メッセージ

   石川県が6月に策定した能登半島地震の「創造的復興プラン」について、学識経験者ら有志が「県創造的復興プラン検討会議」をつくり、7月31日、馳浩知事に標記の提言書を提出しました。

 今年5月12日、非核の政府を求める石川の会総会記念講演「大震災、原発と住み続ける権利」の際に検討会議の発足を呼びかけられた井上英夫氏から提言書を提供いただきましたので、本会HPに提言書全文(総論、提言内容とその理由、補論=住み続ける権利)を掲載します。

2024 年7月31 日

石川県知事        馳   浩  様

「石川県創造的復興プラン」に対する提言

「石川県創造的復興プラン」検討会議

代表 井上 英夫

 このたびの能登半島地震の甚大な被害への貴職のご尽力に、敬意を表します。

 さて、能登半島地震から半年が過ぎましたが、住居等再建のための倒壊家屋の撤去や各家屋への上下水道の整備などにおいて、「復旧」からはほど遠い状況が続いています。「能登に帰りたい、みんなで帰りたい」という思いを抱えたまま、未だ避難を余儀なくされている方も少なくありません。

 こうしたなか、復興のための基本計画となる「石川県創造的復興プラン」が、6月27 日に公表されました。その内容について、「住み続ける権利」を保障するという視点、すなわち、「被災者・地域住民が、どこに、だれと住むか、どのように住むかを自己決定し、自分らしく生き、自己の願い・希望を実現することを人権として保障する」、という視点から、復興プランに対して提言をいたします(「住み続ける権利」については、あわせて「補論」を参照してください)。

 能登半島の復興のためには、そこに暮らす被災者一人ひとりの「復興」が実現されねばなりません。したがって、今後、復興プランを具体化するにあたっては、被災者、住民の主体的な参加のもとで具体策が検討され、その切実な「声」が反映されたものでなければなりません。そして、その復興策の具体化には国・自治体などの公的保障が不可欠です。

 まずは一刻も早い「復旧」が具体化されなければなりません。そのうえで「創造的復興」ではなく「人間の復興」につながる復興となるよう、以下意見を申し上げます。

 

1 被災住民の復旧・復興への思いと「創造的復興リーディングプロジェクト」を中核に据えた復興プランの内容がかみあっておらず、プランの具体化においては被災住民の思い・願いに基づく「不断の」見直しを行うこと

2 復興プランの具体化にあたって、「創造的復興」の前にいまだ進まない「復旧」を重視すること

3 復興プランの見直し・具体化において、被災者・住民の「参加」を保障すること

4 被災者の復旧・復興を具体化する保障主体、住民の「住み続ける権利」の保障主体は、国・自治体である旨を明らかにして、今後の復旧・復興を進めること

5 インフラの整備に「集約化」など財政等による抑制的な条件をつけないこと

6 計画期間については、石川県成長戦略の目標年次(2032 年度)までとなっているが、復興に必要な期間を限定することなく成長戦略とは切り離して復興プランを具体化すること

7 被災状況の分析が不十分であり、ただの事実の列挙ではない検証を今後しっかりと行うこと

8 志賀原発の事故について事実を明らかにしたうえで、廃炉に向けた道筋を示すこと

9 被災住民が能登で住み続けるために必要な社会保障施策(居住保障、医療保障、社会福祉施策の保障等)について、その復旧・復興の道筋をプランの中核に据え、具体的に提示すること

 

(提言内容とその理由)

1 被災住民の復旧・復興への思いと「創造的復興リーディングプロジェクト」を中核に据えた復興プランの内容がかみあっておらず、プランの具体化においては被災住民の思い・願いに基づく「不断の」見直しを行うこと

〇 地震後半年を迎えた7月1日、マスコミ各社から被災住民に対するアンケート結果が相次いで公表された。そこでは、「能登に帰りたい、今後も能登で暮らし続けたいという思い」「現在の不安・困りごと」「復旧・復興の進捗と行政に対する不満」などについて、被災住民の率直な思いが示されている。

・ 今後の住みたい場所としては、「被災前と同じ場所」(75%(回答者に対する割合。以下同じ)・読売新聞)、「被災前に住んでいた場所・同じ地区・同じ自治体」(73%・NHK)、「市内」(76%)(輪島と珠洲の仮設住宅居住者に対する調査(北陸中日新聞))、など7割を超える人が、能登で暮らし続けたい、能登に戻りたいと回答している。

・ 現在の不安・困りごとでは、「今後の住まい」「経済的見通し」「健康の悪化」(複数回答で回答が多い順・北國新聞)、「住まい」(51%)、「暮らし向き」(14%)(北陸中日新聞)、「居住環境」「生活環境」「仕事」「医療・福祉」(複数回答で回答が多い順・NHK)など、住居・生活の保障、医療・福祉の保障に対する「不安」が多数を占めている。

・ 復旧・復興の進捗については、「実感がない・あまりない」(71%・北國新聞)、「進んでいない、あまり進んでいない」(85%・NHK)などの回答となっており、遅れを感じている点として「公費解体」「道路の修繕」(それぞれ約6割、複数回答・北國新聞)が挙がっている。一方、行政に対しては「県や市町の対応が不満・やや不満」(50%、北國新聞)と半数が不満を持っている。地震からの「復旧」に対して行政の対応に遅れを感じている状況が浮き彫りになっている。

〇 上記の被災者の思いと、「創造的復興リーディングプロジェクト」を中核に据えた復興プランの間には、現時点で大きな齟齬がある。復興プランが「能登の将来」を主眼に置いた内容であることを考慮したとしても、プランの具体化においては被災住民・地域住民の思いに基づく「不断の」見直しが必要である。

2 復興プランの具体化にあたって、「創造的復興」の前にいまだ進まない「復旧」を重視すること

・ 倒壊家屋の公費解体や各家屋への上下水道整備、道路・漁港などの交通インフラの復旧がいまだ進んでいない状況にある。復興プランの別冊「施策編」には、公共土木施設や上下水道などの項目ごとに「タイムライン」が示され、復旧への道筋を明らかにしようとしてはいるが、復興プラン本文では「創造的復興リーディングプロジェクト」が強調され、復旧への道筋が十分に示されていない。

・ 今後の復興プラン具体化に当たっては、復興と復旧を並行して考えるにしても、まずは「復旧」を重視すべきである。

3 復興プランの見直し・具体化において、被災者・住民の「参加」を保障すること

・ 能登半島地震からの復旧・復興に取り組む「石川県復旧・復興本部会議」は、石川県の知事・副知事・各部局の長から構成されているのみである。また、復旧・復興にあたり、専門的・技術的意見を聴取するために選定された「アドバイザリーボード委員」10 人のうち、被災地(石川県)に生活拠点を有する者は2人のみである。被災者・住民代表の参加がなく住民の意見を取り上げ、議論する場となっていない。

・ 復興プラン作成に際しては、被災住民の声を聴く機会(のと未来トーク、奥能登6市町と金沢で開催、延べ450 人が参加)を設け、復興プランにも「主な意見」としてその内容が列記されている。被災者の意見を聴くという意味で重要な取組みであったが、これらの意見を石川県本部会議としてどのように受け止め、復興プランにどのように取り入れたのか(あるいは取り入れなかったのか)への言及がまったくなされていない。これでは被災住民の意見に基づく復興プランとは言い難く、少なくとも「のと未来トーク」で出された意見について、石川県が今後どう対応していくのかについて提示すべきである。

・ プランの改定、具体化は被災住民・地域住民の声に基づき進めるべきであるが、その際には、被災住民・地域住民の「声を挙げる場」「意見を述べる機会」「きめ細かいヒアリング」などが保障されなければならない。

・ なお、「被災住民の声を聴く」にあたっては、その大前提として、当面の「復旧」や今後の「復興」に欠かすことのできない「情報」(生活再建・生業再建への補償制度や仮設住宅、公費解体、廃棄物処理など)を、被災者・地域住民一人ひとりに確実に届けなければならない。情報の提供を迅速・的確に行うための施策を、具体化する必要がある。

4 被災者の復旧・復興を具体化する保障主体、住民の「住み続ける権利」の保障主体は、国・自治体である旨を明らかにして、今後の復旧・復興を進めること

・ 復旧・復興の主体は住民であり、それを具体化する保障主体は国・自治体である。しかしながらプランの「創造的復興に向けた基本姿勢」には、「あらゆる主体が連携して復興に取り組み」とされており、行政、住民、産業界、高等教育機関、NPO、ボランティアなどが「並列的に」主体者として位置づけられている。さらに、石川県の取組みとして「有効な施策の創出に向け連携の場づくりを支えていきます」とされており、これでは保障主体としての自治体の位置づけとして不十分と言わざるをえない。

5 インフラの整備に「集約化」など財政等による抑制的な条件をつけないこと

・ 復興プランにおける道路、電気、上下水道、通信などのインフラ整備に係る記述において、あらかじめ抑制的な条件をつけるような文言が散見される(例:「ありたい社会をもとに持続可能なインフラを考える」「単に直すだけでなく」「サステナブルで新たな価値を創造するインフラの実現」「自立・分散型の「点」でまかなうインフラ」など)。

・ 住み続けることができるインフラの整備・復旧については、初めに「集約化」ありきではなく、まずは財政等の制約条件を付けることなく進めなければならない。被災住民の生活インフラが地震前の状態に復旧してはじめて、能登の将来について考えることができるのである。

6 計画期間については、石川県成長戦略の目標年次(2032 年度)までとなっているが、復興に必要な期間を限定することなく成長戦略とは切り離して復興プランを具体化すること

・ 計画期間については、被災者の生活再建・生業再建のために必要な期間を十分に保障しなければならない。これを石川県の成長戦略の目標年次にあわせてしまうことにより、必要な復興のための期間が限定・長期化されてしまえば、大きな問題である。

・ 計画期間だけでなくその内容からみても、国の「成長戦略」の影響を感じさせる提起が少なくない(例えば、6月21 日に閣議決定された「規制改革実施計画」の目玉施策である「ライドシェア」「ドローン」や、この間の政府の基本施策に位置づけられている「マイナンバーカード」の活用などは、復興プラン案で特筆されている「創造的復興リーディングプロジェクト」にも取り上げられている)。地震からの復興を名目に、社会保障はじめ被災者・住民の人権保障よりも国が進めたい規制改革、成長戦略メニューを重視することは、被災者・住民の「人間の復興」を第一に考えているとは言い難い。

7 被災状況の分析が不十分であり、ただの事実の列挙ではない検証を今後しっかりと行うこと

・ 復興プランの「被災状況」の章には、死因や負傷理由、建物の損壊に関する検証がない。また、被災人口に対する住宅全壊割合がなぜ高いのか、インフラ復旧が遅れたのはなぜかなどの検証もなされていない。また、2007 年能登地震との被災状況の違い、対応の違いについての分析もない。過去の地震も含めた被災状況の分析・検証があって、はじめて復興プランは実効力のあるものになるはずである。

・ 復興プランには、医療機関や社会福祉施設等の社会インフラの記述が一切ない。社会保障関連施設がどこでどれぐらいの数が、そして、何が原因で被災したのか、どのような影響があったのか等の分析が必須である。

8 志賀原発の事故について事実を明らかにしたうえで、廃炉に向けた道筋を示すこと

・ 復興プランの中で特筆している「リーディングプロジェクト」には、グリーンイノベーションについての記述があるが、志賀原発を今後どうしていくのかについて、言及がまったくない。少なくとも、地震発生時、志賀原発で何が起こったかを明らかにし、変圧器等の破損によりどのような影響があったのか、そして今後、何を教訓とすべきかという分析が必要である。

・ 今回の地震で、石川県の地震対策に大きな問題があったこと(避難計画で想定していた道路の損壊、最新の知見に基づき地域防災計画の地震災害対策編を見直していなかった等)が明らかになった。また、もし、志賀原発が「再稼働」していたら、そして、珠洲原発が地域住民の反対運動を押し切って「稼働」していたら、不可逆的な被害がもたらされたことは想像に難くない。石川県として、志賀原発廃炉への意思を表明すること、廃炉に向けた計画を具体的に策定することは、能登地域の復興、そして能登の住民の復興に不可欠である。

9 被災住民が能登で住み続けるために必要な社会保障施策(居住保障、医療保障、社会福祉施策の保障等)について、その復旧・復興の道筋をプランの中核に据え、具体的に提示すること

・ 復興プランの中核をなす「創造的復興リーディングプロジェクト」には、被災者の生活再建・生業再建に不可欠な社会保障施策についての言及がまったくみられず、観光回復に力点が置かれている。創造的復興の前に、まずは被災住民一人ひとりの復興、人間らしい暮らしを取り戻すことに全力を注がなければならない。能登の中心産業の農林漁業を基盤とし、生活再建・生業再建への展望を具体的に示すことが必要である。

 

(補論)住み続ける権利について

 「住み続ける権利」とは、「被災者・地域住民が、どこに、だれと住むか、どのように住むかを自己決定し、自分らしく生き、自己の願い・希望を実現することを人権として保障する」ものである。

 憲法22 条において、国民は「居住、移転の自由」が人権として保障されている。この規定が含意しているのは、自己の意思で自由に移動できることを保障するのはもちろん、自己の意思に反して居所を移されないという「移動しない自由」をも保障しているということである。移動しない自由の保障とは、すなわち「住み続ける権利」の保障である。被災地であっても住み慣れた町で住み続けることは、憲法上の権利、つまり国が住民に保障すべき人権である。

 もちろん、住み慣れた地域を離れ「移転」する自由も保障されているのは言うまでもない。被災者の自己決定により住み慣れた町を離れて居住した者であっても、そこで「住み続ける権利」が保障されなければならないことになる。

 住み続ける権利が保障されるためには、狭義の住居の保障のみならず、ライフラインの整備、居住環境の保障、生業・職の保障(所得保障)、医療機関や福祉施設などの社会保障、教育の保障、交通の保障、文化・コミュニティ・つながりの保障など、公的責任による重層的な権利保障が不可欠の条件となる。これらは、憲法22 条のみならず、25 条(生活権、健康権、文化権、居住権)、27、28 条(労働権、労働基本権)、26 条(教育権)、財産権(29 条)などを総合的に保障することではじめて実現する。

 さらに、総合的人権保障としての「住み続ける権利」は、国際条約においても明記されている。国際人権規約では、「移動の自由、居住の自由」を保障したうえで(市民的政治的権利に関する国際規約12条)、「自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準」の保障と「生活条件の不断の改善」についての権利を認めている(経済的社会的文化的権利に関する国際規約11 条)。

 住み続ける権利は、憲法が住民に保障する人権であることから、その具体化に当たっては「人間の尊厳」が保障されなければならない(13 条)。尊厳の保障の基礎となるのは、住民の自己決定と選択であり、それを通じて、住民一人ひとりが自分らしく生き、自己の願い・希望を実現することであるといえる。したがって、住み続ける権利の保障にあたっては、住民の自己決定と参加の保障が不可欠となる。地震からの復興計画策定に際しても参加の保障が徹底されなければならない。

 そして、住み続ける権利が憲法上の人権である以上、それを実現させる保障主体は、国・自治体である。石川県の復興プランの基底には、人権としての住み続ける権利の保障が据えられなければならない。

