安保条約で血と汗を流すのは日本、守られるのはアメリカでしょう。アメリカ・トランプのための自衛隊、機動隊そして日本政府であるという安保条約・日米同盟の真の姿が辺野古で露呈されていました。

 今回で辺野古は4回目です。一昨年は、名護から路線バスで約30分の辺野古に行きました。辺野古にいられたのは30分程度でしたが、路線バスだからこその貴重な体験をしました。

 一つは、フランスのノルマンディーから来たというご夫婦で、沖縄ちゅら海水族館に向かうということでした。私が、基地反対で辺野古に行くというと、それは素晴らしい、良いことだ、頑張れと、賛同してくれたのです。お二人の方から寄ってこられ、話しかけられたのです。それは、フランス語ができそうだからとのことでした。ドイツでも、ノルウェーでも、現地の人々に間違えられるのは、風貌のためだと言われています。しかし、私は考え方、思想―例えば平和について―が日本人的ではなく人類にとって普遍的なものを目指しているからではないかと勝手に思っています。それは、まさに日本国憲法の姿だと思います。思わぬ、国際連帯ができたわけです。

 今年は憲法施行70周年です。1947年埼玉県秩父市に生まれた私は憲法と一緒に生きてきました。

 もう一つは、バスの三〇代の運転手さんと話ができたことです。沖縄では仕事がないのでバスの運転手ができるだけでもありがたいとのことでした。基地について辺野古について聞いてみました。特に意見はないというのです。生まれた時から基地が存在していて当たり前の光景なので、ということでした。

 この点は、琉球大学の学生の感想文にもありました。基地の存在が当たり前だし、困っている人もいるけど、利益を得ている人もいるのだからいいじゃないかというのです。

 基地の存在、日米同盟の適否、戦争、平和問題の根底を問うのではなく、すでにあるものは仕方がない、それを前提に考えるしかない。「現実」を見れば基地反対、基地をなくすなど無理で、仕方がない、しょうがない、それが現実主義だということでしょうか。

 既成の体制、枠組み、きまりの中で、必死に努力する、偏差値に縛られ疑問は感じないというより感じてはならない、と教え込まれている。自分の生き方を追求し、必要なら枠組み偏差値体制をぶち壊し、別の世界を作る。そうは考えない、考えられなくさせられている。

 そのことに危機感を抱いています。

 辺野古から帰って、午後六時半から、おきなわ住民自治研究所設立準備会主催の第1回「おきなわ平和・環境・人権と自治の教室」で記念講演をしました。沖縄の貧困が主テーマですがもちろん平和、基地問題が根底です。

 私は、沖縄独立論についても話しましたが、お二人から反応がありました。40代の女性からは、賛成だ、他方、70代の方からは、独立論なんてけしからん、とおしかりを受けました。

 沖縄が本土復帰したのは1972年のことでした。「島ぐるみ闘争」はじめ、激しく、必死の運動を支えてきた人々にとっては悲願の達成でしたから、独立論は、自らの運動、存在を否定されることになるのでしょうか。

 お気持ちは、よくわかりますが、平和主義、国民主権、基本的人権の保障を三本柱にした平和憲法のもとに復帰するはずではなかったのか。しかし、憲法改悪が日程に上っている今の日本にとどまっている必要があるのでしょうか。世界中で、民族とは、国とは何かが問われています。相変わらず、安保、基地負担を沖縄の人々に強い続ける、沖縄知事選等何度も示されている沖縄の多くの人々の願いを、自治を否定し、拒絶し、アメリカに追随している、そんな日本国にとどまる必要があるのでしょうか。

 確かに、憲法改悪を阻止し、まともな福祉国家建設の道をこの国に歩ませるのも一つの道ですが、沖縄の進むべき一つの選択肢として「こんな日本」と袂を分かつ、我が道を行くことを日本政府に突き付けるのも一考ではないでしょうか。困難と解決すべき課題は多いのですが、今こそ、冷静にかつ客観的に議論することが必要だと思います。

写真⑥ 元コザ市長・大山朝常さんの著書「沖縄独立宣言」

 元コザ市長であった、大山朝常さんは、1994年に起きた沖縄と日本を揺るがせた少女暴行事件の後、『沖縄独立宣言』(写真⑥ 現代書林1996年)を、沖縄(ウチナーンチュ)そして本土(ヤマトンチュ)の、とりわけ若い世代の人々への「遺書」として発表しました。

 96歳の大山さんは、沖縄の歴史の荒波の中で、「こんなヤマトは、私達沖縄人の祖国ではない」という痛切な思いを胸の奥深く沈静させてきたのですが、「未来につながるもの―それはウチナーンチュが本来のウチナーンチュらしく生きていける沖縄、『ウチナー世』を取り戻すことです。それは、まぎれもなく独立国家・沖縄の再現です。」と訴えたのです。

 琉球王国・沖縄の歴史と現実態を学び、憲法の歴史観、国際的、人類的視点を貫き、恐怖と欠乏(すなわち戦争・テロと飢餓・貧困)から免れ自由に生きる権利、すなわち平和的生存権を構築していくことが大事だと痛感した旅でした。琉球王国に学ぶべきは、軍事力ではなく、政治力・外交力こそが未来を拓くということでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年頭のご挨拶 

We  shall  overcome われらは打ち勝つ  

非核の政府を求める石川の会

代表世話人  五十嵐正博

 

 皆様お元気で新年をお迎えのことと思います。連日の奮闘に敬意を表します。

沖縄と「蛍の光」

 私が本欄を担当するのは今回で3度目、なんといずれも安倍政権下の新年です。安倍政権にとって、憲法などどこ吹く風。この間に、「戦争をする国づくり」が強権的に、「なし崩し・やりたい放題」に進められてきました。世界を見渡しても、右傾化、排外主義、格差・貧困の広がり、トランプ「凶暴」政権の誕生など、懸念材料に満ちあふれています。

 私たちを取り巻く状況は何も変わっていませんが、深刻さはより増しています。

 大晦日、NHK紅白歌合戦のフィナーレを見ました。「蛍の光」が歌われるのを確かめるために。われながら無知を恥じることがあったからです。

 高江での連日の大弾圧、機動隊員による「土人」発言など怒り心頭でした。私が落ち込んだのは、『沖縄タイムス』「論壇」への投稿の一文でした。「明治時代の文部省唱歌『蛍の光』の四節に、沖縄は『皇土』ではないという認識が歌詞に表れているのを知っての上か、年末の紅白歌合戦では今でも幕閉めで大合唱される。私は、明治の国定教科書に、沖縄の『土人』という記事があることを確認した記憶もある。」と。私は「蛍の光四番」を知らなかったのです。「蛍の光」成立の経緯など考えたこともありませんでした。

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 『琉球新報』のコラム「金口木舌」に「歌われない『蛍の光』四番」(2014年12月26日)をみつけました。「大みそかの風物詩、NHK紅白歌合戦は『蛍の光』の合唱で幕を下ろす。その歌詞に沖縄が登場する。・・・〈千島の奥も沖縄も 八洲(やしま)のうちの守りなり 至らんくにに いさおしく つとめよわがせ つつがなく〉。『八洲』は日本の古称。沖縄を国防の要衝と位置付ける国家の意思が垣間見える。男はお国に尽くせと鼓舞する歌だ。小学校唱歌として詞ができたのは1881(明治14)年。2年前に琉球併合があり、6年前には千島列島が日本領土になった。植民地化した帝国日本の版図を示す意図があったと、『蛍の光』研究者の中西光雄さんは著書で指摘する。・・・」

「日米同盟のさらなる強化・深化」「共通の価値観」

 いつのころからか、「同盟の強化・深化」といった決まり文句が、首相談話や会見などで定着した感があります。「同盟」は当然に「軍事同盟」のこと。日米安保体制を初めて「同盟」と規定したのは、1981年5月の日米共同声明(鈴木・レーガン)においてでした。「日米両国間の同盟関係は、民主主義及び自由という両国が共有する価値の上に築かれていることを認め、・・・」とあります。「共有する価値」にも言及されています。この「同盟」に軍事的意味合いがあるのか否かについて、鈴木善幸首相と園田直外相の意見が分かれ、やがて軍事的意味があると主張した外相が辞任するまでになりました。当時の世論はまだ憲法九条違反の「同盟」に敏感であり、政府も慎重にならざるを得なかったのでした。現在、そうしたタガは完全に外れてしまったようです。

 2015年4月に合意された日米新ガイドラインについて、防衛省は「この新『指針』下で、日米両国は同盟の抑止力・対処力を一層強化していきます。」とし、なんと、「同盟」の文言が20回以上出てきます。新ガイドラインが扱うのは「自衛隊と米軍との協力強化」が中心ですが、安倍首相が思い描く「同盟の強化・深化」はそれにとどまらないでしょう。

 米側が、日本に高い兵器を押し付け、「思いやり予算」の増額、新基地の早期建設、はては「もっと血を流せ」と迫るのに対して(トランプ政権のやりそうなこと)、日本が「御意、仰せのままに」ということなのです。交渉の中身は一切「秘密」。こうして「従属の果てしない深化」が進行します。にもかかわらず、マスコミは「大本営発表」を垂れ流すだけ。昨年末、安倍首相は真珠湾で日米は「明日を拓く希望の同盟」といいました。

 「希望」と「(軍事)同盟」がどう結び付くのか。希望は「平和な世界をつくる」ことではなく、軍事同盟の強化・深化だといいたいのでしょう。ここでも「戦争」を「平和」といいくるめる言葉のごまかしがあります。

 安倍首相が「民主主義、人権の尊重、法の支配、という共通の価値観」というとき、「恥を知れ」といってやりたくなりますが、本人は恥ずかしくないのでしょう。菅官房長官が、「この国は法治国家です」と冷ややかにいうときも。沖縄県民の民意を無視し、切り捨て、弾圧するのが「民主主義、人権の尊重、法の支配」。「差別発言」「非暴力の人々を暴力的に排除・拘束する」のも「人権の尊重」。アメリカの恫喝・傲慢・尊大・不遜・横暴・高慢・居直り。「トモダチ作戦」というごまかし。日米政府は確かに「共通の価値観」をもっているようです。

「アベ政治を許さない」から「われらは打ち勝つ」へ

 「沖縄はいまだに植民地か」、とウチナーンチュの怒りは収まりません。ヤマトはいつまでウチナーンチュに「不屈」を強いるのか。「諦めない」「負けない」といわせ続けるのか。四番を隠したままで「蛍の光」を歌い続けるのか。福島の人々に「花は咲く」を聞かせ続けるのか。

 辺野古・高江ではWe shall overcomeが歌われます。「わたしたちはこの理不尽・不条理に打ち勝つのだ」と。

・・・・・・・・・・・

 昨年末、日本政府は、国連総会において、核兵器の廃絶を願う被爆者、多くの市民の期待を足蹴にするかのように、「核兵器禁止条約交渉開始決議」に反対票を投じました。菅官房長官は、反対の理由を「核兵器国と非核兵器国の亀裂を深め、核兵器のない世界の実現が遠のく」と、まるで「核兵器廃絶」推進国が悪いような言いぶりで国際社会の顰蹙(ひんしゅく)をかいました。

 その四日後の真珠湾、安倍首相は「核兵器」について一言も発せず、オバマ大統領は、日米の「核兵器拡散の減速」の連携に言及しました。「非核兵器国」の手に核兵器を持たせないことが主眼、核兵器の削減・廃絶とは無縁の声明でした。これがオバマの本心です。

 私たち市民が主体的に、この国の暴虐・狂気を打ち破り、非立憲・非民主・反自由の政治を終わらせて、私たちの手に「個人の尊厳と自由」が擁護される日本国憲法を取り戻しましょう。戦争法制を廃止させましょう。

 「アベ政治を許さない」から「われらは打ち勝つ」へと舵を切りましょう。

 私たちは、やっとSEALDsや多くの市民団体の働きかけで、野党共闘を実現させるところまでこぎつけました。選挙がすべてではなく、なにより日常的なつながり、信頼関係の構築があって、初めて「われらは打ち勝つ」ことができるでしょう。「オールジャパン」で立憲主義の回復、憲法を私たちの手に!

