2023年 年頭所感 「平和国家」はどこへいくのか/五十嵐正博

2023年 年頭所感

「平和国家」はどこへいくのか

代表世話人    五十嵐正博

戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

 『世界』(2023年2月号)は、阪田雅裕元内閣法制局長官による「憲法九条の死」と題する論考を掲載しました。「憲法9条が掲げた『平和主義』は2015年に成立したいわゆる安全保障法制により危篤状態に陥っていたが、今般の国家安全保障戦略の改定によっていよいよ最期を迎えるに至った」と。

 本稿で、「日米関係」「日中関係」の近現代史を語る余裕はありませんが、そこに人類史上最悪の犠牲をもたらした加害と被害のおびただしい「事実」があったことを決して忘れてはなりません。これらの「事実」が「なかった」と主張した安倍政権は、2015年「集団的自衛権行使」を容認する「平和安全法制」を制定し「戦争ができる国」にしました。昨年12月16日、岸田政権は「防衛力の強化・防衛費の増額」を謳い、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」をも認める「安保関連3文書」を閣議決定し、「安保の大転換」にとどまらない「戦争をする国」へと突き進むことになります。今後5年で「軍事費GDP2%」にし、「世界第3位の軍事大国」にしようというのです。「軍事費の増大」自体は既定のものとされ、「財源」が焦点にされています。そうではない、「人の命」こそが問われなければなりません。「(3文書)策定の趣旨」は、次のように述べます。

 「戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。・・・国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」「国防は、国民自らの責任」だと。「自らは安全な場所」にいながら、なんの心の痛みもなく、むしろ自らに酔いしれて、「国、国民を守るため」とうそぶく指導者。それをなんの批判もなく垂れ流すマスコミ。「軍隊は国民(住民)を守らない」、権力者は、国民を「捨て石」としか見ていない。人の世の不条理極まれり。「辛い」時代が続きます。

安倍「公安」内閣は、「特定秘密保護法」を成立させました。政権の「猜疑心」はとどまるところを知りません。岸田政権は、たとえば、陸上自衛隊の宮古・与那国への配備に伴い、住民監視のため「情報保全隊」をも配備する「周到さ」であり(また「土地利用規制法」により、個人情報が公安調査庁などに管理される)、はては、防衛省は「世論工作研究」に着手したと言われています。これが、わたしたちが住む国の暗闇です。沖縄戦犠牲者の遺骨の混じった土砂の採掘反対を訴えるガマフヤー、具志堅隆松さんは言います、「不条理のそばを黙って通り過ぎるわけにはいかない」、と。

 「異次元の少子化対策」は「徴兵制」の布石

 岸田首相は、本年正月、唐突に「異次元の少子化対策」を言い出しました。これも「財源」話で済むことではなく、「徴兵制」の前触れではないかと疑います。自衛隊は、少子化で採用難、充足率は約90%で推移し、2018年から「募集対象年齢の上限」を26歳から32歳に引き上げました。「産めよ殖やせよ、国のため」、戦争遂行標語の復活か?この標語は1939年、新設された厚生省が「結婚十訓」の一つとして発表したのが語源です。太平洋戦争に至り、たとえば、「軍部は、徴兵事務の面から体力向上と人口増強を要望し」、1941年1月、「人口政策決定」が閣議決定されました。(赤川学「新聞に現れた『産めよ殖やせよ』)同日発せられた厚生大臣談話は次のように述べます。「皇国の大使命たる東亜共栄圏を確立し・・・その中心であり指導者である所の我が国が、質において優秀、量において多数の人口を有せねばならぬ。このことは今次の欧州動乱の主流をなすところの各国の情勢に鑑みても痛感せられるのである。」

 「防衛計画の大綱」は、1957年の「防衛力整備計画」に始まり(当時国論が分裂しており、「大綱」策定に至らなかった)1976年、「昭和五二年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定されました。直近は、2018年に策定された「平成31年度大綱」(その前は「平成26年度大綱」)です。当初から国会の審議を経ることも、国民の信を問うこともありませんでした。「国民の命は政府が握っている」との認識は一貫しています。

 「31年大綱」は、「防衛力の中心的な構成要素の強化における優先事項」の最初に「人的基盤の強化」をあげ、「防衛力の中核は自衛隊員であり、自衛隊員の人材確保と能力・士気の向上は防衛力の強化に不可欠である。これらは人口減少と少子高齢化の急速な進展によって喫緊の課題となっており、防衛力の持続性・ 強靭性の観点からも、自衛隊員を支える人的基盤の強化をこれまで以上に推進していく必要があり、・・・このため、地方公共団体等との連携を含む募集施策の推進」(傍点は五十嵐)などの提言をしています

合従連衡が繰り返され、「帝国」はみな崩壊した

 この国の歴代政権、そして「本土」は、沖縄を犠牲にすることに何の痛みも感じることなく、「日米同盟」が未来永劫不変であると信じているようです。日米同盟はいつまで「深化・強化」し続けるのでしょうか。いずれ「米中同盟」が画策され、日本が米中の「仮想敵国」となる日がくるかもしれない、いや、日本はその頃は自滅して歯牙にもかけられていないかもしれない。米中が「大国づら」していた時代も終わっているかもしれません。世界史は、「合従連衡」が繰り返され、いかなる「帝国」も永続したためしはないと教えてくれています。今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、その通りです。しかし、「合従連衡」の、何よりも「戦争」の愚を繰り返さないためには、たとえ時間がかかっても、すべての「軍事同盟」、各国の「軍隊」を解体することです。世界中が「戦争・軍拡カルト」に洗脳され、ウクライナなどで戦火が交えられている現在、憲法9条の「最期」を見届けるのではなく、改めて憲法9条こそ世界に向けて広めなければならないと強く思います。

 

会報 非核・いしかわ

絵手紙コーナー

広島被爆絵画

石川の会・沿革

アーカイブ