<提言賛同者一覧(50音順)> 2024年7月30日現在

  五十嵐正博(金沢大学名誉教授)

 梅田康夫(元金沢大学教員)

 奥村 回(弁護士)

 奥村妙美(看護師)

 鹿島正裕(金沢大学名誉教授)

 木綿隆弘(金沢大学理工研究域機械工学系教授)

 黒岡有子(医療ソーシャルワーカー)

 小林信介(金沢大学経済学経営学系教授)

 伍賀一道(金沢大学名誉教授)

 齊藤典才(医師)

 信耕久美子(医療ソーシャルワーカー)

 曽我千春(金沢星稜大学経済学部教授)

 武田公子(金沢大学経済学経営学系教授)

 田中純一(北陸学院大学教授)

 塚原俊文(北陸先端科学技術大学院大学名誉教授)

 塚本真如(被災者、珠洲市・圓龍寺住職)

 寺山公平(団体職員)

 中内義幸(医師)

 橋本明夫(弁護士)

 平田米里(被災者、歯科医師)

 松浦 曻(金沢大学名誉教授)

 三宅 靖(医師、石川県保険医協会会長)

 村上慎司(金沢大学地域創造学類講師)

 柳沢深志(医師)

 横山壽一(金沢大学名誉教授)

 

【2024年巻頭言】

能登半島地震 自衛隊を「サンダーバード」に

代表世話人  井上英夫

 余寒の中、被災された皆様にお見舞い申し上げます。元旦は、北陸には珍しく快晴でした。石川啄木の「何となく 今年はよい事あるごとし 元日の朝晴れて風無し」を口ずさみながらおとそ気分でいたところに激しい揺れが襲いました。その惨状は、本紙新年号の五十嵐正博さんの迫真かつ貴重な体験記の通りです。

 金沢市田上新町の我が家の200m先でがけが崩れ、四軒の倒壊がありました。周辺32戸に避難指示が出ました。我が家も崖上ですが、一部損壊に止まり無事で避難指示対象外でした。しかし、珠洲、輪島等能登の東日本大震災に匹敵する被害状況が日を追って明らかになってきました。

 五十嵐さんは「たった二晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました」と言います。そして憲法前文の平和的生存権を踏まえ、人殺しのための軍事費の「皆が普通に生きられる社会」づくりへの転用を訴えています。まさに被災した人々はもちろん私たちの願い、希望を語り、まったくわが意を得たりです。

 私たちは、能登とくに珠洲で、「過疎化」が進み、残された高齢者・障害のある人も、医療や福祉制度等の貧困により住み続けられず出ていかざるを得ないという「もう一つの過疎化」の実態を明らかにしました。そこに地震が襲っているわけですが、国内外の災害現場に立ち「住み続ける権利」を提唱してきました。

住み続ける権利と平和的生存権

 住み続ける権利とは、すべての人が、どこに、誰と住むか、どのように住むか、その自己決定を人権として保障することです。被災者、地域住民の生まれ育った家、地域に住み続けたいという願いは強烈です。住み続ける権利とは、その願いを実現するものです。日本国憲法は、居住移転の自由(22条)、生存権・生活権・健康権・文化権・居住の権利(25条)、働く権利(27、28条)、教育を受ける権利(26条)等保障しています。それらの人権保障により実現される新しい人権です。

 人々の頑張り、助け合いは大事ですが、それを可能とするのは、人権がしっかり一人一人の生活の基盤を支えてこそです。その保障義務があるのは国や自治体です。「公助」「寄り添い」などといい、人々に自助・共助、頑張りを強要してはなりません。

 住み続けられるためには、最大の要因である恐怖(戦争やテロ)からの自由と欠乏(飢餓・貧困)からの自由を保障する平和的生存権が基底的権利となります。

 人権とは、生きる基本を保障することですが、その目的は人々の願望・希望を実現することにあります。したがって住み続ける権利の根拠は、被災者・住民の皆さんの願いや希望ということになります。

 避難所ホテルにて 一緒に暮らしたい・戻りたい

 2月10日、金沢市片町のアパホテルに避難中の輪島市門前深見地区の皆さんに話を伺いました。2007年の能登半島地震の時、船で全員脱出し、今回は、望んだわけではないが、自衛隊のヘリで避難させられた地区です。

 ホテルは、最初は食事がひどかったし、狭い個室で夫婦も別々で決して良い環境ではないが我慢している。そこも2月中に追い出され、行き場がない。仮設住宅は四月末になる等問題点が次々に話されました。その模様は3月のNHKクローズアップ現代で放映されるそうです。もっとも強調されていたのは地区の皆が一緒に暮らしたい、深見に戻りたいということでした。

 以下被災地で心を動かされた言葉をいくつか紹介しましょう。

家がかわいそう

 被災地に立つとき写真を撮るのを躊躇します。2007年の能登地震支援の時、倒壊した家の写真を撮らしてほしいとお願いしたら、「可哀そうだから撮らないで」「夫婦で苦労して建てた家だから」と言われたことを思い出したからです。

 家の保障こそ住み続ける権利の出発点です。日本では自己努力、個人の甲斐性として考えられていますから、家への愛着はことさら強いわけでしょう。その努力は貴重です。しかし、そろそろ家も公的に保障されるべきです。全壊でなくても深見地区のように避難させられれば住み続けられませんから補償は全壊並みにすべきです。

ここを愛している 何故遠くに行かないか

 中国四川地震の時を参考とし、自治体が被災地自治体と提携して支援を行うという「対口支援」も行われています。病院や施設の受け入れ準備もされています。しかし、多くの人々は遠くに行きません。能登を離れません。生まれ育った地、自分で選んだ土地を離れたくない。これも被災地の人々とりわけ過疎地の人々の願いです。東日本大震災の避難所でお会いした、女性の一言が今も耳に残っています。何故、高台へ、あるいは他の津波の来ないところに移転しないのか。この海、景色を「愛している」からだと言われたのです。愛しているから戻りたい、住み続けたい。この願いは贅沢でしょうか。わがままでしょうか。

「黙した鬼」だ

 能登の人々は、国や自治体の災害・復興対策に文句は言いません。阪神淡路大地震の時と大違いです。「能登はやさしや土までも」、と言いますね。人々もやさしく、忍耐強い。東北の被災地でも同様でした。何故怒らないのか、「黙した鬼」だからというのです。はらわたが煮えくり返るほどの怒りを抑えているということでしょう。

自分のことは自分で決める 参加して決める。

 住み続けられる地域を創る。主体は主権者たる一人一人の被災者、住民であり、つきつめれば自己決定の保障でもっとも重要なのは参加の保障です。東日本大震災から10年、国の指示する14、15メートルという高い防潮堤が三陸沿岸を覆う中、「防潮堤のないまちづくり」を進め、賑わいを取り戻した町があります。人口の1割近い827人が犠牲となった宮城県女川町です。

 町民のいのちを守る「減災」を基本として、豊かな港町女川の再生を目指し、町民が実感できない復興は、真の復興とはいえないとし、すべての町民が家族や地域とのつながりの中で、いつもの日常生活に喜びを感じる地域をつくることを基本としています。

 誰もが枕を高くして寝られるように住宅は安全な高台で再建しても、海とは切り離されないよう、すべての家から海の見える町を目指しました。漁港や商業地区では、万一津波が来たときに駆け上がって避難するためすべての道が津波避難路になっています。

何ができるか 自衛隊を「サンダーバード」に

 何かできることはないか。私のところにもお見舞いと支援の声が寄せられています。無理しないでできることをしてくださいとお願いしています。これからは是非避難所等で被災された人々の声を聴いてください。一番恐れているのは、無視され、忘れられることですから。そして自衛隊を「サンダーバード」にしましょう。北陸線の特急ではなく、国際救助隊です。イギリス製作の人形劇で、日本ではNHKで1966年から放送され、21世紀にはいっても再放送されています。

   これは秘密部隊ですが、自衛隊を国際救助隊にしましょう。人を殺す軍隊から、いのちを救う部隊へ。そのための機動力は自衛隊が十分に持っているではありませんか。

 荒唐無稽のようですが、平和的生存権を保障する日本国憲法の希求する姿であり、世界から称賛され、戦争と報復の続く世界を変え、21世紀を希望の世紀にできるでしょう。そして、誰でもできることは、選挙に行くことです。住み続ける権利そして種々の人権を保障する希望の政府をつくる。そのために選挙に行ってくださいとお願いしています。

◎写真は北陸学院大学・田中純一さんが撮影

                海底が隆起した鹿磯漁港

        大岩崩落、深見地区への道路遮断・孤立

         深見漁港は4メートル隆起

 

2024年  年頭所感 

私たちは災害列島に住んでいる 

代表世話人 五十嵐正博

   2024年1月3日、珠洲市から八時間かけて金沢に戻りました。安堵感、虚脱感、「地獄絵図」を目前にして、何も手伝うことができなかった無力感、惨状から「脱出」してきた「後ろめたさ」、それらが今も交錯しています。本稿は、本年を展望し、希望を記す「年頭所感」ではなく、大災害に遭遇した一人の記録です。

能登半島地震に遭遇する

 年末年始を珠洲市の友人の「宿」で過ごすのが、ここ数年の習わし。大晦日、皆で「餅つき」をし、その後「そば打ち」、ひと風呂浴びて夕食、ゲストハウスにある銅鑼の音を除夜の鐘代わりに聞きながら、年越しそばを食べて新年を迎えます。「今年こそ、世界中が平和になりますように」と。

 元旦、「おせち」を食べ、昼過ぎに「初詣」。三崎町寺家にある「須須神社」へ。宿に戻り、お屠蘇に使った輪島塗の猪口(ちょこ)を戸棚にしまい、厨房にいた午後4時6分。「緊急地震速報」が鳴ることなく、突然の激しい揺れ(震度5強)、ガラス瓶一つが床に落下。余震が来てもこれ以下の震度に違いない、勝手な思い込みは瞬時に大暗転。「ドカン」という音とともに家全体が崩れるかと思われる激震(震度6強)、とっさに近くにあった手すりにしがみつき、身をかがめるのが精いっぱい。目前で薪ストーブが倒れ、中から燃える薪が飛び出し、煙突がはずれて落下。とっさに「水」と叫び、そばにいた人が水をかけ、大事にならずに済みました。「早く揺れが止まってほしい」と念じつつ、ウクライナ、ガザで、ミサイルがいつ、どこから落ちてくるかもしれない恐怖を共有した瞬間があったような気がします。「死」を覚悟することはなかったでしょうが、わが人生でもっとも恐ろしい、二度と経験したくない出来事でした。

避難所へ、そして金沢に帰る

 皆で庭に飛び出したものの、次の心配は「津波」、宿の横にある山に登ろうとしましたが、津波は最高で5メートル程度との情報が入り、山に登らなくても大丈夫と判断し、近くの高台にある「消防署」に避難し、車中泊。車のエンジンをかけたり止めたりして(ガス欠を防ぐため)寒さをしのぎました。翌日(2日)明け方、明かりのついた消防署の建物の片隅でしばし体を休め、携帯の充電もできました。宿の様子を見るため、宿に戻りました。建物の外観は無事、散乱した食器などの掃除をし、備えてあった食材を玄関に集めました。大きな「薪ガマ」は無事で、客の一人(イタリアンシェフ)の手になるリゾットを庭で立って食べました。

 ぼくたち夫婦と金沢から来たもう一人の3人で、避難所に指定されている近くの「上戸小学校」に行くことに。幸い、教室の片隅に一人当たり「座布団3枚と毛布1枚」を与えられ、小さなおにぎり1個、わずかの煮物が夕食。自宅の様子をも顧みないで献身的に救援にいそしむ地元の人々。水も電気もない、暖は灯油ストーブだけの一夜を過ごしました。

 30年前、原発建設に反対して闘った珠洲の友人たちの安否が心配されました。定宿の主人は、反対運動に関わった友人。被害が特に大きかった高屋、三崎地区。電力3社は、ここに原発4基の建設を強行しようとし、住民が、市役所内に泊まり込んでまで建設を阻止しようとした闘いでした。原発が建たなくて本当に良かった、決して大げさではなく、「この国を救った歴史的な闘い」として記憶されなければなりません。

 夜中(2時半ころ)震度5弱の地震。夜が明け、避難所で隣になった家族が、「金沢まで行けるらしい」と準備を始めました。もともと地元の方らしく、土地勘もありそうなので、付いていくことに。7時半出発。道は、陥没、地割れ、隆起、土砂崩れ、倒木がいたるところに。そして渋滞。対向車線は、緊急援助に向かう他府県からの、それぞれ数10台の車列が続いていました。

「普通に生きられること」の大切さー平和に生きる権利

 私たちは「災害列島」に暮らしています。「災害は忘れたころにやってくる」どころか、次々に襲う台風、水害、地震。人間が自ら作り出す「地球環境破壊」。戦争は「悠久の歴史の中で、人間がごく『最近』創り出したもの」であるから、人間が戦争を止めさせることができます(佐原真『戦争の考古学』)。しかし人知で地震を防ぐことはできないとすれば、事前事後の体制が問われます。地震予知研究の進展、発生後の救援体制の整備。フクシマなどの教訓が活かされたのか否か、たった2晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました。

 一言でいえば、「普通に生きられることの大切さ、ありがたさ」です。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障される毎日です。「自己責任」を優先し、「合理化・効率化」の名のもとに「格差社会の拡大」を推し進める「新自由主義」が生み出してきたのが「普通に生きられない社会」ではなかったか。

 「経済成長」を求めることをやめなければなりません。「身を切る改革」でなく、「無駄を大切にし、何事にも余裕をもたせる」、「無駄と思われる多様な選択肢を用意しておく」。「無駄」という言葉に否定的なニュアンスがあるとすれば、「今、必要ないこと」と置き換えてもいいでしょう。度重なる災害の教訓、「今は必要ないライフライン」の整備がいかに大事か分かっていたはずです。

 軍事同盟を解消し、あくまで「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する平和外交を展開、追及することが「日本国憲法」の要請です。軍拡でなく、軍備の削減、廃棄を追及し、莫大な「(人殺しのための)軍事費」を、「皆が普通に生きられる社会」造りに転用しなければなりません。被災者の方々に心を痛めるしかできない今、自己嫌悪するばかりです。

 75歳を明日にして。

(会報「非核・いしかわ」2024年1月20日号)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年 年頭挨拶

コロナ禍、ロシア侵略を超えて

代表世話人 井上英夫

 今年は、まさに、非核石川の会の真価が問われる年になります。皆さんご無事でご活躍いただけるようお祈りいたします。 

人類の希望

ー基本的人権・平和的生存権

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機を思わせる時を迎えています。国内では、軍事大国か真の福祉国家か、選択が厳しく問われています。あらたな「戦前」を思わせる今、第二次大戦の悲惨な結果を踏まえて、1948、国連が世界人権宣言を発し、基本的人権の保障による平和確立への道を選び、1946年、日本国憲法もまた、国民主権、平和主義、基本的人権なかでも平和的生存権を掲げて出発したことを再確認する必要があります。