◎編集部注…古事記における『八洲』とは本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡のことで沖縄は含まれない。沖縄が〝八洲の守り〟のための要衝ならば、『皇土』扱いされていないことになる。

 8月2日~4日、広島市内で原水爆禁止2016年世界大会・国際会議が開催されました。4日の閉会総会で採択された「国際会議宣言」を以下に紹介します。

 

原水爆禁止2016年世界大会・国際会議宣言

 71年前、アメリカは広島と長崎に原子爆弾を投下し、人類に対してはじめて核兵器を使用した。二つの原爆は、莫大な破壊力と放射線によって、都市を焼きつくし、その年のうちに21万人の市民の命を奪った。それは、この世の地獄であった。生き残った被爆者も長年にわたって、後遺症や差別などに苦しめられてきた。このような非人道的な兵器は、いかなる状況のもとでも、再び使用されてはならない。
 しかし、核保有国はいまだ1万5000発をこえる核弾頭を持ち続けている。少なくない核兵器が使用態勢下にあり、地域的な緊張激化による核戦争の懸念もある。現存する核兵器の数%が使用されただけでも、重大な気候変動が起き、人類が滅亡の危機にさらされるとの研究もある。核兵器の使用を防止する最大の保証はその廃絶であり、それは人類の生存にかかわる緊急課題である。
 国際の法と正義は、大量殺戮兵器を非合法としてきた。生物兵器や化学兵器が国際条約で禁止されたように、核兵器も違法なものとして、ただちに禁止されなければならない。

 いま「核兵器のない世界」への扉を開こうとする新たな動きがうまれている。核兵器を禁止し、廃絶する条約についての実質的な議論が、国連ではじまったのである。
第70回国連総会は、核兵器禁止条約の交渉開始をもとめる決議を多数で採択するとともに、「核兵器のない世界」を実現するための「具体的で効果的な法的措置」を議論する作業部会(OEWG)の設置を、7割をこえる加盟国の賛成で決定した。作業部会は、核兵器禁止条約の内容や2017年の条約交渉の会議開催なども提案される画期的な会議となった。我々は、作業部会が今秋の国連総会に対して、核兵器禁止・廃絶の条約の交渉開始をふくむ具体的な勧告を行うことを要請する。
 こうした発展をうみ出した根本的な力は、核兵器の非人道性、残虐性を訴えつづけてきた被爆者を先頭とする世界の反核平和の運動である。国際政治の場での被爆者の訴えは、大きな反響を呼んだ。世界の反核平和運動が結集した2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議を契機に、核兵器を禁止する法的拘束力のある措置を求める流れがいっそう大きく広がってきた。
 今秋の国連総会では、作業部会の報告をうけた議論がおこなわれる。核兵器を条約で禁止し、廃絶することは、長年にわたる原水爆禁止世界大会の要求である。その実現にむけ、いまこそ圧倒的な世論を創りださなければならない。

 米露英仏中の核保有五大国は共同して、この流れに敵対している。核保有国とこれに追随する同盟国の姿勢が、「核兵器のない世界」へのもっとも大きな障害であることが鮮明になっている。
 作業部会をボイコットした核保有五大国や、その代弁者となった日本など同盟国は、核兵器廃絶にただちに踏み出すことに反対し、「ステップ・バイ・ステップ(一歩、一歩)のアプローチこそ唯一の実際的な道」などと主張している。この「アプローチ」が、核軍備縮小撤廃にむけて、まともな「一歩」を踏み出せていないことは、歴史的な事実であり、核兵器廃絶を未来永劫に先送りする立場に他ならない。
 核兵器の非人道性の議論におされた核保有国は「安全保障の側面も考慮すべき」などといって、「核抑止力」論にしがみついている。だがその本質は、「国益」を守るために、他国への核兵器の使用や威嚇を認める危険きわまりないものである。しかも、「自衛」の名による核拡散を誘発し、平和への脅威を拡大してきた。
こうした核保有国の道理のない姿勢を打ち破ってこそ、「核兵器のない世界」への扉をひらくことができる。

 今日の最大の焦点は、核兵器を禁止し、廃絶するための条約にある。その交渉開始と締結を求める世論と運動を強めることに全力をつくさなければならない。核兵器の先制不使用と使用禁止、核実験禁止、核兵器の開発・更新・近代化の中止、核兵器削減なども重要である。これらの措置の実現は、核兵器禁止の合意を求める世論と運動の発展とあいまってこそ、いっそう効果的なものとなる。
 非核兵器地帯は、地域の平和と安全にとっても重要な貢献となっており、その拡大、強化が求められる。NPT再検討会議の合意である中東の非核地帯化をめざす国際会議をすみやかに開催すべきである。北朝鮮の核問題は、六カ国協議の再開をふくめ、外交的に解決されなければならない。
 国連憲章の平和的原則と国際法にもとづき、武力の行使とその威嚇を抑え、地域の紛争や係争案件を平和的に解決することは、「核兵器のない世界」へ前進するうえでも重要である。無差別殺戮を行うテロリズムは、国際社会が一致して非軍事的な手段によって追いつめ、根絶しなければならない。核兵器拡散を防ぐためにも、核兵器禁止・廃絶の合意が急がれる。
 核戦力の維持・開発をふくむ軍事費の大幅な削減による国民のための予算創出、貧困と格差の解消、国民の生活と福祉の向上、人権と民主主義の擁護は、「平和で公正な世界」にとって欠かせない。

 日本政府は、被爆国にふさわしい役割が求められているにもかかわらず、国際的には、核兵器禁止条約の交渉開始に反対し、核保有国の代弁者の役割をはたしている。国内では、被爆体験に根差した憲法の平和原則を踏みにじって、戦争法=安保法制制定を強行し、海外での戦争に参加する態勢を強化しつつある。そして、アメリカの「核抑止力」に依存して、核兵器の使用さえも認める立場をとっている。これらの根底にあるのは、日米軍事同盟を絶対視する政治である。
 これにたいして広範な国民が、戦争法廃止と立憲主義の回復を求めてたちあがっている。それを背景に、7月の参議院選挙では統一候補の擁立など野党共闘も発展した。沖縄では、米軍新基地建設に反対する統一候補が与党の閣僚議員を破るという結果が示された。日本の反核平和運動は、このたたかいの一翼をになって奮闘してきた。原水爆禁止2016年世界大会-国際会議は、憲法を守り生かし、非核平和の日本をもとめる運動に連帯を表明する。

 核兵器のない平和で公正な未来をひらく最大の力は、諸国民の世論と運動の発展である。我々は、以下の行動をよびかける。
―世界で数億の署名を目標にした「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」をはじめ、核兵器を禁止し、廃絶する条約の交渉開始を求める世論を発展させよう。そのためにも、広島・長崎の被爆の実相の普及、被爆者の証言活動を国際的に推進する。国連総会、国連核兵器廃絶デー(9月26日)や国連軍縮週間(10月24日~)などを節目として行動を発展させよう。
―被爆者への援護・連帯をすすめ、国家補償を実現しよう。核実験や原発事故被害者の救済を求め、福島第一原発事故の被災者への支援を強めよう。原発ゼロを求める運動との連帯を発展させよう。枯葉剤、劣化ウラン弾などの戦争被害者を支援しよう。武力紛争やテロの犠牲者を支援しよう。
―反戦・平和、沖縄・グアムはじめ外国軍事基地の縮小・撤去、武器輸出と軍事産業の規制、軍事費削減と生活、雇用、福祉の向上、貧困と格差の解消、気候変動の防止と地球環境の保護、性差別はじめあらゆる差別の克服など、社会的不正義にたちむかい、持続可能な発展をめざすあらゆる運動と連帯しよう。

 被爆者は訴えている―「後世の人びとが生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したい」(「ヒバクシャ国際署名」の「訴え」より)。この切実な願いにこたえ、決意をあらたに「核兵器のない平和で公正な世界」へ前進しよう。

2016年8月4日

原水爆禁止2016年世界大会―国際会議

  年頭のご挨拶

非核と非暴力

非核の政府を求める石川の会

代表世話人 井上英夫

 新年あけましておめでとうございます。金沢は暖冬の影響でしょうか。雪なしの正月を迎えました。

 「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し」。

と啄木は謳いましたが、IS等によるテロ、難民問題を契機に欧米での極右の台頭など、など、人類の未来を暗くする事態が続いています。

 そして、正月には北朝鮮の水爆実験のニュースです。自民党・安倍首相がこれだけ原発再稼働に固執するのは、「核兵器」を持ちたいからだと思わざるを得ませんが、北朝鮮の核は、核抑止力論を強め、戦争法さらに核装備そして徴兵制への格好の口実を与えることになるでしょう。

 本当に、水爆なのか、実験に成功したのか。確証もないまま独裁者・金正恩に踊らされる日本政府に情けない思いをしているのは私だけでしょうか。

 ともあれ、原発廃止と核兵器廃絶は一体のものであることがますますはっきりしてきたと思います。

 核抑止力論と非暴力

 非核の政府、核廃絶への最大の関門は、核・軍事力抑止力論だと思います。

 2010年そして昨年、ニューヨークでのNPT(核拡散防止)条約再検討会議、平和行動に参加しました。その際、セントラルパーク周辺で署名行動にたちました。核廃絶、平和を求める署名への賛同者は必ずしも多くはなく、強い反発すら招きました。私たちに食ってかかってきた人々の主張は戦争防止のため核、軍事力は必要だと言う核抑止力論でした。

 日本でも北朝鮮、IS脅威等を口実とした「抑止力論」はなかなか強固な支持を得ていて、覆すのは簡単ではありません。私は、国レベル以上に一個人のレベルから考えるしかないと思っています。

 戦争の抑止さらには平和のためといいますが、抑止力論は、結局戦争を肯定し、国家と個人による殺人を肯定しているでしょう。

 そこで、「あなたは個人として人を殺しますか、人を殺してよいと思いますか」と問うわけです。すると、そんなことはない、と皆さん否定する。人を殺してはならない。暴力を振るってはならない、と。つまり、抑止力論への一つの対応として非暴力を掲げる。個人の非暴力の延長にこそ国の暴力=戦争・核・兵器=の否定、絶対平和があるということをすべての人々が徹底的に認識することこそ核廃絶への近道なのではないかと感じたわけです。

  戦争から非暴力運動へ―リンカーンからキング牧師へ

 2010年、平和行動の主たる舞台は、リバーサイド教会でした。公民権運動でアメリカを変えたマルティン・ルーサー・キング牧師が、ベトナム反戦演説を行った場所です。キング牧師は、非暴力主義者でした。そして、昨年、私がワシントンで立ったのは、リンカーン記念堂の階段、1963年8月28日、20万人のワシントン大行進の際、キング牧師が、私には夢がある(I have a dream)という公民権運動の有名な演説をした場所でした(写真)。