 日本国憲法前文は、人類そして日本の国、国民の進むべき普遍的原理を示しています。

 日本国民は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きないよう、「諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持」すると決意を述べます。そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖(戦争やテロ、暴力❘憲法九条)と欠乏(飢餓や貧困―憲法25条)から免れ、平和のうちに生存する権利」すなわち平和的生存権を有することを確認しています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のであって、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結んでいるのです。

 私たちの「人権のためのたたかい」(憲法97条)、人権保持のための「不断の努力」(同12条)により、戦後77年、まがりなりにも平和を維持してきたわけです。国際的にも、核不拡散条約、核兵器禁止条約等、核兵器廃絶への道を進んできました。

 ともすれば、ロシアによる侵略という事態に、世界そして日本の人々の人権・平和的生存権のためのたたかいが、水泡に帰したような無力感にとらわれそうになります。しかし、人権のためのたたかいを粘り強く続けることにより、希望も見えてきます。

憲法97条は、基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggleたたかい)の成果」であり、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」として託されたものである、と明言しています。さらに、憲法12条は、国民に憲法・基本的人権を「保持」するための厳しい「不断の努力」義務を課しています。

 憲法前文、とりわけ人権のためのたたかいを呼びかけている97条は自民党・政府にとってもっとも怖い条文です。それゆえ、自民党憲法草案では、前文は全面改訂、さらに97条は全文削除です。今こそ日本国憲法の価値は高まり、私たち非核石川の平和のためのたたかいの飛躍的発展が求められていると思います(この点については、非核いしかわ2022 年6 月20日付第 287 号に「ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか」で述べましたのでご覧ください)。

 ここでは、私が参加している「人権のためのたたかい」から生まれた二つの希望を紹介しましょう。

二つの希望

ーいのちのとりで裁判勝訴判決と日本高齢者人権宣言

⑴ いのちのとりで裁判勝利判決―潮目が変わってきた

 生活保護基準をめぐっては、老齢加算廃止と生活保護基準の引下げを違憲・違法としてその取り消しを訴えてきました。2004四年から2006年にかけて行われた老齢加算廃止に対する生存権裁判では、全国8か所で約120名の原告が立ち上がりました。しかし、勝訴判決は2010年6月14日の福岡高裁判決のみでした。

 現在のいのちのとりで裁判は、2013年から3回実施された平均6.5%・最大10%という史上最大の生活保護基準引き下げに対して、全国29都道府県、1000名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に闘っているものです。

 札幌や金沢、福岡等8地裁で敗訴が続きました。しかし、写真のように大阪、熊本、東京、横浜と裁判所が人権の砦としての使命を果たし、保護基準引き下げを違法と断じる勝訴判決が続き「潮目」が変わってきました。

 敗訴判決の続く中、原告の皆さんは、悔しさを乗り越え、勝つまでたたかう、死ぬまでたたかうと弁護団、支援する人々を勇気づけてくれました。あきらめず、闘い続けたからこその勝利判決です。ここでは、勝利判決の意義だけ述べておきましょう(詳しくは、私の「司法が動いた―生活保護基準引き下げ裁判で勝訴判決続く」ゆたかなくらし、2022年11月号、12月号をご覧ください)。

 ①生活保護を憲法二五条の保障する人権であると認めさせ、②権利はたたかう者の手にある、と再確認でき、すべての人の人権意識の高揚につながる、③生活保護にとどまらず社会保障削減政策への歯止めになり、自助・共助・公助論打破につながる、④生活保護バッシング、優生思想そして劣等処遇論への歯止めになる、⑤軍事費倍増・社会保障の削減、憲法改悪・戦争への「抑止力」になる、⑥最低生活から十分な生活・独立生活の保障へ発展させる契機になる。

⑵ 国連高齢者人権条約と日本高齢者人権宣言

 もう一点は、高齢者の人権保障の発展です。コロナ禍でも戦争でも、高齢者、子どもは最大の被害者です。国連では、「弱者」ではなく人権が最も侵害・剥奪されやすい(vulnerable)人々と呼び、コロナパンデミック、戦争に対する最も重要で有効な手段は人権保障システムの確立であるとしています。

(一)日本高齢者人権宣言

 昨年11月、京都での日本高齢者大会で「日本高齢者人権宣言」が宣言されました。高齢者の人権保障はもちろん、子どもから高齢者まですべての年齢の人々の人権保障を確立するたたかいが始まりました。

 日本高齢者人権宣言は、前文からはじまり、基本原理と年齢による差別の禁止、いのちと尊厳、身体の自由と安全、暴力23の人権を掲げています。さらに、国・自治体・企業の責任も明確にし、私たちの「不断の努力」義務を肝に銘じ、「さまざまな年齢の人々と連帯して、すべての年齢の人々の人権が保障される平和で豊かな長寿社会づくりに努力します」と人権のためのたたかいへの決意を述べています。

 日本の高齢者人権宣言の運動は、国連の高齢者人権条約作りと連動し、国連、各国NGOと連帯して進められています。

 (内容については、「日本高齢者人権宣言」でネット検索してください。昨年11月、日本高齢者大会で「第3次草案」が取れて確定しました)

 (二)国連高齢者権利条約と核兵器禁止条約 

 国連では、毎年作業部会が開催され高齢者人権条約制定作業が進められています。また、2015年には、北中南米35か国が加盟する米州機構が世界で最初に高齢者人権条約を採択し、国連全体の条約作りも加速化しています。 

 2017年7月、国連本部において第8回作業部会が開催され、その最終日7日には、核兵器禁止条約が採択されました。高齢者人権条約の会議は1階でしたが、2階の会議場でした。高齢者の人権条約制定運動は、まさに平和を求めるものですし、平和でなければ高齢者の人権と尊厳は保障されない。日本でいえば平和的生存権の確立であり、憲法9条と25条は一体である。この思いを強くした一日でした。

 高齢者の人権保障も平和的生存権が前提です。単に戦争がないと言うだけではなく(消極的平和)、人権がすべての人に保障されてこそ真の平和であり(積極的平和)、すべての年齢の人々とともに、高齢者の権利条約を創り人権を確立していく運動こそが平和を実現していくということが、実感できたわけです。

人権と平和的生存権の闘いの課題

 今後の課題についていくつか上げておきます。

 ①人権とは何か、確認する。②各分野の運動と連携・連帯を強める。とくに平和的生存権確立のための九条と二五条の運動の連帯が重要です。③地域、地方から国を変え、世界を変える。④国際連帯を強め国連を強化する。

突き詰めれば、平常時の分厚い人権保障こそ災害、コロナ禍等緊急事態においても大きな力を発揮すること。とりわけ、戦争の脅しに屈せず、軍事大国、戦争できる国ではなく、平和的生存権確立・人権保障大国こそ日本の歩む道ではないでしょうか。

 非核石川の存在意義はますます高まっていると思います。

 

 

 

2023年 年頭所感

「平和国家」はどこへいくのか

代表世話人    五十嵐正博

戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

 『世界』(2023年2月号)は、阪田雅裕元内閣法制局長官による「憲法九条の死」と題する論考を掲載しました。「憲法9条が掲げた『平和主義』は2015年に成立したいわゆる安全保障法制により危篤状態に陥っていたが、今般の国家安全保障戦略の改定によっていよいよ最期を迎えるに至った」と。

 本稿で、「日米関係」「日中関係」の近現代史を語る余裕はありませんが、そこに人類史上最悪の犠牲をもたらした加害と被害のおびただしい「事実」があったことを決して忘れてはなりません。これらの「事実」が「なかった」と主張した安倍政権は、2015年「集団的自衛権行使」を容認する「平和安全法制」を制定し「戦争ができる国」にしました。昨年12月16日、岸田政権は「防衛力の強化・防衛費の増額」を謳い、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」をも認める「安保関連3文書」を閣議決定し、「安保の大転換」にとどまらない「戦争をする国」へと突き進むことになります。今後5年で「軍事費GDP2%」にし、「世界第3位の軍事大国」にしようというのです。「軍事費の増大」自体は既定のものとされ、「財源」が焦点にされています。そうではない、「人の命」こそが問われなければなりません。「(3文書)策定の趣旨」は、次のように述べます。

 「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。・・・国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」「国防は、国民自らの責任」だと。「自らは安全な場所」にいながら、なんの心の痛みもなく、むしろ自らに酔いしれて、「国、国民を守るため」とうそぶく指導者。それをなんの批判もなく垂れ流すマスコミ。「軍隊は国民(住民)を守らない」、権力者は、国民を「捨て石」としか見ていない。人の世の不条理極まれり。「辛い」時代が続きます。

安倍「公安」内閣は、「特定秘密保護法」を成立させました。政権の「猜疑心」はとどまるところを知りません。岸田政権は、たとえば、陸上自衛隊の宮古・与那国への配備に伴い、住民監視のため「情報保全隊」をも配備する「周到さ」であり(また「土地利用規制法」により、個人情報が公安調査庁などに管理される)、はては、防衛省は「世論工作研究」に着手したと言われています。これが、わたしたちが住む国の暗闇です。沖縄戦犠牲者の遺骨の混じった土砂の採掘反対を訴えるガマフヤー、具志堅隆松さんは言います、「不条理のそばを黙って通り過ぎるわけにはいかない」、と。

 「異次元の少子化対策」は「徴兵制」の布石

 岸田首相は、本年正月、唐突に「異次元の少子化対策」を言い出しました。これも「財源」話で済むことではなく、「徴兵制」の前触れではないかと疑います。自衛隊は、少子化で採用難、充足率は約90%で推移し、2018年から「募集対象年齢の上限」を26歳から32歳に引き上げました。「産めよ殖やせよ、国のため」、戦争遂行標語の復活か?この標語は1939年、新設された厚生省が「結婚十訓」の一つとして発表したのが語源です。太平洋戦争に至り、たとえば、「軍部は、徴兵事務の面から体力向上と人口増強を要望し」、1941年1月、「人口政策決定」が閣議決定されました。(赤川学「新聞に現れた『産めよ殖やせよ』)同日発せられた厚生大臣談話は次のように述べます。「皇国の大使命たる東亜共栄圏を確立し・・・その中心であり指導者である所の我が国が、質において優秀、量において多数の人口を有せねばならぬ。このことは今次の欧州動乱の主流をなすところの各国の情勢に鑑みても痛感せられるのである。」

 「防衛計画の大綱」は、1957年の「防衛力整備計画」に始まり(当時国論が分裂しており、「大綱」策定に至らなかった)1976年、「昭和五二年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定されました。直近は、2018年に策定された「平成31年度大綱」(その前は「平成26年度大綱」)です。当初から国会の審議を経ることも、国民の信を問うこともありませんでした。「国民の命は政府が握っている」との認識は一貫しています。

 「31年大綱」は、「防衛力の中心的な構成要素の強化における優先事項」の最初に「人的基盤の強化」をあげ、「防衛力の中核は自衛隊員であり、自衛隊員の人材確保と能力・士気の向上は防衛力の強化に不可欠である。これらは人口減少と少子高齢化の急速な進展によって喫緊の課題となっており、防衛力の持続性・ 強靭性の観点からも、自衛隊員を支える人的基盤の強化をこれまで以上に推進していく必要があり、・・・このため、地方公共団体等との連携を含む募集施策の推進」(傍点は五十嵐)などの提言をしています

合従連衡が繰り返され、「帝国」はみな崩壊した

 この国の歴代政権、そして「本土」は、沖縄を犠牲にすることに何の痛みも感じることなく、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「大国づら」していた時代も終わっているかもしれません。世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、その通りです。しかし、「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、たとえ時間がかかっても、すべての「軍事同盟」、各国の「軍隊」を解体することです。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、ウクライナなどで戦火が交えられている現在、憲法9条の「最期」を見届けるのではなく、改めて憲法9条こそ世界に向けて広めなければならないと強く思います。

 

ウクライナ侵略と憲法改悪にどう立ち向かうか 

               代表世話人  井上英夫

 コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略と人類の危機の中で、一人の人間として何をすべきか、何ができるか、悶々とする日々を送っています。コロナ禍、県外には一歩も出ず、草むしりに励みながら、世界と日本の行く末・将来を考えています。とりわけウクライナ侵略に対しては、非核・平和運動による平和的生存権の確立、9条と25条を守り発展させるという人権保障運動を続けてきた私達の努力、人生が全否定されたような無力感にも襲われています。

一 草むしり、で考える

 日々、「雑草」を引き抜き、取り除くべき生命ときれいだからと残すべき花と選別しているのです。ギシギシは薬用や食用になる限りで珍重されますが、他の花々を駆逐するとして排除され、最近は外来種が目の敵にされ、在来種の保護が強調されています。わが家でも地中海原産のレースフラワーなどは花がきれいだとせっせと増やし、セイタカアワダチソウ、ヨーロッパ原産のヒメリュウキンカなどの根絶を図っています。

 植物の世界とは言え、優生思想とゲルマン民族の優位性を唱え、ユダヤ民族そして障害のある人の抹殺・絶滅を図った、ナチスドイツのホロコーストと同じことではないか。プーチン・ロシアはヒットラーのナチスドイツに重なるのですが、戦前「自衛」の名のもとに朝鮮・中国等を侵略し、多くの国の人々の生命、財産、土地を奪い、毒ガス・細菌兵器すら使った日本軍・大日本帝国と瓜二つではないか。そして、雑草を引き抜く己の姿が、ヒトラー、プーチンに重なるのです。

 戦争の惨禍は、日本国憲法前文が言うように「政府の行為によって」もたらされるのですが、その政府をつくるのは国民であり私たち一人一人です。憲法は、「戦争の惨禍」を再び起こさせないという日本国民、私たちの決意から出発しています。私たちの決意が問われています。

 日本政府・岸田内閣は、ロシア侵略を好機に北朝鮮、中国の脅威をあおり、軍事費倍増、憲法改悪に突っ走ろうとしています。いまこそ、私たちの内なる優生思想を打破し、憲法改悪を阻止し人権とりわけ平和的生存権の真価を発揮し、ロシア侵略をやめさせ国際平和を確立すべき時だと思います。

中央社会保障推進協議会の機関誌『社会保障』は、私も参加して初夏号で「平和的生存権をまもれ9条・25条を一体で考える」という憲法特集を組んでいます。是非ご覧ください。

二 自民党改憲のねらいと憲法の意義

 自民党の2012年「日本国憲法改正草案」で、全文修正あるいは削除されているのは、前文と97条だけなのです。余り指摘されていませんが、この2点が憲法改悪論の最大の問題点だと思います。新憲法は、1946年憲法制定前後から数々の記念行事が行われ、花電車、紙芝居も登場し、大多数の日本国民の熱狂的支持を受けました。戦争の恐怖からまぬかれ、平和のうちに人間らしい暮らしがしたい―平和的生存権-というのは日本の人々はもちろん世界の人々の強い願望だったのです。この歴史の再確認こそ重要だと思います。

⑴ 憲法前文削除-平和的生存権の否定

 日本国憲法前文は、国民主権、平和主義、基本的人権の保障等、決して変えてはならない普遍的原理を掲げています。①日本国民は、恒久の平和を念願し、②人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、③平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、④われらの安全と生存を保持しようとした決意で始まり、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と、平和的生存権をはっきりうたっています。さらに、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国の進むべき普遍的な政治道徳を示しています。

 戦争やテロの「恐怖」から免れるために憲法9条で戦争、軍備を放棄し、「欠乏」すなわち飢餓や貧困から免れるために人権保障を掲げ、とくに25条で生存権、生活権、健康権、文化権の保障とその具体化として、国に社会保障、社会福祉、公衆衛生制度の向上・増進義務を課しているのです。

 人類は戦争やテロ、暴力により欠乏、すなわち飢餓や貧困を生みだし、他方、飢餓・貧困こそ戦争の原因となるという歴史をたどってきました。平和的生存権は、こうした歴史に終止符を打とうという人類初の挑戦であり、憲法はまさに世界の先頭を走っています。その意味で、前文、9条と25条、さらに人権の理念としての人間の尊厳を保障する13条は一体なのです。そして、平和とは単に戦争、暴力がない(消極的平和)というだけではなくて、人権が十分に保障された状態というべきです(積極的平和)。

 平和的生存権を謳う憲法の価値は、核兵器使用さえ公言するロシアのウクライナ侵略という第三次世界大戦の脅威を感じる今こそ高まっているというべきでしょう。

⑵ 憲法九七条削除-人権のためのたたかいの否定

 憲法97条は、憲法が日本国民に保障する人権は、①人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、②過去幾多の試錬に堪へ、③現在及び将来の国民に対し、④侵すことのできない永久の権利として託されたものである、と規定しています。

 ここで「努力」は英文憲法ではStruggleで、闘争・たたかいです。フランス革命、アメリカ独立戦争はいうまでもなく、日本でも自由民権の闘い等がありました。それらの闘いの最も大きな成果が人権の保障として日本国憲法に盛り込まれたのです。 

 憲法97条の国際的、人類的視点、たたかいによってこそ人権・権利は勝ちとれるという闘争史観、さらには不可侵の権利として次代の人々に託されるという未来志向を学ぶべきでしょう。自民党改憲草案が、人権の本質としての「権利のための闘争」を否定し、97条を全文削除しているのは、支配者や政府にとって一番「怖く」、敵視しているのが、この闘争史観だからだと思います。

 さらに、憲法12条は、「不断の努力」により、憲法9条、25条を守り、人権を豊かに発展させるという厳しい「保持」義務を国民に課しているのです。

⑶ 人間の尊厳の理念と自己決定・選択の自由及び平等の原理

 現代の人権保障の理念は、世界人権宣言前文、日本国憲法13条、24条にも示されているように、人間の尊厳(human dignity)です。この理念は、第二次大戦の残虐かつ悲惨な経験への反省から生まれ、優生思想・ホロコーストを全面的に否定するものです。

 人間の尊厳の理念は、すべての人が、唯一無二の存在であり、とって代われず、価値において平等であり、さらに具体化した自己決定・選択の自由さらには平等を原理としています。自己決定とは、自分の生き方、生活の質を自分で決めるということです。しかし、そのためには、いろいろな選択肢が用意されていなければならない。選択の自由が大前提となります。

 平等の原理とは、すべての人に等しく人権が保障されるということで、憲法14条は、法の下の平等を定め、不合理な「差別」を禁止しています。平等の中身も形式的な機会の平等から、実質的あるいは結果の平等が求められています。

三 憲法改悪阻止のために-平和と人権のためのたたかい

 現在、憲法の明文改悪は防いでいます。それは、日本そして世界の人々の「平和と人権のためのたたかい」(97条)と憲法を守り、発展させる「不断の努力」(12条)によるものに他なりません。

 反核・非核の平和運動は核不拡散条約・核兵器禁止条約を生み出していますが、国連の平和維持機能を充実・強化することが喫緊の課題です。被爆国であり平和憲法をもつ日本こそリーダーシップを発揮し、前文が示す国際的な「名誉ある地位」を占めるべきでしょう。

 憲法改悪の動きは加速化しています。平和憲法も良いが、理想的すぎる、現実はもっと厳しい、侵略されるから軍隊をもち、戦争し、敵国を攻撃しなければ、核も持たなければ、緊急事態に備えなければ、そのための憲法「改正」は必要だ、という声も強まっています。

 しかし、理想-憲法は、人類普遍の原理と言ってますが-を掲げ、現実を変えるため「たたかって」きたからこそ、紆余曲折はあっても危機を乗り越え、日本そして人類はここまで進歩してきたと思います。ロシア侵略に対しては、外交努力そして経済等の制裁、非暴力、人道的支援が「抑止力」になっています。さらには、世界の軍事同盟解消こそ、平和への現実的かつ近道なのではないでしょうか。

 人々の平和的生存権を求める国際世論とたたかいこそ、ベトナム戦争・冷戦構造を終わらせ、南アフリカの人種差別体制・アパルトヘイトを廃止させ、報復なしの虹の国建設の力となったことが、人類の進歩を示す歴史の教訓だと思います。                      (金沢大学名誉教授)

総会記念講演(要旨)

ロシアのウクライナ侵略、日本国憲法と「敵基地攻撃能力」「核共有論」

 代表世話人 五十嵐正博

【お断り】事前に公表した「レジュメ」では、標記のタイトルで話す予定でした。しかしそれらについてはすでに多くの論考があるため、講演では、マスコミでほとんど論じられていない「国連憲章においてなぜ集団的自衛権が認められることになったのか」、「否定されたはずの軍事同盟がなぜ存続し、拡大し続けるのか」、「軍縮ではなくなぜ軍拡の方向に向かうのか(SDGsのまやかし)」等について話しました。それらが現在のウクライナ問題の根本にあると考えるためです。

歴史から学ぶ

 2月24日以後、朝から晩まで、ウクライナの惨状がテレビ画面上に流れる。他方で、「大河ドラマ」のいくさ場面(殺し合い)を「娯楽」としてみている。このギャップは何なのか。

「我々が歴史から学ぶのは、誰も歴史から学ばないということである」、ビスマルクが言ったとされる言葉が妙に説得的に思える。私たちは「戦争の歴史」を何も学んでこなかったのではないか、第二次大戦後も世界のあちこちで戦火が絶えない。しかし、「人類の出現から450万年、戦いの歴史は8000年。4.5mの中の8㎜。戦争は人間がおこすものであるから、人間が捨て去ることができる」(佐原 真)。人類は、「歴史を学び」ながら、20世紀になって初めて戦争の違法化にたどりついたはずだ。

ヤルタ会談、サンフランシスコ会議と「拒否権」「集団的自衛権」

 人類が「戦争の違法化」を初めて宣言したのは、第一次大戦後、国際連盟が、締約国に「戦争に訴えない義務」を課したときであった。第一次大戦前、平和維持の一つの方法として、「勢力均衡方式」がとられたが、それは、軍拡競争により対立関係をいっそう激化させ、いったん戦争がはじまると二国間の戦争を同盟網を通じて世界戦争に拡大させてしまうことになった。それが第一次大戦であり、ここから「歴史を学ぶ」はずであった。

 第二次大戦が終わりに近づいた1945年2月、連合国3首脳(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)はクリミア半島の保養地ヤルタに会し、大戦後の処理(ドイツ分割統治など)を決め、新たに創設する国際機構(国連)の安保理における五大国の「拒否権」を認めることにした。

米州諸国は、第二次大戦終了後、侵略行為に対して共同で対処することを約束する地域的条約の締結を予定していた。国連憲章の原案では、こうした地域的条約に基づいて強制措置をとる場合に、安保理の「許可」が必要となる。ところがヤルタ会談で、安保理の表決手続きに拒否権制度が導入されたため、常任理事国の一国でも反対すれば許可は与えらないことになり、共同対処の約束は空文化する恐れがでてきた。

 そこで、安保理の許可を必要としない共同対処の方策として、武力攻撃を受けた国と連帯関係にある国にも反撃に立ち上がる権利「集団的自衛権」を認めることになった(第51条)。しかし、各国家、とりわけ常任理事国たる大国は、自ら武力攻撃を受けていない場合にも、自衛の名のもとに、安保理の統制を受けることなく武力を行使できることになり、このような権利を認めることは、実は、個別国家による武力行使をできるだけ制限しようとしてきた国際連盟以来の努力に逆行する道を開くことになった。

 1949年にはNATOが、1955年にはワルシャワ条約機構が設立されるなどの「軍事同盟」がつくられた。これらの軍事同盟は、いずれも「国連憲章51条によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して」といった規定がおかれている。1960年の「日米安保条約」では第5条(共同防衛)に「武力攻撃・・・その結果としてとったすべての措置は、国連憲章第51条の規定に従って・・・」とある。

国際社会の構造変化と「軍縮」の後退

 国連は51の加盟国で出発した。社会主義国(当初7カ国)は「人民の自決権」を強く主張し、植民地人民の独立を促し、やがて発展途上国の経済的自立に向けての「新国際経済秩序の樹立」に邁進する。その頂点の一つが1986年に採択された国連総会決議「発展の権利宣言」であった。「全面完全軍縮の達成」によって解放される資源が途上国の発展のために用いられるよう宣言したのである。

 SDGsに先立つMDGs(ミレニアム開発目標2000~2015)は、「過去10年間に500万人以上の命を奪った、国内或いは国家間の戦禍から人々を解放するため」、「大量破壊兵器(核兵兵器廃絶にも言及)がもたらす危険を根絶することを追求する」としたのであった。ところが、MDGs で「達成できなかったものを全うすることを目指す」べきSDGs は、「貧困撲滅」を最大の課題と位置付けながら、「2030年までに、違法な武器取引を大幅に減少させる」というのみで、「核兵器の廃絶」も「軍縮」も目標から消されてしまったのである。

ロシアによるウクライナ侵略

 ロシアによるウクライナ侵略は、明確に、武力行使禁止原則、紛争の平和的解決義務、不干渉原則、国際人道法に違反し、国際犯罪となるものであり、「国際法違反の見本市」の感を呈する(松井芳郎)。だが、ウクライナばかりに目を向けるわけにはいかない。「非欧米諸国は、大国による軍事行動の気まぐれな正当化によって、簡単に敵にされたり味方されたりするのだ。」(酒井啓子) アフガニスタン、イエメン、リビア、イラク、その他、世界から「忘れられた」国々。

日本国憲法と「敵基地攻撃能力(反撃能力)」「核共有(保有)論」

 この国は(も)、「歴史を学ばない」、「歴史を教えない」、それどころか、意図的に「歴史を否定し、改ざんし」、「誰も責任を負わないどころか被害者に責任を押し付ける」。唯一の戦争被爆国でありながら、米国の顔色をうかがって、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加もしり込みする。政府は、「国民の生命・安全を守る」といえば、そして対立と脅威をあおれば、憲法を無視してでもすべてが自在だと思っているようだ。改憲推進勢力は、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として、ここぞとばかりに世論を改憲の方向に誘導している。

 「国(軍隊)は国民の命を守らない」、「戦争の歴史から学ぶ」最大の教訓だ。9条改憲の先には「戦争ができる国」から「戦争をする国」そして「徴兵制」が待っている。決してそうさせてはならない。

◎5月21日、金沢市内で開いた非核の政府を求める石川の会第33回総会の記念講演(要旨)です。講師の神戸大学名誉教授・金沢大学名誉教授の五十嵐正博氏にまとめて頂きました。

 

 

【抗議声明】

ロシア連邦大統領

ウラジミール・プーチン 殿

ロシアによるウクライナ侵略に厳重抗議し、

軍事行動の中止とロシア軍の撤退を求める 

 2022年2月28日

非核の政府を求める石川の会

 ロシアのプーチン政権が2月24日、ウクライナへの侵略を開始したことに厳重抗議し、軍事行動の中止とロシア軍の撤退を強く求める。

 今回の軍事行動は、主権国家に対する一方的な軍事攻撃であり、武力行使を禁止した国連憲章、国際法を踏みにじる行為であり、断じて容認できない。

 プーチン大統領は、ウクライナへの軍事侵攻の前、2月19日核弾頭も搭載可能な大陸間弾道ミサイルの発射訓練をおこない、さらに24日には「現代のロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」「我が国を攻撃すれば、壊滅し、悲惨な結果になることは疑いない」と発言し、核兵器の先制使用も辞さない構えを見せている。

 これは昨年1月に発効した核兵器禁止条約が禁止している「核兵器の使用」及び「核兵器による威嚇」を示唆するもので明白な国際法違反である。

 また本年1月3日、核保有5大国(米ロ英仏中)がNPT再検討会議の延期にあたり発表した「核戦争阻止と核軍拡競争回避に関する共同声明」において、「我々は、核戦争は勝利はありえず、けっして戦ってはならないものであることを確認する」と謳っていることにも反する重大行為である。

 私たちは、核戦争の防止、核兵器の廃絶を願うすべての人々と連帯し、プーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻の即時中止とロシア軍の撤退を強く求めるものである。

 

◎非核の政府を求める石川の会は、2月28日在日ロシア連邦大使館宛に標記の抗議声明を送りました。

 

 

< 書評 >

『記憶の灯り  希望の宙へーいしかわの戦争と平和』によせて

代表世話人  井上英夫

 

 A4判・132頁 オールカラー 定価:1300円(税込み)

 昨年8月15日、日本敗戦の日、『記憶の灯り 希望の宙へ   石川の戦争と平和』が、石川県平和委員会と戦争をさせない石川の会より発行されました。

 本書の執筆者、そして内灘闘争をはじめ石川県の平和運動のリーダーの一人莇昭三さんは、本書発行直前の7月19日に亡くなり、そのたたかいの歴史に幕を閉じられました。

 莇さんは、編集後記で、「読者や戦跡への訪問者が、『そうだったのか、やっぱり戦争に反対しなければ!』と心が駆り立てられる冊子であってほしい。その願いは、今、実現したように思える。若者たちには、75年前の戦争が遠い昔話でなく、歴史に向き合うことは、君たちの未来につながる道標となることを、強く伝えたいと思う。」と述べています。

被害と加害そしてたたかいの歴史

 内容は、大きく四つ、⑴ 天皇の軍隊 加害の歴史、⑵ 国民・兵士 被害の歴史、⑶ 混乱と復興の狭間で、⑷ 逆流に抗い平和を守る、となっています。

 被害の歴史では、兵士、銃後の人々、そして満蒙開拓団等が取り上げられています。中でも衝撃的なのは、日中戦争、アジア・太平洋戦争で軍人軍属の戦没者は約230万人、しかし、そのうち140万人は餓死者で、6割強にのぼったということです。そして莇さんの綿密な調査で石川の兵士の戦死は26,615人、どこで、どれだけ「戦死」したのか明らかにされています。

 本書の最大の特色と意義は、加害の歴史を取り上げていることだと思います。1898年には第九師団司令部がおかれ、軍都金沢の象徴となり、南京攻略戦(大虐殺)の主力としても投入されるわけです。七三一部隊についても石井四郎隊長は四高出身で、敗戦後逃げ帰った上陸地は金沢でしたし、金沢医科大、後の金沢大学医学部には部隊関係の医師が入り、学長にさえなっています。