リンカーン演説会場写真①

リンカーン記念館の演説の場からジョージ・ワシントン記念塔を臨む

  

リンカーン演説会場②

演説「I HAVE A DREAM」の場所であることが刻まれている

 キング牧師は、1968年4月4日、メンフィスで暗殺されました。黒人奴隷を解放したリンカーンも1986年4月14日暗殺されました。二人とも暴力によって命を奪われたわけです。しかし、南北戦争勝利により奴隷解放を成し遂げたリンカーンから非暴力運動で公民権法を勝ち取ったキングへの100年の歩みは、人類の進歩を示したのではないでしょうか。

 暴力・報復の連鎖を断つ―南アフリカとマンデラ大統領

 そして、核廃絶、戦争・テロを無くすためには、暴力と報復の連鎖を断ち切らなければなりません。南アフリカのネルソン・マンデラ前大統領が思い起こされます。2013年12月5日、95歳でなくなりますが、リーダーとして人種差別制度=アパルトヘイトの廃止を勝ち取り、1994年5月10日、新生南アフリカの初代大統領になったわけです。その演説を読んだ時私は、震えるほど感動しました。

 「We are free now. Black and White is together!」、と人々に呼びかけたのです。

 「アパルトヘイトを実施し、これに加担した白人は、土地、財産をとりあげ皆殺しだ」。こうなってもおかしくないのが人類の歴史でした。今でも、人種、民族間紛争で多くの人々が殺されています。

 しかし、マンデラさんは、虐殺・弾圧→権力奪取→報復=虐殺・弾圧という負のスパイラル・循環を断ち切ろう、一緒に国=虹の国=づくりをしようと呼びかけたのです。

 平和的生存権と非暴力

 人類の明日に希望が持てるではありませんか。日本国憲法こそ非暴力主義に立っている。そして、その非暴力主義が南アフリカで現実のものとなっているのですから。

 憲法前文は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、平和的生存権を謳っています。

 ここに、恐怖とは、戦争、テロそして暴力であり、欠乏とは飢餓や貧困です。

キング牧師は、非暴力主義のゆえに同じ黒人(アフリカ系アメリカ人)からも非難を受け、自ら暴力の犠牲となり暗殺されるわけです。マンデラさんは非暴力主義でしたが、アパルトヘイトとの戦いの中で軍事路線を受け入れざるを得なくなります。確かに、非暴力を貫くに余りに厳しい現実かもしれません。

 しかし、ガンジー、キング牧師そしてマンデラと現代における非暴力主義の足跡をたどると人類の将来に明るい展望が開ける気がします。あらためて非暴力主義の歴史を学びさらに発展させる努力を今年から始めたいと思います。

年頭の挨拶・写真

南北戦争から公民権運動まで、黒人の運動は切手にまでなっている。右下、キング牧師

  

リンカーンとともに

4月NY平和行動の折、「人民の、人民による、人民のための政府」の演説のあったピッツバーグでリンカーンと連帯してきました

 

   憲法97条を死守しましょう

  代表世話人 井上英夫

 皆さんは、憲法97条をご存知でしょうか。平和的生存権が危機に瀕し、戦争前夜を思わせる今こそ97条が大事だと思います。

 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの 権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 人権保障は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると明言しています。

 ここでの「努力」は英文憲法ではStruggleで、闘争です。フランス革命、アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本でも第2次大戦前、人権保障の欠落していた明治、大正、昭和の時代にも人権のための闘いがありました。

 自由民権運動はその一つですが、1884四年(明治17年)には、私の故郷秩父で明治政府の正規軍との最大の闘いがありました。秩父事件です。こうした過去幾多の闘いのなかで、最も大きな成果として結実したのが、第2次大戦への深い反省を踏まえての世界人権宣言日本国憲法です。

 憲法は、アメリカ占領軍、マッカーサーにより与えられたなどという卑屈な俗論を憲法自ら否定しているのです。憲法の人類的視点、闘いによってこそ人権・権利は勝ちとれるという闘争史観こそ学ぶべきだと思います。

 ところが、自民党憲法改正草案では、この人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、97条は全文削除です。支配者や政府にとって一番「怖く」、敵視しているのが、この闘争史観だからと思います。

 そして、平和的生存権とは、「恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生きる権利」(憲法前文)です。恐怖とは戦争やテロ・暴力であり、欠乏とは飢餓や貧困です。つまり、憲法前文・9条と25条の生存権は一体となって平和的生存権を保障しているのですが一緒に葬り去られようとしているわけです。

 「戦争に生活保護費を使わないでください。」

 これは、生活保護の老齢加算復活を求める熊本生存権裁判の原告、88歳の西村カシさんが、2015年5月18日の福岡高裁の不当判決に対して上告し、闘う決意を示され時の訴えです。

 何としても、憲法97条を死守しましょう。そして、憲法12条が国民に求めている「不断の努力」により、憲法9条、25条すなわち平和的生存権を保持し、発展させましょう。

◎本稿は会報「非核・いしかわ」第207号(2015年10月20日発行)のトップ記事です。一足早くホームページに紹介します。

 9月19日未明の参議院本会議における安保法案の強行可決に対し、非核の政府を求める石川の会は抗議声明を発表しました。抗議声明は内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣、各政党本部、県選出国会議員、県内報道機関各社に送付しました。抗議声明文を以下に紹介します。

<抗議声明>

「戦争法案」の強行採決を満身の怒りを込めて糾弾する

2015年9月19日

非核の政府を求める石川の会

代表世話人  井上 英夫

代表世話人  五十嵐正博

 日本国憲法9条は、1947年5月3日に施行されて以来、50年8月10日の警察予備隊設置、51年9月8日の(旧)日米安保条約締結に始まる執拗な憲法違反の数々に満身創痍の状態にさらされてきた。それにもかかわらず、平和を愛する多くの国民の声に支えられて、「戦争をする国」になることに敢然として立ちふさがってきたのが9条であった。

 私たちは、2015年9月19日の安倍政権のクーデタと呼ぶべき歴史的な暴挙を決して忘れないだろう。大多数の国民が、「戦争法案」に反対してきたのは、単に「自衛隊員が海外で人殺しをすることになる」からだけではない。それが憲法を壊し、「私が私でなくなる」と直感し、「ふるえた」からだ。「私はアベ政治の意のままにされるのはイヤだ」と「ふるえた」からだ。憲法の解釈を意のままに操る政権は、いとも容易く「徴兵制」を合憲と認めるだろうと「ふるえた」からだ。

 私たちは、今、戦後70年にして、ファシズムと民主主義との闘いの真只中にいる。「戦後レジームからの脱却」という妄想と、祖父の果たせなかった「自主憲法制定」の野望に取りつかれた首相との闘いである。「血の同盟」とまで呼ぶ更なる対米従属政策との闘いである。「私たちが主権者である」「私は私である」ための闘いである。私たちは、全国的に、様々な形で取り組まれた(この点こそが重要である)「戦争法案反対運動」に、そこかしこで一人ひとりから発せられた「その人の声」に、私たちのこの手に民主主義を取り戻そうという強い願いを聞いている。

 私たちは、「決して屈しない」。翁長沖縄県知事にならって言えば、「国民をなめるな!」と更なる大きな声を上げていこう。そして、「不断の努力」により平和憲法を蘇らせ、「私たち一人ひとりが人間らしく生きることができる」社会を作る運動を切り開いていこう。闘いはこれから不断に続くのだ。                                        

(事務局)〒920-0848 金沢市京町28―8 石川民医連労働組合気付

 電話 076-251-0014  Fax 076-251-3930

URL http://hikakuishikawa.com/

 

 

 核戦争を防止する石川医師の会は、2010年から毎年国連・核兵器国際行動デーに呼応して記念講演会や映画会を開催しています。今年9月26日には石川県原爆被災者友の会会長 西本多美子さんを迎えた記念講演会が企画されています。この講演会には国際連合広報センターはじめ、非核の政府を求める石川の会など多くの市民団体、報道機関等が後援しています。「9・26国連・核廃絶デー記念講演会」の案内チラシを紹介します。

9・26 国連 核廃絶デー チラシ

 

 

印刷用案内チラシ(PDF: 843KB)

 

  非核の政府を求める石川の会は、7月15日衆院平和安全法制特別委員会にて「平和安全法制整備法案」及び「国際平和支援法」の強行採決が画策されているため、内閣総理大臣、官房長官、外務大臣、防衛大臣、各政党本部、石川県選出国会議員に対し、本日、標記の抗議文を送りました。以下、当会の抗議文を紹介します。

 

内閣総理大臣 安倍晋三 殿

「違憲」の安保法案 強行採決に強く抗議する

2015年7月13日

       非核の政府を求める石川の会

代表世話人  井上 英夫

   代表世話人  五十嵐正博

 

 安倍政権と自民・公明両党は国民多数の反対を押し切り、7月15日衆院平和安全法制特別委員会にて、「平和安全法制整備法案」及び「国際平和支援法」を強行採決する動きが報道されている。

 「平和安全法制整備法案」は、政府が〝存立危機事態〟と判断すれば米軍支援のための武器使用(武力行使)が可能となる自衛隊法改正等の法案10本を一括したもの。「国際平和支援法」は、自衛隊が〝いつでも〟〝どこでも〟米軍が行う武力行使を支援する海外派兵法である。この二つの法案は、歴代の自民党政府が「違憲」としてきた集団的自衛権の行使を、昨年7月1日に安倍政権が容認した閣議決定を立法化したもので、海外での武力行使に道を開く明らかな「違憲立法」である。

 安保法案は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう」にと、「戦争の放棄」「戦力の不保持」を誓った日本国憲法を改正手続によらずに法律によって実質的に改変し、「武力を行使する国」、「海外で戦争をする国」へと国の在り方を根本的に変えてしまうものである。このような政治手法は、国家権力を統制する立憲主義と国民主権に反するものであり、断じて容認できない。

 6月4日の衆院憲法審査会で与党推薦を含むすべての参考人が安保法案は「違憲」と批判し、歴代内閣法制局長官も相次いで「違憲」との見解を表明している。同法案をめぐる全国各紙の世論調査では、「違憲」の回答がいずれも6割近くに達し、今国会での成立「反対」は8割以上(時事通信/6月)に達している。同法案は衆議院での国会審議を通じて、また全国各地での運動の広がりにより、反対世論は日増しに高まっている。

 戦後・被爆70年の節目の年 私たちは、国の安全保障に関わる重大法案を国会での十分な審議なしに数の力で押し通そうとする安倍政権に強く抗議するとともに、広範な人々と連帯し、「違憲」の安保法案の成立を阻止する運動に全力を挙げることを表明する。

                                         

(事務局)〒920-0848 金沢市京町28―8 石川民医連労働組合気付

電話076-251-0014  Fax 076-251-3930

URL http://hikakuishikawa.com/

 

(注)標記の抗議文は下記のところに郵送しました。

・内閣総理大臣 安倍晋三
・内閣官房長官 菅 義偉
・外務大臣   岸田文雄
・防衛大臣   中谷 元
・自民党本部
・公明党本部
・維新の会本部
・日本共産党本部
・社民党本部