 私は、大学で戦争と平和、人権について講義し、日本軍慰安婦、植民地におけるハンセン病政策も加え、とくに加害の歴史を語ってきましたが、歴史の歩みを眼前に見ることができる例として、野田山墓地へ足を運ぶように勧めてきました。

 野田山墓地には、戦争捕虜と日本軍兵士の墓があります。大きくて将校の墓は立派ですが、一般兵士の墓は小さい。さらに1940年からの日露戦争のロシア兵捕虜の墓もありますが立派なものです。まだ、軍、国、日本社会に、捕虜に対し人道的扱いをする「武士道精神」も残っていたのでしょうか。しかし、朝鮮の植民地化、アジア・太平洋戦争へと突き進む中、「堕落」は進んでいきます。

   行きつくところ、人々の踏みつける道路の下への尹奉吉(ユン・ボンギル)の遺体の暗葬です。尹奉吉は、日本の侵略と植民地支配に抵抗し1932年に上海で爆弾を投げ軍人たちを殺傷し、金沢で銃殺されたのでした。1946年ようやく発掘され、1992年暗葬の地に碑が立ち、近くに「殉国記念碑」も建立されています。私は、ソウルの梅軒尹奉吉記念館そして上海魯迅公園内につくられた梅亭も訪問しています。

 日本にとっては、テロリスト尹奉吉も、植民地にされた朝鮮、そして侵略された中国の人々にとってはまさに「義士」であり英雄です。加害の歴史には目をふさぎたい、避けて通りたい、無かったことにしたい。これが、多くの日本の人々とくに若い人達の偽らざる気持ちではないでしょうか。「踏んだ側は忘れても、踏まれた側は痛みを忘れない」といわれますが、加害の歴史に正面から向き合うことの覚悟と勇気こそ今求められているのではないでしょうか。今とくに問題となっている日本軍慰安婦、徴用工問題もこの姿勢を示せば道は開けると思います。

現地・現場主義と想像力

 本書は、「戦争の痕跡をたどり、悲惨な記憶を学び、未来へ手渡す」ことを目的としているわけですが、現地に足を運び、現場を見ることの大事さを痛感しています。私は、社会保障裁判やハンセン病問題、そして人権・平和問題にかかわってきましたが、現地・現場主義を法学研究の基本に据えてきました。

 2016年4月、最高裁判所は、裁判所外の「特別法廷」で開かれたハンセン病患者に対する裁判を裁判所法違反、さらには不合理な差別であったとして実質的には憲法14条違反の差別と認め、謝罪しました。私は、この件で設けられた有識者委員会の座長を務めました。調査委員会を構成する裁判官そして有識者委員にハンセン病患者の「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」による差別・人権剥奪の実態、その空気を知ってもらうことが何より大事だと考え、群馬の栗生楽泉園、熊本の菊池恵楓園を訪問しました。

 委員の皆さんが、とくに「ショックを受けた」のが栗生楽泉園に復元された重監房でした。もちろん、復元されたもので、マイナス20度にもなる極寒、餓死するような食事、悪臭も、ノミや南京虫もありません。しかし、アウシュビッツに匹敵するような残虐な実態にふれ受けた影響は計り知れないほど大きかった。

 同時に、現地・現場主義といっても限界はあります。すべての戦跡や生命権はじめ人権剥奪の現場に立てるわけではありません。血の匂いを嗅げるわけではありません。それを補うのが想像する力だと思います。本書は、まさにその想像力を掻き立てる力があると思います。

平和的生存権と人権のためのたたかい

 改めて憲法の輝き、力、そして人々の人権のためのたたかいの正当性に確信が持てました。憲法は、周知のように国民主権、平和主義、基本的人権を3本柱にしています。県内には憲法記念碑、憲法九条の碑そして非核・平和の標柱等が沢山あります。

 憲法前文は、平和的生存権をかかげています。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、と。

 ここにある「恐怖」とは戦争やテロ、「欠乏」とは飢餓や貧困です。したがって前者については、憲法9条で、後者については憲法25条を基底とする26条の教育権、27、28条の労働権、労働基本権等の人権いわゆる社会権を保障しているわけです。

 この意味で、憲法9条と25条は一体である、戦争・平和と生命・生存・健康で文化的な生活を保障する人権保障は一体であることを再確認した次第です。さらには、日本国民だけでなく、「全世界の諸国民の公正と信義に信頼し、私たちの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で述べていることも強調しておきたいと思います。

 そして、本書がたどっている内灘闘争をはじめとする平和的生存権のためのたたかい、とくに非核・平和の自治体づくりは2006年、県内全自治体の「非核・平和自治体宣言」決議を生み出していることも紹介されています。

 日本国憲法97条は、憲法の保障する人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(たたかい)の成果」であると明言して、私たちの平和と人権のためのたたかいの正当性にお墨付きを与えています。

 そして、本書発行はまさにこのたたかいの一環であり、この成果を生かすことこそ、憲法12条が定める、憲法、人権を保持するために私たちに課せられた「不断の努力」義務をはたすものに他ならない、と思います。

 現在のみならず未来を見据えるとき、日本の歴史とくに近・現代史を学ぶことが必要だと思います。本書を教材とした平和、人権教育を学校教育、社会教育の場で保障する、そのためのたたかいを提言します。

◆ 年頭所感 ◆ 

一人ひとりの尊厳を尊重する社会を

代表世話人 五十嵐正博

 コロナ禍での新年、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。皆さんが本「会報」を手にされるころ、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効します。核兵器の廃絶を願って長年奮闘されてきた皆さんに心より敬意を表します。これからは、「核なき世界」を「実現」するためにどうしたらよいかが問われることになります。

コロナ後の世界を示唆する

 さて、このコロナ禍からなにがみえてきたでしょうか。感染症への警鐘が以前からなされてきたにもかかわらず、ほとんどの国で、感染症に対する対策・準備の軽視あるいは不存在、安倍・菅政権は、「自助・後手後手・場当たり的・コロナよりも経済を」の対応に終 始し、「命を軽んずる」政権であることを改めて明らかにしました。 「安心して暮らせる日常」こそがなにより大事だと実感する日々です。安倍政権は最悪だと思ったら(一難去って)、より悪い菅政権が生まれてしまいました(また一難)。なんと表現しましょうか、「最悪+A」とでも。

 「軍事優先」「新自由主義」政策の下で繰り広げられる「格差社会」の拡大は、弱者により大きな犠牲(まさに生きるか死ぬか)を強いることになっています。自公政権は、「安全保障環境の一層の厳しさ」、「国民の生命・財産を守る」ためという常套句を弄しながら、医療・福祉・教育分野を軽視しつつ、軍事費の拡大だけは続けています。新型コロナウィルスは軍隊で防ぐことはできない、軍隊はむしろ有害無益だということも改めて明らかになりました。「軍事費をコロナ対策に回せ」との声が高まるのは当然です。

 コロナのことを考えながら、ふと思い立ち、書棚の片隅にあった、高校時代の教科書『詳説世界史』(1965年、山川出版社)を取り出しました。赤線だらけ、ほとんど覚えてない。私の記憶力の弱さはさておいて、半世紀以上前の受験勉強はなんだったのか。いや、歴史を学ぶことはとても大切です。受験と結びついたことが問題なのだ、ということにしておきましょう。

 それはさておき、昔の『世界史』の教科書を引っ張り出したのは、「感染症」「ペスト(黒死病)」についての記述があったかを確かめようと思ったからです。唯一、「たまたま1348年黒死病(ペスト)が西ヨーロッパを襲い、農村人口は激減し」、荘園制・封建制の崩壊にともない、「15世紀ごろには各地に中央集権の近代国家が成立してゆく」との記述がありました。「スペイン風邪」は見当たりません。高校生用の「世界史」の教科書は、感染症の蔓延(パンデミック)が国家のあり方を、さらに国際社会のあり方を根本から変える契機の一つになりうると教えていたのです。執筆者にそんな意図があったかどうか、私自身は、当時、そのような意味をくみ取ることはありえませんでしたが。地方政治の実権を握っていた諸侯、騎士が没落し、成長した市民階級は国王と相提携し、中央集権化が図られていったのでした。こうして近代国家が成立していきます。

 そこで、次の問いは、現下のコロナ禍でなにが「没落」し、なにが新たに生まれるのか、いかなる社会の変革がもたらされるのかです。たとえ遅々たるとはいえ、歴史上、人類がたどってきた「進歩」から「変革の道筋」を導きだすことができるのではないか。「進歩」の定義は種々ありえますが、私が思う「進歩」とは、人類は、「一人ひとりの尊厳が尊重される」社会を目指してきたことです。それは、支配と従属、偏見と差別のない社会を目指す「不断の努力」であり、今後も続けられなければなりません。

「植民地の解放」を目指して

 道半ば、あるいは人類史においては始まったばかりかもしれません。私は、「植民地の解放」を研究課題としてきました。国際社会は、国家間の、また国家とその植民地の「支配・従属」関係をいかに断ち切ろうとしてきたか。1960年、国連総会は、植民国家などの反対を押しきって「植民地独立付与宣言」という画期的な決議を採択しました。「すべての植民地人民は独立する権利がある」、この宣言に勇気づけられ、その後100以上の植民地が政治的独立を達成してきました(国連加盟国は51から193へ)。しかし、途上国の経済的「独立」は今も困難を極めています。本稿で詳述することはできませんが、途上国は、先進諸国からの経済的独立を求めて、「多国籍企業の行動を規制する権利」を求めてきました。私は、1996年に「近年の国連における多国籍企業の活動の積極的評価と『民営化』促進の動きは、まさに全世界を『先進国』(の企業)のために再西欧化する試みであり、このままでは途上国を益々従属的な地位に追いやることになろう」と指摘したことがあります。この状況は改善されるどころか、悪化しているのではないか。近年話題の「SDGs=持続可能な開発目標」に、多国籍企業、民営活動はむしろ肯定的に言及されています。実は、途上国の声は先進国の抵抗によりかき消されてきたのです。

「人権の普遍化」を目指して

 1948年12月10日、国連総会が採択した「世界人権宣言」は、もう一つの人類が到達した「進歩」でした。世界人権宣言は、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等で奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものである」と宣言します。以後、国際人権規約をはじめ、種々の人権関係条約が結ばれ、人権を実現するための各種「委員会」が設けられるなどの「進歩」を遂げてきました。第二次大戦後、人権尊重は、すべての国家が従うべき普遍的な理念になってきたのです。

 非植民地化(最近、沖縄では「脱植民地化」といわれます)を推し進めたのが「自決権」という画期的な考えでした。「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」(国際人権規約共通1条)。自決権は、すべての人権享有の大前提であり、植民地支配は自決権の否定そのもの、植民地の人々の人権抑圧体制そのものなのです。「香港」に対する中国の弾圧政策を決して認めることはできませんが、未だに植民地を手放そうとしない植民国家の「政府」(米・英・仏など)が中国を批判する資格はありえないことも指摘しておきます。

日本社会の変革を目指して

 先の教科書の事例にならえば、日本社会の変革のためには、自公政権を「没落」させ、「市民と野党が相提携」し、日本国憲法を活かす政権への交代がなければなりません。その政府は、「一人ひとりの尊厳を尊重する」政府であり、必ずや核兵器禁止条約を批准し、核兵器が「壊滅的な人道上の帰結」、すなわち「人類の生存」に関わるのだと世界に向けて強く訴え、「核兵器のない世界」の実現を目指すはずです。

 なお、沖縄が強いられ続けている諸問題、「日本学術会議任命拒否」、「自衛隊の敵基地攻撃能力」など、それこそ「菅政権はどこまでやるか」と頭の中が沸騰しそうです。それらは別の機会にお話しする機会があるかも知れません。いずれにしろ、政治を私たち市民の手に!

 本年もよろしくお願いします。

 

今「必要緊急」なこと  日本国憲法を活かす政府をつくろう

代表世話人 五十嵐正博

 私たちは、今、新型コロナ・パンデミックの渦中にいます。パン(すべての)デミア(人々)、まさに地球上のすべての人を襲う感染症。人間は、地球上に存在する何百万、いや何千万とも知れぬ種の一つにすぎません。すべての種が、地球誕生以来、種の生存・共存のためのメカニズムを営々と作り上げてきたのでしょう。しかし、人間だけが、森羅万象を支配できると思い込む「おごり・思い上がり」を持っているのではないか。現下の事態は、「経済成長」を金科玉条とし、人間一人ひとりの尊厳をないがしろにしてきたことに対する「戒め」「警鐘」とも思います。
 人間は、何を、どこまで反省し、その反省を将来に生かすことができる歴史を、私たちは見て見ぬふりをしてきたのではないかとさえ思いたくなります。今回のコロナ禍との直接の関連はさておき、気候変動がもたらす様々のリスクが語られてきました。1988年設立の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、「世界平均気温の上昇による主な影響」として「感染症による社会的負荷の増加」「医療サービスへの重大な負荷」を指摘し(2007年報告書)、さらに「21世紀半ばまでに予想される気候変動は、主に既存の健康上の問題を悪化させることで、人間の健康に影響を与える」「確信度が非常に高い」としました(2014年報告書)。温暖化対策は一向に進んでいません。
 IPCCの警告は無視され続けただけでなく、むしろ、この国で進められてきた無残な福祉・医療の切り捨てが現在の混乱、悲惨な事態を招いています。予想された事態なのです。井上英夫さんが、国立病院の再編・統合に反対する運動をしていた姿を思い出します。
 今、目の前のコロナ禍の収束を図らなければなりません。国民には「不要不急の外出自粛」「三密回避」を要請しつつ、右往左往する安倍政権。今日を生き抜くことに汲々としている多くの人に救済の手が届かない。この国の歴代政権は、日本国憲法を活かす努力を怠ってきたからです。
 安倍政権の立ち位置は、「個人よりもお国(そしてお友だち)のために」。コロナ対策に当たって「必要緊急」なことは、日本国憲法を活かす政策です。軍事費の支出を止めて、一人ひとりの尊厳を守る政策の即時の実施です。
 
 私の父親は、敗戦後、一時公職追放になりましたが、1950年、全国各地に家畜保健衛生所が設置され、群馬県太田市の初代所長になりました。父28歳。私が生まれた翌年でした。父が「抗原抗体反応」と話していた記憶がよみがえりました。半世紀以上前、すでに行われていた「抗体検査」、その実施が未だに滞っていることに驚くばかりです。
 「あれよあれよ」という間の(政策決定過程が不透明な)「上意下達」の乱発、それらを垂れ流しするマスコミ、そしてそれに唯々諾々と従う(従わされる)市民。ファシズム体制との類似を指摘する見解も見られます。そうさせないためには、憲法を活かす「信頼できる政府」を私たち市民がつくること、それしかありません。
(神戸大学名誉教授、金沢大学名誉教授)

コロナ問題を人権の視点で

代表世話人  井上英夫

コロナ禍の中で
 コロナ禍、皆さんご無事でお過ごしでしょうか。
 一週間前ようやく届いた「アベノマスク」を前に悩んでいます。安倍に突っ返そうか。こどもたちに使ってもらおうかと。近所の養護施設の施設長さんに相談したら、こどもでも役に立たないし、もう余っているからいらない、と言われました。世紀の愚策ですね。愚策は、ほかにも一杯ありますけど。
 私も、時間ができたので。庭仕事に励み、花や樹木、鳥のさえずりに囲まれて暮らしています。自然の偉大さと有難さを痛感しています。金沢は、今春、花々が一斉に咲き誇り、桜も長く楽しませてくれました。
 この間、日本高齢者人権宣言草案づくりに取り組みました。WEB会議とメールで意見を交わし、高齢期運動連絡会に提案しました。今後、議論を重ね、高齢期運動の要求と目標の指針とするものですが、何より日本政府に高齢者の人権保障への責任を果たさせ、国連高齢者人権条約策定へのリーダーシップを取るように迫るものです。
 コロナ禍は、とくに高齢者を襲い、石川県かほく市の二ツ屋病院が典型ですが、人権の砦たるべき病院や特別養護老人ホームでの感染、死亡も目立ちます。そんな中で、働くことのできない、価値のない人間は死んでも良いというような優生的、劣等処遇的考え方も広まり、「姥捨て山」を作れという主張さえあらわれています。
 この国の未来がかかっている
 コロナ禍や地震、津波、原発事故等の災害、緊急時こそ、国や社会の諸問題が集中的に表れます。コロナ禍で医療や介護崩壊がいわれ、教育そして雇用等の危機が叫ばれていますが、問われているのは国の政策です。平常時の豊かで、分厚い人権保障こそ、緊急時、非常時にも力を発揮し、人々の営業、労働、生命、生存、生活、健康、文化、教育等の諸権利を守ることができるわけです。
コロナ問題にはこの国の未来がかかっています。まさに人権保障そして国民主権・民主主義、平和主義を掲げる憲法を守り、より発展させるのか、緊急事態を口実に、改憲・「独裁」への道を開くのか。とくにコロナ問題を人権の視点でとらえる必要があると思います。ところが、「生活の在り方」を考えようなどという国民への責任転嫁が目立ちます。変わらなければならないのは、何より安倍政権です。
 言葉に注意
 コロナ禍のなかで、カタカナ用語はじめ気になる言葉が乱用されています。そのいくつかを。
 「自粛」と「支援」
 国民への「自粛」とは、「禁止」ではなく国民の自主性を尊重しているようですが、実は、社会保障の自立・自助、共助、公助論と根っこは同じ、国は結果には責任は持ちませんよ、ということですね。営業等財産権の制限に対する「正当な補償」は国の義務ですが、一貫して拒否し、「支援」を連発しています。マスコミも人々も「支援」にならされていますが、補償そして社会保障も「公助・支援」ではなく人権として「保障」されています。「補償」そして「保障」とは、主権者国民の権利であり、国に義務と責任があるということを意味しています。
 「不要不急」
 外出自粛の「基準」とされているのが、「不要不急」ですね。原発、リニアモーターカー、カジノそして軍事費こそ不要不急な最大のものでしょう。
7 私たち社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会)の四月一五日の声明をご覧ください。

(https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/e/6865991853d5854037dd0ea221a9e918)

 ミサイル・戦闘機よりバターを、軍事費より人権保障に。非核の政府を求める会として、この訴えを広めましょう。
 「アラート」「ステイホーム」
 アメリカかぶれ?の小池都知事がカタカナ英語を頻発していますが、アラートは「警報」でよいでしょう。また、ステイホームと耳障りは良いのですが、命令形ですね。家にいろと自粛を「強制」されている感じがします。
ハンセン病政策を教訓に日本は、感染症に対して、ハンセン病「強制絶対終生隔離収容絶滅政策」という負の歴史をもっています。ハンセン病は薬で完治し、死に至る病ではありませんが、どんなに強力かつ危険な病気であっても人権保障が貫かれなければならないということが、大事な点です。この教訓が生かされなければならないと思います。この点、私の「新型コロナウイルス感染症と高齢者の人権」(『ゆたかなくらし』2020年6月、7月号)をご覧ください。(日本高齢期運動サポートセンター理事長)

年頭所感

「自衛権」という口実、 そして安倍政権にさよならを

                                    代表世話人  五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
  拙稿が皆さんのお目にとまるとき、私はちょうど71歳。1795年、カント先生が『永遠平和のために』を出版されたのが71歳でした。繰り返されるアメリカによる暴挙、年初のイラン要人の暗殺。このような事態が起こるたびに、カント先生の国際法学者を揶揄する声が歴史のかなたから聞こえてきます。国際法学者の名前は、戦争を正当化するときに決まってでてくるが、彼らの言葉のもとに戦争を中止することはなかったね、と。まさに、その通りです。
 昨年11月、憲法研究者126名は、「ホルムズ海峡周辺への自衛隊を派遣」に反対声明をだしました。憲法研究者は、憲法が危機にあると思われる事態に直面するたびに声明をだしています。国際法研究者はどうでしょうか。私の知る限り、たったの一度。『しんぶん赤旗』(2003年3月19日)は次のように伝えました。

 「国際法に照らしてイラク武力行使は許容されない」。
 日本の国際法学者23人が18日、米国の対イラク攻撃に反対する声明を発表し、外務省の林景一条約局長を通じ、川口順子外相に申し入れました。松井芳郎(名古屋大)、最上敏樹(国際基督教大)、五十嵐正博(金沢大)、古川照美(法政大)各教授が申し入れました。」この声明をだす事務方が私でした。事態は今も(そして、いつも)同じですから、その声明の一部を紹介しましょう。
 「声明」は、国連憲章が武力行使と武力による威嚇を禁じ、その例外として認めているのは、
(1)武力攻撃が発生した場合の自衛権行使、
(2)平和の脅威に対する集団的措置として国連安保理が決定した行動、
の二つだけであるが、現在、武力攻撃は発生していない。
将来発生するかもしれない武力攻撃に備えるという「先制的自衛」論を認める法原則は存在しないのであり、「先制的自衛を肯定するような先例を今ここで作ってしまえば、例外としての自衛権行使を抑制する規則は際限なく歯止めを失う」との懸念の表明でした。
 今回も、アメリカが暗殺を正当化する理由も「自衛権」でした。未だ、歯止めがかかっていないのです。

                                                          戦争は人間がおこすもの
 私は国際法の研究・教育を生業にしてきました。毎年の講義では、国際法の歴史の中で「戦争」についての考え方の変遷を話します。長い間、「戦争」は人類発生時からあったと思い込んでいました。あるとき、考古学者である佐原真氏(元「国立歴史民俗博物館」館長)の本に衝撃を受け、己の無知を恥じたのでした。「450万年の経過のなかで8000年という戦いの歴史。それは、翻訳すると4.5メートルのなかの8ミリである。」(『戦争の考古学』(岩波書店、2005年)。そして、佐原氏は、「戦争は、・・・人間がおこすもの・・・人間が創ったものであるからには、私たちは、戦争を捨て去ることを目標としなければならない。」と述べています。

                                                     権力側と憲法擁護側の「非対称性」
 さて、憲法を蹂躙する権力側と、憲法を守り活かそうとする側には、「非対称性」があります。権力にしがみつ
く者の執念たるや、恐るべし。
 権力側は、身銭を切ることなく、むしろ企業などから献金を集め、搾り取った税金を権力維持のために、政府組織の総力をあげることができる。他方、憲法擁護側は、身銭を切り、一人ひとりの心のこもったカンパを募り、個人のつながりしかない。なんという、許しがたい「非対称性」でしょうか。
 権力への執着心は、「国民を生かさず殺さずの限界」、「国民の怒りが沸騰する限界」を見極める調査作業を怠りません。
 どこまで増税し、防衛費を増大させ、アメリカから兵器を爆買いしても、どこまで社会保障費・教育費を削減しても、どこまでマスコミを懐柔し、官僚に忖度させようが、国民多数の怒りを呼ばずにすむかを見定める作業。疑惑が表面化するたびに、「丁寧に説明する」といいながらだんまりを決め込み、「隠蔽、改ざん、廃棄、記憶にない」を繰り返して、野党と国民の批判・怒りが通り過ぎるのを待つ。
 「沖縄、被災地に寄り添い」と言いながら「民意」を一顧だにしない。実は、休日にはお友達や取り巻きとゴルフを楽しみ、毎晩のように、寿司・ステーキを食べながらも、この「限界」を注視しているに違いありません。
 もっとも、安倍一強長期政権のおごりとゆるみは、しばしば見せる尊大で横柄な態度に見て取れます。野党、国民をなめ切っているのではないか。この国の民主主義は、すでに破局を迎えているのではないか。

                                                              市民と野党の共闘を辛抱強く
 樋口陽一先生は「戦後デモクラシーの破局をどう乗り切るか」について、こう結ばれています。「自分たちそれぞれの主張の中身を国政の場で受け止めようとする政治家をーーいまの与野党の仕切りを超えて一人でも多くーー有権者の手で育ててゆくという正道を辛抱強く切り開き続けること。」一九五〇年代に経験したことはひとつの示唆となるはずだと。(『リベラル・デモクラシーの現在』(岩波新書、2019年)。
 市民と野党の共闘を辛抱強く切り開き続ける「不断の努力」によって「非対称性」を打ち破り、安倍政権を倒して、日本国憲法を活かす政府をつくらなければなりません。

【年頭所感】 

トランプ・ならず者国家、安倍「忖度」政権に鉄槌を!
                                     代表世話人 井上英夫

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と、ご挨拶するつもりでしたが、全く「めでたくない」年明けとなりました。
 ご存知のように、1月3日、トランプ大統領の命令により米軍がイラン革命防衛隊の司令官をイラクのバグダッドでのドローン攻撃により殺害しました。イランの報復そしてアメリカの再報復が叫ばれ、第三次世界大戦勃発さえ懸念されています。

 米国の攻撃は、明確に国際法違反であり、米国は、テロ国家=ならず者国家に他ならないことを露呈しました。さらに情けないのは、安倍政権ですね。批判も非難もせず、自衛隊派遣で追随しています。得意の日本民族・国の誇りはどこに行ったのでしょうか。トランプの犬――犬に失礼ですが――として、これも得意の「忖度」でだんまりを決め込んでいます。
 しかし、こうした安倍政権の存在を許しているのはわれわれでもあります。怒りをもって日本政府にアメリカの暴挙を止めさせましょう。そのため、憲法97条も認めている平和、人権・権利のためのたたかい、革命レボリューションを起こしましょう。
 私も呼びかけ人の一人で軍事費増加に反対する「社会権の会」(https://twitter.com/hashtag)は1月5日、急遽下記のような声明を発しました。広く拡散し、平和のための行動に活用いただくようお願いして、新年のご挨拶とさせていただきます。

米国によるイラン革命防衛隊司令官殺害に関する社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会 https://blog.goo.ne.jp/shakaiken/)の声明

                   ◇はじめに◇
 アメリカのトランプ大統領は2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊の司令官ソレイマニ氏をイラクのバグダッドで殺害したと発表した。トランプ大統領は同日の記者会見で、ソレイマニ司令官は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と批判し、「我々の行動は戦争を止めるためのものだった」として殺害を正当化している。イランが「イランに対する開戦に等しい」「国連憲章を含む国際法の基本原則を完全に侵害する国家テロだ」として反発し報復を宣言する(ラバンチ国連大使)一方、米国防総省は米軍部隊3500人を中東地域に増派する方針を明らかにし、米イラン関係、米イラク関係を含め中東地域は緊迫した情勢となっている。
                  ◇意見の理由◇
 ソレイマニ氏はイラン革命防衛隊コッズ
部隊の司令官として、各国でイスラム教シーア派民兵組織(イスラム国[IS]に対抗してイラクの宗教指導者シスタニ師が呼びかけて結成された人民動員部隊[PMU]など)を支援してきた革命防衛隊最高幹部であり、敵対するアメリカに対しては、過去に、中東に展開する米軍をいつでも攻撃できるという趣旨の発言もしていた。しかし、いかに政治的・軍事的に目障りな存在であるとしても、超法的に人を殺害することが許されるはずはない。大統領という国家機関によって指示されたこの殺害行為は、明白な脱法行為であり、アメリカによる国際法違反行為(超法的処刑extra-judicial execution)である。
 国連憲章51条は「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛権の行使を認めており、先制的・予防的な自衛権の行使は認められていない。在外自国民の保護など、国の領土保全に対する武力攻撃に至らない程度の侵害行為に対しても、自衛権を援用することは許されない。攻撃が急迫していると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には先制攻撃も許されるという学説もあるが、差し迫ったものかどうかの判定は先制攻撃を行う国が行うこととなり、濫用されやすい考え方である。
 先制的自衛論を含め、そもそも自衛権の行使が濫用されやすいものであることは、歴史が示している。アメリカの軍艦が攻撃を受けたとして、アメリカがベトナム戦争に本格的に参戦するきっかけとなった「トンキン湾事件」は、後に、アメリカが秘密工作によって自ら仕掛けた「やらせ」であったことがジャーナリストによって暴かれた(ペンタゴン・ペーパーズ)。また、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っている「恐れ」を理由とし、ブッシュ大統領の先制攻撃論(ブッシュ・ドクトリン)によってアメリカとイギリスが一方的にイラクを攻撃したものだったが、大量破壊兵器は発見されなかった。にもかかわらず、軍事行動は「フセイン大統領の排除」、「イラクの民主化」と目的を変遷させて続けられた。
 こじつけの理由であれ、いったん始まった軍事行動はエスカレートするのが常であり、その結果は悲劇的である。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人が犠牲になり、米軍の撒いた枯葉剤による障害や健康被害に苦しむ人が今もいる。イラク戦争は推定で数十万人ものイラクの民間人死者を出し、米軍の使った劣化ウラン弾などによる奇形児の誕生など被害は続いている。さらに、イラク戦争とそれに続くアメリカ・イギリス軍の駐留、その後発足したイラク新政権、これらにより激化した社会の混乱とイスラム教の宗派対立は、「イラクのアルカイダ」を源流とするISを生む結果になったと今では広く認識されている。
 イラク戦争時、日本の小泉政権はアメリカに追随してイラク戦争を手放しで支持したが、イラク戦争を遂行した国や支持した国(オランダ、デンマークなど)と異なり、日本政府は今なお、イラク戦争を支持した政治判断の検証をしていない。それどころか政府は、憲法の専守防衛の原則に明らかに反する2015年の安保法制によって、地球上どこでもアメリカと共に集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が軍事活動を行うことを可能にする法整備を行った。
 今回の事件を受け、中東に駐留する米軍がイランから攻撃を受ける可能性がある。その場合日本は、集団的自衛権の行使として米軍と共に反撃することが求められる事態になりうる。折しも日本政府は先月末の閣議決定で、1月中に中東地域に海上自衛隊を派遣する決定を行っている。これは、「日本関係船舶の安全確保に向けた情報収集を強化」するという名目で、防衛省設置法上の「調査・研究」を根拠として行われるものだが、自国船舶の防護を求めるトランプ政権の意向を受けた派遣であり、これによって得られた情報はアメリカと共有されることが当然考えられる。自衛隊が駐留することになった結果、場合によっては、アメリカの同盟国として自衛隊が攻撃を受けることがありうる。きわめて憂慮すべき事態である。
 トランプ大統領は、環境保護や紛争の平和的解決のための国際協定から次々とアメリカを離脱させる一方、日本には高額の米国製兵器を売りつけ、日本や韓国、ドイツなど同盟国に駐留米軍経費負担の大幅増を求めるなど、国際社会の公益には関心がなくもっぱら米国の経済的利益のための「ディール」を推進する人物である。そして、日本政府はそのような指導者をもつアメリカと距離をおくどころか、その要求を唯々諾々と受入れ、米国製兵器のローン購入を含め、防衛費をかつてない規模に増加させ続けている。急速に少子高齢化が進む中、年金の引下げと生活不安(「老後2,000万円」問題)、保育所を設置し待機児童をなくす、若い人の人生の足かせになっている「奨学金」ローンの問題といった少子化対策、教育を受ける権利を実現するための学費値下げなどが本来、日本の抱える最重要課題であるにもかかわらずである。
    今回の殺害は、次期大統領選挙も見据え「強いアメリカ」を演出する意図もあったとみられるが、アメリカも、そして日本も、イラク戦争がISを生み今に至っていることへの反省もなく、さらに中東地域を武力衝突の悪循環に陥れることは断じて許されない。
                   ◇意見の趣旨◇
 我々は日本政府に対し、第一に、ソレイマニ司令官殺害が戦争を止めるための正当な行為だったとするアメリカの説明を支持せず、超法的殺害として毅然と非難する態度を取るよう求める。第二に、自衛隊の中東派遣は直ちに中止すべきである。第三に、アメリカがさらなる軍隊派遣と攻撃によって武力衝突の危険を高めていることに日本として懸念を示し、問題の平和的な解決を促すことを強く要求するものである。
    2020年1月5日