・石川県選出国会議員
・県内報道各社

 2012年度から4年連続実施となる「平和事業に関する自治体アンケート」の集約結果がまとまりましたので報告します。

 今年の平和事業アンケートは次の4項目です。

(1)戦後・被爆70年の平和事業と予算額

(2)広報やホームページ、公立図書館等の平和事業

(3)平和首長会議加盟自治体には「2020ビジョン」の取り組み

(4)平和首長会議未加盟自治体には加盟についての検討状況

*2015年度平和事業に関する自治体アンケート集約結果(PDF:143KB)

アンケートの集約結果とコメントは以下の通りです。

(1)平和事業で特筆されるのは、戦後70年を期して白山市が平和首長会議に加盟し、長崎原爆資料館から被災資料  をお借りして「長崎 戦争・原爆被災展」を計画していることです。また被爆70年記念として中能登町が「非核・平和宣言の町」の標柱を新設し、志賀町が「平和宣言塔」の改修工事を実施しています。このため当会で把握している非核・平和宣言塔や記念碑のある自治体一覧も記載しました。県内では全自治体が「非核・平和都市宣言」をしています。非核宣言していることを広く住民に告知するため、すべての自治体が「非核・平和宣言塔」を設置されることを要望します。

(2)広報やホームページ等による平和事業の記載はほとんどなく、「学校での平和教育、中学生の修学旅行で広島原爆ドーム視察」「8月6日、小学校の全校登校日に平和集会を行う」等の記載が数か所ありました。広島への修学旅行や8月6日乃至9日を全校登校日にしている自治体はもっとあると思われるので、次年度からは教育委員会にも照会することにします。

(3)平和首長会議は、2020年までに核兵器廃絶を目指す行動指針「2020年ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」を策定し、世界の都市、市民、NGO等と連帯しながら、核兵器廃絶に向けた様々な活動を展開しています。2015年NPT再検討会議では「核兵器禁止条約」の交渉開始等を求める市民署名を200万筆集めて国連に提出し、各国政府代表団に要請しました。県内自治体の「2020ビジョン」の取り組みは、署名活動は4か所、2015年NPT要請行動は皆無のため集計項目から除き、原爆写真パネル展を開催(又は会場提供)している9自治体を掲載しました。核兵器の非人道性、被爆の実相を次の世代に伝える原爆写真パネル展を自治体と住民団体の連携により、すべての市町で開催されるよう要望します。

(4)平和首長会議には2015年6月1日現在、国内では全市区町の89.7%にあたる1,561都市が加盟しています。2013年8月広島で開かれた第8回平和市長会議総会では、名称を「平和首長会議」と変更し、すべての自治体首長の加盟を呼びかけています。県内の未加盟自治体(11か所)からの回答は、白山市の「加盟予定」1か所、「検討中」3か所、「加盟の予定はない」4か所、「未回答(未記入)」が2か所です。未加盟自治体には速やかな“前向きな検討”を切望するとともに、主体的な平和事業の展開を要望します。

以上

 NPTニューヨーク平和行動-平和と人権の旅

代表世話人 井上  英夫

 今年、広島・長崎被爆70年を迎えます。そして、福島原発爆発から4年がたちました。

 日本も世界も大きな転換点を迎えています。とりわけ、集団的自衛権行使、そして憲法改悪により軍事国家への道を突き進む安部政権下の日本では、第二次大戦後の1950年代の朝鮮戦争・再軍備時代に匹敵するような危機的状態を迎えていると言えるでしょう。

 その意味で、今回のニュ-ヨ-ク平和行動の意味は非常におおきなものがありました。

 被爆70年の4月27日から開始された国連のNPT(核不拡散条約)再検討会議にむけた平和行動に非核の政府を求める石川の会、そして原水協石川県代表団として参加してきました。

 石川の皆さんの平和に対する熱い思いを背に、NYを中心とする、署名行動、パレ-ド、各種集会参加等活動してきました。皆さんのカンパをはじめとするご協力・ご支援に感謝いたします。

 ニュ-ヨ-ク平和行動の目的

 NPT・核不拡散条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)とは、米国、ロシア、英国、フランス、中国の5カ国だけに核兵器保有を認め、それ以外の国への核拡散を防ぐことを目指した条約です。70年に発効。約190カ国が加盟している。事実上の核保有国であるインドパキスタンイスラエルは未加盟で、北朝鮮は一方的に脱退を宣言しました。5年ごとに運用状況を確認する再検討会議があり、前回2010年は核廃絶に向けた行動計画を盛り込んだ最終文書を、全会一致で採択しました。

 2010年の行動にも参加しました。原水協等主催の国際平和会議に出席した潘基文国連事務総長が演説し、核不拡散、核兵器削減から一歩を進め、「核廃絶」を明言したこと、その演説を世界の人々と聞き、震えるほど感動したこと、さらに、被爆国日本の平和運動への各国の期待が想像以上に大きかったことに身の引き締まる思いがしたことなどを思い出しながらの13時間のフライトでした。

 今回、第9回の再検討会議の目的は、2010年の核廃絶に向けた合意の具体化と実行に踏みだすことです。したがって、NNY平和行動の目的は世界の人々と連帯し、法的拘束力を持つ核廃絶措置すなわち核兵器全面禁止・廃絶条約のための交渉を開始するよう、国連及び各国政府にプレッシャ-をかけることでした。

 

 署名行動と平和パレ-ド

 日本の代表団は、多様な活動を展開しました。石川の皆さんと一緒に行動できたのは、セントラル・パ-クでの署名行動と平和パレ-ド参加でした。

 4月26日午前中、NYは快晴でした。新緑と桜、アメリカはなみずき(何故かdog woodというそうです)、豆梨の花等咲乱れるセントラルパ-ク入り口で署名行動を展開しました。さすが、活動で鍛えられている皆さん、なかなか上手で、前回を上回る数の署名が得られました。写真1。

 NY行動 1

写真1 通り過ぎる人にも、めげずに署名を呼び掛ける

 午後から、NY国連前のハマ-ショルド広場に向けてパレ-ドです。石川の代表団も横断幕を掲げ、和服で行進しました。写真2。前回に比べ日本代表団は和服そして仮装や横断幕等楽しく工夫を凝らしているのが目立ちました。

 NY行動 2

 写真2. 和服で行進する石川県代表団

   パレ-ドには、1万人が参加したそうですが、日本代表団の活躍が目立ちました。行進は、2時間以上、集会を含めると4時間近い強行軍でしたが、乳母車から、高齢の方まで歩き通し、アメリカはもちろんフランス、韓国、中国等各国の人々と交流できました。行進は、歌を歌い、楽器もならし、シュプレヒコ-ルもあり、にぎやかなものでしたが、泣く子も黙るNY市警の「警護」(監視)のもとに整然と行われました。ここでも5年前と違うのは、銃を持ち、手錠を二つぶら下げた警察官が意外と友好的な笑顔を投げかけてくれたことでした。写真3.

 NY行動 3

写真3 折鶴を喜ぶNY市警のお巡りさん

 行進の最終地点は、国連前のハマ-ショルド広場でした。ここで、国連代表に日本からの約633万の署名を積み上げ届けました。写真4。

NY行動 4

 写真4. 国連代表に提出した633万筆のアピール署名

 日本の運動が、世界の平和運動に大きな貢献をしているという実感が持てた瞬間でした。ただ、残念なのは、年々パレ-ド参加者が減っていることです。あらためて日本からの呼びかけも強める必要があるでしょう。

 

 NPT再検討会議と日本政府

 もう一つ残念なのは、日本政府の態度です。4月28日には、岸田外務大臣が国連本部で会議に出席し演説し、平和首長会議主催のヒロシマ・ナガサキアピール集会にも出席ました。被爆地広島出身の外務大臣として,被爆地の思いを胸に「核兵器のない世界」に向けた取組を前進させる決意を述べたそうです。しかし、その提案は、 「核戦力の透明性の確保」というような抽象的なもので、何より、核兵器全面禁止条約を含む法的枠組みの必要性については言及すらしていません。

 4月29日には、安倍首相は、日本の首相として初めてアメリカ合衆国連邦議会の上下両院合同会議で演説を行っっています。国連よりも、「同盟国」アメリカに頭を下げ、こびへつらいに行ったということでしょう。

  情けない、ほこりも何もない。内では、侵略につながる集団的自衛権行使、憲法改悪をねらい、外では「平和」、第二次大戦に対する「痛切な反省」と言葉を使い分ける「二枚舌」内閣であることがますます明白になりました。

 安倍首相の外向けの演説の内容は、憲法前文の趣旨に外れるものではありません。だとするなら、なぜ改憲しなければならないのか。全く解せません。しかし、安倍内閣の「うち向け」が本質であることは、NYで外から見てはっきりわかりました。

 平和の運動を一層強めてこの安倍内閣を打破しましょう。

 憲法97条と人権

 平和行動で考え続けたのは、平和と人権のことでした。平和でなければ人権が保障されない。すべての人にあまねく人権が保障されてこそ真の平和である。これこそ積極的平和のほんとうの意味なのです。

 人権保障の運動は、まさに、平和運動です。私達は、国連NGO日本高齢期運動サポ-トセンタ-として国連に高齢者人権条約制定の要請にも行きました。また、アメリカ独立宣言の起草されたフィラデルフィアの独立記念館そして南北戦争の最激戦地ゲティスバ-グで、奴隷解放をしたリンカ-ン大統領の有名な「人民の、人民による、人民のための政府」演説の場所にも立ちました。そして、9.11メモリアルパ-クにも。

 痛感したのは、戦争そして核兵器廃絶の途も個人から国家までの「非暴力」の徹底しかないということでした。そして、憲法の保障する人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggle-闘い)の成果」であるとする、憲法97条の歴史観のすごさと大切さでした。

 自民党憲法草案では、全文削除となっていることを改めて想起せざるにはいられません。

NY平和行動を契機に「平和と人権のための闘い」を一層強力に続けましょう。

 

   被害者と加害者

 日本に帰って、5月14日、再検討会議の最終文書案から、日本の提案を反映し世界の指導者、軍縮専門家、若者に広島・長崎訪問、被爆者の証言を聞くように呼びかけた提案が、中国等の反対により削除されたというニュ-スが流れました。

 中国の傅聡軍縮大使は、記者団に対し「日本政府が、日本を第2次世界大戦の加害者でなく、被害者として描こうとしていることに私たちは同意できない」と述べたということです。

 日中関係がどうあれ、核廃絶という人類的課題にとって被爆地訪問は当然のことであり、中国の態度は間違っていると思います。したがって当然提案は復活されるべきでしょう。

 他方、中国の主張、日本が加害者であり、中国・朝鮮等アジアの国々を侵略したという歴史的事実にも目を向けるべきでしょう。南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)、ハルピンの日本軍731部隊博物館(侵華日軍731部隊罪証陳列館)を訪問し、そして日本軍慰安婦とされたオモニへの聞き取りをしてきた私にとって、日本軍の侵略と残虐行為すなわち日本が加害者であったことは紛れもない事実と言わざるを得ないのです。

 さらに、この問題を考える場合、国と国民の関係もしっかり考えなければなりません。加害者というとき最大の加害責任は政府・国が負うべきです。憲法の前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と言っているように、戦争は政府の行為によって引き起こされるのですから。そして被害者はいつでも国民であり庶民なのですから。

 この意味でも各国指導者とくに中国の指導者に被爆地訪問を求めると同時に日本政府・安倍首相は日本の侵略・残虐行為への加害者責任を明確に認め、必要な謝罪・賠償等の措置をとるべきです。