 非核の政府を求める石川の会も参加している原水爆禁止国民平和大行進石川県実行委員会では、「非核・平和の自治体づくり」の視点から毎年平和行進への首長メッセージを依頼しています。
 今年の平和行進では、県内20自治体のうち石川県知事と珠洲市長以外の18自治体からメッセージが寄せられ、中能登町、宝達志水町、野々市市は首長、議長が行進団の出発式or到着式に参加してメッセージ披露がありました。

 2017年7月、国連で採択された核兵器禁止条約にふれた輪島市長、七尾市長、白山市長のメッセージを紹介します。

 

「2019年 原水爆禁止国民平和大行進」メッセージ

 「原水爆禁上国民平和大行進」61周年を心からお祝い申し上げます。

 皆様におかれましては、1958年から61年間という永きに亘り、反核・平和を願い、立ち止まることなく歩み続けてこられました。そして、一昨年7月7日、ついに国連で核兵器禁止条約が採択にいたりました。

 このことは、皆様の「核兵器の無い世界をつくろう」という長年の努力が結実したものであり、誠に喜ばしく、心から敬意を表するものであります。

 さらには、世界の人々の平和への強い願いから、核保有国の非核化や核軍縮に向けた動きも出てきております。このような状況の中、一刻も早く、核兵器のない平和な未来を実現するために、共に連帯し頑張りましょう。

                                     令和元年6月9日

                                    輪島市長 梶 文秋

 

2019年原水爆禁止国民平和大行進 市長メッセージ

日時:令和元年6月10日(月)18 : 00-

                          場所:七尾市役所前

 原水爆禁上国民平和大行進の開催にあたり、原水爆禁止石川県協議会をはじめ、本日お集まりの皆さまにご挨拶申し上げます。

 広島、長崎の原爆投下から、今年で74年を迎えようとしております。我が国、そして世界では、恒久平和の実現を求めて様々な取り組みがなされております。一昨年7月には、国連で核兵器禁止条約が採択されたところであり、現在70ヶ国が調印し、23ヶ国が批准していると伺っております。これらは核兵器の廃絶に向けた大きな前進であり、皆さまの運動をはじめとした草の根の取り組みが粘り強く続けられてきた成果であり、心より敬意を表します。

 しかしながら、世界には未だ核兵器が存在し、各地で紛争やテロ行為により尊い命が失われています。北東アジアの非核化に向けても、予断を許さない情勢が続いております。世界で唯―の被爆国である私たちは、人類が三度と悲惨な経験を繰り返すことのないよう、確固たる意志を持って核の根絶を訴えていかなければなりません。

 同時に、戦争の記憶を風化させることなく語り伝え、平和を愛する心を次世代に引き継いでいくことが大切です。皆さまの運動により、平和への思いが世界へと広がることを心より期待申し上げます。また当市においても、毎年8月に行っている「平和展」をはじめとした取り組みを通じて、市民の皆さまとともに平和の大切さを真摯に見つめて参りたいと思います。

 最後になりましたが、本日の平和大行進の目的を達成できますこと、また、皆さま方のご活躍とご健勝をお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。

令和元年6月10日

七尾市長  不嶋 豊和

 

2019年原水爆禁上国民平和大行進へのメッセージ

 2019年原水爆禁止国民平和大行進にご参加の皆様、大変ご苦労様です。

 この運動は、核兵器の廃絶を願う多くの方々が参加され、今年で61周年を迎える国民的行動であり、長きにわたりこの地道な運動に関わってこられた関係者の皆様には、深く敬意を表します。

 核兵器の廃絶と恒久平和の実現は、唯一の被爆国である我が国はもとより、平和を求めるすべての国々の願いであります。しかしながら、依然として世界各地では紛争やテロ行為があとを絶たず、真の平和ヽの道のりは、大変険しいと言わざるを得ません。

 このような状況の中、平和を求める人々は、核兵器廃絶と平和社会の実現に向けた断固とした行動を示し、平和の尊さ、大切さを次の世代にまでしつかりと伝えていかなければなりません。

 「平和都市宣言」を掲げ、「平和首長会議」に加盟しております本市におきましても、引き続き市民の皆様とともに核兵器の廃絶と恒久平和の実現を目指してまいります。

 2017年7月には、国連で核兵器禁止条約が採択され、核兵器廃絶に向けて歴史的な一歩を踏み出しました。

 今後も皆様には、核兵器のない平和で公正な社会の構築に向けて、平和運動の推進に努められますことを念願いたしますとともに、本日の平和行進に参加されました皆様のご健勝とご多幸を心より祈念申し上げ、メッセージといたします。

令和元年6月18日

白山市長  山田 憲昭

◇ 講演要旨 ◇

 日米安全保障体制と日米地位協定

非核の政府を求める石川の会

代表世話人 五十嵐正博

 サンフランシスコ条約(対日平和条約)・(旧)日米安保条約

 ポツダム宣言は、国際法上拘束力があり、そこに規定された日本の非軍事化、民主化などは日本だけでなく、連合国にとっても法的義務でした。日本国憲法が施行されて約四か月後、昭和天皇による、いわゆる「沖縄メッセージ」が発せられ、占領軍の沖縄駐留を25年ないし50年あるいはそれ以上の希望を米側に伝えました。昭和天皇は、自らに対する戦争責任の追及、日本の共産主義化を恐れていました。日本降伏後、米における世論調査では、圧倒的多数が天皇の戦争責任を問い、連合国の中にもそうした強い声がありました。マッカーサーは、一方で日本統治のために天皇制維持が効果的であり、他方で天皇断罪の声を抑えるためにも日本の「特別の戦争放棄」が必要と考えました。9条の発案者が幣原あるいはマッカーサーであるかはさておき、40年代後半になると、アメリカの対日政策は、太平洋における軍事基地化の推進、反共主義の拠点として、日本の占める地位の重要性の認識と朝鮮戦争勃発により大きく転換します。日本の軍事基地化と沖縄の確保が至上命題になったのでした。

 1951年9月サンランフシスコ平和条約・(旧)日米安保条約が署名されます。日本との交渉に先立ち、ダレスは『われわれは日本に、われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるだろうか、これが根本問題である』と語っていました。同条約は、すべての占領軍の日本からの撤退を規定しつつ、日本が合意すれば外国軍隊の日本国領域における駐留を妨げないと、米軍の駐留軍としての居座りを認めたのです。そして、米軍は「基地管理権」の下、「必要なまたは適当な権利および権能を有する」とされました。これは、日米地位協定でも「変わることなく」(密約)続いています。

 日本の防衛力増強については、(旧)条約で「期待」に留まっていたものが、(新)条約では米国に対する条約上の義務になり、安保体制が完全な姿で確立されました。

(新)日米安保条約

 (新)条約は、1960年1月に署名され、6月23日に発効しました。(旧)条約との主な相違点は、米国の日本防衛義務の明確化(共同防衛条項新設)、安保条約と国連との関係の明確化、事前協議制度の導入、内乱条項の削除、条約期限の設定です。

 日米地位協定

 米国は、先のダレスが望んだ特権を、(旧)条約によって確保しました。「全土基地方式」と呼ばれる講和後の新たな占領政策は、戦後70年を過ぎた今も、この国の中に広大な米軍基地を、その駐留経費の75%を日本国民に負担させています(韓国40%、独33%。米軍駐留人数(2016年概数):日本3.9万、独3.3万、韓国2.4万)。そして、日本における米軍の法的地位(特権・免除)は、1952年4月発効の日米行政協定で定められました(60年6月発効の日米地位協定が承継)。地位協定によれば、日本は米国に基地を提供し、具体的な基地は日米合同委員会で決めるとしています。この合同委員会は密室で行われ、その合意内容も秘密と、米側の思うがままです。

 「思いやり予算」地位協定では、基地の提供にかかる経費、民有地の借り上げ料や基地周辺対策費などは日本側が負担し、在日米軍の維持・運用にかかる経費は米国が負担することになっています。「思いやり予算」とは、地位協定上、日本が負担する義務のない経費だからであり、1978年6月、当時の金丸信防衛庁長官の訪米の折り、「在日米軍の駐留経費問題については、思いやりの精神でできる限りの努力を払いたい」と述べたことに由来します。実は、すでに1971年6月の沖縄返還交渉の中で、地位協定を「柔軟に解釈」する密約が結ばれていました。2015年7月、「思いやり予算」特別協定更新交渉が始まり、2016年1月、2020年度までの5年間で総額9,465億円の思いやり予算を日本が負担する特別協定に署名しました。2020年度末に期限が切れるので、次の改定交渉が始まることになります。

   「排他的管理権」(環境立入り調査権・沖縄県警の捜査権)「排他的管理権」とは、基地において、米国側が望まない者による立入りや使用を拒む一方で、「基地の外」でも米国が必要とする一切の措置をとる権利のことです。地位協定は、米国は、施設及び区域内において、必要なすべての措置を執ることができるのに対し、日本側は、米軍の要請があったときは、合同委員会での両政府間の協議の上で、関係法令の範囲内で必要な措置を執るものとする、となっています。この場合も、「関係法令の範囲内で」の文言に関して、米側にとって不適当な場合には、合同委員会で議論する(密約)、と結局は米側の言いなりです。

    環境立入り調査権については、2015年「環境補足協定」が結ばれました。沖縄県は、遅くとも返還の3年前の立ち入りを希望しましたが、「返還の150日労働日を超えない範囲」と全く無意味なものとされています。

   沖縄県警の捜査権について、地位協定の刑事裁判権に関する合意議事録には、米軍の権限ある当局が同意する場合と、重大な罪を犯した現行犯を追跡している場合は、「日本の当局が逮捕を行うことを妨げない」となっています。沖縄県警によれば、米軍の同意はほとんど得られないし、「重大な罪」は「死刑または無期もしくは長期三年以上の懲役もしくは禁錮に当たる罪」を意味し、「事実上の治外法権」状態です。

   「刑事裁判権」1952年から1953年10月まで、すべて米国側に裁判権がありました。「一次裁判権の自発的放棄密約」があったのです。地位協定は、「刑事裁判権」について、公務中の犯罪については、すべて米軍側が裁判権を持ち、公務中でない犯罪については日本側が裁判権を持つが、(犯人が基地内に逃げ込んだりして)犯人の身柄が米側にあるときは、日本側が起訴するまで引き渡さなくともよい、とされています。ここにも「日本の当局は通常、合衆国軍隊の構成員、軍属、あるいは米軍の軍法下にある彼らの家族に対し、日本にとって著しく重要と考えられる事例以外は裁判権を行使するつもりはない。」とする「日本側一次裁判権放棄密約」があります。

 日米地位協定の「見直し」「基地の移設」

 沖縄県は、米軍基地を巡る諸問題の解決を図るためには、原則として日本の国内法が適用されないままで米側に裁量を委ねる形となる運用の改善だけでは不十分であり、地位協定の抜本的な見直しが必要であると考え、2017年から外国における地位協定の調査を始め、これまでドイツ、イタリア、ベルギー、英国を対象にしてきました。そこから得られた日本との根本的違いは、駐留軍に対する国内法適用の有無であり、日本は米国と対等な立場にはなく、米国の属国であることを明らかにしました。日本政府は、ほとんど意味のない二つの補足協定(環境、軍属)を締結したと言いますが、基地問題が発生するたびに、相も変わらず、運用改善で対応していると言い逃れをしています。全国知事会は、2016年、翁長前沖縄県知事の「基地問題は、一都道府県の問題ではない」との提言を受けて、2018年7月全会一致で日米両政府に地位協定の抜本的見直し、基地の整理・縮小、返還を積極的に促進することなどの「提言」を行いました。基地問題は、「戦争をする国造り」を進める安倍政権の下、「日米軍事一体化」が「深化」する中で、安保条約の存続の是非の問題として考えなければなりません。それは、基地問題に限らず国民生活全般にかかわるのです(軍事予算の増大と社会保障費の削減が典型)。私たちは、人類がやっと手にした「武力行使禁止原則」(国連憲章)、その更なる具体化としての日本国憲法9条を守り、活かしていかなければなりません。

◎6月2日、金沢市文化ホールで開催した非核の政府を求める石川の会第31回総会記念講演(要旨)です。講師の五十嵐正博代表世話人にまとめていただきました。

【2019年 年頭所感】 

「ご飯論法」または「白馬は馬に非ず」

代表世話人 五十嵐正博

 明けましておめでとうございます。

 昨年、「ご飯論法」が流行語大賞トップ10に選ばれました。安倍政権の嘘、詭弁を一言で言い当てたことが評価されたのでしょう。ところが、87年、本会設立の前年、加藤周一さんは、紀元前、中国戦国時代に公孫龍が唱えた「白馬は馬に非ず」の故事をひいて、中曽根政権の「嘘」を暴いていました。

 加藤さんが、朝日新聞に連載した『夕陽妄語』にあります(2月20日付)。加藤さんの慧眼に改めて驚きます。加藤さんを引用すれば「<白>が一、<馬>が一、あわせて<白馬>が二、二は一に非ず」という詭弁論法です。加藤さんは、中曽根さんの「大型間接税」導入、「国家秘密法」の目論見を許せなかったのでしょう。加藤さんを引用したのは、当時と今日の状況があまりに似通っているからです。中曽根さん、安倍さん、ともに改憲に情熱を持つところも同じです。

 86年、中曽根さんは、「解散は考えていません、選挙はやらない」と公言しながら、いわゆる「死んだふり(寝たふり)解散」をし、7月に衆参同日選挙を強行しました。そして、「大型間接税」は導入しないと言明しながら、87年2月、「新型間接税」である「売上税」は「大型間接税」ではないとの詭弁を弄し、「売上税法案(税率5%)」を国会に提出したのです。