 今こそ、日本政府・安倍首相の態度が問われています。軍事や暴力でなく領土問題はじめ、国際問題を解決するその外交力が問われています。

 これもまた、憲法前文のいうように、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」するために努力してこそ、「国際社会において、名誉ある地位を占め」ることができるでしょう。

 NY平和行動に先立つ、今年2月には長崎平和公園、そして3月初めにはハワイでパ-ルハ-バ-・アリゾナ記念館に行きました。戦争・平和そして人権とりわけ平和的生存権について考えたのですが、残念ながら日本人の姿は少なかったのです。ワイキキビ-チは、日本人で埋め尽くされていたのですが。それにくらべ、中国の人々の姿が目立ちました。長崎では団体客が沢山見られました。

 国と国の間の外交力が大事なのはもちろんですが、国民レベルでの相互交流、親睦による信頼関係の構築こそ核廃絶、平和社会実現への途だと思います。

 

<声明>

核不拡散条約の開会総会への事務総長のメッセージ

(ヤン・エリアソン事務次長が紹介)

2015年4月27日、ニューヨーク国連本部にて

   潘基文事務総長に代わり、この重要なNPT会議出席のすべての代表のみなさんを国連にお迎えできることを名誉とし、事務総長に代わり以下のメッセージをお届けする。

   その前にもうひとつ、事務総長に代わり、国の大きな部分を襲った巨大地震に続く悲しみと人道的苦しみの中にあるネパールの国民と政府のみなさんに、心からの哀悼と弔意を表明する。

   核兵器の廃絶は国連にとって最優先事項である。この世にあれほど残忍な惨害をもたらしうる兵器は他にない。不拡散条約は不拡散体制の土台であり、核兵器のない世界を実現するための不可欠の土台である。

   タウス・フェルーキ大使の会議議長への指名に祝意をおくる。それは困難で骨の折れる役割である。だが私は、フェルーキ大使が加盟各国の協力のもとに成功裏に結果を出すことができると確信している。私たちのだれもが、核兵器のない世界がすべての国に利益をもたらす重要な地球的公共財であることを想起しなければならない。

   この再検討会議は、核不拡散条約がひき続きわれわれの集団的安全保障のなかで中心的役割を持つことを保証するためのものである。NPTの枠組みが、発効50年にあたる2020年には何のためのものになるのか、明確な道筋を示すべきものだ。

   私は加盟各国が条約を強化する結果を生み出すためにこれからの数週間、骨身を削り、建設的に活動するようよびかける。私たちが必要とする結果とは、条約の普遍性を促進し、すべての締約国によるすべての条項の順守を保証し、核兵器拡散の阻止と廃絶の達成というNPTの原則目標を強化するものだ。みなさんが共通の土台をつくり、包摂的な態度をとり、柔軟さを発揮するよう求めたい。

   私はすべての締約国に市民社会グループとの関わりを深めるよう促したい。彼らはNPTの規範を強め、軍縮を促進するうえで重要な役割を果たしている。現在の再検討会議の準備過程でも、2015年NPT再検討会議議長と国連とは、市民社会グループから、この会議の成功と核兵器の廃絶をよびかけるいくつかの要請署名を受理した。

   これらの要請署名は、世界の関心ある市民から何百万もの署名を集めている。これは、われわれが服務する人々の希望と期待とを力強く想起させるものだ。われわれは、何年ものあいだ軍縮を擁護し、かくも多くのことをおこなってきた多くの人々と団体とに感謝する。この事業への彼らの原則的な努力に、私は全面的な支持を誓いたい。

   2010年には、64項目の行動計画での合意と15年の無活動の後におこなわれた1995年中東決議での進展とが再検討会議の成功という結果をもたらした。行動計画は国際的コンセンサスの頂点をなすもので、条約の目標を達成するロードマップを与えるものであった。

   今回の会議では、いかにしていつこの行動計画が履行されるのか、あるいは実際的妥当性を失っていく危険に陥るのか、いまや示さなければならない。そのような進展は、一つひとつの締約国がNPTの相互に強めあう柱の一つひとつのもとにある義務を順守するよう要求している。

   本質的に、NPTとは、一方で核軍備撤廃、もう一方で不拡散という共生的関係によって支えられる大取引なのである。一方の進展なくしてもう一方の進展はあり得ない。両方での進展は誰にとっても利益なのである。

   前回の再検討会議以来、核兵器による危険はなお存在している。拡散の挑戦も、朝鮮民主主義人民共和国に関するものを含め、続いている。

   だが、E3プラス3あるいはP5プラス1とイランとの間で到達した重要な理解は、その種の挑戦を外交で処理することが可能であることを証明した。最終文書は、国際原子力機関によって検証され、不拡散問題での進展を別にしても、深刻な地域の安全保障問題を緩和するうえで役に立つだろう。

   中東非核・非大量破壊地帯は、その種の合意から生じる軍縮と不拡散での前進に加えて、本質的な利益をもたらしうる。

   準備担当者のラーヤバ大使の確固とした努力、そして国際社会の結果への期待にもかかわらずほとんど何の進展も得られなかったことは残念だ。再検討会議は同地域の各国がこの問題に関し、共通のビジョンと共通の目的をもって前進できるような手段の追求に焦点をあてなければならない。

   1990年から2010年までの間、国際社会は核兵器のない世界に向かって大胆な前進を遂げた。配備された軍備で大規模な削減がおこなわれた。いくつかの国では兵器工場を閉鎖し、より透明な核ドクトリンへと印象的な前進をなした。

   私は、この5年、このプロセスが停滞してきたように見えることを深く憂慮している。とくに核兵器ゼロへの流れが逆転していることを示す最近の情勢はとりわけ不安にさせられる。新たな軍備削減合意へと前進するのでなく、現存の合意を危うくするような侵害があるとの申し立てがある。

   包括的核実験禁止条約の発効や核兵器用の分裂物質生産禁止条約ではなく、核兵器を今後何十年にもわたって固定化する巨額の近代化プログラムを目の当たりにしている。私の提唱した5項目提案を含め、核軍備撤廃を加速する提案を追求するのでなく、冷戦心理への危険な回帰が起こっている。

   この逆転はわれわれの世界にとって後退である。私は、各国の指導者に、近視眼的政治姿勢を捨て、人類の必要に応えた大胆でグローバルなビジョンを掲げるよう呼びかけたい。真の国家安全保障は、核脅迫の影の外で、そこから離れたところでのみ達成しうる。この影は現在と未来の世代のために取り除かれるべきである。

   これは、70年前の8月、核攻撃を生き延びた被爆者のメッセージだ。核軍備撤廃の緊急性を疑う者に対して、私は、彼らの体験を聴くよう挑戦したい。これらの勇気ある、不屈の人々の目を直視するよう反論し、核兵器が何をもたらすのかもっとよく知るべきだと言いたい。彼らは、核兵器の恐るべき人道的影響と、核兵器廃絶の緊急の必要性を思い起こさせる生きた証拠としていまこちらに来ている。私はこれらの証言者が参加されていることに感謝し、現在の会議が彼らの警告に耳を傾け、結果を出すよう求める。

   この努力で私は、人道的な検討を軍縮審議の中心に据える有望な流れの広がりに励まされている。この人道的運動は凍りついた討論に道徳的な至上命令を注入した。この至上命令は、再検討会議でも真剣な検討の対象とされるべきである。

   これからの数週間は、核兵器がもたらす危険を除去するために共有する意欲の前進を追求する上で、意欲を掻き立てるときである。これはわれわれの時代の歴史的な至上命令である。みなさんが緊急の意識を持って行動し、すべてにとってより安全な未来を求める世界の人びとがみなさん方に課した責任を果たすよう呼びかける。

 会報「非核・いしかわ」150号から200号までの「合本」を作成した際に、当時のリソグラフ印刷による文字や写真の不鮮明さが懸念されました。

 特に152号から156号まで連載した『対談 狂気の時代-再びそれを繰り返さないために』が、5回の連載記事で読みにくかったため、ホームページに再掲することにしました。

 「戦争をする国づくり」をめざす安倍政権による戦争法制の動きに抗するため、『対談 狂気の時代-再びそれを繰り返さないために』が多くの方に読み継がれることを期待しています。 

 

対 談   狂気の時代-- 再びそれを繰り返さないために 

      

 開  催 金沢市黒田町 れとろぎゃらりぃ柳心庵にて(2010年6月7日) 

出席者 莇 昭三:城北病院名誉院長 

    一塚 保:れとろぎゃらりぃ柳心庵 代表

司会者 永山孝一:金沢建築とまちづくり研究所会長 

 

永山  莇先生はいしかわ自治研のニュースを毎号熟読してくださっているとのことですが、そのなかで一塚さんが書かれた第二次世界大戦時のドイツについての話に特に興味をひかれ、是非ともお話をしてみたいとのことで、今日の対談が実現しました。 

莇  記事を読んだとき、20世紀の日本とドイツのファシズムの起こり方についての考え方が、加藤周一の発想とそっくりだと思いました。石川県にもこうした考え方をされる方がいるのだと感心しました。 

一塚  第一次~第二次大戦前後のドイツ現代史、特にナチスドイツの戦争犯罪に関心を持つようになったのは、学生時代に著名な心理学者フランクル博士の「夜と霧」を読んでからです。自らナチスの迫害を受け、絶滅収容所でかろうじて生きのびた人ですから。彼の心理分析には体験者ならではの鬼気迫る説得力があります。 

莇  日本医学会の第28回総会が明年4月にあって、そのときに問題を提起しようと今準備をしているのですが、メインのシンポジウムで第二次世界大戦後の「戦争と医療についての反省」の問題に関して、日本とドイツの医学界の比較検討を取り上げることになりました。

 ドイツ医学会はニュルンベルク裁判を受けて、戦争責任について真摯に自己批判をしています。それに比べると日本の医学界は自己批判していない。ドイツも必ずしもストレートにナチを批判しているのではなく、動揺している面もありますが。 

一塚  かなり複雑な要素がありますね。ヒトラーは1933年に政権掌握、1945年には自殺したので、その政権はわずか12年間だけでした。その間にすさまじい政治軍事パワーを集中して、あのような物凄いことを次々とやってのけたわけです。だから、ドイツ自身も周辺の国々もいまだに、その悪魔的な所業にトラウマを持ち続けているといえます。

 日本も同様、今でこそ「軟弱」な国ですが、明治以降の断続的に続いた日本のすさまじい対外軍事膨張が周辺諸国にとってはいまだにトラウマになっているようです。

 「加害者」の日独両国民自身はそういう歴史認識は希薄になりがちですが、「被害者」の周辺諸国には今なお潜在的にせよ、恐怖感や警戒心は根強く残っているようです。たとえば、ポーランドは独ソ両国の侵攻・分割、カチンの森の虐殺やアウシュビッツなど多くの血なまぐさい歴史の舞台となり、大国の非情さ、酷薄さ、裏切りをいやというほど味わってきました。

 ところで、アウシュビッツ収容所といえば、ヨゼフ・メンゲレというナチス親衛隊将校でアウシュビッツの主任医官がユダヤ人をモルモットのように扱い、残虐でちゃくちゃな人体実験を繰り返したことでも知られています。絶滅収容所の親衛隊医官というのは病気を診るというよりも、到着したユダヤ人の中からガス室送りにする者たちの選抜、またそれらガス殺したユダヤ人の死体を焼く作業人員の選抜もやっていました。医師というより組織的な大量殺人(ジェノサイド)の執行者といえます。ナチスの蛮行はアウシュビッツのほかにもさまざまな形態を伴い、無数の事例があります。たとえば、独ソ戦初期で一度に何十万というソ連軍兵士が捕虜となり、ナチスは独特の人種観からソ連兵には捕虜待遇を規定した国際協定を適用しませんでした。非情な虐待行為が日常的、継続的且つ大規模に行われ、多数のソ連兵捕虜は寒さ、飢餓、疫病、強制労働、見せしめ処刑などで虫けらのようにバタバタ斃れてゆきました。最終的に生き残った者は10分の1にも満たなかったでしょう。ですから、ナチスの蛮行は決して、ユダヤ人の強制収容所だけではなかったのです。

 ナチスの狂気の人種観によると、ユダヤ人が最底辺でその上に黒人、スラブ系、ラテン系、北欧系と、「人種の優劣」がピラミッド状に規定されており、「最優秀のアーリア人」つまりドイツ民族が唯一の支配民族とされていました。それゆえに、上記のそれぞれの範疇の人々の取り扱いは「人種の優劣」度に応じて、それなりの差がありました。

 莇  あなたの文書のなかで、日本は「上からのファシズム」と書かれています。ドイツは「下からのファシズム」。ここのところが印象に残りましたが。

一塚  ヒトラーはオーストリアの下層中産階級の出身、第一次大戦に従軍した一介の伍長から、後に激烈な大衆運動を展開して全ドイツの支配者になりました。

 それとは対照に、日本では軍部、上層支配階級が独占資本と結びつき、絶対天皇制を利用して上から国民に網をかぶせる形でファシズムを形成したと私は捉えています。

 ドイツではワイマール共和国時代にナチに類似した群小のさまざまな国粋主義政党があったのですが、ヒトラーがそれらを収斂してナチス党の大衆運動一本に組み替えていったのです。

莇  ヒットラーはアーリア民族が唯一の民族だと叫んで1932年に選挙で政権をにぎってゆく、つまり下からのファシズムですが、日本の場合は時の政権そのものがファシズム化して国民全体を巻き込んでいった上からのファシズム、その両国の違いが、日本とドイツの国民性の違いとどうかかわっているのですか。

一塚  日本では15年戦争の一連の戦争事実を全て一纏めにして、「当時は天皇陛下の命令は絶対だったから、個人としてはどうにも仕方がなかった」という言い分が共通認識になっているようです。戦争を経験した大方の人々からすれば、これは間違いなく事実であったのです。

 しかしドイツではオーストリアを併合した時のヒトラーの有名な街頭パレード写真に見られるように、かなり多くの国民がナチスを熱狂的に支持した時期がありました。これはナチスが巧妙なプロパガンダを駆使して国民を集団催眠にかけたことにもよるのですが、それだけでは到底説明がつきません。

 当時、ワイマール共和国下で第一次大戦敗北による莫大な弁償金を科せられ、また世界同時不況による天文学的インフレと重なってドイツ人の生活は疲弊し、失業者が街に溢れていました。

 ナチスはこれらを巧妙に政治的に利用し、すべての悪の根源としてユダヤ人をスケープゴートに仕立てるとともに、旧戦勝国への報復感情を煽り、一方ではアウトバーンの建設などの公共事業で失業者を一掃しました。社会底辺~中産階級の生活安定化で大衆を取り込み、急激な再軍備で軍部や独占資本を喜ばせ、「ドイツ民族の誇りと自信を取り戻す」プロパガンダは、ヒトラーの天才的な演出により、人々の心を虜にしてしまったのです。

 一方、日本でも狂信的な国粋主義に取り憑かれた人々は少なからずいたのですが、彼らの組織運動についてはナチス党のように社会下部から自立的に盛り上ってきた場合は、絶対主義的な支配階級の象徴である「官」からは警戒され、時には排除され、つまり「官」を無視しての運動は成り立たなかったと思います。当時流行の「ハイカラな」ナチス運動の影響で「草の根の大衆運動」をいくら装っていても、常時「官」からの監視と誘導があったと私は見ています。

 日本では昭和以前の設立のものも含めて、さまざまな官製ファッショ組織がありましたが、常に「官」にコントロールされ、監視され、上からの命令で動くが、下層の構成員の庶民は受動的であった「大衆運動組織」がほとんどであったと思います。これが日本的ファッショ運動の特徴ではなかったでしょうか。

莇  そうするとあなたの考え方では、日本のファシズムはどういうものになりますか。 

一塚  男なら軍隊で仕込まれて一丁前、という明治時代からの素朴な愛国心、それとなにせ国の命令に逆らうことが絶対不可能な時代でしたからね。

 いったん赤紙が来れば、大方は兵隊に行かなければならぬと覚悟したのでしょうが、一方たとえば醤油を飲んでまで徴兵忌避したという話があるように、いやいや行った人も多かったと思います。人に言えなかっただけでね。勇ましい当局の軍国主義キャンペーンの割には、現実は戦場で国のために身を投げ出したいと本心から願っていた人はそれほど多くはなかったのではないでしょうか、建前・表向きはともかく。頭がコチコチの狂信的な職業軍人は別として。戦争に行かされた大半の日本人は、そのへんの長屋の八っぁん、熊さんのように、戦争よりも妻子の安否を気遣う普通の庶民だったと思いますよ。

 そのへんが、ナチスドイツのように幼少時からドイツ少年団、ドイツ少女団、ヒトラー・ユーゲント、国家労働奉仕団等々と、兵隊になるずっと以前から軍事訓練を徹底的に仕込まれ、ナチス思想も叩き込まれた青年たちとの落差があると思います。

莇  そうした両国のファシズムの違いが、戦後の戦争責任に対する意識の違いにどう反映していますか。 

一塚  ドイツではそういう苛酷な歴史を引き摺ってきたが故に、戦争を直接経験した国民はそれらの過去に非常に恥じ入っていると見ています。ヒトラー一人が当初から絶大な権力を握っていたわけではありません。

 ワイマール共和国下で軍備を制限され不満をかこっていたドイツ将校団、そして軍部にどんどん兵器を売りつけたいクルップ等の独占資本は、当初はヒトラーを利用し、自分たちの権益実現のための便利な傭兵程度に考えていたふしがあります。これが大誤算で、やがて国自体がヒトラー一派に完全に乗っ取られ、その後のドイツは狂ったように世界戦争に突っ走ってしまったわけです。

 こうした経緯のゆえに、ドイツの大方の国民は敗戦後、自分たちはむしろ犠牲者で強制的に戦争に狩り出されたのであり、戦ったのも国を守るためだった、ヒトラーナチス党とは全然違うのだ、という自己弁護を共有しました。また、そう思いこみ、そう言わないことには、自らの良心の重圧に押しつぶされてしまったことでしょう。そういう意味では、彼らドイツ一般大衆も、日本人と同じく戦争の気の毒な犠牲者であったという事実には変わらないものでしょう。

 ドイツでは、このように幼少からたたき上げられた普通の青年がユダヤ人排斥や占領地民間人への血なまぐさい虐待に関与したことは珍しくはありません。親衛隊だけの専権事項であった強制収容所関係を除いては、なにも親衛隊員だけが蛮行を働いたわけではないのです。

 逆に言えば、その悔恨、民族としての良心の呵責が戦後の明確な自己批判、謝罪につながっていることは間違いありません。

 この点に日独間に温度差があるように思えてなりません。これには「終わったことはすべて過去としてきれいに流し、清める」神道の民族と、自らが関わった深い罪と良心との葛藤から簡単には逃れられないキリスト教徒との違いであるのかもしれません。

 戦後、アメリカやソ連などが廃墟の山となったドイツを占領したなかで、ドイツ人はさらに東西に引き裂かれて生き残らねばならなかったわけです。そこでの彼らの精神状況は日本人の想像を絶するほど苦悩に満ちたものだったことでしょう。

 日本の終戦処理では、大ざっぱに言えば、マッカーサー進駐軍がやって来た途端に「戦争はもう終わりましたので、ハイこれから新しい民主主義日本ですよ、みんな万歳!」、というような具合ではなかったでしょうか。

 最近、特に日本のTVメディアで感じることは、昭和前期~終戦まで日本が犯した血なまぐさい歴史については、不思議なことにその部分がスッポリ抜け落ちていて、まるで初めから存在していなかったような錯覚さえ覚えるほど、めったに触れられることがないのではないかと。

 ドラマの設定でよくあるのは幕末期(「竜馬伝」)、そして文明開化と輝かしい国威発揚時代(「坂の上の雲」)。この辺までで、あとはいっぺんに現代まで飛んでしまっているような気がします。

 まるで汚いものは見るのも嫌、といったように。今流行りのCMフレーズでいう「無かったことに~♪..」みたいな..。そうであれば、つくづく悲しい民族であると思います。

 自ら作ってしまった歴史がいかに酷くとも、その「負の遺産」から目をそらさず直視し、内省を怠らない国の方が世界では尊敬されるのではないでしょうか。

 ドイツでは、以上に述べた経緯により、戦争に関わった世代の加害者意識、悔恨、恥辱、良心の呵責などは個人レベルでは日本人同世代よりはるかに強いというのが私の印象です。(あくまで一般論であり、個々の心の有り様はまったく別の話ですが)ただ、深刻な戦争犯罪を「若気のいたり」で済まそうとするのは、戦争の狂気による精神の崩壊からの自己防衛本能でもあり、このこと自体は今なお戦争をしている各国の人々に共通する現象ではあります。

莇  ドイツが被害を与えた人々、他民族にたいする国家賠償についてはどうなのですか。

一塚  個人レベルの反省とは別に、国としてのドイツも日本と同様、国家賠償については抵抗したのですが、奇妙なことに最も酷い迫害を受けたユダヤ人に対しては特別で、連邦政府は個人補償まで行いました。この点は日本と異なる点です。ただ、これについては、ユダヤ系アメリカ人による米国を背景とした政治圧力や、アメリカが擁護してきたイスラエルからの強い圧力との関係は明瞭ではないでしょうか。                                 そして、実はこのあたりが以下に述べるドイツ人自身による戦争総括と旧戦勝国各国とのものとで微妙に齟齬する部分であり、戦争責任の範囲についての最もセンシティブな部分でもありましょう。

 しかしながら、ニュルンベルク裁判を経て冷戦に向かう頃は、日本もドイツも政治状況の変化が始まりました。戦犯については処分が次第に軽くなってゆきます。それと、例えば戦時科学者のように軍事的な応用技術を持つ者や、一部の諜報機関の連中は戦争犯罪責任を追及されず、そのまま連邦政府や旧敵国が雇ったりしています。いわゆる司法取引というやつです。これらは国際政治というものがいかに不条理で破廉恥であるかを示すものでしょう。

莇  ニュールンベルグの裁判判決に従って、戦争責任について法律で明文化しているわけでしょう。

一塚  特別法で立法されているものではなく、あくまで刑法上の謀殺罪という規定での追求ということになっているようです。実体上か形式上かはあいまいなところがありますが、一応は親衛隊関係の戦争犯罪だけはいまだに許されないものとされています。逃亡中の重要な戦犯には時効が停止されています。