 しかし、中曽根さんの「嘘」に対する国民の反発は強く、「税制改悪・売上税粉砕」のスローガンの下、全国各地で「売上税反対集会」が開かれ、3月の参議院補選(岩手県選挙区で社会党候補が圧勝)4四月の統一地方選挙で自民党が敗北、その結果、「売上税法案」は廃案となりました。

 中曽根さんの「嘘」は、89年の参議院選挙における自民党の全国的敗北まで自民党退潮の端緒となりました。私たちは、この歴史的事実を大いに教訓にしなければなりません。

 加藤さんは、敗戦後、焼け野原となった東京を見て、「私にとっての焼け跡は、単に東京の建物の焼き払われたあとではなく、東京のすべての嘘とごまかし、時代錯誤と誇大妄想が、焼き払われたあとでもあった。」と綴っています(『羊の歌』岩波新書)。「あのいくさを歓呼して迎えた人々は、どこへ行ったのか。それよりも彼らをだまし死地へ追い立て、敗色濃くなるや、『焦土戦術』などという無意味に残酷なうわ言を口走っていた人々は、一体どこへ行ったのか」と。

 「息を吐くように嘘を吐く」「ごまかし(公文書改ざん、隠蔽工作、データ捏造)」「時代錯誤(復古的憲法)」「誇大妄想(アベノミクス)」「戦後レジームからの脱却」「人づくり革命」「一億総活躍社会」などは、時代錯誤と誇大妄想の混然一体型といえるかもしれません。安倍さんは、「強固な日米同盟のために」の文脈で「沖縄の皆様の心に寄り添う」と語りました。アメリカのために新基地を建設し、トランプの言いなりに高額兵器を爆買いし、そして、沖縄の民意を無視し、足蹴にする、それが安倍さんにとって「沖縄の皆様の心に寄り添う」こと。なんという残酷で、冷酷無比な心の持ち主なのでしょうか

 この国を焼け野原にしないために、安倍さんには一日も早い退陣を求めます。4月の統一地方選挙、7月の参院選(ダブル選挙?)で自公政権を敗北に追い込まなければなりません。

 「市民連合」は、今年の年頭所感で次のように呼びかけています。「立憲主義の回復、安保法制の廃止、安倍改憲の阻止などの一致点を土台に、誰もが自分らしく暮らせる社会や経済をつくるための政策を今後どれだけ具体的に構想し、発信していくことができるか、そうして、政治をあきらめてしまった有権者たちを今一度呼び戻すことができるかが私たちに問われていると考えます。」

 加藤さんは、上記エッセイを次のように結んでいます。「日本国民の力量によるのである。」おっしゃるとおりです。

 

 

 

 

 

 

【2019年  年頭のご挨拶】

 人類の希望 マンデラと南アフリカ

代表世話人 井上英夫

 明けましておめでとうございます。

 一昨年の本誌1月号で「非核と非暴力」ということで新年のご挨拶をさせていただきました。強固な戦争肯定論とりわけ核抑止力論への根本的な対抗策は非暴力以外にない。

 非暴力を貫くのに、現実は余りに厳しい。しかし、ガンジ―からマンデラへと現代における非暴力主義の足跡をたどると人類の将来に明るい展望が開ける。「あらためて非暴力主義の歴史を学び」と決意を述べました。

 ネルソン・マンデラに会いたい

 昨年11月、私は、愛媛大学の鈴木 靜さんと一緒に約1日かけてケープタウンに到着し、ハンセン病患者、軍・民の犯罪者、政治犯、そしてネルソン・マンデラさんが収監されていた隔離の島ロッベン島、喜望峰、ダーバン、ヨハネスブルクを訪問しました。長年の希望でしたが、マンデラさんが2013年に95歳で亡くなってから5年を経てようやく同じ空気をすえる地に立てました。

 ご存知のように、マンデラさんは南アフリカで48年から91年まで続いた人種差別・人権剥奪制度すなわちアパルトヘイトに敢然と挑戦し、27年間の獄中生活を経て、廃止させ、さらに94年、全国民参加の選挙により大統領になった人です。

 喜望峰にて~ヨーロッパ人から人類の希望へ

 南アフリカの岬が発見され、喜望峰Cape of Good Hopeと名付けられましたが、この「希望」はあくまでポルトガル・ヨーロッパ人にとっての希望であり、南アフリカの人々には苦難の歴史の始まりでした。しかし、喜望峰そして南アフリカは、今や人類にとっての希望の地になったと思います。

 マンデラ広場にて~非暴力・報復の切断と虹の国

 その戦いの歴史は、マンデラさんの自伝(『自由への長い道』上、下巻、東江一紀 訳、NHK出版、96年)に詳しいのですが、私が感動し、人類の未来に希望を持てたのは、非暴力主義により暴力による報復の悪循環を断 ち切ったことです。

 

 マンデラさんも、非暴力主義か、武器を取って立ち上がるか、激しい葛藤の中で、ついに武装部隊を組織します。しかし、その暴力は、白人政府の生命すら奪う暴力による弾圧政策に追い詰められた苦渋の選択であり、施設等物の破壊工作であって、直接人にむけられたものではありませんでした。非暴力主義が根底にあってこそ、解放後、支配者白人に対する報復を断ち切り全人種・全民族の融和による新たな虹の国づくりを進めることができたのだと思います。

 「我々は勝利した。これからは黒人も白人も一緒に国づくりをしよう」

 根底に、黒人も白人も同じ人間であり、価値において平等であるという人間の尊厳、そして基本的人権に対する熱くかつ冷徹な思想と行動があったのはもちろんです。

 ヨハネスパークにあるマンデラ広場に立つとまさに虹の国を眼前に見る思いでした。広場は、黒人、白人、黄色人種と多様な人々が行きかい、レストランで食事し、子供たちが一緒に遊ぶ光景が見られたからです。

 しかし、南アフリカの現実は、マンデラさんの思い描いた国の姿とはまだ遠く、厳しいといわざるを得ません。貧困、格差・不平等は解消されていません。治安状態も世界最悪状態は脱却したとはいえまだまだです。

 「貧困の克服は、慈善や恩恵の問題ではない。正義の活動である。尊厳(dignity)と人間にふさわしい品性のある十分な生活(decent life)への権利すなわち基本的人権の保障である」。

 マンデラの言葉は、社会保障を公助とし、軍事費を優先し、人権ではなく恩恵・お恵みに貶めている日本にも向けられたものでしょう。

 ロッベン島にて~マンデラと憲法97条

 昨年7月、私は、NY国連本部にいました。国連の高齢者人権条約制定のための作業部会参加のためです。

 7月18日は、ネルソン・マンデラ国際デーに指定されていますが、国連本部の一画に、生誕百年を記念してマンデラコーナーが設けられていました。この記念の年に、高齢者の人権保障運動に参加し、さらに、南アフリカの地を踏んだことに不思議な縁を感じます。

 マンデラさんが18年間収監されていたロッベン島に立ち、日本国憲法97条を想起しました。

 基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力(struggle)の成果」である。

 まさにマンデラさんのたたかいは、日本国憲法の人権の本質にうたわれている「権利のための闘争」でした。

 「たたかい(struggle)は、私の人生。自由のために生命尽きるまでたたかい続ける」。

 マンデラさんについて市民に思いを聞くと、とたんに笑顔がはじけ、ナンバーワンの人、偉大な人、白人と黒人一緒に国をつくるんだと誇らしそうに語ります。まさに、マンデラさんが戦い、勝ち取った人権そして理想が、人々とくに若者に受け継がれていると実感できました。確かに、マンデラさんは偉大でしたが、そのたたかいは、共にたたかう南アフリカの人々、明るく、友好的で活力・向上心にあふれた人々があってこそのことだと実感できた。この旅の最大の収穫でした。

  ◇   ◇   ◇

 南アフリカについては、医療・福祉問題研究会の3月2日例会(午後3時から5時 石川県社会福祉会館)で報告します。ご参集ください。

 2018年  年頭所感

「君たちはどう生きるか」

代表世話人 五十嵐正博

 あけましておめでとうございます。

 今年、私たちは「アベ改憲」を阻止できるかどうかの分水嶺に立たされています。憲法違反の横暴の限りをつくす首相は、年頭会見で、「今こそ新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を示す」と表明しました。厚顔無恥とはこのことです。

 吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』が、異例のブームになっているそうです。それは1935年のことでした。「1931年のいわゆる満州事変で日本の軍部がいよいよアジア大陸に侵攻を開始してから4年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期」です。山本有三は考えました。せめて少年少女だけは「時勢の悪い影響から守りたい、・・・この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化があることをなんとしてもつたえ・・、

 人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかなければならない」(『岩波文庫版』)。山本有三は、このように考えて『日本少国民文庫』を計画しました。吉野は、その文庫の編集に携わっただけでなく、その最後の一冊として執筆したのが『君たちはどう生きるか』でした(盧溝橋事件の一カ月前に発行)。

 ノーベル平和賞授賞式で

 昨年、国連総会において核兵器禁止条約が採択され、ICANがノーベル平和賞を受賞しました。被爆者の方々の長年のご苦労が報われた瞬間でした。

 唯一の戦争被爆国は条約案に反対票を投じ、平和賞の受賞に冷淡でした。授賞式で、サーロー節子さんは、被爆者の皆さんの声を代弁して、「核兵器と人類は共存できない」こと、「核兵器は絶対悪」であり、核兵器国だけでなく、「核の傘」の下にある共犯者に、「私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムの不可欠の一部分なのです」と語り掛けました。

 今年の世界終末時計は?

 世界終末時計(原子力科学者会報)は、昨年1月17日、トランプの核兵器や気候変動に関する発言から、前年より30秒進め、残り2分30秒としました。今年、終末時計がさらに進められないことを祈ります。

 若いころ、金沢に住んだこともある日本近代史・日米関係史の権威、ジョン・ダワーが、昨年、『アメリカ 暴力の世紀』(岩波書店)を出版しました。彼は「日本語版への序文」において、「日本の保守主義者や新愛国主義者たちが熱望しているように、日本がもっと『普通の』軍事化を促進するために憲法を変更するようなことがあれば、戦後日本国家の性格を変えることは間違いない」と述べ、「トランプらが着手すると思われる新しい軍事戦略に、『積極的に』貢献するようにとの圧力をますます強くうけるようになる」と憂慮しています。

 権力の暴走を阻止する憲法

 安倍首相は、憲法が、権力の暴走を抑止するためにあるのだという立憲主義を全く理解しないどころか、「軍隊を自由に海外に展開し、権力が国民を縛りつける」「古い時代への絶望を生み出す」憲法づくりを周到に進めてきました(特定秘密保護法、共謀罪、戦争法など)。彼の関心は、トランプの顔色、株価の動向や有効求人倍率といった「数字」であり、沖縄の米軍基地、震災、原発事故の被災者、貧困にあえぐ人々、老齢者、待機児童などには目もくれません。

 今後、ナチスの「手口」そのままに、マスメディア、広告会社、神社本庁、日本会議、はたまた芸能人、スポーツ選手などを総動員し、「国民の安全・生命を守るために」との詭弁をろうし、はては「最大の国難」を叫んで危機をあおり、情緒に訴えかける宣伝を日本列島に洪水のごとく流すでしょう。「国威発揚」と称してオリンピックを政治利用するでしょう。「憲法のあるべき姿」は、無能、有害な為政者の存在を認めてはならないのです。

 一人ひとりが社会を変える時代

 今年は「明治150年」でなく、市民運動の原点ともいうべき「米騒動100周年」、世界人権宣言採択70周年、「非核の政府を求める石川の会」30周年になります。吉野源三郎は、主人公の少年に「僕は、すべての人がおたがいに良い友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います」と語らせ、最後に読者に問いかけます、「君たちはどう生きるか」と。

 吉野は、山本の考えに共鳴して、「偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化があること」をつたえ、いつか少年少女一人ひとりが社会を変えてくれる時代が来るとの祈りを本書に込めたのでした。

 侵略戦争の渦中で非業の死をとげた国内外のおびただしい数の人々、戦争に反対し、自由を求めたがゆえに、過酷な拷問を受けた人々、暗黒の日常の中でひっそりと平和を希求した人々、日本国憲法には、そうした人々の「平和と自由」への強い願いが込められています。「君たち」一人ひとりは、日本国憲法を生かすための「主権者」、主人公なのです。

 2018年  年頭所感

「若者に問いかけよう-硬軟自在に」

代表世話人 井上英夫

 明けましておめでとうございます。

 安倍政権が、憲法改悪に大きく踏み出した今年は日本の歴史にとって分岐点となるでしょう。五十嵐正博さんも言うように「若者よ、君たちはどうする」、今こそ真剣に問いかけなければならないと思います。何より、戦場に駆り出され、殺し、殺される可能性が高いのは今の若者なのですから。

 ところが、大学生にそうした戦争・徴兵制すら迫っているという危機感、切迫感はほとんど感じられません。それどころか、昨年ショックを受けることが起きました。

 時代遅れじゃありませんか

 1年生を対象に人権・ジェンダー論を講義し、第二次大戦の悲惨な結果への反省に始まる現代の平和と人権の歴史を話しています。ナチスのホロコースト、日本については、原爆等被害者の側面だけでなく731部隊、慰安婦問題など加害者責任についても話し、それらが今につながっていることを強調しています。

 感想のなかに、先生の話は「時代遅れだ」というものがありました。大学で、40年以上若者と接してきたわけですが、初めての反応でショックを受けました。

 このような、学生たちに何を、どう伝えたらよいか。今は、多様な媒体、表現により「硬軟」両面から若者に語りかけるしかないと思っています。

 

 硬派で迫る「革命」路線

 まず、硬派からですが、昨年『社会保障レボリューション―いのちの砦・社会保障裁判』(高菅出版)を出版しました。

 表題を勇ましく、レボリューション=革命としたのは、憲法上許されない不平等・差別の拡大、生命権すら奪われている事態に対して、今こそ、人権としての社会保障の旗を掲げ、憲法97条が認める「革命」・レボリューションを起こすしか道はない、と思ったからです。 

 

 

 

 

 ソフトに「ゆるきゃら」路線で

 そして、ソフト=ゆるきゃら?路線としては、『ペリリュー-楽園のゲルニカ』(白泉社)です。1944年、日米両軍約13,000の若者が無残な死を遂げたペリリュー島の戦闘を描いた漫画です。

 作者の武田一義さんは、「漫画である以上読みやすく面白く」と言うのですが、第46回日本漫画家協会賞優秀賞を受けています。ちばてつやさん直筆の表彰状には、「可愛らしい温もりのある筆致ながら『戦争』という底知れぬ恐ろしさと哀しさを深く表現して見事です」とあります。

 『はだしのゲン』、水木しげる、とも違うこんな「路線」もあるのだなー、と「痛快」な気持ちになりました。今、2月末に出されるという第四巻を心待ちにしています。

 以上、是非ご一読ください。

 

会報 非核・いしかわ

絵手紙コーナー

広島被爆絵画

石川の会・沿革

アーカイブ