 その一方、国防軍(一般の陸海空軍)はヒトラーに命令され、仕方なく従っただけという見解が支配的です。現実は、彼らも個別的な戦争犯罪には深く関わっていたので、全く「シロ」という見解は明らかに事実に反します。ただ、国防軍将校の一部が戦争末期に幾度かヒトラーの暗殺を試みていたこともあって、戦犯以外の国防軍関係者はむしろ愛国者として位置づけられており、一部の軍人は英雄視さえされています。日本でいえば山本五十六海軍元帥みたいなものでしょうか。そして冷戦期あたりからは起訴された親衛隊員への判決さえどんどん甘くなっていきました。

莇  単純に比較はできないと思いますが、複雑ですね。現在の一般的なドイツ人はどのように考えているのでしょう。

一塚  私の知っている年配のドイツ人たちはたしかに罪の意識を持っています。戦争の話は自分からはしたがりません。よくよく聞いてみると昔ヒトラー・ユーゲントだったとかナチス突撃隊員だったとか、ポロっと漏らすことはありますが。

永山  私の母方の祖父は足に貫通銃創があり、そこにわらしべを通して掃除していたのを思いだします。それを私に見せながら、旅順の二百三高地で、日露戦争の時に戦功をあげたことを誇りたがっていました。私の父の場合は、第9師団で南京や上海に行っていたのですが、たまたま同僚が腹痛を起こして介抱しなくてはならなかったので、「その日は行かなかった」とだけ語っていました。父は戦果を誇るようなことは言わなかったのです。祖父の日露戦争の話と、父の第二次大戦のときの話の違いが印象に残っています。父と同じ年代でもいろいろな方がいて、大陸まで攻め込んで戦果をあげたと自慢する人もいます。同じ戦争を経験してもそうです。 

一塚  ドイツでも旧軍の将校で位の高い鉄十字勲章を受けた人などは戦友クラブを作って戦争の自慢話をしたりすることはあるようです。日本の戦友会みたいなものでね。 

永山  私の家内は満州の鞍山で生まれたのですが、生後3カ月にならないときに父親が徴兵され、そのままシベリアで行方不明になりました。死亡通知は来たけれども墓がどこにあるかもわからない。私の従兄がソ連に旅行した時に当地の石を拾ってきてもらって、それをお墓に入れてあるような状態です。満州から母親に抱えられて日本までたどり着いたというような話。その一方で、満州では許されるべきでないような戦争犯罪が行われていたということを莇先生の著書『戦争と医療―医師たちの15年戦争―』(かもがわ出版2000年9月)などで読むと、本当に複雑な思いがします。

一塚  日本軍は米英兵捕虜には捕虜の待遇に関する国際協定の適用をさすがに無視できなかった。でも日露戦争のときには捕虜の待遇にはもっと気を遣っていた。それは、外国の目が日本に注がれていたからです。第一次大戦でドイツと戦った時も同様でした。

 それとは対照的に、アジアに出兵した際の、アジアの人々に対する振る舞いはひどいものでした。捕まえたら殺すということは特別なことではなかった。そのような当時の写真も多く残っています。

 ドイツ軍のソ連兵捕虜の取り扱いと似たりよったりということでしょう。英米兵捕虜だけは国際赤十字の目があるので、それなりに気を使ったようです。彼らにかなり虐待をした場合も秘密裡に行われました。

 たとえば米軍爆撃機が撃墜され乗員がパラシュートで降りてきたところを竹やりで突き殺したとか、九大医学部で行われた米兵捕虜生体解剖事件など。それでも当時の日本側からすれば、日本国内で収容された大半の英米系兵士には捕虜としての最低の待遇を与えてやっていると思っていました。しかしながら、これも米英捕虜側からすれば国際協定の基準をはるかに下回り、つまり捕虜虐待行為であると受け止めたのです。

莇  「九大アメリカ兵人体実験」のことですが、これは極東軍事裁判B級裁判で処理されたのですが、問題は「捕虜虐待」の罪で死刑判決がでましたが、生体実験という医療倫理での裁判は全然なかったという問題が重要なのです。このことと直接関係しませんが、戦争の倫理という問題で、戦友会というのがありますが、ほとんど加害者意識がないのですね。

一塚  ドイツでは現在ハーケンクロイツを公にさらすと警察沙汰になります。欧米ではネオナチはとにかく押さえこまなければ、という各国共通の認識があります。どの程度厳しいかは各国で程度の差はありますが。

永山  私の知人が昨年、新建築家技術者集団の新建学校in石川で『フランク・ロイド・ライトの住宅デザイン』の講演をしたあと、金沢市内を案内しているときに、北國銀行武蔵ヶ辻支店の建物を見た時の感想があります。この建物は、その後、新高輪プリンスホテルなどでも知られる村野藤吾の作品ですが、この村野の作品にはヒトラー建築の様式が採用されたりして、ドイツの芸術文化を日本に導入するという動きが当時の日本にあったとのことです。

一塚  昭和前期はヒトラーのプロパガンダの大成功もあって、当時のドイツの文化を積極的に取り入れようという気運が各界に見られました。ヒトラーも若いときは建築家志望でしたしね。

永山  明治維新以後のいわゆる西欧化というか「脱亜入欧」の洋風建築とは別のものがあるんだと思いました。

一塚  戦前戦中の日本の官製の青少年組織なども、ナチスのシステムをあきれるほど真似ています。特高や憲兵隊の捜査・尋問・諜報・防諜関係の方法論についてもドイツ治安機関からの影響はあったことでしょう。

莇  日本とドイツのファシズムの起こり方の違いからいろいろはなしあったわけですが、私の直接の今の問題意識は、ドイツ医学界が日本の医学界と違って戦争中の医師・医学者のおこなった「人体実験などの医学犯罪」を真摯に反省してきたこと、一方日本の医学界がそれらの行為を「隠蔽」し、意識的に「忘却」してきたこと、の比較検討を考えてみたいと思うことです。勿論ドイツ医学界でもこの問題ではこの65年間は紆余曲折してきたらしいのですが、その紆余曲折について、もっと話し合いたいと思います。

 

* 「ヒトラーは1933年に政権掌握、その政権はわずか12年だけでした」。一方、バブルがハジケてから20年。国とまちの明日を選択する岐路に差しかかっているわが日本。――このような時期にこの対談は行われました。

 話題の尽きない対談でしたが所定の時間が参りました。本日はここで終わらせて頂きました。機会があれば後編も期待されるところです。 

 なお、編集にあたりまして武田公子金沢大学教授にテープ起こしをお願いし、莇先生、一塚さんにはご多用中、厳密な校正を頂き御礼申し上げます。(永山孝一)

 

  • 写真1. 1939年頃 ナチス党のあるイベントにおいて上気した顔で街中を行進する少年たち。ドイツ少年団員、ヒトラー・ユーゲント隊員たちである。 彼らの親たちも息子の「晴れ姿」を路傍で得意気に見ていたことだろう。
  • 対談・写真1 
  • 写真2. 1941年6月 ドイツ軍の大部隊は電撃的にソ連領に侵攻した。捕らえられ、不安な顔のソ連兵捕虜。2名の女性兵士も混じっている。1941年10月モスクワ攻防戦のさ中、「パルチザン容疑者」が潜んでいるとして、ドイツ陸軍の対パルチザン部隊がモスクワ郊外のある村を急襲、「容疑者」の男たちを連行し、村を焼き払った。
  • 対談・写真2

  ● 写真3~4. 不意打ちを喰らったソ連軍は防戦もままならず、緒戦だけで数十万人という大量の捕虜を出してしまった。

  •  対談・写真3
  • 対談・写真4
  • 写真5. 1942年頃、東部戦線にて ある東欧(たぶんチェコスロバキア)の町で、「パルチザン容疑者」の市民を連行し、壁を背に立たせている。先頭の一人はもう目隠しをされている。彼らの運命については述べるまでもないであろう。
  • 対談・写真5

2015年平和・民主団体合同〝新春のつどい〟講演要旨

「沈黙は不道徳」

城北病院名誉院長 莇 昭三 

1、選挙結果と戦後70年

 沖縄での総選挙勝利は、今後のたたかいのあり方を示唆していて教訓的である。同時に、秘密保護法施行と集団的自衛権行使への対応は新たなたたかいである。

 今年は戦後70年。戦争放棄の日本国憲法は世界政治に大きく貢献した。しかし米独占資本が武力で世界秩序を形成しようとし、安倍内閣が日米同盟の完全復活を礼賛し、独占企業本位の国づくりをするなかで、日本が再軍備へと向かう可能性は大きくなった。戦後日本の平和の基盤が大きく揺さぶられている。

2、「積極的平和主義」の中身

 「イスラム国」人質事件の直前、安倍首相は中東を訪問し総額2,900億円をばら撒いた。この訪問で注目されるのはゼネコン・銀行・商社など四六社の首脳を引き連れて日本製品を日本政府が買い、それを各国に渡すという資本の番頭采配だったことである。結局、安倍外交は「国際貢献」と言いつつも日本独占企業の海外進出の手先となっている。これではやがて企業防衛のための「自衛隊派遣」となりかねない。

3、歴史を振り返って

 張作霖を殺害し、柳条湖事件をデッチ上げ、日本は「満州国」を建国した。私の人生の最初の記憶がこの時の〝提灯行列〟である。

 一方で昭和恐慌からの脱却が庶民の願望となり、「満蒙は生命線」と宣伝され、農家の二男三男は海を渡り、教科書も「ヘイタイ ススメ」に変わり、「満州国」を守り石油ルート確保するためとして戦争に入っていった。真珠湾攻撃のラジオ報道で初めて国民は戦争を実感した。

 大本営警保局は真珠湾攻撃の翌日、『記事指し止め事項』として、

一、止むを得ず立ち上がったことを強調すること

一、戦況は好転し、絶対に有利にあることを鼓吹すること

一、国民の中に英米に対する敵愾心を執拗に植えつけること

を示し、報道に介入していった。

 戦況の悪化につれて学徒出陣、学童疎開、防火・竹やり訓練など、ほぼナンセンスなことを国民に強い、鶴彬の「手と足をもいだ丸太にしてかえし」「胎内の動き知るころ骨がつき」のような状況を生み、日本中が焼け野原となった。

即ち国民はいつの間にか戦争に参加していたのだ。「資源がない」「国が狭い」と言って国民の不満を外に向け、「勝った」と報道してジャーナリズムを徹底的に利用し、「お国のため」と敵愾心と愛国心を煽り、ムラ社会を活用して「貴様、日本人か!」と抵抗できなくする。戦争はこういう形で少しずつ入っていく。

4、最近の危険な歩み

 「新ガイドライン」「周辺事態法」「テロ対策特別措置法」「国民保護法」「防衛庁が〝省〟」「ガイドライン改定」「秘密保護法」「集団的自衛権行使容認」などの近年の動きをみると、まるで〝いつか来た道〟。憲法九条を変えようとする勢力が声高で、15年戦争が美化され、マスコミが権力に支配され、「悪の中枢」論に疑問を持たず、民主教育が改悪されていることを勘案すると、今は戦争前夜かも。

5、いま、人々に訴えたいこと

 〝沈黙は不道徳〟

 未だに関係国と「戦争終結平和条約」を結んでいない現状ではあるが、懸念あるなかで日中韓共通の歴史認識を持つべく努めるのは重要である。

 前の「戦争」は時間をかけてやってきて、国民が気づいたら既に始まっていた。そこから反対するには大変な勇気がいるし、遅すぎる。「いまからでもおそくはない…」という峠三吉の言葉もある。

 私たちには過去に起きたことを記憶に留める責任があり、次の世代に伝える義務がある。昨年の総選挙と沖縄の人々の決意をいま全国民が学び、確信を持って「声」を出すべきではないか!「沈黙は不道徳」(Silence is immoral)というノーベル平和賞受賞団体の言葉を紹介して結びとしたい。   (文責 非核・いしかわ編集部)

◎本稿は非核の政府を求める石川の会も参加して1月22日、石川県教育会館で開かれた平和・民主団体合同〝新春のつどい〟における城北病院名誉院長 莇昭三さんの講演要旨です。

 

   2015年 年頭所感

沖縄から希望をつなごう

非核の政府を求める石川の会代表世話人 五十嵐正博

  敗戦の日から70年目、安倍政権の下、「戦争をする国づくり」が着々と進められています。「戦後何年!という言い方がずっーと続いてほしい」、新たな「戦争」の足音に警鐘を鳴らす吉永小百合さんの言葉です。「戦後」を途切れさせてはならない、二度と戦争をしてはならないとの訴えです。

 安倍内閣は、昨年4月1日に、武器輸出三原則に代わる「防衛装備三原則」を閣議決定し、7月1日、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、12月10日、特定秘密保護法が施行され、すでに「特定秘密」の指定が始まりました。

 12月21日の総選挙は、戦後最低の得票率(52.6%)を記録し、与党自公は小選挙区、比例代表いずれにおいても50%を下回ったにもかかわらず、選挙制度のマジックにより、議席率で前者が79%、後者が69%を占めることになりました(有権者総数からすると自民党は小選挙区で24%、比例で17%にすぎない)。安倍首相は、この結果に「信任を得た」と言い張り、念願の「戦争をする国づくり」を加速させようとしています。

 今年に入ると、ODA新大綱を閣議決定して、「積極的平和主義」に基づき「非軍事分野」での他国軍支援を可能にし、自衛隊の海外派兵恒久法制定が目論まれ、はたまた集団的自衛権に基づいて自衛隊が武力を行使できる「存立事態」という概念を新たに設けて「切れ目のない法制」を作るのだと。

 九条がある限り、いくら荒唐無稽な「解釈」をしようと、「切れ目のない法制」を作ることは出来ません。「宣戦布告」の権限は?(九条は「交戦権」を否認している。明治憲法第一三条天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」)戦死者はどうなる?(米国は約28万人の職員と年間予算約9兆円の「退役軍人省」をもつ)「軍法会議」の設置は?(憲法七六条二項は、特別裁判所の設置を禁止する)、などなど憲法に反する問題点は山のようにあります。今年は「戦争をする国」にさせない正念場になります。

 こうして、この国のほとんど絶望的な政治状況の中で、南の島から一筋の希望の光がさしているのが見えています。その光は、琉球・沖縄が400年もの長きにわたりヤマトから侵略され、処分され、差別され、はては集団自決を迫られてきたことに対する激しい怒り、深い悲しみの反射なのでしょう。そうした暴虐の歴史を「なかった」と強弁し、さらには住民の圧倒的多数の反対を無視して新たな恒久的米軍基地を辺野古に、ヘリパッドを高江に作ろうとしている「腐りヤマトゥ政権」(芥川賞作家、目取真俊さんの言。目取真さんは、辺野古に張り付いて抗議活動を続けている)を射抜こうとする怒りの光なのです。

 その光は「オール沖縄」に結集し、名護市長選に始まり、名護市議選、沖縄県知事選、衆議院選を「腐りヤマトゥ政権」に対する勝利に導きました。

 沖縄の人たちの激しい怒りの源は、ヤマトにより「人間の尊厳」を踏みにじられ続け、人間として認められてこなかったから、72年の本土復帰によっても、日本国憲法の適用外に置かれてきたから、と昨年加賀市で講演された太田昌秀元沖縄県知事は語られました。沖縄の人たちは、人権を蹂躙されてきたがゆえに「人権の尊重」を願い、沖縄戦の悲劇を経験したがゆえに、「基地のない沖縄、平和な沖縄」を願うとも語られました。

 権力側は、いつの時代にあっても、また洋の東西を問わず「分断・統治」を支配の常とう手段にしてきました。それは、植民地支配の手段であるだけでなく、軍事基地、原発建設の反対派を弾圧する卑劣なものでもあり、臆面もなく、平然と、地域社会を崩壊させ、はては家族関係までもズタズタにしてきました。札束で反対派住民の分断を図り、「沖縄振興予算」を削減すると脅します。ここでも、ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」が見て取れます。

 しかし、沖縄は屈しない。瀬長亀次郎さんの信条「不屈」精神が生きています。腐れヤマトゥ政権、恥知らず政権の脅しには、決して屈しはしないさ。沖縄には、「自己決定権」がある、沖縄の人たちのゆるぎない抵抗の根底にある確信です。

 沖縄から発せられている希望の光を、「お上の言うがまま」に、あるいは無自覚に沖縄を抑圧してきたヤマトの私たちは、自らの導きの光としなければなりません。

 私は、一昨年の本欄で、「権力がもっとも恐れるのは、『権力に立ち向かう連帯の輪』が広がること」と述べましたが、沖縄の多くの人々と接して、口先だけの「連帯」を言うことに恥入るばかりです。

 「議論より行動を!」

 「座り込みの現場に来てくださいね!」

 「多くの人が集まれば基地建設を止められるんです!」

 今年は、沖縄から発せられた希望をヤマトにつなぐ年にしましょう。そして、「戦後」を途切れさせようと、あの侵略戦争の甚大な被害・加害双方について「なかった」ものとし、新たな「戦争」を企てるあらゆる策動に立ち向っていきましょう。

 辺野古に新軍事基地を作らせないために、高江にヘリパッドを作らせないために、この国を「戦争をする国」にさせないために、原発再稼働をさせないために、核兵器廃絶のために、人間が人間らしく生きられる国にするために。 

  2015年NPT再検討会議に向けて大きな飛躍を ―ニューヨーク行動に期待すること―

非核の政府を求める石川の会

 代表世話人  井上 英夫

 核兵器廃絶は全人類の願いであるにもかかわらず、米・英・仏・ロ・中の5カ国などが保有する核兵器は、未だに世界に約1万7,300発も存在し、核兵器の脅威から今なお人類は解放されていません。また、中近東、アフリカ、ウクライナ等、戦争の火種は絶えません。

 こうした中で、唯一の被爆国の日本はじめ世界の多くの国々が、核兵器廃絶に向けた国際世論の形成や具体的な取り組みを進めてきました。その大きな成果の一つが国連の核兵器不拡散条約(NPT)の取り組みです。

NPT核不拡散条約とは

 核兵器不拡散条約は、1968年7月1日からスタートしました。正式名称を「核兵器の不拡散に関する条約」(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)と言い、核兵器の開発、製造、保有を規制し、核兵器保有国の増加(核兵器の拡散)を防ぐことを目的とした国際条約です。日本は、1976年6月に批准し、世界の190カ国が締結しています。非締結国は、インド、パキスタン、イスラエルですが、北朝鮮は脱退を宣言しています。このNPTは5年ごとに再検討会議が開かれてその運用が見直されています。次回は、2015年4月から5月、ニューヨークの国連本部で開催されることになっています。

 この条約を確実に実行し、核の拡散を防ぐことは、核兵器削減そして核廃止への大きな第一歩となるでしょう。

お金は人権保障に使え

 私は、2010年5月、この再検討会議にプレッシャ-をかけるためのニュ-ヨ-ク「核兵器のない世界のための国際行動デ-」の平和行動に、石川県代表団の団長として参加し、あわせて潘基文国連事務総長に高齢者の人権保障のための権利条約策定の要請をしてきました。

 石川県の代表団は、10名でしたが核廃絶デモへの和服での参加者が世界中の人々から注目され、記念撮影の花形として活躍しました(写真①)。

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 核兵器にノ-、戦争にノ-、そしてその金を、人々のニーズを満たすために使え、というのがニューヨーク行動のスロ-ガンでした(写真②)。すなわち、Basic Human Needs を満たすのが基本的人権Basic Human Rightsに他ならず、その保障のためにこそ国家財政が発動されなければならないということです。

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核廃絶そして非暴力主義

 なお、この平和行動に出席した潘基文国連事務総長はそのスピ-チで、NPTの目標を核削減、縮小にとどまらず核廃絶であると明言しました。そして、この行動中一貫して考えたのは、非暴力主義の可能性でした。核抑止力論、そして防衛、正義の戦争論などに打ち勝ち、核を無くし、戦争を廃絶するためには、絶対非暴力主義しかないのではないか。その意味では、マンデラさんが、南アフリカで実現したアパルトヘイト廃止、白人への報復なしの国づくり。それが何故実現できたか。今も考え続けています。

 以上のような意味でも、平和的生存権を保障した日本国憲法そして日本の平和運動の正しさとその価値を痛感しました。各国の参加者から、日本の核廃絶、平和運動への期待が語られました。

平和的生存権と積極的平和

 その中で、人権としての社会保障と平和に生きる権利すなわち平和的生存権の意味、すなわち憲法前文、9条そして25条についてより深く問う作業が必要だと痛感した次第です。

 今まで、人類は、戦争やテロが欠乏すなわち飢餓や貧困を生みだし、他方、飢餓・貧困こそ戦争の原因となるという歴史をたどってきました。平和的生存権は、こうした歴史に終止符を打とうという人類初の挑戦であり、憲法はまさに世界の先頭を走っています。その意味で、前文、9条と25条、さらに人権の理念としての人間の尊厳を保障する13条は一体であるというべきでしょう。まさに、平和があってこその人権保障です。

 また、逆に、欠乏=貧困と生命・生存を奪われる恐怖から自由であり、すべての人々に人権が保障されてこそ平和な状態ということでしょう。平和とは単に戦争、暴力がない(消極的平和)というだけではなくて、人権が十分に保障された状態というべきです(積極的平和)。また、日常的な人権保障確立のための「不断の努力」(憲法12条)こそ戦争を抑止し、平和に連なる途と言えるでしょう。この意味で、積極的平和(主義)は用いられるべきであり、集団的自衛権の行使、そして戦争する国への憲法改正を進める安倍政権の主張は全く間違っています。

高齢者権利条約制定から平和へ

 2010年5月3日、日本高齢者NGO代表団の一行は、前日のNPT(核不拡散条約)再検討会議へ向けた「核兵器のない世界のための国際行動デ-」の平和・核廃絶デモの余韻の残るニューヨークの国連本部に高齢者の権利条約策定の要請に行きました。

 そして、今年の8月に条約制定のための第5回ワーキンググループに出席しました(写真③)。また、来年5月にも人権条約制定の要請に行く予定です。高齢者権利条約制定が、核廃絶そして世界平和に連なるという確信を持っているからです。

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2015年NPT再検討会議にむけて次の四点を呼びかけます。

(1) ニュ-ヨ-クの平和行動、再検討会議に向けて、世論を大きく盛り上げ核廃絶への道を確たるものにしましょう。

(2) 安倍政権の憲法改悪、軍事国家路線を阻止し、平和主義を堅持し憲法をより豊かに発展させましょう。

(3) 高齢者権利条約制定はじめ人権保障を確立し、平和な福祉国家を築きましょう。

(4) 原発に固執する安倍政権の真の狙いは、核保有にあると思います。核兵器と原発を一体のものとして廃絶しましょう。

 

会報 非核・いしかわ

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